SSXのトチローさんです
その頭に獣耳をつけてください。尻尾があってもいい。
心の準備はできましたか? では、トチローさん懐妊話へ参りましょう

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子をはらむ猫

 

 

 

 

 

 

 

 頬に手をあてて何事か考え込んでいる様子のハーロックに、物野正はおずおずと問いかけた。

 

「どうでした……?」

「ふむ。今は近づかんほうがいいんだろうな。引っかかれた」

 

 革手袋の下から、頬を横切るくっきりと赤い筋が2本現れる。

 それを見て、正の目が驚きに丸くなる。

 

「だって、そんな……キャプテンですらダメだなんて……」

「食うかわからんが、水と飯だけ多めに置いといてやってくれ。ああ、部屋の奥までは入らなくていい」

「わかりました……わかりました、けど……!」

 

 艦橋へ向かおうとする背中に、なんと問いかければいいのか。

 言葉を探す正を振り返って、男はゆるく口角を上げた。

 

「なに、大丈夫だ。あいつが大丈夫と言っていたから、大丈夫なのだろう」

「もう、どっから来るんですかそんな余裕は!」

 

 彼らにしかわからない理屈で、誰もが納得できると思わないでほしい。困ったことに、寡黙な艦長だけでなく、造船技師であろうと、話が通じないという意味では変わらないのだ。特に今は……。

 

 正はため息をついて、自分の持ち場に――キッチンに向かった。

 

 

 

 

 

 汁物はやめた方がいいかな。熱いものも危ないかもしれない。

 フォークや箸もどうなんだろう。スプーンか、それとも手づかみで食べられるものか。

 考えた末にプレートに盛られた食事の量は普段の1.5倍はあろうか。それに水のボトルを押し込んで。

 ためらい、控えめにノックした扉の向こうから、返事が返ってくる様子はない。

 そっと開けた部屋の中は暗い。だが、いるのはずだ。そんな気配が予感がする。

 

「あの……ご飯、ここに置いておきますね」

 

 部屋に入ってすぐの床に食事と水を置く。

 顔を上げて、そっと伺った部屋の奥の、暗がりに、いた。

 チカリと光を反射する一対の目がジッとこちらを見ていた。

 思わず駆け寄った。途端、低く唸る声が床を這う。それは到底ひとの声には聞こえなかった。闇に慣れはじめた目は、光を恐れるように暗がりに小さくうずくまる男の姿を見た。

 マントか、それとも毛布か。頭からすっぽりと体をくるみ込んで、乱れた髪の間からわずかに光る目がのぞくのみ。正は膝をついて、その小さな眼を覗き込む。だが、こちらを窺う瞳の中に、いつまで待っても知性の色は見出せなかった。

 

「トチローさん……」

 

 縋るように呼びかけた名前にも、返事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あいつは、そこにスイッチがあったら、押さずにはいられない奴なんだ」

 

 どうしてこんなことに、と問いかけた正に、ハーロックは少し考えてから、そんなふうに言った。

 

「スイッチって……押したらなにが起こるかわからなくても?」

「なにを起動するのかそれとも停止するものか、まずは調べたくなるのだろう。それが、たとえ惑星を破壊する装置に繋がろうと、艦の自爆用であろうと、次にあいつはそれを押したくてたまらなくなる」

「だって、そんな危険がわかったら、ふつうは手を出しませんよ」

「そうか? 目の前に選択肢があると気づいてしまえば、多かれ少なかれその先を期待しないか? まぁ、しかし、リスクを考えれば自制が欲求を抑えつけるものだ。おまえにだってわかることだ。だが、あいつは……あいつだからな」

 

 ふっ、と苦笑の形に唇を歪めて、ハーロックは続ける。

 

「限りなく被害を減らす策を考え、破壊さえ有効に機能する状況を作り上げるだろう。そういうことができる男だ。だが、いずれにしろ最後には、あいつはあいつの好奇心を飛び立たせてしまうんだ、と言っていたよ」

「……わかりません」

「うん。俺にもわからん」

 

 なのに、俺はあいつのそういうとこがわりと好きらしい。

 キャプテンは、そう言って膝の上のミーくんをやさしく撫でた。

 

 

 

 

 

 

 

 一カ月。

 船内に小柄なメガネの男の姿が見えなくなってから、それだけの日々が過ぎた。

 その行方は時折クルーの口の端には上っていたが、もとより研究開発だ整備だなにやらと、何日も自室や機関室に閉じこもって出てこないことも珍しくないトチローのことだ。まして、誰より気に掛けるはずのキャプテン・ハーロックが動じることなく普段通りの姿であったために、「よくわからんが何か事情があるのだろう」と大半の者がそれ以上の拘泥も追及もしなかった。大半の、から外れていた正もまた、3食を運ぶ以外になにをすることもできないままでいた。

 

 

「正おにいちゃん……トチローさんずっといないのね。もう何カ月になるのかしら」

「……まだ一カ月だよ」

「ねぇ……おにいちゃん、明日はトチローさんを探しにいきましょ、ね?」

「…………」

 

 レビがこうしてトチローを心配するのも、もう何度目か。

 最初のうちは話を合わせて慰めてやったり、レビにつきあって船内を歩き回ったりもした正だったが、面倒見のいい兄のふりは長くは続かなかった。昼間はキッチンの仕事にこじつけて忙しくしていればいい。レビに手伝ってもらう雑用だって多い。手を動かしていれば、幼い少女も身近なひとのいない寂しさから気をそらしていられる。だが、夜、並べたベッドに入るときになると、レビは決まってトチローの名を口にするようになった。

 

「おにいちゃんったら、聞いてるの?」

「うるさいな! そんなに心配ならキャプテンに言えよ!!」

 

 乱暴に怒鳴りつけてベッドにもぐりこんで、すぐに後悔した。

 心配でたまらないのはレビだけじゃない。

 夜、目を閉じると不安が頭をよぎるのはレビだけじゃない。

 

 しゃくり上げる小さな声を背中に聞いているのに耐えきれなくなって、正は起き上がった。

 

「レビちゃん……泣くなよ、怒鳴ったりして俺が悪かったから……キャプテンに、いつトチローさんが帰ってくるのか、たずねてあげるから」

「ひっく……ほんとうに……?」

「約束するよ。だから、泣くのをやめて、おやすみよ」

 

 かつて、幼い弟妹にそうしていたように、布団の上からぽんぽんと優しく叩いてやる。

 やがて、寝息が聞こえてくるのを確かめて、正は裸足でベッドから降りた。

 

 

 

 子ども達の眠る時間は、だが宇宙海賊たちにとってはほんの宵の口だ。

 人の気配のある方へと足を向けて何度か廊下を曲がった先で、幾人かの話し声が照明の明るさと同時に振り落ちてきた。開け放たれた扉の向こうに、めいめい座り込み、あるいは立って酒瓶で床を指さしてなにごとかしゃべっている男たちが見えた。広いホールは、普段はクルーがくつろぎ、あるいは仮眠のために布団などが乱雑に敷いている部屋だ。だが、今夜は布団も持ち運びのできるコンロも鍋も誰の物かも知れないサルマタも壁際によけられ、広く空けられた床面に巨大な星間地図が映し出されていた。誰かが、入り口に立つ正に気が付いた。

 

「おう、正じゃねえか。どうした、腹が減って眠れないのか?」

「は~ん。さては、おまえさん怖い夢でも見て、ママが恋しくなったんだろ」

 

 あからさまな子ども扱いに、子どもっぽいとわかりながらカッとなる。

 

「そんなにガキじゃないよ」

「なら、おねしょかい坊や」

「ちがうって! 馬鹿にすんなやい!」

 

 どッと笑い声が起きる。

 悔しくって、腕を振り上げて大きな声で叫ぶ。

 

「俺はキャプテンを探してんだ! 酔っ払いの相手をしに来たんじゃあない!」

「ははは、俺たちゃあ嫌われたなぁ。おおい、キャプテン、ご指名だぜ」

 

 立っていた男が立ち位置を変えた。

 その向こう、部屋の中央に、探していた男が座していた。

 珍しく直に床に座り込み、片膝を立てた傍らにグラスを引き寄せて、男は床からゆるりと顔を上げて正に視線を向けた。

 

「キャプテン! 話が、あるんです……トチローさんのことで。ふたりっきりで話がしたいんだ」

 

 周囲の幾人かがおもしろそうに正の顔を覗き込んだ。

 ハーロックが軽く手を振ると、座り込んでいた男達が立ち上がった。

 短い冷やかしの言葉と共に、正の肩を叩いて部屋を出ていく。

 

 ハーロックを残して誰もいなくなった部屋は、恐ろしく広く見えた。

 床が消え失せたように底のない透明な星の闇が広がっている。空の酒瓶が転がるそこには、たしかに床があるはずなのだ、と頭でわかっていても、正は足がすくんでしまいそうだった。

 

 おい、と突然ハーロックが声をかけた。

 

「とって食いやしないさ。さっさと行け」

 

 正の後ろで笑い声がして、扉の稼働音がした。

 振り返ると、今しも閉まりゆく扉の隙間から廊下を走ってゆくクルーの背中が一瞬見えて、ガチリと部屋は閉ざされた。

 

「悪く思うなよ、正。口は悪いが、おまえを可愛がってるつもりなんだ」

 

 あいつらなりにな、とハーロックはかすかに笑う。

 そして、ひとつ置いて。

 

「で、話があるんだろう」

「……はい。」

 

 正は透明な闇に踏み込んだ。一歩ずつ、床面の硬さを確かめるようにして、ホールを横切り立ち止まる。そして、きっかりとハーロックを見据えた。

 

「もう、一カ月になります。どこか、人のいる惑星に艦を止めて、きちんとしたお医者さんに診てもらったほうがいいと思います。レビも……俺も、トチローさんが心配なんです。あんな……あんな獣みたいになってしまって……」

「停泊はしない。人口が多い惑星に留まれば、それだけイルミダスに察知される危険が増える。あいつを安静にしておくべき状況で、戦闘は避けたい」

「じゃあ、ずっとああして閉じ込めておくんですか!?」

「あいつの『種族』は、時期が来れば否応なくああなる。トチローが言い置いた通りだ」

「でも、でも俺はあんなトチローさんいやだ! どうして、キャプテンはそうやって落ち着いてられるんですか! 変わらない顔で、酒なんか飲んで皆と笑ってられるんですか!! トチローさんに、なにかあったら……俺は、俺そんなの……っ」

 

 言葉に詰まってギリリと歯を噛みしめる。

 憤りは、何に対しての憤りだろうか。

 

「俺の、母は……俺の妹を産んで死にました……父は俺たち兄弟を育てるために、必死に働いたけど……結局イルミダスに殺されちまった」

 

 言いたくなかった。

 稼ぐ術のない子どもが幼い弟妹を養うためには、憐れみを買うしかなかった。大人の足元に縋りついて身の上話をして泣いて見せ、幾ばくかの金銭と食べる物を恵んでもらって生き延びた日など数え切れないほどあった。だが、だからこそ、この艦では、この男の前では、そんなみっともないことをしたくなかった。だが、零れ落ちる言葉は、涙と同じようにとめどなかった。

 

 ハーロックは力み立つ正を胸に抱きよせて、その背をやさしく叩いた。

 

「あいつは 大丈夫だと言った。今は、それを信じてやってくれないか。なぁ、正……たとえ、いつか トチローが死んでも、たとえ 俺が死んだとしても、この艦は 変わらない。ここは おまえの家だ」

「嘘だ! そんなの嘘だ!! お父ちゃんがどれだけ働いても、お母ちゃんは帰って来なかったし、妹はみっつの歳まで生きられなかった……!」

 

 言った途端、正はたまらず髑髏の胸に泣き伏した。

 

「キャプテンがいて、トチローさんがいて、レビがいて、ラ・ミーメがいて、ドクターがいて……みんながいなきゃ、アルカディア号じゃないんだよぅ……」

「それは違うぞ、正。人が死ぬということは、そんなことではない。すべてが 失われるわけではない。おまえが やみくもに恐れているようなことではないんだ。俺たちは、そんなやわな生き方はしちゃいない」

 

 ハーロックの大きな手のひらが、正の背中の真ん中を支えた。

 

「おまえが、この小さな体に、自由の意思と希望を持ち続ける限り、この艦は変わりはしない。 俺たちはおまえを独りにはしない。 アルカディア号は希望を乗せて、この星の海を飛び続ける。 いつか、おまえにもそれがわかる日が来るだろう」

 

 低く染み入るような声を、正はふしぎに暖かな香りの胸に抱かれて聴いていた。

 顔を上げると、肩越しに広がる黒いマントの裾がどこまでも続く星の闇に溶けていた。まるで宇宙を背に負っているようだと、正は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 いつも通りに食事の盆を回収しようとしたとき、ほとんど手をつけられていないのをあやしんだ。いつもはすっかり空になっているのに。「トチローさん、今日は食べなかったんですか?」と暗がりに向かって声をかけたのは、習慣のようなもので、返事を期待していたわけではなかった。

だが、

 

「おう、正か。いやぁ、寝とって気づかんかった」

「えっ……!?」

 

 あんまり驚いたので、しばらく言葉が出なかった。

 手の中の食器をいちど見下ろして、そろそろと視線を上げる。あいかわらず部屋は暗い。だが、目が慣れてくると、ソファの上から笑う男の姿が浮かび上がった。

 

「とっ、ととと……トチローさん!?」

「おっと、あんまり大きな声を出すなよ。ちびさんが落ち着かん」

「あっ、はい……」

「まぁ、ちょうどいいか。手がすいとるようなら、ハーロックを呼んできてくれんかね」

 

 食事の盆を手に駆けだした正の背中に、「おーい、食うから置いてけー」と聞こえたが、そんなことで足は止まらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひぃ、ふぅ、みぃ。ほら3匹だ」

「その数え方はないだろ」

「3人かね? しかし、まだ猫の仔と変わらん」

「頭がある。手も、足も。目も耳も、鼻も。こんなに小さいのにな」

「顔立ちはだいぶらしくなってきたもんだ。生まれたのは……何日か前かね。あんまり日にちの感覚もなくってよくわからんが。時々、意識は戻ってたんだが、ほとんど夢の中のようでね。昨日、一昨日くらいからか、やっと俺は俺だった」

 

 抑えた声でささやき交わす会話が、途切れ途切れに聞こえる。

 

「それにしても疲れた。正にもずいぶん世話になっちまったなぁ」

 

 顔を上げたトチローが、少し離れた場所に立つ正に向けて、にっかりと笑みを向けた。そのあけっぴろげな笑顔に、正はつられて笑った。なんだか、泣きそうな情けない顔になったと思う。

 

「トチローさん……俺、なんて言えばいいのか……よかった、ほんとうに」

「おいおい、そんなに心配かけたかね……俺の説明が足りんかったかなぁ」

 

 困ったように頭をかくトチローに、そうじゃないと正は首を振った。

 そうじゃない。心配もしていた。今は安堵もしている。でも、それだけじゃなかった。

 

 思い出したのだ。貧しさの底を這いずるようにして生きていたあの頃だって、幼い妹が生まれた日、俺たちは、やっぱり嬉しかった。幾日とたたず冷たくなった母の体を抱いて父は声を殺して泣いていたけれど、それでも俺たち兄弟を捨てなかった。いっつも腹を空かせていても、弟妹が俺の料理を食べて、汚れた顔いっぱいにほころばせて美味しいと笑ってくれたら、胸の中はあったかいもので満たされた。

 

 幸福だったなんて口が裂けたって言えない日々だった。でも、不幸なだけじゃなかった。決して。けっして。 あのどうしようもない貧しさの中で死んでいたら、俺は最後の一瞬まで貧しさを呪って、世界が俺たちに押し付けた不幸を恨み続けて、こんなことなら生まれてくるんじゃなかったと咽びながら死んだだろう。そうじゃないと、それだけじゃないと、今、生きているから、思えるんだ。

 

「トチローさん……トチロー、さん……キャプテン……」

 

 堪えきれずにしゃがみこんだ正の肩を、ハーロックの右腕が抱き寄せた。

 左腕で、トチローを。膝の上でちいさく丸まった3匹ごと。

 

「どうしたっていうんだよ、正……なんだか、でっかい赤ん坊になったみたいだなぁ」

 

 トチローの手がぽんぽんと正の頭を撫でていたが、それから、思いついたように、

「腹が減ったなぁ。おまえの飯が食いたいよ」と、朗らかに言った。声をそろえて、ちいさなぬくもりが鳴いた。正は服の袖で涙をぬぐって、ひとつ大きく肯いた。

 

 

 

 

 

 

end.


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