風来坊で准ルート【本編完結】   作:しんみり子

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《楽しいデート》III

「よし、いよいよ宿敵コアラーズとの試合だな。今日勝って、三連勝だ! 行くぞ!」

 

 権田の掛け声に従い、同じユニフォームに身を包んだメンバー全員で応じる。

 今まさにマスクを被ろうという背番号2の背中に、俺は声をかけた。

 

「今日は、気合入れないとな」

「……ああ。もちろんだ」

 

 振り返り、微笑み、頷く権田とともに観客席を見上げる。

 最前列のフェンス越しに見慣れた影を見つけて手を振ると、少年は嬉しそうに振り返してきた。

 

「おじちゃーん、頑張るでやんす!」

 

 ダイヤモンドの中央に足を運びながら、カンタくんに応じると。

 その後ろに心配そうに座っている女性とも目があった。言わずもがな、カンタくんのお母さんである奈津姫さんだ。今日、試合会場には、奈津姫さんと権田がカンタくんを連れて一緒に来ていた。

 

 奈津姫さんは、いい加減心配になってしまって来たとか言っていたが。

 権田が鼻の下を掻いているのを見て、思わずどついてしまった。

 俺は本当にこんな役回りばっかりだな。人の幸せの過程を追うことが、こんなに嬉しいことだと……もっと早くに知るべきだった。

 

「ニコニココアラーズ。元プロのピッチャー大北がやはり一番厄介だ。あいつを打ち崩せるかどうかが勝負の鍵と言っていい。クリーンナップの俺たちが、バッテリーの俺たちがこの試合を支配するぞ」

「安心しろ権田。俺は安藤小波からも何度も柵越え打った男だぞ」

「……スクリューは?」

「あれは無理」

「なんだそりゃ」

 

 げははは、と豪快に笑ってミットで俺の背を叩くと、権田は悠々と定位置に歩いていった。余計な緊張もなさそうだし、むしろ良い集中をしていると言ってもいい。

 本気であいつにとって奈津姫さんは勝利の女神なんじゃなかろうか。

 

 ……おや?

 

 奈津姫さんやカンタ君とは真逆のスタンドに、なんだか珍妙な男たちが居た。

 

「さて、今回も商店街の連中の悔しがる姿を見せてもらおうかな。なにしろ、こっちには元プロの……あれ?」

「店長、どうしました?」

「商店街の連中の中に、変なのが混ざってるぞ?」

「そうですね。ひょっとしたら、向こうも外部から助っ人を呼んだのかもしれません」

「なにぃ!?なんてずるい奴らだ!」

 

 ……やる気が1下がった。

 

 なるほど、連中はジャジメントスーパーの……つまりは、倒すべき敵の親玉か。

 ジャジメントねえ。まあ、彼らに大した悪としての素養はなさそうだし、ひとまずは安心しておくべきか。それよりも、今日も野球を楽しもう。

 

 

 

 

 

 

《楽しいデート》III――商店街の仲間たち――

 

 

 

 

 

 

「悪いな、奈津姫」

「いいのよ。私もすっきりしたし、ヒーローさんたちにお手伝いさせるわけにもいかないでしょう?」

 

 カレーショップ:カシミール。

 ニコニココアラーズとの試合を3-1の勝利で終えた俺たちは、そのまま祝勝会と称してカシミールに招かれていた。

 当たり前のように厨房に入ろうとした権田が奈津姫さんに首根っこ掴まれて席に座らされ、待つこと少し。俺、権田、カンタくん、そして会長の前に出されたのは、いつも通り美味しそうなカレープレートだった。

 

「ああ……最高だな……」

「ラッキョウを前にした時のお前の変態的な顔さえなければ、勝利投手として賞賛できるんだがな」

「まあまあ、人には欠点の一つや二つあるからね」

「こんな欠点がある奴は流石にそうそういないと思うんですが」

 

 全てのラッキョウと、あとカレーに愛を表して。いただきます。

 

「奈津姫、今日も美味しいよ。ありがとうな」

「気にしないの。カンタも嬉しそうだったし……何よりスーパーの店長の悔しがりようを見たら、貴方たちに何か返せなきゃって思うもの。ふふふ」

「母ちゃん、怖いでやんす」

 

「……ふむ」

「どうしたんです、会長。俺の顔に何か?」

「いや。権田くんも成長したなと思ってな……キャプテンとしてもキャッチャーとしても、今日も申し分ない働きだった」

「権田のおっちゃん、おじちゃんと仲良しで見ていて楽しいでやんす」

「やめてください会長。それとカンタ、ピッチャーとキャッチャーは仲良しじゃないとダメなんだ。こんなヤツともな」

「……楽しそうだねえ、権田くん」

「俺はこいつが来たことには感謝してますから。……問題は今、山積みですが」

「そう、だな」

 

 りゃっきょおおおおう美味ちいのおおおおおおおお!!!

 

「こんなヤツだけどな」

「おじちゃん、普段のかっこよさが台無しでやんす」

「どうだカンタ、今は俺の方がこいつよりかっこいいだろう」

「ん~~~、ぎり、でやんす」

「今のこいつとギリギリなのかよ!!」

「ぷくく~、でやんす」

「あ、てめ、からかったなこのクソガキ!」

「権田のおっちゃん、最近愉快だから好きでやんすよ」

「ちょっと褒めるのやめろよ! ええい、大人をからかいやがって!!」

 

 ……ふぅ。ごちそうさまでした。

 おや、なんか楽しそうだな。カンタの頭をぐりぐり撫でつける権田も、それを後ろから見守る奈津姫さんも。言わずもがな、俺の隣で盛大に笑う会長も。

 

 この空気は良い。明るくて、希望に満ちていて。願わくば、こういう風景がこの世に溢れたら、それ以上の幸いはないんじゃないだろうか。そううまくはいかないのが、寂しいところだが。

 

「お、意識が戻ったか、小波」

「いやあ、良いカレーでした。奈津姫さん」

「え、ええ……まあ、喜んでもらえたなら、はい」

「母ちゃんはまだおじちゃんのテンションに慣れてないでやんす」

「え、そんなにおかしいかな。俺……」

 

 あはは、と周りが笑うのに釣られて、思わず俺も表情がほころぶ。

 あまり実感はないが、ずっとやり込められていたコアラーズに勝てたというのは、彼らにとってはとても嬉しいことに違いない。試合内容も、まあ悪いものではなかったしな。

 

「なあ、小波。少し聞いてもいいか?」

「なんだよ」

「お前、いつまでこの町にいるんだ?」

「さあな……思ったより用事は早く終わりそうだから、ビクトリーズに一度決着みたいなものがつけられたら、と思ってる。なんか不味いか?」

「いや。……俺としては、いつまで居てもらっても構わないんだが……」

「そうでやんす! ずっといるでやんすよ、おじちゃん!」

 

 カンタ君に笑いかけつつ、権田を見る。

 何かしら悩んでいる風な彼の心中がいまいち読めない。会長にそれとなく目をやっても、権田の悩みについては分からないようだった。

 

「お前の用事ってのは、アレか?」

「ああ、アレだ」

「そうか、そっちは終わりそうなのか。……そうか」

 

 あれというのは武美のことだろう。

 そっちは、終わる。終わらせる。必ずだ。

 それにしても。

 

「もったいぶらずに言えよ。らしくもない」

「ああ、そうだな。らしくもない、か。お前にそんなことを言われるくらいには、俺とお前は打ち解けた。少なくとも、俺はそう思っている」

「気持ち悪い言い方だな」

「うるせ。……正直なことを言うと、お前が居なきゃビクトリーズは勝てない気がするんだよ」

「なに?」

「試合内容をちゃんと思い出してみろ」

 

 スプーンで指さすな、行儀悪い。

 しかし試合内容か。今日の試合では、俺のバッティングは4-1だ。打点は0で、一回セカンド強襲で二塁打があるから実質二回出塁。まあ、三番としての最低限の仕事は出来たと思うが。

 翻ってピッチャーは、0点に抑えて七回まで投げたあと、センターに回った。木川が1失点してノー満チャンス作っちゃったから俺がもう一回上がって……ああ。

 

「要は、バッティングはともかく投手としての問題か」

「今日は負けるわけにはいかなかった。木川は気の毒だが、会長の采配は間違ってない。勝つためには、小波に投げて貰うしかなかった。他の助っ人はよく分からんしな」

 

 言われてるぞ電視。

 

「……今のビクトリーズは、コアラーズの大北同様にピッチャーが強くてどうにかなっている、と?」

「打撃戦になれば分からないが、相手のピッチャーが優秀だとどうしてもこっちが後手に回る。小波の存在は大きい」

「投手としての自信がなくなってた俺をそこまで買ってくれるとはな」

「プロ野球最多勝利投手と自分を比べて自信なくすとか、俺からしたら舐めてんのかって話だ、まったく。最近じゃ安藤が登板すると相手チームのファンが帰るとまで言われてるんだ」

 

 小馬鹿にしたように権田は俺を鼻で笑った。いやでも友達だもの……比べるよ……。

 てゆか地味に権田ってやっぱ小波のこと好きだよな。ファンだよな。詳しいし。

 

「なるほど、権田くんの心配は分かった。小波くんが居なくなると、チームが瓦解するということか」

「それだけじゃねえんだ。……悪く思わないで聞いてほしいんだが、助っ人が居ないと勝てねえってのが、お前の存在感の強さもあってかチーム全体に蔓延してる」

「権田さん! そんな言い方したら小波さんが悪いみたいじゃない!」

「だが、事実なんだよ。このままじゃ助っ人と元メンバーの間に亀裂が入る。いや、既に入りかけてる。『権田さん、このままでいいんですか』だとよ。……皮肉な話だ、小波が居てくれたから俺たちは勝ててるってのに」

「……誰かのために頑張ろうとすると、どうしても誰かにとって邪魔になるんだな」

「小波?」

 

 息を吐いた。

 何だか、懐かしい苦さだ。ただ誰かのために頑張ろうと思った。誰かの夢をかなえるために頑張ろうと思った。けれど、それは俺が強いだけじゃ意味のないものだ。かといって、誰しもが努力できるわけでもない。誰もの想いを叶えられるわけじゃない。

 

「この件に関しては、俺とお前の間で共有しておくべきだと思った。……小波」

「ん?」

「助けて貰ってばっかりですまない。だが、俺はどうしてもビクトリーズを強くしたい。商店街に息を吹き返させてやりたい。そのために、野球を頑張ってる。……勝てているだけじゃダメなんだ。この先色々な面倒がお前に降りかかるかもしれないが……ブギウギ商店街を見捨てないでくれるか」

「権田のおっちゃん……」

「権田くん……」

 

 言われずとも、見捨てるわけがないじゃないか。

 

「幾らでも使ってくれ。俺は正義の味方が大好きで、正義のヒーローになりたいと思ってはいるが……その実、悪役の方が向いているらしいんだ。踏み台にでもなんでもして、お前の正義を掴んでくれよ」

 

 そうやって、あいつらは自分たちの居場所と夢を両立させた。

 皆が笑っていられるなら、それを祝福の旅路にして俺は去ろう。

 それでいいんだ。それで――

 

 と、テーブルを勢いよく叩く音で思わず顔を上げた。

 目の前には、怒りにか、顔を赤くした権田。

 

「踏み台になんかするわけねえだろ!」

「ちょ、権田くん。そんなに怒らなくても」

「うるせえ! 黙ってろ会長! ああ俺は利用するっつったよ! でもな、小波。一つだけ分かってないようだから言っておく。俺はビクトリーズを強くしたいんだ! 商店街が好きなんだ! いいか、よく聞け! 俺とダチになったお前は! 俺にとっちゃビクトリーズの一員で、商店街の仲間なんだよ! 仲間を犠牲なんかにしてたまるか、このバカが!」

「権田、お前……」

 

 呆然と。口から零れ落ちたのは、まともな言葉にすらなっていないただの感嘆詞。

 それで権田も少し我に返ったのか、すとんと椅子に座り直すと額に手を当てて天井を仰いだ。

 

「ああもう、ガラじゃねえってのによ。……けどな。お前は仲間だ、小波。風来坊だか旅人だか知らねえが、一歩引いてくれるな、頼むから。ビクトリーズにとって、新参は確かに助っ人だ。この街をいずれ出ていくかもしれない。けど、それでも仲間だ。お前は、仲間なんだよ。通りすがりの駅みたいに思うなよ。ここは今、間違いなくお前の家がある場所だ」

 

 ……。

 

「いいこと言うじゃないか!」

「いってえな奈津姫! どつくな!」

「なにさね、あんたがそこまで熱くなるなんて、いつ以来よ! ……ずっとそうだったら良かったのに。ほんと、小波さん様様だねまったく!」

「うるせえよ。正義のヒーローだか何だか知らねえが、俺たちはただ救われたいんじゃねえって、教えなきゃいけなかったからな」

 

 ふん、と権田はそっぽを向いた。

 ただ救われたいだけじゃない、か。俺は、仲間か。

 

 思わず、俯いた。すると視界に入るのは、ブギウギビクトリーズのユニフォーム。会長も権田も着ている、同じ服。……そうか。助っ人だと思っていたから、俺はいつかのように何れ消えるものだと思っていた。

 それ自体は決して間違いじゃなかったとしても。俺は今、同じユニフォームを着ているんだ。あの時とは違う。仲間だと、思っていいのか。

 

「ありがとう、権田」

「おう。捕手は投手を導かなきゃいけねえしな。……小波。そういうわけで、助っ人と元メンバーの間の亀裂はいずれどうにかしなきゃならねえ。その橋渡しができるのは俺たちだ。少なくとも俺はそう思っている。だから、表面化した時……できればする前の方がいいが、手を打つ時に協力してくれ」

「協力、か。ああ、もちろんだ」

 

 さりげなく権田がテーブルの上に出した右手を、引っ掴んで頷いた。

 

 

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

 

 カシミールを出た俺たちは、三々五々に散っていった。

 会長は言わずもがな商店街会長としての仕事がまだまだあるだろうし、コアラーズに勝ったこともあって色々また忙しくなるだろう。

 権田はカンタ君と一緒にどこかへ行った。野球でも教えてあげるのだろうか。

 

 勝利の余韻に浸っていても良いのだが、俺にはそれ以上に考えさせられることがあった。権田の言っていた、俺たちは仲間だというセリフ。

 

 俺も表面上ではそうしてきたつもりだった。野球はチームスポーツで、和を乱したらやっていけない。重々、理解はしていたはずだった。

 

 けれど、違った。同じユニフォームを着ているということは、対等な仲間である。頭では理解していても、どうにも俺の心は上手くそうなってはくれていなかったらしい。

 この商店街を助けるために、権田たちに力を貸す。

 そのスタンスで居たら、決して仲間のためにはならないのだと。俺の自己満足的な正義で終わってしまうのだと。それは善ではない。間違いなく偽善だった。

 

 いつかの日、俺は。同じチームの仲間としてあいつらと一緒に野球が出来ていたら、今の未来は違ったのだろうか。

 

「世話ないな」

 

 自嘲した。

 そんなIFを考えたところで、今の俺に変化が訪れるわけでもない。

 今気づかされたのだ。なら、未来を変えるべきだろう。手を貸すのではなく、仲間として。俺は料理のレシピを知っていても、何故そこで火を強めなければいけないのかが分からなかったようなものだ。本質的な理解を、けれど今出来た気がする。

 

「いらっしゃいいらっしゃーい! 安いよ安いよ~! ……ってなんだ小波かよ。客かと思ったわ。次はホームラン期待してるからな!」

「お、小波じゃねえか! お前本当に客と間違えるからいつもの格好してろ! 今日も良いピッチングだったぜ!」

「あ、小波さん! コアラーズ戦お疲れ様! それはそれとしてお金ないんだから客の真似しないで」

 

「どうすればいいんだよチクショウ!!」

 

 店先で呼び込みをする商店街の連中に叫び返すと、皆が皆けらけらと笑っていた。

 全員の共通認識がカネなし野郎なのは涙が出てくる。

 

 でも、ああ。この涙は半分くらい、今更気づいたのかってものなんだろう。

 ……きっとあいつらにとって、俺はもう日常なんだって。

 

 ブギウギ商店街は、良い街だ。

 

「あ、小波さーん!」

「ん?」

 

 あの特徴的なドリルメイドは。

 とてとてと走り寄ってくる彼女は上機嫌で、軽く手を振りながらやってきた。

 

「お金もないのに商店街で何してるの?」

「准までそれを言うのかよ」

「事実じゃないの」

 

 それはまあ、そうだが。

 

「どうせ暇でしょ? 買い物付き合ってよ」

「ああ、もう今日は予定もないし――っておい、腕絡めんな! メイド服が汚れるだろ!」

「洗い方なんて熟知してるわよ。ほら、行こ行こ」

 

 ぐいぐい引っ張る准に引かれて、あれよあれよと買い物へ。

 八百屋に行っては准の魅力でころっとして、雑貨屋にいっては准の魅力でころっとして、パン屋にいっては准の魅力でころっとして。

 

 えっぐいなあ。店の買い出し、こんな風にしてるのかよ。

 

「初めて小波さんと会った時も買い物中だったんだよ」

「まあ、そうかもしれんが」

 

 腕を絡ませた方とは反対――左腕に買い物袋を持たされて、俺は彼女と歩いていく。

 その度に商店街の方々から殺し屋のような目つきで睨まれた。

 ははあ、八百屋と殺し屋を兼業なさってる感じで、みたいな。この街みんな殺し屋を兼業してんのかよ。供給過多だよ。人口減る一方じゃねえか。

 

「小波さん、今日機嫌よさそうだね」

「試合にも勝ったし……ちょっと思うところがあったからさ」

「へえ。聞いてもいいの?」

「俺もチームの仲間なんだってさ」

 

 そう言ってくれたのは素直に嬉しかったんだ。

 と、准に告げると。彼女は何だか驚いたような顔をして……それから、なんだか怒ったように見えた。けれど次の瞬間にはその表情はいつもの笑顔に隠されて。

 

「……あっきれた。小波さんはこの町の大事な人だよ。通りすがりなんかじゃないよ」

「……准もそう言ってくれるのか」

「口が滑りました、ご主人様♡」

「なんでだよ!!」

 

 ひでえやつだ。

 

「でもさ、小波さん。貴方はやっぱり、なんだかみんなの中に居ない感じがしてたから……わざとじゃなかったんだ?」

「マジか。マジなのか」

「私にしてもだよ」

「ん?」

 

 隣を歩く彼女を見る。その言葉の真意は、流石に今の一言ではくみ取れない。だからと思って目をやれば、しかし邪魔っけなツインドリルに顔が隠れていまいち見えない。

 

「私の夢を応援してくれるって言ってたじゃない」

「ああ」

「それは、どこからなのかなって。貴方の言い方だと、少なくとも隣じゃないよね」

「……いや、隣は」

 

 隣で夢を応援するって、それはもう完全に――。

 

「嫌?」

 

 首を傾げ、瞳は潤んで。

 掴んだ腕をぐっと引かれて。ぽつりとつぶやかれた寂しげなセリフ。

 そんなことをされたら。そんなことをされたら。

 

 

 そう、そんなことされたら、――いくら何でもいつもからかわれてりゃ気づくわ!!

 

「はいはい、もう騙されませーん」

 

 と、軽く流す。

 驚いたように、彼女は目をぱちくり。

 はっはっは、俺だって成長する生き物さ。お前がいつどこで何を仕掛けてこようと、俺にとってはもう過去の壁! 俺は乗り越えたんだよ、お前という壁をな!

 

「……へ?」

「だからまた俺をからかおうとしたんだろ? いい加減気づくわ」

「……」

 

 え、なにそのきょとんとした顔は。

 

「あ、あはは。バレたか。流石に」

「おう、もちろん。風来坊は観察力豊かなもので」

「気に入ったの?」

「少なくとも准と話す間では」

「なにそれ腹立つなあ」

 

 するりと彼女は俺の腕から手を放して、次の店へと入っていった。

 

 

 

「ほんっと。腹立つなあ」

 

 

 

 最後の言葉に隠された彼女の真意を、俺はまだ知らない。

 


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