薔薇と蛇の招待状   作:用具 操十雄

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※姉と弟が転移したとき、本編にて言及されている三つの隕石の1つです。123話、「儚くも乾いた喉を潤す上昇気流と蒼天」参照。

※まあまあ悪寄りの話。

※作者の勝手かつ個人的、妄想入り混じる考察で、至高の41人の五凶兼十厄の一人。降臨場所を間違えれば戦争勃発者。ずっと彼が好きでした。オリ主じゃなく彼でやれば良かったんじゃね、くらい

※この話、読みづらいかもしれないような書き方をしております


評議国の商人 上巻

 

 

 『自由人の心は(クルーブ・ル・アハラーリ)秘密の墓(クブール・ル・アスラーリ)

 

                      ――イスラムのことわざ

 

 

 

 実際に異世界に来て分かったが、現実で擦り切れた人間には少しも面白くなかった。楽しもうにも、ろくでなしが支配する現実で心と体をすり減らし過ぎた。人間、三十路も超えれば感情が薄れ、感動も失せる。

 

 俺の視界は鈍色に染まり、色づく取っ掛かりが見つからず、眩い希望の明日が見えることもない。駄目押しに、世界が異なっても弱肉強食の摂理から抜け出せないのだから、出来の悪い喜劇でも見せられているようだった。

 

「悪の権化や正義の味方の噂は聞きませんか?」

 

 背が低く小太りだが、全体で見れば愛嬌のある酔狂な商人は動きを止め、ゴミを捨てようとしてゴミ箱を開いてゴキブリでも見つけたような顔をした。少しだけ間を空け、白いパイプに煙草を詰める動作が再開された。

 

「誰の思想や宗教かね?」

「素顔も知らない、大事な友人の主義です」

「それは麗しい。友人のいない私には、いささか羨ましくもある」

 

 アイテムで火をつけると、紫煙が輪っかを描いて登った。

 

 たっぷりと時間をかけて待ったが、それっきり返答がないところを見ると、やはり彼は来ていないのだろう。

 

 俺のやる気は萎れて枯れた。

 

 体からやる気が急激に失われていった。真夏のアスファルトに氷を落としても、ここまで急速には溶けない。成長した俺の信仰と彼の主義を激突させて火花を散らしたかったが、夢は芽さえ出ずに散った。

 

「このパイプ、どう思うかね?」

 

 落ち込む俺の目前に、白いパイプが突き出された。

 

「象牙ですか?」

「ゾーゲという言葉は聞いたことが無いが、これは魔獣の牙を削って作ったものだ。怪しい行商人から買い付けた」

「鑑定するスキルは使えますが、鑑定しましょうか?」

「君は若いな。見たまえ、生っちょろい異質な白、異様な光沢、漂うは異形の気配……そこにほれ込んだのだよ。本物か偽物かなど、私にはどうでもいいことだ。仮に、これが人間の骨であっても、ね」

 

 俺の返事など興味が無いようで、勝手に話が続いた。

 

「私はね、自分の直感を信じ、愛している。死に別れた妻よりもね。だから君を拾ったのだよ」

 

 パイプから煙を噴き上げ、せり出た腹の底から嬉しそうに笑った。俺は目を細めたが、商人の意図はわからない。人間、素直が一番だと、人間を辞めた俺は単刀直入に聞いた。

 

「その直感に従うのなら、これから俺に何をさせようと?」

「そりゃあ、君。出来るときに出来ることを、だよ。いつだってそいつが重要さ」

「悩む時間はありますか?」

「有意義に使ってこそ、君の品位は守られるだろう」

 

 彼は何の役に立つかもわからない俺に、食事と酒を振る舞ってくれた。顔も知らない料理長(コック)は優秀で、手料理の初体験に感動して身を震わせる俺に、世界の情勢を話してくれた。

 

 俺のいるここは都市国家、アーグランド評議国で、亜人種の国家だ。議員制を採用し、政府や国王は存在しない。永久評議員の竜王を含め、各亜人種から選抜された評議員で議会を開催し、国を統治しているようだ。他に、十三英雄だの、魔神だの、八欲王だの、神話や歴史を話してくれたが、目の前に並べられている料理に勝ることはない。話の大部分が、空洞になった俺の耳を右から左へ通過した。

 

「つまり、独裁国家なんですか?」

「少し、違うな。武力の強さが意見の強さにはならないよ。しかし、竜王様は長命で、それなりに発言力もある。何しろ神に近い存在だからね」

「神を信じているのですか?」

「信じたくもなる。人間が護衛もつけずに外をうろつけば、たちまち、野獣の胃袋へ直行だからね。先日、魔導国から買い占めたルーン武器、護衛の冒険者ランクにあとほんの僅かでも経費を注いでいれば、魔獣の晩餐を免れて莫大な利益をもたらしたに違いないのだよ」

「困ったときの神頼みですか」

「自分を偽ることも重要だよ。人間に生まれたが故の処世術だ」

 

 たとえば彼がこの世界に来ていれば、悪は悪なりの平和な国家に尽力したと確信があった。弱肉強食の世界、最後にこぶしを握って立っている者は正義に変わる。そうやって世界征服した末、彼の治める国家は平和になることだろう。

 

 それは儚くも人の夢、まぼろし。蜃気楼は常に揺らぎ続ける。ある種、現実(リアル)と同様、連綿と続く絶望に相違ない。この世界の正義や悪は、何千年が経過しようとエゴの領域を出られない。今日も弱肉強食の夜が来て、また弱肉強食の朝が来る。

 

 しかしながら疑問に思うのは、ここは本当に異世界なのか?

 

 もしかすると異世界に来た夢を見ているだけじゃないのか?

 

 現実の俺は、自分の部屋で魂の抜け殻として居座っている。あるいは、現実を異世界に見えるような感覚に変わっただけで、全てが幻ではないのか?

 

 夢の最後に現れた銀色の門も気になる。あれが俺の知る銀の門だった場合、事態は最悪だ。俺は夢から覚めない肉の塊として、自分の部屋にいることになる。

 

 このまま死ぬまで夢を見るなら問題ない。覚めない夢に溺れるは、愚者の楽園(ディストピア)に産声を上げた泡沫の生だからと納得できる。

 

 最悪なのは、万が一、夢から覚めるような事態にでもなれば、長期に渡って無断欠勤した俺に職場復帰する道は無い。無一文の俺に待っているのは、ドブネズミが羨ましくなるような死だ。目が覚めて全裸でスラム街に横たわり、汚染済みの体でアスファルトを舐めるような地獄の生は願い下げだ。

 

 だから俺は、今日も無為な一日を過ごしている。

 

 客間を用意すると言われたが、老いた駄馬にも値せず、何の生産性もない俺は馬の納戸を申し出た。幸いにも馬は売り払っていたらしく、一人部屋が有難くて涙が出そうだ。

 

 夕刻、俺の住む納戸の扉が開き、商人の娘が食事の乗ったトレイを運んできた。この屋敷にはメイド、執事、使用人はいない。人件費の無駄だと言っていたのは彼らしくないと思われたが、俺は強く共感した。優秀な料理長は、彼の一人娘だったようで、大そうな美人だった。

 

 まるで理解できないのは、その美しい一人娘を異形種の世話に回した事だ。

 

 俺の1人部屋の隅々まで、朝から元気な声が響き渡る。

 

「おはようございまーす! 何かお話しませんかぁ?」

 

 俺が無言で首を振ると、彼女は寂しそうに笑い、何度も振り返りながら出て行った。これが毎日、朝と夕に繰り返される恒例行事だ。

 

 誰もいなくなったのを確認して、俺は食事を始めた。

 

 顎の上下運動で脳が回転し、意識が覚醒する。食事を終えて藁の布団にもぐると、補給した栄養が脳に回り、頭が勝手に過去の記憶を映写した。

 

 

 あの日、手紙が届いた夜、指示通りにユグドラシルのアイコンを押すと意識が途絶えた。銀色に輝く門の内側から濁流が押し寄せる夢から覚めると、俺は水の中にいた。異世界に転移して早々に溺死し、土左衛門(水死体)にクラスチェンジするところだった。泳いだ経験もないのに、良く助かったものだ。

 

 思い出してもぞっとするが、青くて深い海には漫画やゲームに出てくる怪物がたくさんいて、俺が餌か浮遊物かを値踏みしていた。

 

 冷静さを欠いた俺は両手足を出鱈目に振り回し、這う這う(ほうほう)の体で浜に上がった。しこたま水を呑んで腹が膨れ、疲労も加わって動けなかった。

 

 空を眺め、膨らんだ腹を撫でて吐き気を堪えていると、いきなり腹が蹴飛ばされた。当然、俺は腹にたまった水を、胃液のおまけ付きで吐き出した。えずきながら涙目で顔を上げると、身なりがいいが背が低く、腹の出た小男が覗き込んでいた。

 

「生きたいかね」

 

 死ぬ理由はわからなかったので、俺は頷いた。名も知らぬ商人は破顔し、俺を馬車に乗せた。

 

 

 ゆえに俺はここにいる。

 

 

 

 

 納戸に朝陽が差し込んで、夢から覚めた。同時に扉が開き、娘が朝食を運んでくる。

 

「おはようございまーす!」

 

 彼女は毎日、納戸を訪れては目を輝かせて何らかの話をせがんだが、俺が断ると寂しそうに部屋を出て行く。朝はいつも寝たふりをしてご退場願うのだが、この日に限って居座った。

 

「本当は起きてませんかぁ?」

 

 瞼を下ろした闇の中、彼女が近寄る気配がする。花の芳香に似た髪の匂いが鼻をくすぐった。

 

「起きてくれないと、朝食、食べちゃいますよー?」

 

 麗しい乙女の芳香にくすぐられている俺の鼻に、藁が突っ込まれた。いきなり奥まで入れられたもので、かなり痛かった。

 

「っ……放っておいてください」

「初めて口、聞いてくれましたね。うふふのふー」

 

 言われてみればそうだったかもしれない。俺は彼女の名前さえ聞いていない。彼女は無神経にも藁を一気に引き抜き、鼻に痛みが走り、眠気は完全に飛んだ。これまでの無下な対応に少なからず罪悪感を覚えていた俺は、殊勝な考えを後悔した。

 

 体を起こすと彼女が地べたに座り込み、満面の笑みで俺を見ていた。食事のトレイは二人分あり、朝食を共にするつもりのようだ。人間が異形種に食い殺される世界だというのに、恐怖は見て取れないどころか、子供が新しいおもちゃを手に入れた無邪気な輝きを宿していた。

 

「今日は一緒に食べましょう!」

 

 女心に造詣は浅いので、思春期のお悩み相談はご遠慮願いたいものだ。俺の耳は左と右で繋がっている空洞に早変わりし、食事に集中した。

 

「それで、魔導国では異形種と……さては私の話、聞いてませんね?」

「……」

「もうっ! 返事しないとご飯を没収しますよ!」

「……食事中はお静かに願えませんか?」

 

 俯いて咀嚼する俺の返事を聞き、目を見開いてから笑った。

 

「ふふ、ごめんなさい。食べてから話をしますね」

 

 退室するという選択肢は選ばれなかった。食器が空になってようやく自分の出番だとばかり、まくし立てた機関銃級の話で蜂の巣にされた。

 

 要約すると、物価の価格が崩壊した魔導国から商品の仕入れが上手くいかないと言った。

 

「へー……そーなんですかー」

「興味が無さそうですわね。魔導国には元人間の異形種さんがいらっしゃると聞いていますの。種族は聞いたこともない希少種だそうです。あなたもそうではありませんか?」

「……なぜ?」

「女の勘です」

 

 答えになっていないが、その勘は正しい。

 

「なんでも、魔導国では異形種と人間が御婚姻なさっているとか」

「それは難儀ですね」

「下手をすると、同じ人間と婚姻するよりも仲睦まじいと言われていますわ」

「弱者は献身的ですね」

「もう、ひねたお考えはお止めになってくださいな。ところで、宗教は信じていますか?」

「ええ、信じてますよ」

「まぁ、それは意外です。どんな神様なのですか?」

「信心を消し、情緒を失い、神をも殺す、銭ゲバって奴ですよ、お嬢さん」

「……素敵」

 

 眩しいくらいの眼差しは意味が分からないが故だろうか。

 

 

 俺の親父は去年、亡くなった。

 

 物心ついてから、命の炎が消え入る最後の瞬間まで、彼の宗教は一貫していた。

 

《大人になって愛だの、平和だの、人生だの、考える時間は短い。金のことを考えている時間が一番、長いだろう? 世の中、金が全てだ。金を持っている人間ほど、愛だの、平和だの、道徳だのとほざきやがる》

 

 当時の俺はまだ青臭く、反論するだけの経験を持たなかった。

 

 幸いにも貯金があったので葬儀は滞りなく行えた。職場の事故で両親を失い、遺骨さえ帰って来ず、雀の涙がありがたく感じる見舞金で口を塞がれた彼に比べれば、俺は恵まれていた。

 

 親父の遺言は、年齢が近づくにつれ、痛感している。血は争えず、今では俺も金が全てだと思っている。

 

 金を持たない人間に世界は優しくない。世界は数字でできているのではない。世界は金でできている。一部の金持ちが金で金を産み、積み上がった金で次の金を産む手段を得る。生きるために必要なのは金だ。資金力こそが純粋な力で、可能性と未来を作り出す手段だ。この真理の前に、正義も悪もない。どちらも力がなければ成り立たない。

 

 生への渇望も、家族への愛情も、金でこそ満たされる。望みに見合った資金()が無ければ、何一つとして満たされない。

 

「だからね、悪に拘る意味はないんですよ……」

「何かおっしゃいましたかぁ?」

 

 気が付くと、至近距離で顔を覗き込まれていた。

 

 平然と人の個人領域を侵す彼女の神経は豪胆だ。俺はかぶりを振って、湧き上がった感情を押し戻した。

 

「いえ、昔を思い出したもので」

「全ての感情は過去からお越しになりますものね」

 

 過去最高の笑みを見せてくれた。

 

「すみませんが……お名前は、なんでしたっけ」

「いやですわ、先日………あら、いやだ、私ったら。名乗った記憶が見当たりませんわ」

「……」

「私はジェシカと申します。アインズ・ウール・ゴウン魔導国には――」

 

 俺は両眼を見開きすぎて、眼球が裏返りそうだった。

 

「今……何と言いましたか」

「私はジェシカです」

「そこじゃなくて……」

「全ての感情は過去から――」

「いや、ですから……ああ、だから、アインズ・ウール・ゴウンとは?」

「あ、そこですか。魔導国とは――」

 

 恐らく、朝に魚の開きを干せば、すっかり干物が出来上がったに違いないほどの時間をかけ、彼女の口は閉じた。よくもまあ、湧き水が作る川のごとく流暢に言葉が出てくるものだ。

 

 世間話や個人的見解をふんだんに織り込まれた話を解体して残骸を眺めれば、魔導国はギルドの誰かが作った大国だ。

 

 一般常識として、異形種は人間と婚姻を結ばないが、そこでは異形種と結婚した人間がいる。容姿が似ている人間種、森妖精(エルフ)やドワーフなら可能性はあるが、それでも奇跡に等しい希少種だと言った。

 

 ならば、人間と結婚した異形種は、俺と同じく元人間でしかありえない。死骸と変わらないのは心臓が動いていることだけだった俺に、ようやく光明が差した。

 

「魔導国と評議国の関係は良好ですか?」

「友好国ですが、良好とは言いかねますの。お互い、素知らぬふりをしているようで、白々しく思えますわ。あ、でも、永久評議員の一人、白金の竜王様が、魔導国で余暇を満喫しているとか。アインズ・ウール・ゴウン魔導王と仲がよろしいようです」

「魔導王とやらの種族は御存じですか?」

「アンデッドとお噂に聞いています。私も拝見したことはありませんのよ」

 

 モモンガさんの人知を超越した成り上がりように、感嘆の吐息を漏らした。出世魚など慎ましいものだ。なぜギルド名を名乗っているのか理解に苦しむが、俺の行動方針は決まった。白金の竜王と友好関係にあるというのなら、長い目で見て評議国を手中に収めようとしているのは固い。凶悪ギルド、アインズ・ウール・ゴウンに世界平和の道は無い。

 

 俺たちが異世界に来て、世界征服以外に何をしろというのか。

 

 立ち上がった俺に、彼女は天の川のような両眼を輝かせた。黙って見ていれば左目から右目に流れ星が観測できただろう。

 いつか、ウルベルトさんと出会う可能性があるなら、いつまでも腐って死んでいる場合ではない。

 

「魔導国の友人に会いに行きたいですが、その前にこの国でやりたいことがありますので、明日、ご案内をお願いしてもよろしいですか?」

「はい、喜んで!」

「昼食は作らなくてもいいんですか?」

「はい! 父は会合で出かけていますので!」

「……私の昼食ですが」

「あ……えへへ、お話に夢中で忘れてました」

「……困りますね」

 

 いつ死んでもいいよう、親交を深めるつもりは欠片ほどもなかった。だからこそ、俺は偉そうに食事の催促をしたつもりだったが、何が気に入ったのかわからぬまま自由奔放な天然娘に好かれてしまった。

 

 俺は彼女の手料理を味わい、簡単な事前情報だけ聞き取りし、藁に包って眠った。

 

 名実ともに貧乏人の俺に暇はなく、明日から忙しくなる。

 

 

 

 

 

 翌朝、朝食を済ませた俺は、娘に案内されて商人の執務室を訪れた。

 

「お父様、お客様がお出かけになりたいと」

 

 書類の塔に包囲されていた彼は応接セットのソファーへ移動し、神妙な顔でアルビノのパイプを咥えた。どういうわけか、娘は俺の隣に腰かけ、俺の横顔を凝視した。

 

「この国で商売を……か。それにはいくつかの条件を満たさなければならないよ。たとえば――」

「商業ギルド?」

「国内の商いを調整し、独占を禁止、監視している組合だ。それが無い国もある。これは、魔導国の物価が下がったことによって出来た、産声を上げている赤子のような仕組みだ」

「所属しないとどうなりますか?」

 

 パイプに火が灯り、紫煙が応接間に漂った。

 

「そりゃあ、君。評議国で商いができなくなる。勝手にやれば評議会の目に留まる。下手をすると、次の議題は君を国外追放するか否かになるだろうよ」

「竜王とは強いのですか?」

「その質問には、全く以て的確に答えられない。君の強さを知っていれば明確に答えられたのだがね」

「評議員になるにはどうすればいいですか?」

「ふーむ……」

 

 彼は立ちあがり、おもむろに窓を開けた。

 

「太陽が昇ってから月が昇るまでぐうぐうと寝ていた君が起き上がった良い朝だ。魔導国から仕入れた茶葉で、特級の紅茶を煎れて差し上げよう」

「今は先に話を――」

「アインズ・ウール・ゴウン魔導国の霊感を借りれば話も弾むだろう。そよぐ風向きは南、揺れる古木の囁きでも聞いて待ち給え。あれらは思い出を語っているのだよ。邪魔をするのも無粋というものだ」

 

 彼の退室を見計らい、娘が呟いた。

 

「お父様のああいうところ、正直、苦手です」

 

 初めて気が合った。

 

 

 

 

 彼の持論は正しく、紅茶は話を円滑に進めてくれた。

 

 この国で商売をするには、商業ギルドに所属しなければならない。

 

 評議会へ店舗の内容と場所を申請し、議会で受理されてからギルドへ向かい、所属申請と税を納めるのが一般的だ。

 

 しかし、差別とまでは行かないが、人間がこの首都で暮らすには分を弁えた振る舞いというものがあり、尚且つ長命種の亜人たちは独自の生産体系を確立している。万国共通、新参者は排他的な視線や態度に抗わなければならない。彼はここまでくるのにそれ相応の金と時間をかけたのだと言って笑った。

 

 礼節を欠いて失態を演じれば、亜人たち、最悪は竜王に目をつけられ、国外追放もあり得る。この国には、人間を食料として見る種族もいる。

 

「評議国を裏で支配し、魔導国への手土産にするのは、思ったよりも時間がかかりそうですね。もっと手っ取り早く済むかと思いましたが」

「本気でそんなことを考えていたのかね? 私がこれから訪れる夜を心地よく眠るために、自信に足るだけの根拠を聞かせてもらいたいのだがね」

「私は、魔導王の友人です」

「ほう……」

「やは……まぁ、そうでしたの」

 

 天然娘のわざとらしい反応はさておき、商人の目には老獪さが見て取れた。しかし、俺の予想とは違った展開に進もうとしていた。

 

「魔導王公は人間を妾にしていると聞く。魔導王に限らず、彼の国では異形種と人間が婚姻を結んでいるそうだ。君にはその手の趣味、嗜好はあるかね」

「結構です」

「君の隣におわす愛娘はなかなかの美人だと思うのだが、好みの顔ではないのかね?」

「浪費は好みではありませんね」

 

 視線を感じたので隣を見ると、娘が口を開いて愕然としていた。目が合って口が閉じ、目を逸らすと視界の端で口が開いた。ふざけているようだ。

 

「私は今年で32歳です。この世界の基準でいえば、適度に老いています。まだ10代の娘さんを――」

「私は21歳です」

「……うら若きお嬢様を――」

「私の名前はジェシカです」

「……ジェシカさんを色恋の――」

「色恋ではなく、結婚の」

「ちょっと黙ってください。話が進まないじゃありませんか」

 

 紫煙を吐く商人の呼気に笑い声が混じった。父の眼前にいる娘に対して褒められた振る舞いではないが、彼は止める気配がなく、それどころか生温かい目で見守っていた。だから俺も弁えなかった。

 

「これ以上、邪魔するなら、お尻叩きますよ」

「触りたいのですか?」

「……お灸をすえますよ?」

「まぁ……怖いですぅ」

 

 両の握りこぶしを目にあて、しくしくと嘘泣きを始めた。体全体から立ち上るのは、構って欲しいというろくでもない気配だ。俺は彼女の意向を踏みにじり、無視を決め込んだ。

 

「結婚の対象にしろというのは、いかがなものでしょうか。相手が人間ならまだしも、化け物の私に」

「面白そうじゃありませんか」

 

 いつの間にか嘘泣きは止めていた。理屈でこない相手は苦手だ。ため息を吐いて父親に助けを求めると、彼は微笑んで紫煙を漂わせた。

 

「結論を急ぐと損をするよ。娘を貸し出すのは問題ない、資本金も工面しよう。しかし、分かっていると思うが、商人とは――」

「売り上げが全てですか?」

「いいや、夢を見ないことだ」

 

 彼は娘を一瞥した。

 

「肝に銘じておきます」

「そう願うよ」

 

 商人は立ち上がって机の引き出しから小袋を取り出し、金貨の入ったそれを手渡した。

 

「ありがとうございます。必ず、利子をつけて返します」

「制限とは、時に自由よりも重要な意味を持つ。利子をつけることで君の行動に変化があるのならそう願いたいね」

 

 ありがたく受け取り、俺はジェシカと街へ繰り出した。

 

 紙装甲の衣装で足元を見られるのも困ると思ったが、人間の服が着られるとも思えず、応急処置に黒いローブを纏った。ユグドラシル時代、PKを警戒して二足歩行の種族を選んだ、過去の俺の功績だ。人間に擬態する術もあるが、この国は異形種の方が自然だろう。

 

「そういえば、御父上の経営する店の名前はなんですか?」

「シャイロック商会です」

「……これも運命なんでしょうね」

 

 まったく、ふざけた運命だ。

 

 

 

 

 どこよりも先に優先するのは、評議国古参の鍛冶屋だ。埃っぽい武器屋の戸を開くと、髭の小男がカウンターに座り、お茶を啜っていた。俺たちに気付くと、視線で上から下まで舐め上げられた。

 

「この店で一番、切れる武器を見せてください」

「切れ味はどれもそう変わらんぞ」

 

 俺の視界は真っ暗になった。

 

「……鍛冶職人にお会いしたいのですが」

「ワシじゃい」

「……マジでぇ?」

「まぢでぇ」

 

 ジェシカが俺の真似をしてふざけている。彼女に外で待機するように言って追い払い、改めてドワーフらしき小男に取引を持ち掛けた。

 

「ここが評議国でもっとも古い鍛冶屋だと聞いています。その腕を見込んで、竜王を切れる武器を鍛えてほしいのです。理想は投てき武器です。円月輪とか、ライジング・サンは作れますか? アストラルやトマホークでは重いので、肉切り包丁や獄刀でも構いませんが」

「はん、武器なら一通りそろえているだろう。投てき武器などは好かん。だいたい、竜王様を敵に回すような武器を欲するならこの国から出て行け」

「確かに、ここにある武器はどれも弱すぎますね」

 

 怒りで立派な髭が逆立った。酒でも飲んでいるのかと聞きたくなるほど赤くなり、拳を握って机に叩きつけた。

 

「ワシはずっとこの国で鍛冶やってんじゃい! お前さんの種族は知らんがな、舐めるなよ、小僧!」

「仕方ありませんね。それでは取引を申し出たいのです。近隣を荒らす魔獣の死体を買い取ってください」

「……はぁ?」

「こちらの理想はあなたを専属鍛冶職人に雇うことです。私が魔獣を倒し、素材を提供し、武器を作る。報酬は生活の保証です。私の商店で働けば、バフ効果のアイテムを生産し、技術を向上させましょう。ギルドに金を払う必要もなくなりますし、武器を売った利益は還元しますよ」

「……お前さん、何者だ」

「詳しい話はまた後日にしましょう。今日は剣をいくつか買っていきます。粗悪品ですが、魔獣ならこれでいいでしょう」

 

 店主は全力で舌打ちをし、忌々しいものでも見たように手を払った。

 

「私は南門の外の露店にいます。またお会いする日を楽しみにしています」

「商業ギルドや竜王様に喧嘩を売っ――」

「先を急ぐので、失礼」

 

 交渉は失敗だ。彼の話を断ち切って扉を閉めた。次はもっと上手くやろうとあれこれ想像し、喧嘩腰のドワーフをいなして店を出ると、ふぐのように膨らんだジェシカが喧嘩を売ってきた。

 

「遅いです。女性を待たせて平然としているなんて」

「……次に行きましょう」

「待たせたお詫びに、腕を組んでもよろしいですか? 魔導国を見習って、恋人を偽るというのも――」

「過程を楽しむつもりはありません」

「同感です。結果が全てですもの」

「それには同意しますが、人肌は必要ありません。金にならないのは好きじゃありません」

「格好いいです!」

 

 火星か金星あたりの宇宙人と話しているような気分になった。

 

 結局、彼女は俺の腕に纏わりついた。

 

 

 

 

 次に俺は、薬師を訪ねた。

 

 森妖精(エルフ)の女店主は美人で、見惚れるほどだった。ミロのヴィーナスなど、彼女に比べれば土を捏ねた粘土細工だ。異形の俺としがみつく娘を見て、こっぴどく振られた元恋人に路地でばったりと再会したような酷いしかめっ面を見せてくれた。

 

「すみません、ポーションを見せてください」

 

 出されたポーションの色は青く、俺は揶揄われているのだと思った。

 

「このポーションではありませんよ」

「このポーションしかありませんよ」

「これは下級治癒薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)ですよね」

「ポーションですよ」

「ですから、ポーションの色が――」

 

 しばらく下らないやり取りが続いた。娘が腕に胸を密着させた狼藉で俺も冷静になり、この世界全体のレベルが低いことを思い出した。個々のレベルだけではなく、流通している商品までレベルが低いとは想定外だ。

 

「失礼、錬金術溶液はどんなものがありますか?」

「鉱物を元にしたものですが、何か?」

 

 これまでのやり取りで彼女の心がささくれ立っている。失言をすれば噛みつかれそうなきつい目だ。

 

「ゾルエ溶液などはありませんか?」

「……は?」

「黄金の秘薬は?」

「ひ、飛躍……?」

 

 ポーションの作り方からして、俺の常識が通用しなかった。既存のポーションに魔法付与や、俺の生産系魔法で簡易バフなら掛けられる可能性が高いが、それは検証してみなければわからない。

 

「仕方がないので、このポーションをください。一本、いくらですか?」

「……金貨5枚と銀貨4枚です」

「金貨5枚!? こんな弱いポーションにですか!?」

「………悪かったですね」

 

 悪意はなかったが怒らせてしまった。それにしても、ここで大枚をはたいて浪費すれば、市場で欲しいものが買えない。瓶は最低限にとどめ、薬草を大量に買い占めたが、それでも想定より大幅に金貨を使ってしまった。

 

「はぁ……こんな低品質な薬草に……」

 

 森妖精(エルフ)が釣り目で睨んでいた。

 

「ところで、商売は順調ですか?」

「はい?」

「薬師が一人ほしいと思っていました。ギルドに税金を払うことなく、より効果のあるポーション制作に携わる気はありませんか?」

 

 ジェシカが絡めている腕に力を籠め、何かを言いだそうとしたエルフを睨みつけた。

 

 金にならないし、下らない。

 

「ジェシカ、ご退場願います」

「え? 私がですか?」

 

 案山子並みのいい加減な顔で俺を見た。

 

「情報より重要なものはありません」

「なるほど、勉強になりますわ!」

 

 彼女は出て行くことを拒否したので、絡みつく彼女の腕を解いた。カウンターに身を乗り出すと、美形の森妖精(エルフ)が身構えた。今度こそ、交渉を上手く行わなければならない。

 

「私はアインズ・ウール・ゴウン魔導国、魔導王の友人です。あなたを雇い、技術を向上させましょう。生活の保証はします」

「……嘘」

「本当です。私たちのいた世界では、ポーションは赤いんです」

「神の血……」

「ご存知でしたか」

「……」

 

 口を開いていたので言葉を待ったが、なかなか顔を覗かせない。畳みかければ即効性の毒が回っただろうが、これだけ驚くのなら十分だ。これは種まきの一環で、すぐに成果が出る行為ではない。水と時間がなければ芽は出ないし、今は彼女に払う人件費が無い。

 

「何かあればご相談に来てください。南門の外に露店を作ります。軍資金がなければ言ってください。金貸しもやっていますので」

 

 水をやりすぎても腐ってしまうので、失語症の森妖精(エルフ)を無視して外へ出た。

 

 再び小娘の腕が絡みつき、俺の歩行速度を鈍らせた。

 

「もう……好色なのですね」

「残念ながら、金より愛を優先するつもりはありません」

「よかった、安心しました」

「?」

「ところで、私は21歳、独身、現在、恋人はいません」

「はぁ……」

「この言い方だと過去に恋人がいたと匂わせているように感じますが、その辺りの事情は気になりませんか?」

 

 彼女は自由だ。レベル100の強者で、しかも異形種の俺に対し、やりたい放題、言いたい放題してくれる。

 

「ところで、お名前は何でしたっけ、ネラワレタ様」

「私を狙うのはあなただけですよ」

「まさか! 狙うなどと恐れ多いです! 一人の親愛なる、未来の婚約者として振る舞っておりますわ。ところで、お名前は……」

 

 俺は見せつけるようにわざとらしく、見下ろすと吸い込まれそうな深い溜息を吐いた。

 

音改(ねあらた)です」

 

 

 

 

 それから、大量の肉、魚、果物を買い漁り、アイテムボックスへ放り込んだ。オーガ、トロール、ハーフリング、シーリザードマン、森妖精(エルフ)の店主に、ギルドへ金を払わなくていいから俺に雇われろと、種をあちこちでばら撒きながら。

 

 全ての店で共通しているのは、ユグドラシルと同様、商人の常時発動(パッシブ)スキルで、モブキャラ店舗の彼らからは3割安く買えた。恐らく、売値も3割は乗せられるはずだ。いともたやすく差し引き6割の利益が出るが、それが目的ではない。

 

 金貨を使い果たしてから帰宅し、購入した商品を中庭に並べていった。

 

 大量の木箱に積まれた食料品が並べられていく景色を眺め、シャイロック氏はベンチに腰かけてぼやいた。

 

「どういうわけだね、これは」

「安く買えました。これが上位の商人の力です」

「……どうやら、私の想定した以上の存在らしいな」

「その……間違っていたら訂正してください。シャイロックさんは、もしかして金貸しだったんじゃありませんか?」

 

 彼からいつもの余裕が消えた。

 

「やはり、強欲である卑しい性分は足を洗っても流しきれないのだね」

「そういう意味ではありませんよ。これは私の勘です」

「私の父はバハルス帝国の金融――と言えば聞こえがいいが、ただの金貸しだった」

 

 やはり、名前が示した通りの人物だったようだ。《ヴェニスの商人》がこの世界にあるとは思えず、説明しても理解できないので黙っていた。

 

「どちらかと問われれば、行儀の悪い部類に入る。私自身、それなりに手も汚している。父から引き継いで順調に売り上げを伸ばしていたあるとき、異形種がふらっと店を訪れ、見たこともない大金を積み上げ、債務者たちを攫っていった。そこが私の引き際だと思ってね。元より私は、父より引き継いだ金貸しという商売が好きではなかった」

 

 彼は話を切った。

 

 終わったのかと思い横目で盗み見ると、何かを躊躇っているような顔だった。

 

「しかし……仕事を部下に引き継いで評議国へ行くと打ち明けてから、娘と険悪になってしまってね」

 

 冗談を言っているのかと思ったが、彼の顔は真剣だ。あの娘とどうやれば険悪になれるのだろうか。

 

「君が来てからだよ。娘が楽しそうにはしゃぎ始めたのは。それまでは、まるで手負いの獣のようだった」

 

 噂の彼女は、俺たちが話しているのを盗み聞きしようと林檎の詰まれた箱の影に隠れている。発見されて怒られる前提で顔を出しているので、箱に向かってその辺の小石を投げつけた。

 

「商品の整理をお願いします。痛んでいるものは破棄してください」

「はーい!」

 

 スカートを翻して走っていく様は、どこからどう見ても中二病の夢見る少女だ。

 

「あれらはどこで売るのかね」

「南門の外へ露店を設置します」

「ギルドへ所属していないだろう」

「商売で戦争を始めるんです」

 

 俺には正義も悪もなく、仁義も筋も通さない。通すつもりがない。どの世界であろうと、金が無ければ死ぬしかないのだ。商売にそんなものを求めることが間違っている。

 

「君よりも物好きな人外は、この先、数百年は現れまい。評議会とギルドへ同時に喧嘩を売ろうと言うのだから」

 

 彼はパイプに火をつけた。

 

「強欲は罪だ。父親として、娘を巻き込まないでくれと言うべきなのだろうが、一人娘に笑っていてほしいと願うのもまた、親心なのだろうね」

「いえ、巻き込むつもりはありません。彼女には道案内だけ求めたつもりでしたが」

「私の意見は聞く耳を持たんよ」

「……そうですか」

 

 父親のお墨付きで娘を預かる羽目になった。一般的には美人の娘と一緒にいれるのだから喜ぶべきだろうが、俺の望みはそんなところにはない。正直、面倒に思えた。

 

「仕方ありませんね……ジェシカさんの身の安全は保証します。御二人のどちらか、評議員になってもらいたいんです」

「君の頭の中には高名な画家でも住んでいるのか」

 

 馬の糞でも触ったような顔だ。

 

 議会の懐に入りさえすれば、時間をかけて根を生やせばいい。評議国の多数決が俺の意のままに操られ、事実上、魔導国の支配国となる。そのためには、竜王を俺の前に引きずり出さなければならない。これは出会い頭に(アギト)を殴りつける必要工程だ。

 

 世界征服を目論むモモンガさんへの手土産に、評議国なら悪くない。

 

「しかし、そう簡単にはいかんだろう。仮にだ、君が竜王猊下よりも強いとしても、力で意見を捻じ曲げてくれるようなお優しいドラゴンに、竜王の称号は手に入るまい」

「私の目的は、私が評議国から追放されることですよ。そうせざるを得ない状況を作るには、彼らが最も嫌がることをすればいい」

「君の頭に飾られている絵画に、お目にかかれるのを楽しみにしているよ。さぞ、見事な美術品なのだろうね」

「褒められたやり口ではありませんので」

 

 これは俺の宗教が正しいと証明したい、個人的な我儘も含まれている。そのための商売戦争だ。

 

「店の名前は聞いてもいいことかね」

「そうですね……」

 

 そこは考えていなかったので、俺はジェシカが呼びに来るまでの時間を思考に浪費した。

 

「銭ゲバ商会……でしょうか」

 

 言い切ってから恥ずかしくなった。

 

 

 

 

 翌朝、俺たちは早くに評議国の都市部を出た。草原をそよ風が走っていく。見通しの良い、評議国から近すぎず、遠すぎず、条件に合致する場所を見つけ、アイテムボックスから商品を取り出した。一通り並べてから、魔法を唱えた。

 

「《露店開設(オープン・ストリートストール)》」

 

 手をかざしてスキルを唱えると、簡易な露店が出現した。ギルドの旗が風になびいている。この旗を見る限り、俺はまだアインズ・ウール・ゴウンの一員だと思えた。他の生産系を取得した友人、あまのまひとつさんなどがいれば作業工程がいくつもすっ飛ばせたが、そこまで贅沢は言えない。

 

 これから対峙する竜王猊下のレベルが、100でないよう祈るばかりだ。

 

「朝食ができましたぁ」

 

 相変わらず、娘は俺に付き纏っていた。食事は商品を食えばいいので彼女は用済みだが、何を言っても帰ろうとしない。

 

「……それが終わったら家に帰ってくれませんか」

「料理ができます」

「認めます」

「歌も歌えます」

「認めません」

「結婚しましょう!」

「ふざけていますね?」

「えへへ、ばれちゃいました?」

 

 未だ、俺に付きまとう彼女の心の内は読めていない。

 

 恋愛感情とは思えず、何か言い表せぬものを感じて得体が知れないので不気味だ。食事中も彼女は俺を凝視し、気が休まることがない。その居心地の悪さときたら、正義と悪が大喧嘩をしている最中に居合わせてしまった時に酷似している。

 

 仕方ないので店番を任せ、俺は後ろで横になった。社長である俺の本番は夜の来客への対応だ。ジェシカはいつまでも俺に語り掛けてくる。

 

「お客さん、来ませんねー……」

「そうでしょうね」

「ヒマですねー……」

「昼寝するので静かにしてくれませんか」

「添い寝は――」

「結構です」

「もう、つれないですわ」

「マジに黙らないとクビにしますよ?」

「はーい……」

 

 どうせ開店初日、客は来ない。

 

 重苦しい夜が周囲を覆ってから、俺は火を起こして肉を焼いた。

 

「ネラワレタさまー、夜に肉なんて焼いたら魔獣が寄ってきますよぅ」

「そうでなくては困ります」

 

 彼女の言う通り、暗闇に浮かび上がる露店の明かりの周囲を、肉の焼ける匂いが漂った。

 

「魔導国の領内から追い出された魔獣は、評議国にも逃げ込んでいるんですから、この辺は数も多いんですよ?」

「望むところです」

 

 すぐに夜の闇に紛れて光る目がやってくる。焼いた肉の匂いに誘われ、もっと新鮮な肉を食らうために。昼間、店番を彼女に任せて昼寝しておいてよかった。時間経過で光る目は増え、小さな星空にも見えた。

 

「うわー……魔獣がいっぱいですぅ」

「食べられないように、隠れていてください」

 

 腕試しと検証の時間だ。ギルド内の腕っぷしで言えば、俺は下位に分類される。それでも、この世界のレベルや魔獣の種族を考慮すると負ける気がしない。俺は手近な剣を掴み、群れを率いているひときわ大きいバジリスク種の前に立った。相手は食事を前にして涎を垂らしている。

 

「弱い者いじめは趣味じゃないが、弱肉強食だと思って諦めてほしい」

 

 石化に抗う魔法を付与した下位ポーションを飲み干すと、力、速度、抵抗力が上がった。剣に炎を宿して斬りかかると、面白いように斬れた。彼らを惨殺するのに、1分とかからなかった。

 

 開店初日の損失は下位ポーション2瓶、金貨16枚相当で、収益はバジリスク種たちの死骸だ。明日の夜は、彼らの肉を焼いて魔獣をおびき寄せれば商品を消費せずに済む。

 

 敵の気配が完全に消えてから、娘に見張りを任せて仮眠を取った。しかし、流石に二人で店を回すのは辛い。特に、彼女の身に何かあっては、金主のシャイロック氏に顔向けができない。

 

 翌日の午前中、冒険者の護衛をつけた旅の商人が、都市内で買うよりも安いと喜んでまとめ買いをしていった。都市内の物価を調査しておき、3割乗せて売れると想定した値段設定で良かった。

 

 収入は金貨2枚だが、口コミが広がることに期待しよう。

 

「売れましたね!」

「御父上の商売、手伝わなくていいんですか?」

「いいんですよ。唸るほどお金があって、働かなくてもいいんですから」

「羨ましい限りですね」

 

 仕事が趣味になれば余裕ができ、ああいう性格や言い回しになるのか。

 

「ですから、お金をくすねて、料理に必要な家財道具も持ってきたんです」

「だからいつも通り、食事が出てきたんですね」

「私たちの愛の巣ですもの……うっふっふ」

「お黙りなさい」

「これでお客さんが増えても大丈夫です。もっと儲かったら、食堂でも開きましょう!」

 

 ちゃっかりしているものだ。愛の巣という下らない意見は捨て置き、簡易食堂を作るのは悪くない案だ。

 

「儲かったら資本金として返さないといけませんね」

「わ、私をお嫁さんに――」

「その申請は却下です」

 

 夜、バジリスク種の死骸を焼いて香ばしい臭いを漂わせていると、大地が揺れた。夜の来客、魔獣は二足歩行の恐竜だった。爬虫類独特の目で俺を見下ろし、舌なめずりをした。生え揃った鋭い牙は、高値で取引できそうだ。

 

暴君龍(レックス)か。ユグドラシルが元だと、北欧神話の魔物だけとは限らないんだな」

「きゃー! 犯されるー! 助けてー、音改さまー!」

 

 有難くも何ともないが、少しも緊張感がない。

 

 俺は少しでも経費を削減しようと、ポーションを消費せずに戦いを挑んだ。気が付けば、恐竜の首を両手に掴んで草原に立っていた。

 

 この日も俺の圧勝で終わった。下位物理無効化を貫通するほどの敵にはお目にかかれず、命を取られる心配はないどころか、かすり傷ひとつ負っていない。ポーションやバフを掛けるのが馬鹿馬鹿しくなってきた。

 

 この日の獲物はこの二体だけだった。朝方、返り血を洗い流す水がもったいないので、血なまぐさいまま食事をとり、眠った。

 

 

 3日目の朝、ジェシカの声で目を覚ますと、薬師の森妖精(エルフ)が唐草模様の風呂敷を背負って店を訪れた。美しい顔と相反した唐草模様に、夜逃げしてきた娼婦のようで笑いをこらえるのが大変だった。

 

「あのー……雇っていただけないでしょうか」

 

 なぜ彼女だけがこんなに早く陥落したのかが気になり、理由を問い詰めた。

 

「魔導国に私の故郷、エルフ王国を滅ぼされたもので……」

「それは……申し訳ありません」

 

 俺は頭を下げたが、彼女は萎縮していた

 

「あ、いえ、感謝しているんです。娼婦まがいの奴隷だった国民は解放され、魔導国領で自由が許され、希望者は友好国へ亡命の手引きもしていただきました。私の家族は散り散りになりましたが……みんな過去を忘れたいんです」

 

 故郷を滅ぼされたのに感謝をしているらしい。状況がよくわからないが、彼女が(はかりごと)を巡らしているようには見えなかった。

 

「それでは、ポーションを作り続けてください。薬草の調達などもお願いします。魔獣が出たら私が対応します。そのうち、製造方法の打ち合わせをしなければなりませんね。それから、ポーション販売の利益還元ですが――」

「うっ、酷い。あの、血なまぐさいので、手を洗ってきてもらえませんか」

「水がもったいないのもので」

「ここから西に1キロほど行けば小さな川か泉があると思います」

「わかるんですか?」

「水の匂いがします」

 

 半信半疑だったので打ち合わせを先に行いたかったが、彼女は鼻を摘んでそれ以上の話を拒んだ。仕方なく西へ走ると、彼女の言った通り、澄んだ小川が流れていた。俺が血なまぐさい両手とおさらばして店に戻ると、ジェシカとエルフが談笑していた。

 

「ですから、たとえ年上だろうと何だろうと、音改さまを口説かれるのはやめてください。順番でいえば、私が先なんです」

「それはないから安心してよ、ジェシカちゃん」

「本当ですかぁ……?」

「あ、お帰りなさい」

「ジェシカ、変なことを吹き込むのはやめてください」

 

 ともあれ店番も増え、俺もよく眠れるので助かった。

 

 エルフの美女が店番をしている昼間、心なしか客足が増えている。耳の尖った招き猫は男受けがすこぶる良好ではあったが、ジェシカは頬を膨らませていた。膨らんだ頬を指で押すと、風船のように空気を吐き出した。

 

「何するんですか! 破廉恥な!」

「失礼」

「フンだ」

 

 笑顔を隠すことなく、嬉しそうに逃げていった。

 

 

 

 

 昼は都市内よりも安価に食品やポーションを売って噂を流布し、夜は森妖精(エルフ)と小娘が手に汗握って見守る中、俺は魔獣を狩った。

 

 他に特別な事態が起きることはなく、順調にその周期(サイクル)を繰り返し、客足が増えていった。とはいえ、増えたとは言い難い程度の来客数だ。空き時間を利用し、森妖精(エルフ)にポーション制作の指導を行ったが、成果が出るのはまだ先だろう。

 

 そろそろ武器がほしいが、ドワーフはいまだに訪れない。離れた場所に積み上がる魔獣の死体から、風に乗って腐敗臭が漂っている。死体を捌く肉屋も急ぎで必要だ。

 

 商品の在庫も減ってきているので追加購入に出向く必要がある。各種店長へ雇用する再交渉を行い、生活魔法について調べるべきかと思い始めたころ、ついに蜥蜴が釣れた。

 

 店の裏で昼寝をしていると、強風で叩き起こされた。

 

 何事かと店の前に出て行くと、空と同じ色をしたドラゴンが俺を見て口を歪めた。

 

「あ、い、あ、いい、いらっさいませー……ようこそ、銭ゲバ商会へー……」

「ジェシカ、奥へ入っていなさい」

「は、はぁい、店長」

 

 そんな名で呼ばれたのは初めてだ。次から社長と呼ぶように指導しなくては。ジェシカは硬直するエルフの背を押し、店の奥へ引っ込んだ。俺はいかにも店主ですと言わんばかり、手近な椅子へ腰かけ、足を組んだ。

 

「いらっしゃいませ」

「私が客に見えるのか」

 

 青い鱗が輝いた。

 

 鱗一枚とっても目玉が飛び出そうな高値が付くと踏んだ。

 

「客ではないのですか?」

「お初にお目にかかる。私はスヴァリアー=マイロンシルク。永久評議員の1人、青空の竜王だ」

「それはどうも、ご丁寧に。私はここの店主、音改です」

「ギルドに所属せず、安価な商品を領内で販売している真意を聞きたい」

「生きるため」

 

 相手は俺の長台詞(いいわけ)を希望していたらしく、返答が短すぎてずっこけそうになっていた。

 

「ふざけるのは止してもらいたい。生きるためなら、評議国内で商売をすればいい。他に何か企んでいるはずだ」

「理由はそれだけで十分では?」

「ここで商いを続ければ国内の相場が乱れる。その言葉を信じるのなら、早急にこの地から立ち去るか、正式な手順を踏んで国内で店を開いてもらいたい」

「お断りします」

 

 俺の声は凍てついていた。

 

「貴様……やはり八欲王のような下衆プレイヤーだな? 評議国を手に入れようと思っているなら――」

「我々は何も違法なことはしていません。手に入るものを売っているだけです。行商人や冒険者も、旅の途中で休憩や補給をしたいでしょう。あなたの――」

 

 俺は身を乗り出し、竜王を指さした。

 

「高値が尽きそうなその翼や鱗は、弱い人間や亜人からすれば遥かな高みでしょう。強さとは縁遠く、魔獣の恐怖に怯えながら旅をする彼らの補給地点になっています」

「あの積み上がる死体がそうなのか。確かに、ここ最近、魔獣の被害が減っていると聞いたが……しかし」

「私たちは店を守っているだけですが、ついでに領内を荒らす魔獣まで討伐し、評議国の平和にも貢献していますが、何か問題でも」

「……」

 

 竜王とは、意にそぐわぬ者を消すような種族かと思っていた。当ては外れ、青空は敵意を示さない。この場で解体し、ドワーフへの交渉材料にしたかった。

 

「君は金が欲しいのか?」

「金を欲しがらないのは偽善者か宗教家と相場が決まっています」

「いい事を教えてやろう。魔獣は死体を冒険者ギルドへ納品すれば金になる。あそこで腐らせておくより、有意義だと思うがね」

「……情報、感謝します」

「情報料として、領内からご退場願うのは可能か?」

「それは難しいでしょうね……」

「ふむ……」

 

 竜王は腕を組んで悩み始めた。

 

「竜王の意にそぐわぬものを殺すような、独裁国家ではないのですか?」

「悪いが喧嘩を売る相手は選ばせてもらう。今は手持ちがないので、買う予定もない。私の考えが正しければ、下手な争いは大戦争の引き金となるだろう」

「それでは、何か召し上がりませんか? お金はいただきますが」

「それも不要だ」

 

 竜王は組んだ腕を解き、大地を揺らして顔を近づけ、至近距離で俺を眺めた。

 

「君の処遇については議会で意見が割れている。特に良い話は聞かないが、今の罪状は商業ギルドを無視して商売をしている一件だ。新たな情報、魔獣の間引きという話を持ち帰るべきなのだが……一つだけ教えてもらいたい」

「駆け引きは苦手なんですよ」

「君は恐らく、異世界の住人だろう。私たちはプレイヤーと呼んでいる。それも厄介なことに、君はアインズ・ウール・ゴウンの仲間だ。ここまでは間違いないな?」

「ええ、まあ」

「君は悪か? 善か?」

 

 竜王は懐疑的な目線で俺を射抜いた。恐らく、返答を間違えば戦闘になるのだろうが、俺の反応に相手は戸惑っていた。

 

「ふっ……ふふ……失礼」

 

 なぜ笑ったのか自分でもわからないが、この失態で竜王の視線は緩み、竜王を解体するのは失敗に終わった。

 

「私には善も悪も興味はありません。金勘定が趣味です」

「その言葉に、嘘偽りはないな?」

 

 自分でもこの後の対応は理解できないが、俺は全てを話したくなった。

 

「ギルドマスターであるモモンガさんが望めば世界征服をするでしょう。彼とは会いましたか?」

「……済まないが、モモンガというプレイヤーに出会ったことはない」

「魔導王が多分、それですよ」

 

 解せぬとでも言わんばかりに、竜王は尻尾を貧乏ゆすりしていた。

 

「私の聞いているのは、彼は世界征服など望んでいない。望みは41人の仲間との再会だそうだ」

「そんな馬鹿な。アインズ・ウール・ゴウンが世界征服をしないなんて……下らない嘘をついていたら許しませんよ」

 

 立ち上がった俺に対し、彼は何の感情もあらわさなかった。自らの返答になんら後ろ暗いことはないと、体全体から漂う空気が物語っている。

 

「そちらに関しては、魔導王と親交の厚い竜王がいる。後日、彼をこちらへ寄越そう。今日はこれで失礼させてもらう」

 

 竜王は俺に背を向けた。敵対する意思がないのだと信じて疑わないようだ。その考えは正しく、俺も背後から襲いかかってまで竜王と敵対するつもりはない。

 

「それから……竜王の意にそぐわぬものを殺すような、そんな低能に評議員は務まらん」

「商業ギルドからどれくらいの賄賂を貰ってるんですか?」

「あれは魔導国の物価低下による弊害の1つだ。いまだ実験運用の域を出ず、存続の可能性も低い」

 

 それさえも魔導国の仕業だったわけだ。これまでの全て、俺の早とちりの可能性も考慮する必要が出てきた。少しだけ出ていた俺のやる気が、再び萎れていくのが分かった。

 

「他にも何かあるか?」

「……強風で飛んだ食料品の弁済をお願いしたいのですが」

「無下に断ったらどうなる」

「皮膚を剥ぎ、翼を捥ぎ、角を削り、血を溜めます。ドラゴンは美味しい魔物です。血の最後の一滴まで、高値が付きますし、あらゆる分野の素材に使えますから」

「……腹立たしいが、ここは素直に従っておこう。金貨2枚で勘弁願おうか」

「武力行使はしないのですか?」

「魔導王の勢力を敵に回し、血みどろの惨劇を招くのは困るのだ」

「そうですか……」

 

 俺はこれ見よがしに肩を落とした。

 

「ありがとうございました」

「次はもっと離れた場所に降りるとしよう。解剖されてはたまらないからな」

 

 青空は離れた場所まで歩いて、店に損害を出さないように気遣いを見せた。ドラゴンの紳士的な振る舞いに、俺は感謝よりも失望した。

 

 落胆はすさまじいもので、青空が去ってからも案山子のように立ち尽くした。

 

「はぁ……もったいない。血の一滴まで何かに使えたはずだったのに」

「音改さま!」

 

 隠れていたエルフとジェシカが駆け寄ってくる。事情を知らぬ者が見れば、二人の女性を手籠めにした遊び人(プレイボーイ)に見えただろう。しばらくそんな気分になる予定はない。

 

「あの竜王様を相手に一歩も引かないなんて、さっすがは私の未来の婚約者様! 魔導王陛下の御友人ですぅ!」

「す、すみません……それほどの強さをお持ちとは知りませんでした」

「何を喜んでいるのか知りませんが、最悪ですよ。本来なら、彼を解体して竜王の素材を手に入れたかったのに」

「でも、あの竜王様相手に金貨を2枚もせしめたなんて!」

「2枚”しか”、手に入らなかったんですよ。彼を解体し、素材をあちこちで売り払えば、どれほどの利益が出たことか。それこそ、数年は遊んで暮らせたはずなのに……今日は大赤字です」

 

 耳の尖った美女は不遜な物言いに言葉を失っていたが、ジェシカは盛り上がっていた。

 

「なるほど! 銭ゲバ神さまは、常に金のことだけ考えるのですね! これしか儲からなかったと考えることで、常により金になる道を模索するなんて、勉強になりますわ! 私たちの未来にも、ゼニゲバ神様の御加護が――」

「ジェシカ、銭ゲバとは拝金主義のことで、ゼニゲバという神を信仰する宗教ではありませんよ」

「え、あ、そ、そうなんですか……恥ずかしい」

 

 本気で赤くなっているように見える。彼女の心の内側はよくわからない。それにしても、青空は襲い掛かってくると思っていた。本当に、そこだけが悔やまれてならない。

 

「考えると腹が立ってきました。そろそろ買い出しに出掛ける頃合いです。評議国で宿でも取り、食事も外で済ませましょうか」

「お支払いは経費ですの?」

「まぁ……それくらいはいいでしょう」

 

 少ない売り上げを使い込むのも気が引けるが、息抜きも必要だと納得させた。

 

「宿のグレードは上げませんよ?」

「やったぁぁー! ジェシカちゃん、暖かいベッドで眠れるよぅ!」

 

 森妖精(エルフ)が万歳して叫んだ。至近距離で叫ばれたもので、耳鳴りがした。

 

「えぇー、音改様と一緒に寝たいのにぃ」

「ジェシカちゃん……年頃の娘が節操ない振る舞いをするのは止めなさい!」

「だってぇ……ん? そういえば何歳ですか?」

「あ、あら……おほほ、エルフは長命種ですから」

「音改様は32歳でしたよね?」

「ええっ! そ、そんな……私の10分の1以下だったなんて」

 

 呟きはしっかり聞こえていた。俺は敢えて何も言わず、紳士然とした振る舞いを心掛けた。巨大複合企業の社長が、社員の個人情報を気にしてはいけない。美しさはそれだけで貴重な道具(ツール)だ。この先も、客寄せとして力を発揮していただこう。

 

 俺が店を畳んでいるあいだ、彼女たちは年齢について盛り上がっていた。

 

(それにしても、あの容姿で300歳以……いや、下手をすると400や、500の可能性もあるのか。長命種はよくわからないな)

 

「もしかして、本当の年齢って……」

「いやあああ! お願いだから言わないでぇぇぇ!」

「そろそろ行きますよ、二人とも」

 

 店を畳み、商品の買い出しへ向かった。

 

 評議国内の中級宿屋に部屋を取り、ベッドに横になるととても心地が良かった。心がささくれ立っていなければ、よく眠れただろう。

 

 部屋の壁は薄く、隣部屋のジェシカとエルフの笑い声が聞こえた。聞き耳を立てるのも悪いと思い、早々と明かりを消してベッドに横たわった。

 

 夜になっても昼の損害が悔やまれた。

 

 永久評議員が文化人らしさを身に着けているおかげで攻撃する口実が無く、魔導国と友好国なので、俺一人の判断で戦争を起こす訳に行かない。

 

 やる気を出そうにも、肝心のウルベルトさんが来ていないのだ。馬鹿の多い異世界であれば戦闘は避けられず、今ごろぼろ儲けして楽しめただろうに。

 

 ちまちまとした売り上げを累積させ、常に俺が魔獣を狩り、人を増やして人件費もかさばる。いつになれば魔導国へ行けるのかと、気が遠くなりそうだった。

 

 結局、仕事なんて毎日、同じことの繰り返しだ。

 

 

「……つまらないなぁ」

 

 

 

 

 





下巻は2~3日以内に何とかします


会社興すと、最初は大変だよね!
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