もうすぐ夏休み。
バカンス、合宿、補習…夏休みの使い方は色々だ。
そして、その前にはテストというものが待っている。
そのテスト次第で、夏休みが自由に使えるか、使えないかが決まるのだ。
とはいえ、僕にとっては満点以外の数字はあり得ないので心配する必要は無い。
寧ろ、それに一喜一憂する周囲の連中への影響の方が気になるくらいだ。
寧ろ、部活に精を出したり、部活メンバーに勉強を教えるくらいで僕には丁度良い。
生まれたときから完全なホムンクルスには成長はない。学ぶことなど必要無いのだから。
テストと言えば、小さな魔女*1の生徒に勝手にライバル宣言されたりもしたが、そもそも学年が違う。
後輩で青野と同じ学年だったはずだ。
勝負をしたければ同じ学年まで飛び級してこいと言ったら黙ってしまった。
元々飛び級で入ってきた生徒なので、難しいことではないのだろうが、今の学年に残りたい理由があるのだろう。
特に僕が気にかけることではないから、それ以上は何も言わなかった。
それにお互い満点なのがわかっていれば、勝負というものにもならない。
それはただの確認作業だ。
人を喰らう野蛮な妖連中の為の学校なので、学力には期待していなかったのだが、以外にもそこで求められるハードルは高い。
では、一体着いていけない生徒はどうするのか、他にもっと学力の低い受け皿となる学校はあるのかと考えてしまうが、教師陣が積極的な補習等で頑張っているようだ。
特に籠女李々子という教師は教育熱心だと有名らしい。
僕は籠女李々子*2という教師について少々調べてみた。
それを何処かの人狼に見つかって、ストーカー扱いされた記事を書かれそうになったので、その該当部分の原稿を破壊させ、人狼にはタマネギ濃縮エキスを投げつけた。
タマネギはユリ科の植物で、ニンニクと同じく溶血作用があるので人狼は赤夜にも避けられていた。
やはり、吸血鬼がニンニクを嫌う理由の大本はあの溶血作用成分*3にあるのだろう。
あくまでその成分が赤夜にはキツいだけなのだろうが、それでも女に、特に見目の良い女に臭いと言われるのは、あの手の連中には中々堪えるだろう。
…心の中で声を大きくして、良い様だと言わざるを得ない。
何だって? やっていることが九曜達、公安に似ている?
それはきっと気のせいだ。僕は神の名の下に行動している正義の代行者だ。
であれば、僕のやることには何の問題も無い。
調べた結果、幾つかのことがわかった。
籠女教師は1年4組の担任で数学教師であること。
男女交友には厳しいにもかかわらず、自身はやたらと無意識にフェロモンを発すること。
職務に熱心で、
その種族はラミア*4であること。
そのラミアな教師に、この学校で唯一の人間であろう青野は執着されているということだった。
データベースに出来ない生徒ほど可愛く思うとでも加えておこう。
元より、ラミアは愛する自身の子を失ったが余り他者の子供に執着する。
ラミアの始祖が、呪いにより、愛する子供を自身の手で殺す事になってしまったことが発端だ。
そして愛する子供を殺すという呪いにより、その愛情故に他者の子供を自身の子供のように思い込み、呪いによって襲ってしまう。
哀れとしか言いようが無いが、子供を殺すという最後の終着点を除けば教師や保母としては理想的な種族と言わざるを得ない。
無論、最後の時には妖である以上、絶滅させるが。
青野は残念な事に所謂、勉強が出来ない組の生徒だった。
調べたところによると、以前の学校でもそうだったらしい。
素で頭が悪いのか、勉強に今までに真剣さがなかったのかは知らないが、結果としては同じだ。
現在の彼は間違いなく勉強が出来ない生徒だと断言できる。
現在は余計なことに現を抜かしている、というか、巻き込まれている以上仕方ないと言えるが、しつこいようだが結果は結果だ。
所謂僕は出来る生徒なので、籠女教師には教え甲斐がないのかも知れないが、それでも籠女教師は僕を嫌う様子もない。
その時に滅ぼすのが惜しくはなるが、結局は妖だ。
青野の生存を優先しようと僕が判断するのは当然の帰結と言えよう。
とはいえ、籠女教師の能力は青野に害を為すものでは無い。
元より秩序の下においては生徒は教師に従った方が正解である。
下僕という言葉を使うから籠女教師は悪の側に見えるが、知識を最大効率でインストールする行為は青野の役に立っていると言える。
…問題は、籠女教師の制御下から外れたときにその蓄積が消失することだ。
それさえ改善すればまさに理想の教師といえた。
僕も生まれたときから知識を標準で持っているので、知識のインストールと言うことに抵抗感はない。
精々、本能的な無意識で持つ知識が広がったといえる程度だ。
だが、生徒は卒業して学校という巣を離れる。
その時に今まで溜め込んだ知識が消えたのでは意味が無い。
籠女教師は卒業後までは付いてきてくれないのだから。
僕はそれを青野に知識データをインストールしている籠女教師に伝えた。
能力を改善するか、別のアプローチで青野を鍛えるかした方が良いと。
すると、籠女教師は己のやり方を批判されたように感じたのか激昂してきた。
とはいえ、元から大凡万物の知識をデータベースとして持つ僕に『教育』を施すつもりはないようで、邪魔をしないでとだけ伝えられた。
お互いやり方が納得いかなくても理性的に話し合いで解決する。
流石教師だ。これぞあるべき姿だ。
そう思っていたのだが…
「先生、何やってんですか、つくねにひどいことしないでッ」
突如、赤夜が現れた。
いつか赤夜のことは調査するつもりであったが、別のことをしているときに無理矢理挟まれたくはない。
シチュエーションとしては青野に執着する感情的になった赤夜という、絶好の調査状況なのだが。
「またですか赤夜さん。私は「教育」に自分の全てをかけてるの!
眼鏡をかけ直しながらそう告げる籠女教師の理念には感心する。
しかし、一つ付け加えるなら、籠女教師は男子生徒と女子生徒相手では態度が大きく違う。
もしかすると僕がそれ程好まれないのも女顔という理由なのかも知れない。
そこは教師としての要改善事項だと思う。
そして、残念な事に大人ではない生徒達は理論よりも感情で動く生き物だと言うことを、嘗て子供であった筈の大人である教師は忘れている。
このままでは、恐らく籠女教師と赤夜の戦闘力の調査に移行することになるだろう。
赤夜がノートを籠女教師の顔に投げつけ、それにキレた籠女教師が振り払った尾でノートをバラバラにした。
…もはや、理性的な解決は不可能か。
ラミアの下半身は蛇。そして蛇が苦手なのは石灰。
コートのポケットの中にある材料を加工して石灰を生成しようとしたが、思った以上にラミアの尾の伸縮は自在のようで、籠女教師はその場から動くことなく赤夜を壁に叩き付けた。
そこでまさかの青野が意識を取り戻して動き出した。
籠女教師に操られる人形としてではなく、自分の感情に振り回される人間として。
どちらかと言えば、己の理性に縛られる人間の方が個人的な好みだが、籠女教師の洗脳を独力で振り抜くということには驚嘆せざるを得ない。
…ここがおさめどころか。
敢えて籠女教師と赤夜を争わせてもいい。
だが、青野に恩を売っておくのなら、ここが最良であろう。
下手に暴れられて青野が巻き込まれては、それこそ不必要な犠牲だ。
…犠牲というものは、本当に必要なときまで温存する必要がある。
右手には精製した石灰。左手には法儀礼済みの聖水。
それをそれぞれ中身を開けて女達の足下へとまき散らす。
青野に胸元を弄られて白銀の髪を持った僕によく似た姿になった赤夜と、籠女教師は動きを止めた。
「暴力は獣のする事だ。妖は獣の側だから問題は無いだろう。
しかし、大事なことを思い出せ。
どちらも青野月音に勉強を教えたかった。そして、そのやり方がお互いに気にくわなかった。
そして引き起こされる体罰とそれに反発する暴力。
実に妖らしくて愚かだ」
僕は教師と生徒に教育してやろうとしたが、どうやら聞いてくれそうにも無い。
赤夜などは、雑魚が賢しげに説教するなと凄んでいる。
そして、そう言いながら己に似た僕を警戒して動きを伺っている。
…結構賢そうだ。
「籠女教師は赤夜の愛に免じて、赤夜は籠女教師の理念に免じて矛を引いていただきたい。
結論は青野自身に任せよう。勿論、その結果の責任は青野に取らせよう。
もし、赤夜を選んで補習になった場合、赤夜は一切籠女教師に口を出さない。
…暴力よりもよっぽどフェアだろう。
あと籠女教師は今後は出来る生徒や女子生徒にも気を配るべきだ。贔屓はよくない」
赤夜は「別に表のが勝手にやっているだけで…」とブツブツ言い出し、籠女教師も不満そうながらも反論はしなかった。
そして、その両者の視線は青野の方を向いていた。
その青野は結局、
「すいません籠女先生。オレ、モカさんと頑張ってみます。でも、それでもわからなかったときはお願いします。
…洗脳以外で」
僕が考える及第点であるコメントを出して場を終結させた。
意外と頭は回るようだ。
ああ、結末としては、結局青野は補習組どころかかなり良い点数を取ったようだ。
9割にギリギリ届かないラインだったらしい。
僕からすれば大したことではないが、幼い魔女が自分のことのように誇らしげに語ってきた。
1学年に残りたかった理由は青野月音に起因すると考えても良いのだろうか。
青野と言えば、彼は僕とすれ違ったときに礼を言ってきた。
礼は籠女教師と赤夜に言えと告げて場を去ったが、礼儀を知る人間と会話するのはそう悪い気分でもない。
だが、敢えて悪い気分になったことをいうとすれば、僕が告げた出来る生徒や女子生徒にも気を配れといった言葉を曲解した籠女教師が、僕にもかまえと言ったのだと勘違いしたようでやたらと絡んでくるようになった事だ。
その影響で、男子生徒や男の教師への受けが悪くなった。
…つくづく妖という存在は度し難い存在だ。