引き続き期待しないで待っていてください。
材料がないため、ハンバーガーの調理を後日に約束した翌日。
士貴は外出の準備をしつつ、ぼんやりと呟く。
「うーん、芸能界、ねえ…」
華やかで明るいイメージではあるが、明るい分闇も深いというのは、此方の勝手な想像だ。ただ、その全てが間違いかと言われると、あながち外れという訳でもない気がする、というのが士貴の感想だ。
まあ、素人考えなので、どこまで本当かと言われれば、判断に困ることではあるが。
「まあ、余程のことでもなけりゃ、日菜も上手くやるだろ」
嫌なことは基本的に我慢しないあの妹のことだ。枕営業なんぞ持ち込まれたら、速攻で辞めることは間違いない。もしくは自分に相談してくるだろう。
「護身術的なのも仕込んであるし、ある程度は対処出来るだろ」
運までをも持ち合わせてるのではないかと錯覚する日菜のことだ。あまり心配はしていないのだが、
(問題は紗夜だよなあ…)
どういう反応するかが全く分からない。きちんと何をやるか決まってないにせよ、その内気付くことではある。
あまり刺激はしたくない。かと言って、伝えないのもおかしな気はするし、伝えようにも、話の持っていき方は中々にハードルも高い。
(嫌ってはない、とは思うけど)
そう、紗夜は別に日菜のことを嫌いではないのだ。屈折した感情を抱いているだけなのだ。
日菜が紗夜に絡みすぎるのも問題だ。多少なりとも姉のことを思ってか、自制はしているようだが、彼女は前述したように嫌なことは我慢しない人間だ。どうしても、大好きな姉には構って欲しいのだろう。士貴としても強くは言えず、「程々にしておけよ」と忠告するのが精一杯だ。
まだ、士貴のいる前ならば良いが、いない時に紗夜が爆発すれば、フォローも難しくなる。
(うーん、結構限界キテるだろうしなあ…)
紗夜みたいなタイプは一度爆発した方が良いとは思うのだが、如何せん真面目で我慢強いため、身内である士貴が言ったとして効果があるかどうか。
それに加えて、士貴としては紗夜の味方でいてやりたいため、あまり追い詰めるような真似もしたくない。
「取り敢えず、紗夜の好物も一緒に作ってご機嫌でも取っとくか」
祝いの献立にフライドポテトが追加された瞬間だった。
◆◆◆
士貴は大学生だが、それなりに忙しく過ごしている方だ。とは言っても、学生の本分たる、勉学のみに時間を費やしているという訳ではない。
その勉学以外の事柄の一つとして挙げられるのが、バイトであり、紆余曲折あって、ここ羽沢珈琲店に籍を置いている。
とある休日のランチが一段落し、片付けをしている最中、ぼんやりと同僚たちに向かって口を開く。
「うーん、なんつーか、人間関係とか、何事も思い通りにいくなら苦労はしないんだけどねえ…二人ともそう思わない?」
「ええ?えっと、まあ、はい?」
脈絡なく急に話を振られ、戸惑いながらも一応の答えを返すのは、ショートカットにした茶髪に、同色の双眸を持った、可愛らしいといった言葉が似合う、小動物染みた少女。
彼女はここ羽沢珈琲店の同僚兼実質的な副オーナーと言っても過言はない、羽沢つぐみ。生真面目な努力家であり、何だかんだで付き合いの良いお人好しな高校一年生だ。
当初はあくまでも仕事仲間、もしくは雇い主の娘として、ある程度距離をおいて接していたが、性格はともかく、自分自身に対して妙にストイックな所が紗夜に似ていたので、色々と世話を焼いている内に仲良くなったのだ。
仲良くなったとは言っても、こちらの言葉へ良い反応をするのが面白く、士貴が一方的に絡むことが多いが。
「『渡る世○は鬼ばかり』という訳ですね!」
つぐみと打って変わって、元気よくそう返したのは、日本人離れした美しい顔立ちと体型に、プラチナブロンドの髪を持った少女。
彼女の名前は若宮イヴ。日本人の父とフィンランド人の母を持つ、ハーフの帰国子女である。
士貴にとっては、バイト仲間であり、バイト歴で言うと、後輩に当たる。
モデルの仕事に加え、部活の掛け持ちをやっているらしく、士貴よりも忙しい毎日を過ごしているが、定期的にバイトに顔を出す、勤勉家な高校一年生だ。
純粋で人懐っこいため、士貴がイヴの発する慣用句の微妙な間違いと訂正例をアドバイスしていると、懐かれて現在にまで至っている。素直で優しい性格であるため、士貴としても彼女のことを気に入ってはいる。
「相も変わらず当たらずも遠からずなもん用いてくるねえ、イヴちゃんは。あと、それはあくまでドラマの題名だからね。正確には『渡る世間に鬼はなし』ね。ドラマの方の言葉の意味で伝えたいなら、『寺の隣にも鬼が住む』とかが良いかもね」
「なるほど!流石はシショーです!勉強になります!」
ただ、この『師匠』という、こっ恥ずかしい呼び名をつけられなければ、もっと良かったのだが。
「うん、まあ、師匠は止めてね。出来れば『先輩』とかにして欲しいんだけどね」
『武士道』という言葉が好きなことからも見てとれるように、イヴは歴史や慣用句のような言い回しが好きなのだ。そして、士貴もそうしたものが好きであり、大学でそういったものを講義でとっており、学んでいるが故に、なまじ人よりも詳しいことが仇になった。
イヴの素直な反応に思わずのせられて、少しばかり蘊蓄を語ってしまって以来、求められるようになってしまったのだ。
(蘊蓄ばっかり語ってても、普通は女の子に好かれないもんなんだがなあ…)
ぼんやりとそんなことを考えつつ、世の中には様々な人がいるものだと嘆息した。
「いいえ!私にとってシショーはシショーです!変えることはできません!」
「ほら、つぐみちゃん、見ての通り思い通りにいかないだろう?」
「あ、あはは…えーと、ノーコメントで」
まあ、総じて言えることとして、興味のあることも知れる上に、バイト仲間にも恵まれている羽沢珈琲店は、士貴にとってそれなりに癒しであることは確かだ。
「そうそう、イヴちゃんに聞きたかったんだけど、モデルやってるんでしょ?芸能界ってどんな感じなの?楽しい?」
肝心の話の本題を思い出し、問いかける士貴。彼女もまた芸能人の一人であることは間違いないのだ。
芸能界のことが知りたいなら、本人に聞くのが一番賢いやり方だろう。
「はい!楽しいですよ、親切な方も多いですし」
「そう、それなら良かった。でもまあ、イヴちゃんは綺麗な娘だし、色々と気をつけた方が良いよ」
「ありがとうございます、シショー!」
芸能人の彼女がそう言っているのだから、一先ず日菜の件については安心だろう。
そんなことを話していると、何故か少し話を聞いていただけのはずのつぐみが顔を赤くしていた。
「あれ?つぐみちゃんどうかした?」
「いや、その、イヴちゃんも、士貴さんも、何かすごく自然だなぁって…」
つぐみの言に対し、イヴは首を傾げていたが、士貴は気付いた。
「ああ、さっきの会話?あのくらいの言葉で照れてたら、女の子と会話なんて出来ないしね。あと妹がいるし、そういうのには慣れっこだしね」
レベルの高い妹たちがいれば、自然と目も肥えるし、いちいちドキドキさせられていたら、それこそ身が持たない。
加えて、相手が風紀委員で、そういうのに厳しい紗夜や、お洒落に敏感な日菜なのだから、自然と士貴も女性への気遣いが身に付くというものだ。
イヴが平気なのは、彼女も何だかんだでモデルをやっていて、こうした褒め言葉に慣れているからだろう。
つぐみにしてみれば、さらりと口説き文句を投げ掛け、それを何でもないように受け止めたように見えたのだろう。
バンドをやっていれば、口説かれることなど珍しくないだろうとは思うのだが、つぐみはあまりそうしたことに慣れていないらしい。
「つぐみちゃんも慣れたら?バンドやってれば結構珍しくないよ、こういうの。つぐみちゃん可愛いし、変な男に捕まったりなんかしたら、お兄さんは結構悲しいよ」
「え、ええ!?あの、その、ありがとうございます…」
つぐみが顔を赤くして照れつつ、何とかそう返答する。
「…うーん、男に対して、あんまりそういう反応しないようにね」
合コンだったら、褒められ慣れてなく、男慣れしてないような彼女は即座にお持ち帰り対象だ。
士貴もぐらつきそうになるくらいには、惹かれてしまうだろう。男というのは、何だかんだでチョロい存在なのだ。そして獣にも成りうる、危険な存在でもある。
世の中良い人間ばかりではない。まさしく『寺の隣にも鬼が住む』というやつだ。
「き、気をつけます…」
「そうそう、俺の事だって、信用しすぎないくらいが丁度良いもんさ」
知り合いが面倒なことに巻き込まれれば、寝覚めも悪くなる。
面倒事は無いのが一番だ。
「こういう日がずっと続けば良いのにねえ…」
「いや、それはそれでどうでしょう…」
…案外、つぐみは大丈夫かもしれない。即座に否定するくらいには、度胸もあるようだ。
◆◆◆
一方その頃、
「兄さんのフライドポテト……今日は早く帰りましょう」
士貴の目論見は無事に成功していた。