「フィンラ・カンパニー」   作:高尾のり子

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第1話

「フィンラ・カンパニー」

 

 

 こだわらない男、加賀正午は日本人のほとんどが、そうであるように豊かな食生活に、とくに罪悪感を覚えることなく、稲穂信が茹でたラーメンを啜った。

「う~……ん、…まあ、まあかな。けっこう美味しい」

「当たり前だ。インドで修行したんだからな、オレは」

「じゃあ、カレー屋にしろよ」

「屋台といったらラーメン! これは定番だ」

 信は初めてもった自分の店である屋台の柱を撫でた。

「ここからオレはビックになる」

「これ以上、スモールにはなれないからな」

 手で引くタイプの屋台で、ガスボンベと発電機がエネルギー源、ある意味で公共設備に頼らない完全なスタンドアローンタイプの屋台兼住居だった。

「素直にルサックで正社員でもすればいいのに」

「正社員なんかになったら、海外へ行けないだろ?」

「バイトでも、ちょこちょこ海外に行かれるのは迷惑だからってリストラされたろ?」

「ぅっ……企業の汚いところだ。若い頃は使っておいて、正社員になる気が無いって言ったら、だんだんシフトから外しやがって。今まで、どれだけオレがルサックに貢献したと思ってるんだ」

「基本的に会社は労働者を搾取するからね。時給800円で、それだけの利潤を生ませるかが、経営のテーマだよ。それに不満を抱いちゃ働けない。そーゆーものさ」

「そーゆー貴様は、ただの正社員じゃないか」

「おかげさまで」

 正午は社会人一年目、経営学部を無事卒業すると同時に、千羽谷信用金庫に勤めている。

「だいたい正午の給料じゃ、家賃も払えないんだろ?」

「まーねン♪ 初任給が18万なのに、あのマンションの家賃は12万だから、家賃は払えるけど、生活費は出ないな」

「社会人になったのに親に仕送りしてもらうなよ。なさけない」

「屋台で寝てるヤツに言われたくない」

「オレは自活してるんだ! お前は親の財産に頼ってる!」

「信だって、日本社会の治安の良さや、その他、経済的な優位に恵まれてる。生まれた家のレベルが少し違うだけだ」

「ぐっ……正午、お前、大学卒業して、いらん知恵ばかりつけたな。就職活動だって、ロクにしないで親のコネがある信用金庫に入りやがって」

「こだわらないから♪ 今のオレがあるのは親のおかげだって感謝してる♪ で、いくら?」

「600円だ」

「はいよ」

 正午はポケットから財布を出して千円札を置いた。

「毎度あり♪」

「んじゃ」

「あ、ちょっと待て」

「なに?」

「今日は話があるんだ。呑ませてやるから、まあ、聞け」

 信は一升瓶から清酒をコップに注いだ。

「オゴリ? 珍しいね」

「たまにはな♪」

「ふーーん…」

 正午はコップの清酒を呑みながら、雨でも降らないかと星空を見上げた。

「で、話ってなに?」

「お前、アムウェイって知ってるか?」

「アムウェイ? なにそれ? 知らないな」

「そうだろう、お前は世間知らずだからな。これはオレが世界各地を回ってえた確信だ! 時代はアムウェイなんだ!」

「ブッシュの次か?」

「米国大統領じゃない! ま、まあ、アムウェイはアメリカが発祥の企業だけどな」

「企業名か。ふーーん……時代は、とかいうから地球の支配者かと思った」

「米国大統領が地球の支配者なのかよ?!」

「違うのか?」

「………………………一面の真実ではあるな」

「で、アムウェイがどうしたって?」

「お前も会員になれ! 損はさせない! オレはこれでビックになる! 成功する! きっと、お前も成功させてやる!」

「ふーーん…」

「ふふふふふ♪ なにがなんだかわからないって顔だな」

「わかるわけないだろ、さっさと説明しろよ。何をしてる企業?」

「流通だ♪」

「運送会社?」

「違うね。優れた商品を開発して、それを会員だけに販売する。クローズドマーケットなんだ」

「WTOが、よく許したね」

「輸出入は関係ない! アメリカ、日本をはじめ、インドでもオープンしてる! まさに時代はアムウェイ!」

「クローズなのにオープンするのか………ま、いいや。で?」

「会員になれば、日用雑貨から食品、調理器具、スキンケア商品、栄養補助食品、その他、さまざまな優れた商品が買える。しかも、これを友達に紹介すれば、そこから数%のマージンがもらえるんだ」

「へぇぇ……紹介料みたいなもの?」

「そうそう♪」

「せこい商売だな」

「なにをいう! 会員が会員を呼び、こーゆー風にだな」

 信は手でピラミッドを描いてみせる。

「どんどん自分から始まった紹介の輪が、拡がれば、そこから発生するマージンははじめは小遣い程度だが、いずれは数百万にもなる」

「そんなになるの?」

「ああ、すでに何人も成功者がいる」

「へぇぇ…」

「だから、とりあえず会員になれ。入会金も一万円程度だ」

「ふーーーん……」

「早い方がいいぞ。あ、ちょうど、書類もあるんだ」

 信は屋台の下から入会書類一式を出してくれた。

「ま、サインしろ」

「これって信用できるの?」

「大丈夫! 稲穂信の信は信用の信だ!」

「千羽谷信用金庫の信も信用だけどさ。住所不定、無職同然の稲穂信の信用力って、せいぜい15万円程度かつ年利29%くらいだぞ」

「人を勝手に査定するな! オレは無借金経営だ! アムウェイも無借金経営なんだ! ほら、これを見ろ。アメリカの信用格付け会社のレポートでも最高位ランクを獲得してる。立派な会社だ」

「あ、ホントだ。へぇぇ……ま、いいか。一万円きりだよな?」

「ああ」

「んじゃま」

 正午は置かれていたボールペンを左手で持つと加賀正午とサインして財布から入会金を出した。

「じゃ、うまく運用しておいて。倍になったら売って」

「正午……お前、とてつもない勘違いをしてないか? これは投資信託とか株とかじゃないぞ」

「違うの?」

「いいか、普通の人間は、どうやって商品を買う?」

「………店で、普通に買う」

「そうだな。で、そのとき、選ぶ基準は?」

「なんとなく」

「そうだ。けど、そのなんとなくのために、KANATAやKARINは何をしている?」

「広告、コマーシャル」

「その通り♪ このアムウェイは誰もがKANATAやKARINになれるんだ」

「は?」

「一人一人が口コミで拡げていくマーケットの力は、すごいぞ」

「……めんどくない?」

「ぜんぜん♪ 今の仕事をしながら、サイドビジネスでできるんだ」

「ふーーん……商品を買って売り歩くの?」

「違う! ぜんぜん違う! お前は新たな会員を募って、この会社と商品の良さをアピールするんだ。そして、新たな会員は気に入った商品を買い、さらに別の会員を紹介する」

「で、どんどん拡がるから、楽に儲かると?」

「そうそう♪ 最初の努力さえ成功すれば、あとは軌道に乗るだけだ」

「ふーーーん……………………で、サインしたからオレはもう会員なわけ?」

「うむ♪」

「ちなみに、オレ以外にも信って会員つくった?」

「マグローも入ってるぞ。あと、イナケンも入れた」

「ああ、あの校庭チュー事件の。……あ、いっそ、校庭にアムウェイって描いて大好きって叫べば? かなり宣伝になるかもよ?」

「…………それは……問題がないか?」

「あるだろうね」

「そんな方法じゃなくても、フォローするのは先輩であるオレの仕事だから、安心して正午は新しい会員候補を連れてきてくれ。オレが簡潔かつ明瞭に説明してやるから」

「あ、人を連れてくる仕事だな。やっと、わかった」

「………ま、まあ、それでもいい。今日のところは、これでよし、としよう。お前のために世界最高の台所洗剤をプレゼントしてやる。これがアムウェイが誇る、すばらしい洗剤だ。皿を洗ってみれば、すぐに市販品との違いがわかる」

「……って、オレ、皿なんて洗ったこと無いけど? マンションに食器洗い機あるし。ほとんど外食だから」

「誰か、女の子に洗ってもらえ! きっと、驚くから」

「ふーーん……じゃ、もらっとく」

 正午は小瓶に分けられた洗剤をポケットに入れて信の屋台を出た。

「……って、もらっても、食器洗い機に専用と違う洗剤いれて壊れてもイヤだし……誰かに試してもらお」

 しばらく夜道をケータイを触りながら歩き、正午は荷嶋音緒にコールした。

「音緒ちゃん、今、ヒマ? 家に行っていい?」

(うーーん……ちょっと、忙しいです。大事な用なの?)

「ううん、かなり、どーーーでもいい用件。ごめん、またね」

 電話を切って、今度は大学時代から愛用している自転車に乗り、藤川へ向かった。そのまま鳴海と表札のある家の玄関を開ける。

「なゆ? 沙子ちゃん? いる?」

「ヤッホー♪」

 北原那由多がいた。顔に絵の具がついてるので何かを製作していたのだろうと正午にもわかった。

「忙しい?」

「まーね。大学院にあがってから、製作はハイペースだけど、マイペースだよ」

 千羽谷大学芸術学部から大学院へあがった那由多は手を拭きながら、正午にスリッパを出してくれる。

「忙しいなら、いいんだけどさ」

「なにか用だったの?」

「くだらない用件なんだけど、信がね。この洗剤は普通と違うから、試してみろって」

「おおお♪ 普通と違う! それはステキな響きね」

 なんにでも感動しやすい那由多が手を打って喜んでいる。

「よろしい、わたしが試してあげましょう。ワトソンくん、ただちに実験の準備だ!」

「はいっ、教授!」

 正午もノリを合わせた。

「で、いかに普通と違う洗剤なのかね? それによって実験が変わるが?」

「はい、洗ってみれば、すぐわかるそうです!」

「ふむふむ、これは仮説だが、おそらく驚異的な洗浄力をもっているのだろう。よし、汚れ物を!」

「いえっさー!」

 正午は汚れ物を探してみたが、キッチンは片付いていて何もない。

「大変です、教授! すべてキレイです!」

「むむ、これは困った。あ、二階の沙子が、まだ食器を返してないから、とってきて」

「いえっさー!」

「沙子は勉強中だから、そのノリでいくと蹴飛ばされるかもしんないから気をつけてね」

「はい、気をつけて行きます」

 正午は二階に上がって沙子の部屋をノックした。

 コンコン…

(なゆちゃん?)

「オレ、正午。入っていい?」

(ダメっ! 着替えるから待ってて!)

「ごめん…………………………」

 少し時間を潰していると、着替えた沙子がドアを開けてくれた。

「急に、どうしたの? ショーちゃん」

「食器をさげに来たんだ」

「? 夕食の? どうして、ショーちゃんが、そんなこと?」

「信がさ、新しい洗剤を試してみろって言うから」

 正午が簡単に事情を説明すると、沙子はトレーに載せた食器を自分で持ってきた。

「勉強中に、ごめんな」

「いいよ、休憩したいし」

「司法修習生の勉強は、どう?」

「順調かな」

「志望通り、裁判官に任官されるといいね」

 二人で一階へおりてキッチンに入ると、すでに那由多が市販の洗剤を準備して待っていた。

「では、これより洗浄力の比較実験を行う♪ 各員は配置へ」

「いえっさー」

「…なゆちゃん、…わたしは?」

「沙子は……座って見てて」

「なら、コーヒー淹れるね」

 洗浄力の比較に興味がない沙子はコーヒーを淹れはじめ、その傍らで那由多の実験が始める。汚れた皿を斜めに立てて、市販の洗剤と、もらった洗剤を垂らしてみる。

「実験開始。……………………………やや、こっちの方が、いいかな?」

 皿を流れて、汚れを取る能力を測り、さらに水道で流してみる。

「あ、これは歴然。こっちの方が、いいね」

「ふーーん……信が言ってたこと本当だったんだ」

「なにを?」

「この洗剤の会社を宣伝して会員を増やしていけば、そこからマージンがもらえて儲かるって話」

「それって………ネズミ講って言わない?」

「そうなの?」

「会員を増やして金を巻き上げる商法だよ。ね、沙子。法律で禁止されてるよね?」

「肯定だ」

 コーヒーを淹れ終えた沙子が頷いている。

「いわゆるネズミ講は、ネズミ講防止法、正式には、無限連鎖講の防止に関する法律で禁止されている。加入を勧誘した者は一年以下の懲役または30万円以下の罰金に処せられる。非合法活動だ」

「げっ! オレ、サインしちゃったよ!」

「ショーちゃん……だから、いつも署名は簡単にしちゃダメだって、いってるのに」

「あ、でも大丈夫。怪しいから、とっさに左手で書いたから。それなら筆跡鑑定でも、誤魔化せるだろ?」

「……左手でも署名時に契約の意思があれば、有効に成立する」

「うっ……」

「だが、意思形成に瑕疵があった。すなわち、脅迫や詐欺によって署名したものであれば、無効を主張しえる。加賀が無効を主張すればいい」

「さっすが、沙子ちゃん。これ、書類の控えなんだけど、見てくれる?」

「拝見しよう」

 沙子が書類を見つめ始めた。表だけでなく裏に書いてある細かい字まで熟読している。それを那由多が隣から覗き込んだ。

「あ、これ、アムウェイじゃん。ショーゴ、アムウェイなら、そーいいなよ」

「これって、有名? オレ、知らなかったけど」

「かなりね。いろいろ評判は聞くけど、法律で禁止はされてないよね、沙子」

「アムウェイなる企業名は承知していないが、この書類を見る限り、特定商取引に関する法律の第三章、連鎖販売取引に該当するだろう。各号に定められた禁止事項に違反しない限り、問題ない。経済活動の一つだ」

「違法じゃないんだ?」

「問題ない」

「よかった。じゃあ、二人も会員になってよ」

「「………………」」

「あ、イヤなら、いいよ」

「……私はパス。沙子は?」

「…………ショーちゃんが入ってほしいっていうなら……入る」

「じゃあ、そのうち信に紹介するよ。今夜は遅いし、もう帰るね」

 こだわない男は、あっさりと鳴海邸からマンションに戻り、スーツを脱ぐとベッドに寝転がった。

「響ちゃんとカナタも誘ってみよ」

 まず、児玉響へとメールを打つ。

(いいアルバイトがあるから、明日の夜、信の屋台に来て。ラーメンごちそうするから)

 ごく短い文章だったが、すぐに返答がくる。最初にケータイを買い与えてから、この五年間、ずっと正午の口座から毎月6000円ほどの引き落としがある使用主は素直だった。

(アカテガニ通りのお店だね♪ 8時くらいに行くよ)

 さらに、今度は黒須カナタへとコールする。

「もしもし、オレ、正午」

(ハーイ♪ ショーゴ、どうしたの?)

「カナタにピッタリの仕事があるんだ。アムウェイって会社の会員になって、それを広めれば、かなり儲かるらしいぞ。オレが紹介してやるから明日の夜、信の屋台に来いよ」

(アホ)

 ツー…ツー…

 たった一言でカナタは電話を切ってくれた。

 

 

 

 翌日の夜、信は集まった正午と響、沙子に説明を始める。

 ラーメン屋台を臨時休業にして、小さなホワイトボードを屋台に打った釘にかけて固定していた。

「みんな今日は重大な日だ。こんな重大な日に集まってくれたこと、君たちのチャンスにオレは感動している」

「早く話せよ」

「アカテガニ通り、私も感動したいなァ」

「……」

 響は小躍りし、沙子は大学の講義を聴いていたときと同じポーズで黙っている。

「では話そう」

 信は咳払いしてから語る。

「昨日までオレはアムウェイが時代を席巻すると見ていた。けれど、もう時代は違う」

 大きく息を吸い、意味もなくホワイトボードを叩いた。

「今や時代はニュースキンだ」

「ふーーん…」

「ニュース金? ニュースが金になるの? アカテガニ通り」

「そう♪ まさに、ニュースを伝えてカネになる、ニュースキン!」

「アムウェイと、どう違うんだ?」

「画期的なスキンケア製品を主力とし、さらに中国医学を取り入れた健康補助食品! そして、ニフティと協力して提供するインターネットサービスの三本柱で、今や時代の最先端だ!! 今世紀はニュースキンの世紀になる!」

「ニフティって、あのプロバイダの?」

「そうだ! 富士通がバックの日本最大級のインターネットサービスプロバイダとの提携で、なんとインターネットしているだけでプロバイダ料金がポイントに加算され、そこからマージンが発生する」

「へぇぇ…」

「???」

「………」

 響と沙子は沈黙しているが、信は熱弁を続ける。

「日本に上陸してからの伸び率を比べれば、アムウェイとニュースキンでは、オレはニュースキンを選ぶ! こいつはビッグなウェーブだ! いずれはキッドフォンと提携してケータイ電話の使用代や、澄空ガスや千羽谷石油なんかとも提携して、生活の全てがポイントになってマージンが返ってくる。そんな計画なんだ!」

「キッドフォンって倒産しなかったか?」

「それは株式会社キッドで、ただのゲーム会社だ。オレが言ってるのはケータイ電話会社のキッドフォンの話だ」

「ふーーん……」

「予想外だね♪」

「響ちゃん、それはソフトバンク」

「想定内だな」

「正午、それはライブドア」

「たはっ♪ それでアムウェイじゃなくてニュースキンの会員になればいいんだな?」

「お、おう。そうだ。ということで、これが書類、ここにサインを。入会金は一万円程度だ」

「また入会金を取るのかよ」

「ショーゴ、いいバイトってこれ? バイト代もらえるんじゃなくて、入会金がいるの?」

「ああ、うん、これだよ。気に入らない? オレもビミョーだけど、とりあえず入るつもりだ」

「うーーー……一万円……」

「じゃ、オレが入会金は払ってあげるよ」

「ホント?」

「ああ」

「やった♪ やった♪ やったった♪」

 響と正午がサインを済ませている間に沙子は書類を読み切っていた。

「………」

「沙子ちゃんは、どうする? 響ちゃんにも出したし、オレから誘ったし、入会金はオレが持つよ」

「………」

 沙子は書類を屋台のテーブルに置いた。

「この契約そのものに問題は無いが、ワタクシは司法修習生であり、国家公務員に相当する身分である以上、この契約を締結することはできない」

「あ……沙子さん、…公務員か…。なら、ダメだな……残念」

「信? 公務員ってダメなのか?」

「公務員は副業が禁止されてるんだ。一般企業でも就業規則で一応は禁止してるけど、あんなものは企業が勝手に作ったモットーみたいなものだ。けど、公務員の副業禁止は法律で決まってるらしい。国らしいやり方だな」

「そうか。沙子ちゃんは仲間にできないのか……残念だな」

「ごめんね……ショーちゃん……」

「いいよ」

「沙子さん、公務員本人はダメだけど、家族なら認められるんだ。家族を隠れ蓑にして契約すれば?」

「………、それは実質において副業禁止規定に反し、かつ、たった一人しかいないワタクシの家族を不法行為の名義人とすることはできない」

「ぅ……反論の余地のない正論をありがとう。……」

「稲穂」

「はい」

「さきほどの説明は、やや誇大で根拠のない部分もあった。業として勧誘行為を継続するのであれば、あらためることだ。また、他人をみだりに不法行為へと誘う行為も感心できない」

「…はい……」

「たはっ♪ じゃ、そろそろ疲れたし帰ろうか。お腹も空いたしさ。どっかで食べていこうよ」

「オレは、この後、イナケンが来る予定なんだ」

「じゃあ、響ちゃんと沙子ちゃんは、何が食べたい?」

「お寿司!」

「ショーちゃんの好きなもの」

「じゃあ、お寿司にしようか。沙子ちゃん、それでいい?」

「うん」

「……ショーゴっ!」

 響が低い声で呻る。

「ショーゴ、この女って猫かぶってる! 超ネコかぶり!」

「ワタクシは猫など、かぶっていない」

「ウソ! 超ウソ! メッチャクチャ自分を偽ってる!」

「ワタクシはワタクシだ」

「そっちが地だよ! さっきの超ネコかぶり!」

「まあまあ、ケンカしないでさ」

「ショーちゃん……ごめんね。もうケンカしないよ」

「ほら! 超ネコかぶり!」

「ワタクシは、これ以上の紛争を望まない。だが、児玉が暴力行為におよぶならば、正当防衛として容赦はしない。また、名誉毀損で民事責任を追及する」

「ぅっ……わけわかんないことを!」

「まあまあ、お腹空くとイライラするしさ、お寿司だよね? 行こ」

「「うん♪」」

 なんとか話をまとめて立ち去る正午を見送った信はタメ息をついた。

「はぁぁ……あの組み合わせで………よく話がもつよな……正午って、ある意味、天才か……お、もう一人の天才がきた」

 伊波健が寿々奈鷹乃を連れて屋台を訪れた。

「信くん、約束通り、一人連れてきたよ。だから、そろそろ高校のときに貸した三万円、返してよ」

「あれ? ……なんか電波が遠いな」

「また、そうやって誤魔化す。一人連れてきたら返してくれるって約束だったのにさ。………寿々奈さんにも忙しいところ来てもらったのに…」

「まあまあ、お腹空くとイライラするしさ、ラーメンでも作るよ」

「伊波くん、こんな人の話を信じてるの?」

 鷹乃があきれ気味にタメ息をついている。

「私、お金の貸し借りをルーズにする人を友達にするのは感心しないわ」

「ボクも同感」

「ぅっ…」

「私は詩音から大学の学費を借りたけど、きっちり返したわよ」

「そういえば、そんなことを大学時代に言ってたね。いくら借りたの?」

「200万円よ。だから、たった3万円を返さない人間は軽蔑したくなるわ」

「信くん……ボクも軽蔑しようかなぁ…」

「双海さん、そんなに寿々奈さんに貸してたのか。よく返せたな」

「ええ、私が学費のことで悩んでいたらポンと貸してくれたわ」

「無利息で?」

「いいえ、そこは親友でも、きっちり日本の民法に従って5%という約束にしたの。大学を卒業してから返すつもりだったけど、オリンピックで金メダルを獲れたから、その賞金で返したわ」

「オリンピックの賞金って、いくら? あまり多くなかったよな、日本の場合」

「国によって違うらしいけど、私は300万円だったわ」

「金でも300かァ……それじゃあ100しか、残らないな」

「あなたバカ? 利息が5%よ。四年間、いっさい返済していなかったから、243万1012円になるわ。だから、手元に残ったのは56万8988円よ」

「なんか……友達甲斐があるのか…ないのか……ビミョーだな」

「3万円でも五年もあれば、5%で3万8288円ね」

「ぅっ……ま、ラーメンでも、どうぞ」

 話ながら茹でていたラーメンを食べてもらい、信は本題に入る。正午たちに説明したことと同じような話を、沙子に注意された点を改善することなく話し終えた。

「ということで、イナケン。ここにサインを」

「信くん……また、一万円も入会金いるんだろ?」

「投資だ♪ 投資」

「……給料の無駄遣いはしたくないなァ……寿々奈さん、どう思う?」

「このビタミン剤って、見たことあるわ」

 鷹乃が説明時に見せられたビタミン剤の瓶を手にとって眺めている。

 信が手を打った。

「おお! さすがオリンピック選手! こいつはオーバードライブといってスポーツ選手向けの主力ビタミン剤だ! オリンピック公認商品でもある! ほら、ここにオリンピックマークがあるだろ!」

「ふーーーん……寿々奈さんも飲んでたの?」

「最近は、ほとんどの選手が何かサプリメントを飲んでいるけれど、私は栄養は全て食事から摂る主義なの。いっさい、飲まないわ」

「「……………………」」

 あれだけ食べた後にサプリまで飲むのは、たしかに不要かもしれない、健と信は12杯もラーメンを食べて平然としている女性を畏怖の目で見つつ、話を戻す。

「ということでイナケン、サインを」

「えーーーっ…」

「このビジネスで成功して、すぐに3万円くらい利息つけて返すから、頼む! 入会してくれ!」

「………どうしよう?」

「私に訊かれても困るわ」

「…まあ……これで最期ってことで…」

 健は渋々サインして入会金を払った。さらに信は鷹乃を誘う。

「寿々奈さんも入ってくれないか?」

「必要性を感じないわ」

「商品に興味がなくてもビジネスとしてさ。寿々奈さんなら最高の広告塔になるよ。あ、そうそうニュースキンには元柔道のオリンピック選手の丸山もいるんだ! 彼もビジネスとして成功してる!」

「………、私、人と関わるのは苦手なの。オリンピックの後もコマーシャルや広告の依頼はあったけど、黒須さんや花祭さんみたいにカメラの前で笑顔になるのは得意じゃないの。すべて断ったわ。まして対人関係は、もっと苦手よ。接客業にだって向いてないはず」

「そう…か……残念」

「話は終わり?」

「ああ……また、気が向いたら入会してよ」

「おそらく、それは無いわ。じゃあ、ごきげんよう…あ、詩音に、この話を持って行ったら? 今は帰国しているはずよ。詩音なら世界中のことを知っているから、なにか新しい展開があるかもしれないわ」

「双海さんか……手強そうだなァ…」

 考え込んでいる信を置いて、鷹乃と健は歩き出した。

「伊波くん、白河さんは帰国しているの?」

「再来週の水曜日に成田だってさ」

「そう……私、明日は休みなの」

「じゃあ、どこか行こうか。ラーメンだけじゃ悪いしさ」

「あら、ネダったみたいで悪いわね」

「くだらない入会金を払うよりは、カクテルでも呑む方が気が利いてる」

「いえてるわ」

 社会人一年目の二人は成人としてアルコールを楽しむことにした。

 

 

 

 新築したばかりの自宅で藤原雅は幸せそうに妊娠しているお腹を撫でた。

「一蹴、この子の名前、決めました」

「どんな?」

「けんたろう、です」

「けんたろう? 由来は?」

「あの校庭でキスをした愚か者たちから、いただきました」

 雅がいう「愚か者」には親しみのニュアンスが込められている。藤原一蹴も、すぐに理解した。

「あ、伊波先輩が健だから、けんたろうか。たろうは?」

「太郎は日本古来から、りっぱな男の子に育ってほしいときにつける名前です。昔は元服して青年期に改名しましたけれど。けんたろう、健康で太くりっぱな郎君になるように」

「そっか。そうだね。人生、どこでどうなるかわからないし、太くりっぱに生きてほしいよな」

 子供の頃に交通事故で記憶を失ったこともあり、また、すでに両親を事故で亡くしている一蹴は優しく妻の背中を撫でた。

「本当に、人生とは、どこで変わるかわからないものですね」

「この子が産まれれば、やっと家族らしくなれるな」

「はい」

 十代のうちに望まない結婚を強いられそうになり、両親も頼れず、着の身着のまま、制服と卒業証書しかなかった日から、やっと幸せを手に入れた。ちかぢかに控えた出産と、藤原の表札を掲げた人並みの新築住宅、広くはないけれど庭もある。もしも、許嫁と結婚していたら、藤川にある本家の2000坪を超える敷地で優雅に池を眺めていたかもしれない、けれど、それは広いだけで牢獄と変わらない。今は自分で決めた相手と暮らせている、それが何より幸せだった。

 

 

 

 鳴海邸のリビングで、那由多は困っている後輩を沙子に紹介していた。

「…というわけで、どないしたら、ええでしょう? 鳴海先輩」

 文学部3年でCUM研の木瀬歩と、2年の力丸紗代里、さらに陵いのりもいた。黙って聞いている沙子へ那由多が促す。

「ねぇ、沙子。注文した覚えもない着物が送られてきて、あとで代金を請求されるって、法律的に認められるの?」

「いわゆる送りつけ商法、ネガティブ・オプションとも表現される問題のある商法だが……、…この事案は、それだけではないところが難しい…」

「いっしょに手紙が入ったって、昔のお礼に、あなたに似合う和服を選んでみました。どうぞ、お納めください、って書いてあったから、私も、さよりんも陵さんも、てっきりタダでくれるんやと思って……。な、さよりん」

「はいなのです」

「私も……今から考えると、ちょっと着物をもらうなんて……でも、あのときはくれるんだと思って……一度でも着ちゃったら、やっぱり返品できないですか?」

「すでに木瀬と陵は2年以上前に送付され、成人式で着用し現在に至っている。注文した覚えがないとはいえ、今さら解除は難しい。力丸も…」

「さよりんと呼んでください」

「力丸も送付から六ヶ月が経過し、成人式で着用もしている。難しいな」

「ぅ~…」

「せやけど、…タダやと思ったのに…50万も請求するやなんて…」

「販売方法に問題はあるが、和服は一般的に高価な物品であると認識されている。手紙の表現は、お納めください、とあり、これだけでは譲渡か、納品による売買契約の申し込みなのか、判然としない。その点を確かめずに着用したのは三名の過失といえる。気の毒だが、契約解除はできまい。だが、問題は…」

 沙子は見せられた書類を厳しい目で検分している。那由多も眺めつつ、コーヒーを啜った。

「人を紹介すれば、10%で5万円のキックバックねぇ。あ、二段階目でもマージンがもらえるんだ? 二段階目は5%だから2万5000円かぁ……直接で10人も紹介できれば、自分の分はチャラ、そこからはプラスねぇ。香月から聞いてるけど、歩ちゃん、かなり売り込んだって?」

「ま…まあ、高校の友達で三人ほど仲のいい子がおったし……その子らに、一着ずつ…」

「サークル内でも押し売りするから香月が困って私に相談してきたんだけど?」

「一年の美海ちゃんと、あすかちゃんに……ちょっと強引に勧めたり……そんで観島先輩にも買うてくれ言うたら、いらんの一点張りで……」

「美海って子には二着も売ったらしいね?」

「ぅっ……ま、…まあ、…四月と五月に……。…わ、私かて50万も支払うの苦しいから! しゃーないで紹介してたんですよ!」

「木瀬先輩は一時期、これで儲けるって言ってましたですよね?」

「ぅっ……さよりん、余計なこと言わんでええ」

「とりゃーっ!」

 那由多が丸めた雑誌で歩の頭を叩こうとしたが、そこは薙刀部の反射神経、手をかざして受け止めている。

「な、なに?! 貴様ただ者ものではないな?!」

「高校で薙刀してましたから、つい反射で」

「その腕力でおとなしい子に二着もねぇ。50万だから…100万……ちょっとシャレにならない金額になってない? 親とか怒鳴り込んでこなかった?」

「ぅっ…はい……美海ちゃんのお母さんと、なんでか河合先輩のお母さんまで部室に来て、とにかく一着は返品やていわれて……私も困りきって……相談してるんですよ。助けてください。このままやと美海ちゃんの二着目の代金、私が払わんとあかんようになるんです。これ以上、ローンが増えたら、破産です」

「美海って子みたいに返品はできないの? あ、もう成人か。沙子、成人と未成年で、差ってあるの?」

「未成年者は単独で法律行為をすることができない」

「もう少しわかりやすく言えない?」

「……、未成年者は保護すべき判断力の未熟な存在だから、大きな金額の契約は結んだとしても取り消しできる。この取り消しは未成年者本人も、親権者もできる。二着のうち、一着でも、二着ともでも契約解除可能なところを半分で済んだのならば、むしろ幸運といえよう」

「木瀬先輩、欲張りすぎですよ」

「さ、さよりんかて売り込んでたやん!」

「でも、誰にも売れなかったなのです。ゆかにゃんは本当にタダで、もらってましたし……そりゃ、ゆかにゃんは妹だからタダで当然なのですが……。……陵先輩だって、売り込みましたよね?」

「私は儲けようと思ったわけじゃなくて、ローンに困って、ほたるさんに相談したら、姉妹で二着、買ってもらったの。押し売りしないで、ちゃんと藤原さんに見立ててもらって、いい着物を選んだから、ほたるさんは300万の、静流さんは170万のを……だから紹介料は10%で47万になったから、実は3万円で着物が買えたのだ♪ えっへん」

「ええなぁ……私なんか自分の着物のローンかて残ってるのに、さらに50万やで……ああ! どないしよ?! なんとかなりませんか?! 鳴海先輩!」

「ローン契約は信販会社との締結か?」

「はい、千羽谷信販です」

「法的には信販会社は善意の第三者にあたり、ローン契約の解除はできない。……なゆちゃん、ショーちゃんなら、何か知ってるかもしれないよ?」

「そうね、ショーゴは、あれでも信用金庫の行員だもんね。起こしてくるよ」

 那由多が二階から寝ていた正午を起こしてきた。

「朝からなんだよ?」

「もう昼だっての。この子たちの相談を受けてあげてよ」

「オレが答えられるのは、バスケットボールの経験と、一番楽して卒業できる千羽谷大学単位の履り方総覧と、こだわらない人生の生き方くらいだぞ」

「一応、信用金庫勤務でしょうが。説明するから黙って聞く!」

 那由多が手短に今までの話を正午に流し込んだ。

「なるほどな……まあ、沙子ちゃんの言うとおり、信販会社は善意の第三者だから、法的には解除はムリだね」

「そんなぁ……破産しますよ、私……こうなったら、どっかから借りてでも…」

「それ、もっと泥沼になるからやめた方がいい。最善の方法は、信販会社に相談して、事情を説明して利率を下げてもらうことくらいだね。利率は?」

「13.3%です」

「それなら良心的な方だから、コールセンターに電話してみれば。成人っていっても学生だからさ、いよいよ支払えなくなったとき、差し押さえる財産もないし、信販会社も取りっぱぐれるより完済してもらう方を選ぶだろうから、うまくすれば民法規定の5%くらいに下がるかもよ」

「美海ちゃんの分も私が支払わんとあかんのでしょうか?」

「なかなか手口が巧妙だからね、ほら、ここ」

 正午はローン契約書を指した。

「早蕨さんの保証人が木瀬さんになってるだろ? しかも未成年を理由に解除した場合も木瀬さんに債務がいくよう特約があるから、当然、信販会社は請求してくるだろうね。その意味では、陵さんの場合なんか、あの白河姉妹が解除したとき、470万の保証人ってことになるよ? 大丈夫?」

「ぇ…………」

 いのりの顔が真っ青になった。

「ぇ……と………、……ほたるさん、現金で払ってくれて。ローンは組んでないですけど…それでも?」

「あ、それなら大丈夫♪ ぜんぜん問題ない。問題が起こっても白河さんと、この呉服屋の問題だから陵さんは紹介者だけど無関係だよ。ただ、解除されたとき紹介料を返してくれって、言われるかもしれないけどね」

「ショーちゃん、見立ててもらったなら今さら契約の解除はできないと思うよ。クーリング・オフの対象にもならないから」

「ああ、そうだね。それにしても、この商法を考えた人は頭がいいよ。マルチ商法と送りつけ商法を組み合わせるなんてさ。オレも最近、マルチ商法の勉強してるけど、この藤原社長って、すごいなぁ」

「藤原さんは私の高校の友達で、学年首席やったんですよ♪ あの成績やったら、どこの大学でも入れたのに、あえてイバラの道を進んではる」

 誇らしげに歩が胸を張った。

「ほんで事業を起こしたいうから、私も協力したろと思うて」

「なるほどね。ただ、世の中には、いいマルチ商法と悪いマルチ商法があるんだ。これは信からの受け売りだけどね。悪いマルチは入会金が10万円を超えるのが多いね。いいマルチは一万円くらいなんだ。ようは入会金からマージンが発生するようなシステムは問題らしい。この着物販売のマルチは入会金代わりに50万円以上の着物を買わせているから、実体のない入会権利と違って、合法性が高いね」

「悪いマルチって、どんなんがありますのん?」

「具体的な企業名はともかく、たんに多額の入会金を集めて、商品の売買に実体がないものや、くだらないものを不当に高い価格で買わせるのがあるね。たとえば、インターネットがテレビでできるデッキみたいなものの販売とか。あと、わけわからんケータイに付ける機器の販売とか、だね」

「へぇぇ……」

「それに比べれば、着物があるだけ実体のある商法といえるね」

「なるほど、さすが経営学部ですね。文学部の私なんかとは、ぜんぜん知識量がちゃう」

「まーねン♪」

「いいマルチって、どんなんですの?」

「いいのは、トップクラスならアムウェイ、ニュースキン、三樹商事、ほら、三樹プルーンのCMの。大手スーパーのダイエーもエックスワンって名前でやってたし、あとロート製薬も孫会社にやらせてたね。古いのでは高陽社のバスクリンとか、日本シャクリー社のアロエジュースとか。新しいのではニューウェイズとか、エンリッチとか。あとはぁ……ノニジュースとか売ってる企業もあったなぁ」

「ジュースなんか、ええの?」

「まあ、それなりに健康にいいとか、そーゆー売り込みだけど、いいのは着物と違って、どんどん毎月買ってもらえることだね。ほら、着物を毎月買う人はいないけど、健康食品は毎月買うだろ? 化粧品とか、シャンプーとかも。毎月、会員が買ってくれれば、そこからマージンが発生するから安定した収入になるんだ」

「よう研究してはりますね」

「受け売りだよ」

「いやいや、ご謙遜を。やっぱり経営学部の人がいうとちゃうわ。しかも、法学部で司法試験まで受かった人もいはるし。あ、そや、鳴海先輩も晴れ着どうですか? キレイな日本人らしい顔立ちしてはるし、その黒髪には、やっぱり和装が似合いますよ」

「必要性は感じない」

「加賀先輩も、この黒髪に和装は最高やと思いません?」

「そうだね。沙子ちゃんの黒い和服は見たことあるけど、晴れ着は見たことないな」

「あ、黒はもってはるんですね?」

「父の葬儀で購入した。ワタクシが喪主だったので和装がふさわしいと判断したにすぎない」

「ほな、晴れ着はまだ? せっかくやし、どうです? 加賀先輩も、見てみたいと思いません? 鳴海先輩の晴れ姿!」

「う~~…見たいといえば、見たいかな」

「ショーちゃんが見たいなら……着てみようかなぁ…」

「決まり♪ ほな、案内しますよって」

 歩が喜々として沙子と正午を連れ出すのを見ていた那由多はタメ息をついた。

「あの三人って……相談に来たんじゃなくて…売り込みに来たんだ……」

 関西弁の売り込みの勢いを、あきれるしかなかった。

 

 

 

 双海智也は久しぶりに会った親友の話を退屈そうに聞いていた。

「ふーーん……ニュースキンねぇ…」

「智也、これは最大のチャンスだぞ。権利収入だ。権利収入!」

「地主みたいに?」

「そう! 毎月マージンがもらえるんだ。しかも、一段階や二段階じゃない。傘下の代理店の五段階目まで! これだけでも還元率45%だ。その他を入れれば実に60%近くも消費者に還元されるんだ」

「還元もなにも、消費者から集めた金じゃん」

「普通はテレビCMや看板代に消える金が消費者に戻ってくるんだ。広告を肩代わりすることによる収入なんだ」

「そう、うまく儲かるのか?」

「きっと成功する! 努力と根性だ!」

「対宇宙怪獣戦じゃあるまいし、努力と根性だけでは経済は動かないぞ」

「アムウェイは年間1000億円、ニュースキンも最大で900億円だぞ、日本国内だけで! このビジネス形態で動いている金だけで、おそらく一兆円はある。これは立派な一つの産業だぞ」

「詩音、どう思う?」

 問われて双海詩音は紅茶を飲みながら、読んでいた信が持参した資料から目を上げた。

「面白いビジネス形態ですね。ネットワークビジネスというのも」

「だろ? さすが双海さん! 理解が速い!」

「普通の会社が広告費を払い、営業マンを雇って売り込むところを、消費者の中から希望者を募り、広告と営業をさせる。しかも、その報酬は成功報酬のみ、どれだけコストがかかっても直接に負担するのは個々の代理店資格者であり、企業はマージンを支払うだけで、あとは製造コストさえ抑えれば、確実に利益がでる。いいシステムです」

「その通り! ということで! ここにサインを! あ、夫婦なら、どっちか一人でいいから!」

「信用格付け会社のレポートでトヨタ自動車や松下電工よりも高いランクを得ているのも、この販売形態の低リスク低コスト性による自然なものでしょう。実体としては自動車産業や家電製品産業の方が、はるかに経済力は大きいでしょうが、信用格付けの評価基準からは高ランクに位置するでしょうね。倒産するリスクがおよそ極めて低いゆえに。たとえ急激に売上が下がったとしても、同時に営業コストも広告コストも下がってくれるのですから、本当に企業側にとってリスクは少ないです」

「そうなんだ。低リスクでハイリターンが狙える仕事なんだ! 副業としても本業としてもできる」

「ところで稲穂さん、氷山の一角、という言葉をご存じですか?」

「あ、ああ、まあ、言いたいことはわかるけど、たしかに成功する代理店は、少ないけど、それは努力の問題だよ。資金も資格もなしで個人が始められるビジネスとしては、これ以上のものは無いと思うけど?」

「とても面白い話をありがとうございました。検討しておきます」

「あ……そう、そうだね。よく考えておいて。でも、チャンスは早い方がいいから、そこも考えてね。じゃ、オレはこれで。今夜は屋台をやるんだ。目下の資金はラーメンで稼がないとな♪ じゃ♪」

 信が立ち去ると、詩音は紅茶を淹れなおした。

「智也さんは、どう思いました?」

「うーーん……成功するなら、やってみたいけど、……なんとなくビミョー……。唯笑か、音羽さんにでも、やらせたら、すごいことになるかもな」

「おそらく損失しかないでしょう。人当たりのいい今坂さんも、音羽さんも営業的なセンスはあるかもしれませんが、問題は稲穂さん自身も言っておられたようにチャンスは早い方がいい、ということです。もはや、完全にチャンスはないと私は判断します」

「そうなのか?」

「日本の人口は?」

「一億ちょい」

「そこから、このビジネスの対象にならない未成年者と、おそらく対象にならない65歳以上を引き、さらに全世帯が加入することはないと判断して、どれだけ多く見積もっても3000万人もの会員はできない、と考えます」

「なるほど、で?」

「そして勧誘された人間の30%が加入すると見れば、900万人くらいでしょう。ですが、すでにアムウェイ社とニュースキン社、三樹商事だけで300万会員を超えます。さらに他社を合わせれば600万会員になるでしょう。すると、残っている市場は300万程度、もはや今から参加しても成功は極めて低い可能性でしかありません。二つの可能性以外は」

「その二つとは?」

「一つは既存の大手、アムウェイ社なりニュースキン社なりの代理店となり、他国に進出することです。日本でも最大の成功者は、開業前に持ち込んだ人たちですから、インドや中国などの他国で成功する努力をすることです」

「ああ……この金子とか……中島とか…か…」

「ただ、中国は共産主義が残っていますし、インドも下層階級が多く、不向きです。ヨーロッパ人はアメリカ発のビジネスを基本的に嫌う傾向がありますから、あまり欧州でも成功しないでしょう。オーストラリア、ニュージーランドも同じ理由で却下、アフリカ大陸は発展途上、ペルーを含めた南アメリカも同様、産油国は貧富の差が激しすぎて、富裕階級は消費者とはなりえますが、代理店になりたいとは思わないでしょう。貧困層には栄養補助食品より、小麦粉やパンなど栄養そのものが必要です。つまり、この地球に高い可能性のある国は、もうありません」

「じゃあ、二つ目は?」

「既存の市場で、新手の企業を興すのです。すでに他社へ加入している会員も、重複して加入することは可能、そう考えれば、この日本が最大の市場です。このビジネスは中流階級がターゲットですから、貧富の差が大きくなく、餓死する者もなく、治安もよい、日本が最適です」

「なるほどねぇ。それで権利収入になる?」

「おそらく一時収入にしか、ならないでしょう。地主と違い、構築したピラミッドが崩れないという保証はゼロです。土地のように登記して固定するわけでもない顧客ネットワークを権利収入などと思うのは早計ですね。新手の企業を興しても、すぐに他社に喰われるでしょう。生物種が生態系内で一気に増加した後、減少するような曲線を描くと予想します」

「ああ…そんな曲線を描いて売上が落ちてる会社もあるなぁ…」

「ですが、曲線が上昇しているときは、かなり面白いことになりそうです。智也さん、ちょっと出かけましょう」

「どこへ?」

「アメリカとフィンランドです」

「……、ちょっと行こうか。付き合うよ」

 地球一周の旅にカバン一つで出発した。

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