薔薇と蛇の招待状   作:用具 操十雄

5 / 12
時系列は前後し、次に投稿する話よりも大分先のことです。
音改さんで張った伏線の回収。平和主義者には推奨しません。
猟奇的です。


真・異形編
この子の七つのお祝いに


 

 

    神はいつでも公平に機会を与えて下さる。

 

                    ―――アルベルト・アインシュタイン

 

 

 

 

 立ち昇る紅茶からは湯気が立ち上り、芳醇な香りを狭い室内へ満たしている。

 

「エピグラフにアインシュタインを引用する君の人格形成を俺は心底疑っている」

 

 眼鏡をかけた神経質そうな男が、対面に座る細身の男に言い放った。細身の男は項垂れて、反論もない様子だった。

 

「大人になるとは何だと思うね」

「はぁ……さぁ」

「はぁ? さあ? お前は沖縄人か」

「……いえ」

「さあ、答えなさい。次がつっかえている」

「あーと……ペロロンチーノさんは忘れることだと――」

「ベルリバーさんは受け入れることだと言った」

「……」

 

 眼鏡の位置がずれることが許せないらしく、彼がこの場に現れてから小一時間しか経過していないのに、何度も眼鏡の位置を正していた。フレームそのものにがたがきているように思えた。

 

「彼があの世界に飛ばされ、平和な物語を紡ぐとでも思ったのなら間違いだ。君には考察する知識と知性が足りない。知識は状況を理解し、知性が総合判断する。そのどちらも足りていないようだな、馬鹿もの」

 

 細身の男は居心地が悪そうに座り直した。ばつの悪さで、背後で佇んでいる二人の女性の顔も見れない。

 

「そして蛇にそそのかされ、林檎の果実は今日も実る。人間は原罪を犯す業を、子々孫々へ継承する。始祖(イヴ)より受け継がれるそれは、人が人であるという罪に他ならない」

「意味がわかりません」

「全ての人間が現実に満足していない、異世界への渡航を受け入れると考えるのは傲慢だ。まさに、楽園(エデン)で始祖をそそのかした蛇たる業に他ならない」

「悪かったッスよ……」

「ああ、まったくだ。仮にこのまま進んでいれば、正義と悪はこの世界に来ることを拒否した。事態の重さを受け止めろ、そして反省をしろ」

「海より深く反省します」

「ふざけているな?」

 

 彼の説教に終わりは見えない。何をどうすれば許してもらえるのか、未だに糸口はつかめない。ただ一つ、なぜ三人しかいない部屋にティーカップが四つあったのかだけは理解できた。

 

「まさかあんたがここに来るとは……」

「蓄えた知識と、それを使用する状況判断をする知性、どちらもなければ成し得なかったよ」

「それで、これから何を?」

「その前にエピグラフを訂正する。彼の異世界滞在記にはアインシュタインよりもユングこそ相応しいだろう」

「知らないんですが……」

 

 眼鏡を正した会話の隙間、背後の二人の女性を一瞥してから続けた。

 

「人間関係とは化学反応に似ている、互いに作用しあったのならば元には戻れない」

 

 

 

 

 人間に限らず、生きとし生けるもの全てに適用できると思いますが、この世界は平等ではない。だからこそ、公平と言えるのです。

 

 あらゆる生命体は無秩序に万遍なく産み落とされ、不公平という理不尽な摂理に支配されます。不条理な世界で、最善を尽くして生きるよう強いられます。そして自分の生活に満足していない者が、口を揃えて叫ぶのです。

 

 この世界は不公平である、なんて腐った世界だ、と。

 

 つくづく実感しました。

 

 私はあなた達の知っている魔導王と同じ、異世界から来たプレイヤーです。

 

 お恥ずかしい話ですが……現実逃避が造り出した産物、下らない妄想(ファンタジー)の世界に行けると知って、筆舌にしがたいほど浮かれてしまいました。しかし、それは仕方がないとご理解ください。

 

 なぜなら私たちの世界は、人間が人間を道具のように扱う世界なのです。呼吸すらままならない文字通り息苦しい世界から解放されるとなれば、誰だって浮かれるのを禁じ得ません。

 

 そんな私の気分は、一日で粉微塵に砕けてしまったのです。

 

 

 

 

 目を覚ますと、どこまでも闇でした。手探りで動き回った結果、どこかの地下室だと知ったのです。どれほど先に進もうと、扉らしきものは見つかりませんでした。

 ずっとこのまま薄暗い地下から出られないのではと、浮かんだ疑問は私に絶大な恐怖をもたらしました。

 

 意識が明瞭のまま、永遠の闇に囚われる。

 

 なんと恐ろしい地獄でしょう。きっと私の意識は、思考を破棄して狂ってしまう。唯一の光明は、ユグドラシルで手に入れたこの体です。本物の体よりも思い通りに動いてくれましたし、培った技術(スキル)や魔法はその全てが的確に理解できました。現実とは違う、体の奥底から溢れてくる力の本流が、諦めを踏破しました。

 

 闇の中、出鱈目に暴れまわりました。

 

 上を目指すべきだと、生にしがみ付く私の勘が告げてくれたので、ひたすらに上へ目指しました。幾度となく瓦礫の雨を浴び、息が詰まるような粉塵から抜け出し、タケノコのように地上に顔を出したときの感動は、今でも鮮烈に覚えています。

 

 赤みを帯びた大きな太陽、むせ返るほど鮮烈な空気、鳥たちは母を呼びながら山へ帰っていく、この世ならざる者との邂逅を予期させる逢魔が刻のなんと美麗で狂おしいこと。身を震わせる感動で、私の体は硬直してしまいました。

 

 太陽がすっぽりと夜に埋もれた頃、ようやく意識は世界に戻ってきました。やはり、異世界にきて私は浮かれていたのです。その場で横になって土の匂いを嗅いだり、草むらに飛び込んでごろごろと転がったり、自然が剥き出しの美しい世界というものを堪能しました。

 

 一人ぼっちの私は、草原でケラケラと笑っていました。

 

 夜は世界をあまねく覆い、世界は一変しました。そよ風が草原を撫で、寒くも熱くもない夜、心地よいのでそのまま眠ろうと目を閉じました。まぶたの内側の闇、静寂に耳を澄ますと、誰かの泣き声が聞こえてきたのです。一度、気になりだすと無視ができなくなるもので、私は眠気を払って起き上がりました。

 

 星の明かりだけで、かなり遠くまで見通すことができました。

 

 改めて私が生えた場所を見ると、どうやら滅亡した国家が形成する瓦礫の下に転移したようです。何か、とても巨大な者に踏み潰された瓦礫の山と、所々に残る稚拙な文明の残骸。夜の静寂と合わさって空恐ろしい景色でした。瓦礫の影から、今にも得体の知れない魔物が顔を覗かせるかのように。

 

 背筋の怖気を振り払い、私は鳴き声に導かれ、ふらふらと歩いていきました。

 

 異世界で最も心躍らせるべきは、出会いです。異性に焦点が当てられるケースが多いのは、それだけ異性に満足していない人間が多いからでしょう。私の場合は、この美しい世界で生きている誰でもいい、何者かと話がしたかったのです。

 

 泣き声に導かれて辿り着いたのは、小さな共同墓地でした。

 

 浮かれ気分で近寄った私は、泣いている子供たちの後ろ姿に固まりました。

 

 ……。

 

 失礼、まだ私の中で消化できていないのですね。涙腺が簡単に緩んでしまいのは年を取ったのせいでしょうか。子供が親の墓の前で丸くなって眠ったり、餓死した妹や弟の体を抱きしめて泣く情景は悲しいものです。

 

 数名の大人が子供の近くで死んでいるのです。恐らく、子供のために自分の食べる分まで分け与えたのでしょう。残されるのは、親の死体に縋りつく子供たちだけです。

 

 浮ついた気分を木端微塵に砕く辺獄(リンボ)、涙が作る嘆きの川(コキュートス)でした。大自然は弱肉強食。万遍なく訪れる命の奪い合いに一切の不公平はなし、何者であろうと定められた世界の掟に従い、生きるために戦って負けたら死ぬ。

 

 子供であろうと同じ、本物の平等な世界だとわかっていたつもりでした。頭で理解していましたが結局のところ、頭でしか理解していなかったのです。

 

 疲弊した生を捨て去って異世界へ逃避した末、精神の挫折が待ち構えていました。

 

 あちこちで泣いている子供を見て、異形の全身からふわっと力が抜けていくのがわかりました。その場に座り込んだ音で、子供たちが私に気付きました。その眼に宿っていた明確な感情は諦めでした。

 

 無言の墳墓へどれほどの静寂が流れた頃でしょうか。

 

 いつまでも襲って来ない異形種にしびれを切らし、子供たちの中でやや大きい一人が近寄ってきました。

 

 僕らを食べないのかと、彼はそう言いました。私と彼らの体は違い過ぎた、異形の私を侵略者と考えたのも致し方ありません。

 

 皆が見つめる最中、私の口から出たのは”心配ないからね”でした。

 

 なんと場にそぐわない、支離滅裂かつ間抜けな返答でしょうか。軽い黒歴史となってしまい、思い出すと顔面が熱くなります。

 

 とにかく、そうして私たちは出会いました。

 

 ぽつりぽつりとお互いの話を少しずつ、本当に少しずつゆっくりと進めました。私が彼らを滅ぼした魔導王と同じ存在だと知った彼らの警戒網を解くのは、生半可な努力ではすみませんでした。

 

 彼らは壊滅した獣人(ビーストマン)国家の軍隊、散り散りになった敗残兵の生き残りでした。竜王国へ進軍していた彼らは魔導王に敗走し、軍隊としての形さえ維持できずに国へ逃げ帰る途中、自国が魔導王に滅ぼされるのを目の当たりにしたのです。先にも進めず、後にも戻れず、陸の孤島に取り残された彼らは魔獣を狩って細々と暮らしていたようです。

 

 備蓄食料を幼いものへ与えて大人たちは狩猟に出掛ける、決して効率が良いとは言えません。獣人(ビーストマン)と魔獣のレベルには開きがありました。種族レベルというシステムが影響しているのかもしれません。とにかく生き残ることを優先し、敵の強さが高ければ逃げ帰り、倒せる敵だけを確実に仕留めて命を繋いでいたのでしょう。

 

 そんな崖っぷち生活では長く続きません。大人たちは満足に食べることさえできなくなり、消耗した体では狩猟も上手くいきません。徐々に力尽きていく同胞の命で食いつないでも、その場しのぎでしかない。ジリ貧の生活で大人たちは一人、また一人と死に絶えていき、自らの死体さえも子供たちに与えた結果、幼いものが残されたのです。

 

《獣は大地にいらないんだ》

 

 会話の切れ間、世界の全てを悟ったかのような顔で呟いたのです。彼の表情を私は一生、忘れないでしょう。

 

 身の内からこみ上げる感情を抑えつけ、彼らを説得しました。彼らには、共食いするしか道が残されていないからです。餓死は本当に辛い死に方です。飢えに抗う手段が、自分の家族や友人を食べるなんて、あまりに惨たらしい。

 

 それに比べて私たちの世界は、何て幸せな世界なんでしょうか。

 

 自暴自棄になっている子供たちをあやし、警戒の網を一枚ずつ解きながら説得を続けました。空腹で頭の回転さえも止めた状況では、私の話が右から左へ抜けていくようでした。

 

 困り果てた私は言葉の説得を諦め、あちこちを駆けまわってようやく見つけた魔獣を殺しました。

 

 お恥ずかしいことに、私は生き物を捌いたことがありません。それどころか、哺乳類の死体を見たのもこの手で命を奪ったのも初めての経験です。ここはもう、ゲームではないのです。まだ暖かい死体を前に困り果て、何もせずに引きずって行きました。新鮮な肉だから食べるように言っても、彼は首を振るばかりです。

 

 ですが、飢餓は堪えられるものではありません。血の滴る新鮮な肉の臭いに彼らは集まり、涎を垂らして獲物を見つめていました。

 

「食べてもいいんだよ」

 

 私の声を号令に、一斉に群がりました。牙を獲物の体に突き立て、肉を食い千切る様は肉食獣の野性そのものでした。

 

 お腹が丸く張り出るまで食べ過ぎた彼らは、あちこちに寝転がって苦悶の声を上げていました。空腹が満たされたことで本来の子供らしさを取り戻したようです。

 俯いていた顔は前を向き、仲間と肉の奪い合いまではじめました。子供の喧嘩など他愛のないものです。放っておけばすぐに仲直りしていました。

 

 夜、たき火を囲んで談笑していると笑顔も見られました。お腹いっぱい食べられる、それだけのことなら私が面倒を見てあげたい。

 

 そうして彼らへ手を差し伸べました。

 

 私に限ったことではありません。異世界から誰が来ようと、目の前の飢えた子供を無視するのは難しいでしょう。人間は、同等の知性を感じる生物を見殺しにはできないのです。

 

 それが人間に仇なす獣人だとしても、出会ってしまった二人は、出会う前に戻れないのです。

 

 獣人保護生活の始まりでした。

 

 弱肉強食の世界では、幾つもの種族が生まれて、滅びていきます。強者は弱者を食べなければならないのです。もっとも、それは私たちの世界でも同じことです。常に奪う者と奪われるものに区分けされる世界の真理。この世界で言うならば、私たち転移者は生態系を破壊する外来種といったところでしょうか。

 

 異世界転生の本質が環境破壊とは、皮肉なものです。

 

 外来種である私たちが、世界の均衡を崩してはいけません。どんな世界であっても、守られるべき調和があるのです。それでも私は、滅びゆく彼らを守ろうと思いました。私こそが、絶滅の一途をたどる獣人を保護すべく世界に放り込まれたひとさじの蜂蜜、滅亡する世界へ木を植える者なのでしょう。

 

 お腹が空いて泣く子の前に力を持った一般人が遭遇したのなら、手を差し伸べるのは必然です。

 

 夜も更けてきたので草原に横たわり、緑の布団に包れて好き勝手に雑魚寝しました。ネコ科・イヌ科に拘らず、似たような格好で丸くなって眠るのは微笑ましい光景でした。

 

 明日の予定をぼんやりと考えながら眺めていると、数名の子供たちが泣きながら眠っていることに気が付いたのです。

 

 共食いという行為は生物の本能に刃向かう行為で、やはり相応に子供たちの心を蝕んでいたのです。私は彼らの頭を撫でながら決めたのです。せめて、彼らが人間を食べなくても良いように教えてから他のみんなと合流しよう。

 

 人間を殺さずにいられないのなら、人間のいない土地で静かに暮らせばいい。誰に言われたでもなく勝手に決めたのです。これまでの自分の倫理に反すると知りながら。

 

 ですが、愚かにも私は気付いていませんでした。

 

 異世界に降り立った自分は、まだ人間を辞めていないということに。

 

 

 

 

 子供たちはわずか13名でした。狩猟に出るに伴い、私は悩みました。全員で隊列を組み、索敵、追い込みなど役割分担するのが合理的ですが、彼らのレベルが低すぎた。

 

 悩んだ末に、狩猟に出る人数を半分に分けました。これは、彼らのレベルアップも兼ねた食料の調達です。私の作った避難小屋に半数を残し、残りの半数を付き従えました。

 

 私にとっては余興ですが、子供たちにとっては命懸けのレベルアップでした。彼らを餌に魔物をおびき寄せ、私が手傷を負わせて弱らせ、息も絶え絶えのそれを子供たちが寄って(たか)って切り刻む。

 

 涙目で絶叫し、魔獣から逃げる獣人の子は良い餌を演じてくれました。食べられる恐怖で本当に泣いていたのかもしれません。

 

 《ぎゃーっ!》と叫びながら涙や鼻水を撒き散らして逃げる獣の子と、涎を垂らして追いかける大きな魔獣を見て、岩のような顔をした私が笑い転げるという、とても和んだ日々が続きました。

 

 生餌(ルアー)扱いされた子供は本気で怒っていましたが、怒る姿も可愛らしいものです。号泣しながら両手をぐるぐると回して殴りかかってくる子へ、頭を乱暴に撫でました。

 

 子供は単純なもので、お腹が満たされれば怒りも収まります。獲物を引き摺って帰宅し、待機組が食事を作ってくれました。飲食を獣の子供たちと共にするだけの、何事も起きない平坦でありふれた時間でした。現実で心を虚無にする歯車となっていた時分、生きることを諦めていた弱者の自分には考えられないほど、穏やかで安らぎに満ちた森の生活。

 

 たった一週間しか続きませんでした。

 

 

 いつも通り、私が半数を引き連れて魔獣を狩り、獲物を引き摺って避難小屋へ戻ると、血の匂いが出迎えてくれました。静かで小さな森の中、木漏れ日に照らされる避難小屋の扉を開くと、子供たちの死体が転がっていたのです。

 

 私は動揺しました。朝に小屋を出かけたとき、笑顔で私たちを見送ってくれた彼らは、蠅が蛆を産みつけようと集る肉塊となっていたのです。

 

 やはり、私は愚かでした。

 

 獣と人間の敵対構造。幾重にも重なった怨嗟の呪縛は、どちらかが絶滅するまで続く争いの螺旋、弱肉強食の摂理を突き詰めた憎悪が結びつける絆なのです。獣の残党へ討伐隊が差し向けられると、どうして想像できなかったのでしょうか。

 

 幼い獣人の惨たらしい死体は、どれほどの恨みや憎しみを込めて殺されたのか、それは雄弁に語ってくれました。

 

 小屋の中央で解剖されている子は、生きたまま解剖されたのでしょう。乗せられたテーブルには激しい抵抗の痕跡が見られました。他の子たちもそうです。殺すだけなら、剣で胸を突けばいい。心臓動力(モーター)を破壊された子供はすぐに倒れる。

 

 彼らの死体の損壊はそんな生易しいものではなかった。四肢を切断され、顔面をめった打ちされ、敢えて心臓を避けて大量の剣を突きさされ、生きたまま炎に包まれ、口から剣を突きこまれ……。

 

 人間と獣人の和解は不可能なのだと、悟るに十分でした。

 

 私は想像力が働かなかった自分を怒り、彼らの亡骸を抱いて泣きました。それは吠えたという方が正しいほどの慟哭でした。当面、涙が出なくなると思うくらいに私は泣き続けました。他の子供たちが心配して毛布を掛けてくれるほど、私の怒りと悲しみは凄まじいものでした。剥き出しの感情、これも異世界に転移したが故なのでしょう。

 

 おや? 震えていますよ。寒いのですか?

 

 ……お気づきになられたのですね。

 

 私は、あなた達が殺した子供たちの話をしているのです。

 

 寄って集って子供を痛めつけ、惨殺して恨みを晴らすのは楽しかったですか?

 

 竜王国から遣わされた討伐隊の皆さま。慌てて逃げなくてもいいじゃなりませんか。人間と話すのは久しぶりなんです。もうちょっと元人間の話に耳を傾けるのが、人情というものではありませんか?

 

 私は人間を止めちゃいましたけどね。

 

 もう言うまでもないですが。

 

 私は人間の敵となることを選んだのです。

 

 

 

 

 痛みは取れましたか?

 

 四肢を切断されるのは痛いでしょう、泣いてしまうほどに。あの子たちもそうだった。あなた達の誇る最強の戦士がアダマンタイト級だと聞いて、失礼ながら笑ってしまいました。

 

 セレブライトの彼はそこに転がっています。芋虫のようになっていますが、まだ生きています。私は恨みや憎しみで人を殺したりはしませんから。

 

 私があなた達を見て最初に思った感情は、話しがしたいという欲求でした。

 

 ですが、人間という種族に対しては……いえ、これは恐らく獣人の子に対してもそうだったのでしょうが、虫けらでも見ているような気分です。そう、もっとも適切な表現がゲームのモブキャラです。多少なりとも感情移入すれば助けてやろうと思いますが、すれ違うだけのキャラへは感情移入が足りず、死んでも悲しいと思えないものです。

 

 ユグドラシルが元の世界という点に加えて、何しろ、私は人間から異形種へ生まれ変わった化け物ですから。

 

 倫理観がどれほど働くのかという実験も兼ねてセレブライトの彼を痛めつけましたが、行きつくところまで行っても遂に、私に罪悪感は芽生えませんでした。

 

 今さらですよね。

 

 とにかく、そうして私たちは半数を失いました。残った子供たちはたった7人です。最初に私と話をした白い子猫は、どうやらホワイトタイガーのようでした。現実世界ではとうの昔に絶滅してしまった希少種と出会えたのは本当に運が良かった。

 

 彼は狩猟を続けた一週間で目覚ましい成長を遂げました。今では少年兵のリーダーです。その彼も、仲間を殺された時は参っていました。

 

《僕たちは生きていていいの?》

 

 私の涙が枯れ果て、声が(かつ)えた頃、そう聞きました。彼らの保護者を気取っていた私は、何も言い返せなかった。

 

 現実世界で生を実感することなく逃げ、簡単に手に入れた異形の体。生を途中で投げ出した元人間の異形種が偉そうに説教するのは傲慢極まりない。

 

 黙っている私に苛立ち、白虎は胸倉を掴んで叫びました。

 

《なぜあんたはそんなに弱いんだ! 僕らにはもうあんたしかいない! そんな簡単に止めるなら、初めから手を差し伸べるなよ!》 と。

 

 私の魂は激しく揺さ振られました。

 

 そう、私は彼らと最初に出会ったのです。これは獣人の行く末を私に委ねる、彼らに舞い降りた最後の機会なのです。絶滅していく彼らを保護しなければ。そう決意し、私は起き上がって空を見上げました。

 

 絵でさえも見たことのない、美しい配置の星空でした。中央に浮かんでいる満月は、人間の発狂(ルナティック)を後押ししているようです。

 

 私は努めてゆっくりとした動きで、埋葬すべきか、食べるべきかと判断に困られている子供たちの死体を見下ろしました。一人を優しく抱き上げれば、周りの皆が息を呑むのが分かります。

 

 つい先日まで笑っていた彼らを蘇生する術は所持していません。私はレベル100ですが、ユグドラシルで重要なのはレベルを100に上げることでは無いのです。職業と種族が多様に選べる状況下においては、理想とするプレイスタイルが自由に選べますから。私が森祭司(ドルイド)を選んだのは必然で……と、これは余談ですね。

 

 抱き上げた獣の子は、時間経過で冷たく、固くなっていました。体中を駆け巡っていた血液が停滞し、固まっているのがわかります。私はしばらく目を閉じ、黙祷を行いました。粛々とした空気が、小さな森の小さな墓地へ流れました。

 

 覚悟を決めた私は目を見開き、岩のような口を開き、躊躇わず幼子の首に食らいつきました。

 

 生肉が美味しいはずがありません。こみ上げる吐き気を力で押し戻し、引き千切った獣の肉を何度も噛み締め、食らったのです。胃袋へ落ちていく感触は不快感でしかなく、吐き気はずっとこみ上げていました。

 

 ですが、私はそうしなければならなかった。

 

 恨みを込めて惨殺された彼らの命を無駄にしない方法は、それしか思いつきませんでした。

 

 私の行動を見て、生き残った子供たちも死体に食らいつきました。一人の例外なく、彼らは泣いていました。これまでも共食いを続けてきた彼らが今さら泣く意味がわかりませんが、食人種なりに感じるところがあったのでしょう。命を無駄にするのは人間だけですから。

 

 私の頭のねじが弾け飛んだのはこの満月の夜でした。人狼は狼に代わり、吸血姫は蝙蝠に化けて獲物を探し、魔獣達は涎を垂らして吠える夜。私は獣の生肉を食らい、人間を辞めたのです。

 

 これまで自分を束縛していた倫理観が崩れ、敢えて考えないようにしていた選択肢がいくつも浮かんできます。倫理観は私の目をかくも曇らせていたのです。

 

 私はもう人間ではない、化け物に生まれ変わった。ならば人間に殉じた価値観に囚われるのは間違っている。どうせ人間など勝手に増えるし、絶対数で言えば人間の方が遥かに多い。人間を間引いてこそ環境保護だ。

 

 そう考えられるようになってから、獣を生かす道はどれも簡単に思えました。

 

 

 そして私は、あなたたちの村を襲ったのです。

 

 

 

 

 竜王国最強の人間である貴方たちにこんな話をするのはどうかと思いますが、人間は本質的に醜い生き物だと思うんです。家族を失ったそこのあなたは過去に執着し、食人種への憎悪で呪縛されて進めない。実に人間らしい、素晴らしいことじゃないですか。そんな風に苦しめるのは、人間に許された特権とも言えます。

 

 私は現実世界に何も持たない、執着の欠片もない人間でした。ですが、それはとても寂しいことなのです。だからこそ、獣の子供たちに執着したのでしょう。家族を持たない私に、新たにできた可愛い子供たちへ。

 

 虐げられ、共食いで精神をすり減らした獣の子供たちに必要なのは、人間のような醜さです。

 

 これまで無視していた選択肢、人間を餌にするという行為に必要なのは、主食の人間に勝てる力です。人間を襲い、喰らい、彼らに負けない力を得なければなりません。

 

 近くに村があると、事前の偵察で知っていました。これまでの私は、手っ取り早く村を襲って人間を食べるという選択に、どうしても踏み切ることができませんでした。そのときは反対に、人間を殺さなければ先に進めないと考えていました。

 

 散り散りになった獣の残党を探す、食人の他種族に協力を頼む、そんな選択もありましたが、私は何よりも先に人間を殺したかった。どちらにせよ、獣人側につくのであれば殺人・食人は避けて通れない。

 

 不思議と私の心には、殺された者たちの恨みや憎しみは毛ほどもありませんでした。成すべきことをする、それが生きるということです。

 

 目的の村は、すぐに辿り着きました。

 

 防衛線は簡単な城壁で、貧相なものでした。子供たちの侵攻は防げたかもしれませんが、私には通用しません。軽く撫でるような様子見の一撃で、村を囲っていた壁に大きな穴が空きました。後は、雪崩れ込んで皆殺しにするだけです。

 

 人間同士の戦争では女性の生存率が高いものですが、今回は単純明快な食料調達の戦争です。かつては同種族だった人間を老若男女問わず、目に着いた先から片っ端に殺していきました。その日は幸運にも、主戦力となる男手、つまりはあなた達が首都へ出払った向かった日でしたね。

 

 わずか100人程度の村人、子を守ろうとする母親、若者を逃がそうとする老人、私の殺戮は分け隔てなく平等に襲い掛かりました。特に、まだ幼い子供の体を私の腕が貫いた時、自分の体から何かがスーっと抜けていくような感覚がしました。

 

 大量の返り血で私の体が紅に染まり、私は獲物の死体を前に吼えました。

 

 その咆哮を皮切りに、背後で獣人の子供たちが呼応して吠え、武器を取って手近な獲物へ襲い掛かりました。魔獣相手に比べれば、随分とぬるい相手だったようです。

 

 何事も初体験は衝撃的なもので、獲物の死体を一か所に集めてから、私はその場に嘔吐してしまいました。

 

 眩しすぎるほどの月光が、村に流れる赤い血潮を照らしていたのを鮮烈に覚えています。人間の気配が村から消え、目の前には死体が積み上げられました。死体の山を前に、私は自分を抱きしめて震えました。

 

 自分がどれほど愚かな行為をしているのか、しばらく一人で苦しみ続けました。

 

 本来、彼らを人間と共存するように導くべきでした。もしかすると、そのために獣人国家へ転移させられたのかもしれません。神様の意志ってやつでしょうか。当初、そうするつもりだった私は、取り返しのつかない行為に恐怖しました。

 

 世界の弱者は人間ですから、他のみんなが人間に肩入れする気持ちも分かります。

 

 白虎の子が、武器を掲げて勝鬨を上げました。成すべき狩猟が肉食獣の本能を呼び起こしたのでしょう。自分たちはビーストマン、人間を食料とする者だと、口々にそういって叫び、物言わぬ死体に食らいつきました。人間を食べる場合、料理の必要がないようでした。

 

 私は彼らを守るために死体を踏み拉き、喰らわなければなりません。

 

 まだ頭を抱えて落ち込む私に、最初に出会った白虎の彼は瑞々しい肉をお皿に盛ってくれました。その笑顔を見ていると全てが許されるようでした。みんなでご飯を食べようと嬉しそうに笑う彼に、今さら何を言えるのでしょうか。

 

 この日、私は人間を口にしました。

 

 胃が痙攣して、何度も肉片を吐き出しました。痛ましい目でみる子供たちの視線を受けながら、無理矢理に押し込みました。飲み込むと同時、雷に打たれたような衝撃が私の魂を襲ったのです。

 

 まるで、自分が得体の知れない怪物へ変容していくような恐怖、取り返しのつかない失態への後悔、共食いとはこんなにも恐ろしい疲弊を与えてくれました。

 

 私が真の意味で人間を辞めたのはこの時でしょう。狂ったと言い換えてもらっても構いません。

 

 滅びた村は、野営のかがり火(キャンプファイヤー)となっていつまでも燃えていました。

 

 私たちは住んでいた森を捨て、大量の携帯食料を得て旅に出たのです。プレイヤーだけが使えるアイテムボックスは、食料の鮮度を維持してくれました。旅に出るには最適なシステムです。

 

 散り散りになった獣人軍の残党を探し、保護する旅に出たのです。

 

 行き着く未来は人間と戦争……つまり、人間側のプレイヤーとの殺し合いが待ち構えていると知りながら。

 

 

 

 

 不思議なことに、獣人の全てが人間を同じ命だと思っているのです。

 

 彼らは、食料に対してある一定の敬意を抱いていました。他の場所で細々と暮らしていた獣人の全てが、人間を同じ大地に生まれた命だと思っていました。そして、私のような異世界からの来訪者の力は借りない、と。

 

 合流した獣人たちは当初、私の加勢を断ったのです。

 

 難航するかと思われた彼らの説得は、その晩で決着がつきました。

 

 彼らは等しく、飢えていたのです。

 

 彼らの陣営のすぐ隣、人間を食す私の子供たちを見て、彼らは簡単に懐柔出来ました。涎を垂らして近寄ってくる彼らを拒否せず、等しく全員へ人間を分け与えました。子供の死体はいつも奪い合いです。

 

 そこからは簡単でした。

 

 何しろ、竜王国にも私と同じく異世界からの転生者がついているのです。こちらに私がつかなくてはフェアじゃありません。

 

 私たち食人種連合軍は、雪だるま式に人数を増やしていったのです。それもこれも、魔導国という強国が食人種を虐げてきた結果、人間を口にしていない飢餓が成せる業でした。

 

 散り散りに暮らしていたビーストマン、瓦礫の山を漁っていたトロール、森の奥でひっそりと暮らしていたオーガ、人数が増えるにつれて必要な食料も増えていきます。

 

 あなたの家族が何番目の村にいたのか、私にはわかりません。はっきり言って、モブキャラ()の顔なんていちいち確認しませんから。

 

 そうして兵糧を順調に増やし、節約しながらこうして竜王国首都郊外の森で、牙を研いでいるのです。いざ戦争が始まれば、敵の死体はこちらの兵糧となる。これはこちらにとって非常に有利な要素です。

 

 私たちの次の目的地は、人口の多い竜王国の首都になりました。

 

 勘違いしないで欲しいのですが、狙いは和平交渉です。戦争など、数を減らすための行事でしかない。もっとも、戦争ならそれも止むを得ないでしょう。いづれにしても死体が出るならそれを食べて過ごせばいいのですから。

 

 さて、七つの大罪を所持する種族、人間として今の気分はいかがですか?

 

 獣を殺すというのは人間の総意なのでしょう。森でひっそりと暮らしていた獣の子供たちを惨殺したのも、人間たちがそう決めたのならそれは正義なのでしょう。

 

 人間はこれまで獣人たちに奪われ続けたから、今度は奪い返してやるのだと、唾棄すべき屁理屈ですがそれは正義なのでしょう。

 

 正義とは、自らの行為を正当化する弁でしかない。そんな下らないものに拘るのは人間だけです。ですから、外道だ、悪だと、人を罵るのはその辺で止めていただきたいものです。

 

 獣を殺して気を晴らすのは、己のつまらない人生の憂さ晴らしですよ。本当に、反吐が出る。世界に獣人はもう、たったこれっぽっちしかいない。復讐とは、自らの心を納得させるためだけのエゴだ。そして人間は世界から何かを奪い続け、私たちの荒廃した世界が出来上がる。

 

 ああ……何を言ってもあなた達にはわからないのですね。

 

 家族を殺され、同胞を殺され、恨みつらみに凝り固まったあなた達の心には、世界全体を考えるオツムがない。もっとも、外来種の私の意見を聞く必要があるのかと言われれば、無いのかもしれませんが。

 

 結局、どこの世界でも同じように繰り返される、人間という傲慢な種族の輪廻。世界は自分たちのものだと考え、失われた種族を思い出しもしない!

 

 抱え込んだ大罪でさえ、七つでは足りないでしょう。

 

 私は人間が大嫌いです。

 

 そうだ、遅くなりましたが自己紹介をいたします。私、アインズ・ウール・ゴウンに所属していたブループラネットと申します。

 

 さて、(ニエ)の皆さま、あなた達は復讐という闘志を燃やし、武器を握り締めてここへ攻め込んできたつもりでしょう。自分がすることを相手もすると考えもしない、傲慢極まる人間の皆さま。私たちが準備万端で待ち構えていたと知る由もなく、獣の口に飛び込んできてくれただ(ニエ)なのです。

 

 憎いですか?

 

 恨みたいならご自由に。

 

 私にはその覚悟ができている。

 

 何人、戦えますか?

 

 どちらかが死ぬまで、戦いましょう。ここで私を倒せば、人間たちの勝利でございます。物理無効化を外し、獣人の糧となるべく俺に殺されるあなた達の痛みが少しでもわかるように致しましょう。

 

 私も彼らに倣って、獲物へ最大限の敬意を払わせていただきます。

 

 あなたの死体を首都へ放り投げ、開戦の狼煙にしましょう。

 

 これは弱肉強食の摂理に則った、獣と人間、最後の大戦なのです。

 

 酷い死相ですが、きっとお互い様でしょう。

 

 私の敵がどう思うのか、少しだけ楽しみです。

 

 

 ◆

 

 

「満足か?」

 

 金髪の女性が煎れてくれた紅茶が香る。眼鏡を正した神経質な男は、繰り返し同じ言葉を問う。

 

「満足か?」

 

 やせ型の男は俯いて答えない。

 

「満足かと聞いている」

「知るか……どいつもこいつも。俺はこんなの望んでねえっつーの」

「人間を舐めるなよ、馬鹿野郎。彼女一人で満足しておけばよかったものを、余計な手を出すからこうなる。七つの大罪保持者の人間を舐めるなよ。一度だってお前の思い通りにはならないさ」

「何とかなりませんか?」

「こうなった以上、徹底的に争わせ、未来に蹴りをつけるしかない。現に、お前はそうしただろう」

「まぁ……確かに」

 

 ティーカップを掴んで、眼鏡の男は立ち上がった。

 

「俺たちはここで見ているしかない」

「まだ居座るんですか……そろそろ出て行ってほしいんですが」

「るし★ふぁー」

 

 その名を聞いた瞬間、細身の男の体が跳ねあがった。

 

「彼には動機がない。いい加減な場所に放りだせば、必ず世界を崩壊させる大戦争が起きる。この物語の肝は、彼と正義と悪が握っていると言っても過言ではない」

 

 そういって紅茶を啜った。

 

「君は舞台に降りないのか?」

「それ何度目ですか……。いやー……俺はもうイイッスわ。十分楽しんだし」

「嫁を置き去りにするのは気が咎めるか」

「……」

 

 何度同じことを聞いても、彼の返答は変わらない。蛇とはかくも愛情深い者か。ならば、舞台の内側から舞台そのものをぶっ壊し、責任者を呼ぶしかないだろう。

 

「俺を含めた4人を任せてもらいたい。これから始まる最悪の悪夢を、お前はそこで見ているがいい」

「それで、竜王国はどうするんですか」

「ああ、いくつか考えていることがあるが、開き直ってこんな策は――」

 

 彼の提案を、細身の男はすんなりと受け入れた。彼にとっては、確かにそれ以上の妙案も思いつかなかっただろう。彼が二人の嫁を引き連れて喧々諤々と旧式PCの前で作業している最中、眼鏡の男は本を読みながら呟く。

 

 

「幼くとも男に災厄をもたらすもの、心弱きものよ、汝の名は――」

 

 

 

 






 次回、「あまくち体質の女」


真・異形編

※モモンガさんは何があろうと出ません。
 全4話予定でしたが、5話になるぽい
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。