風来坊で准ルート【本編完結】 作:しんみり子
「いらっしゃいませ♡ ご主人様♡ 性懲りもなく♡」
「なんで一言余計なんだよ、来るよ! ただでコーヒー飲めるからな!」
「はいはい。いつものね」
颯爽と身をひるがえし、彼女はいつものように注文を伝えに戻っていく。
俺はと言えば、准が物凄く適当に「あそこ」と指を差した席に座って彼女を待つ。
いつも通りの日常。もはや、最近はこの流れが定着してきていた。
「お待たせいたしました、ご主人様♡ 無料で提供される可哀そうなコーヒーです♡」
「だから金は出してるだろ!」
「維織さんがね。何度も言うけど」
どす黒いオーラを身に纏い、半眼で見据えられると流石に俺としてもビビる。
この眼光だけは裏社会でも通用するクラスじゃないだろうか。
「小波さん、暇だからなんか話してよ」
「それでいいのか接客業……」
確かに今日は普段に比べてもだいぶ空いている方ではあるし、埋まっているテーブルも既にカップや皿がサーブされたあとのようだ。これなら会計でもない限り、彼女も確かに暇だろう。俺が追加注文なんかするはずがないのだし。
しかし、話題か。話題ねえ。
昨日のこいつの悪ふざけを続けさせるわけにもいかないし、と少し考えてふと思った。当たり前すぎてスルーしていたが、そういえば聞いたことがなかったことを。
「なんでメイドなんだ?」
「え、今更? 喫茶店のウェイトレスといったらやっぱりこれでしょ? フリルとか可愛いし。大変だったけど」
「大変……ああ、なるほど」
彼女の夢はデザイナーだったか。
とはいえ、服飾のデザインにはデザイナーの他にもパターナーが必要だし、縫製に関してもまた人の手が加わる。それを一人で拵えようなどというのは、ましてやこれほどの服装をとなると……どうやら、俺が思っていたよりずっと腕が良いようだ。
「服飾学校とかで共同で作った……わけじゃないのか?」
「んーん。私一人でやったよ。ていうか服飾学校じゃないよ、私。大学も経営学部。……でも小波さん、ひょっとして意外とそういう方向詳しいの?」
「なんでだよ」
「普通、デザイナー目指してるならメイド服くらいさっと作れる、みたいに思われるからさ。というか、私の夢を知ってる親戚とかはだいたいそんな感じだったし」
「詳しいわけじゃないぞ? 聞いただけだから」
「え、私の話?」
「准の話というか。ほら、一緒に入った……っていうと語弊があるけど、ブティックがあっただろ? あそこの人がこの前の狂犬ドッグスとの試合を見に来てたから、デザイナーってどんな仕事なのか聞いてみたんだよ」
「……なんで?」
「そりゃ……」
なんで、か。なんでだろうか。
その質問に明確な答えを持っていたわけではなかった俺は、一瞬詰まった。
言ってしまえば流れだろう。准がそういえばデザイナーを目指していると言っていたから、どんな職業なんだろうかと疑問に思った。
その程度だ。
ただ、別に大して繋がりが強いわけでもないこの少女の将来の夢に、俺が興味を持つというのも、言われてみれば変な話だ。
だが。思い返せば。
「……俺は、人の持つ夢ってものが好きだから」
自然と、答えは出た。思わず、すっきりして表情がほころぶ。
甲子園に行きたいという誰かの想いがなければ、俺はきっとここに居ない。
誰かと添い遂げたいという願いがなければ、俺はきっとここに居ない。
『深紅。俺は今年、最後の一年に挑む。テレビのある場所があったら、たまにでいいから俺の雄姿を見届けてくれ。必ず、優勝してみせる』
――その強い意志を。未来の希望をつかみ取ろうとする人の心を。
俺は、助けたいと思ってしまうんだ。
「……ふうん」
「人に聞いておいてその態度!!」
「ちゃんと聞いてるよ」
「じゃあこっち向けよ!」
「いや♡」
「話題を要求しておいてこの仕打ちはあんまりじゃないか……」
後ろを向いたまま、一切顔を見せない彼女の背。
小さくても、見事にぴったりと縫製されたその衣装姿がまじまじと目に入る。
……こいつも、頑張ってるんだな。せめてもう少し俺に優しかったら表立って応援しても変な感じにはならないんだが。
「しかし、メイド、メイドねえ」
「なに?」
「いや。准はメイドっていうよりも准って感じだな。ありのまま接客してるというか」
そういうと、ようやく准はこっちに振り返った。
……なんで目を隠してるんだよ。いかがわしい店みたいだろ。
「私はこっちの方がいいかなって思ってるんだけど。それとも小波さんは他のがご所望なのかな?」
「いやそんなことは一言も……。ていうかその目隠し外せよ。失礼だろ」
「ほんとに失礼。顔が」
「この前やっただろそのくだりは!!」
「ご主人様はどれがお好みなのですか? ドジっ娘? 妹? それともツンデレ?」
「聞けよ!!」
「ご主人様はどれがお好みなのですか?」
こしこしと袖で目を擦る准。お前、大事な衣装に化粧ついたらどうすんだよ。
ようやく俺を見た彼女の目はなんか赤かった。よく見れば頬も赤い。
「いや准で良いよ……。ていうかなんで泣いてるんだよ。俺なんかしたか?」
「あまりに小波さんが失礼すぎて泣いちゃったよ。准でいい、ってなによ」
「いやいやいやいや明らかにその前から――」
「准、で?」
「准が良いです! はい!」
だからその意志の光が感じられない瞳でこっち見るのをやめてください。
「うんうん、そっかー、私が良いか~」
「誘導尋問どころか誘導拷問……」
「じゃあ、お礼に今度全部やってあげるね?」
は?
《ケラケラケミカル》III――全部載せとかラーメンかよ――
商店街の野球チーム、ブギウギビクトリーズは、今日も8-0でマックスパワーズに勝利を挙げた。午前中に試合が終わったこともあり、上機嫌の権田がそのまま俺にカレーを奢ってくれる流れになっていた。
よしよし、27奪三振とはいかなかったが、それでもかなりの成績を上げた甲斐がある。こんなによくしてくれるなんて、権田は本当に良い奴だな。
「試合が終わるや否や耳元で『ラッキョウ……ラッキョウ……』なんて囁かれたら連れていくしかないだろうが! ああもう、今日も良い活躍だったよクソ!!」
オレ、ソンナコトシテナイヨ?
今日の成績は16奪三振、被安打0。九回を投げ切りノーヒットノーランを達成した。三回ほどバットを折った。
打撃の方は6-3の1打点。ちょっと調子が浮かなかったが、個人成績としては上々のはずだ。……まあ、目の前の権田は5-4の4打点でホームラン一本という猛打賞だったわけだが。ていうかこいつの4打点中2点は俺がホームを踏んだ数字だ。
「権田の調子もかなり良かったじゃないか。お前のリード、普段よりずっと投げやすかったし。バッティングも良かった」
「今日はまあ、褒められて悪い気はしないな。……試合前に奈津姫から『頑張って』って言われたからな、これはもう負けられねえと思って」
「分かりやすい奴だ……」
「うるせえよ。……結局、試合には来てくれなかったみたいだけどな。あ、武美は来てたぞ、良かったな小波」
「あー、だからな……?」
いい加減、権田一人でも誤解は解いておいた方がいいかもしれない。
ラッキョウカレーを食べにいって、そこに武美が居て余計ややこしいことにでもなったら、誰も得はしない。なにより、武美に失礼だ。
さて、どう切り込んだものか。当然ながら権田に全てを話すわけにはいかない。
「お前には本当のことを話しておく」
「……ひょっとして、マジに違うのか?」
「言ってるだろ」
驚いたように瞠目する権田に、言葉を続ける。
いつも通りの商店街への帰り道。一応、バッテリーを組んでいる相手ともあってか、割とこの一か月ほどで権田とは打ち解けた気がする。ある程度なら、気持ちを汲んでくれもするのではないだろうか。
「武美は一人暮らしだろう? ……俺はこんな風来坊だから、親御さんとも縁が出来てな。武美には言伝をするつもりでこの町に来たんだ」
「ならなんでささっと言ってやらねえんだ?」
「別居の事情が事情なら、そう簡単にもいかないだろ。俺はこの町に来て、武美がとても楽しそうに今を謳歌していることを知った。なら、頼まれたとはいえ苦い過去を直接伝えるべきかどうか……見極めなきゃいけないと思ったんだ」
上手く言えた気がする。
その証拠に、権田もふざけたテンションはなりを潜めて……あれ? なんか、思ったより深刻そうな顔してないか?
「……その、なんだ。茶々入れて悪かったな」
「構わないさ。俺の言い方が悪かったんだ。お前が勘違いしてしまうのも当然だ」
「そんなことねえよ。お前と安藤小波選手の話を聞いた時も思ったが、お前の人生に比べて、俺は少し人生そのものが小さかった。協力するよ、武美の件」
ぐ、とサムズアップする権田。良い奴なのはありがたいんだが、買いかぶりすぎだ。
お前の方がよほど、自分の中で大きな問題と向き合ってて、頑張って――
「だからよ、ちょっと、俺の方にも協力してくれ。な?」
「台無しだぁ」
そんな俺たちの背中を、見ているひとりの影があるとは気づかずに。
(そして・・・)
カシミールでカレーを掃除機のように平らげた俺は、その足でいつものように喫茶店へと向かっていた。しかし、一般人小波深紅凄いな。野球の試合をしてカレーを食べて喫茶店でコーヒーを飲む。優雅! 優雅過ぎて自分が怖くなる。
今日も己の心を落ち着かせ、ゆるやかにブレイクタイムを――
「お兄ちゃんなんてじぇんじぇん来なくてもいいんだからね! あう、噛んじゃった♡」
あ?
「どうしたのよお兄ちゃん! 入るなら入っちゃってよ! 空調がもったいないでしょ!」
「え、あ、……えぁ?」
ごめんちょっと理解が追い付かない。
深紅サーモグラフィーで感知したところ、間違いなく目の前の生命体Xは夏目准通常型だ。にも拘わらず誰だこいつは。魂か? 魂が入れ替わってるのか? 誰に? 俺の妹に? いねえよ!
「しっかりしてよねお兄ちゃん。なんでお兄ちゃんなんかを私がお世話しなきゃいけないんだか……」
「どうでもいいけどお前、エプロンの裏表が逆なのはわざとか?」
「え、あっ……!」
ものの見事に顔が真っ赤になった。
「も、もう! 早く言ってよ! バカお兄ちゃん! 勝手に座りなさいよ!!」
「いつも勝手に座ってるだろ……」
きゃ、と何もないところで転んでいった。……スパッツかよ。
しかしなんなんだいったい。
俺の理解を遥かに超えた状況じゃないか、これは。
何が起きているんだ。この世にブラックホールでも開いたのか?
ゲームじゃあるまいし。
席についても俺の混乱は収まらないままだったが、追い打ちをかけるようにメイドがテーブルへやってきた。
「はい、コーヒー。わざわざ淹れてあげたんだからありがたく飲みなさいよね! あとこれ! サンドイッチ!」
「……いや、頼んでないが」
「あ、あああ余っただけよ! わざわざお兄ちゃんのために作るわけないでしょ!?」
「なあ、このサンドイッチ、またしてもマスタードにパンが挟まってるようにしか……」
「た、食べなくてもいいわよ? べつに、手作りとか、してないし……」
「おい、その、これ見よがしにつんつんしてる人差し指についた大量のばんそうこうは何だ」
「きゃっ、な、なんでもないわよ!!」
頭痛ぇ……。
「頼む……そろそろ普段の准に戻ってくれ……」
「あら。お気に召さなかった?」
「お気に召すとでも思ったのか!? なあ、なあ!!」
「そんな食い入るような目でマスタードサンドマスタード指差さないでよ」
「マスタードサンドマスタード!! そうか、幾度も俺を苦しめるお前の名はマスタードサンドマスタードというのか!! 覚えたぞ!!」
「なにしてんの」
「それは数秒前までのお前に言いたい……」
先ほどまでの無駄なキャラ遊びはどこへ行ったのか。けろっとした顔でいつも通りの准がそこに居た。無駄にほっとしてしまう自分が悔しい。こいつだって随分な劇薬なのに。
「なんでこんな訳の分からないことをしたんだ」
「だって小波さん、私なら何でもいいんでしょ? だからツンデレドジっ子妹やってみた」
「頼むからありのままの君で居てください」
体力が50は下がった気がするんだ……。
「ねえ、小波さん」
「なんだよ」
「ありのままの私なら、受け入れてくれるの?」
「は?」
こいつは何を言ってるんだ。と顔を上げた時には既に彼女は踵を返していて。
「冗談だよ♡」
と振り返りざまに微笑んだ。