先輩を駅で見つけたのはほんの偶然だった。
夕刻の帰宅ラッシュの中、駅の隅っこにいた先輩は千鳥足で歩き、白い顔をほのかに赤く染め、そんな状態で店に入ろうとする先輩を懸命に止めようとするナシさんの姿をとても見ていられず、彼女たちに僕が手を貸すのは必然だったろう。
先輩の酩酊に揺れる金色の瞳からはいつもの常人には近寄りづらい威圧感が抜かれ、なんだか新鮮だった。
「あ、あはとぉ……ろぉひたのぉ?」
「どうしたもこうしたもないですよ! なんでこんなに飲んでるんですか……」
「のみたかったからぁ……あはとものもぉ?」
◇
暖色系の照明に照らされた酒屋の中、濃密な酒と煙草の匂いが立ち込める店内のカウンター席に、3人は座っていた。
静けさとは無縁な店内に負けじと大声で先輩が注文する。
「うぃー……おっちゃん! 生おかわり……」
「先輩!? まだ飲むんですか!?」
「おーおーアハ公はもうギブ? こどもだなぁまったく……ひっく」
蕩けた表情でグラスを揺らしながら右隣に座る先輩が挑発してきた。
こっちのが年上なんですけどね、と左隣に座っているナシさんに耳打ちして密かに笑いを共有しつつ、果実酒を呷る。
アルコール控えめな、ジュースめいた味が口に広がった。
「ごめんねアハトさん、アインスったら……」
「いやぁ、僕も先輩がここまで酒癖が悪いとはしらなかったです」
そう言って左をみやると、先輩は運ばれてきたジョッキを大きく傾け、勢いよくカウンターに叩きつけた。
そしてジョッキを掴む手はそのままに、カウンターに突っ伏してしまった。
「せ、先輩!?」
慌てて肩を揺する、手のひらに伝わってくる体温は店の高揚した空気もあって熱っぽい。
「んむにゃ……」
「もう……お水どうぞ」
急性アルコール中毒という単語が脳裏を掠め血の気が引いたが、思い当たる症状はないのでとりあえず水を差し出しておく。
「気をつけてくださいよ先輩、運ばれでもしたら……」
始末書、謹慎、果ては除隊か……
首を振ってネガティブな思考を振り払い、もう一口果実酒を喉に流す。
ゆったりと体を起こした先輩と一緒に、しばらく無言で結露したグラスを傾け続けていると、唐突に先輩が抱きついてきた。
「ちょっ、先輩……?」
その体は軽く、胸を締め付ける腕の力も弱々しい。
ちらりとナシさんを見て救難信号を発したが、無情にもニヤリとした笑みだけで拒否される。
先輩……アインスは火照った顔を僕の耳元にまで持ってきた。
あたたかな吐息が耳にかかり、一呼吸ごとにその腕から逃れようとする意思が削がれていくのがわかる。
「ねぇ、アハト……死ぬのは怖い?」
主君の為命を落とすのは本望!とか
守るべき人がいるのだ、死ぬわけにはいかぬ!!とか
そういう価値観は持ち合わせていないので、正直に答えることにした。
「怖い……ですかね」
アインスの黒い髪から漂うシャンプーの香りが鼻腔を満たし、気恥しくなってくる。
「じゃあ……私が死んだら、どう?」
こう言った先輩の語調はとても冗談だとは思えず、自分でも出処の知れない激情が沸き起こってきた。
「そんな……縁起でもないこと言わないでくださいよ! 先輩が死んだらぼ……ツヴァイ隊長やドライさんがそれこそ死ぬほど悲しみますよ!」
先輩を体から引き剥がしながら、両の肩を掴みながら感情の赴くままに言葉をぶつける。
すると先輩は僕の手を振りほどくこともせずに、こう言ったのだった。
「アハトは……悲しんでくれないの?」
心臓を締め付けられるような、そんな強い衝撃が襲った。
口をパクパクとさせるが言葉は紡がれない、先輩は床に落ちてしまったハンドバッグを拾い上げるとホコリを払って膝に載せた。
一見すると綺麗だがよく見ると経年劣化でくたびれている、つまりそれは確実に手入れされ使い込まれているということで。
僕にはそれが、とても嬉しかった。
◇
むさくるしい8畳間、ツヴァイ班に割り当てられた個室で4人の男が話していた。
壁にかけられたアサルトライフルや皺が目立つ防具類、隅には空の酒瓶が置かれている。
中央に置かれた折りたたみ机を囲うようにツヴァイ隊長、フンフさん、ゼクスさんが座っている。
僕は部屋の壁に備えられたホワイトボードにペンを走らせて、彼らに向き直って言った。
「今回の“最高機密作戦”題して……ハッピーバースデートゥーアインス先輩作戦略して「わかったアハト、作戦名を考えるのに5分かけたんだ、早く内容を教えてくれ」
珍しく食い気味に口を開いたフンフさんだったが、あまり嬉しくない内容で萎縮してしまう。
「すいません、まずは……みなさんプレゼントは持ってきましたよね?」
各々が机に袋を置いた、ゼクスさんの袋が明らかにプレゼントを買うような店に見えないのはとりあえず気にしないことにした。
「みなさん持ってきてくれたようで何よりです、何を隠そう今回の作戦の趣旨は先輩に日頃の感謝を伝えるとともに……」
明らかに歓迎されていない3人分の目線を感じ取り、咳払いしながら話題を転換する。
「まず、一応お題は衣類等の普段使いできるものでしたが、みなさん何を買ってきたのか見せてもらえますか?」
がさごそと袋の中をまさぐり、3人はそれぞれのプレゼントを机に置いた。
「えっ……」
そのラインナップにさすがの僕も声が出るのを抑えられなかった。
「スウェットパンツだ、アインスは少しゆったりしたやわらかめの服が好きだからな、いつも俺はプレゼントをあげてるんでいいところは他に譲ろうと思ったんだが……」
隊長が買ってきたのは灰色のスウェットパンツ、まぁ部屋着としては悪くないが誕生日プレゼントとしてはどうなのか。
「……高めの靴下は自分では買わないだろう」
非常にインパクトがあったのはフンフさんだった、ピンク色のもこもことした靴下をガタイのいい彼が買ったのかと思うと面白いを通り越して最早哀れみを覚える。
なぜよりにもよって靴下なのか小一時間ほど問い詰めたいところだが、曲がりなりにも彼は大先輩なので何も言えない。
「BITCH、これは愛称だ」
「流石にダメです! なんで誕生日の女性を侮辱するTシャツなんですか!?」
自慢げに言うゼクスさんが買ってきたのは、白地にでかでかとBITCHと書かれた半袖Tシャツだった。
「アインスならきっと俺のチョイスのセンスを分かってくれる、だからアハトがどうこういうんじゃねぇ!」
どこから来るのか分からない自信に気圧されて口をつぐんでしまう、隊長は何も言わず注意するどころか楽しげに見える。
「まぁいいです……非難は先輩から受けてください……」
まさかここまでプレゼントを選ぶセンスがないとは思わなかった、安直に高い服やバッグを買わないあたりうちの班らしいと言えばうちの班らしい。
「そういうアハトは何買ってきたんだよ、FUCKって書いた下着だったら満点だ」
「そんなの買いませんよ……僕はこれです」
机に置いたのは黒革のハンドバッグだ、有名ブランドのものなので高給与のPSEF隊員と言えど顔を少し青くする値段である。
「やるじゃないかアハト、見直したぞ」
素直に賞賛の言葉を送る隊長、無言のフンフさんとゼクスさん、微妙に気まずい空気が流れた。
「え、えーっとですね……まぁ……今日は1月10日、本日深夜食料を持って先輩の家に押しかけて誕生日パーティを執り行います」
つらつらと今後の指針を示してそそくさとハンドバッグを箱に収めると、ホワイトボードにでかでかと書かれた作戦名を消す。
「まぁいいか……メシ買いに行こうぜ」
ゼクスの鶴の一声で全員が立ち上がり、部屋を後にした。
◇
明転したリビングルームにコンパクトハンドガンを構えた寝巻き姿の先輩が浮かび上がった。
「……へ?」
とぼけた声でハンドガンを下ろし、まだ眠そうな眼を擦る先輩に向けて手に持っていたクラッカーを鳴らしながら、僕達は言った。
「ハッピーバースデーアインス!」
食卓を囲み、無遠慮に酒を酌み交わす男衆がジョッキを置くと、各々が美しくラッピングされたプレゼントを困惑する先輩に渡していく。
「えっ……ちょっと……えぇ……?」
度重なる不測の事態に流されるままの、あまり見れない先輩の姿を楽しみつつ僕は言った。
「深夜に押し入ってプレゼントもないはずがないじゃないですか、開けてみてくださいよ」
こくりと頷き、先輩はプレゼントをひとつひとつ開けていく。
スウェットパンツはツヴァイ隊長
もこもこ靴下はフンフさん
BITCHはゼクスさん
ハンドバッグは僕
予想通りBITCHで固まる先輩をひとしきり笑う、すると先輩はプレゼントを持って寝室に消えた。
すぐに戻ってきた先輩は、BITCHとスウェットパンツともこもこ靴下に身を包んだ何とも珍妙な姿だったが、その顔に浮かべていたのは晴れ渡るような笑顔だった。
酒が入っていないのに顔を少し紅くしながら、照れくさそうに先輩は言った。
「みんな……ありがとうね」
きっと、すぐに拭われてしまった先輩の目尻に浮かんだ涙の煌めきを見たのは、僕だけだっただろう。
◇
「……で、どうなの?」
「えっ?」
遠い過去を見ていた僕を現実に引き戻したのは先輩の声だった。
「先輩が死んだら……僕は……」
言葉が詰まる、喉につかえた何かを押し流そうと果実酒を流し込んだ。
「僕は……」
◇
「死んででも守りますよ」
そう口にはしたものの、その言葉を守り切れそうにもない。
今の僕はといえば床に臥して、どんどん命の液体を零しているのみ。
傍らに転がる2人の体からはもう生気が抜け落ちているし、まもなく自分も同じ道を辿るだろう。
あぁ……言っておけばよかった。
「先輩……アインス……僕は……貴女が好きでした……」
彼はまもなく、頭を撃ち抜かれてこの世を去った。
これで、『かりそめの命、臥した棺にて』完結です。
次回作の構想も練り始めているので乞うご期待。
最後にはなりましたが、ここまでお読みいただき本当にありがとうございました。