風来坊で准ルート【本編完結】 作:しんみり子
――遠前山、山頂グラウンド。
練習を前にスパイクのヒモを結んでいると、監督が相変わらずの無気力な風体を隠そうともせずに俺のところへやってきた。
「小波、面倒なことになった」
「は?」
「ジャジメントから試合の申し込みが来たんだが」
ちらっと俺に目配せする。
俺の背後に居る寺門や、他の面々には聞かせたくない話なのかは分からないが。
とりあえず気づかないふりをした。
「それで、どうしたんです?」
「……どうにもな。会長の強い意向で、助っ人を出さないでくれだそうだ」
「なんだよ、それ! オレたちは要らねえっての!?」
「待て待て寺門」
佐和田監督に噛みつこうとする寺門を抑えつつ、考える。
会長の意向で助っ人を出すな、ということの意味を。
ジャジメント側から脅されたのか?
いや、その線は薄いか。商店街に居るヤツだけで勝負しろなんて、口が裂けても言えた相手じゃない。だとすると、町内会からクレームか?
……あり得ない話ではないか。最近は勝ててるんだから、今なら助っ人は要らないんじゃないかとか、そういう意見は出てもおかしくない。
「そろそろ、俺たちは邪魔になってきましたか」
「ああいや違う。そうじゃない。ビクトリーズにテレビ局の取材が入るらしくてな。そこにジャジメントが試合をぶつけてきた形だ。商店街以外のメンバーが居ると色々厄介だとか何とか……これだから外野から物を言うしか能のない輩共は」
あんたが言うか。
「まあ、分かりました。じゃあ次回は応援にでも回りますよ」
「それも違う。小波、お前だけは出ろ。それだけは会長にねじ込んだ」
「は?」
「おいおい監督さんよ。それはえこひいきじゃねえの?」
「決まったことだ、練習の準備をしておけ」
またしても寺門がかみついた。
そりゃそうなるだろうと嘆息する。助っ人は休み。俺だけは出る。それで生まれる不和なんて、分かりきったことではないのか。
すたすた去っていく監督を、寺門が最後まで物凄い形相で睨んでいた。
(次回の試合には助っ人は出ないことになった!)
《旅ガラスのうた》II――旅ガラスと仲間――
「あ、小波さんちょっといいですか」
「え、奈津姫さん?」
練習帰りに商店街をてくてく歩いていると、カシミールの前で奈津姫さんに捕まった。捕まったというと語弊があるかもしれないが、店の前できょろきょろしていた奈津姫さんが俺を見るなり腕を掴んだのだから、だいたい合っているはずだ。
彼女はそのまま俺をカシミールに引きずりこむと、小さく頭を下げて奥へと案内してくれた。奥の席には権田が居た。あれ、つい最近同じ状況あったぞこれ。
「奈津姫、すまん」
「これに関しては仕方ないもの」
「俺にも分かるように状況の説明をしてくれないか」
席を勧められ、気付けば温かいカレーが目の前に提供されていた。
有難いんだが、何だろうこの裏社会感漂う談合会場みたいな空気は。
どんよりしつつ、でもお腹はすいたのでカレーは食べる。いただきます。
「……食べたな?」
「これ賄賂か何かなのかよ!」
「誰も無料とは言ってねえよ」
「卑怯だぞ!!」
おのれ卑怯なり権田正男。策士か。策士なのか。
ええい、毒を食らわば皿まで。カレーは完食してやる。胃袋事情は譲れない。
「休憩終わったよー、って深紅さん来てたんだ。どう、美味しい?」
「あ、ああ。おかげさまで。武美も仕事お疲れ様」
「ただのお手伝いだから全然ヒマだよ~」
ひらひらと手を振りながら、楽しそうに彼女は笑う。
そそくさとカレーを食べ終えて隣を見れば、権田は俺の完食を確認すると両膝に手をついた。
「すまん」
「何を謝るんだよ。まさか、金か? 俺に奢る金がないのか?」
「違ぇよ。次の試合の話だよ」
「……ああ」
そりゃ権田は町内会にも顔を出している人間だ。知っていてもおかしくはなかったか。次の試合、助っ人無しで試合をすることになったとのこと。何故か俺は参戦すること。全部まるっと把握したうえで、こうして頭を下げさせているのだとしたら、これほど申し訳ないことはない。
「気にするな。世間体を気にするのも、上に立つ人間の必要なスキルだ」
「そうかもしれんが……商店街のメンバーと助っ人の亀裂がいよいよやばい」
「まあ、そうなるよなあ」
今日の練習、控えめにいっても古参メンバーの機嫌はやたらと良かった。ただ良いだけじゃなく、助っ人たちに見せつけるような雰囲気であったこともいただけない。
ただお互い商店街のために勝とうとしているだけなのに。
ままならないものだ。
「俺のせいだ」
すまん、と重ねて彼は低頭した。
こいつ、マジになると拳が震える癖があるんだよな。とはいえ、俺に謝られたところでどうしようもない。そもそも、別に怒っちゃいない。仕方のないことだ。
そうは言っても権田は割り切れないらしく、瞑目したまま。
見かねた武美が、俺の空皿を片づけながら嘆息する。
「権田さんは発破かけようとしただけでしょ。おかげで商店街のメンバーはやる気満々じゃん」
「助っ人を追い出すことに全力を注いでいなければ、の話だ。俺たちは打倒ジャジメントを掲げなきゃならねえのに」
「それはそうだけど。嫌になっちゃうね、嫉妬とか」
寂しいなー、とか言いながら彼女は厨房へと引っ込んでいった。
しかし、打倒ジャジメントに息を合わせなきゃいけないというのだとすれば。
「それを言うなら、権田。流れ上とはいえキャプテンを任されてる俺が纏められてねえのにも問題がある」
「いや、それは違う! 俺があいつらを――」
古参メンバーを纏めていた元キャプテンとして。今まで扇の要、キャッチャーとしてビクトリーズを支えてきた者として、権田には責任感があるのかもしれない。
けれど、そうだとしても権田一人の責任ではない。俺が今まで古参メンバーの方に上手く橋渡しを出来なかったことも原因の一つだ。
そんなことを言い出したら、ビクトリーズ全員に責任はある。
「ならさ。こういうのはどうだ?」
「何か案があるのか?」
「ああ。紅白戦をするんだ」
「……いつもやってるのじゃなくてか? チームの和がそれで元に戻るならそれに越したことはないが」
「いや、助っ人と古参に別れてやりあって、古参が勝ったら助っ人は出ていくんだよ」
「なんだと!?」
椅子を蹴倒すような勢いで権田が立ち上がった。
「そんなもん認められるか! なんでそんな仲間割れの決別みたいなことをしなきゃならない!?」
「だって、これならお互いに本気を出すだろう。古参は助っ人を追い出したい。助っ人は古参を舐めている節がある。だから、一度本気でぶつからないと」
「理屈は分かる! けど、負けたらお前たちが出て行くなんて、俺は一度だって望んだことはない!! 前に言ったはずだろうが!! お前も大事な仲間だって!!」
「そう言ってくれるのは嬉しい。けど、仲間の和と商店街の存続。どっちを取るんだよ、権田」
「なに!?」
「このままいけば、何れ亀裂は決定的なものになってぱっくり割れる。どんなに一人一人が強くても、一致団結した奴らには絶対に勝てない。いいか、絶対にだ。もし、ことが大事な試合の最中に起きてしまったら、ビクトリーズも商店街もそこで終わりだ」
「だとしても! ……だとしても。俺は、お前たち助っ人が……事情は違えど商店街のために戦ってくれてる連中が、不幸になるのを見過ごせはしない……」
力なく、権田は席に腰を下ろした。
おいおい、言ってくれるじゃねえか。
「まるで古参が勝つと決まったような口ぶりだな」
「そうは言ってねえよ。けど、その可能性がある以上――」
「商店街が潰れる可能性がある中で、戦い続けてきてるんだ。今更さ」
「お前ってやつは」
呆れたように権田は閉口した。
少しの間、店を沈黙が支配する。気づけば奈津姫さんもいないし、二人して厨房に引っ込んでいるのだろうか。
「……もし、その試合をやる時は俺が助っ人の方に」
「権田が俺を庇ったらお前まで裏切り者だ。それに、発破かけて商店街の仲間を奮起させて練習までしてるんだろ? なら、貫かなきゃダメだ」
「そうは言っても、小波。幾らなんでも人数が」
「その時は、助っ人を見つけるさ」
「……」
人数が足りないのは仕方がない。数合わせでも何でも頼んで、そうするしかないだろう。もしその試合が実現するなら、俺にとっては勝っても負けても損はない。俺が誘った助っ人たちに少し申し訳ない……くらいのものだ。
「なあ、小波」
「なんだ?」
少し考え込んで。顔を上げた権田が、何かを決意したような眼差しで俺を見やった。
「次の試合は、お前以外の助っ人無しでやることになる。そこで、あいつらが自分に自信を持って、助っ人たちと仲間意識を保てたら……」
ああ、もしそうなれたら良いと俺も思う。けれど――
「人間そんなに甘くないよ権田さん。きっと、自分たちだけでいいじゃんみたいになるよ」
と、ひょっこり厨房から武美が顔を出した。
面白くなさそうに眉を寄せる彼女を、優しく諭す。
「武美、言い過ぎだ」
「む~。深紅さんだってそう思うでしょ?」
「……たとえそうであったとしても。それでビクトリーズが勝ち続けられるなら、それでいいさ」
「待ってくれ小波。……きっと今は少し、みんなささくれ立ってるだけだ。助っ人に何もかも劣る状況で練習のモチベーションを保とうとしてる。お前を追い出そうなんて思ってないんだよ」
「お前がそう言ってくれるだけで良い」
「小波!」
ふう、と息を吐いた。そして、権田を見て、声に出す。
「次の試合、勝とう」
次の試合で、全てを決めよう。その意図を権田は理解してくれたようで……不満そうながらも小さく顎を引いてくれた。
(そして・・・)
『今日は試合でしょ? 頑張ってね』
准がバイトへ出かけた後、俺もすぐに家をあとにした。
今日はテレビの中継も入るという大事な一戦。そして、助っ人が参加できないという厳しい条件もプラスされている。負けるわけにはいかない。
テンガロンハットをかぶり直し、遠前山へと一路向かう途中、通り抜ける商店街では色んな人にエールを貰えた。頑張ってくれと、勝ってねと、そう言ってくれる人が俺にも居る。
それが嬉しくて、少し笑みがこぼれてしまう。
「よお、今からおでかけかい?」
水を差されたのは、その直後のことだった。
振り向けば、青に一身を染めた一人の男。
「椿! まだこの街にいたのか?」
「いや、戻ってきたんだよ」
「……もう、関わらないという約束だったはずだが」
「ああ、まあそうだな」
耳をかっぽじりながら、斜に構えてひらひらと手を振る仕草。どうにも、俺の話をまともに聞くつもりはないらしい。……これは、俺との約束を守る気はなさそうだ。
となると――
「今日の試合の妨害でもするつもりなのか?」
「そんなせせこましいこと、オレがするかよ。それより、あのメガネかけた子供な。カンタって言ったっけ。ひと駅むこうの町に建築中の高層マンションがあるだろ。そこで見かけたぜ」
「なんだと!?」
ひと駅向こうって……この前武美と一緒に出掛けたあの街か。
確かに開発が進んでいた。建設中のマンション……あれか。
記憶を遡っていると、椿は上機嫌に指を立てる。
「ああ、なんだか縛られていたような気もするな」
「貴様!」
「ま、たぶんオレの気のせいだろう。今日は大事な試合の日なんだし、気にしないで行ってこいよ」
「くそっ! 結局妨害じゃないか!! この悪党が!!」
「これも仕事なんでね」
そんなことを言われてじっとしていられるような神経を、俺が持ち合わせていると思うのか。
気取ったように戯言を垂れる椿を置いて、駆け出した。
今なら、まだ試合には間に合う。
(そして・・・)
遠前山、山頂。
既に観客は詰め詰めで、テレビカメラが回っているのが遠目からでもよく見えるグラウンド。喧騒が試合前の集中を乱す煩わしさを抑え込み、佐和田が瞑目していた時だった。
「監督、大変だ! 相手チームがコアラーズじゃない!」
「なんだって?」
顔を上げると、一塁側で準備をしているチームのユニフォームは確かに見覚えがないものだった。
キングコブラーズ。なるほど、全く知らないチームだ。
遠目に会長と、ジャジメントの支店長が何やら揉めているのも見えることから、おそらく会長もこの展開は知らなかったことが窺える。となると、コアラーズより格上を相手にするつもりでかからねば不味いだろう。
だというのに。
「小波のヤツはどこに行ったんだ」
不動のエースで、今日は五番打者を任せるつもりだったキャプテン、小波の姿がどこにもない。遅れるだのなんだのという連絡は受けていないし、そもそも彼に連絡手段がないものだから心配だけが募る。
「おい権田、何か聞いてないのか」
「いや……今日は必ず来るはずだと思ってたんですが」
「っ……ええい、オーダーを組み直す!!」
居ないものは仕方がない。
この土壇場でオーダーを変えるのは聊か苦しいものがあるが、木川は既に肩を温めている。諦めたように打順と守備を組み替えて、佐和田は審判側へオーダーを提出した。
「小波君もいないってことは、久々に助っ人なしで試合ということか」
若干心配そうに眉を下げる医師の青島と、彼をはじめとした普段の控えメンバー。
しかし木川は先発投手になると分かってか、興奮気味に声を上げた。
「これですよ、これ! これがビクトリーズ本来の姿なんですよ!」
「よーし、絶対に勝つぞ! 見せつけてやるんだ!」
「遅れてくるようなキャプテンに、目にもの見せてやる!」
木川に呼応するように、古参メンバーが意気軒高に気持ちを高ぶらせている中。
「……」
一人、権田は複雑な表情でベンチの中を見据えていた。