風来坊で准ルート【本編完結】   作:しんみり子

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《揺れる想いは万華鏡》I

 

 

 

 

 試合を終えた瞬間、沸き起こる悲喜こもごもの歓声は混ざり合い、ドーム内を飽和させるように、天井から弾けるのではないかと思うほどに、勢いよく弾けた。

 

 0-1

 

 電光掲示板に刻まれた数字が伝えてくれる、ブギウギビクトリーズの勝利。

 

 ビクトリーズ側のスタンドは今やお祭り騒ぎだ。

 はしゃぎ、「おじちゃんとおっちゃんのコンビは最強でやん――じゃなくて、最強だー!」と母親らしき女性に飛びつく少年の隣で、少女は一人大きく息を吐いた。

 

「――頑張ったね、深紅さん」

 

 柔らかな微笑みと共に向けた視線の先で、ベンチから飛び出してきた"仲間たち"から乱暴な歓待を受ける青年が、呆然とした表情で空へと何度も放り投げられていた。

 

 なんていう顔をしているのだろう。

 

 普通ならもっと喜んだり、勝利を噛みしめたり、今までの自分を思い浮かべて熱い涙の一つでも流すところのはずなのに。

 

 まるで、勝った自分が歓迎されていることを、このドーム中の祝福を受けていることを、夢幻か何かのようにでも思っていそうだ。

 

 

 

 誰かを助けて去る背中に石を投げられて生きてきた。

 

 

 

 そんな寂しかった貴方の周りには今、貴方の正義ではなく貴方自身を受け入れてくれる人達がたくさん居る。

 

 だから、

 

「頑張ったね、深紅さん。良かったね」

 

 ただ一人で多くのものを背負い込んできた背中を、乱暴に叩く相棒が居る。

 彼を慕っていた仲間たちが、口々にチームの勝利を叫んでは喜びをかみしめている。

 

 その光景を見ているのが嬉しくて。隣の親子が早々にグラウンドへと足を向けていった後も、ぼんやりとスタンドから彼らの姿を眺めていた。

 

 ブギウギビクトリーズのユニフォームを、ちょっとだぼついた本物のそれの胸元をきゅっと握りしめて。少女は彼が誰からも認められている姿を、泣き笑いのような優しい表情で眺めていた。

 

「――はっ、凄ぇな深紅のヤツ」

 

 既に多くの人が引き上げていったスタンドで、ふと隣の人が残っていることに気が付いた。どこかで見たことがある顔なのだが、パッと名前が出てこない。

 

 親子とは少女を挟んで反対の席に座っていた彼。

 ちょうど、試合開始前にこの場所に自分を呼び寄せた青年であるということしか、彼女の中に情報は無かった。

 

 と、そのまた隣に座っていた少女が、にこにこしながら深紅を指さした。

 

「本当ね。凄いわ、深紅くん」

 

 まるで知り合いのようなその会話。

 けれど最初は、ちょっと鼻が高い程度に思っていた。

 

 わたしが好きになった人は、こんなに褒められる人なんだって。

 

 けれど二人の次の一言は、"ただの知り合い"には到底吐けない言葉だった。

 

「――ちゃんとヒーローになれたじゃないか。深紅」

「何言ってるのよ。深紅くんは、ずっと前から私たちのヒーローじゃない」

 

 弾かれたように少女が顔を上げたと同時。

 その二人組――柔らかく繋いでいた手を見るに恋人――は立ち上がって、一息ついた。

 

 少女の驚いたような目に気が付いていたのか、それとも最初から彼女と深紅の間にある関係を察していたのか。それは、彼女には分からない。

 

 けれど、その二人は振り向いて、少女に言った。

 

「深紅くんを、私たちのヒーローを」

「宜しく頼む、お嬢ちゃん」

 

 そっと自らの大きくなったお腹をさすりながら、片割れの少女ははにかんだ。

 そして、彼女の答えを待つまでもなく二人は去っていく。

 

「あ、あの!」

 

 その背中に、少女は。

 事情は全く分からないけれど、何かを言わなければいけない気がして。

 間違っていたら恥ずかしいけれど、外れたことを言ってしまったら変な子だと思われるけれど、それでも声に出した。口にした。

 もとより、恥ずかしいことには慣れている。

 

「今まで、深紅さんをありがとうございました」

 

 ――聞いたことがあったから。

 

 深紅がこの街に来る前に、少しの季節を共にした一組の恋人の話を。

 

 

 少女の言葉に、二人は嬉しそうに頷いて、今度こそスタンドから姿を消した。

 

 小さく息を吐いて、ふとグラウンドに目をやると。

 散々騒いで疲れ切ったチームメイトたちの真ん中で呆れたような顔をした青年が顔を上げた。

 

 目が合って、手を振って。

 

 せっかくだから会っておけばいいのにとも思ったけれど。

 今の出会いは胸の奥にしまい込んで、彼女もスタンドをあとにした。

 

 きっとグラウンドの中央で、わたしの風来坊が待ってくれていると思うから。

 

 

 

 

 

 

《揺れる想いは万華鏡》I――揺れる想いは万華鏡――

 

 

 

 

 

 

「やったー、勝ったぞ!」

「ビクトリーズ、最高!」

 

 勝利の喜びに声を上げる木川と寺門。今日ばかりはとハイタッチを交わす二人を始め、ベンチメンバーを含めたビクトリーズのメンバーはグラウンド上で大騒ぎをしていた。

 

 先ほどまではもみくちゃにされていた深紅も一息ついて、顔を上げる。

 スタンドに残っていたらしい少女と目が合って、思わず表情が綻んだ。

 

 しばらくしたら、こちらにやってくることだろう。

 少し待っていることにして、深紅は反対側のベンチから歩いてくる三人の男に目をやった。

 

「――完敗、だな」

「お前ら強かったロボ」

「くっ……不覚を取った……」

 

 ザ・トリオの、番長、ロボ、ソルジャー。

 敵対し、共闘し、そして野球で勝負した。面白可笑しい格好とは裏腹に、どんな時も強かった三人。

 

「……お前らも、ありがとうな」

 

 無論、彼らも挨拶ないし話をしにきたのは深紅一人だった。

 だから深紅もそう答えて目を向ける。

 

「俺たちの仕事も、とっくに終わっていた。今日の試合を楽しんだから、これでお別れだ」

「……そうか。楽しんだか」

「勝ったらもっと楽しかったロボ」

「はは、そりゃそうだ」

「一時の別れは受け入れよう! だが!! 次は勝つから覚えておけ小波深紅!!」

「……ああ、またいつか会おうな」

 

 それだけを言いに来たのか、満足したように踵を返す彼らの姿は、まるでただの野球選手だった。珍妙な身なりの割に、ただお互いの健闘を称えにきたその姿には好感が持てる。出来ればもっと、変な因縁のない試合がしたいものだと深紅も思った。

 

「――椿はどうした?」

 

 番長の背中に問いかければ、彼は肩を竦める。

 

「次の仕事がある、だそうだ。得意分野が多いヤツは大変だな」

「そうか。じゃあ一つだけ伝えておいてくれないか?」

 

 片眉を上げて、挑発気味に深紅は言った。

 そんな彼に、番長は振り向く。

 

「俺の勝ちだ、ってよ」

「――ふ」

 

 番長の答えは、口角を上げるのみだった。

 また背を向けて、ベンチの方へと引き返していく。

 

 椿が来ないというのなら、それもまた良いだろう。相変わらずドライな男だと深紅は思う。次に会うのは、また別の戦場か、それとも――同じような球場なのか。

 

 後者なら良い。なんて思って、首を振る。

 そんなに甘い話は、無いだろう。結局あいつは、元相棒でしかない。

 殺し合うことも、きっとまたあるはずだ。

 

 遠前町とは別の場所なのか、それは定かではないが。

 

「終わったな、最後の試合が」

「……ああ、終わったな」

 

 感慨深げに口にした無精ひげの男に、深紅は小さく笑みを返した。

 この一年、多くのことで共に戦った相棒の姿がそこにあった。

 

 終わった、と口にするのがこんなにも清々しい気分になるのだと。

 深紅が息を吐くのを見て、権田正男はあっけらかんと笑った。

 

「ありがとよ。お前のお陰で、この一年の野球は本当に楽しかった。心の底から楽しめた。……投手としても、キャプテンとしても、お前は申し分ないヤツだったよ」

「やめてくれ、俺はそんなに完璧なヤツじゃなかったよ」

 

 謙遜する。自分はそう大した選手ではないのだと。

 けれど深紅に向けられたのは、単なる持ち上げでも世辞でもなく、怪訝そうな眼と小馬鹿にしたような悪態だった。

 

「誰が完璧なんて言った、バカが」

「えっ」

「背負い込む性格、女のヒモ、ラッキョウ狂い。お前のどこが完璧なんだ。俺はただ、ビクトリーズのエースとして、キャプテンとして、お前で良かったっつっただけだ」

「……そうか」

 

 遠前町に来たばかりの頃、確かに権田は深紅を完璧超人か何かと勘違いしていた。

 けれど、そうではないことくらい散々バッテリーを組んだ今の彼はよく知っている。

 小波深紅という男が、悩みもすれば迷惑もかける当たり前の"人"なのだと。

 

 特に、そう。河原のテントが無くなってからは、それを顕著に感じるようになった。

 

「行くのか?」

 

 その問いの意味を、理解できない深紅ではない。

 

「……たぶん、な。みっともなく未練が出来ちまってる」

「そうか。もし残るなら、俺たちは歓迎するぜ。最悪、今日の祝勝会が大騒ぎになるかもしれん」

「はは、それは大変だ」

 

 そう在れたらいい……かもしれない。

 楽しかった。あまりにも。この街での思い出は。

 

 しかし、自分は――

 

 

「おじちゃーん! おっちゃーん!!」

 

 声に振り向けば駆けよってくる少年と、その後ろを優しい瞳で歩いてくる女性の姿。

 権田が流れるような動作で少年を抱え上げ、勝ったぞと高笑い。

 

「おじちゃん凄かった! 三振の山で!! しかも打率は十割!!」

「おいおいおい俺の話もしろよ!!」

「おっちゃんは……よくおじちゃんの球捕れるでやんすね」

「それだけかよ!!」

 

 権田の肩に乗せられた少年の、愉しい掛け合いを眺めていると深紅の瞳も少し細まった。なんだかとても、尊いもののように見えて。まるで、そう。親子、と呼ばれるもののような。

 

「やんす、じゃないでしょう、カンタ。おじちゃんみたいになれないよ」

「おっとっとでやんす。じゃなかった」

「ダメダメじゃねえか」

 

 肩の上というやたら近い距離で子供じみた喧嘩を始めた二人を置いて、深紅の肩を叩く手のひら。見れば、奈津姫がいっそ美しくすら感じる一礼と共に、目元の涙を拭っていた。

 

「本当に、ありがとうございました。貴方のおかげで、この町は」

「いえ、みんなの力があってこそですよ。それが野球ですから」

「……そう、ですか」

「ええ、そうです」

 

 奈津姫と共に見る視線の先に、権田とカンタの仲良さげな光景。

 

「――行ってしまわれるんですか?」

「……どう、でしょうか」

「……カンタは、貴方を目指して野球を頑張るそうです。おっちゃんみたいになって、おじちゃんの球を受ける四番になるって。最近はお友達と一緒に……」

「それは、嬉しいことですね」

「…………見守っては、いただけませんか」

 

 懇願にも似た、そんな瞳だった。

 だから、少し困ってしまって、つい話を逸らす。

 

「権田も自慢げに言ってましたよ。奈津姫さんと権田に鍛えられたら、さぞ強い選手に育つことでしょう」

 

 そう微笑みかけると、奈津姫は少し躊躇った後に頷いた。

 

「……はい。再婚を、考えています」

「それは、良いことを聞けました」

「あ、奈津姫!! それは俺からこいつに言おうとしてたのに!!」

「誰が言ったっていいじゃないの!」

「良いわけあるか!! こいつにもこう、なんだ、覚悟を決めさせるためにだな!」

「しょうもないこと言ってんじゃないよ! チームの祝勝会の幹事なんだろう!? さっさと行きなさいな!」

「ええええ! これだけ身体張って、ようやくジャジメントに勝ったってのに……」

 

 がっくり肩を落とす権田。それを見て笑い出すカンタ君。

 奈津姫も厳しい瞳から一転して笑いだし、その空間がとても暖かくて、深紅も笑った。

 

 ――ああ、ここも良い街で。

 良い出会いがあったのだと。

 

 未練がある。後悔もある。この試合が終わったら出ると決めていたけれど。

 出る理由が、ついぞ無くなってしまいそうなくらいに。

 償いの旅路は、もう終わりでも良いのではないかと、そんな風にさえ。

 

「……よかったな。ビクトリーズの勝利だ」

 

 家族三人の騒ぎを、少し遠巻きに眺めて微笑んでいた深紅の元に、一人のチームメイトが声を掛けてきた。

 

 彼の名はムシャ。

 カンタ君と深紅の為に頑張ることで、成仏をしたいと願っていた助っ人。

 厳格で寡黙な男だが、誰よりも実直で真剣なその様は、深紅としても好感が持てる人物であった。

 

「ああ、君の助けがあったからだ」

「……どうやらムシャの役目もこれで終わりのようだ」

「そうか」

 

 役目。

 そう聞いて、深紅の目が細まる。

 

「で、成仏できそうなのか」

「そのようだ」

「しかし、どうして俺を助けたら成仏できるんだ?」

 

 そういえば聞いていなかったと、深紅が問えば。

 ムシャはぽつりぽつりと、これまでのことを語り出した。

 まだ侍であった頃、生きていた時代の話を。

 

 多くの人を殺めたが故に、処刑された後も地縛霊になってしまった過去。

 そして、その償いを求められている、と感じたこと。

 償いというのが具体的に何かを探し、見つけたのが、

 

「――ムシャが助けたいと思った人を助けることが償いになる」

 

 との、ことだった。

 

「そして、そのすべての償いがどうやら済んだようだ」

 

 この、野球が最後。

 そう言う彼の瞳は、先の深紅と権田のように清々しい"終わり"を感じさせるもの。

 

 だが、彼はここで終わりなのだ。

 それが深紅にはどうにも、気になった。

 

「そうか。で……未練はないのか?」

「なんのことだ」

「この世への未練だよ。もっと野球をしたいとか、いろんなものを見たいとか、いろんな人と会いたいとか!」

 

 ――自分で言っていて、思う。

 これは、己の話であると。

 けれど、似た境遇にいる目の前の男に問わずには居られなかった。

 

 未練が、想いがあるからこそ自分はここに居るのだと。

 お前もそうではないのかと。

 

「……ああ、野球は楽しかったな。だが、あっちには妻と四人の子供が待っている」

「……そうか、そうだったな」

 

 守りたいものがある。

 だから、彼は逝くという。

 それが不思議と、胸の奥にすとんと落ちた。

 

「奥さんと子供によろしく。できれば野球を教えてやってくれ」

「ああ、約束だ」

「このまま行くつもりか? みんなに別れも告げずに?」

「そうだ。所詮は一時の夢に過ぎん。やがて、皆の中からムシャの記憶も消えていくはずだ」

 

 超常の力で、この世に留まっているだけだからな。そう言ったムシャの表情が少しだけ寂しそうだったから、深紅は首を振った。

 

「俺は忘れないよ、ムシャ」

 

 何せ、自分には"そういう力"が効きにくいのだ。ならばこの意志とをもって、必ず忘れずにいよう。

 その確信めいたものを胸に抱いた深紅の瞳は、きっと説得力にも優れていたのだろう。

 ムシャは小さく笑って頷いた。

 

「……清十郎だ」

「えっ」

「あの墓に刻まれている本当の名前だ」

「そうなのか。清十郎、おまえの墓はピカピカに掃除しておくよ」

「別にかまわん。あの墓には、もう戻らないからな。あれはあのまま、あの河原に投げ出しておいてくれ」

 

 未練の欠片も見せずに、ムシャ――清十郎は言う。

 

「……わかった。さらばだ、清十郎」

「あの子供にも宜しくな。小波、楽しかったぞ、礼を言う」

 

 そう言うと、彼は踵を返した。

 すると不思議と、徐々に身体が消えるように、彼が歩みを進めれば進めるほど、姿形がぼやけて透けていく。

 

 だから最後に深紅は言った。

 お前と一緒にやった野球は。

 

「ああ、こっちも楽しかったぞ!」

 

 それに、ムシャが答えることはなく。

 深紅は小さくため息を吐く。

 

「……行ったか」

 

 もっと野球がしたい。

 もっと色んなものが見たい。

 もっと色んな人に会いたい。

 

 それが小波深紅の存在理由。そうである以上、清十郎と同じ選択は取らない。

 けれど。

 大事なもの、一番したいこと。償いというのは、結局は旅の目的で。

 

 自分が一番やりたいことを、深紅は改めて胸に刻んだ。

 

「あいつと会ったのも運命のいたずらか。俺も、そろそろこの街を……俺には未練が多すぎて、あいつみたいに潔くはなれないや」

 

 見送って、清十郎が消えていったベンチ奥の出口から。

 

 笑顔で駆け寄ってくる少女に目を向けて、自然と深紅の瞳も柔らかく緩んだ。

 

 ビクトリーズのユニフォーム――それも深紅のものを着ているせいで、ミニスカートが本当に裾しか見えていない。

 その辺りもファッションなのだろうか。

 

 ――いつもと違う可憐さを感じられたから、きっとそうなのだろう。

 

「――良かったね、深紅さん」

「ああ。だから――

 

 

 

 

 

 

 

 この街を、出よう。

 

 

 

 

 

 


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