風来坊で准ルート【本編完結】 作:しんみり子
ブギウギ商店街、そのメインストリートの入り口に掛かる大きな門の前。
風来坊を自称する男は、少ない荷物を手に小さく微笑んだ。
「それじゃ、これで失礼します」
見送りと称してやってきてくれたのは、数多くの住民たち。
酒屋、八百屋、肉屋、魚屋……顔ぶれを見れば、すぐにその店の門構えが頭の仲に浮かび上がる。
思えばもう一年、この街に住んでいたのか。
酷く懐旧の念に襲われて、彼は首を振る。
絆されたことは認めよう。幸せだったことも認めよう。
だが、それでも胸に燻るこの欲は。
もっといろんなものが見たいというその欲は。
ここに留まるという選択肢を、魔法のように打ち消していた。
「アンタがいなくなると、この街も寂しくなるよ」
「どうしても、行かなきゃならんのかね」
――その顔に、嘘はなく。
別れを心から惜しんでくれる彼らに、酷く申し訳なくなった。
思えばこの街で色んなことがあった。
訪れてすぐに入った野球チーム。
虫の駆除に駆り出されたかと思えば、ダチョウに乗ってダチョウを追ったこともあった。カシミールで食べたカレーは美味しかったし、カンタとのキャッチボールも楽しかった。
少女の命を救えた。
商店街を、また立ち直らせることが出来た。
野球が、楽しかった。
「はい。一つの場所に長居しすぎました」
「また、来てくれるよね?」
名残り惜し気な視線が、数えれば幾つも、幾つも。
こんなにも多くの人に別れを惜しんで貰えたことは、果たして今まであっただろうか。
あったはずがない。あるはずがない、こんな自分に。
深紅は小さく首を振って、彼らにもう一度別れを告げた。
……と、そこでふと、居るはずの顔が居ないことに気が付く。
「あれ、そういえばカンタ君は?」
「あの子は……その、別れるのがつらいって」
そうか。なら、残念だけど、仕方がない。
「……そうですか。じゃあ、みなさん。お元気で!」
小波深紅は背を向けて、一度も振り返らずに去っていく。
ブギウギ商店街とは、これでお別れだ。
色んな出会いがあった。色んな出来事があった。
未練がないと言えば嘘になる。けれどこの街は教えてくれた。
色んな人と会えた。色んなものを見た。
たくさん、野球が出来た。
これからの人生をもっと彩る為に。
必要な助走を、この街はくれたのだ。
ありがとう、遠前町。
「あっさり行っちゃいましたな」
「……風来坊だからな」
「あたしが最初から言ってたとおりだろ?」
「……」
《揺れる想いは万華鏡》III――さすらいのナイスガイ――
「よお、キャプテン」
「あれ、監督?」
遠前町を通る一級河川を横に、河川敷沿いをゆっくりと歩んでいた深紅。
声がかかって振り向けば、そこには複雑な感情を向ける相手が立っていた。
なんとも疲れたような表情に、力のない笑みを浮かべた彼は佐和田監督。
からからとキャリーケースを引いているところを見るに、彼も――
「俺も、今日でこの町から消えるよ。まあ、去年の分の給料はボーナス込みでキッチリもらったしな」
肩の力を抜いて、深紅は問いかける。
彼に似合いの言葉というか、なんというか。
「じゃ、ビクトリーズの監督は……?」
「ま、誰か適当なヤツがやるだろ?」
「無責任ですね」
「ああそうとも、最初っからな」
笑顔で言ってやっても、佐和田監督は懲りないようでからからと笑った。
思えば、こんな顔で笑う彼を見るのは初めてかもしれない。
必死で、媚びたような笑顔を浮かべていたあの頃。
疲れて、斜に構えた笑みしか出来なくなっていたこの一年。
なんだか吹っ切れたような彼の表情が、誰かと重なって見えた。
「おっと、お前にお客さんだ。邪魔者は消えるよ――達者でな」
その彼の笑顔の瞳に、誰かの影が映ったのだろう。
目を丸くした彼は、そのまま深紅の肩に手を置いて、ゆっくりと歩き出した。
追いかけることも呼び止めることも出来ただろう。
けれど、そうする気にすらさせて貰えなかったというのは、なるほど。
どちらが風来坊なんだか、と深紅は苦笑した。
そして。
「……深紅さん」
声変わりの来ていない、幼い子供の呼びかけに、深紅は視線を合わせるようにしゃがんだ。
「ああ、カンタ君。見送りに来てくれたのかい?」
「違うでやんす」
ふるふると首を振る。
その動きだけを見れば力なく、もしかして皆と同じように引き留めにきたのかと深紅は思う。
もしそうであるなら、なんと言って説得しよう。
困ったように眉を下げた深紅はしかし、彼の目を見て違うと悟った。
その、熱意の籠った野球少年の瞳に。
「オイラ、深紅さんに挑戦するでやんす! 今はバカで泣き虫でいじめられっ子でやんすけど、10年後はすごい男になってるでやんす! そのときになったら、絶対に日本の、いや世界のどこにいようと深紅さんを探し出すでやんす!」
ぽろぽろと涙をこぼしながらも、彼は真っ赤になった目元を拭って言い放つ。
別れは惜しんでくれているのだろう。もっと一緒に野球がしたい、そう思ってくれているのだろう。
「そして、勝負でやんす」
だからこそ、彼の真っ直ぐな視線に深紅は応えた。
深くゆっくりと頷いて、微笑みを返す。
「そうか、待ってるよ」
ぽん、とカンタの肩に手を置いて、深紅はその先へ。
「……おじちゃん」
深紅は振り返らない。
カンタはただその背中を見つめ、そして意志を感じ取った。
ここまで来い。
そう、言っている気がしてならなかったから。
「おじちゃーーーん! ありがとう!!」
その姿が見えなくなるまで見送って、大きく手を振って。
溢れる涙を抑えるために眼鏡を外す。
そのビン底眼鏡さえなければ学年一の美少年とも呼ばれた彼の元に、後ろから少年の声がかかった。
一緒に野球をやっている仲間。彼が投手で、自分が四番だとカンタが豪語する小学生バッテリー。
「練習、行こうよ。カンタ」
「そうでやん……そうだね、優輝」
深紅への憧れを、父親への憧れを胸に、彼はこれからも野球を続けていく。
――権田カンタ。
これより八年後、開拓高校ナインを率いて甲子園優勝へと導く次代のホームランバッターである。
「ようやく来た」
じとっとした瞳と共に、彼女は深紅を出迎えてくれた。
申し訳なさそうに眉尻を下げて、深紅は帽子を取って笑う。
「遅くなった。それじゃあ、行こうか」
「一緒なのは街の外までだけどね。――すぐに追いつくよ、深紅さん」
「待ってはいない。だけど、また会えると信じてるよ」
隣寄り添って歩く二人。
これから進む夢の道は別々だけれど、二人を繋ぐ想いは一つ。
巡る想いは万華鏡のように、きらきらと彼らの進むべき希望の光に乱反射して、もっともっと色んな人と、色んなものと、――野球の人生を彩ってくれるに違いない。
だから、行こう。
風来坊の旅路は、まだまだ始まったばかりなのだから。
――風来坊で准ルート、本編完結。
アルバム№58
「今、どこに居るの?」
♡准♡と表記された電話番号から聞こえてくるのは、いつも通りに明るく弾むような彼女の言葉。
ただ、今なら分かる。彼女の声色の奥底に、少しばかり寂寥の味がしていることくらいは。
分かってはいるけれど、自分から会いに行くことはしない。
「今はここに居るよ」
写真機能の使い方くらいは覚えたのだ。せっかくだから、この場所の景色を送ってみる。
[Ailes neigeux]なんて洒落た名前のブティックは、本来ならば居心地が悪いのだけれど。何を想って雪の翼なんて名前を付けたのかは分からないけれど。
翼は二つ。それが何を意味しているのかくらいは、分かった。
「ふぅん……そこに居るんだ。じゃあ、ちょっと待っててよ。――出るから」
「いや、待たない」
夢を叶えた時に、また会える。そう誓って、二人は旅路を別った。
だから、次に会う時は、夢が叶った時。
だから外へと出ようとして、そっと何かが俺を包み込んだ。
「……追いついたよ」
見下ろせば彼女の両手。それはまるで、雪の翼のような白い手で。
――夢が叶った時、隣に居てくれたら。その願いが、今叶った。
【挿絵表示】
presented by すよ様
お疲れさまでした。
〆め方決まってなかったせいで、ちょっと文字数少なめですが、やることが思いつかなかったので一旦これで〆させていただきます。
後日談とかはやるぜー超やるぜー。
カンタくんのその後とか、12で風来坊が介入したりとか、14の話もやりたいしな!
というわけで、短いけどごめんなさい。あけましておめでとうございます!