正直、公安に対しては今になって考えるとやり過ぎたと思わなくも無い。
同じ教室のギプスを付けた美脚女子の冷たい視線を感じるたびにそう思った。
だが、時折ニヤ付くのはあの後九曜と良い事でもあったのだろうか?
食欲と肉欲以外に考えることはないのか?
所詮、妖に過ぎないと言うことか。
神に見捨てられるのも当然だ。
…これだから穢れた邪悪な闇の生き物たちは。
僕のいた教会は僕を含めて生まれて一度も異性と関わっていない、清らかな肉体の人間だけが集まっていた。
神の為に生きる者としての信念と言うものだろう。
だから別に異性関係に潔癖だとか童貞くさいとか嫉妬していると言う訳では無い。
これは神に誓っても良い。
そんな僕は、石神教師が無期限定職という、実質的な自主退職促し期間中である為に、美術部員として色々と動いていた。
まあ、あの面の皮の熱そうな教師なら自主退職とは無縁だろうが。
僕が行っていたのは引率の顧問がいない為に恐らく無くなるであろう事になっていた夏休みの部活の合宿。
持ち物は画材一式で
我が美術部は成績優秀な者ばかりなので、補習などで行けなくなる可能性を考える必要は無い為、意欲は高かった。
それは良い。志や意欲が高いのは良い事だ。
で、どうして僕が立案から許可申請まで全て部長の代理をしているのかは解らない。
どうして部長がそういった管理運営を何もしないのかがさっぱりわからない。
いや、ひたすら自分の絵に没頭したいのは解る。
コンクールが近いのも解っている。
それが、彼女の学園での集大成なのも解っているつもりだ。
だが、そのしわ寄せを全て僕に押し付けるのは、全くよく解らない。
決して、石神教師の石化が解けた後、彼女のその裸体を見てしまった事を材料に脅されたと言う訳でもない。
僕はその程度で他者に動かされるような存在では無い。
…あの状況は仕方なかった。不可抗力と言っても良い。
それで僕が弱みを握られる理由にはならない。カメラの様に全て完全に再現できる僕の技量で部長の裸婦画を校内でバラ撒いてやろうか?
いや、それをしたら僕が変態扱いを受ける。八方塞がりだ。
妖怪め、何と言う邪悪な在り方だ。やはり神が地上にその存在を許さないのには確りとした理由があったのだ。
やはり、主は偉大である。主のなさることに何一つ無駄も間違いも無いのだ。
そんな、ややこしい問題を僕が、そう、
女性しかいない僕以外の部活メンバーは一面に広がる黄色の原に声を漏らして感動しているが、僕に言わせればただのキク科植物の群生地に過ぎない。
向日葵の絵が欲しければゴッホ作のレプリカでも飾ればいいのだ。
先程まで向日葵よりも黄色い悲鳴で騒いでいた周りが黙々と絵を描き始めたので、僕は場所を変える事にした。
特に芸術には興味が無い。
だが、暫く歩いて見晴らしの良い木陰があったので座り込んだ所で、結局他にやりたい事も無かったので僕もバッグから画材を取り出して描いてみる事にした。
所詮、僕が描く絵など、撮影と現像に時間がかかるカメラの劣化版に過ぎない。
ある物をあるがままに写すだけの絵しか描けない。そこに芸術性は存在せず、熱意も情熱も何もない。
それが解ってはいたが、やはり合宿の帰りにでも何かしら成果を発表させられる可能性があるので処置として必要だから作業を続けた。
まあ、面白いという感情が全くないと言えば嘘になるかも知れないが、あくまでその程度だ。
気が付くと、三枚ほど向日葵畑を描き上げていた。
そこでふと気配を感じて視線を絵から外して前を向くと、その先に黒髪の少女がいた。
美しい。素直にそう思った。
そして、その言葉が口から洩れていたことを遅れて理解した。
少女の齢は恐らく僕と同じくらいだろう。いきなり美しいとか言い出した僕の言葉で固まってしまっている。
立場が逆なら僕も似た様なリアクションを取るだろう。
何かしら動こうとした少女に思わず僕は、「動かないでくれ」と言ってしまった。
もう完全にヤバい人だ。自分でも思う。
だけど、そのヤバい僕は今描いている絵を取りやめて、新しく絵を描き始めていた。
その絵の完成図は向日葵畑で微笑む少女の絵だった。
目の前の彼女はお世辞にも笑顔とは言えないので多少は想像で脚色する。
まあ、何時までもどうしていいか判らないで固まっている女性に動くなと言うのは申し訳ない。
それも初対面なら尚の事だ。大まかなスケッチを終わらせると、記憶野にその画像を登録させて、作業を取りやめる。
人間と違って、生まれ持って完全な頭脳を持つ僕だからこそ出来る芸当だ。
僕がスケッチを止めたのに気が付いたのか、少女は口を開いた。
「早く、此処を去りなさい」
それは警告だった。
それも、かなり真剣なものの類いなのが声色だけで理解できる。
それに素直に従うも良いだろう。
しかし、その警告するに足る危険があっても僕にはどうにか出来てしまう自信…いや、自覚があった。
だが、離れたところで発意される妖気と、妖気に似たまた別の力。
それらが感じられたことで、僕は彼女の警告はこの事だと理解できた。
万が一、部活メンバーが関わっている可能性もあったので僕はそこへ向かうべきだった。
というか、
だから黒髪の少女に、
「お仲間が暴れているようだ。では警告に感謝する」
そう言って去ることにした。
向かった先には美術部のメンバーだけで無く、満点しか取らない生徒の片割れである一年生の魔女がいた。
そして食虫植物と言うには少々大きすぎる植物の妖も。
別に魔女が喰われようと問題は無い。
何故なら、彼女たち魔女は人間ではないから。敬虔な神の僕ではないから。
悪魔に魂を売った火あぶりにされるべき、神の敵だ。
妖が妖を喰らう。人間には利益しかない行為だ。
とは言え、改宗の機会くらいは与えて、それを蹴って初めて見捨てるべきだろうか?
それとも、それは甘すぎるのだろうか?
僕はそれに1秒の内に結論を出した。
コートの中の材料を調合して、簡単な
植物のホルモンや代謝を阻害する薬剤だ。即死とはいかなくても硬直させることくらいは容易い。
これはあくまで、魔女を助ける行為ではない。
魔女など火あぶりにされて然るべき存在だ。
ただ単純に、現状の所陽海学園に身を置く以上、顔見知りには恩を売った方が得だという判断だ。
いずれ有象無象の区別など無く、どの妖も最後の審判の際には主より滅びを賜るのだから。
小さな魔女にはその硬直で、反撃の機会を作るには十分だったようだ。
見事切り返して、人食い植物を打ち倒してみせた。
ふと上を見れば、先程の黒髪の少女が木の上から小さな魔女を見ていた。
…そう笑うのか、僕の想像よりも美しかったようだ。
記憶野に保存した画像を修正しておこう。
とはいえ、あそこからここまで離れた距離をこれだけの時間でやってこられると言うことは、彼女もまた真っ当な存在では無いようだ。
場合によっては滅殺する必要がある。
それは仕方の無いことだ。
僕は、僕が彼女に気が付いていることに気が付かれる前に、姿を消すことにした。
そして適当な場所でスケッチの続きを行い、部活メンバーとの約束の時間に集合地点に戻ってきた。
向日葵を背景に慈しむように、求めたものを見付けたように笑う黒髪の少女を描き上げて皆のところに持って行った。
写実的ではあるが、完成度は二年生の中ではトップといっても良い出来だとの自負はあった。
だが、僕の作品を賞賛すると思っていた部活のメンバーは、モデルの少女と僕の関係について色々と語り始めた。
そして僕によく解らない色恋沙汰の質問を何度もぶつけてきた。
…彼女達の頭には、三大欲求のことしかないのだろうか?*2
神は無償の愛を、理性を人間に与えたもうた。
しかし、妖はその恩恵にあずかることが出来なかったらしい。
故に、性欲からの派生感情である、性愛だの恋だのと騒ぎ立てる。
特に部長などはしつこく、この少女のことを僕に詰問してきた。
部長は、こんなことより自分の作品の完成に気を向けるべきだと思わないのだろうか?
…これだから妖という存在は、全くもって度し難い。