風来坊で准ルート【本編完結】   作:しんみり子

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《旅ガラスのうた》V――後

ビクトリーズ     ビクトリーズ

1小波  投     1坂本 中

2ピエロ 二     2河野 左

3寺門  捕 [プレイ] 3並木 三 

4ムシャ 左 作動能力 4権田 捕

5カニ  一 やめる 5増田 右

6青島  遊     6高野 二

7菊池  中     7栗原 遊

8奈津姫 三     8南野 一

9カンタ 右     9木川 投

 

 

 

《旅ガラスのうた》V――ブギウギビクトリーズ――

 

 

 

 

「ストライク!! バッター、アウト! チェンジ!!」

「くそっ……!」

 

 深紅のストレートがミットに突き刺さった。

 僅かに下を振ってしまった木川は、そのバットのヘッドをホームベースに叩きつけて気炎を漏らす。けれどその目から闘志は消えておらず、必ず勝つという気概が感じられた。

 

 深紅は一つ息を吐くと、帽子をかぶり直してベンチへと引き上げていった。

 

 

新1012

古2101

 

 

「三番、キャッチャー――寺門」

 

 この回の先頭打者は寺門だった。レガースの着脱を仲間に手伝ってもらい、意気揚々と木製バットを握って飛び出していく。

 兄貴に迷惑をかけている分、このバットで返してやる。そう心に決めた寺門はしかし、素振りの途中で苦悶に表情を歪めた。

 

「っ……」

 

 実際、寺門はよくやっている。

 小波深紅という投手は、本人が思っている以上に恐るべき投手だ。比べる相手が悪いというだけで、殆どの草野球チームでエースを張れることは間違いない。速球にして剛球というのは、ただそれだけで強いのだ。

 

 そんな男の投げる球をノーサインで受けることの難しさ。

 度胸と根性、そして凄まじい反射神経を持ち合わせている寺門でなければ、この大任は受けることが出来なかったと言っていい。

 

 ただ、寺門には投球の組み立てに関するいろはが無かった。

 野球をもっと勉強してさえいれば、自分も楽に捕球でき、深紅に余計な思考をさせることもなかった。

 

 その自らの短所に、まだまだ鍛錬不足であることを突き付けられて。

 

 気付けば左手は真っ赤に染まり上がっていた。擦過傷と打撲跡、度重なる捕球で痛めたその手のひら。

 

 バットを握るだけで痛みが走る。

 けれど、それでも。

 

「オレはもっと野球がしたい! 兄貴と、みんなと」

 

 ぐっとバットを握りしめ、打席に立った。

 するとちょうど権田がマウンドから戻ってきたところで、ふと目が合う。

 

「……あんた、いつも兄貴の球を受けてたんだな」

「……ああ」

「舐めたことばっか言ってて、悪かった。あんた、すげえよ」

 

 珍しく、本心からの言葉だった。

 目を丸くした権田は、しかし少し表情を綻ばせると。

 マスクを被って、首を振った。

 

「俺だけじゃねえよ。みんな自分なりに頑張ってんだ。野球だけで言ったら、そりゃ腕がものを言うかもしれねえけどよ。みんな、店とか職場とか、自分の大事なものを守るために戦ってる。それが尊いとは言わねえよ? だから強くなれるとも言わねえ。けど、頑張ってることは覚えておいて欲しいんだ」

「……あんた、もしかして最初から俺たちにそれを伝えるために」

「さ、折り返しだ。楽しんでこうぜ、野球をよ」

 

 パン、とミットに拳をぶつけて。

 権田は両手を振り上げ叫んだ。

 

「さあ五回だ!! 締まっていくぜ!!」

 

 おー、と外野からも届く気迫の籠った掛け声。

 寺門は小さくヘルメットをかぶり直して、目を閉じた。

 

「プレイ!」

 

 マウンド上の木川が頷き、ワインドアップから投球モーション。

 第一球のストレートがアウトローに決まる。

 

「ストライク!!」

 

 息を吐いて、深紅と同じようにバットを揺らした。

 ただ深紅の真似をしているだけだったが、案外これが集中と休憩の切り替えに役立つのだと最近知った。

 寺門に対する投球は、徹底してストライクゾーンぎりぎり。ボール球も多いが、ストレートとスライダーでの緩急が主だ。フォークやシュートが投げられることは殆ど無い。

 

 これに関して、深紅は「お前なら変化球は持ち前の反射神経でアジャストして吹き飛ばせるからだろう」と言っていた。

 タイミングを外されることだけに気を付けて振ればいい。

 

「ボール!!」

 

 スライダーがボールゾーンへ逃げて行った。

 これもあわよくばストライク、といった感じの投球だろう。

 

「野球を楽しもう、か」

 

 深紅もよく言っている気がする。

 ぐっとバットを握りしめ、息を吐く。

 パスボールに対する責任感や、この試合結果如何での今後。

 それらを一度忘れよう。

 

 そしてただ来たボールを打つ。それで良いじゃないか。

 

 木川の一投。

 低めに切り込んできたストレート。

 

 響き渡る乾いた音。寺門はそのまま走り出した。

 セカンドの脇を超えて飛んでいく痛烈なライナー性の打球は、右中間を貫いて迸る。悠々セカンドに辿り着いた寺門は、感情のままにベンチへと手を振った。深紅を始め、皆が湧く中で。

 たとえこの手がどれだけ痛もうと、打てて良かったと微笑んだ。

 

 その直後のことだった。

 

「寺門の心意気、受け取った。ムシャも続かねばならんな。……償いのためにも」

 

 四番ムシャの鋭い一閃は、大きくアーチを描いてスコアボードに直撃した。まるで初回の深紅のような打球に、寺門は不満げに眉をしかめる。

 

「ちぇ、オレが活躍したところだったのに!」

「それはすまんな。だが、ムシャとてここで野球を終えたくないのだ」

「……それは、オレもだよ。ま、せいぜい楽しむとするか!」

「……ああ」

 

 これで二点を獲得した助っ人組。

 木川はボールを弄って少し精神を落ち着かせているようだが、まだまだ闘志は薄れていないらしい。

 助っ人の打線が強力であることは織り込み済みだ。悔しくはあるが、試合に勝てればそれでいい。そう言わんばかりの彼の意地は、ある意味で投手向きの強さと言えた。

 

 そして、その強さが備わっていない者もいる。

 

「五番、ファースト――カニ」

 

 打席に入った奇怪な見た目の男は、しかし根はやさしい青年だった。

 

「その……権田さん。僕たち、何か悪いことしたカニ……?」

「集中しろ。俺たちが負けたら、お前らに従う」

「従うとか、そういうのじゃなくて。仲間じゃなかったのカニ!?」

「……」

 

 カニの言葉に、権田は無言でミットを構えた。

 

 ……正直なところ、この試合で得るべきものをカニは既に持っている。

 だから、彼に関してはとばっちりも良いところなのだが……むしろ、カニの場合は逆だった。こんな奇妙な見た目でも、とても良い奴なのだと。それを、古参に伝えるため。

 

 だからこそ、敢えて権田は突き放す。

 

 木川が投球モーションに入り、ストレートを叩き込む。

 挑発交じりのど真ん中だ。

 けれどそれにカニは反応出来ない。

 

 次のスライダーも。そして、とどめのフォークも。

 

「ストライク、バッターアウト!!」

 

「……権田さん」

「本気でやれと、小波は言ってなかったか?」

「言ってたけど! ビクトリーズで楽しく野球がしたいだけなのに、なんだってこんな……」

「戻れ、次の打者が来る」

「ッ……」

 

 とぼとぼと、カニはベンチへと戻っていった。

 

 続く青島がサードゴロ、菊池がファーストライナーで、この回は幕を引く。

 

 

 その裏。

 

「しっ」

 

 深紅から放たれる剛球に、またしてもビクトリーズの上位打線は誰も手も足も出ずに三者三振に切って取る。アベレージヒッターを揃えているとはいえ、それでも剛球の前ではあまりに無力だった。

 

 問題は、むしろ――

 

 

新10122

古21010

 

 

 

六回の表。

 

「ストライク! バッター、アウト!」

 

 インハイに叩き込まれたスライダーに、奈津姫は小さく笑みをこぼした。

 

「容赦ないねえ、正男」

「容赦したら負けちゃうだろうが」

「……へえ。負けちゃう、か。いいんじゃない? 次の打席はぎゃふんと言わせてやる」

 

 バットを担いでベンチへ戻る奈津姫は上機嫌で、権田も気合を入れ直す。

 次のバッターはカンタだ。

 さっきは釣り球でピッチャーフライに処理した。次もこの方法で行こうと木川にサインを送る。

 

「宜しくお願いします!」

 

 ヘルメットに手を当てて、一丁前に打席に入ったカンタ。

 すっとバットを回す仕草は誰かに似ている。

 

 さあ、第一球だ。さっと振って、もう一度ピッチャーフライに――

 

 しかしカンタのスイングは思いのほかしっかりしたものだった。

 

「アウト!」

 

 結果はライトフライ。

 けれど、外野が前進守備を取っていなかったらきっとヒットになっていた。120キロのスライダーにしっかり当てた子供に、権田は手を乗せて笑う。

 

「やるな」

「アウトになったら意味ないでやんす!」

「はっはっは、じゃあざまあみろ」

「なんだとー!!」

 

 微笑ましいやり取り。

 試合中にどうなんだと思うこともあるが、息抜きは大事だと権田は考えていた。木川もふっと脱力したようにこちらを見ている。

 休みは大事だ。

 

 何せ。次のバッターは。

 

「一番、ピッチャー――小波」

 

 今日3-3のラスボスなのだから。

 

 

 木川の調子は俄然良い。それでも抑えられていないのは、助っ人陣がそれだけ強力な打線であることと、キャッチャーである権田の力不足であると考えている。

 

 ――とはいえ、木川の持ち球は深紅と同じシュートとフォーク、そしてスライダー。多少木川の方が変化量が大きいとはいえ、二人に共通して言える弱点は緩急の付け辛さ。

 

 そこを剛球で補う深紅と違い、木川の球速は相手打線にとっては打ちごろだ。球速によって一番差がつくのはフォークボールだ。回転で露見するフォークボールは、球速でゴリ押せるかによって決め球に使えるものかどうかが大きく変わる。その点で、木川のフォークには球威がない。

 

 それを念頭に入れて戦うとなると、やはり相手としてこの助っ人たちというのは脅威的だった。

 

 権田はまず、野手用サインで内野を下がらせた。

 ツーアウトランナー無し。この状況で深紅と戦えるのは都合がいい。

 最悪ホームランさえ避ければ良いのだ。組み立ては多少楽になる。

 

 一球目は定石通り、低めにストレート。

 これを狙われているとたまらないから、そもそも外す。

 と、耳元でバットが空を切る。

 

「ストライク!!!」

 

 ――僥倖だ。深紅のスイングが空ぶったことで、木川の表情に少し余裕が出来た。ホームラン、二塁打、三塁打。そんなふざけたバッティングをされている男の空ぶりは、木川に勇気を与えてくれたに違いない。

 

 あとは、何故今のをスイングしたか。

 低めのストレートを読んでいたからこそ、つい手が出たのか。

 それとも、わざと空ぶったのか。

 バットは僅かに上を振っていた。タイミングは合っていた。

 ならば。

 

 送るサインはスライダー。低めに、ボールゾーンへ。

 ストライクになっても良い、くらいの気持ちで。

 木川は頷き、投球する。

 

 く、とバットが動くも、止まった。

 

「ストライク!!」

 

 上手くタイミングをずらせたか。

 フォークで処理しようとすると安直すぎるが、ここは三球勝負。

 飛ばされなければいい。ストレートを低めに要求する。

 

 頷いた木川が投球モーションに入り、ボールを放ろうとした、その時だった。

 

 権田の目の前に、バットが寝かされた。

 

「なに!?」

 

 こん、と軽い音を立ててサード方面にボールが転がる。

 誰一人警戒していなかった。慌てて権田が取りに行き、ファーストに向かって放るも、既に深紅は駆け抜けた後。

 

 塁審のセーフコールに、権田は額にミットを当てて空を仰いだ。

 

「何でもありかよ、あの野郎」

 

 ツーアウトのこの状況だからこそのプレイだろう。

 完全にセーフティバントの可能性を刻まれた。

 権田はともかく、木川にとってはこれ以降"セーフティもある"という新たな脅威が生まれてしまった。本当に、本当に小波深紅というプレイヤーの万能振りには呆れてしまう。

 

「どこのイチローだお前は」

 

 動揺している木川の元に駆け寄り、バッター勝負することを伝える。

 ホームに返さなければいい。

 あからさまに大きくリードを取っている深紅を、権田はひとまず無視することにした。盗塁上等、その間に打者からアウトを貰う。

 

 二番のピエロが打席に入る。

 要求はスライダー低め。だが、気持ちどこでもいいくらいに軽く投げさせる。

 

「ストライク!」

 

 びしっと低めに決まってきた。コントロールは鈍っていないらしいが、若干球速が落ちてきたことを確認する。次はストレート。外角。

 

「ストライク!」

 

 困ったように目を閉じるピエロを見て、いい具合にタイミングを外せていることを確認し、フォークを要求した。

 

「ヴヒャッハーイ!」

「ストライク!! バッターアウト! チェンジ!!」

 

 三振に切って取ったことに内心で安堵しつつ木川を見れば、彼も同じのようで。お疲れさんと一言入れると、照れ臭そうに頭を下げた。

 

 

 その裏。

 残塁した深紅が、ネクストに居た寺門のレガース装着を手伝っていると、彼の手が真っ赤に腫れていることに気が付いた。

 

「おい、その手……」

「大丈夫だよ兄貴。権田のヤツに負けられねえからな」

「そうは言っても」

「……勝つんだろ?」

「……ああ、わかった」

 

 重々しく深紅が頷くのと、寺門が笑みを見せるのはほぼ同時。

 二人してマウンドとキャッチャーボックスに向かうと、勝負の相手は四番権田。

 

 寺門はミットをどっしりと構えているが、ここで深紅は思考した。

 ストレートをきわどいところに放るのは流石に寺門への負担が大きい。

 なら、一球目は――フォーク。

 スプリット気味に微小な変化をする自身のフォークで打たせて取る。

 

 だが、それは。

 

「――さっきの寺門の表情。二人で出てきたグラウンド。それだけあれば、小波が少し気を遣ってストレートを捨てることくらい想像がつく」

 

「小波の球種なら、気持ち下を振れば変化球には当たるんだ」

 

「フォークとはまた随分――俺を打たせて取ろうなんて舐めたことをしてくれた!」

 

 快音。

 

 夕焼け空に吸い込まれていった打球は、ほどなくして鈍い音を立ててスタンドで跳ねた。

 

 ダイヤモンドを回る権田は、小波と目を合わせて言い放つ。

 

「本気でこいよ、小波」

「初回の当てつけか?」

「まさか。御礼と言って欲しいぜ」

 

 ベンチへ戻る権田を見て、深紅は少し帽子を整えた。

 この回を抑えれば、電視に継投するのも悪くない。

 五番増田は高めのストレートに手を出してセカンドゴロ。しかし、六番高野がぼてぼてのサードゴロを内野安打に変えてしまった。

 

 そしてゲッツ―を取るつもりで釣ったシュートを栗原が器用に受けてライト前。

 権田がベンチでガッツポーズしていたところを見るに、変化球狙いで完全にやられてしまったのだろう。

 寺門が駆けよってきて、三振勝負で構わないと言ってくれたことに頷くと、八番南野は低めのストレートで三球三振。

 

 そして次の打順は、九番木川。

 

 1、2塁なら内野ゴロにするのが最適解と踏んで、初球に深紅はフォークを低めに叩き込んだ。だが、そこで寺門が後逸してしまう。

 

「……すまん、兄貴ッ! 本当にすまねえ……!!」

「良いって。ノーサインで、お前は本当によくやってくれてる」

 

 しかしこれで2,3塁。一応木川はスイング判定で1ストライク。

 マウンドの土を固めて、正対する。

 木川は深紅を睨むように見据えており、自身が投手であろうとこのチャンスをものにするという気概が感じられた。

 

「……三振、取りに行くか」

 

 直前にフォーク。決め球をストレートにするなら、ここはスライダーを。

 振りかぶって、リリースする瞬間に気づいた。スライダーの引っかけが上手くはまっていない。

 

「しまっ――」

 

「う、おおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 棒球と化した中心付近への、まごうことなき失投。

 それを見逃すほど、木川の集中は散らされていなかった。

 振り抜く。所詮は下位打線の打球とはいえ、見事にライト前へと飛んでいくその球。2アウトということもあって走り出していた2、3塁のランナーが帰還する中、木川自身も一塁の上で吼えた。

 

「見たか!! これが僕たちの実力ッ……」

「セーフ」

「ん?」

 

 既に一塁をふんで少し時間が経っているというのに、何故今更セーフコールがかかるのか。気付けば、カニがちょうどボールを捕球したところだった。投げた元は――ライト。

 

「……ごめん、おじちゃん。まにあわなかった」

「どんまい。しょうがないさ。頑張っていこう」

「……うん! オイラ、頑張る! 絶対、おじちゃんたちを追い出させたりしないよ!」

 

 それだけ言って、カンタはライトの定位置まで戻っていった。

 ぼうっとその背中を見送っていた木川は、小さく呟く。

 

「……なんで、商店街のヤツでもないのに応援できるんだ?」

「木川さん。好きな球団ありますカニ?」

「え? んー、強いて言うならホッパーズだけど。なんだよ、敵に話しかけるなよ」

「ホッパーズに今年から移籍してきた他の球団の選手、嫌いカニ?」

「………………いっしょ、なの? それと、これは」

「少なくとも、応援してくれてる商店街や、ファンの人たちはそうだと思ってるカニよ。それを、町内会とか、木川さんたちが違うと思っていたことが、寂しいカニ」

「っ、それはお前らが!」

 

「ストライクアウト!! チェンジ!!」

 

 コールがかかって、守備が引き上げていく中。

 カニは、名残惜しそうに一度木川を振り返った。

 

 

 

新101220 

古210103

 

 

 

 七回の表。先頭打者の寺門は、レガースをがっさがっさ外すと意気揚々とバットを握ってやってきた。痛みもある。六裏の三点の責任もある。けれど、だからこそ先頭打者としての仕事を果たそう。

 そう心に決めた寺門は強かった。

 何か悩んでいそうな木川から投じられたのは、高めのストレート。

 あまりの絶好球に、寺門は半ば反射で手を出した。

 

 三遊間を突き抜ける痛烈な当たりは、1バウンドしてレフトが捕球。

 綺麗にヒットで飛び出した。ベンチに手を振れば、深紅もしみじみと頷いていた。

 

 続く四番のムシャも、低めに投じられたスライダーを掬い上げるような大きい打球。ライトの頭を超えるヒットに、寺門は一気に三塁へ。流石にバックホームとは行かなかったが、それでもノーアウト2,3塁のチャンスだ。

 

 そして、五番のカニ。

 

 木川を励まして戻ってきた権田は、しょぼくれた表情をしているカニにたった一言告げた。

 

「野球しようぜ」

「権田さん。これからも、みんなで楽しく野球がしたいカニ」

「勝ったら考えてやる」

「っ」

 

 ぐ、とグリップを握りしめたカニを見上げて、権田は少し笑った。

 勝つと言っておきながら、何を相手に発破かけているのだか。

 

 けれど、それもまた一つ楽しくなっている自分が居る。

 全力の相手と勝負できるのも、また野球の楽しさだ。

 

 サインのコールは低めのストレート。振りかぶった木川が、見事なコースに放った瞬間だった。

 

「もっと――」

 

「もっと権田さんたちと野球がしたい!!」

 

 痛烈な当たりはセンターの頭を超える長打。

 大きな声援と共にカニは二塁へ。

 

 寺門とムシャが帰還したところでマウンドに駆け寄ると、木川はどこか吹っ切れたような表情をして立っていた。

 

「……ごめん、権田さん」

「謝るな。今の球は決して」

「気持ちで負けたんです。こいつに打たれても良いかなって。……でも、もう大丈夫です。楽しんで、いきます」

「そうか」

 

 その後、六番青島をゲッツーに、そして菊池を三振に取る見事なピッチングで木川はこの回を終えた。

 

 

 

「頼む、兄貴!!」

「だが、お前のその手じゃもう」

「あと一回で良い。あと一回でいいんだ!」

 

 懇願する寺門の手は既にボロボロだ。拳法家にあるまじきその痛々しい手を見せられて、頷けるほど深紅は無感情に勝利を目指すことは出来なかった。

 

「あと10球。頼むよ。オレは、権田たちを甘く見ていた。けれど、それを認めるにしたって、こんな情けない姿は見せられねえ。だから頼む」

「……10球。だけだ」

「ああ、必ずだ!」

 

 それは、深紅にとっても全球ストライク宣言に他ならなかった。

 

「――少し、聞いておけ。この回は……」

 

 マウンドに上がると、打順は二番の河野から。

 そこで深紅は、帽子に手をやった。

 

 寺門のミットが、少し低めに降ろされる。

 

「ストライク!! スイング!」

 

 フォークボールがベース上にバウンドしたのを、しかし冷静に寺門は処理した。

 

「っ……」

「どうしました、権田さん」

「いや……」

 

 ベンチの方で権田が小さく顎に手を当てた。

 

 深紅は続けて、土を二度踏む。

 寺門の表情が引き締まった。

 

「ストライク!!」

 

 ストレートがインハイに突き刺さる。

 

「ナイスボール!」

 

 返球を受けた深紅が軽く受け取り、ロージンバックを軽く撫でたあと、もう一度土を二度踏んだ。

 

「ストライク!! バッターアウト!!」

 

 三球三振。

 河野が戻ってくると同時に、権田はネクストへ出て行く。

 

「……権田さん、どうしたんですか」

「最初のフォークの前、小波は何かしていたか?」

「さあ……いや、特別なことは。あ、帽子を触っていた気はしましたが」

「……よし。ありがとう」

 

「ストライク!!」

 

 マウンド上の深紅は、三番並木に対してもすさまじい球威のストレートで翻弄していた。高めに浮いたかと思ったそれはしかし、それでも下を振ってしまうほどのノビを見せつける。

 

 続いて深紅は軽くロージンに触れ、そのまま投球モーションに入った。

 

「ストライク!!」

「……あれは、スライダーか」

 

 なるほど、と権田は頷く。

 

 最後に土を二度踏んで、深紅は低めに剛速球を投げ込んだ。

 

「ストライク! バッターアウト!!」

 

 戻ってくる並木の肩を叩きつつ、権田は一度目を閉じる。

 

「なるほどな。初球にフォークさえ投げてなきゃ、一回は持ったかもしれねえぜ」

 

「四番、キャッチャー――権田」

 

 深紅は軽く息を吐くと、土を二度踏んだ。

 そして、勢いよく放たれる――

 

 ばきゃ、と鈍い音がして木製バットが折れた。

 

「なに?」

「ファール!!」

 

 バットを変えて貰いながら、権田は少し考える。

 タイミングは完璧だった。だというのに、折れたのは何故だ。シュートしていたのか?

 

 ――一球、待つか。

 

 深紅はそのまま、帽子に触れた。

 そして投球。

 

「ストライク、ツー!!」

「……フォーク」

 

 "何か読み違えたか"?

 

 そんな思いが脳裏をよぎるが、そこでしかし権田は気づいた。

 

「ふう」

 

 深紅は軽く息を吐いて、帽子を弄る。

 

 ――前二人の時にはしていなかった、一呼吸。

 それもサインなのか? だとすれば、先ほどは土を踏んでからシュート。

 ストレートをシュートに変更するサインだとすれば、今回は帽子を触ったという時点でフォークはない。スライダーかストレート。

 

 ……相当、俺を警戒してくれているのだとしたら。前二人へのあからさまな投手サインも、俺に読み違えさせるための細工だとしたら。

 そして、寺門が既に投手サインを使わなければならないほど捕球に困っているのだとしたら。

 

 そう、一瞬で権田は推理を重ねる。

 

 

 投げるのは、自分の最も自信のある球のはずだ!!

 

 凄まじい快音と共に、ストレートがはじき返された。

 それは投手めがけての直撃コースとなり――

 

「アウト!!」

 

 グラブで掴み取るように腕を振るった深紅によって捕球される。

 

 権田はその結果を受け止めて小さく笑うと、寺門に小さく呟いた。

 

「今度、投球の組み立てとキャッチャーのいろはを教えてやる」

「え?」

「あと、捕球の時はもっとミットの角度を地面と垂直にすることだ。手首を柔らかくすりゃ、痛みは少なくなるだろうよ」

 

 

 それだけ言って、バットを担いで戻っていく。

 

 その背中に、深紅は笑って呟いた。

 

「なんで一回で全部読み切るんだあの野郎」

 

 

新1012202

古2101030

 




終わると思った? 終わらなかったよ……。二万字以上試合やってる……。
准ルートのおまけに過ぎないくせに、なんか深紅VS権田みたいになってる……。
次回、旅ガラスのうたV――終は書きあがり次第。たぶん明日。遅くても明後日。そろそろまた原稿が来そうなので、それまでに次の章も終わらせたいなあ。

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