風来坊で准ルート【本編完結】   作:しんみり子

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《ケラケラケミカル》V

 夕暮れ時の商店街。

 自転車のベルが近づき遠ざかる一瞬で音の波長を変え、道行く家族連れや立ち話に興じる店員と顧客の楽し気な笑い声が響き渡る。

 廃れ、たとえ商店街が崩れ落ちそうな小径だったとしても、まっすぐ歩き続けて未来をつかみ取ろうとする熱がふと俺の胸を焼いた。

 

 いい町だな。

 

 掛け値なしにそう思う。この遠前町という小さな町は、いい町だ。

 

 空気を読まずに一声鳴いたカラスの羽ばたき。店先の商品でもかっぱらわれたのか、慌てて飛び出す鮮魚店のおやじ。ものの見事にいわしを盗まれた店主の間抜け顔を笑う通りすがりの客と、つられたように伝播する微笑みの輪。

 

 ぼんやりと遠巻きにそんな光景を眺めていた俺の背後に、小さな気配がやってくる。

 

「良い町でしょ?」

「ああ」

「だから、結構好きだよ、あたし」

 

 隣に並んだ華奢な矮躯。ふわりと風にリボンが揺れる。

 彼女の手には手提げの袋が下がっており、長ネギがぴょこんと飛び出しているのが妙に所帯じみていた。彼女は俺の方を振り向いて、屈託のない微笑みと共に口を開いた。

 

「や、数日ぶりだね、深紅さん」

「ああ。ちょうど今から店に行こうと思ってたんだ」

「今日はやってないよ」

「みたいだな。武美がここに居るってことは」

 

 肩を竦めてみせる。

 打てば響くような小気味良い会話に俺も思わず表情を緩ませながら、一歩を踏み出した。

 

「ここで、何の用事なんて聞くのは野暮ってもんだよね。せっかくだからさ、うちにおいでよ。このあと、何か予定ある?」

「予定は無いが、一人暮らしの家に見知らぬ他人を上げるのはどうなんだよ」

「――そこはそれ、人の情ってやつだよ。河原で寒空の下過ごす友へのね」

「もう五月なんだが……」

 

 とはいえ。どこかの店に入って、となると俺には金がない。

 あまり人の居るところで話せる話題でもないのが事実だ。

 お言葉には少しだけ甘えるとしようか。

 

「じゃあ……すまないが、お願いしようかな」

「うん、素直になるものだよ。一名様ご案内~」

 

 明るく機嫌よく、「すぐ近くだよ」と隣を歩き出す彼女の快活さは某ドリルメイドとはまた違ったまろやかな楽しい雰囲気というか。席に案内するか家に案内するかの違いはあれど、導かれる側としては、人によってこんなに違いがあるのかと思わず相好を崩した。

 

 こうして実感するまでは、武美と准はちょっと似ているかな、などと思っていたが。

 全然違う。

 

「ほら、ここ」

「本当にすぐ近くだったな」

 

 あがってあがって、と玄関口で手招きされて、俺も続けて屋内へ。

 流石に荷物を持たせておくのも悪いからと半ば無理やり預かった買い物袋とともに、そのままキッチンの方へと通される。

 

「夕飯の支度するけど、ご相伴に預かってみる?」

 

 そのままエプロンを身に着け始めた彼女は、振り返りざまにそんなことを言った。

 

「流石にそれは不味いだろ、そんなに会って日もないし」

 

 まだ会話すら数回の仲だ。彼女の無防備っぷりは正直心配になるレベルで、俺としても素直に好意に応じられる限度というものが――

 

 ぐぅうう……。

 

「おい武美、おなかが空いているなら無理しない方が」

「いやあんただ」

「……」

「……」

「……ごちそうになります」

「ん、素直でよろしい」

 

 じゃあちょっと待っててね、と声をかけて、彼女はシンクで準備を始めた。

 ご機嫌に鼻歌まで入り始めたその背中を、俺はぼんやり眺めるだけ。

 

 小波と友子は、今頃もしかしたらこんな生活を送っているかもしれないな。

 友子は料理に自信があるとかなんとか言っていたし、小波は見た目通りかなり食べるほうだ。円満な夫婦生活が待っているといい。

 

「なんか、深紅さんってさ」

「ん?」

 

 てきぱきと野菜を刻む音に混じって、彼女のソプラノボイスが耳に触れる。

 振り返ることはせず、片手間というかむしろ間を繋ぐためというか。

 何の気なしの無駄話するよー、といった具合の声のトーンで始まった彼女の言葉は、しかしどうにも本質を得ているようなものだった。

 

「とっつきやすいんだ。あたしにとっては。雰囲気かな?」

「雰囲気か。そう言われても、自分じゃいまいち分からないな」

 

 とっつきやすい。それが誰と比べてのことなのか。

 それを考えるよりも先に、彼女の楽し気な声が続く。

 

「えーっとね。リンゴの木の中にメロンがあるみたいな!」

「それがどうしてとっつきやすいんだ?」

「あたしもバナナとかそんな感じだから」

 

 フライパンにひいた油に、流し込んだ野菜が跳ねる音。

 バナナ、か。リンゴの木というのは、遠前町のことだろうか。

 そうだとすれば、彼女の想いは正しく――そして少しだけ寂しいものだ。

 俺をとっつきやすいと思ってくれるのは良い。

 けれど、それはつまり。

 

 彼女は今、この町で疎外感を覚えているということではないだろうか。

 

「あ、分かるんだ、やっぱり」

 

 喜色の混じった彼女の声と、木ベラでフライパンをなぞる音が出来の悪いアリアのように響き渡る。そこに彼女は一人だけで、ようやく仲間を見つけたとか、そんな具合だったのだろうか。

 

 思わず、問いかけた。

 

「……武美は毎日楽しいか?」

「楽しいよ。なんで?」

「いや、なら良いんだ」

「変な人だね。風来坊だね」

「変な人だという自覚はあるさ」

 

 目を閉じた。

 楽しいよ、と即答した彼女の表情は背中越しだと分からないし、俺をメロンだと例えた彼女の心情もいまいち測ることはできない。

 それでも、なんだろう。思うことはある。

 

 たとえば、彼女がリンゴになろうとはしていないこと。

 けれど寂しさのようなものは抱えていたこと。

 そして――全てを受け入れてしまって"当たり前"になっているから……今の楽しさが歪んでいたとしても、きっと彼女はそれを自分にとっては普通なのだと思っていること。

 

 俺にとっては普通のことを、彼女は極上の幸せだと感じてしまっているのかもしれない。一つのことに感謝をしめし、幸福を感じるそれ自体は良いことだ。

 けれど、もっと良いものに、もっとすごいものに手が届くかもしれないのに、伸ばすことをあきらめてしまっているようにも見えてしまう。

 それは、寂しいことだ。少なくとも、俺から見たら。

 

「はい。簡単なものだけど食べていって」

「ありがとう」

 

 メニューは最高級の品ぞろえだった。ごはんと、味噌汁と、野菜炒め。

 

「凄いな……こんな素晴らしい食事にありつけるなんて」

「そうかな? ……普通だよ?」

「……そうか、武美にとっては、普通か」

「まあ深紅さんにとっては素晴らしいのかもね」

 

 つまり、そういうことなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

《ケラケラケミカル》V――電脳世界の王VS悪魔メイド――

 

 

 

 

 

 

 

 

『明後日、どこかに出かけようよ!』

 

 武美の提案を受けたその翌日。つまりは、武美とのお出かけを前日に控えた今日。

 俺はいつものように練習を終え、コーヒーを飲みにこの店にやってきていた。

 

 軽く准と話をして、席に通されて、美味しいコーヒーを飲む。

 この長閑な雰囲気こそが、やはり喫茶店の持つ"味"というやつだろう。

 

 准はと言えば、今日は俺のところに来るでもなくカウンターのそばでぷらぷら店内を見渡している。いつもなら真っ先に俺のところに来てバカなことをやり出したりからかってきたりとするはずが、珍しいこともあるものだ。

 

 ……まあ、そういうこともあるだろう。ほら、女性は生理とか――

 

「じ~~~」

「ひっ」

 

 寒気がした。

 今確実に、確実に准の目が光ってたぞ。一歩遅ければレーザーが放たれて俺は即死だった。レベルイエロー、ちょっと苦戦? むしろガンダーロボがって俺は何を言ってるんだ。

 

 俺の妄言はともかく、彼女は変に俺の邪念を察知した後も、なんだか小さくため息をついて髪の毛を弄っているようで。……ひょっとしたら何か考え事でもしているのか。

 

 まあ確かにあいつも将来や現状や、自分でやらかした色々もあるだろうし。

 大いに悩むがいいさ。それも人生経験だろう。

 

 ……ふう。こうして静かなひと時も良いものだ。

 ゆっくりとコーヒーを飲むことが許される。こんな穏やかな日が――

 

「おい! 喜べ! ついに完成したぞ!」

「ぶち壊しだあ」

 

 わっざわざ遠いところから嬉々として報告にやってくる電脳世界の王が一人。

 お前、店の迷惑だから本当にやめてくれ。あと当たり前のように俺の目の前に座るな。やめろ、俺の優雅な一日が。

 

「どこかクラッシュしたのか?」

「クラッシュしてるとしたらお前だよ電視。で、何なんだよ」

「完成したんだよ、例のゲームが」

「例のゲーム?」

 

 はて、何のことだったか。

 少し考えて思い至った。

 

「ああ、准とお前の恋愛ゲームか」

「恋愛シミュレーションゲームだ。ちなみに全年齢対象だ」

「お前しかやらないんだから、べつに電視対象でいい」

 

 准とお前の恋愛ゲームを誰が喜んでやるんだよ。

 せいぜいお前らの関係を知ってる俺くらいだよ。

 

「いや、これはなかなかの汎用性がある。その場合、やはり購買層は広い方がいいからな」

「そうかい。商品展開とか准の肖像権はどうなってるんだ」

「そこは電脳世界の王である僕があらゆる手段を使って」

「こいつ捕まらねえかな」

 

 捕まらないんだろうなあ。無駄に技術は凄いから。

 

「それで、お前が作ったゲームでは、お前と准はどうなるんだ?」

「どのルートに行っても好感度はマックスだ! 全てのグッドエンディングを回収したぞ」

 

 ゲームってもっと試行錯誤が楽しいものじゃなかったか。

 最初から好感度マックスとかどんな――ああ、なるほど。お前には、あの准の対応が好感度マックスに見えているのか。……哀れな。

 

「でも電視。いい加減に気づけよ。現実での恋愛はゲームのように上手くいかないってことに」

「そんなことはない。きっとうまく行くはずだ! 僕のプログラムに不可能はない! きっとこのまま、現実世界での彼女も僕のものになるはずだ!」

「そこまで言うならまあ、止めはしない。頑張れよ。オレはここでコーヒーを飲みながら応援しておくから」

 

 まあ、電視なら悲惨なことにはならないだろう。せいぜいがギャグで済む。

 

「ああ、今までのプレイ内容からして、一発OKだ」

「いや、ゲームの中でいくら愛を育んでもこの世界の人間には影響はないからな。何を言っても無駄なようだから、行って玉砕してこい」

 

 そりゃ好感度マックスなら一発OKだろうが。

 ……まあでも、あれだ。まかり間違って電脳世界と現実世界がリンクするようなことがあったとして、准をお前が射止めるようなことがあったら祝福してやるよ。

 

「真エンドさえもコンプリィィィィト!」

 

 まあ、無理だろうがな。

 

 意気揚々と立ち上がった電視は、そのままカウンターのそばで上の空の准の目の前へと歩いていって――って、今かよ。まさかとは思うが……ちゃんと口説くんだろうな?

 

「そ、そ、そのお、じゅ、准さん!」

「はい? なんでしょうか、ご主人様♡」

 

 流石の営業スマイルだな。さっきまでぼうっとしていたのが嘘のような切り替えだ。

 

「じゅ、准さん! 僕だけのメイドさんになってください」

 

 好感度0で言ったああああああああああ!

 

 恋愛シミュレーションゲームだったんだよな!? ちゃんと告白までの駆け引きとか、そういうものを――ああ、はじめから好感度マックスだったわ。解散。

 

「困ります、ご主人様……メイドとご主人様の恋なんて、世間がきっと許しませんわ」

「世間なんて関係ない!君が僕のことが好きかどうかだ!」

「そんなのもちろんですわ!」

 

 もちろんですわってなんだよ。しかし流石の躱し方というか……いや、褒めてねえけども。……とはいえ。

 

「私はご主人様が……」

 

 こいつ好きとは一言も言ってないんだよなあ。悪魔かよ。

 

「准さんの気持ちはわかりました。僕がこの世界の神になればいいのですね」

「えっ?」

 

 えっ。

 

「わかりました。僕はこれまで以上に頑張って、世界を裏で操る男になりましょう。僕のプログラムなら、不可能はないはず。さっそく家に帰ってプログラムを組まなければ」

「あ、あのう」

「じゃあ少しの間ですが、待っていてください。電脳世界の王である僕が、現実世界の王になって。いえ、神になって帰ってきます」

「聞いてる?」

「ええ、聞いています。貴方の心から聞こえる声を。キィィィィィィボォォォォォォドォォォォォォ! と叫んでますね」

「……」

 

 おお、あの准が絶句してる。

 

 ……俺、やだな。心の中でキィィィィィィボォォォォォォドォォォォォォ!とか叫んでる女。

 

「では今日より電視炎斬は貴女のために世界を敵に回して頑張ります」

「……」

「それでは!!」

 

 勢いよくドアベルを鳴らして、颯爽と(?)電視は出て行った。

 ……あいつちゃんと会計していったか?

 

 それはともかく、あいつのテーブルの片付けをするためによろよろと准がこちらへ寄って来る。せっかくだから、声をかけておくか。面白いし。

 

「珍しいな。お前が何の反応も出来ないなんて」

「……小波さん」

 

 ゆらりと振り向いた彼女の表情は幽鬼のようで。

 

「あの人、おかしいよ! 絶対におかしいよ! 世界征服とか神になるとか言ってたよ! キーボードってなに? 私そんなこと一言も思ってないよ!」

「落ち着け、准」

「わけがわかんないよ~。……悩みは増える一方だよ」

 

 あの准がここまで取り乱すなんて……やるな、電脳世界の王。

 テーブルをクロスで拭きながら。その手にもやたらと力がこもっているように見えるが、それはそれとして。

 

「お前今日、ちょっと上の空だよな。どうしたんだ? 本調子だったらあいつもどうにかできたんじゃないのか?」

「ちょっと色々考えることがあっただけ。というか、分かるんだ?」

「何が?」

「私のこと」

「……風来坊は観察力豊かなものだからな」

 

 この前、しつこく俺に悩みがないか聞いてきた時に言っていたことをそっくりそのまま返してやった。

 准はぱちくり目を瞬かせて、ついで小さく吹き出した。

 

「……あはは、なにそれずるい。ねえ小波さん、明日って予定ある?」

「ああ。なんで?」

「そっか。んじゃいいや、明日もバイト入れよっと」

「休みだったのか?」

「そうだよ。貴重なお休みだったんだよ。あーあ、小波さんのせいで無くなった」

「どうして俺の用事がお前の休みに関係してくるんだ……」

 

 ちょっと強引すぎるだろ。さてはこいつ本当に調子悪いな。

 

「何を悩んでたんだよ。俺で良ければ聞くぞ?」

「いや♡」

「いやって、お前な」

「絶対ダメ。小波さんだけには、意地でも教えてあげない♡」

 

 それ、つまりあれか。この前の当てつけってことか。

 

 ……ま、こいつは強いし、自力でどうにかするだろ。

 

「ね、小波さん」

「ん?」

「また私が変な人に絡まれたら助けてね」

「お前の相変わらずの接客じゃあ仕方ないな。俺がこの町に居る間だけな」

 

 そう返すと。彼女はようやくいつものような、楽しげな表情を浮かべてくれた。

 




次回から楽しいデート(深紅が楽しいとは言ってない)

大半の方がお気づきかとは思いますが、サブタイトルは殆どがポケ9で使われているBGMタイトルです。一部例外曲がどこかで混ぜ込まれる可能性はありますが。

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