薔薇と蛇の招待状   作:用具 操十雄

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弱者よ、壮絶であれ ―遥かな虹を越えて―

 

 

 時は移ろうもの、人は滅びるもの。

 

 

 先人たちの経験・苦労を経た進化の果て、今も揺るがない不変の約定(やくじょう)。最高位の残虐性を持ち、最上位の皮肉屋である運命は、弱者を奴隷のように弄ぶ。

 

 故に、弱者は死を選ぶ。

 

 そこに希望があるのなら、弱者は命を切り捨てる。唾棄すべき大義名分もまた、弱者だけに開かれた道。長い歴史に裏付けされた、陰惨なりし弱者の業因。新たな悲劇へと続く螺旋階段。

 

 家族に金を残すため、保険金を掛けて死を選ぶ人間。

 魔女の嫌疑を掛けられた我が子を庇い、生きながら火あぶりにされた母。

 災害の最中、降り注ぐ瓦礫から我が子を守って潰された父。

 

 子を逃がすために捕食者(プレデター)へ立ち向かう野兎。

 家族の重荷にならぬよう、極寒の地で野垂れ死ぬ年老いた雪原の民。

 

 戦乱の最中、多くの敵を道ずれに自爆した将校。

 全身に数百の矢を受けながらも倒れることなく、主君を逃がして絶命した武将。

 

 誰も彼も、無作為に与えられた自らの生の存続が絶望的も、笑いながら死んでいく。隷属を強いる運命、惰性の生を拒絶し、その身に宿した決意には黄金の価値が与えられる。

 

 弱者はその決意を以て、運命の抵抗者(レジスタンス)となる。

 

 

 

 

 各地から集められた数十万の死兵が作る死線(デッドライン)

 

 最前線で突撃した兵隊が、巨体を並べて進軍するトロールたちの棍棒で、一列まとめて薙ぎ払われた。ばら撒かれた人間の残骸が宙を舞い、目くらましに後詰が攻めてくる。

 

 死体を足場に飛び上がった若き兵隊たちは、目前のトロールたちの頭部へ剣を突きこんだ。突きこまれた剣がグリグリと弄られ、少しでも早く死ぬように補助をする。

 

「ガアアア!」

 

 この世のものとは思えぬ断末魔をあげ、トロールは頭に風穴を開けて息絶えた。恐慌状態となった兵士は止まらず、敵の頭部へ何度も何度も剣を突きこみ続けた。返り血を拭いもせず、柄が血と脳漿に濡れても、絶命した敵の頭部へ剣を差し込み続けた。

 

 食人種たちは止まらない。後続の食人鬼(オーガ)が、兵士の頭を掴んで首を捩じ切った。首だけになった体が草原に倒れ、切り離された頭部は脳死までの短い時間、食人鬼(オーガ)の口が涎の糸を引いて開かれる場面を人生の最後に見た。

 

 死骸は誰にも顧みられず、踏み拉かれて草原に残された。

 

 そこから少しだけ外れた場所、戦場の外れに佇むはローブを纏った魔法詠唱者。

 

 獣人(ビーストマン)に比べ、食人鬼(オーガ)・トロールは戦力的に劣る。人間が食えるという誘い文句で戦列に加わったが、今さら後には引けない。生き延びたところで更なる飢餓が続くのはわかる。

 

 知能の低さは彼らを罠へ招き寄せる。簡単に食える餌ならば、それに越したことはない。食人鬼(オーガ)・トロールたちの一部がそちらへ向かった。

 

「チッ……馬鹿どもが」

 

 後方の獣人が、忌々しそうに唾を吐いた。どこの世界に、のこのこと馬鹿面下げて罠だと思わしき敵へ向かう兵士がいるものか。

 

 魔法詠唱者は左手で手招きする。その顔は満面の笑みで、夜の路地裏で人を誘う街娼に見えた。飛んで火にいる夏の虫の如く、周囲は食人種たちに取り囲まれる。

 

「もっと……もっと近寄ってこい」

 

 冷や汗を流しながら呟いた。懐に突っ込んだ手を引き抜くと、伸ばされた人差し指と中指の間に一枚の符が挟まれていた。それは出陣前の首都にて、親を獣人(ビーストマン)に食い殺されたという少女から譲り受けたもの。身寄りのない自分は、彼女の代わりに復讐を代行しなければならない。

 

 死ぬ理由があるだけで嬉しかった。

 

 ジリジリと距離を詰めてくる食人種たちが全身に食らいついた。

 

「竜王国……万歳!」

 

 最期の意識を振り絞り、自分の体に符を張りつけると符が輝き、《爆散符》という文字が浮き出た。

 

 あと僅かで死体になるはずだった彼の体は、トロールたちを吹き飛ばす爆弾と化す。爆散した血肉が周囲に飛び散り、砕けた骨が弾丸のように敵の体を貫いた。敵味方の区別なく、その周囲にいた者は弾丸に貫かれた。

 

 弱者が綴る、犬死の美徳。

 

 

 (つわもの)どもの夢、未だ果てず。

 

 

 

 

 女王は一人一人の死に様を忘れてはならない。

 

 今の彼女には、それくらいしかできない。壮絶な死に様を網膜にまで焼きつけ、二度と悲劇の歴史を繰り返さぬよう、残された命を慈しむよう、今は目を剥いて耐えるのみ。魂が一定量、集まるまで耐えるのみ。視界が涙で滲まぬよう、泣くことすら許されない。

 

 領地を治める老年貴族の騎兵、死を覚悟した彼は猛将のようだった。雄叫びで開かれたトロールの口内へ槍を突っ込み、後頭部へ貫通した槍は後ろにいるトロールの片目を貫いた。なおも勢いは止まらず、引き抜いた槍を隣の食人種へ突きこんでいる。

 

 混沌とした戦況の最中、領地で待つ家族の幻影が浮かぶ。自分と息子を笑顔で送り出した孫はまだ1歳だ。生まれた時など、皺だらけの指を必死で握ってくれる赤子(ややこ)に頬が緩みっぱなしだった。

 

 日々、息子が生まれた時と比べ物にならない喜びがある。愛する者と再会は果たせない。自分の命は、紡がれる未来への礎だ。敵を殺してから、のた打ち回って死ねばいい。

 

 貫いた槍が頭蓋の眼窩にはまり込んでは引き抜けなくなった。騎兵に後退はなく、前進あるのみ。横からトロールの棍棒が迫り、一撃で彼の左腕の骨が砕けた。激痛を振り払うように馬上で吠える。

 

「全員、突き進めぇ!」

 

 自分がここで死ぬのなら、せめて一太刀浴びせてからだ。槍を放り、腰の短剣を引き抜いて敵の顔面に突きこんだ。

 

「ギャアあ!」

 

 トロールが出鱈目に暴れるが、差し込んだ剣は離さない。後は後続の息子がやるだろう。振り返れば、女王が泣き顔で見守ってくれている。彼女こそ、死体が造る丘の上に咲く大輪の花だ。不完全にしてか弱い、竜王国の掲げる旗そのものだ。

 

「竜王国に、栄えあれ」

 

 棍棒が貴族の頭部へ叩き落とされた。潰れた兜が眼球を飛び出させ、口から潰れた脳漿が飛びした。意識を失うまで一瞬だった。馬から落下する彼の死骸を踏み拉き、すぐに息子が攻め込んだ。

 

「父の仇!」

 

 暴れるトロールの首へ、槍の切っ先が差し込まれた。

 

 本音で言えば、踵を返して妻子が待つ領地へ帰りたい。よちよち歩きの我が子はまだ1歳だ。だが、父の死を前にしながら逃げ帰り、どの面下げて可愛い我が子に自分は逃げてきたと言えるのか。

 

 たとえ、家族がそうして欲しいと願っても、無様に逃げのびるためにこの地へ集ったわけではない。

 

 奪った首級(しるし)を振り払い、後ろの食人鬼(オーガ)の心臓を目がけて槍を突き出した。その死体を引き摺りながら戦場を駆けた彼は、遂に獣人(ビーストマン)本隊へ辿り着く。

 

 不甲斐ないトロールに苛立っていた獅子は、騎乗する彼へ飛び込んだ。馬もろとも並んだ死体は、踏み拉かれて草原に消えた。

 

 死して屍、拾うもの無し。

 

 

 

 

 竜王国のありふれた日々の営み。市場は常に人で賑わっている。

 露店の女性店主が、常連の女性と談笑している。

 

「あら、奥さん! 今日は何を買っていく?」

「そうねぇ……」

「そういえば聞いたわよ! 息子さん、ビーストマン討伐に出掛けられたんですって?」

「あらー、お耳が早いわね。あの子もいつの間にか立派になって。今ごろ、そちらの旦那さんと一緒に戦場に出ているころね。ほんと……子供の成長は早いわ」

「ウチの旦那と違って将来有望ね、きっと出世するわよ! いい年してうだつの上がらない歩兵だなんて恥ずかしいったらありゃしない」

「そう言わないで。ビーストマン相手に戦っているんだから。私も美味しいもの作ってあげようかしら。じゃあ、コレとコレと……」

 

 愛とは押しつけがましく、ありがた迷惑なもの。彼女たちは今夜、帰ることのない家族を待つのだろう。彼女らが望んでいない未来のため、決して家族は帰らない。明日も、その次の日も、彼女たちは家族が欠けた未来を送る。

 

 女性客の息子は、同じ釜の飯を食ったかけがいのない戦友と戦場を駆けていた。思い出すのは、女王の演説が始まる前、先輩と交わした会話。

 

「お前、逃げろ」

「はい?」

「お前はまだ若い。今のうちに逃げろ」

「先輩こそ、年老いた祖母が待っているんじゃないんですか」

 

 彼の両親は先の戦いで、獣人に食い殺されている。年老いた祖母と暮らす彼が帰らなければ、祖母はどれほど悲しむのだろうか。それは、両親がいる自分も同じことだ。

 

「……あまり舐めないでもらえますか。餡ころ様は力を与えてくださいました。逃げるために強くなったんじゃないんです!」

 

 それっきり、彼は何も言い返さなかった。兜から覗く横顔が、見たこともない悲しい顔だった。

 

 200人の死兵は、一直線に獣人(ビーストマン)を目指す。並の人間でも束になればどうにかなる雑魚ども(オーガ・トロール)は、他の兵隊へ任せておけば良い。餡ころと共に魔獣を狩った成果が体に漲る。敵を殺せと、内なる力が咆えている。

 

 先駆けて戦場を突き進んだ黒い狼が立ちはだかった。

 

 ゼェゼェと息を荒げながらも、その口からは涎がダラダラと垂れ流しにされている。

 

 狼は飢えているが、空腹ではない。誇るべき自身の脚力を生かす場面に飢えていた。鋭く尖った牙と爪も、誰よりも早い足も、敵を殺すために使うもの。魂が揺り動かす戦場で死ぬ役目が与えられた。

 

 立ちはだかる生き餌は他より強そうだが、個としてなら自分の方が強い。ならば舞台で踊ればいい。戦場で出会った敵同士、成すべきことは決まっている。

 

 同じ時代に同じ大地で生まれ、同じ戦場で会った同胞を、殺さねばならない。種族が違うのなら、互いの命を奪い合わなければならない。

 

 牙を剥き、餓狼(ガロ)が咆えた。

 

「かかってこい、人間どもがぁ!」

 

 様子見とばかりに突きこまれた槍を払い、兵士の体を拳が貫いた。その首筋に食らいつけば、口内を満たすのは懐かしき、戦場で味わう鉄錆の味。死と生が混ざり合う、生の肉の香り。人生最後の食事に相応しいものだ。

 

 首に食らいつかれた青年兵は、捩じ切られた勢いで顔を後方へ向けられた。脳死までの数秒、瞳は泣き叫ぶ餡ころもっちもちと、泣き顔の女王を見た。

 

(ああ……よかった……本当に)

 

 死にゆく自分はそれでいい、彼女たちの糧になれるのならば、少しの恐れもない。自分で思うが、悪くない死に方だった。上手く笑えているか不安になったが、すぐに意識は途切れた。

 

「怯むなぁ! 殺せぇ!」

 

 兵隊の誰かが叫び、取り囲んだ兵隊たちが四方八方から狼を串刺しにした。心臓(モーター)が貫かれ、含んだ獲物の血が自分のものを上乗せして吐き出される。体から力が抜けていくのを感じ、狼は自分の死を理解した。潔い死に様など求めていない。戦士は戦場で花を咲かせるのだ。

 

 最期にいま一度、力よ、蘇れ。

 

 願った瞬間、脱力した足に力が宿り、両手は強く拳を握った。

 

「ビーストマンを舐めるなよ!」

 

 突き刺した剣が抜けないように抑えている人間たちの兜へ、鉄拳を叩き込んだ。既に動けないはずの体は、夥しい熱量をもって彼らを殺害してくれた。

 

 誇らしかった。

 

「俺は……ビーストマンだ」

 

 複数の兵隊を道連れに、狼の獣人は息絶えた。

 

 兜への衝撃は頭蓋の後頭部を砕き、脳へ深刻なダメージを負いながら、兵隊たちは自分が息絶えるまで一人も剣を離さなかった。およそ、これまでの人生で味わったことのない、砕けた頭蓋骨で脳が攪拌される地獄の痛みを味わいながら。

 

 息絶える直前、痛みが心地よくなっていく。最後に唇を歪めて草原に倒れた。

 

 汝、無様に生き残るなかれ。戦域で無残に死に(たま)へ。餡ころと共に強くなった200人弱の兵隊、その全てが息絶えるまで獣人を相手に戦う。これはそういう(いくさ)だ。そのために彼女は、力を授けてくれた。

 

 最後まで戦える力を。

 

「進めぇ! ビーストマンを殺せぇ!」

『うおおおおおお!』

 

 敵の隊列は度重なるブルー・プラネットの妨害で出鱈目だ。このまま進めばビーストマン本隊と激突する。そこが彼らの死に場所だ。獣人軍の横っ面を突くように、彼らはがむしゃらに突撃する。

 

 酷い乱戦だった。

 

 メスの豹らしき獣人と相対した青年は、敵と餡ころが重なって剣が緩む。戦場で手加減され、戦士の矜持に泥を塗られて激怒した彼女に両の手足を捥がれ、最後に首に食らいつかれ、そのまま顔を振って首を食い千切られた。悪いことをしたと感じながら、兵士の四肢は散り散りに草原に落ちた。

 

 人間の群れに突っ込んだ獅子は、その体が動く限り人間を殺し尽くした。誰よりも兵士を殺した彼も物量に押され、最後は笑って首を刎ねられた。その首を掴んで掲げた兵士は、背後から喉元を食い千切られ、戦場の兵糧と化した。

 

 出会い頭に両足を負傷した兵士は、敵と味方が入り乱れる戦場を這って進み、全身を滅茶苦茶に踏みつけられながら、あちこちの骨を破壊されながら、敵の下方から剣を突き上げた。不意打ちを果たした彼は満足げに笑い、その笑顔が崩れる間もなく飛び込んできた敵の足に頭を潰された。

 

 腹を裂かれた兵士は意識を失う前に敵の足へしがみ付いた。動きが鈍った獣人は魔法詠唱者の火球を受け、しがみついた兵士もろとも黒焦げになった。それでも獣は止まらず、炭化した手が崩れ落ちるまで人間の兜を叩き割った。

 

 獣人を率いる白虎は、物量に負けて左腕を切り落とされ、腹部を複数の剣に貫かれ、飛んできた矢が肩に突き刺さり、尚も全力で戦場を駆けた。激しい出血で霞む視界に、従兄の幻影が見えた。

 

(兄ちゃん……)

 

 無念にも、先の大戦で殺された白い虎の従兄。喧嘩ではいつも勝てなかったし、何度も泣かされた。彼は最後の戦地の向かうとき、友達を食い殺して強く成長していた。

 

 今、ついてこいと言わんばかりに、彼の前を走っている。

 

「先に行けぇえええ!」

 

 誰かが叫び、背中を押した。生き残った全ての獣人たちが自分に付き従う。ならば目指すは女王の首。辿りつけずとも、戦場を晴れやかに駆け抜けて、死ねばいい。白き戦士は茨のような剣の山を突き進む。人間の王へ、獣の意地を見せるため。何の意味もない、死ぬための戦。

 

 獣人相手の総力戦で、200名は一人の生き残りもなく草原に消えた。空腹に耐えきれなかったものは、その場で補給を初めた。

 

 敵味方問わず、死体から魂が抜けて行く。初めは生前の姿で死体に重なるように立ち上がり、やがて白いおたまじゃくしとなって女王の下へ向かう。残った屍が赤い川を作り出す。何度も湾曲しながら、どこへともなく赤い奔流が進む。

 

 餡ころとブルー・プラネットの思い出が、紅に染められていく。食いしばった歯ぐきから血が出て、掴んだ大地が軋み、辺りの空気が歪む。見せつけられる死の奔流に、思い出までが崩れていく。

 

「みんな……みんな死んじゃう。私たちのせいでみんな死んでいく」

「これで満足か、建御雷! 彼らを殺したのは俺たち全員だ!」

 

 二人を抑えつけている建御雷とメコン川、言葉を交わさずとも、胸の内は等しく同じ。

 

 彼らの死に様は見るに堪えない無残な有様だが、こんなにも強烈に心を掻き乱される。

 

 今は黙して語らず、その時を待つ。

 

 

 空を渦巻く魂が回転を早めていく。

 

 

 

 

 見える景色は果てのない絶望。ここに自分がいる限り、経過した時間に比例して死亡者の数が跳ねあがる。餡ころと共に訓練を積んだ強化兵たちは、全員が戦死した。その場で食い殺されたもの、死体を野ざらしにするもの、一人の生き残りもいない。

 

「もういい……もういいんだ。頼むから死ぬな……生き残れば幾らでもいいことがある」

 

 戦況は煮詰まっている。このまま放っておいても物量で人間が勝つが、生存者の数を増やすには魔法の行使しかない。死者の魂は可視化され、女王の頭上を渦巻いている。

 

「陛下、頃合いでしたら撤退を指示しますが?」

「撤退だ。総員撤退! 命を拾い、我が前に帰還を果たせ!」

 

 撤退を告げる狼煙、それを知らせる砲撃が上がった。誰もがそれを確認して、誰も撤退しない。迫りくる前線を抑えるべく、熾烈な戦いが続いている。

 

「馬鹿なっ! なぜ撤退しないのだ! 魔法を打つからさっさと戻れ! 巻き添えを食らって死にたいのか!」

「伝令! 伝令!」

 

 最後尾にいた兵士が滑り込むように跪いた。

 

「何事だっ!」

「敵を惹きつけるべく、前列は撤退を拒否! 陛下、このまま魔法を行使ください!」

 

 それが何を意味するのか、わからないはずがない。女王は国民を巻き添えに魔法を行使しなければならない。激昂した女王は伝令兵の胸に拳を打ち付けた。

 

「貴様らの死は何の意味もないのだぞ!」

「だから何だと言うのですか!」

 

 歯を食いしばって涙を流す兵に、それ以上、言葉が出てこなかった。

 

 近距離の爆発では、どの道味方に被害が出る。そう考えた最前列の兵隊たちは、敵をその場へ釘打ちにするために撤退を拒否した。結果、撤退したのは僅か半数、人の群れの半分が申し訳程度に敵軍より距離を空けた。

 

「お早く! これ以上、ビーストマンの進軍を堰き止められません!」

 

 もはや一刻の猶予もない。

 

「下がれ……お前は生き残れ」

「はっ!」

 

 女王の背後に展開している魔方陣が回転を始めた。同時に、頭上を渦巻く魂の群れが回る速度を速めていく。

 

 加速。

 

 加速。

 

 加速。

 

 人の目で追えなくなった魂は中心部へ向かう。その中心部は女王へ続いている。降下した魂が女王の中へ吸い込まれていった。背中の魔方陣が解体され、光の翼となって形を変えた。その翼で女王は少しずつ浮かび上げる。

 

 敵の姿が良く見える場所まで、天高く。

 

「愛すべき者たちよ……光となれ」

 

 天空に舞う女王の両翼がいっそう広げられてから、純白のシーツのように女王の全身を包んだ。女王の光は全身を覆い、開いた口から光の粒子が出て行った。

 

「《撃滅・廻天》」

 

 詠唱と同時、白い光の熱戦(レーザー)が食人種軍へ一直線に落ちた。巨大な半円が戦場に作り出され、食人種たちのみならず交戦していた人間たちも飲み込んでいく。

 

 純白の爆発が戦場を覆った。

 

 鼓膜を貫こうとする爆発音、視界はただ白一色。全てが白く、苛烈なほど鮮烈に漂白された。血も臓物も、踏み潰された死体も、全てが白に染められていく。

 

 ここは兵どもの夢の果て。

 

 白い光が時間を経て収束していく。剥き出しの大地の上に、熱を帯びた爆破の爪跡。敵味方の区別なく、戦場に散った戦士たちの死体は真夏のアスファルトに落ちた水滴のように蒸発した。骨の一本すらも残されていない。故郷で待つ家族は、戦死した身内の亡骸を抱いて泣くこともできないだろう。

 

 凱歌は、静寂と沈黙を以て歌われた。

 

 草原に女王が降りた。瞳孔が白く焼かれていた宰相が、目が見えぬまま労らってくれた。

 

「女王陛下。我らの勝利です」

「何が勝利だ。一人でも多く生き残れと言っただろう……馬鹿どもが」

「未来のため……でしょうか。私たち弱者にできる、唯一の無償の行為」

 

 女王が唇を噛み、震える拳を握った。

 

「報いてやる……死んだ馬鹿どもはあの世から見ているがいい。この私が! 竜王国を未来永劫、繁栄させてやる!」

 

 拳で目を擦り、白い手袋に涙がついた。

 

「女……王……」

 

 ざわめく人の波が切り裂かれ、白い虎が倒れ込んだ。

 

「残党!?」

「待て!」

 

 剣を抜こうとした宰相を制す。

 

 右目に矢が刺さり、唇は切り裂かれ、左腕の裂傷から骨が見え、幾つもの剣が腹部を貫き、肩へ矢を受けている。最後の爆発で吹き飛ばされた背中から背骨を剥き出しに、獣人最後の戦士が草原を這ってくる。

 

 生きているのが不思議な有様だ。やがて進むこともできなくなり、女王に伸ばした手が震えている。

 

 激戦を生き抜き、敵の王の前に現れた彼に報いなければならない。人間側の王として恥ずかしくないよう、マントを棚引かせて近寄った。

 

 しばし、無言で見つめ合う両者。あれほど憎むべき敵であったはずなのに、不思議と心は穏やかだ。胸を満たしているのは、同じ時代を生き、地獄のような戦争を共にした共感(シンパシー)

 

 女王の声は自分でも驚くほど穏やかで優しい。

 

「私が人間たちの王、ドラウディロン・オーリウクルスだ。ビーストマンの最後の将、名を名乗れ」

「ササカゼ……白き戦士の子」

「よくぞここまで辿り着いた。賞賛に値する、お前は私が首を刎ねてやろう」

 

 放っておいても死ぬのなら、一刻も早く首を刎ねてやらねばならない。それが、敵として相まみえた者への礼儀だ。剣を抜いた女王を見て、虎が口角を歪める。真摯な顔で跪いた女王の剣が、そっと優しく首に当てられた。

 

「やぁめろぉぉぉおおおおお!」

 

 ブルー・プラネットが絶叫している。

 

「すまん……女王」

「過保護だが、いい親だな」

 

 白い虎が、崩れた顔面で苦笑いをした。恥ずかしそうな顔は愛嬌すら感じさせた。

 

「女王……ビーストマンは最後まで戦い、誇り高く滅びた、と……未来へ」

「ドラウディロン・オーリウクルスの名において誓う。お前たちのことは忘れない、永遠に語り継ごう」

 

 安心したのか、瞳から光が失われていく。最後の白い虎の子は人間のように笑って見せた。

 

「ビーストマン、ここに滅ぶ」

「さらばだ、戦場に散った勇敢な戦士、愛すべき我らの宿敵」

 

 剣を引くと、草原に首が落ちた。女王は無言で立ち上がる。剣に着いた血を振り払い、死体に背を向けて歩き出した。

 

「さらばだ……ただ、生まれた種族が違っただけの友よ」

 

 起因するところの分からぬ涙が溢れた。

 

 彼女は振り返らない。彼女は女王、彼女は竜王。弱者が命を賭して守った命を、残された国民と竜王国を守らなければならない。女王には戦死者のために泣く時間などない。

 

 戦死者の屍を越えて、女王は確かに成長していた。人間としてではなく、一個体の生物として。一体の竜王(ドラゴン・ロード)として。敵、味方の区別はもはや無く、戦死者たちは見えない翼となって支えてくれている。

 

「宰相。総員、速やかに首都へ撤退準備だ」

「畏まりました、陛下」

 

 宰相は兵隊たちに集合をかけ始めた。

 

 女王は純白のマントを翻し、草原の赤い水溜りから歩を進める。向かう先は、餡ころの首根っこに食らいつき、彼女を抑え込んでいる獣王メコン川。

 

 姿が見えるや走り出し、剣で切りつけた。

 

「獣王メコン川ぁ! 貴様だけは……貴様だけは許さん!」

 

 

 

 

 残虐なりせば獣道。冷血なりせば獣道。強者の死に様、獣であれ。人間も所詮、一匹のケモノに過ぎないのだから。

 

 建御雷はブルー・プラネットを解放し、メコン川も餡ころの体の上から飛びのいた。

 

 立ち上がる時間すら惜しいと、獣のように走り出す。人込みをかき分け、戦域に霞と消えた戦士たちの亡骸を拾い集めるため。

 

 自分が泣き叫んでいる自覚など無い。無言の兵士たちが、壊れた強者を痛ましい目で見ている。そんな視線は関係ない。モーゼに勝ち割られた海の如く、爆心地へ続く道が開かれる。

 

 餡ころが爆心地で座り込み、両手に砂を乗せて叫んだ。

 ブルー・プラネットが落ちた白虎の首を抱いて吠えた。

 

「うあああああああ!」

「ああああぁあああ!」

 

 沈黙の凱歌の中、彼と彼女の号泣だけが草原に響き渡った。

 

 メコン川が鉄の爪に付着した血を振り払い、腕を組んで眺めている。そのふてぶてしい態度に、女王の眉間に皺が寄り、こめかみが痙攣した。

 

 建御雷が刀を鞘に納め、女王の前に跪く。

 

「女王陛下、見事な戦、感服した。弱肉強食の世界、プレイヤーに縋らずに成し得た女王の功績。私は、あなたを尊敬する」

「ありがとう……私では彼らを奮い立たせることはできなかった。いや、正確にはそれを知りながら選ぼうとしなかった……が」

 

 女王は抜いた剣をメコン川へ向けた。

 

「だが……お前だけは……お前だけは絶対に許さん! 獣王メコン川ぁ!」

 

 白銀の剣を両手で持ち、メコン川へ突きつけた。

 

「ひっ……ひひひ」

「何がおかしい!」

「後ろ」

 

 指さされた後方、虚ろな瞳の餡ころが、両手いっぱいの砂を抱えていた。

 

「ドラちゃん、見て。ほら、きっとこれがみんなの骨だよ。蘇生できるかなぁ……えへへ、みんなぁ、魔導国へ一緒に行こうね。モモンガさんに蘇生してもらうからね」

 

 そこから離れた場所では、ブルー・プラネットが白い虎の体を解体していた。

 

「共に行こう、お前だけでも。俺の武器となって一緒にいよう……」

 

 ブツブツと呟いている有様は、終戦直後にして重度の精神的後遺症(PTSD)を発症していた。戦場に散った兵士たちと比べ、あまりに不甲斐ない様に女王が苛立つ。餡ころの頬を張ろうと振りかざした手は、メコン川に掴まれた。

 

「離せ! 私に触れるな、汚らわしいケダモノが!」

「まだだ、戦争は終わってない」

「何だと! この期に及んで、貴様はまだ我らを弄ぼうというのか!」

 

 メコン川は静かに首を振り、女王の手を離した。音もなく忍び寄った建御雷が、メコン川の肩に手を乗せる。

 

「メコン川、分かっているだろう」

「ああ」

「私たちはこの地を去る」

「世話になったな、女王。私たちは行かなくてはならない」

「そんなこと言われずとも分かっている! 貴様らは魔導国へ帰れ! 二度と竜王国の地を踏むな! とっとと帰れ!」

 

 目的地への感情はさておき、過程においてメコン川と建御雷は同じ道を歩いた。

 

 (オス)とは単純な生き物である。

 

「女王、絶対強者など新世界には無用の長物」

「私たちは強者に相応しい業を背負い、ここで息絶える」

 

 そして、理解に苦しむ生き物でもある。

 

「……はぁぁぁあ? お前ら、頭がおかしいのか?」

「ここまで好き勝手に暴れて血が流れずには済まない」

「狂っている……何の意味があるのだ」

 

 陣営の外れにて、武人建御雷と獣王メコン川は20メートルほどの距離を取って武器を構えた。彼らの趣味・嗜好が理解できず、女王が割って入る。

 

「私の話を聞け! 戦争は終わったのだ。何でお前たちが殺し合う、馬鹿なのか?」

「死もまた止むなし。武士道の果ては、無為な死だ」

「違うな、建御雷。強者が晒すのは死に様だけだ」

「メコン川……お前も私も、最後まで死にたがりの馬鹿だったな」

 

 安い口車に乗って無様に死んだ弱者たちを笑うことなどできない。現実から逃げた自分たちに比べて、羨ましくなるほど完成された死だった。未来のため、笑いながら死んでいく彼らは胸に迫った。

 

 今となれば決して届かない。自分たちは招かれた異世界へ、馬鹿面下げて逃げ込んだ(カス)だ。なぜ、現実世界を牛耳っている企業の喉元を食い千切るべく戦いを挑まず、馬鹿のように差し伸べられた手を取って逃げてきたのか。

 

「私たちプレイヤーは負け犬だ。初めから、この世界に居場所などありはしなかった。無様な生き様、晒すつもりはない」

「女王、人生の最後に良いものを見せてもらった、感謝している」

 

 戦死者の死に様こそ、自分たちが現実で行うべき見本だった。

 

 そして今、死に直す機会が与えられた。

 

「餡ころとブルー・プラネットはモモンガさんに頼むといい」

「止めろと言っているんだ! この私を誰だと思っている、竜王国の女王だぞ! この私が辞めろと言ってい――」

「五月蠅い、すっこんでろ」

 

 割って入ろうと両手を広げた女王は、その腕をそっと優しく掴まれ、兵隊たちの方角へ放り投げられた。

 

「行くぞ、メコン川」

「手加減したら殺すぞ」

 

 死の嵐が吹き抜けた草原に、強大な力が衝突する。生温かい(いや)な風が吹き、空気は鉄錆の臭いを濃くする。

 

 ここだけが守られた空間であるかのように雲に穴が開き、最後の舞台へ光が差し込んだ。

 

 

 

 

《獣王壊神撃》

 

 仁王立ちする建御雷を凶爪が襲う。全方向から襲い掛かる爪は捌ききれない。ならばと、刀を鞘へ戻し、武人は居合の構えを見せる。

 

《忿怒の門》

 

 ダメージ量に応じて攻撃力が上げられた。

 

《阿修羅一閃》

 

 すかさず仕掛けられたカウンターがメコン川の体を切り裂く。胸から腰へ斜めに走る傷がつけられ、夥しい量の出血が飛び出した。

 

 両者、手傷で後退しない。

 

 狙うは相打ち、馬鹿の最後に相応しい無為な死。煽り立て、戦争を仕向けた報い。竜王国の兵、獣人連合の兵、どちらとも違う。この死には何の意味もなく、虚しいだけの死。

 

 どちらのHPも過半数を割ったのなら、スキルも術も必要ない。至近距離で武器を叩き込むだけの異常な接近戦(インファイト)。体力数値が大きく削れていく様が笑える。

 

 死はすぐ背後まで歩み寄っている。

 

「やめろぉぉ!」

 

 女王が絶叫し、全力でこちらに駆けてくる。彼女が到着する頃には、二つの屍が草原に晒されていることだろう。

 

 メコン川が息を荒げ、草原に膝をついた。縋りつくように伸ばした爪が、武人の胸から腹部までなぞった。馬鹿馬鹿しい役割演技だが、侍の二つ名は伊達ではない。同程度にHPが削れているが、武人は呼吸さえ乱れない。

 

 肩で息をしながら建御雷を見上げて言う。

 

「お見事だ……サムライ」

「メコン川、最後となると名残惜しいものだ」

「躊躇う必要はない。私の首が落ちる前に、お前の心臓が細切れになっている」

「い――」

 

 刹那、恐ろしいほどの殺気が二人の背筋を泡立たせた。女王が天へと舞い上がり、光の翼を広げている。それは、一回目の魔法で死んだ魂をかき集めた一撃。プレイヤーとは根源を別にする、異質な魔法の兆し。

 

 程なくして二人へ熱戦が叩きこまれた。

 

「止めろと言っているのだ! この馬鹿どもがぁ!」

 

 爆発に混じって聞こえたのは女王の怒鳴り声だった。死ぬつもりだったのに、自然と爆発を避けていた。それでも魔法の威力は凄まじく、二人は白い爆発に飲み込まれた。その一撃で死んでしまいそうなほど、全身が火傷の激痛に包まれた。

 

「わぁ、お空綺麗……」

 

 無垢な子供のような声で餡ころが言った。

 

 光はやがて収束し、草原に残るは天を見上げて倒れる侍と野獣。頭の先から尻尾の先まで重度の熱傷。痛みしか感じず、身動きもままならない。彼女の怒りの鉄拳を躱すような余力は残っていないが、顔面に叩きこまれた拳は痛くない。

 

「竜王国と魔導国を全面戦争させるつもりか!」

「……なぜそうなる」

「よく聞け、馬鹿ども! 魔導王とはな、仲間を探して世界を旅する、理解不能なアンデッドだ! 貴様ら仲間の癖にそんなこともわからんのか!」

「勝手に自殺したと言え。それで全てが丸く収まる」

「収まるものかっ! いいからとっとと傷を治せ! 生き残れ!」

「女王とは、あまくち体質でも成し得るのか……つくづく甘いな」

 

 空を見上げるケダモノが(わら)った。

 

「残念だが、建御雷」

「何だ?」

「私の勝ちだ」

「もう戦争は終わったのだ! とっとと貴様ら、魔導国へ帰れ!」

「終わってないもん。お父さんはそいつに殺されちゃったのに!」

 

 どこからともなく、幼さを感じる少女の声が聞こえた。女王と建御雷が顔を向けた先、メコン川の上に小さい少女が馬乗りになっていた。

 

「はぁ?」

「へぇ?」

 

 女王と武人がぽかんと口を開いている最中、少女は柄に《天》と刻印されたナイフを掲げた。太陽の光が切っ先でキラリと輝いた。

 

「お父さんの仇!」

 

 メコン川の体が滅多刺しにされた。物理無効化を解除しているらしく、面白いように刃が体内に吸い込まれた。差し抜かれてすぐ体内へ戻り、何度も往復し、メコン川の出血が赤い絨毯のように広がっていった。

 

「やめろ! 何をしている!」

「メコン川!」

「勝った……」

 

 獣の優位は揺るがない。父を食い殺された少女は黄金の決意を携えて立ち上がり、復讐の刃をメコン川の胸に突き立てた。これでメコン川が本当に殺してやりたかった者、傲慢で哀れな負け犬を殺すことができた。

 

(ざまあみろ……ああ、楽しかった。どうか、次は弱者(ザコ)に生まれますように)

 

 差し込まれるナイフは止まる気配を見せず、メコン川の意識は途切れた。

 

 

 

 

 鍛冶屋の庭で、洗濯物を干し終えた女性が遥かな空を見上げる。

 

「あの子に出来るかしら……」

 

 数分前、空へ旅立った二体の化け物が、可愛い愛娘を無事に連れ帰ってくれるだろう。晴天の彼方、大きな虹が見えた。

 

 状況を把握していないものは呑気なものだ。

 

「やー、戦争が終わってるといいねぇ」

「助力を頼まれても困るもんね。やだやだ、戦争なんて嫌いだよ」

 

 戦争が終わっていれば獣人(ビーストマン)への敵討ちは別の者が行っているし、父の仇が何かの拍子で生き残っていたとしても問題はない。与えた特製武器・掛けた魔法量を考慮すれば、人間の10倍程度の身体能力を持つ獣人の一匹くらい、どうにかなる。レベルが一桁である少女であっても。

 

 太陽光に囲まれた円形のPVP舞台へ、二体の異形種が舞い降りた。

 

 瞬時に理解したことは、自分たちは大いに出遅れたということだ。

 

 甲冑の美女にナイフを没収され、血だらけの獣王メコン川の上で号泣している少女。泣いている少女に困惑している、全身黒焦げの武人建御雷。幼児返りして空を見上げている餡ころもっちもち。意味深に白い虎を解体して、骨の人体模型を作っているブルー・プラネット。

 

「わっけわっからんど」

「ぶっ!」

 

 混沌としていて笑えてきた。

 

「仇ってメコン川さんだったの?」

「こりゃあ俺たち、だいぶ出遅れたね」

 

 意識を失ったメコン川を除く三名は、眼球が飛び出さんばかりに目を剥いた。

 

「あー、あまのまひとつと源次郎だー……はぁ!?」

「おおぉ!?」

 

 ブルー・プラネットと餡ころの精神的後遺症(PTSD)を宇宙まで吹き飛ばすほどの衝撃に、二人は慌てて立ち上がった。

 

「うわああああ!」

 

 蟹の被り物を背負ったようなあまのまひとつへ、父の仇を討った少女が泣きながら抱き着いた。蟹の鋏が少女の頭を撫でている。

 

「サキちゃーん、仇は打てたかなー? それじゃあ武器を返し……と、あちらの美女さんが持ってるなぁ……源次郎さん、ちょっと回収してきて」

「やだよ! あんな美人さんにどうやって話しかけんのよ。悪いけど自分でやって」

「そんな殺生な」

「ごめん無理」

 

 ヒソヒソ話をしているつもりだろうが、沈黙の草原で会話は筒抜けだ。奪ったナイフを持ったまま、女王が不思議そうに首を傾げた。

 

「あのー……?」

 

《はい! な、なんでしょうか?》

 

 双子かと聞きたくなるほど声が一致した。

 

「誰ですか?」

 

 女王はこの瞬間、確信する。どうやら空気が読めないのはプレイヤーの性質らしい。事情を一切、把握してない様子はいっそ清々しい。ある種の悪意すら感じさせる。

 

「女王、左があまのまひとつ、右が源次郎。私たちの友人だ」

 

 血反吐を吐き、黒焦げの建御雷が空気を読んで解説する。状況が理解できずに困惑している女王は、肩に置かれた建御雷の手がとても頼もしく感じた。

 

「や、建御雷さん」

「お久しぶりです」

「説明を願いたい。一から十まで、知っていることを全てだ」

「あ、その前にメコン川さんに回復薬を掛けてあげて」

「……どうみても死んでいるようにしか見えないが」

「大丈夫。ビースト系特攻の、あまのま特製ナイフだから」

「……回復薬が無い」

「あらら、ほいじゃ源次郎さん、回復してあげて」

「はいはい」

 

 軽度の回復魔法で、驚くほど簡単にメコン川は起き上がった。両手の指では足りないほど体を穴だらけにされていたはずだが、起き上がった体には傷一つない。あまのまひとつは幼女を抱き上げた。

 

「よく頑張ったねぇ。お父さんは後で源次郎さんが蘇生してくれるから」

「うん……」

「これでもう、復讐なんてしちゃだめだよ?」

「ふぇぇん……」

 

 蟹と人間の混血らしき彼は、幼女の弱みに付け込む幼児愛好家(ペド野郎)に見えた。

 

「説明しろ! 早く!」

「陛下! 撤退を! 兵士たちは疲弊しきっております!」

「くっ……」

 

 宰相が珍しく怒っている。戦死者の数は馬鹿らしくて数える気にもならない。同胞を殺され、重苦しい雰囲気で撤退準備を終え、こちらの号令を待っている兵士たちをいつまでも放っておけない。

 

「何なのだ、貴様らプレイヤーはどいつもこいつも! こちらの事情を無視して好き勝手をしおって!」

 

 女王は吐き捨てるように言い放ち、兵士たちへ撤退の号令をかけた。

 

 不本意ながら、状況把握は帰還してからにせざるを得なかった。

 

 無言で凱歌を歌う兵士たちの最後尾。源次郎とあまのまひとつの二人だけが、追従する足取りも軽く首都へ歩を進めた。

 

 それ以外は、会話する余力もなかった。

 

 

 

 

 女王のやるべき公務の量は、考えただけで嫌になるほど積まれてしまった。最低限、生き残った兵士たちを労い、明日に公開演説の予定を取り付けて、女王は会議室へ駆けこんだ。

 

 先に通された餡ころの目を覚まそうと往復ビンタしたが、源次郎の回復道具でもう我に返っている。ついうっかり反撃してしまい、間違えて食らった黒焦げの建御雷が倒れ、慌てて源次郎が回復魔法をかけていた。同じく我に返ったブルー・プラネットが、メコン川を本気で殺そうと暴れて入口が大破する珍事が起きた。

 

 騒動の最中、あまのまひとつはギルドメンバー同士の小競り合い(じゃれあい)に手を叩いて笑っていた。

 

 ブルー・プラネットと餡ころの怒りはまだ熱を持っている。終始、メコン川に突っかかり続け、うんざりする回数を仕切り直した末に経緯の説明が行われた。既に太陽は今日の仕事を終え、地平線の先へ沈もうとしていた。彼はいつだって残業とは無縁だ。

 

「まず、この子はメコン川さんが食い殺した鍛冶屋さんの娘さんです」

「はじめまして、サキです!」

 

 あまのまひとつに紹介された少女はお辞儀をした。

 

「可愛いでしょ?」

「ちょっと待って、食い殺したってなに?」

「発言は挙手でお願いします」

 

 あまのまひとつと源次郎は、気が付いたら二人揃って首都の前に立っていた。幻術を駆使して国家へ不法侵入を果たしてすぐ、子供が泣き叫ぶ声を聞いた。無視するわけにもいかないので鍛冶屋へ向かった。

 

 餡ころもっちもちが建御雷の武器を依頼した鍛冶屋は、メコン川によって殺害、武器を強奪されている。父が食される場面を見た幼女は復讐心に燃えていた。

 

 負傷した母親の手当てもできず、困り果てていたところへ偶然、あまのまひとつと源次郎が現れた。仇が誰かは知らないが、母親の治療の傍ら、面白半分で獣人特攻の武器を作ったら少女がそれを掴んで飛び出して行ったもので、母親手作りのオヤツをのんびりと食べてから止めに来たのだと言う。

 

 あまのま手製の、反感(ヘイト)値に応じて回避不能なダメージを獣系に与える武器は、少女の復讐に大いに役立ってくれた。そうして戦域の後方より様子を窺っていた彼女は見事、敵討ちを成就させた。

 

「異議あり」

「はい、メコン川さん」

「ものすごく痛かったッスけど、なぜ生きてるの?」

「HPが一定量を切ったらダメージ無効になるような設定しておいたからでぃす」

 

 得意げにあまのまひとつが蟹の爪を開いた。どうやらVサインをしているつもりらしい。

 

「いや……だから……なぜ?」

「何が?」

「なぜ親の仇を生かしておく」

「復讐なんて他にやることが無い暇人のすることでしょ。野蛮なケダモノの命をこの子が背負う必要ないから」

「……ケダモノで悪かったな。やっぱり母親も食い殺しておけばよかった」

 

 余計な発言は会議を停滞させる。餡ころとブルー・プラネットは瞳に怒りを宿し、メコン川を睨み続けている。どちらも隙あれば襲い掛かろうと爪を研いで機を窺っている。

 

「メコン川ぁぁぁ、私が怒りを抑えている内にその汚い口を閉じろや」

「死にたいなら手伝うが?」

 

 風当たりはかまいたち並みに鋭く強い。

 

(死に損なったか……)

 

 これは生き残った自分が悪い。予定では、自分は少女に殺されているはずだった。メコン川は俯き、借りてきた猫を演じるしかなかったが、反感(ヘイト)を独占している現状では意味がない。

 

「さて、速やかに罰せなければならないメコン川のゴミ野郎について話しませんか」

「そうよね、ブルー・プラネットさんに賛成。こいつは死刑」

「死刑!」

「死刑!」

「断固拒否!」

「死ねっ!」

「死ねぇ!」

 

 つい数時間前まで相容れなった二人は、見事に意見を一致させていた。当の本人は反省すらしていない。

 

「私は何も間違っていないはずだが」

「ふざけんな! あんたのせいで何人死んだと思ってる!」

「ああ、絶対にこいつだけは許せない」

「ケッ、傲慢ここに極まりだ。何度も言うが、彼らは自分たちで望んで死んだ。その死にケチをつけるな、馬鹿二人。私は彼らの背中をちょっと押しただけに過ぎない」

「やかましい!」

「野獣、死すべし!」

 

 発言するたびに二人の怒りが炎上している。

 

「餡ころ、ブルー・プラネット、まずは魔導国へ行ってからにしないか?」

 

 あまのまひとつと源次郎がわくわくした目で見守っている最中、建御雷の発言は火に油を注いだに過ぎない。

 

「あのさぁ……タケちゃんは、自分は違うとでも思っているわけ? 何様?」

「あんたたち二人のせいでビーストマンは絶滅したんだぞ! 自分が何をしたのか、まだわからないのか!」

「シラネ」

「メコン川ぁ!」

「煽るな、メコン川!」

「ぶち殺す!」

 

 頭を抱える女王は、宮廷の壊滅を覚悟した。草原での戦い方を見る限り、暴れた場所を中心に半径一キロは焦土と化してもおかしくはない。その費用は魔導王に請求できるだろうかと考えたところで、結論は怪しい。

 

「みんな落ち着けー」

「なんかとっても怒ってるねぇ」

 

 餡ころとブルー・プラネットの標的はメコン川一人だ。メコン川はのんびりした二人を見て、人差し指を立てた。

 

「あまのまさんと源次郎さんに質問。とある国に旅行へ来た異邦人。彼はその国が戦争を控えていると知りました。彼は戦争を止めるために戦うべきでしょうか。それとも、何もせずに立ち去るべきでしょうか。あまのまひとつさん、どうぞ!」

「ん、俺? 俺なら帰るわ」

「源次郎さんは?」

「俺も家に帰るかな」

 

 メコン川は矢鱈にのんびりとした二人にペースを乱される。黙っていられないのは餡ころとブルー・プラネットだ。

 

「だって、しょうがないじゃん! 人間を守らなきゃいけないんだから!」

「俺がいなきゃビーストマンは絶滅するんだ! 現にそうなった! 可哀想な彼らを放って家に帰れるかよ!」

「それを傲慢と言うのだ、馬鹿二人」

「無視して帰るのは私も違うと考えている」

 

 4人の誰からも同意する意見は得られなかった。あまのまひとつは腕を組んで天井の染みを眺めた。この手の会話、というより説得ゲームは苦手だ。自然と視線は隣の源次郎へ移る。

 

「なに? どうした、あまのまっち」

「説明、求ム」

「俺にやれと?」

 

 源次郎はため息を吐いてから身を乗り出して、咳払いをした。

 

「みんな、この世界を満喫し過ぎだよ。別に、どうでもよくない?」

 

 源次郎曰く、あくまで自分は異世界からの渡航者だ。地球の反対にある国の人間が何百人、何万人死のうと、極端な言い方をすれば興味はない。戦争をするもしないも、その国の勝手だ。異世界ならなおのこと。感情的になるのは、関心を示す程度に感情移入しているのだ。

 

「外国の戦争でたかだか数万、自分たちで志願して死んだ。別に気にせず、自分の家に帰ればいいじゃない。部外者に出来ることなんてないし、俺だったらぽっと出の旅行者に好き勝手にされたくないね」

「そ……」

 

 「そんなことはない」という言葉は最初の一文字だけでけつまづく。

 

「だって、宇宙人に地球を好き勝手に改造されるようなもんだよ?」

「……」

 

 反論が出なくなった。

 

 しばしの沈黙の後、ブルー・プラネットが挙手にて発言を求めた

 

「確かに、俺たちは外来種かもしれない。それでも……俺がいなければビーストマンは絶滅する。自然というものが滅茶苦茶に破壊された世界から来た俺たちこそ、この世界の絶滅危惧種を守らなきゃ」

「っていうか、多数決は?」

「多数決で反対になったら見殺しにしろって言うんですか!」

「だって仕方ねえべさ。俺ら、聖人君主でもねーし、異世界人にできることなんてないわ」

「俺たちは日本人だよ? 嫌な現実から目を背けるのは慣れているでしょう?」

「喧嘩するために来たわけじゃないかんな、少なくともオイラは違う場所で生きたいと思ったから来たんだー」

 

 あまのまひとつが蟹の鋏を開閉した。源次郎とあまのま一つの間に腰かけた少女は、所在なさげに煎餅を齧っていた。大人の話には興味が無いようだ。

 

「理由や相手は違っても、4人とも肩入れしすぎだわ。誰よりも頑張るんは俺らじゃなくって、そこの美人な女王さんだべ」

「っていうかその口調は何? そんなキャラ設定だった?」

「なんかそんな口調で話しそうじゃない? このアバター」

「知らん知らん」

 

 黙って話を聞いていた女王に電流が走る。まるで神槍の稲妻、100万ボルトと10万アンペアの饗宴。脳の海馬を直接、ぶん殴られたような激しい衝撃。

 

 転生者(プレイヤー)とは世界の抵抗運動だ。定められた運命に唾を吐き、世界の理まで歪めてしまう。だからこそ女王は、自分にできない結果を出してくれるプレイヤーに依り過ぎていた。弱肉強食の摂理の中で誰かに縋るとは、隷属を意味する。生殺与奪の権利を喜んで献上するも同義。

 

 何時から自分はそうなった。

 

 餡ころが来た時か。空気の読めない魔導王が君臨した時か。

 

 あるいは、彼の部下がこの国を訪れた時か。

 

 姿、名前が思い出せない彼の部下とは誰だ。

 

 何となくの直感で言えば、とても酷い目にあわされた気がするし、それなりに楽しかったようにも思える。ならばなぜ、その部分の記憶だけがすっぽりと抜け落ちているのか。

 

 まるで、女王が竜王として成長するために、今回の舞台が作られたようだ。遡るなら、魔導王の部下が訪れた時から。

 

「私は……夢を見ていたのか」

「ドラちゃん?」

 

 ふわふわした夢から覚め、突きつけられた残酷な現実を、女王は自らの力で踏破した。それは間違いない。数万の成人男性、国力が低下する死者を出しながら、竜王国は魔導国の手を振り払った。扱いの良い奴隷的な立場を打開し、竜王国は新時代を迎えるだろう。

 

「ブルー・プラネット」

「はい?」

「獣人たちを守りたかったなら、魔導国へ向かえばよかったのだ、違うか?」

「そ……」

 

 獣人たちの保護は、敵対国である竜王国の近郊では不可能だ。ならばさっさと魔導国へ向かうべきだった。モモンガは間違いなく、彼らを皆殺しにするとは言わない。

 

「餡ころもグダグダと抜かさず、とっとと魔導国へ帰ればよかったのだ」

「う……」

「そうすれば戦争は起きず、メコン川という鬱陶しいバカタレは建御雷に連れられて魔導国へ向かっただろう」

「確かに」

「まぁ、その場合はそうする」

「お前たちは揃いも揃って喧嘩ばかりしおって……さっさと魔導国へ行っていれば、全員が理想を実現できただろう、違うか?」

「……」

「まったく……プレイヤーどもは何をしでかすか分かったもんじゃない。そこの2人がいなければどうなっていたかわからんぞ」

「多分、メコン川さんを巡る壮絶な殺し合いが始まってたんじゃないですかね」

「獣王さん、ちょっとはしゃぎ過ぎだべ」

 

 最期の詰めは女王が行った。誰も彼も、同意を示しこそすれ、彼女に反論はなかった。

 

「だが、プレイヤーはこの世界にいらないね。それは間違いない。私たちは現実を捨てた負け犬だ、異世界に来たからって何をする」

 

 どうやらメコン川は、その点だけは譲れないらしい。

 

「何が悪いのん?」

 

 源次郎がすっとぼけた声で聞いた。

 

「負け犬でいいじゃん、だってその通りなんだから。きっと、次は上手くできるよ。失敗したっていいじゃん、人間だもの」

「……それでいいんか?」

「凡人にできることなんて、出会った人にちょっと優しくする程度じゃんかぁ」

 

 机に顎を乗せてだらけている源次郎と、のんびりした口調のあまのまひとつに、メコン川の持論は通じない。なあなあで押し切られた感は否めないが、メコン川は拳を振り上げている。そのまま降ろすのはどうにも収まりが悪く、悪あがきを始める。

 

「いや、違うね。みんな死んでしまえばいい。それでこの世界はようやくすっきり――」

「メコン川さん、もしかして女王に惚れたん?」

「はぁ?」

「だから突っかかってるんかー?」

「男の嫉妬なの?」

「メコン川のSHIT」

「ぶっ!」

 

 不意打ちで吹き出した餡ころが、笑いを堪えてそっぽを向いた。空気を和ませようとしているのではなく、どちらも本気でそう思っているようだ。

 

「なるほどねぇ。確かに、女王と結婚するなら手ぇ出しした方がいいわなぁ」

「ほーかほーか、メコン川も男の子だったか。確かに女王様は美人だあな」

「おいコラ」

「ごめん、それなら俺が間違ってた」

「頑張れ、SHIT!」

「おいぃぃぃ! ふざけんなぁ!」

 

 遂にメコン川は振り上げた拳を下ろすしかなかった。惚れた女王と結婚したいから、あちこちで突っかかっていたことにされるくらいなら、さっさと引いた方がましだ。

 

 何となく丸く収まったような空気を確認して女王が立ち上がる。マントを翻し、会議室を出て行く寸前に入口で振り返った。

 

「お前たち全員、とっとと魔導国へ帰る支度をしろ。プレイヤーなど即刻、魔導王に引き取ってもらう。今回の件については魔導王へ正式に抗議してやる」

「えぇー? ドラちゃん、私も出て行くの?」

「当たり前だ! プレイヤーなど金輪際、竜王国にいらんわ! 特にメコン川、二度とこの国に立ち入るな!」

「出禁!?」

「生温いくらいだ!」

「メコン川、フラれちまっただか」

「うむ、当然の報いだな」

「おいぃぃぃ! さっきから何なんだよ!」

「出発は二日後だ。私も一緒に行くからな」

 

 取り急ぎ、プレイヤーは魔導国へ追い返されることだけは決定した。

 

「……ありがとう」

 

 出て行く女王の呟きは、騒がしくなった会議室に聞こえなかった。

 

 

 

 

 翌日、宮廷前の広場にて、戦死者を弔う慰問会が行われた。プレイヤーは応接間に押し込められ、窓から様子を見る以外に行動を許されなかった。

 

 女王改め竜王は、家族を失った者たちを慰めなかった。謝罪はしなかったが、王の言うことに背いて死んだ者たちを責めることもしなかった。

 

「私は彼らのために泣くような非力な王ではない。祖先英霊が託した未来、残された命のために我が身を捧げよう。私は死ぬまで女王であり、この国を統べる竜王である。魔導国の手など、わが国には必要ない。英雄たちが翼となって支えるこの国こそが、竜王国のあるべき姿だ!」

 

 泣き声と拍手の最中、女王を責め立てる声は無かった。

 

 この国は徴兵制ではない。自ら兵隊を志願し、最後まで戦って死んだ。戦死した先で、家族は英雄として称えられる。残された者は死者を思って泣くだろう。自分の家族は死なないと、考えたことはない。きっと全員、そうしたかったのだ。

 

「それから……プレイヤーは見つけ次第、魔導国へ追放する。竜王国の新たな法律である。思い当たる人間は申し出るように」

 

 蛇足にそう付け加えられた。

 

 これ以上のプレイヤーが潜んでいないか確認するために二日間ほど待機し、魔導国へ向かう馬車が用意された。

 

 宰相、衛兵たちが絶対強者を見送ってくれた。挨拶は簡潔で、とっとと帰れと言わんばかりだ。特に、メコン川の扱いは冷遇されている。

 

 ただ一組、メコン川が食い殺し、源次郎に蘇生された鍛冶屋の一家だけ、あまのまひとつ、源次郎と談笑していた。

 

 他の全員、手を(こまね)いて終わるのを待っている。餡ころの知り合いは全員が死に、ブルー・プラネットに人間の知り合いはいない。建御雷は、そもそも人間の顔と名前を覚えていない。鍛冶屋を食い殺したメコン川はさっさと外へ出て行ってしまった。

 

 あまのまひとつが少女の目線で笑いかけた、つもりだろうが表情はさっぱりわからない様だ。太陽光を反射するあまのまひとつの眼鏡が眩しく、少女は源次郎の影に隠れた。

 

「いやー、蘇生出来てよかったよかった」

「おかげさまで生き返ることができました」

「本当に、なんとお礼を言っていいか。この子も喜んでいます、またみんなで静かに暮らします」

「私、鍛冶屋になる! あまのまひとつの弟子になる!」

「ほーか、んじゃ、魔導国まで訪ねてこいー」

「あまのまっち、そんな投げやりな態度で、後で面倒事になっても知らんよ」

「ぐっどらっく」

 

 親指を立てて少女を鼓舞するあまのまひとつに、余計なイベントの伏線を張っているなと全員が思った。

 

 馬車は出発し、草原を進む。

 

 餡ころと小さい方の女王が乗る、豪華な装飾の馬車。騒がしい男どもの馬車と比べ、お淑やかな空気が流れている。

 

「結局、ドラちゃんは小さい方なのね」

「馬車の広さを考えてのことだ。この方が広く使えるからな」

「そーね……」

 

 王は公人だ。人目が無いと気を抜く。女王は横に寝そべり、無造作に足を投げ出し、煎餅を齧っている。下着が見えそうだが、二人きりの車内で気にした素振りもない。

 

「餡ころ」

「何?」

「お前たちアインズ・ウール・ゴウンと愉快な仲間たちは、41本の首を持つヒュドラだ。その時の気分次第で、隣の首にまで食らいつく凶暴な連中だ」

「うん……間違ってないかもね」

「メコン川の馬鹿野郎は、死んだ兵士たちを見て、生きているのが恥ずかしいと思ったのだろうな。その気持ちはわからないでもないが」

 

 命が安い世界で、生き恥を晒す苦痛は理解できる。七彩の竜王の血を引くからと言って、国家運営は自分で成し得なければならない。そこで失敗すれば、曾祖父の名に泥を塗る生き恥となり、死んだ方が幾分か楽な未来でもあった。

 

「あいつ……人を食ったんだよ。そんな殺人鬼、褒めなくていいよ」

「そうだな……奴は曾祖父様の自殺を手伝い、兵士を煽って大量の死者も出た。奴への処遇は魔導王に任せるが、今はお前たち全員に感謝している。ようやく、長い夢から目覚めた気分だ」

「フン……別にぃ。私は何もしてないしぃ」

 

 そっぽを向いた餡ころは、むくれながらも笑っていた。

 

「それと、死者のために慰霊碑が立てられる予定だ。爆心地に一つと、郊外の森へな」

「2つ? 戦場はわかるけど、森はなに?」

「生まれた種族が違っただけの友へ、だ」

 

 それから1ヵ月後、竜王国の外れにある小さな森の入り口の片隅へ、小さな慰霊碑が立てられた。碑文にはこう記されている。

 

《竜王を相手に戦い、戦場に散った誇り高い戦士。竜王国の友人、ここへ眠る》

 

「おとぎ話として、ビーストマンは語り継いでやる。我らを相手に、勇敢に戦った戦士たちだ」

「私も、ビーストマンの子たちとも話せばよかったかなー……」

 

 知り合いの死は消化しきっていない。それでも、前に進まなければならない。源次郎の見立てでは誰も蘇生できない可能性が高いが、考えても仕方がない。モモンガとの合流を優先すべきだ。

 

 二人の視線は窓の外へ移動する。

 

「あ、虹だ」

 

 見える虹は遥かな彼方。

 

 その手は虹まで届かないが、その地へ向かうことはできる。

 

「私は、曾祖父様を越えて見せる……いつか必ずな」

「婚期が遠ざかるよ?」

「……諦めた」

「誰か紹介してあげるよ、今度こそね」

「それは幸福の押し売りだろう。お前は色恋が好きだな。情欲(いろ)魔導士か?」

「失礼ね! 紹介するだけで、決めるのはドラちゃんよ」

「それもそうだな」

 

 女性二人は窓の外を眺めた。大きな虹の(アーチ)は極彩色も鮮やかに、遥か彼方でそびえ立つ。曾祖父が先へ進めと言っているようだ。

 

 蘇生された曾祖父と、いつかまた会える日が来る。その時は、胸を張って誇れる王になっていよう。それまで、何度でも躓き続けよう。そうやってここまで来れた。いつかその手が、虹へ届くように。

 

 麗しい女性専用車両から距離を空けた後方、大型のリヤカーを一人で引き摺るメコン川が怒鳴った。

 

「疲れた! なんだ、この扱いはぁ!」

「仕方ないんじゃない?」

「クソ! 覚えてろよ、ドラ公! 着替えを覗いて乳揉んでやる……建御雷のように!」

「ちょっと、たけやん。どういう意味かな?」

「私は知らん!」

「しらばっくれるな、ムッツリ助平!」

「詳しく!」

「さっきから五月蠅い! とっとと走れ、メコン川のクソ野郎!」

 

 男性陣4名が大型のリヤカーに押し込まれ、メコン川が馬代わりだ。ブルー・プラネットは怒りを新たに、獣系特攻が付与された鞭を振るう。柄の部分には《天》と刻印されていた。そのブルー・プラネットの首には、紐を通した獣たちの頭骨が揺れていた。

 

 あまのまひとつ特製の鞭は効果的で、メコン川は必死でリヤカーを引っ張らされた。

 

「メコン川、あっちの馬車と距離が離れている。もっと急いでくれないか」

「女王のおにぎりウマー……」

「あれ? 俺の分は?」

「あ、ついうっかり食べちゃった」

「酷い!」

「たくあんなら残ってるだ」

「頑張れ、頑張れ、メ・コ・ン・川!」

「女王と結婚もな!」

「この荷物どもが喧しいわ!」

 

 文句は言いながらも、メコン川はリヤカーを放り出して逃げることはしなかった。建御雷がごそごそと地図を開き、現在地と目的地を指でなぞった。

 

「今がここ竜王国の外、目標はここ、魔導国領内の城塞都市エ・ランテルだ。そこまでいけば馬を買ってくれるらしいな。魔導国へ請求するらしいが」

「ちなみに、どんなに急いでも二日間くらいかかるってさ」

「ふっざけんなぁぁ!」

「あまのまひとつさん、寝ちゃった……人の分のおにぎり食べてお腹いっぱいになったからって」

「怠惰であるな」

「あ、虹だ」

 

 天気は晴天、風向きは追い風。

 

 旅の幸運は、巨大な虹が祈ってくれる。

 

 

 異世界の旅が始まった。

 

 

 

 

 






発端は、下記プレイヤーが竜王国近郊に落ちるとダイスが決めたことが原因です。私の意思でプレイヤーを選ぶことは、一切しておりません。どうしたものかと頭を悩ませ、しばらくパチンカスに成った結果、こうなりました。


傲慢 ブルー・プラネット
強欲 源次郎
怠惰 あまのまひとつ
色欲 餡ころ
憤怒 建御雷
暴食     ←エ・ランテル
SHIT メコン川


源次郎のキャラ設定
天然、でも怒ると我を失うから一番怖い。
コレクター品の蒐集より、並べて眺めるほうが好き
整理は苦手、整頓は得意



次回、エピローグ
「タブラ・スマラグディナの退屈」




個人的に、メコン川が一番好きです。
もっとも、原作はここまで拗れてないでしょうけど

二次創作なんて、言ってしまえばG行為
その作者、ただの×××野郎

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