風来坊で准ルート【本編完結】 作:しんみり子
神田カンタという少年にとって、野球というスポーツは最も身近な"勝負事"であった。父親はビクトリーズのキャプテン、母親はソフトボールの花形。父親こそすぐに他界したものの、ブギウギビクトリーズは常に彼の隣にあった。
父亡き後も中心になっていた捕手の権田正男と母親の距離が近くなったのもその大きな要因と言えるし、河原にふらりとやってきた男が野球がちょっと上手なおじちゃんであったことも一つのファクターだ。
もっと野球を感じたくて、カンタはいつしか権田正男から野球を教えて貰うようになっていた。
四番でエースが将来の夢、などと言ってみてはいたものの、所詮は野球をよく知らないままに吐いた子供の妄言だ。少しずつ野球を自分でやってみるうち、自然に自分が一番やりたいもの、一番なりたいものを探し始めることが出来て。
小学校でも野球をやり始め、仲のいい野球友達も増えた。
ライバルと呼べるような、カンタと同じくらい野球が得意な子もいたせいで、カンタはますますのめりこんだ。
そして、自分のなりたいもの、憧れの欲求、憧憬の在り処を知ったのだ。
『ナイスボールだ、小波。次も三振で頼む』
『お前がこの裏で一点入れてくれたら少しは気合も入るな』
『なんだとこの野郎。見てろよ』
『よっしゃあ、スリーランだ、どうだ見たか』
『よし、リード宜しく。このままノーノ―で押し切ってやる』
『へっ、口だけじゃねえだろうな』
『あ、すまん失投した。……大丈夫か?』
『なに、それを受け止めるのも俺の仕事だ。次もこのくらい良い球投げろよ』
『ああ。バットへし折ってやる』
――憧れた。
どの試合も見に行った。その度に学校や宿題をほっぽり出して駆けつけた。
あの二人が勝つのを見る毎に胸のうちが焦がされるような思いが身体の中を奔り抜ける。
自分も戦いたい。自分も、野球で凄いことがしたい。
そして、見るうちに二人の選手への憧れが、別種のものであることに気が付いたのだ。
おじちゃんと野球がしてみたい。
おっちゃんみたいになりたい。
ああそうか。
神田カンタという少年は、エースでも四番でもなく。チームの要に、エースの柱になりたいのだとどうしようもなく自覚した。
『お、キャッチャーになりたいのか。渋いな』
『ならまず足腰と、体幹だ。鍛えればおのずと強打者にもなれる』
『まだまだ子供だからな、筋トレよりもきちんと慣れを身に着けることだ』
『成長する身体に慣れ続けながら、目や頭脳を野球に慣れさせていく。それこそ、小波の投げたボールがフォークかスライダーかシュートかストレートか、一瞬で分かるようになるくらいに』
権田と一緒に練習した。いっぱい色んなことを教えて貰った。
全ては小波と一緒に野球がしたいから。
そうして練習を続けていると、疲れて倒れた時に権田はカンタに問いかけた。
『どうだカンタ。野球は楽しいか?』
ぜえはあ息を上げながら。
それでも笑顔で頷いたのを、覚えている。
八回の表。先頭は八番、サード神田。
見惚れるほどしっかりした下半身と、最も効率よく力を使える理想的なスイングで快音が鳴り響く。一塁に辿り着いた彼女は、鼻で笑いながら木川に吼えた。
「今のあんたじゃ、全然力がこもってないよ!」
「うるさいなあ! ……僕たちは間違ってないはずなのに……くそっ」
「本当に間違ってないのかい?」
「っ……だって、ここは僕たちの商店街で」
「あたしのチームのみんなも、商店街の仲間だ。これはブギウギ商店街の草野球チーム、ビクトリーズの紅白戦だよ」
「うるさい!! そんなこと、"もう分かってるんだよ"!!」
くそ、と木川は目線を切って、バッターに正対する。
九番ライト、神田カンタ。
まっすぐにこちらを見据え、バットを構える彼に、木川は目を閉じた。
木川の息は既に荒い。この数か月、がむしゃらにスタミナは着けてきた。完投させてもらえなかった悔しさをバネに、これまで以上に練習を重ねてきた。特訓に特訓を積み上げて得た、九回を投げ切るスタイル。権田と一緒に考えた打たせて取る戦法。
その全てをぶつけてなお刻まれた失点9。
どれほど助っ人が強いのかを木川に突き付ける大きすぎる数字。
ああ、強いなあ。本当に。
勝ったらどうとか、負けたらどうとか、全てを忘れて木川は腕を振り上げる。
負けたくないなあ……!!
「ストライク!!」
「……いい球だ。疲れてるかと思ったが」
「九回投げ切るって言ったでしょ、権田さん」
返球を受け取りながら、帽子を取って汗をぬぐう。
負けたくない。負けたくない。その意志だけで、今は十分だ。
だからとりあえずカンタをアウトにして――
その一瞬の気のゆるみが、小学生と侮ってしまったことが、大きすぎる代償を生んだ。
「……権田のおっちゃん。おいら、権田のおっちゃんとおじちゃんが仲良しなの知ってるでやんす。いつもいつも試合を見ていたでやんす。おいら、おっちゃんみたいになりたい。おじちゃんと一緒に野球がしたい。だから」
「ここでおじちゃんに居なくなられたら、困るんだ!!」
前進守備の外野が楽に取れるフライ。これがカンタの限界だと、権田は考えていた。
週に四日は一緒に野球の練習をする仲だ。権田も優秀な捕手である以上、カンタのスペックはしっかり図り切っていた。
そのはずだ。
けれど、今にして思えば権田も甘くみていたのかもしれない。
子供の成長と。そして、どれだけ権田と小波のバッテリーを、彼が大好きだったのかを。どれだけ野球を愛していたのかを。
「ライト!!」
マスクを外して叫ぶも、ライトの頭を超えるヒットとなる。球の勢いこそないが、十分二塁に回れるくらいの長打にはなった。
前進守備を取っていなければ、せいぜいがただのライトフライだったであろう打球。
「ホームバック!!」
ライトの捕球に合わせ、ライトから直接ボールが飛んでくる。
ワンバウンドでキャッチするも、既に奈津姫はホームベースを踏んでいた。
「自慢の息子だよ」
「……カンタのヤツ、無理しやがって」
すれ違いざまに交わす言葉。
けれど、そこにコールがかかった。
「サード!!」
「なに?」
見れば二塁を蹴ったらしきカンタがとてとて走っている。
小さく笑って、権田は本気でサードに球を放った。
「アウト!!」
「流石にそれは舐めすぎだ、カンタ」
「あの当たりなら、おじちゃんは三塁打にしてたでやんす」
「それはお前が成長したら、な」
ああ、本当に。子供の成長は早い。
《旅ガラスのうた》V――ブギウギビクトリーズ―
木川は少し凹んでいた様子だが、気を取り直したように頬を叩くと権田に向かって頭を下げた。集中が切れていたことを含めて、次から切っていこうと。
僥倖の1アウトを含め、後二人。
……後二人で終わればの話だが。
「一番、ピッチャー――小波」
木製バットを握ってゆっくりと左打席に入ってきたこの男を、止めることが出来なければ勝利は訪れない。そう最初からずっと分かっていたはずなのに、結局ただ一度すらアウトカウントを稼げていない。
自然、木川の表情が引き締まった。
小波には前回、低めのストレートをセーフティバントされている。
その前はインローのスライダーを二塁打。
第二打席は高めのボール球をエンドランで三塁打。
第一打席は外角のシュートをホームラン。
改めてスコアを思い出して、権田は一人呆れた。なんだこいつは。
ちらりと見上げて、思わず問いかける。
「面倒だから立ってもいいか」
「……それも一つの勝利への選択だ」
「じゃあ寂しそうな顔すんじゃねえよ」
悪態交じりに、木川へサインを送る。
長打を警戒して低めは徹底。最悪シングルヒットでも良い。
だがフォークは少し危ない。そろそろスタミナも不味いし、すっぽ抜けでもしたらコトだ。ということで、スライダーだ。
「ストライク!!」
ぴくりとバットが動いた。
そして権田も捕球して少し顔をしかめる。
球が少し浮いてきてしまっていることに気が付いた権田は、シュートを要求した。
ボールになってもいい。
木川は頷くと、一呼吸おいて振りかぶった。
低めギリギリ、完璧なアウトロー。
「よっと」
「もうやだ」
快音。身体を柔軟に使い、バットの遠心力を上手く使って流し打ち。
サードの頭を超えるレフト前ヒットにして、深紅は悠々と一塁へ。
何故ボール球ぎりぎりのシュートを、何故あんなに簡単にレフト前に運べるのか。
「バッター勝負バッター勝負!!」
木川は軽く頷いて、権田の方を向いた。
権田は少し舌打ちする。これだけ調子が良い木川のペースをとことんまで突き崩してくれる深紅の存在に。しかし集中を切らしてはいけない。
二番のピエロに対して、ストレートを要求した。
「ヴヒャッハーイ!!」
鈍い音と共に打球が詰まる。ゲッツーコース。――のはずだったが、深紅は既に走っていた。
「セーフ!!」
「ファースト!!」
「アウト!!」
643の送球。二塁がセーフになってしまった以外は理想的な守備だった。
「よし、2アウト2アウト!!」
権田は声を上げる。
しかし、木川の表情は少し強張っていた。
その理由など分かり切っている。深紅が得点圏に居るからだ。
足の速いランナーが一塁に居る時と二塁に居る時では、投手の負担はまるで違う。
そのせいか。
「ボール、フォア!」
1ストライクを取るも、制球が乱れて寺門を一塁に歩かせてしまう。
そして、続くムシャに事件は起こった。
「デッドボール!!」
「ムシャ、大丈夫か!?」
手首に直撃したストレートに、ムシャはしかし気丈に手を振ると一塁に歩いていく。
二死満塁の状況が出来上がった。
「大丈夫か、木川」
「……権田さん。ああ、心配しないでください」
ムシャに頭を下げた木川は、しかし返ってそこまで深刻そうな表情ではなかった。
「……デッドボールしてしまった時に、素直に申し訳ないと思えたから、大丈夫です」
「……そうか」
そう小さく笑った木川は、続くカニを三球三振に切って取った。
その裏。
ムシャは大事を取って下がることになり、継投ついでに電視と交代。結果としてオーダーは大きく変わった。
1小波 中
2ピエロ 二
3寺門 捕
4電視 投
5カニ 一
6青島 遊
7菊池 左
8奈津姫 三
9カンタ 右
「よし電視、頼むぜ!」
「僕のプログラムに間違いはない!!」
軽くウォーミングアップを終えた電視が、寺門をめがけて投球する。
速球本格派の深紅から打って変わっての技巧派の登場に、下位打線は何も出来ずに凡退した。
新10122021
古21010300
九回の表。
先頭打者の青島がヒットで出ると、今日不調の菊池は送りバントを丁寧に成功させた。そして奈津姫がセンター前に綺麗にヒットを打つと、次のカンタは綺麗に三振に切って取られる。
二死、一、三塁。
ここで流石に不味いと思った権田は立ち上がろうとして――木川が首を振った。
満塁策を取るよりも、深紅と戦うことを選んだ。
「……小波キャプテン。あんたは僕が欲しいものを全部持っていた。エースも、商店街のヒーローも、権田さんとのバッテリーも、打者としての凄さも。……僕は、それが妬ましくて仕方がなかった」
「……」
「でもさ。あんたらみんな商店街のことしか考えてなくて、だからみんながあんたを助けるんだってさ。……背中を見つめるだけの僕が、越えられるはずもなかった」
けれど。
「それでも、僕だって野球が好きだから。逃げたくない。特にあんたからだけは、どんなにボコボコにされても逃げたくない」
「……そうか。よし、来い」
バットを構えた深紅に頷き、サインを送る権田に頷いた。
「ストライク!!」
低めに決まるストレートの球威は、当然初回の比でもなく弱い。
けれどそれでも深紅は打つのを躊躇った。いや、手が出なかった。
インローの打ちにくいところだったというのもあるが、それ以上にぴたりとコースギリギリ。打ってもろくなことにならないと直感が告げたのかもしれない。
二球目のスライダーはストライクゾーンギリギリのきわどいところに決まった。
高めに浮いてしまったが、それでも深紅は手を出さなかった。
ツーストライク。一瞬で追い込まれた深紅。
テンポよく、権田はサインを送り込む。
今の木川なら、すっぽ抜けることはない。
緩い球が放られた瞬間、深紅は手を出した。
しかし、
「フォークッ……!!」
ホームベースにワンバウンドするほど、今日一番のキレあるフォーク。
完全に木川が勝った。
と、思った。
「うそっ」
鈍い音を立てて、ワンバウンドの球を深紅は振り抜いた。
打球はサードの横を通り抜け――
「アウト!」
――なかった。並木のダイビングプレー。
やっちまったとばかりに深紅はバットを降ろすと、ベンチに戻っていく。
木川は一瞬何が起こったのか分からず――しかし何とか打ち取れたことを知り。
「……はあ」
膝から崩れ落ちたのだった。
その裏。
二点差を追う古参組最後の攻撃。
「九番、ピッチャー、木川」
最後の戦いに木川が立つ。
だが、この時点で木川はスタミナも底をつき、九回を投げ切ったことで満身創痍だった。
「……僕が打って逆転しないといけないのに」
「そんなことじゃ、これから先もエースなんか張れねえぞ?」
「……寺門」
キャッチャーマスクを被った寺門が声をかける。
力ない瞳で、けれど木川は寺門を睨み返した。
「僕は、お前が大嫌いだ。追い出してやりたい」
「ならへろへろになってる場合じゃねえだろ。あれだけ無様に点数取られておいて」
「うるさいな。……なんで早く投げさせない?」
「体力がないからダメでしたーなんて言わせたくねえからに決まってんだろうが」
「……寺門」
「なんだよ」
「僕たちが勝ったら、お前が雑用やれよ」
「……へっ。やれるもんならやってみな」
ぐ、とバットを握った木川が電視を睨み据える。
独特のアンダースローに対し、木川はグリップを絞って――
「小波キャプテンほどじゃないな!!」
痛烈なセンター前ヒット。
深紅が捕球して軽く返球する頃には木川は一塁に立っていた。
しかし電視は動じない。坂本、河野を討ち取って2アウト。
「……僕は電脳世界の神になる!!」
が。ここで三番並木が意地のヒットを見せ、二死1、3塁。
奇しくも先ほど深紅を相手に木川がしたのと同じ状況で――
「四番、キャッチャー――権田」
一打さよならのチャンスで、権田正男。
この危機をぼんやり後ろから見守っていた深紅に、ふと声がかかった。
「おじちゃーん!!」
「……どうした?」
「約束を果たさせて欲しいでやんす」
「守りますブギウギビクトリーズ、守備位置の交代をお知らせいたします。センターの小波がピッチャー。ピッチャーの電視がライト――」
バッターボックスに立っていた権田は、深紅がマウンドに登ってきたことに関しては歓迎した。最後の勝負を深紅とやれるのであれば、それは願ってもないこと。
だが、その後がおかしかった。
「ライトの神田カンタがキャッチャー。キャッチャーの寺門がセンター。以上に代わります」
「なんだって!?」
がっさがっさとレガースの音をさせて走ってきたのは、まだ権田の胸ほどもない身長の子供。いくら120キロの電視の球を受けられるとはいえ、深紅の155キロは大人でも厳しいもの。とてもではないがカンタに受けられるものではない。
思わずマウンドの深紅を見れば、当たり前のような顔をして土を固めていた。
「おい、カンタ……」
「ねえおっちゃん」
ホームベースの土を払いながら、カンタは口を開く。
「オイラ、おっちゃんとおじちゃんのバッテリーが大好きだよ」
「……それとこれとは」
「だから、まだまだ見ていたいでやんす。オイラが、おっちゃんにとどめを刺して勝つでやんす」
今の権田は敵チームだ。母親の奈津姫が何も言わずにサードの守備についている以上、とやかく言うつもりはない。
マウンド上の深紅も、変わった様子はなく準備をしている。
……なら、小波を信じよう。と権田は思った。
いくら何でも、カンタが怪我をするような事態にはならないはずだ。
そう思い、バッターボックスに立つ。
泣いても笑っても最後の打席。
自分が打たねば負ける。
そう分かっているからこそ、権田も真剣だった。
プレイ、の声が妙に耳に響く中……深紅が頷いた。
カンタが何かしらのサインを送ったようだ。
ワインドアップから放たれるは――
ど真ん中への、150キロを超える剛速球だった。
「う、そだろ!?」
思わず力づくで振り抜く。
痛烈な打球音はサードへのライナーコース。
それは、危なげなく捕球した奈津姫によって一瞬でアウトになった。
走る間もなく打席で呆けると、奈津姫が小さく笑う。
ああ、やられた。
反射で振ってしまったことも全部カンタの読み通りだとしたら。
「ゲーム、セット!!」
まったく、末恐ろしい"息子"だよ。
新101220210
古210103000
試合が、終わった。
次回からShe Iなのですが、意外と早くまた原稿が来てしまったので、また一冊書いてから戻ってきます。
4/20くらいに戻ってきて、本編を月末までに終わらせたい。
なにとぞー。