風来坊で准ルート【本編完結】   作:しんみり子

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《揺れる想いは万華鏡》II

 

 ジャジメントスーパー。

 

「えー、北極支店?」

「ああ、支店長はそこに飛ばされるらしいぞ」

 

 営業時間中の休憩時間。

 店舗のあちこちで噂されていた支店長の凋落具合に、当の本人は顔を恥辱に染めながらも耐えていた。

 今、支店長室ではゴルトマン会長が寛いでいることだろう。

 一息ついたら沙汰が下るに違いない。

 

 北極支店。

 

 冗談ではない。

 

 とはいえ、仕事に失敗したことは事実だ。

 暗澹たる心中を押さえつつ、太田は呼び出しを待っていた。

 

「――支店長。会長がお呼びです」

「……わかった」

 

 案内されるままに連れてこられた支店長室。

 自分の城だというのに、どうしてこうも緊張するのか。

 付き人の声に合わせて、扉を開いた。

 

「ただいま参上しました、太田です。それで、その、会長。ご用件というのは」

 

 眉尻を弱弱しく落として、問いかける。

 

 ゴルトマン会長は爪にやすりをかけながら、のんびりと太田の椅子にふんぞり返っていた。隣に控える秘書の女性の冷めた瞳が、太田に静かに突き刺さる。

 

 緊張が重い。

 会長と目を合わせるのも心労の種だとばかりに、太田は焦点を敢えて合わせないようにしながら彼の言葉を待っていた。

 

 そんな彼に掛けられた言葉は、しかし幾分か明るいものだった。

 

「喜べミスタ・オオタ、あれが見つかったぞ」

 

 何の話かと会長を見れば、愉快そうというか、上機嫌に口を開いた会長の姿。

 アレ。おそらくは、椿が探りを入れていた"宝"の話。

 

「先月、商店街の土地を買い取ったところ、そこで発掘された保管庫にこれがあったのだ」

 

 すぐさま太田は反応した。

 宝が見つかったのなら、左遷の話もあわよくば。

 

 そんな心持ちで、機嫌を損ねないように問いかける。

 

「なるほど、本でございましたか。それで、これはどんな力を持った魔導書なので?」

「魔導書? いやこれは聖書だ」

「ははあ、聖書でございましたか」

「初期の活版印刷物でな。これは盗賊聖書と呼ばれるものだ」

「盗賊聖書! なにやら凄そうな名前ですがどんな神秘的なパワーを」

 

 ゴルトマン会長の眉根に皺が寄った。

 不味い、と思い口を噤むより先に、会長の白い眼差しが彼を穿つ。

 

「何か勘違いしているようだなオオタ。十戒というのがあるだろう。汝なになにしてはならんというやつじゃ。ところがこの聖書ではその中の『汝盗みを働くべからず』の否定を示すNOTが抜けておる。つまり、汝盗むべしと書かれているわけだ」

 

 ――はあ。

 よく分からない。太田の脳内を疑問符が埋め尽くす。

 それというのは、つまり。

 

「あの、それってただの誤植――」

 

 そこに何の価値もありはしないのではないか。

 そんな意図を込めた太田の問いかけに、いやいやと手を振ってゴルトマン会長は否定する。

 

「当時の教会の権力を甘く見てはいかん。出版関係者は全員処刑され、この本も発見次第回収されて処分された。ゆえに、この聖書は奇書中の奇書だ」

 

 素晴らしいだろう、と胸を張る会長の真意が、俗世に染まった太田には読めなかった。

 

「あの、それじゃ、これって、ただの珍しい本……」

「なにを言う。この本が、ここに存在することは、中世より今日にいたるまで、いかにキリスト教的倫理観に逆らおうとする者が多かったことの証明になるのじゃぞ」

 

 分からない。

 目の前の男が何を求め、何の為にこんな――

 

「そんなもののために何百億という大金を」

「わが一族に伝わる財宝なのだ。ほれ、ここに我が一族の署名がある。たかが本一冊にお金がもったいないなどというのは、凡人の発想だ。これこそ、正しい金の使い道というやつじゃないか」

「……はあ」

 

 くだらない。自分には全く関係のない話だった。

 調査にかけた要らぬ手間や、こんなくだらない話の為にひいこら頑張った自分の姿勢に、急に無情感が押し寄せる。

 こんなことの為に、自分はあのブギウギ商店街と互いにボロボロになるまでやり合ったのか。

 

 だが、そんな彼を逃避から連れ戻したのも、目の前の男だった。

 

「なんだ、元気がないな。そんなことでは北極支店で頑張れないぞ?」

「え!?」

 

 弾かれたように顔を上げる太田に、会長はしかし動じない。

 

「そんな、ちょっと待ってください。目的の本は見つかったのでしょう?」

「ああ、たしかによくやった。だが、遠前支店の営業成績が悪すぎる。これでお前を処分しなかったら、グループ全体に対しての示しがつかん」

「そ、そんな……」

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

「わははは、こいつはお笑いだ」

「笑いごとじゃない! 私は、北極支店なんだぞ!」

「だからお笑いっつっただろが」

 

 店舗の外で優雅に煙草をふかしていた男は、肩をいからせてやってきた太田に開口一番大笑した。

 その様子に、太田は妙なものを感じ取る。

 

「……まさか、椿。お前は知ってたのか? お宝が、」

「ただの誤植本ってことか? ああ知ってたぜ。お前と違って、情報戦もオレの得意分野でね」

「ふ、ふざけるな! 何故……何故会社の為にこれだけ尽くしてきた私が……」

 

 働き者の無能ほど使えない存在はない。

 と口にしようとして、椿はやめた。

 言ったところで、無能であることは変わらない。余計な禍根を生むだけだ。

 

「ああ、そりゃ大変だね。さて、オレの知的好奇心も満足したし、そろそろこの街から失礼するぜ」

 

 この街でやることは、終わった。

 連れてきた仲間たちも、また各々好き勝手にどこへなりとも行くだろう。

 自分も今後の"予定"が詰まってしまっているのだ。

 外套をはためかせて背を向ける椿に、しかし後ろから声がかかった。

 

「待て」

 

 足だけを止めて、次の言葉を待つ。

 

「神のマナ、もっと大量に用意できないか」

「おやおや、あんた何する気だい」

 

 後ろの太田には見えない、椿の口角が小さく上がる。

 油断しているだろう赤い男の横っ面に、一発くれてやるのも悪くはない。

 

 それにどうせ、太田程度の男では何一つ成し遂げられないのだ。

 深紅という壁があるなら、猶更だ。

 

 良いサプライズになるだろう。

 

「この店も、商店街も、この街も、滅茶苦茶にしてやる。どうせ私のものにはならんのだ!」

 

 結局、無能に無能と言ってあげるのとどちらが良かったのか。

 どのみち太田は破滅するのだ。ならせっかくだから、最後の花火を拝んでから街を出るのも良いだろう。

 なに、今ここで自爆を試みるなら、金も弾んでくれるはずだ。

 

「ま、金さえ貰えれば何でもいいが」

 

 さて、いくら欲しいんだ。と、振り返った――椿の表情がひきつった。

 

 憤る太田の、さらに背後。

 そこに揺れた緑と、無気力な顔にはしかし、確かな熱を持った瞳。

 

「…………よくない」

「げ、野崎」

 

 ――野崎維織。

 今年の五月頃から妙な縁で繋がっている少女を前にして、椿はやれやれと頭を振った。この嬢ちゃんがこの目で意志を固めたら、自分にはどうしようもない。

 

 風来坊に、大企業の令嬢への勝ち目など無いのだ。

 

「…………その人、逮捕」

 

 ゆっくりと指を差した先に、太田の化かされたような惚けた顔。

 

「あ? それはどういう……」

 

 一瞬意味の分からなかった椿だが、頭の回転は誰より速い。

 すぐさま現状を理解して、太田の肩をぽんと叩く。

 

 彼の復讐は、始まる前に終わってしまったのだ。

 その同情と憐憫がそうさせた。

 

「ははあん、NOZAKIの権力で条例違反通させたのか。やるじゃねえか、次期会長」

「……普通。でも褒めてくれてもいい」

「へいへい。すげえすげえ」

 

 深紅の知らぬ場所でも、また別の物語が軌跡を刻んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

《揺れる想いは万華鏡》II――ありがとう、遠前町――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しゅるり。しゅるり。

 

 木造アパートの二階にある"夏目"と表札の下がっていた部屋に、一組の男女が居た。

 名前の書かれた可愛らしい木製のプレートを、雑貨と一緒に段ボールの中にしまい込む。ガムテープで箱を閉じれば、ある程度の荷造りは完成だ。

 

「あとで、引っ越し業者さんが来てくれるって」

 

 一息ついた後ろから声を掛けられて、深紅は振り向いた。

 テーブルと、椅子が二つ。

 それ以外の家具全てが無くなった殺風景な部屋を背景に、少女がお玉を持って微笑んでいた。

 

「お雑煮、食べよ?」

「……そうするか。餅は腹持ちが良いしな」

「正月くらい、風情とか言ってみたらどう?」

 

 膝を押さえて立ち上がり、彼女に言われるがままに席に着く。

 半年愛用してきたこのどんぶりも、箸も、鍋もお玉も、この食事が済めばお役御免。

 洗って拭って、それから。

 最後に一つだけ残った、口を開けて待っている段ボールの中だ。

 

「いただきます」

「メイドさんのラブラブ★お雑煮召し上がれ♥」

「語呂が悪すぎる……」

 

 手を合わせて、食事への感謝を込めて。作ってくれた人への、感謝も込めて。

 ふと目線を上げると、長い髪が器に入らないよう耳にそっとかける彼女の姿。

 

 あち、とか言いながら餅をくわえる彼女は深紅の瞳に気が付いたのか、視線だけを上げて「なに?」と問いかけた。

 自然と上目遣いになった彼女に小さく首を振って、「なにも」と答える。

 

 そんな、何気ない会話。

 

 それもきっと、今日でしばらく仕舞いだ。

 

「……いまさらだけど、良かったのか?」

「ん……何が?」

 

 もちもち咀嚼していた彼女に問う。

 

「俺と一緒に、この街を出るなんて。結構急な話だったと思うけど」

「ほんっっっとうに今更だね、深紅さん」

 

 脱力したように彼女は言った。

 

「でも、良かったんだよ。――元々、マスターには年明けに退職する話をしてあったし。維織さんも、決意を固めたみたいだしね。この街に未練はないかなって」

「え、いつから退職願を?」

「いつからだろね?」

 

 どうやら答えてくれるつもりはないようで、彼女は食事を再開する。

 

 深紅が年明けにこの街を出ていく話をしてから、まだ一月も経っていない。

 ケータイ電話を買いにいった時に、年明けに出ていく話をしたばかりだ。

 

 少なくとも、世間一般の常識として、仕事を辞めるなら数週間は前に連絡が必要だろう。深紅にとってこの知識は権田の受売りでしかないが、それでも間違いないはずだ。

 

 なら彼女は円満に退職するために、数週間前には話をしていたことになる。

 下手をすれば、一緒に買い物に行った、その日に。

 

「――准」

「どうしたの?」

「ありがとう」

「なにそれ」

 

 ごめん、というのも何かが違う気がして。

 深紅は素直にそう言った。

 

「でも結局、一緒なのは街を出るところまでなんだけどね。風来坊さん」

「……いつでも連絡は取れるようにしておくよ」

「充電。忘れないように」

「了解」

 

 ぴ、と指を突きつけられて、深紅は頷く。

 確かに、充電という行為は難易度が高い。何せ、電気が使用できる場所に居なくてはならないのだから。

 

 ポケットの中には、准がわざわざ買ってくれたケータイ電話が入っている。

 

 深紅の持ち物の殆どは、准の預かりになった。

 それこそ、ビクトリーズのユニフォームも。

 何れまたどこかで着ることがあるかもしれない。その時は、また一緒に。

 

「ごちそうさまでした」

「はい。おそまつさまー。代金は680円です♥ 領収証はご利用ですか?」

「お金取られるのかよ!! ねえよ!!」

「では皿洗いで肩代わりして貰うしかありませんね、ご主人様」

「どこの世界にご主人様に皿洗いさせるメイドが居るんだ……」

 

 肩を落としつつも、いつものように彼女の分も器を回収して、洗い場へ。

 慣れた手つきで洗い物をしていると、ひょこっと金髪が隣に顔を出した。

 

「手伝ってあげるよ」

「そりゃどうも」

 

 しばらく無言で、最後に使った鍋や食器類を洗う陶器の音と、水音だけが響く。

 

 洗い終わったそばから、准がのんびりした手つきで食器の水気を拭っていた。

 

「なんか、良いね。こういうの」

「そうか?」

「じゃあそうでもない」

「どっちだよ……」

 

 眉根を寄せる彼女は、露骨に怒ってます、とでも言いたげだ。

 

「せっかくこうしてさ。隣同士でさ。ほら、二人の共同作業ですよ」

 

 なるほど、と深紅も理解する。

 言葉を交わすこともなく、日々変わり映えしない日用の雑務。

 そこに良さを感じるかと問われれば、確かに。

 

 深紅にとってはこの歳まで馴染みのないものだったから、すぐには分からなかった。

 

「確かに、准の隣で当たり前のように二人分の洗い物か。こんなことになるとは思わなかったな」

「そだね」

 

 ふと、斜め下に視線を向ければ目と目が合って。

 目だけで笑って、仕事が終わる。

 

「――じゃあ、街の出口で待ってるね」

「ああ」

 

 それだけ言葉を交わして、先に深紅は外に出た。

 商店街へ別れを告げるそのために。

 

 

 

 かたんかたんと、外付けの鉄階段を降りた深紅は、その足でブギウギ商店街へと向かう。奇しくも彼女の家からブギウギ商店街までの道のりは、初めてこの街にやってきた道と一緒。

 

「おっと、今日も冷えるな」

 

 川沿いの冷たい風に外套がはためく。

 気を抜けばここではないどこかへ飛んで行ってしまいそうなテンガロンハットを押さえながら、えっちらおっちらと歩いていた。

 

『もっと野球をしたい』

 

『いろんなものを見たい』

 

『いろんな人と会いたい』

 

 

 この街で得た大きな宝。

 深紅の正義は、正しいと思ってやったことは、確かに実を結んだ。

 

 けれど、その背中には多くの優しい人々が居て。

 

 たとえ自分が正義でなくとも、自分を支えてくれると言ってくれた人が居て。

 

 

 その寛容さに絆されて。

 

 そう。この世に自分が居てもいいと。初めて救われたような気持ちになれた。

 

 

 だから。

 

 

 顔を上げると、ブギウギ商店街の看板が目の前だ。

 見送りに来てくれた人達が、ここで待っている。

 

 

 だから、さようなら。

 

 

 ありがとう、遠前町。

 

 

 


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