薔薇と蛇の招待状   作:用具 操十雄

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評議国の商人 下巻

 

 

 二人は俺が寝坊し、余計な時間を散在している最中、着々と親密度を上げているようだった。遅い朝食でも食おうと食堂へ向かうと、デザートを取り合っているエルフと小娘の姿が見えた。

 

「ジェシカちゃん酷いよぉぉ。最後にとっておいたのにぃぃ!」

「だって、まだ21歳の小娘だもん!」

 

 朝っぱらから騒々しいので、俺は他人の振りを決め込んだ。考えられる限り最も遠い席へ腰かけ、一人、優雅な朝食を摂った。明け放された窓では、雀たちがおこぼれに預かりたいと機を狙っていた。

 

 俺がパン屑をそっと置いてやると、待ってましたとばかりに雀たちは食事を始めた。

 

「ジェシカちゃん……年齢の話は」

「そうですよね! だって、実は6――」

「やめてええ! 私の大切な情報を迂闊に話さないでえええ!」

 

 あちらの雀たちはまだピーピーと騒いでいたので、俺はあちらが気付くまで待つことにした。

 

「平和だな……」

 

 つまらない朝だった。

 

 

 

 

 買い出しの前に、はぐれドワーフの鍛冶工房を訪れた。躾されている女性たちに「待て」の合図を出すと、時間でも止められたように固まった。

 

 俺が扉を開くと、突然に朝陽が撃ち込まれたもので、店主のドワーフは鼻に蜘蛛でもたかっているような顔をしていた。申し訳程度に「いらっしゃい」と挨拶をしてくれたが、来客が俺だとわかって早々、塩でも投げつけてやりたいと言わんばかりの態度に変わった。

 

「なんじゃい! 帰れ!」

「あなたは、気に入らない客にはいつもそんな対応してるのですか?」

「まさか、相手は選んどるわい。評議国に敵対しようとする異形種にちょうどよかろう」

「私に対する誤解が、なるべく早く解いるよう願っていますよ。武器がぼろぼろになってしまいました。新しいものをください。投てき武器がほしいのですが、刃を輪っか状に鍛えてもらえませんか」

「ああん!? わしは投てきなど好かんと――」

「この素材はいくらで買ってもらえますか?」

 

 最初は無下な対応をしていた髭の小男も、バジリスク、恐竜、キマイラ、巨狼など、魔獣の頭部が並べられていくうちに顔色を変えた。今日び、信号機だってここまで手早く色が変わるまい。

 

「いくらですか? 理想は金貨10枚くらいがいいんですが」

「……う、あ……く、組合へ行け! 冒険者組合へ!」

「登録とか手続きが面倒なんですよ。代わりにやってくれませんか? 手数料と対価は払いますので」

「お前さん……頭が壊れとるわい。神殿へ行け。治る保証はないがな」

「失礼ですね。当初の予定通り、素材をお持ちしましたよ。これで竜王を殺せる武器が作れますよね」

「馬鹿者! 最強の竜王、白金の竜王であらせられるツァインドルク=ヴァイシオン様がおるんじゃ! お前に加担すれば儂まで目を付けられる!」

「じゃあ、ずっと私の下で働き続ければいいじゃありませんか」

 

 売り言葉に買い言葉となったのは否めない。互いの声量は徐々に熱を帯び、大きくなっている。交渉の体裁は早々と掻き消えた。

 

「その白金が出てきたとき、腹を割って話をすればいいんです」

「……帰ってくれ。お前さんに雇われるには、工房が無くては話にならん」

「それでは、移動する手段を考えましょう。かまどならすぐに移動ができ――」

「帰ってくれ! 儂を一人にしてくれ! 金貨なら渡す! お願いだから帰ってくだされ! この通りじゃ!」

 

 最後は拝み手で懇願された。

 

 髭の小男は魔獣の頭部に対する金貨を押し付け、俺の背中を押して外へ追いやった。体温を感じない無情な扉は閉ざされ、カチャっと鍵が閉まる音が聞こえた。彼の心と同じく、入口は閉ざされている。

 

 ため息を吐き、店の軒先で談笑する女性陣へ向かった。こちらが何も言わずとも、全て悟られていた。

 

「また駄目だったんですかぁ?」

「上手くいかないものですね。こういう交渉は苦手です」

「もう、仕入れと販売はお上手なのに、交渉は下手くそですのね」

「不慣れなもので」

 

 所詮は商人の職業をとっているだけの一般人だ。新興企業の社長が初めから何でも上手くできては世界が成り立たない。俺は天才肌ではない。

 

「ジェシカちゃん……女の子が糞とか言っちゃ駄目よ」

「間違ってないもん」

「あの、わ、私がやりましょうか?」

 

 年増の招き猫が挙手した。そうやって片手を上げていると、ますます招き猫化が進んでいるようだ。腕を組んで悩みながら彼女を凝視していると、恥ずかしいのかもじもじと足踏みをはじめ、隣にいたジェシカまで挙手した。

 

「あ、じゃあ、私がやります!」

 

 どちらかと言えば、金貸しの血統であるジェシカに分があるように思えた。

 

「勝算は?」

「あります!」

「理由を教えてもらえますか?」

「だめぇぇ」

 

 何回か問い詰めたが、両手を顔の前で交差させ、頑として動かなかった。彼女なりの企業秘密があるのだと思い、鍛冶工房で分かれた。

 

「あの、店長」

「社長と呼んでください」

「しゃ、シャチョーさん。私でも上手くいきそうでしたのに……」

「街を案内してもらうのに、彼女は騒がしいもので」

「ごもっともです……」

 

 改めて街を歩くと、人間の姿は見えず、通行人の種族は空想(ファンタジー)剥き出しだ。純粋な疑問を訪ねる俺に、森妖精(エルフ)は笑いながら教えてくれた。

 

「冒険者、商業、神殿やギルド、組合などにはいます。細かい仕事が得意ですから」

「そんなもんですかね」

 

 訪れた肉屋のトロールは作業中だった。声をかけると、鮮血滴る出刃包丁を置いて応対してくれた。

 

 先ほどのドワーフよろしく、魔獣たちの首級を並べ、信号機に見立てたトロールの顔色を青くしたり赤くしたりして暇を潰していると、交渉を終えたジェシカが駆けてきた。

 

「明日、ドワーフさんが来てくれるそうです!」

 

 彼女は俺が思っていたよりも優秀だ。彼女の手腕に感心していると、放置されていたトロールが言った。俺にではなく、駆け寄ってきた小娘に。

 

「給料、いくらくれる?」

「必要な道具はありますか?」

「肉を調理する道具がいる。包丁などは揃っちゃいるが、燻製の木材が必要だ」

「他の店の交渉を手伝ってくれるなら、こっちで全部用意します」

「乗ったぁ!」

 

 トロールが手を差し出し、ジェシカと握手を交わしている傍ら、積み木で出来たバベルの塔の足場材が消えた気分を味合わされた。

 

「ジェシカ、経費はそんなに――」

「やりましたね、店長!」

「よろしく頼むぜ、店長!」

「……社長と呼んでください」

 

 吸血鬼も青ざめる満面の笑みに頭が痛くなった。

 

 

 

 

 ジェシカの口車に乗せられ、トロールは交流のある店長たちを脅し、宥め、透かし、柔軟に懐柔してくれた。俺の店は従業員が増え、諸経費が出鱈目に積み上がり、倒壊せしめし塔の残骸が俺の背中に積み上がっていく。

 

 銭ゲバ商会の看板は偽りだらけで、跳ねあがった人件費を考えただけで俺の顔は硬直し、愛想笑いさえ浮かばない。

 

 エルフ、人間、俺の3人で回していた店に、肉屋のオーガとトロール、魚屋のシーリザードマン、果物屋のエルフの少年、資材調達のナーガまで加わり、雇用した彼らの店で使われていた家具は俺の店で流用された。

 

「《露店開設(オープン・ストリートストール)》」

「と、こうして店ができるわけです。出し入れは店長の自由自在なんです。凄いでしょう?」

「早く商品を並べてください」

「はーい」

 

 よく使い込まれた家具や、旬を迎える商品を設置して眺めたが、形だけなら老舗オープンカフェの様相を呈していた。

 

 商品を並べただけで夜になってしまい、各々が好き勝手に野宿を始めた。早々に宿舎を作らなければならないが、今は二の次だ。本来、先立つべきものが手元にない。

 

 俺は魔獣を警戒、迎撃する夜勤の合間、星空の下で今後の経費を考えなければならなかった。不慣れな作業は過剰に時間を浪費した。

 

 やがて空が白み、太陽が天頂に差し掛かる青空の下、ようやく完成した計画表を眺めたが、商品個別の価格設定が今まで通りだと厳しい。料理の金額を高めに設定しなければ、当面どころか、まるで利益が出ない。素材に高値がつきそうな青空の竜王が戦闘を仕掛けてこないかと蒼天に願ったが、天は青空の味方だろう。ドラゴンと鳥人には青空が良く似合う。

 

 魔獣の死骸を冒険者ギルドで換金しても、俺とジェシカの人件費で消える。手っ取り早いのは、バフ効果を付属させたポーションの値上と、飲食物の値上げだ。

 

(評議国は手に入らないし……いつになったら大金を持って魔導国へ行けるんだ)

 

 ため息を吐いて顔を上げると、ジェシカが至近距離で覗き込んでいた。

 

「距離が近いですね」

「心の距離を詰めたいと思っていますの」

「余計なお世話です。ジェシカ、各々の取り扱っている商品を料理に使う場合、私たちが有料で買い取る形でなければなりません」

「でも、食事の経費は差し引いてもいいって言ってますよ」

「それとこれとは別です。彼らは自分の店を畳んでまで私の店に来てくれたのに、今まで以下の給料では厳しいでしょう」

「……まぁ、そうですけどぉ」

「休日も与えなければなりません。空いている時間で、レストランの給仕も手伝ってもらいましょう。しかし、それは彼ら本来の仕事ではないので、働いてくれた時間に対して対価を支給しなければなりません。モチベーションの維持は上に立つ者が考えるべきことです」

「もちべえ?」

「やる気のことです」

 

 彼女のやる気が依然として大気圏を目指している理由は謎だ。得体の知れない彼女に、俺は敬語がやめられない。彼女の顔を見る度、脳の奥で何かが俺を萎えさせていた。

 

「でもぉ、そんなにお金ばかり払っていたら、儲かりませんの……」

「雇った人間に給料を払わないわけにはいかないでしょう。誰があんな大量に、しかも同時に雇ったのですか?」

「えへへ……そんなに褒めないでください」

「少しも褒めていません。あなたのお陰で、私たちは責任を取ってタダ働きです。給料はありませんよ」

「えぇーそんなぁ……」

「人件費以外にもどんな経費が掛かるのかわかりません。魚担当のシーリザードマンは海まで行かなければ仕入れができません。往復するだけで1日が潰れるでしょう。そちらに加え、魔獣の素材を売りに行くのにも護衛が必要です。生活魔法だって、彼らの使える魔法は限られています。無駄遣いはできません」

 

 先日のお礼参りとばかり、俺は機関銃のような言葉でジェシカを撃ち殺した。死体には沈黙こそ相応しいのだが、彼女は頑丈だった。

 

「それでは! 私のお給料は口づけ一回でいかがで――」

「その口、接着剤で塞いであげましょうか? この表を見ても同じく元気でいられますか?」

 

 俺は簡単な貸借対照表を作って見せてやったが、異世界では数字の形が違うらしく、まずその説明からしなければならなかった。口を動かし過ぎて乾いた口腔から砂が出るかと思った。

 

 異文化交流に手間取った挙句の果て、前日から引き続き、夜勤は寝不足で来客の応対をしなければならなかった。

 

 朝陽が見えたので小休止しようとその場に横になった。少し横になるはずが、体がヘドロのように溶けていき、意識は一瞬の緩みでドロ沼の底まで沈んだ。

 

 あくまで体感的にだが、意識はすぐに呼び戻された。

 

 太陽の位置が大きく変わっているので、半日は寝ていたのだろう。体を起こすと、俺の体に掛けてあった毛布がめくれた。食欲をそそる匂いが俺の意識に石を投げ、波紋は体の奥から広がっていく。

 

 三大欲求の食欲には勝てず、少しだけ眠って満たされた睡魔は、悪霊よろしく退散させられた。

 

「つまり、手の空いた時間でレストランを手伝って欲しいんです。主な仕事はできた料理を運んだり、野菜や果物の皮を剥いたりです。時間に応じて相応の給料を払います。次に料理ですが、肉を焼くときはこうやって、炎を弱くして蓋をし――」

 

 キッチンではジェシカが異形種へ指示を出していた。全員、異形種なりの真面目な顔で彼女の話を聞いていた。

 

「おはようございます」

「あ、おはようございまーす! 遅いですけど、朝食、食べますか?」

「お願いします」

「座って待っていてください。みんな、店長さんの相手は私がやりますからね! これは絶対の法ですから! 破ったら鞭で百叩きです!」

「社長と呼んでください」

「わかりました、シャチョーさん」

 

 それにしても、無国籍な、無節操な店舗になったものだ。オーガとトロールは食人種のはずだが、ジェシカに対してなんら関心を示すことがない。

 種族の違いによる軋轢に思いをはせていると、目の前に料理が置かれた。

 

「はい! いつもの朝食です!」

 

 見慣れた香ばしい(クリスプ)ベーコン、目玉焼き、パン、牛乳が並べられた。

 

「トロールは食人種ではないのですか?」

「うふふ、おかしなことを聞きますわね。私たちだって、家畜にする牛や豚を愛玩動物として愛でることもありますし、見境なしに殺すなんてしませんわ。話せばわかりますけど、気さくな御二人ですのよ」

「強者の余裕でしょうか」

「あ、でも、エルフさんたちは仲が悪いみたいです。果物屋さんの少年エルフさんは、薬師のエルフさんをクソババアって言ってました。トロールさんは蛇さんが苦手みたいです。なんでも、別の場所での遺恨がなんとかって」

 

 どうやら店内の人間関係でも頭を悩ませなければならないらしい。

 

「こうやってみんなで楽しく店ができるのも、音改様のお陰なんです。尊敬しています。そろそろ私をお嫁さ――」

「憧れや尊敬は、相手と一線を引く感情です。憧れてるうちは、何があっても相手を越えられませんよ」

「……わかりました、社長」

 

 これまでの彼女らしくない、信仰する神へ祈りを捧げるような顔をしていた。俗物だった表情が悟りを開いた顔へ早変わりする芸のようだ。彼女が黙っているのをいいことに、俺は食事を始めた。

 

 まだ睡魔は俺の後頭部付近を隙あらばと狙っていた。適当に食べてからまた眠ろうと思ったが、気違い沙汰の旨さに全て食べてしまった。

 

 恐ろしい娘だ。

 

「ジェシカ、随分、腕を上げましたね。とても美味しかったです」

「え? えへへ……いい奥さんになれますか?」

「無理でしょうが、どうやって焼いたのか興味はあります。ベーコンなんて、フライパンで適当に焼いただけはないのですか」

「いやですわ、もう。料理はそんなに簡単ではありませんのよ。それが夫に出す愛妻料理であれば!」

「前置きは結構です」

「つれないです……香ばしくするにはベーコン独自の脂で蒸すように仕上げないといけません。卵だって、弱火で少しも目を離さずに焼かないと、全体がふっくら仕上がりません。互いの相性が殺し合ってしまいますので」

「焼き方を教えてくれますか?」

「はい! 夫婦初めての共同作業ですわ!」

「そういうのは結構です」

 

 俺はジェシカに案内されてキッチンへ入った。つまみを捻ると炎が出るアイテムにフライパンを乗せて軽く熱してから、薄切りのベーコンを二枚並べた。

 

 突然、俺の意識が途絶えた。

 

 復帰したとき、炭化したベーコンが怒りの炎を上げていた。状況が分からず、黒煙にむせ返りながら戸惑っていると、ジェシカがバケツの水をぶっかけ、キッチンは水浸しになった。

 

「……何が起きたんでしょうか」

「……片づけないといけませんわね」

「はい……」

 

 どうやら料理は職業に料理人が無いと駄目のようだ。しばらくはジェシカがやってくれるが、長い目で見ると料理人が多くないと辛い。今後の主力商品は彼女を料理長とする食事だ。

 

 その後、焦げ付きの残るフライパンを手に何度か試みたが、その都度、俺の意識は失われた。傍らに置かれた皿には、失敗作の消し炭が積み上げられていた。

 

「それ、どうなさるのですか?」

「……食べますよ。もったいないので」

 

 この日、俺の食事は真っ黒い炭だった。

 

 過度のストレスで死んでもおかしくなかったが、俺は元気なままだった。

 

 

 

 

 文化の違いによる軋轢は俺だけの問題で、店は問題なく回っていった。

 

 全員参加の会議にて、肉屋は魔獣の解体と仕入れ時の護衛。他の店長は仕入れと、魔獣の死体を組合へ引き取らせ、金貨を持ち帰る。俺は魔獣の討伐と、薬師へポーション作成の指導、ジェシカは賄いと料理人。ドワーフは魔獣の素材を作って武器の販売。蛇は木材の調達へ森に出向く。森妖精(エルフ)同士は年齢差が激しいので相性が悪く、決して同じシフトで仕事をさせない。

 

 この法則(ルール)で10日ほど店を回した結果、客足は順調に増えた。

 

 評議国の見える場所に陣取り、客寄せに料理の匂いを漂わせる商店は、弱肉強食の魔獣が現れる評議国の草原にタケノコのように飛び出したオアシスとなった。魔獣に追われて逃げ込んでくる商人や、冒険者・ワーカーの補給に一役買った。集まってくる魔獣は俺の手で惨殺され、店の裏で肉屋に解体され、料理の材料にされた。

 

 そうした経緯から、魔獣の肉を評議国内よりも安く買える事実に加え、青空の竜王相手に一歩も引かない店長がいる店と、全くもって有難くない栄誉までいただき、客足は十分に増えていた。道中、魔獣に襲われてもこの店に逃げ込めばいいのだ。

 

 従業員への賄い食を好みによって作り分け、ジェシカは着実に料理の経験値を貯蓄し、今では一介の料理人に近い。

 

 そろそろ俺とジェシカの人件費を考慮すべきかと考えたころ、一人の老婆が店を訪れた。

 

 夜行性の魔獣の襲来に備え、昼間は睡眠に集中していた俺は、老婆の要望で叩き起こされた。寝惚け眼で席に座らされると、対面に黒いローブを着た老婆が食事をしていた。

 

「お前さんがここの店主かい?」

「ええ、そうです」

「気持よく寝ていたところすまんのぅ。お嬢ちゃんに無理を言って相席させてもらったわ。それにしても、ここの飯は旨いわい」

「看板商品ですからね」

「魔導国の宮廷前の食事ほどではないが、それに迫るものがあるな」

「はぁ、そうなんですか?」

「知らんのか?」

「まだ魔導国には行ったことがないもので。あなたとこのような議論をすると知っていれば、先にあちらへ顔を出したでしょうね」

「そいつあ、残念じゃな」

 

 しばらく無為な沈黙が続いた。俺が相手の意図を探りながら料理に舌鼓を打っていると、店内の客が捌け、俺たちだけになってから老婆の雰囲気が変わった。鋭い目つきは、これまでみた誰よりも高レベル者であると感じさせた。

 

「お前さん、何が狙いじゃ」

「はい?」

「魔導王、アインズ・ウール・ゴウンの友人と聞いたがの」

「そうですよ」

 

 俺はこともなげに言った。

 

「確かに、私はアインズ・ウール・ゴウンの1人です」

「情報通りじゃな。100年の揺り返し、ユグドラシルからこちらに流れてくるプレイヤー……今回はアインズ・ウール・ゴウンと41人の神々か。しかし、こうも時期をずらして来られると、こちらも困るわい」

「神々……?」

 

 俺は寒空の下で浮かべるような笑顔を作った。心なしか口端が引き攣っていた。

 

「歓迎パーティを頼んだ覚えはありませんし、老婆に知り合いはいませんがね」

「ろ……無粋な男じゃな。あそこの嬢ちゃんに見切りをつけられるぞ」

「願ってもないことです。是非、そうしていただきたい」

「それにしても、全員が武闘派だと思っておったが、商売の神までおったとは」

 

 どこの誰がそんなデマを流したか気になった。異世界転移して神を名乗るなど、中二病も甚だしく、社会人なのに恥ずかしくないのだろうか。

 

「勘違いしていますよ。元人間が神なんて傲慢でしょう。私はただの商人です」

「その元人間というのが厄介なんじゃ。人間が力を持つと碌なことをせんわい。世界に協力するならともかく、今のあんたは評議国を乱そうと企んでいるようにしか思えん。順調に売り上げを伸ばしているあんたの店の処遇じゃが、議会で議論が白熱している。面倒事は金にならんぞ」

「そうでしょうね」

 

 リグリッドと名乗った老婆は、俺の心を透かして見ようとしていたが、俺はポーカーフェイスを貫いた。

 

「……しかし、本当に異形種41人で構成されとるギルドとやらがあるんじゃな。あそこの嬢ちゃん、嫁にでもするのかねぇ」

「元人間なのでそうなってもおかしくありませんが、今は仕事が全てです。働かないと生きていけませんよ」

「そこじゃよ、わしがもっとも聞きたいことは」

 

 彼女は挑むような目になって身を乗り出した。

 

「魔導王がおわす魔導国へいけば、働かなくても生きて行ける。なぜ評議国で大騒ぎを起こし、なおも居座ろうとするのじゃ」

 

 永久評議員の竜王5体は、よほど強者が疎ましいらしい。竜族特有の傲慢も影響し、俺がここで売り上げを伸ばすことが耐えられないのだろう。だから竜王の誰かが彼女に使者を頼んだ。

 

「そんなところではありませんか?」

「……御見通しじゃったか。傲慢が理由ではないがな」

「出て行くのはやぶさかではありませんがね。議会に最も強い影響力のある竜王と合わせてほしい。それがあなたの御友人であれば有難いのですが」

「勝手に話を進めるのは気に入らんがのぅ。儂の思惑と一致しておる。評議国に落とされたので、商人の職業特性を生かして小遣い稼ぎでもしている商売の神には、早々とご退場願いたいのぅ」

「管理された商売など、品質が低下する一方ですよ」

 

 俺は嗤った。

 

「やはり、お前さんは怪しいわい。近いうちに、わしの友人、白金の竜王が訪れる。それまでに悪巧みに見切りをつけておくんじゃな」

 

 リグリッドは立ち上がったが、俺は食事に戻った。地味な色のスカートを振り乱し、ジェシカが駆けてきた。

 

「あ、リグリッドさん! もうお帰りですか?」

「ああ、嬢ちゃん。また来るわい、今日は挨拶だけじゃからな」

「えぇー……もっとゆっくりしていけばいいのにぃ」

「今度はゆっくり来るから、落ち込むんじゃないぞ。美人が台無しじゃ」

「えへへ……」

「この嬢ちゃんを不幸にしたら承知せんぞ」

「……私が不幸になりそうです」

 

 未だに、俺の給料は金貨1枚程度しか出ていないのだ。考えることが多すぎて、ここしばらく安眠とはご無沙汰だ。

 

「お嬢ちゃん、この男と結婚するのは止めておきなされ」

「えぇー、でもぉ」

「男を見る目は経験が養うんじゃ。年寄りの言うことは聞いても損はないわい」

「私たちの恋は無敵です!」

「……それは本物の恋なのかのぅ」

 

 妙に二人の仲は良かった。

 

 それから、リグリッドは数日おきに店を訪れた。大抵、訪れるのは昼間で、夜勤で疲れている俺と会うことはなかったが、ジェシカは逐一、報告してくれた。

 

「それで、魔導国では護衛アンデッドが高値でアンデッドが販売されているそうですの。リグリッドさんも死霊使いらしいんですけど、そぉうるいぃたー? とかは難しいみたいでぇ」

「いくらですか?」

「え?」

「だから、ソウルイーターはいくらですか?」

「そこまでは知りませんの」

「次、リグリッドさんが来たら聞いておいてください」

「これで社長も楽ができますね」

「金額次第でしょう。あまりに高値だと、今の売り上げでは払えませんからね」

「リグリッドさんも、たまには留守番くらいは引き受けてくれるそうです! 頼んでみましょうよ! そして私と遊びに行きま――」

「金にならないので、遠慮します」

 

 最強の竜王が訪れないまま、ひと月が経過しようとしていた。退屈な割に苦悩が多い零細企業の代表取締役の精神疲労は限界で、伸び切ったゴムが千切れる寸前まで神経をすり減らされた。

 

 

 

 

 暗闇に目を凝らし、そこへ佇む人影を発見するのは気持ちの良いものではない。ぼんやりと店番をしていると、何かが光った。暗がりに目を凝らすと、闇を切り裂く白銀の全身鎧が訪れた。

 

「虹色の忠告もたまには従ってみるものだね。君がネラワレタかい?」

「私は音改です」

 

 値が張りそうな鎧が俺の目を眩ませた。竜を模した装飾が施されており、それだけでも高価なアクセサリーとして販売ができるだろう。無表情を取り繕うと思ったが、眼球が凍り付いたように目が閉じなかった。

 

「リグリッドに聞いたよ。君が評議国を荒らしているプレイヤーだね」

「最強の竜王だと聞いていましたが」

「君たちと比べると嫌味にしかならないよ。最強かはわからないが、白金の竜王は私だ」

「そうですか。食事は済ませましたか? ウチの食事は美味しいですよ」

「気遣いは悪いのだけど、この体は食事ができない。すぐに本題に入りたい。君が思っているよりも、事態は切迫しているのでね」

 

 竜王の化身は椅子に腰かけた。店内にはエルフの給仕と俺たちしかいない。密談にはうってつけだ。

 

「君が立ち退きに応じるつもりがないので、魔導国に直談判へ行くべきかと意見が出ている。私としても、アインズ・ウール・ゴウンと――」

「アインズ・ウール・ゴウンではなく、モモンガさんですよね?」

「あぁ、そちらの名前の方が良かったかい? 新たな仲間を得て戦力を爆発的に増強した彼らと、事を構えるのは避けたい。君たちの武力は世界の調和を乱すからね」

「おかげで、この店の鍛冶屋は腕を上げましたよ。今なら竜王でも倒せそうです」

 

 あれほど嫌がっていた投てき武器でさえ、はぐれドワーフはジェシカの一声で作ってくれた。理由を聞いたが、照れくさそうに笑って誤魔化された。その甲斐あって、不意打ちを仕掛ければ高値の鎧を小分けに分断できそうだ。

 

「ところで、その鎧の中身は竜がすし詰めになっているのですか?」

「これは私が遠隔操作しているに過ぎない。君との交戦を考慮してね」

「それは物騒ですね」

「これは君個人の問題ではない。魔導国と評議国の国際問題にすり替わろうとしている。竜王国でも何かが起きているようで、そちらも気になるところだが、大方、君たちの仲間がそちらに転移したのだろう?」

「……それは知りませんでした」

 

 反射的に首を傾げた。

 

「音改、私たちは八欲王の血みどろな紛争を避けたいと考えている。これは評議会に名を連ねる竜王の総意だ。あの戦争は竜族が絶滅する覚悟を決めたからね。しかも、今度の相手はアインズ・ウール・ゴウンだ。彼は何があっても、仲間に手を出した者を許さない」

 

 傾げた首の角度がさらに大きくなった。

 

「仲間たちと会う日を心待ちにしている穏健派の彼と、その仲間が原因で戦争するのはあまりに悲しく、無駄ではないだろうか」

 

 そこまで仲間同士の絆という、一文にもならないものに拘る性格だっただろうか。ギルドマスターと仲が良い順位表では、俺は下位に分類されるが、そんな性格だった記憶もなく、話しも聞かない。

 

「覚えがありませんが……」

「ここで小遣いを稼がなくても、君たちの拠点には十分な財宝があるだろう。君がここにいる以上、評議国の相場が乱れ、国内の治安情勢まで波紋が及ぶ」

「竜王にとって都合の良い法律を決めるのが評議会なのでしょう? それはつまり、平和で都合がいいなら退化しても構わないという意味ですよ。意にそぐわぬ者は追放し、残るのは竜王の意見にNOと言えない都合の良い種族だ」

 

 白銀の右手が剣にかかったのが見えたので、俺も輪っか状の投てき武器を指でくるくると回した。互いの声は穏やかであったが、一触即発だ。

 

「君は八欲王の最悪さを知らないからそう言える。彼らは本当に最悪だった。人間の醜いところ、汚いところ、罪深いところ、全てを鍋にぶち込んで煮込んだような連中だった。どれほどの竜王、眷属が素材に利用されたことか。二度と悲劇を繰り返さぬよう、守られるべき世界というものがなければならない」

「欲望こそ、技術を進化させるために必要不可欠なエッセンスです。あれがほしい、これがほしい、あれがやりたい、こうなりたいと思い、必要な手段として金を欲しがるからこそ、技術は進歩していく。だから評議国の食品と技術は生温いんじゃありませんか?」

「生温い……君は金がほしいだけだろう?」

「文句があるなら、金なんて捨てて生き抜いてください。事実、この店の商品は国内で生産しているものより質が上がっている」

「モモンガは世界征服など望んでいない。君や、他の仲間たちと再会することだけを願っているのに……41人も多種多様な者がいるのだね」

「資金力は可能性です。金がなければ道は狭まり、選べる選択肢も急激に減る。そんなこともわからないで竜王とは、いかにも傲慢な竜族に相応しいですね」

「………君の種族は……悪魔か?」

 

 口角を吊り上げた歪んだ笑みを浮かべ、俺は身を乗り出した。

 

「NO。私は守銭奴です。そしてあなたは、自らに都合よく調律されたドールハウスを管理するドラゴンだ。どちらが、より悪魔らしいでしょうか」

「……ここで君を、殺してしまう選択肢もある。モモンガには、君の存在を永遠に隠匿すればいい」

「なるほど、いかにも自分が最強であると思いあがった種族に相応しい判断だ。私は自分の命に執着などありませんが、やるのなら抵抗させていただきます。ただでは死にませんよ」

「どうしてわかってくれないのだ……。君がこの国から出て行きさえすれば、評議国と魔導国の平和が守られるというのに……」

 

 俺はたっぷりと間を空けて、悩んでいる姿を見せつけた。ここまでこぎつけるのに、どれだけ退屈な時間を浪費したのかわからない。費用対効果は最悪だが、俺の機嫌は良くなった。

 

「確かに、戦うのは余計な損失を出しますから、私として避けたいのですが……こちらの出す条件を呑んでもらえますか? 約束を必ず守るのなら、それで私は評議国から永久追放されます」

「……聞かせてほしい」

「聞くだけなら無料(タダ)ですからね」

「悪いけど、嫌味は聞き飽きているんだ。魔導国の王都には君よりも知性の高く、嫌味が天才的に上手い変態がいたからね。それで、君の望む条件とは?」

「商業ギルドの撤廃、及び私の推薦する者を評議員に推薦。それが私の条件です」

 

 白銀は全身鎧なので、表情はわからない。しかし、体全体を覆う空気が産業廃棄物で汚染された沼地から漂うものに似ていた。うっかり素手で触ると八つ当たりされかねないほど困っていた。

 

「商業ギルドはすぐに撤廃する。あれはまだ実験段階で、君の言う通り、評判が悪かったからね。しかし、評議員とは……簡単に言ってくれる。人間のような――」

「ほら、やはり傲慢だったでしょう?」

「……考える時間をくれないか?」

「我々がこれ以上、力をつける前に結論をお願いしますよ」

 

 俺は嗤い、立ち去る白銀を見送ろうと店の前に立った。数歩だけ歩いてから、白銀は振り返った。

 

「それから、勘違いをしないでもらいたい。こんな店、武力行使しようと思えば、君に悟られることなく消し飛ばせる。話し合いで済まそうとしているのは、野蛮で愚かな人間ではない君へ、最大限の敬意を示したつもりだよ」

「それには感謝します。この店には、無力な亜人、人間もいますから」

「竜族は全体で見れば傲慢かもしれない。しかし、悠久を生き永らえ、知恵をつけるに従って欲望を律し、世界のあるべき姿を守ろうとする。もちろん、個々の意見は食い違う場合もあるが、世界の調和を乱し、混沌を呼ぶプレイヤーへ好感情を抱くものはいない」

 

 白金は少し間を空けた。

 

「だから我々はこう呼ばれるのだよ」

 

「竜王と」

 

 

 

 

 翌日の夜、日勤と夜勤が後退する前に会議を行なった。議題は当然、俺の追放による従業員の行き先だ。ジェシカは評議員となり、時間をかけて議会へ根を張り、この店の従業員を陥落させたときと同様、評議員たちへ取り入ってもらわなければならない。評議国は手に入らなかったが、評議員と強いパイプが手土産なら十分だろう。

 

「私からは以上です」

 

 説明を終えたが、誰も口を開かなかった。重苦しい沈黙の中、幾重にも重ねて語られるのは店じまいという俺の指示のみ。

 

「これ以降、商業ギルドに税を納める必要がなくなります。全員、同じ場所で商売をしても、前より利益が出るでしょう。これで店を閉め、皆が同じ場所で前と同じ生活を送るわけです。ジェシカは評議員になって、魔導国や商売に都合の良く適宜をはか――」

 

 ジェシカが会議用テーブルを叩いて立ち上がった。

 

「お断りします!」

「ジェシカ……?」

「お断りします!」

「一体、どうし――」

「お! こ! と! わ! り! します!」

 

 彼女は手負いの獣のように怒っていた。その鋭い目つきも、剥いた牙も、俺の知る彼女にできるようなものではなく、内側のある殺意にも似た獣性をそのまま顔に剥き出していた。

 

「私の目的は、ずっとこの店を続けることです! そんなに出て行きたいなら、勝手に出て行けばいいでしょう」

 

 明らかに俺よりレベルが低い人間の小娘に、口が挟めずにいた。

 

「そうでしょう、みんな!」

 

 俺たちが雇われ亜人種の顔を右から左へ見渡すと、皆が露骨に目線を逸らした。彼らの返事はそれだけで分かった。

 

「……すみませんが、なぜそうなるのですか? この店でやっていても、この先、大した利益はでませんよ?」

「だって、楽しいじゃありませんか! みんな、それなりに満足しているんですよ。私たちを雇っておいて、後は勝手にしろなんて、あまりに冷酷じゃありませんか!」

「それがみんなのためにな――」

「余計なお世話です!」

 

 埒が明かず、俺は交渉先を変えた。

 

「ドワーフさん。あなたは確か、評議国を敵に回したくないと、仰ってましたよね?」

「あ、ああ、いやー……嬢ちゃんの飯を食って、気楽に商売をするのもええかもしれんと、思っとるがの」

「薬師のエルフさんは腕を上げた。新たに店を構えた方がいいと思いますが」

「えぇ? でもぉ……ジェシカちゃんが心配というかぁー……」

「魚の仕入れはここでは不便でしょう」

「あ、その……今のところ、不都合はありません、店長」

「……資材の調達も、森から遠すぎるのでは?」

「蛇なもので」

 

 などとどれもこれも似たようなもので、この店が楽しいからもっと続けさせてほしいと、形や量を変えても意見は一致していた。

 

「意味が分かりません」

「本当にわかりませんか?」

「わかりませんね。金になる道を捨て、なぜこの店の存続を選ぶのですか。仮に、楽しいからという理由だとして、ジェシカはなぜ評議員になるのを拒むのでしょうか」

「だって、金にならないじゃありませんか」

「この店を続けるにせよ、辞めるにせよ、評議員になれば都合がいいと思いますが」

「大事なのは店の存続です。今、皆が放り出されてしまえば、職を失ってしまいます。もう、音改さんは必要ありません」

「彼女と同じ意見の者は挙手してください」

 

 テーブルを囲んだ多種多様な亜人は、皆が天の岩戸並みに口を閉ざしているが、満場一致で手が上がった。既にここまで根回しを終えていたらしく、彼女はさも当然とばかりに頷き、俺を正面から見据えた。

 

 挑むような目線は、ふざけていた彼女よりも美しく感じた。

 

 ここは代表取締役の俺が作り上げた総合商店だ。腹立たしく思わないわけがなく、俺の頭に浮かび上がったのは同じような企業を作り、吸収合併する手段と、もう一つ。

 

「今この場で、ジェシカの首を刎ねることもできる。それどころか、皆殺しにして他の人間に首を挿げ替えることもできる。それでも俺に刃向かうのか?」

「うふふ……音改様、やっと気色悪い他人行儀を止めてくださいましたね」

「……今はそんな話をしていない。ジェシカを裏切り者として処断し、見せしめに死体を張りつけにすることも、俺には躊躇いなくできる」

「音改様の作ったこの店が大好きだから……みんなで協力して楽しく仕事をしたいからです。それでも私を殺すなら、それで構いません。リグリッドさんの言う通り、私の見る目が無かったんです」

 

 脅しは通じない。彼女は俺の内心を俺よりもわかっているかもしれない。吸収合併も恫喝も、現実で権力を握っている企業と同じやり方で、実際に試そうとは思わない。まんまと店を乗っ取られる流れだが、不思議と怒りは沸いてこない。

 

「もう少し、賢いと思っていたよ」

「だって、そうでもしないと追いつけないじゃありませんか」

「誰に?」

「あなたに」

 

 俺が感じたのは彼女への称賛だ。

 

 これまで彼女は、天然娘で俺を慕う演技を続けながら、店を軌道に乗せてから自分が手に入れる算段を考えていたに違いない。この時に向け、鋭い牙をより鋭く研ぎながら。彼女の父親が言っていた、手負いの獣という意味が分かった。

 

 守銭奴が最も嫌うのは、金にならない慈善事業や、何も生み出さない博愛主義だ。彼女こそ、金貸しを始めた祖父の血を受け継ぐシャイロックの後継者に相応しい。シェイクスピアが聞けば、さぞ感涙にむせぶことだろう。

 

「私の、負けですね……」

 

 ジェシカを除いた全員が安堵の息を吐いた。

 

「音改さま。勝敗は初めから決しています。全ての勝利は音改さまのお膳立てがあってこそなんですわ。交渉が上手くいったのだって、私の力じゃありません。全部、これまでの全部! 丸っと全てが、音改様がみんなに嫌われるような交渉をしたからこそ、私が付け入ることができましたの」

「ああ、そうか……優しい刑事怖い刑事って奴か」

「……時々、わからないことを仰るのですね。この世界の御方ではないのですか?」

「ええ、地獄から逃げてきた逃亡者ですからね」

 

 だから俺は、彼らを信用していなかった。もしかすると、初めから自分を上位の立場に置いていたのかもしれない。自覚はなかったし、粗雑な扱いを心掛けた覚えはないが、彼女に対して俺は冷たかった。敬語がやめられなかったのは、その証左だ。

 

 敗因を探るとすれば、それだろう。

 

「今は幸せですか?」

「幸せではないでしょう。店を乗っ取られたから」

「……本当に、ごめんなさい」

 

 彼女は頭を深く下げた。

 

 その姿は、俺を神格化する敬虔な信徒でありながら、己が神を越えようとする不遜な使徒でもあった。

 

「はぁ……ジェシカ、銭ゲバはただの主義です。しかし、極めれば宗教に相違ない。神はどこにもいませんが、あなたは立派な拝金主義の女性だ。一人の管理者として、強者に刃向かってでも店と従業員を守ろうとしている」

「はい、社長」

「商売は結果が全て。商売は夢を見てはいけないと、お父さんも言っていたでしょう。私を上手く扱いながら、影で根回しする手腕は称賛に値する。今後、私が消えるとして、魔獣の相手は誰がやるのですか?」

「あ……えへへ、実は、リグリッドさんが暇潰しにしばらくいてくれるそうです。儲かったら金貨で護衛のアンデッドを買ってきてくれるそうで」

 

 そんなことだろうとは思った。

 

 老婆との初対面こそ竜王の指示だっただろうが、それ以後も顔を出しているのは損得勘定ではあるまい。金で動かない人間を取り込める社長は強い。一見して博愛主義に近いが、実のところ金以外の何かで動く者を手に入れた彼女は、これから更に力を増すはずだ。

 

「ジェシカ、最後にあなたを試したいのですが」

「はい!」

 

 衆人環視の最中、俺は立ち上がって彼女の隣に跪いた。ゆっくりと顔を上げ、彼女の手を優しく取り、目を見て真剣な表情を作った。

 

「私と結婚してくれませんか」

「お断りします」

「なぜですか?」

「だって……お金になりませんもの」

「ぷっ……く、くくっ、ははは! あっはははは!」

 

 俺は笑った。

 

 こんなに腹の底から笑ったのは初めてだった。

 

 商店には俺の笑い声が響き渡り、全員が黙ってそれを聞いていた。

 

「合格です、ジェシカ。あなたは見事な拝金主義者です。この店は任せますので、後は好きにしてください。私は予定通り、魔導国へ行きます。評議員にはあなたのお父さんか、あるいは話そのものを無かったことにしておきましょう」

「評議員の件、ごめんなさい。あと、結婚も断ってしまってごめんなさい……」

 

 表情の転がりを見る限り、前者に未練はないが、後者にはありそうな顔だった。だが、その手には乗らない。愛で俺を繋ぎとめようとしても無駄だ。

 

「拝金主義と決めたものが、規則(ルール)を中途半端に捻じ曲げてはいけないよ。大企業の頂点は心や感情を捨てるべきだ。人間性を捨ててこそ、多くの人間・亜人を養える」

「音改様! 今まで、ありがとうございましたぁ!」

 

《ありがとうございましたぁ!》

 

 全員が立ち上がり、折り目よいお辞儀をしてくれた。雲丹のように脳へ居座って気分を萎えさせていた何かが弾けたのが分かった。

 

「俺は何もしていない。君たちが勝手に頑張っただけだ」

「そうですよね! ちょっと安く買って高く打っただけで!」

「たまには遊びにこい、若造! 投てき武器を作って待っとるぞ!」

「うぅ、買ってくださるようなポーションを作りますぅ……」

「ババアが涙ぐんでんじゃねえよ……可愛くねぇぞ」

 

 まるで定年退職する老人に向けた激励だ。馴れ合いには慣れていないので、早々に打ち切らせてもらった。俺は涙ぐむジェシカの頭を撫でた。

 

「不慣れな独裁社長についてきてくれてありがとう。あとはお任せるけど、困ったら魔導国まで来るといい」

「ネアラタさまぁ……グスッ」

「それから、明日の朝食は、いつものベーコンと卵とパンにしてください。ここで食べる最後の朝食ですから」

「っ……うああああん!」

 

 俺を裏切った小娘は、涙を流して俺に抱き着いた。迷子になって泣き喚く幼児をあやすように、俺は裏切り者(ユダ)の肩を優しく撫でてやった。

 

 しかし、俺を拾ったのが彼女の父、いわゆる人間だったからこそこうやって楽しめたが、食人種に拾われていたらどうなっていただろうか。

 

 俺は彼女を殺しただろうか……。

 

 夜勤中、哲学的な悩みに答えを出してくれるゼノンはいない。俺が追放される最後の夜、仕事に取り掛かった。

 

 

 異世界をこんなに楽しめるとは思わなかった。

 

 

 

 

 

 翌日、話を聞いた白銀は悶絶した。

 

「というわけなんだ、白金の竜王さん。評議員にはシャイロック氏を推薦するけど、彼が辞退したら無かったことにしてくれて構わないよ」

「名乗るのが遅れたが、私はツァインドルク=ヴァイシオンだ。ツアーと呼んで構わないよ。モモンガもそう呼んでくれている」

「ツアー、そんなわけで、店はこのまま残ることになった」

「うーん……いや、そんな……うーん……困るよ、そんなこと……こんな」

「元を正せば、リグリッドさんが彼女と仲良くなった件にも原因はあると思うけどね」

「……それを言われると弱い」

 

 頼んだ相手を間違えたと言わんばかりに頭が下がった。

 

「俺がいなくなれば相場が破壊されることはないから」

「そうかい?」

「保証するよ、俺が」

「……この前と雰囲気が違うね、君は」

「部下に裏切られ、一文無しで放り出される貧乏人に相応しいと思うけどね」

「こう言っては失礼かもしれないが、悪徳プレイヤーには相応しい末路だ」

「よほど、プレイヤーが嫌いなんだね。それに、俺は満足しているよ。彼女はやっと、自分が自分らしく振る舞える居場所を手に入れたんだ。俺を踏み台にしてね」

 

 俺は敬語が話せなくなっていた。どうやら、やっと異世界という舞台に降り立ったようだ。裏切られた末、追い出されたのだから扱いの悪さに何も思わないでもない。思い起こせば、彼の父親も水を吐き出させるために俺の腹を蹴飛ばしていた。扱いの悪さは父親似なのだろう。彼女が他者を粗雑に扱う独裁的手腕を振るい、ユダのように頭から真っ逆さまに墜落して内臓をばら撒かないか心配だ。

 

 白金の手配してくれた馬車に乗るとき、俺は振り返らなかった。全員が手を振って俺との別れを名残惜しんでくれているが、立ち去る敗残兵に言葉は必要ない。

 

「挨拶はしないのかい?」

「朝食を食べたからもういいんだよ」

 

 俺に刺激されて育った野心と理想のため、恩人の俺を体よく利用しながら礎にした彼女は立派だ。銭ゲバ商会はあの場所でしばらく名を売り続けるだろう。護衛はリグリッドが何とかしてくれるし、放っておいても流れの強者が専属の用心棒となり、評議国と魔導国の中継場所として栄えていく。いずれ、あそこに小さな都市ができてしまうかもしれないが、俺には関係ないことだ。あとは議会が勝手に決めればいい。

 

「厄介な火種を残してくれたね」

「俺のせいじゃない」

「君は……彼女が好きなのだと思っていたよ」

「語るのが白銀なら、黙るのは黄金だよ、ツアー」

「君も面倒な性格だね」

「アインズ・ウール・ゴウンの41人に、素直な人間はいないよ。モモンガさんくらいじゃないかな?」

「……」

 

 新しい入れ歯が合わない老人のように、モゴモゴと言ってから静かになった。彼は黙って座っていると、生きているのか、死んでいるのか、眠っているのか分からない。

 

「ところで、モモンガさんは何か困ってないかな?」

「評議国を支配するつもりはないよ」

「それはもうわかったよ。たとえば、金が足りないとか、国の維持ができないとか、貿易が赤字とか」

「そう……だね。王宮の執務室で、ナザリックの維持費に頭を悩ませていたな。黒と桃色のスライム、バードマンも一緒に困っていたよ」

「それは楽しみですね」

 

 俺に求められているのは、ナザリックの維持費対策だ。それがあやふやな状況で正義・悪が降臨して世界を巻き込む大喧嘩をしたり、堕天使がやりたい放題に暴れ回って大損害を出すのは最悪だ。弁済は全てナザリックがやる羽目になる。

 

 モモンガさんと仲の良かったギルド創設に関わっている最初の9人や、正義や悪を差し置いて、こんなに早く呼ばれた理由がわかった。

 

 それにしても、ナザリック地下大墳墓まであるとは思わなかった。先に知っていればさっさと合流したが、今となっては無駄な妄想だし、結果的に一人の女性を導き、評議国を支配する取っ掛かりになる火種を置いてきた。

 

 あとはモモンガさんと相談し、ゆっくりと世界を征服しよう。

 

 ウルベルトさんと会う日を待ちながら。

 

 誰かが後を押すように、風向きは追い風だ。

 

 馬車の窓を開くと、緑の匂いがする風が舞い込んだ。

 

「綺麗な世界だ……。俗悪な人間に汚されたくない気持ちもわかるよ」

「部下に裏切られて店を取られたのに楽しそうだね」

「今の俺は、一文無しの貧乏人だからね。何も持たない方が自由で楽しいよ」

 

 俺はモモンガさんのように、成り上がって楽しいとは思わない。

 

 たまには彼らの様子を見に来よう。

 魔導国で、新たに複合企業を作るのもいいだろう。

 ジェシカのように若い才能を育て上げ、また誰かを導くのも面白い。

 デスペナを食らってレベルを下げ、生産魔法の勉強をするのも楽しそうだ。

 維持費に貢献しながらナザリックでのんびり過ごし、隠居生活をするのも悪くない。

 

 魔導国に着いてから真っ先に行うべきは、下らない勘違いをして合流が遅れた件をモモンガさんに謝らなくては。

 

「ツアー、魔導国には面白そうな人間はいた?」

「人間とは交流がないな。フロスト・ドラゴンロードの息子があそこで議員をやっているよ。他にも、他国から寄せ集めた人間が議員だそうだ。評議国を見習ったんだと、モモンガが嬉しそうに話していたよ」

「それは面白そうだね」

「あの国には竜王が、私を含めて4体もいる。配下ではなく、知恵を借りる友人としてね。その中でも七彩の竜王、虹色と呼ばれているが、彼は人間と結婚している変態だ。今は自分の国に戻っているが、機会が合えば会うといい」

「噂の賢いドラゴンだね。やることが多くて忙しいな」

 

 

 まったく、貧乏人は忙しく、そして楽しいものだな。

 

 






あんまり悪寄りじゃなかった

考慮すべき公式事前情報
ユグドラシルはPKが流行っている
音改さんは生産系、商人系

考察結果
PKが流行っているのなら、それなりに強くなければ商人ができない。身分を隠しつつ、人間アバターと露店を並べられる程度が最低限ではないかと予想。
それに加え、異形種は人間よりもパラメータが高い。あえて職業を与えるなら、盗賊・魔法剣士・薬師とかが理想
魔法の種類が多いユグドラシルで生産職は後衛職を取ると思いますが、勝手な判断で前衛にしました。ただし、武器は遠距離が主

不意打ち大蛇≧油断音改
準備万端音改>大蛇


シャイロック&ジェシカ
    ――『ベニスの商人』より

表題の商人とは、ジェシカ・シャイロック嬢のこと
彼女は音改に恋していないが、忠誠に近い尊敬をしている

薬師陥落 1d20→3 日目
青空降臨 1d20→7 日目

交渉値 1d20×5%
エルフ→70% → 失敗
ジェシカ→90% →成功
音改→20% →失敗


次回から3話、エグくなります。作者の実力が伴っていればいいのですが……
本編が平和な分、過剰に恐ろしくもえげつないです。ホラー系や胸糞展開を避けたい人は回避が無難。作者は本気。

R-15 ホラー小説



次回、真・異形編

「この子の七つのお祝いに」


更新は本編が次章に進んでから。


※閲覧注意




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