風来坊で准ルート【本編完結】   作:しんみり子

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《ワクワクなえぶりでい》V

 その日、CCRの隊長である灰原は任務のために繁華街の雑居ビルに突入していた。

 サイボーグ同盟の抱える拠点の一つであり、今まさに彼らの動きがあらんと言った状況。ここを潰さねば今後に支障をきたすと考えた彼はいち早く現場に急行し、瞬く間にこれを鎮圧。殆どのサイボーグを破壊し、刀を振るって一息。

 

 ちょうど部下からの通信が入り、脱走しかけたサイボーグを捕縛したとの連絡。

 

 これでこの仕事は終わりだと、雑居ビルを後にしようと踵を返したその時だった。

 

 ぱちん、と一気につり下がっていた蛍光灯の電気が落ちる。

 驚くもCCRは精鋭、警戒態勢を万全に周囲を窺う。

 

 当然それは灰原も例外ではなく、いやむしろ誰よりも鋭敏に感覚を研ぎ澄ませ――怪しい気配の方向を察知し、刀を振るった。ソニックブームのように放たれた空飛ぶ気刃は勢いよくその方向の壁を砕き、奥の砂塵に紛れて何者かのシルエットが浮かび上がる。

 

『何者だ』

 

『広い銀河の地球の星に、ピンチになったら現れる! ――イキでクールなナイスガイ!! 深紅参上!』

 

 とう!

 灰原を中心とした精鋭たちの中心に飛び込んできたその男に、灰原は見覚えがあった。いつぞやに、安藤小波と共闘していた"正義"を名乗る珍客。

 

 初めて会った時と風貌はだいぶ変わっているが、それでも灰原にはその男の気配、独特の強者の香りをはっきりと感じ取ることが出来ていた。

 

『……何故、俺に接触してきた』

『ここで言っていいのか? ――リーダーさん』

 

 リーダー。

 自分の役職が隊長であり、それ以上でもそれ以下でもないことを知っているはずのこの男が、わざわざそう呼んだことで灰原は何かを察する。

 そういうことであれば、是非はない。灰原は抜き身の刀をゆっくりと挙げ――。

 

『撤収だ。こいつとは俺が話を付ける』

『はっ!』

 

 そう、彼らに合図した。

 流石は精鋭部隊。隊長の意見に何一つ意見を感じさせず、統率された動きでこの場をあとにする。その群れなした背中を、深紅はぼんやりと見送って、改めて灰原に向き直った。

 

『安心しろ。俺が知っていることの殆どを、あいつは知らない』

『……信用できんな。お前が何を考えているか知らないが、俺の方針は既に安藤小波を処分することで決定していると言っても過言ではない』

『そう。その取引をしに来た』

『なに?』

 

 刀の切っ先を深紅に向けたまま、灰原はサングラス越しの瞳を眇める。

 深紅は特に得物を持っているようには見えないが、それでも得たいの知れない男には違いない。睨みあうは刹那、その緊張感などまるで気にしていないような、気の抜けた声を深紅は放る。

 

『安藤小波は強いぞ? 俺とあいつが一緒に動けば、だいたいのことは事足りる。……それをしない代わりに、あいつをただのプロ野球選手にしてやれ』

『……お前はどこまで知っている』

『CCRの行っていることが、正義とは掛け離れた"処分"であること。お前たちの出生。大本の組織。そして、CCRの創設された目的と――お前の立場』

『そうか』

 

 金属音をさせて、刀の切っ先が床に落ちる。

 

『つまり、俺はお前が何者かを問うのではなく』

 

 ちりちりと火花が舞う。刀の切っ先が地面を擦り、焼き切るような勢いで振るわれる。

 

『不穏分子として処分したほうが速い』

『そう言うなよ、灰原!』

 

 三方向から飛ぶソニックブーム。動きを阻害しつつ正面から突っ込んでくる灰原。

 刃を紙一重で回避しつつ、深紅は地面を蹴った。

 

『俺にはお前を殺す理由はあまり無いんだ。小波のヤツが生を謳歌出来ればそれでいい』

『その安藤小波の正体すらも知っていて、貴様はそう言うのか』

『言うさ』

『あいつも、俺も、同じ戦闘用アンドロイド! それが、生を謳歌するなど笑わせる!』

『――笑えよ、灰原。笑えるなら、お前だって人間だ』

『調子に乗るなよ、ヒーロー気取りが!』

 

 剣閃が嵐のように襲い掛かる。

 それをステップで回避しつつ、深紅は素手に宿らせた光弾を放って相殺していく。

 しびれを切らした灰原が駆けると同時、深紅は少々渋面を作って飛びのいた。

 

 迷わず灰原は距離を詰めた。その勢いに押され、たまらず深紅はすぐに足場を作って刀と拳で打ち合い踏みとどまる。衝撃ではじけた雑居ビルの窓ガラスと、ボロボロと零れ落ちてきた天井。しかしそんな周囲などまるで意識せず、二人の男はぶつかり合う。

 

『俺は、諦めたことがある。人間とは何か、正義とは何か、善とは、悪とは。分からなくなって、想いをぶつけて、答えを得た。人間の輝きは、きっと俺では届かないところにあった足掻きと情熱の結晶なのだと』

 

『薄々感付いてはいたが、貴様もただの人間ではないな』

 

『だが、そんなものは関係ない! 俺に人間の愛と希望と、優しさと情熱と想いと夢を教えてくれたのは!! ただの人間ではないからだ!! 連れ添う二人の互いを想いあう心こそが人の命の輝きであると! 人を想いやり、笑いあい、共に泣けるその感性こそが人であると! 誰かのためにと思える心があれば、それは既に人間だ!!』

 

『綺麗事を並べるだけが正義の味方とは恐れいった! ならばその幻想もろとも、お前の未練を断ち切ってやる! お前には、いいや、俺たちにはそんなものは必要ない!』

 

『灰原!! 何故分かってやれない! お前の部下は人と愛を育める人間だ!』

 

『たとえその能力があったとしても、その根本はアンドロイド! 戦いを使命とし、本能とし、それだけを求められて作られた道具だ! 道具が道具の在り方を放棄して、そこに何の価値がある!』

 

『生まれた時は誰しも子供だ! 子供が大人へ変わっていくことに何の不思議がある!』

 

『それは詭弁だ、深紅!! CCRにあって、人としての成長など必要ない!』

 

『何故理解を拒む、灰原! お前は憧れたことが無いのか、人の命の輝きに!!』

 

『黙れ、俺たちには無意味な渇望と知れ、我々にそんなものは不要だ!』

 

 ぶつかり合う刀と拳。剣閃と光弾。幾度となく崩れ揺れるこの雑居ビルは、まるで荒廃した世界の遺物のようにむき出しの鉄骨と崩落したコンクリートで彩られていく。

 

 深紅の想いは、己の人生の軌跡そのものであった。

 灰原の咆哮は、そんな未来を自ら拒んだ嫌悪の衝動であった。

 

 その二つがぶつかり合い、捩じれ、引き裂かれていく。

 

 ざく、と鈍い音が鳴り響いた。深紅の肩に突き刺さる灰原の刀。そして、刺し違えるように深紅の放った光弾が灰原のふくらはぎを打ち抜いた。

 

『……灰、原ぁ……!!』

『深紅ッ……!!』

 

 戦いが進むにつれ、周囲の建造物が壊しつくされるにつれ。

 壊れたものばかりなら、新たに壊れるものが減るように。深紅と灰原の戦いも、勢いを弱めていた。互いに倒し尽くす勢いでぶつかり合えば、疲労が積み重なってガス欠となるのも当然のこと。

 

 満身創痍となった二人の男は、しかし戦意だけを滾らせて互いを睨んでいた。

 肩を抑え、よろけながらも。

 足を抑え、膝つきながらも。

 

『……俺は、この一件が終わったらこの街を出るつもりでいた』

『なに……?』

『お前に条件を飲ませられれば、俺の存在はお前に銃口を突き付けているも同じだろう? そしてもし灰原がこの話を蹴れば、どのみち俺は追われる身だ。火の粉を被りにこの街で過ごすほど馬鹿じゃない』

『……甘い男だ。そのあたりは安藤とよく似ている』

『正義を……探しているからな』

『無駄だ。正義など、それこそ人によって千差万別。貴様の一存で決められるなら、そもそもこの世に悪など無い』

『ああ、それは痛いほど……知ったよ』

『深紅。貴様は何をもって、安藤小波を庇った。それこそ貴様が最初に言っていたように、貴様と安藤で組んでCCRに歯向かうくらいすれば良かっただろう』

『そんなの、決まってる。あいつには、野球選手で居て欲しいからだ』

『――』

 

 何を言っているんだ。と灰原の目が丸くなる。戦意すら一瞬霞むほどに。

 

『言っただろうが。あいつがどんな出生であれ、どんな仕事をしているヤツであれ。俺を付き合わせて投球練習に興じた姿も、チームメイトと楽しく酒を飲む姿も、……大事な人と、連れ添う姿も。戦闘用アンドロイドなんかじゃない、夢を勝ち取る人間だったんだ。仲間と一緒に野球をするのが、誰かと共に生きるために頑張るのが、あいつの今一番大事なことだからだ』

『……つくづく、甘いな、ヒーロー』

『気取りが外れたな。むしろ賞賛されている気分だ』

 

 片眉を上げて挑発げに笑う深紅は、灰原と戦うために再度構える。

 その、瞬間だった。

 

 ぐらぐらぐら、と大地震もかくやという地響きと揺れ。次の瞬間には天井も外壁も大破し、とうとう歯抜けのジェンガが崩れるようにビル全体が傾いていく。

 

『ちっ、ここはちょうど中層だったなッ……!』

 

 14階建てのビルの、8階。そこが彼らの戦っていた場所。

 そこそこ平米も広いビルではあったが、あまりに自由に戦い過ぎた。

 

『灰原ッ!!』

『ふざけるなよ』

 

 灰原を抱えて脱出しようとした深紅を、ソニックブームを放つことで灰原は牽制する。その意味を取り違えた深紅は渋面を浮かべて両手を上げ、今は戦意がないことを示すも、灰原は嗤う。

 

『甘い奴だ。――貴様の手を借りようなどと、思う訳がないだろう』

『そんなこと言ってる場合かよ!』

 

 灰原は足のせいで動きが鈍い。肩が刀傷で痛むとはいえ、ソニックブームを回避して肉薄するくらいは造作もなかった。灰原に近づき、強引にでもその肩を、と思ったその時。

 

『お断りだ、ヒーロー。そうだな、こう言ってやろう。"嫌だ"』

 

 感情を表に出すような、歪めた口元で放たれたその言葉。

 驚いた深紅が何をするよりも先に、放たれたソニックブームが深紅の腹部を強打する。そのまま割れた窓ガラスの方角へ飛ばされ、宙を舞った深紅に戻るすべはない。

 

 滑空は出来るかもしれない。だが飛ぶことはできない。

 

 深紅が手を伸ばすよりも先に、灰原の居た8階は押しつぶされた。

 

 

『灰原あああああああああああああああああああああああ!!』

 

 叫び、落ちる。落ちる。

 

 ああ、何が"嫌だ"だ。

 

 

『お前も立派に人間じゃねえか、灰原』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《ワクワクなえぶりでい》V――信じて貰えないかもしれないけれど――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 狂犬ドッグスとの練習試合を午前中に終えた俺は、キャプテンの権田と共にあれこれと協議を交わしていた。

 

 俺の成績は、投手としては7回を投げて12奪三振、被安打は2、自責点はなし。

 打撃は五打数あって四安打。打点は三点、ホームランも一本打った。

 そこそこ調子を取り戻してきて一人頷いていた。

 

 木製バットはやはりまだ慣れないが、試合勘は全盛期の頃に戻りつつある。

 

「小波が大活躍なのは有難いんだがよ。……いや、有難いんだ。悪く言いたいわけじゃねえ。けど、俺たち元からいた連中が不甲斐ないのはな」

「権田だって今日は4-2で1打点じゃないか。チームの要をやりながらこの成績を出す難しさを、俺はよく理解しているつもりだ」

「やめろ。お前に励まされると余計に凹む」

 

 はあ、と嘆息する権田には、俺が何を言ってもいまいち効かなさそうだ。

 ……どうしたものか。なんだかこの感じには既視感がある。

 

 かといって俺が手を抜くわけにもいかないし、何が一番いいのか分からない。

 頼りになる人間が居るということもなし。

 

 いつかは、そう。あれだけチームを纏め上げながらも癖のあるメンバーに好かれ、高い壁を乗り越えた奴らが居たが。……やめよう。俺は彼にはなれなかったんだ。

 

「権田、一つだけいいか」

「なんだ?」

「お前を励ましてもこうして冷たくあしらわれることが、俺は辛い」

「……なんだそりゃ。いや、分かってるんだよお前が良い奴だってことは」

 

 瞠目して、ついでげらげらと権田は笑う。けれど、それが元気が出たようには見えなくて、やはり俺は心配になった。どことなく、彼の悩みは分かるような……分からないような気がするから。

 

「俺の昔の知り合いに、悩んでいる仲間を励まして、味方にして、チーム一丸となって甲子園で優勝するようなヤツが居たんだ」

「なんだそのカンペキ超人は。お前じゃなくてか?」

「俺? 俺はそうだな……せいぜいが踏み台ってところか」

「……ちょっとついていけねえ次元の世界の話みてえだ」

「俺と彼の何が違うのか。そういうことで今でも悩むことはある。権田が思いつめていることを、きっと彼なら理解して全部解消できるんだろうと」

「ないものねだりをするつもりはねーよ。元々、助っ人だって俺は必要ねえと思ってたんだ。……いや、お前をのけ者にしたい訳じゃない。けど、その、なんだ」

「……お互い、苦労するな」

「いや、むしろありがたいよ」

「は?」

「お前でも悩むことがあるんだって思っただけで、若干俺はすっきりした。お前には悪いがな」

「……そうか」

「悪いな」

「いや、なら良かった」

「はあ?」

 

 分からねえやつだな、とがしがし頭をかきながら。それでも確かに、権田はさっきよりも良い表情で隣を歩いている。

 

 俺の弱さを見せれば良かったということなのか。いや、弱いものは守られこそすれ、人をけん引するリーダーになれるとは思えない。……難しいものだな。

 

「ところでよ、小波。お前、……カシミールにはよく行くのか?」

「いや、金がないからな。基本的に飲食店に足を運ぶようなことはあまりない」

「カンタくんが妙に懐いているから、そういうことなのかと思ったが」

「……あの店ラッキョウがないしな」

「は?」

「いや、こっちの話だ」

「らっきょ……カレー屋にか?」

「俺は福神漬けよりもラッキョウ派なんだ」

「ぶははははは!! お前、本当に面白い奴だな!! なんかもう、俺の悩みが馬鹿らしくなってくる」

「で、カシミールがどうしたんだよ」

「そう不愉快になるなよ。……いや、奈津姫は一人であの店を切り盛りしてるわけだろ。……大変そうだなって思わないか?」

「いや、俺が最初来た時からそうだったから、そういうものだとしか」

「ああ……元々、当たり前だが旦那が居たんだよ。亡くなったがな」

「なるほど。理解した。……なら、権田が手伝いに行くのはどうだ?」

「俺は俺の仕事があるからな……というか、その、なんだ。魂胆が透けて見えるんじゃねえかと」

「手伝いたいという純粋な想いを、魂胆と言い換えるのはちょっと違うんじゃないか? 人の助けになりたい気持ちを、そうやってゆがめるのはよくないと思うぞ」

「前からが少し思ってたがお前結構面倒くさいな!」

「面倒臭いとは失礼な!」

 

 けどまあ、と権田は言葉を切った。

 

「ありがとよ。そうだな、誠心誠意で言ってみるわ。邪念を自分で隠そうと必死になると、余計に滲みだしちまうかもしれないしな」

「邪念……?」

「いや、こっちの話だよ」

「そうか」

 

 先ほどとは真逆のやりとり。

 権田と軽く笑いあいながら、ようやく商店街にまで戻ってくる。

 

「ともあれ、今日の試合もお疲れさん。木川もスタミナに難があったから、抑えに回れるのはきっと楽だろうし……"お前の"助っ人には本当に感謝してる」

「こちらこそ。ジャジメントに勝とうな」

「おう。……そのスカーフ? ストール? 似合ってるぜ」

「ありがとう」

 

 それだけ言って、権田は商店街の人込みに消えていく。

 だいたいの試合の総括も終わっていたし、意外と権田とも打ち解けられた気がする。

 何かが引っかかった気もしたが……それは追々でいいだろう。

 

 そんなことよりも、腹が減った。

 何故腹が減ったのか。それはきっと、この店が目の前にあるからだ。いや、そうに違いない。腹減り喫茶店め、覚悟しろ。

 

 呑気に扉を開くと、来客に気が付いたドリルメイドがくるりと振り返り営業スマイルを張り付け――ない。張り付けろよ!

 

「しゃっせー」

「ラーメン屋か!」

「お会計はセルフサービスとなっております♡」

「まだ何も頼んでない……」

「接客するコストへのサービス料かな」

「そんなに俺の接客嫌なのかよ!」

「それはともかく、コーヒーでいいの?」

「はい……もういいです……」

 

 コーヒー入りますー、と准の元気な声がホールに響き、なんだか敗北感を交えて俺は席につく。しかしコーヒーばっかで胃に穴が開きそうだ。

 

「…………」

「あ、維織さん。今日は何を読んでるの?」

 

 案内、というほど案内はされなかったが、ここ座れとばかりに准が去り際指さしていった席には、既に先客が居た。先客というか、彼女が客で俺はおこぼれというか。

 なぜか俺にコーヒーを奢ってくれるお姉さんこと維織さんだ。

 

 彼女はゆっくりと、それはもうゆっくりと顔を上げると、答えの代わりに小首をかしげる。

 

「…………おなかすいてる?」

「え、あ、うん。それなりに」

「………………准ちゃん」

 

 維織さんが特に張りもしない呟きのような声を上げると、颯爽とドリルメイドがやってくる。こいつの耳どうなってるんだ。

 

「はぁい、ご注文をお伺いいたします、お嬢様♡」

「ハムサンド……50人前」

「そんなに要らないから!!」

「かしこまりましたぁ♡」

「かしこまるなよ!」

 

 くるりと踵を返した准が、本当に注文を取りにいった。

 俺の胃袋は宇宙じゃないんだぞ……。

 

「……宇宙の不思議」

「なにが!?」

「…………本のタイトル」

「今答えたの!?」

 

 どういうタイミングだよ、と突っ込むよりも先に。

 トレイの上にコーヒーを載せた准が上機嫌で戻ってきた。

 

「はい、こちら無料で飲めるただ飯食らい専用コーヒーとなっております♡ 一息にぐいっと飲むとよろしいかと♡」

「ホットコーヒーでそんなことしたら人の胃キャンプファイヤーしちゃうだろ!」

「そんなことより小波さん」

「そんなことなんだ!」

「今日はかっこいいよ」

「今日"は"!! 次に会うのは法廷確定だな!」

 

 とんでもない失礼なことを言った准は、すぐさま背を向けて言ってしまう。

 俺の告訴状が彼女の耳に届いたかも怪しい。

 おのれ。

 と、そこで俺の方へ向けられた視線に気づいた。

 

「どうしたの維織さん」

「………………似合う」

「へ?」

 

 この人本当にちゃんと本を読んでいるのだろうか。

 

「お待たせしました♡ ハムサンド50人前です♡」

「待ってない! ……というか、マスターも悪ノリに気づいてくれ」

「気づいてると思うけど、面白いしちゃんとお金が出るから。で、小波さん。ちゃんと食べてくれるよね♡」

「く、くそおおおおお!!」

 

 やってやるよ!

 実際、腹は減ってるんだ。ここは一つ、寝貯めならぬ食い貯めを……。ああ、出来ればいいのになあ。両方。

 哀愁漂う感情とともに、ハムサンドを片っ端から平らげていく。

 とはいえすでに五人前の時点でわりとお腹は十分満たされているのだが、まだ一割。打率にしたらとんでもないへっぽこだ。小波かよ。あいつバッティングセンスは皆無だったからなあ。

 

「……私も餌付けしてみようかしら」

「ふぁふ!? ごくん……また訳の分からないことを!」

「あら、気に障った? やっぱり男の子はご奉仕して貰いたいものなのかな。ねえ、ご主人様♡」

「お、俺はそんな人間じゃないぞ。そんな簡単に誘惑に乗る男じゃない」

「へ~」

「……そもそも、お前、他の男の客にもそんなことして遊んでるんだろ?」

「ハムサンド追加する? お腹空いてるみたいだし」

「何故!?」

 

 まだあと30人前近く残ってるわけですが!?

 見て分からないんですかね!?

 維織さんも何か言ってあげて――ダメだ本から視線を外さないこの人!

 

「――そんなことしないよ。貢がせたり男を馬鹿にしたり、面白いと思う?」

 

 おかしいな。心当たりが幾つもあるぞ?

 だいたいこの前の件も……。

 

「じゃあ、なんで俺にやるんだよ」

「それはご主人様だからに決まってるじゃないですか♡ だって、貴方は私だけのご主人様だから♡」

「じゅ、准……お前……」

 

 もしかしたら、若干、少しだけ、ワンチャンこいつ俺に気があるんじゃないかと思っていたが……そうか……そうか……。

 

「ほ、本気で……」

「やっぱりそんな人間じゃないの」

「えっ」

 

 えっ。もしかして。

 

「演技?」

「当然でしょ。さっきの顔、かなり犯罪チックだったよご主人様♡」

「……」

「ケモノね! ケダモノーー!!」

 

 う、うわあああああああああああああああああ!!

 人の純情を弄びやがってえええええ!!

 

 

 

「あ、逃げた」

「…………准」

「なんでしょう、お嬢様♡」

「楽しそう」

「…………維織さん?」

「嬉しそう」

「……えっと。私、首になったりします?」

「…………なんで?」

「だって――」

「それを分かってて、私の前で准が楽しそうってことは、そういうこと」

「……」

「…………首にはならない」

「ありがとうございます、お嬢様♡ 私、頑張りますね♡」

「……あんまり頑張らなくていい」

「ひどいっ♡」

 

 




次回からケラケラケミカル。

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