風来坊で准ルート【本編完結】   作:しんみり子

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《旅ガラスのうた》III

 走る、走る、走る。

 ミルキー通りにある建設中のマンションを見つけた俺は、一気に助走を付けて飛び上がった。周囲から建設物を支える鉄骨に飛びつき、そのまま腕の力を使ってよじ登る。

 

 クレーンが垂れ下がる屋上は既に九階程度の高さになっていて、ここから落ちれば無事では済まないだろうことが察せられた。

 

「よっと――カンタ君!」

 

 足場は悪い。屋上と言っても、建設中のマンションの一番高いところというだけだ。そこら中に穴はあるし、鉄骨の上を歩かなければ真っ逆さまに転落するだろう。

 そんな中、確かにカンタ君は一本のポールに縛り付けられていた。

 

「おじちゃーーん!」

「今解いてやるからな! ――っ!?」

 

 カンタ君に接近しようとしたその瞬間だった。久々に感じる気配――殺気を感じて跳躍する。その瞬間、今まで俺が居た場所に鉄パイプが振り下ろされた。

 緑の軍服に身を包んだ、サングラスの男。

 気づけば、カンタ君の周りにも二人の男が現れる。 

 

「なんだ、お前たちは」

 

「私はソルジャー」

「俺は番長」

「ロボ」

 

 一歩ずつ前に出ながらの自己紹介。

 

「三人そろって、ザ・トリオ!」

 

 声を合わせたその登場は見事なものだと感心はするが、どこもおかしなところはない。

 ……俺は何を言ってるんだ。

 

 ともあれ、ザ・トリオねえ。このイロモノ丸出しの連中は、おそらく椿の仲間だろう。

 あいつが面白がってこういう名乗りをさせたに違いない。ゲラゲラ笑うあいつの姿が想像できる。

 

 かといって。椿の仲間であるということは、イロモノであると同時に――あいつが認めるほどに強いということでもある。

 

「……俺を殺せとでも言われたのか?」

「やれやれだぜ。そんなわけねえだろう?」

「なに?」

 

 番長と名乗った男が学生帽の鍔を直しながら、呆れたように返してきた。

 続いて、鉄パイプを担いだソルジャーという男がブーツの踵を合わせて吼える。

 

「説明してやろう! 我々ザ・トリオはお前という男の強さに懐疑的だ!」

 

 それだけ言うと満足したようにソルジャーは胸を張った。

 説明が終わった。

 

 いやいやいやいや。

 だから何だよ。おい、そこの無言のロボット。

 

「それで?」

「…………証明終了」

「出来てないだろ!!!」

 

 何がQEDだ!

 

「とはいえ、お前たちに構っていてビクトリーズの試合に間に合わないのも癪な話だ」

「同意してやろう! 話が分かるではないか」

「やれやれだぜ。その勝負、乗った」

「……来い」

 

 ああ、なるほど。

 

「要は、椿の野郎が俺を潰すためにそろえてきたメンツってことか。で、お前らは俺がそこまで尽力するほどの相手なのか疑問だと。だから、カンタ君を攫って俺を試すと」

「肯定してやろう! 椿はこの件には無関係だ」

 

 鷹揚に頷くソルジャー。

 オーケー分かった、ならやってやろうじゃねえか。

 

「……怪我しても知らないからな」

「そっくりそのまま返してやろう! 深紅とやら!」

 

 ソルジャーが鉄パイプを握りしめ、飛び掛かってきた。

 

 ――速い。

 この不安定な足場で、まるで慎重さの欠片もない豪快な跳躍。

 俺が完全に避けるより先に、どこでもいいから殴りつけてやろうという魂胆か。

 

「なら!!」

「食らえ!!」

 

 鉄パイプの殴打。右からの振り抜きをしゃがんで回避。

 

「ホワチャオ!!」

 

 その瞬間、眼前に足が飛んできた。

 

「私の前でしゃがむなど、愚の骨頂!!」

「ちっ」

 

 その足を掴み、起点にして回転。そのまま蹴りを顔面に叩き込む。

 ――が、それは鉄パイプによって受け止められた。

 パイプを蹴って一旦距離を取ろうとすると、ソルジャーはすかさず距離を詰めてくる。

 

「逃がすわけがないだろう!!」

「逃げ? 違うな」

 

 走り寄ってきた勢いを殺さずに、鉄パイプを握った左手めがけて下から弾く。

 

「なにっ?」

「これは相手の力を利用した――」

 

 慣性に逆らえない、倒れこんでくるソルジャーの腹部に一撃。

 

「――カウンターというものさ」

「ぐぉおおおおおおおおおおお!?」

 

 勢いよく十メートルほど吹き飛んで、カンタ君の横にあるポールに身体を打ち付けたソルジャーは吐血する。

 この程度じゃ死なないだろう。

 

「…………対象の脅威判定を変更」

「ん?」

「…………対象を無力化」

 

 それだけいうと、ソルジャーと入れ替わるようにロボが飛び込んできた。足のブースターを回転させ、幾何学模様のように不可思議な軌道を描いて迫ってくる。

 

「気になってたんだが、お前はサイボーグか?」

「…………ロボ」

「そうか」

 

 旧年代のロボットのように拳を構えて飛んできたロボをかいくぐり、拳を叩きつける。が、鈍い音をさせて弾かれた。装甲が厚いのはなるほど、それらしいな。

 

 右、左、右、とマジックハンドのように伸びる拳が襲い来る。

 ちらりと番長の方を警戒すれば、彼は腕組みをして仁王立ちするのみだった。

 なるほど、ソルジャーに続き一対一と。

 

「厄介は厄介だが、動きが硬いな」

「…………なに?」

「柔軟に動けてこそ、戦いでは役に立つ」

 

 伸びてきた拳を回避し、引き戻される前に懐へと飛び込んだ。

 一歩退こうとしたロボの重心を崩す掌底を打ち、そのまま片足に全て重心が乗ったタイミングで踏みつける。仰向けに倒れたロボの伸びた拳を引っ掴み、跳躍。

 

「俺の拳が効かなくても、お前の拳は効くだろう?」

「…………タンマ」

「あるかそんなもの!!」

 

 そのまま、落下の運動エネルギーともどもロボの拳を無防備な腹部に叩き込んだ。

 

「…………きゅう」

 

 その場に転がって、ロボは気絶した。気絶という表現が正しいのかどうかは知らないが。

 伸びきった拳を捨てて振り向けば、口元を楽し気に歪ませた番長の姿。

 

「さて、残るはお前一人だが?」

「面白い。タイマン張らせて貰うぜ」

「三連戦させといてタイマンと称するか」

「行くぜ」

 

 問答無用かよ、とツッコむ間もなく番長が眼前に現れた。

 ソルジャーと同じく速攻型か。

 迫りくる拳をいなそうと手で打ち払おうとして気づく。

 

「おっも――」

「極限までパワーを高めれば、そのパワーで速度も技術もカバーできる」

「その理屈はおかしいだろ!! ……ぐっ!?」

 

 いなすことも出来ず、そのままストレートが俺の片腹に突き刺さった。

 錐もみ回転して吹き飛ぶ。

 

「いてて……」

「まだまだ行くぞ」

「クソっ」

 

 前のめりに番長が飛ぶ。こいつ、足自体はそんなに速くなさそうなのに力任せに飛ぶだけでこんなに速いのかよ。なら、完全に避けるしかないか。

 

「オラオラオラオラァ!!」

「拳が影分身!?」

「オラァ!!」

「ぐおおおおおおお!?」

 

 あわや顔面。

 左肩にぶつかった拳打の後ががんがんと響く。

 こいつ……どんなパワーしてやがる。俺の知り合いのカレー好きと同等かそれ以上……。

 

「オラァ!!」

「くうかよ!!」

 

 バックジャンプで回避し、鉄骨を背に身構える。

 そのパワー、利用させてもらう。

 

「背水の陣か。良いだろう、受け取れ、俺の拳を!」

「悪いが受け取り拒否だ。あと、ここは背水じゃなくて背柱だ。気を付けろよ」

「同じことだ!!」

 

 飛んでくる拳を、鉄柱を起点に回転して避ける。そのまま鉄骨の裏側に飛んだ。

 瞬間、鉄骨に番長の拳が叩き込まれる。案の定の力業でひしゃげた鉄骨の天辺を、蹴り落とす!

 

「なにっ!?」

「ブッ潰れろ!!」

「ぐほ!?」

 

 蹴りがとどめとなって折れた鉄柱が、番長の顔面にクリティカルヒット。

 鈍い音を立てて、よろけて、番長は倒れた。

 

「……やれやれ、だ、ぜ」

「色々ダメだろこいつ」

 

 ザ・トリオは倒した。

 ……カンタ君!

 

「無事かい!?」

「おじちゃん、強いね!!!」

「まあ、ちょっとな」

 

 目を輝かせるカンタ君の縄を切る。

 

「それより試合はどうしたんでやんすか!?」

「なあに、急げば間に合うさ」

 

 

 

 

 

 

 

《旅ガラスのうた》III――VSキングコブラーズ――

 

 

 

 

 

 

 遠前山の球場はざわめきに包まれていた。

 それもそのはずだ。野球を売りにしている商店街の、肝心の野球チームが、七回を終えて大差で負けているのだから。

 そして原因は負けそうなことだけではなかった。

 

「……おい、どういうことだよ。カニもムシャも居ねえ。オレはあいつらを見に来たのに」

「それどころか、小波が居ねえじゃねえか。あいつの投球があるからプロ野球みたいに観戦が楽しめるのに」

「主軸を欠いて負けましたなんて、テレビで流すつもりかよ。応援してるオレたちがバカみたいじゃないか!」

「そうよ! 早く小波さんを出してよ!」

「それともテレビで負けるのにビビッてんのかよビクトリーズ!!」

 

 どよめき、怒声の飛ぶ観客スタンド。

 

 歴戦の活躍で、ビクトリーズには早くも"外部のファン"というものが出来始めていた。

 当然、チームのファンということは選手のファンでもあるわけで。

 今日の選手のオーダーは、控えめに言っても本気とは言い難い、ファンたちにとってはよく知らない選手で固められていたのだから、文句が出ても仕方がないのかもしれない。

 

 事情を知っている商店街の人々も、この試合の展開には不満が募っていた。

 自分たちから言い出したことではあるけれど、助っ人が居ないだけでこれほど不甲斐ないのかと。しかしそんな状況の中で、キャッチャーマスクを被った男は動じずに声を上げていた。

 

「大丈夫だ! 俺たちならやれる、それを見せるために今日は頑張るんだろう!!」

 

 その声に奮起してか、木川はピンチを三振で切り抜け、ビクトリーズの守備がベンチに引き上げていくのを、スタンドの観客たちは複雑な雰囲気で見守っていた。

 

 七回が終わって3対7。 

 

 小波深紅の姿はどこにもない。

 バイト帰りに球場へ寄った准は、この試合展開をぼんやりと眺めていた。

 

 観客席のざわめきからして、深紅が今まで出場していないのは確か。

 けれど今日は、試合に行くと言っていたはず。何かがあったのか、それとも。

 

「よう、隣いいかい?」

「ええ、いいですよ♡」

 

 背後からかかった声に軽い気持ちで返答すると、がさつに腰を下ろした相手に准は見覚えがあった。青い帽子に青い外套。……いつぞや、深紅と揉めていた相手。

 

「……貴方は」

「椿だ。深紅のマブダチだよ」

 

 目線をグラウンドからそらさずに、缶コーヒーのプルタブをひく椿。

 この男は確か、深紅と条件付きの勝負をして負けたはずだ。この町から手を引くと言っていたはずだ。それが、何故。

 もしやと思って、准は問いかける。

 

「……その深紅さんが来てないのは、貴方の仕業?」

「さあてね。ま、どのみちこんなところでくたばるようなタマじゃねえよ。そんなヤツだったら、わざわざオレがこんなに遊ぶ理由もねえしな」

「……ねえ。とても言動が親友とは思えないんだけど」

「向こうはオレのことを親友だとは思ってねえだろうしなあ」

 

 ぐびぐびと缶コーヒーを飲みながら、ぞんざいな態度で椿は言う。

 

 その言葉にどうしてか、准は妙な寂しさのようなものを感じた。

 

 ただ商店街にいやがらせをする、深紅の敵。そんな風に思っていたけれど。この人にはこの人の事情があるのではないかと。事情なんて大層なものではないかもしれないけれど、何か考え方があるのではないかと。

 

「それより、お前さんこそ深紅の何なんだ? 祭りの夜は、随分大事そうに庇ってたが」

「私は、あの人の……ううん。あの人に、哀しい生き方をしてほしくないだけ」

「ほぉ?」

 

 椿は軽く髭を撫でた。ついで愉快そうに笑う。

 

「そうか。なるほどな。あの正義の味方気取りを、哀しいと見たか。思ったより面白い女だな、お前さん」

「女の趣味は合いそうにない、なんて私の前で言っていたのはどの口だったかな」

「はは。それは今でも変わらねえよ。……そうだな。面白いから教えておいてやる。あいつとオレの話を」

「……」

 

 椿の言葉に、准が取ったのは無言の催促だった。

 

 深紅の過去を、思えば准は何一つ知らないままだ。何故あんな風に人を助けて、見返りを求めず、一人で生き続けているのか。その理由に、未だ踏み込めてはいない。

 

 けれどこの男が知る背景が、今の彼に繋がっているのなら。

 

「昔、オレとあいつは組んでた。正義の味方ごっこをしてたんだよ。他にも何人かいたが、オレはそいつらをただの手駒だと思ってた。オレとあいつで、正義を飾るんだと、それ以外には何も考えちゃいなかった」

「……」

「けどオレたちは負けたんだよ。正義だと思っていたのに、それを悪だと糾弾されてな。あいつはそれを、受け入れちまった。オレはその時、全てが許せなくなったね。だってそれは、オレたちのたった一つの生き方を否定されたようなもんじゃねえか。だから、決めたのさ。あいつがどれだけ、自分の正義を貫けるのか。オレが試してやるってよ」

「……よく、わかんないけど。貴方は間違ってたの?」

 

 ぶちぶちぶち、と鈍い音がした。見れば、椿が缶コーヒーのスチール缶を握りつぶした音だった。椿は一言「おっと」と茶化したような声を入れてから、困ったように笑った。

 

「正義の反対ってなんだと思う?」

「考えたこともなかったけど、なんだろう。正義?」

「……お前やっぱりいい女だな。ただ、それはちょっと違う。この場合の反対は、正義と対抗するものって意味じゃない。正義の対極にあるものの話だ。善と悪だと、善と対抗するのも悪、善の対極も悪って、分かりやすいんだがな」

「ああ、そういう。……答えは分からないけど、貴方は正義の反対になろうとしたの?」

「もうなってるって話だ。だから金を貰えば誰にでも肩入れするし、戦いもする。その在り方が、深紅にとっちゃ許せねえのかもしれねえなあ」

「……正義の反対は、正義を成さないこと、か」

「お、近いぜ。あとは、正義じゃできないことをすれば完璧だ。悪に肩入れしたり、善と共存したりな。今のオレみたいに。……んでよ、結局なにが言いたいかってーと」

 

 椿はおっさん臭く腰を叩きながら立ち上がり、グラウンドに背を向けて。

 

「お前は深紅よりずっとオレに近い人間だ。……オレたちみたいなやつにしかできないことがある。お前が深紅を支えたいなら、あいつに正義の反対を教えてやれ。口で言ってもしょうがねえから、お前の行動でよ」

「確かに、目的のためならお互い何でもする気がするね」

「だろう?」

 

 それだけ言って、椿は客席から去っていく。

 

「もう行くの?」

「ああ、もう試合が見えたからな。見ていても胸糞悪くなるだけだ」

 

 なんだそりゃと思いながら、准は椿からグラウンドへと目を戻した。

 そして、そういうことかと頷いた。

 

 

『ブギウギビクトリーズ、代打のお知らせをいたします。一番増田に代わりまして、バッター、小波。小波』

 

 

「素直じゃないなあ、椿って人も。……正義の反対、か」

 

 その小さな呟きは、ようやく出てきたヒーローの登場に対する歓声に溶けて消えた。

 

 

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

 

 

 なんとか、間に合ったか。

 ようやく遠前山の山頂に辿り着いた俺は、そのままベンチに転がり込んだ。

 ちょうど回が終わった直後のようで、全員がベンチに居る、が。

 

「よーし、オレが出場してやるから今から逆転するぞ!」

「いらないよ。お前今日は出ないはずだろ」

「こんな大差で負けておいてなにわけのわかんないこと言ってんだ? いいからオレに任せておけって」

「よそ者は引っ込んでろ!」

 

 ……おいおい。まずなんで寺門がここに居る。

 そして木川の発言も、寂しい話だ。

 

「そこまでだ」

「キャプテン!?」

 

 割って入ると、権田が驚いたように目を見張る。

 

「お前、どこに行ってたんだ!」

「いつもの妨害だ。すまん」

「すまんってお前……」

 

 本当に申し訳ないとは思う。権田との約束は約束だ。なのに遅れてきたのは俺だ。これではまるで、あの試合を俺がしたがっているように思えてもおかしくはないかもしれない。

 けれど、俺だってそんなつもりはない。

 

「監督、状況は?」

「四点差で負けてて、残り2イニング。ずいぶん苦しいが、これから反撃するところだ」

「了解しました」

「増田に代えてお前を代打で出す。とりあえず塁に出ろ」

「はい。行くぞみんな!」

 

 監督が選手交代の連絡をするのと同時に、スパイクを履いて準備を整える。

 アップは十分だ、走ってきたし。あとは何が何でも塁に出るだけ。

 

「ちぇ、遅れてきたくせに。言われなくてもやってやるよ」

 

 小さく呟かれても、俺には聞こえてしまうんだがな。

 と、そんな古参メンバーを押しのけて権田がやってきた。

 

「……塁に出ろ」

「分かってる。大事な一戦だ。落とすわけにはいかない」

「……事情はあとでしっかり聞かせてもらう。身体に問題はないんだな?」

「ああ」

「……ちっ」

 

 軽く舌打ちして、権田は怒りの表情を引っ込める。

 そして、マウンドに上がったピッチャーを指さして言った。

 

「球速はお前と同じくらい出ている。球種はカーブとフォーク。左腕のオーバースローだ。球威じゃお前の方が上だが、変化球のキレはあちらが上だ。七回を投げ切ってるから、もうそろそろ球が浮いてくるといいんだが……希望的観測だな」

 

 俺と同じくらい球速が出ている、か。

 

「……速いな」

「慣れてる速ささ。三点も取れた」

「言いやがる」

 

 ふ、と権田と小さく笑いあう。

 さあ、楽しもうじゃないか。

 

『ブギウギビクトリーズ、代打のお知らせをいたします。一番増田に代わりまして、バッター、小波。小波』

 

 バッターボックスに立つ。しかし、左投げのピッチャーか。

 久々に相手することになるが、勘が鈍ってないと良い。

 

 球審のコールに合わせて、バットを構える。振りかぶっての第一球はアウトコースへのストレート。155キロ。この球速が八回にまだ出るか。

 

 ストライクのランプが灯る中、ゆっくりと一度バットを揺らす。

 

 左投手相手の慣れは、どうやら鈍っていないらしい。

 

 ピッチャーバルソーの二球目はアウトコースへ逃げていくカーブ。ストライクゾーンから外しに行きたかったのか、それともカウントを稼ぎたかったのかは分からないが……高めに入ってきたこの緩い球は、絶好球だ。散々誰かさんのドロップに苦しめられたことのある俺にとって、この程度のカーブはスローボールも同然。

 

 踏み込み、一閃。甲高い音を立てて弾けたように飛んでいく白球。この手応えなら、もはや走る必要もなかった。

 

 左中間スタンドに突き刺さった打球。

 どっと沸く歓声に応じながらダイヤモンドを回る。

 ベンチに帰ってきて軽く権田とハイタッチ。

 

「お前マジで最初から来い」

「いやほんとごめん」

 

 謝る他なかった。

 

 

 二番河野、三番並木がショートゴロ、三振に倒れ、続く権田が右中間を抜く二塁打。

 あいつもうちょい足が速ければ三塁打になったんだがなあ。

 

 続く青島先生と栗原が連続ヒットで権田が生還するも、菊池が三振してこの回を二点で終える。

 

 5-7。

 

 八回の裏。

 スコアボードを見た時から薄々感付いては居たが、投げる木川は既にガス欠状態だった。

 投球数自体はそこまででもないが……これはきっと権田が最初から打たせて取る方向で投球を組み立てていたからだろう。それでもごまかしきれずに、五回以降は被安打の数が洒落になっていない。

 

「大丈夫だ、木川! この回を乗り切れ!! 頑張るっつってただろう! 特訓を忘れるな!」

 

 センターから見守っていると、内野陣の声かけが妙に眩しく感じた。

 どう見ても木川は限界だ。だというのに、彼から投球の意志は毛ほども抜け落ちてはいなかった。みんなが声援を送り、懸命に投げ続ける。

 

 しかし、それでも球威はどうにもならない。

 連打を浴びて2、3塁。バッターは八番打者。その時点で俺は前進守備を取っていた。

 

 外野も少しは木川を支えてやらなきゃな。

 センターからぽけぽけ様子を見ていると、気づけばフルカウント。

 バッテリーが決め球に選んだのはストレート。インコースに決まるそれに打者が手を出し詰まらせた。

 

 ゆらりと上がる打球。しかし流石にこれはフライとして取れる飛距離ではない。どう頑張ってもおそらく俺の前にぽてんと落ちる。

 なら、センターとしての仕事をこなしましょう。

 

 ちらりと視界の端に映った三塁ランナーはハーフウェイで俺の動向を見守っている。つまりこれは、コーチャーもランナーも、ヒットかフライか判断しかねているということだ。

 

 オーケー分かった。

 "野球"の時間だ。

 

「よし捕るよー!」

 

 セカンド、ショートに対し、俺がフライを取る旨を告げ、さも俺が呑気に取れるフライかのようなスタンスを取る。両手を広げるポーズも取れば完璧だ。

 三塁ランナーは慌てて帰塁しタッチアップの姿勢を取りに行く。

 

 残念、これはこんな当たり損ねのふわついた打球であってもセンター前ヒットはセンター前ヒットだ。

 

 前に落ちた打球を取った瞬間、三塁ランナーは全てを察したらしい。悪態を吐きながら慌ててホームに突っ込もうとするが、流石にそれは許さない。

 

 お前性格悪いなとでも言いたげな権田の顔めがけて一気に肩を振るう。

 

「アウトォ!!」

 

 ブロックに成功した権田が掲げたミットに対し、手を挙げて応じる。

 いいじゃないか、これで三塁ランナー刺せたんだし。

 

「よぉし、キャプテンの肩も上々だ! 抑えるぞみんな!!」

 

 おう、と掛け声を合わせたしかし次の打者。九番と甘くみていたせいか、ライトが頭を越されてあわや複数点を取られる危機に。

 それでもすぐに追いついて一点に抑えると、一塁ランナーを三塁で押しとどめて次の一番をピッチャーゴロに抑えきった。

 

 5-8。

 

 

「さて、最後の攻撃か」

 

 九回の表。最低でも三点、出来れば四点は欲しいという、厳しすぎる条件下。

 ネクストサークルに入った俺は、この回先頭打者の木川のバッティングを見守っていた。

 

 木川が、俺を一瞥する。

 そしてグリップを握りしめると、次の投球に勢いよくバットを振った。

 確かに俺がバッティングピッチャーを務めての練習はしていたが、それでも木川がちゃんとこの球速に当てられるとは。目を見張るも、打球はショートへのライナーコース。

 

 これはダメかと思ったが、ショートの金が打球を弾いた。

 エラーでも、出塁は出塁。木川に頷くと、完全に無視されてしまったが。

 

「一番、センター 小波」

 

 なんかどっかで聞いたことあるなと思ってたんだが、このウグイスさんはもしかして奈津姫さんか? あとで権田に聞いてみるか。

 

 さて、それはそれとしてだ。ノーアウト一塁。これは紛れもないチャンスだ。

 そして上位打線から始まるという僥倖も含め、点数はしっかり取りたいところ。

 

 バルソーの投球を見る限り、組み立てはシンプルだ。

 カーブとフォークを見せ球にストレートで片づける。俺と同じ速球派。

 フォークは権田から聞いた話だとストライクからボールになる傾向が強い。

 そして俺は前の回にカーブをスタンドに放り込んだ。

 そんな相手に、初球からカーブを放るバカはいない。ならば、まず来るのは勿論、

 

「ストレート、ってな!!」

 

 アウトコース高め。警戒してくれたのは結構だが、流石に九回となって球が浮いてきた。

 ライト線に引っ張る低めのヒットで、全力で駆ける。

 いいか権田、このくらいの打球なら、足が速ければ三塁に辿り着けるのだ。

 

「セーフ!!」

 

 塁審のコールと同時、スタンドが湧いた。よし、まずは一点。

 

 二番河野が三振し、しかし三番並木がセカンド方向へ転がる内野ゴロ。

 迷わず飛び出していた俺にセカンドがホームへ投球。間に合うわけないだろ。これで一点。フィルダースチョイスがついて並木は一塁へ。上々の出来。

 

 そして、次のバッターは。

 

「四番、キャッチャー 権田」

 

 ビクトリーズ切っての好打者だからな。

 

「毎回俺が返すより先に帰ってくるんじゃねえよ」

「残塁したくないからな」

「おい、どういう意味だ」

「是非、俺の鼻をあかしてくれ」

「……当然」

 

 バッターボックスに入る権田と軽く言葉を交わし、ベンチに戻る。

 権田への声援が、ベンチの内外から響いていた。

 

「あいつは、商店街の代表みたいなところがあるからな」

「ならなんであいつにキャプテンをやらせなかったんです?」

「……あいつは、責任には強くないと思ったからだ」

 

 歓声に包まれた中で漏らした佐和田監督の発言に反応した。

 実際、あいつがキャプテンになっていればと思ったのは一度や二度の話ではない。

 けれど。

 

「権田は、良い捕手だ。投手のために何かが出来る。だが、その手で誰もを助けられるような器ではない。お前の方が向いている。それだけだ」

「そんなことないと思いますけど」

 

 だって、ほら。響き渡った快音と、二塁上でガッツポーズをするその姿に、ベンチの仲間がこれほどに沸き立っているのだから。

 

 三番の並木がこれで生還し、同点。

 

「さて、私も頑張りますか」

 

 隣に座っていた青島先生が、ネクストサークルに向かっていく。

 

「小波くん」

「はい?」

「私はね、貴方が来てくれたおかげでチームが良くなったと思っていますよ」

「……そう言って貰えると、嬉しいですよ」

 

 五番高野が犠牲フライで、権田が三塁に進塁した。

 続く六番が青島先生。バルソーの速球を、正面から打ち返したセンター返し。

 これで権田が帰ってきて逆転した。爆発的な声援がグラウンドを包み込む。

 

 ……ああ、なんだか良い空気だ。

 

「よっしゃ、見たか小波! 鼻を明かしてやったぞ!」

「ああ、本当にな」

 

 野球って、楽しいなあ。

 

 バルソーが降りるも、七番栗原がさらに連打。1、2塁。しかし八番の菊池がサードゴロに倒れてここで回が終わる。あとは抑えるだけだ。

 

「クソ、僕も打てたのに」

 

 ネクストから戻ってきた木川は一人不貞腐れていたが、ピッチャーグラブを握って出ていこうとして……監督に引き留められた。

 

 まあ、流石にスタミナが限界だろうしな。

 

「まだ投げられますよ、監督!!」

「一点もやるわけにはいかない状況だ。他の投手の調子も悪いからお前に投げさせていたが、小波が戻ってきた以上は小波に投げさせる。いけるな?」

「ええ、俺は大丈夫です」

「でも! 僕は完投して――」

「それはもっと走りこんで体力をつけてから言え」

 

 ぐずついていた木川だが、それでも監督の言に逆らえはしない。

 外野用のグラブを握って、ライトへと回った。

 

「……こっちに球が来たらわざと送球を遅らせてやる」

 

 ……だから、聞こえてるんだってば。俺には。

 

 

 

「守りますブギウギビクトリーズ、守備位置の変更をお知らせいたします。ピッチャーの木川がライト。ライトの河野がセンター、センターの小波がピッチャー。以上に代わります」

 

 

 

 マウンドに上がると、権田が声をかけてきた。

 

「さて、三人で終わらせるぞ」

「ああ。リードは任せた」

「お前のリードは気が楽だ。何せ適当でいい」

「おい」

「冗談だ。でも、信頼してるってこった」

 

 どん、とミットで俺の胸をどつくと、権田はそのまま守備位置へと歩いていく。

 まったく、そう言われちゃ俺もやるしかないじゃないか。

 

「プレイ!!」

 

 俺の投球数は、たった九球。全球ミットに吸い込まれて、試合が終わった。

 

 

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

 ブギウギビクトリーズの勝利に終わったベンチ裏で、不貞腐れた寺門に深紅が絡まれている間。古参メンバーたちは、いつもよりも数倍の元気で勝利の味に酔っていた。

 

「別にキャプテンが居なくても僕たちだけでも勝てたさ」

「でも助っ人なしでも結構やれるもんですね」

「当たり前さ!! これから先もずっと!」

「今度はあのキャプテンが居なくたって勝てる!」

 

 口々に、そうしてお互いを称え合うビクトリーズ。

 

「……」

 

 権田は、一度誰も居ないマウンド上に目をやって。

 

『次の試合は、お前以外の助っ人無しでやることになる。そこで、あいつらが自分に自信を持って、助っ人たちと仲間意識を保てたら……』

 

「権田さん! やりましたよ僕たち! これでビクトリーズは――」

 

 あれこれ言う古参メンバーを押しのけて、深紅の前へとやってきた。

 

「おい、小波」

「ん?」

「お、なんだ権田、テメエ兄貴に何か――」

 

 権田の後ろには、多くの古参メンバー。

 深紅は少し目じりを下げて、自嘲するように微笑みながら寺門を制した。

 

「これではっきりした。お前たち助っ人を、俺たちはもう必要としていない」

「そうか。分かった。……次に会う時、俺はお前たちの前に立ちはだかろう」

 

 寺門が何か言うより先に、深紅は寺門を連れて外へと出て行く。

 古参メンバーが権田を讃えて一斉に沸いた。

 振り返り、拳を振り上げて権田は叫ぶ。

 

「さあ、ビクトリーズはこれからもっと強くなるぞ!!」

「おー!」

 

「今日は祝勝会ですね!」

「久々だよ、こんなに気分が良いのは」

「ええ、まったく。助っ人どもに見せつけてやりたい」

 

「……あれ、権田さんどこに行くんですか?」

「ちょっとトイレだ。すぐ戻る」

「はい! あとでうちの酒屋からケースでビール持っていきますよ!」

 

 その歓声を背に、権田は一言断ってベンチを後にする。

 

 胸を張って、歩く。グラウンドを抜けて、山の雑木林まで辿り着いて。

 夕暮れの暗闇の中。

 

 

 鈍い音を響かせて、山の木が一本大きく揺れた。

 

 

 

「クソッ!! クソッ!! クソが!! どうして、どうしてこうなるんだ!!!」

 

 

 

 その声を、誰も耳にすることはなく。




※ハーフウェイとは、特殊な状況下(多数例有り)において、ランナーが取る、塁と塁のちょうど中間で待機する状態のこと。決してウェイとオタクの間に生まれたハーフのことではない。

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