薔薇と蛇の招待状   作:用具 操十雄

6 / 12
※事前情報※

餡ころもっちもち

作ったNPCがどっちも獣系なので、彼女も獣系だと勝手に仮定。違ったとしてもシナリオに変更なし。

彼女の主職業は剣舞者《ソードダンサー》だと勝手に決定。華麗に宙を舞い、獲物を指す、猫耳の美しき舞姫。

4名の中で最も女性らしい性格の肉食系女子




あまくち体質の女

 

 

 別れ話は何度やっても慣れない。私はいつも泣いているし、男はマニュアル化されているように、口並み揃えて同じ台詞(セリフ)を言う。

 

「お前さぁ……もっとサバサバした女かと思ってた」

 

 水っ鼻をすする音が情けない自分を際立たせる。よりによって週末に別れ話をするこの男の神経を疑うが、そんなのを彼氏に選んだ自分の神経も疑わしいものだ。

 

「心弱きものよ、汝の名は女なりって言うだろ?」

 

(……知らねえよ、馬鹿)

 

「じゃあ……泣いてるうちに帰るわ」

「二度と来るなバカ野郎ぉ!」

 

 辛うじてそれだけは言ってやった。振り返って顔をしかめたが、何も言わずに出て行った。荒れ狂う感情が右手を操り、放り投げた花瓶がドアに当たって砕けた。割れたガラスが象徴している婦女子の傷心(ブロークン・ハート)

 

 こうなることは予定調和だ。別れの到来は少し前から薄々、勘付いてはいた。あの男では最後まで辿り着けない、私の人生を捧げるに値しない。あの男の子を生み、結婚して育てる未来は想像できない。

 

 悪い方の予想に限って的中するもので、理由は奴の浮ついた気だった。

 

(言うに事欠いて、《お前は一人でも生きられるけど、あいつには俺がいなきゃだめなんだ》だと? 典型的な最低男がっ!)

 

 サバサバした女じゃなくて悪かったな。別れ際になって引き留めてやったらジメジメして鬱陶しいと抜かしやがって。勝手に誤解して勝手に失望して、何て身勝手な男だ。

 

「こっちだってなぁ! あんたなんか願い下げだよ、粗チン野郎! 甲斐性無し! ごく潰し! ろくでなしがっ!」

 

 沸騰した怒りが冷めやらず、傍らに置いてあったゴミ箱を蹴飛ばした。空中を回転するそれは、嘔吐して紙屑を撒き散らした。

 

「痛っ」

 

 数日前に届いた、くしゃくしゃに丸めた封蝋の手紙が顔面へ飛んできた。ご丁寧に封蝋の部分がおでこにぶつかってコーンという音が骨身に響いた。

 

「……畜生。紙屑まで馬鹿にしやがって」

 

 思い返せば長所というものが存在しない男だった。稼ぎは悪いし、平然と私の部屋に押し掛けては家事をしないし、デリカシーがなく気遣いもなく自己中心的で、体の相性だって良くなかった。かぜっちは私の話を聞いて「その男はやめておけ」と言っていたし、駄目な男だと付き合って早々に分かっていた。

 

 知ったところで私は別れられなかった。

 

「だって、寂しいじゃんかぁ……」

 

 こぶしを握って涙を拭った。

 

 可愛いワンコを失った心の隙間は、抱かれれば一時的に埋められた。糞のような男でもベッドの上では優しかった。それだけのために付き合っていた男。

 

 失恋直後は悲しむ以外にすることがないものだ。

 

 部屋を暗くして、死んだ犬の写真立てを抱きしめて眠った。存外、失恋の痛手はすぐに癒えた。所詮は駄目男、精神的苦痛は可愛いワンコを失った時の痛手と秤にかければ、釣り合うはずもない。強がりかもしれないが、悲しんでいるよりは幾分か良い。

 

 次の男はマシなのをとっ捕まえればいいのだ。私の年齢を考慮すれば失敗はできないが、私を大事にしてくれる優しい男を結婚を前提に付き合えばいい。どうせ世の中、数で言えば男が多い。

 

 そう言い聞かせると楽になった。

 

 だが、却って眠れなくなった。

 

 どうせ週末だ、ネットサーフィンでもしてから寝よう。そういえば、私の顔面に攻撃を食らわせた手紙の件、ユグドラシルのアイコンはどうなったんだろうか。

 

 新しい出会い系に登録して、ついでに覗いてみよう。PCの椅子に腰かけてヘッドギアを被った。

 

「はぁーぁ……寂しいなぁ」

 

 独身アラサーOLなんてこんなものだ。何しろこの社会では飲食がタブレット化され、快楽を得る手段は睡眠とセックス、娯楽はネットのゴシップやゲームしかない。

 

「死ぬ前に、一度でいいから菓子食いてえ」

 

 一人きりの部屋に零れる呟き(ツイート)が虚しい。

 

「辞世の句……なんちゃって」

 

 口にしたその言葉通り、こんないい加減なものが辞世の句になった。

 

 

 

 

 ベッドに腰かけて上目遣い。シナを作って相手の目線は右斜め上。某国の王子様がそこに立っていると仮定して、落とす言葉はこんなところだろう。

 

「ふにゅぅ……私、寂しいのにゃ。だから、今夜は一緒にいてほ――」

「誰と話しているんじゃい!」

 

 寝室の扉が足で蹴破られた。彼女は常に、扉の外で様子を伺っていたようないい場面で邪魔をする。ベッドの縁に腰かけて頬を赤らめ、俯き加減の私を見て、太々しい顔の少女は他の誰かを探した。

 

 残念ながら誰もいない。

 

 それはとても残念で、惨めなことなのだ。

 

「イマジナリーフレンドなの」

「はぁ?」

「あー……あはは」

「笑って誤魔化すな。どこに隠した。忘れているがここは私の寝室だぞ。勝手に男を連れ込むな!」

「あのね、だからつまり、妄想なの」

「……悪かった」

 

 彼女に潮らしくされると、余計にこちらが惨めな気分になる。恥ずかしさを黙殺し、ベッドへ横に転がった。

 

「だって暇なんだもん」

「さっさと魔導国へ行け。邪魔で仕方ないわ。この王宮にいるもの全て、お前の扱いに困っているぞ」

「……そうなんだ」

 

 遂にお荷物宣告を受けた。モモンガさんのメールと彼氏と過ごす時間、天秤にかけて男を優先した私が、どの面下げて魔導国へ行けるのだ。

 

「いつまでも先延ばしにはできんだろう」

「もーっ、言われなくてもわかってるよぅ」

 

 彼女は薄紅色のドレスから寝間着に着替え始めた。こういうとき、女同士だと気を使わなくていい。小さい方の体だと衣装代が安上がりだと、一国の女王らしからぬ庶民的な節約法を自慢していたのを思い出した。

 

「会議は終わったの?」

「いつも通りだ。やるべきことが多すぎるし、手はいくらあっても足りない」

「お疲れ様、ドラちゃん」

「そういえば頼まれていた菓子、そこに置いておいたぞ」

 

 指さされたベッド脇のサイドチェストに、煎餅の缶が置いてあった。

 

「えぇー! また煎餅? ケーキが無いなんて信じられない」

「何が不満なんじゃい、ごく潰し」

「しょっぱいんだもん。甘いのが食べたいっ!」

「魔導国にいくらでもあるわ!」

 

 彼女は右手を魔導国の方へ向けた。三秒ほど、互いの動作を停止させて睨み合い、何事もなかったかのように戻った。

 

「ねえん、作り方教えるからやってよー」

「甘ったるい声を出すな。同じ女にその手は通じんぞ」

「わかってるよ……」

「お前に外を出歩かれると困る。不満があるならいつでも魔導国へ帰っていいわい。むしろ早急に帰れ」

「異世界の観光の件は?」

「お前はなぜ、獣を土台にしてしまったのだ……」

 

 竜王国は食人種の国家と距離が近い。異形種に対する恐怖と憎悪は世代交代しても受け継がれ、精神の根っこまで汚染している。

 

「見た目は可愛いでしょ?」

「否定はしないが、獣は困る」

「だよね……」

 

 過去の自分を殴りたい。見た目で選んだ私が迂闊だった。ユグドラシルで獣人(ビーストマン)土台(ベース)にしてした私が出歩こうものなら、結果は火を見るよりも明らかだ。

 

 だから私は今日も明日も、終わりのない軟禁をされるのだ。といっても客間は別で用意されているので、ドラちゃんの私室へ侵入する意味はないのだが。

 

 ベッドから起き上がり、中二病患者がするように両手を広げて天井を見た。

 

「おぉ、神よ!」

「ああん?」

「なぜ私を竜王国へ落としたのですか!」

「まったくその通りだ。直で魔導国へ落としてくれればどれほど助かったことか……」

 

 私の異世界転移は別れた彼氏並みに粗雑な扱いだった。転生を悟った私は美しい神様が現れて乙女ゲームを始めてくれるのだと身構えたが、何のメッセージもなかった。

 

 銀色の門を潜り抜けた先、汚染されていない美しい青空に感銘を受けること数秒、自分が下へ落っこちているのがわかって全身が逆立った。

 

 天高く放られた私はもがきながら軌道修正し、隕石よろしく落っこちたのは竜王国の首都、宮廷の庭だ。土をふんだんに使って化粧(ファンデーション)をした私が周囲を見やると、スズメバチの巣に火のついた爆竹を放り込んだ騒ぎになっていた。

 

 阿鼻叫喚とした騒乱の最中、矢だの槍だのが無作為に飛んでくる。怖かったので頭を抱えて縮こまったが、武器は地面にぽとぽとと落下し、私に傷ひとつつけることはできなかった。

 

 どうしたものかと困惑している私に、冷ややかな顔をした男性が歩み寄った。

 

 目と目で通じ合わない異文化交流と異種間交流、言葉が通じるか怪しかったので取りあえずお辞儀をした。真似をしてお辞儀をする男性の後方、隣からちょいと顔を覗かせた少女が、小っちゃい方のドラちゃんだ。彼女は私が危害を加える意思がないと確認し、近くまで歩み寄って聞いた。

 

「アインズ・ウール・ゴウンを知っているか?」

 

 それが一ヶ月以上前の話。それからずっと、私は女王の寝室でニートをしている。なぜドラちゃんの寝室なのかと言われれば、客間よりも寝心地のいいベッド目当てと、彼女に私と同じ匂いを感じたからだ。

 

 彼女は本気で追い出そうとしなかった。

 

「ねえ、甘いのが食べたいの。煎餅はもう飽きちゃった。特に、クリームをふんだんに使ったケーキ。特大イチゴのショートケーキ、甘く煮つけた栗が乗ったモンブラン、甘さ控えめのクリームと果実、生地を折り重ねるミルフィーユ、クレープ生地にしたミルクレー――」

「自重という言葉は知っているか?」

「これでも随分、我慢してるんですけどぉ」

「働かない者が偉そうにするな」

 

 彼女は一貫して私の我儘に否定的だ。

 

「だってさぁ、甘いものをテーブル一杯に並べて、吐くまで食べるのが小さいころからの夢だったんだよ。夢が叶ったら働くってば」

「魔導国へ行けば好きなだけ食える。なんなら一緒に行ってやる」

「えー……」

 

 遅かれ早かれ、私の行くべき場所は魔導国だが、何事にも心の準備が必要だ。そうして先延ばしにして早一ヶ月、そろそろ何らかの行動に移すべきだろう。

 

「ねえ、ドラちゃん」

「なんじゃい」

「どうして彼氏、作らないの? 大きい方のドラちゃんだったらモテモテっしょ?」

「大きい方、言うな」

「違うの?」

「一国の女王となれば立場がある。おいそれと簡単に股は開けん。特に、あのロリコンがこの国からいなくなると非常に困る」

「いい年したロリコンなんて止めなって。はっきりいって気持ち悪いよ。いくら強いって言っても、私たちの足元にも及ばないんでしょ?」

「アダマンタイト級冒険者は国力の一つだ。私自身が餌になって国に縛り付けなければならん。遊びで恋などしている(いとま)はないのだ」

 

 世知辛い。私たちの世界よりもよっぽど不健全だ。

 

「じゃあ、まだしばらく処女だね」

「……ふん」

「うわ、否定しないよ。マジで処女なの?」

「餡ころぉ、無礼な態度を取るなら追い出してやるぞ。なんなら、魔導王陛下を招集してやる」

「ごめんね、ちょっと引くわ。よわい数百年の美女が喪女とか……半端なく絶望するんですけど」

「悪かったな、この野郎!」

「ヤローじゃないよ、女だよ。ドラえもん」

「やかましいわい!」

 

 彼女は寝間着に着替え、ベッドへ飛び込んでから枕を放り投げた。うつ伏せになって顔をベッドへ埋め、しばらく足をばたつかせていた。耳を澄ますと、シーツを伝って念仏のような小言が聞こえてくる。

 

 自らの境遇を愚痴っているようだ。

 

「あー……でも、男にとっては理想だよ。異世界転移に両手放しで飛びつくオタクさんは、女の処女性を重視するもんね」

 

 どうやら琴線に素手で触ってしまったらしく、返事がない。

 

「ギルドのメンバーの男は38人……37人かな。片っ端から紹介するから、誰かに惚れたら教えてね。相手の情報をいくらでも教えてあげるから」

「……全員、異形種じゃないか」

「ドラちゃんだって厳密には人間じゃないんでしょう?」

 

 顔が上がった。

 

「アンデッドはモモンガさんだけよ。選べる種族が多かったから」

「その多い種族の中で、なぜお前はよりによって獣を選んだ……」

「もういいでしょ、その話は! ねぇん、私にもいい男紹介してよぅ」

「……その能天気さが羨ましいわ」

 

 実のところそうでもない。

 

 人間を辞めた私の人生は終わったも同然だ。中身が人間でも外身は異形、私の婚期は追えばどこまでも逃げていく、決して辿り着くことない蜃気楼だ。彼女の言う通り、人間と異形種の結婚は難しいだろう。元人間の異形種でプレイする乙女ゲームは、馬鹿みたいに難易度が高い。

 

「お前の友人、魔導王陛下にはな、種族を問わず女性が惚れるらしいぞ。友人のお前は違うのか?」

「ドラちゃんも?」

「私はその、神の花嫁は荷が重い。それに私はヤ……」

「ヤ?」

「いや、や、役に立たん色恋は後回しだ。興味が無いわけではないが、そんな甘いことを言える状況ではない。魔導国の属国となったこの国はいくらでもやることがある。居候、お前も少しは働かんかい」

「それはいいけど、何をすればいいの? だって、私がこの街を歩き回ると大騒ぎになるんでしょ?」

「幾らでもあるぞ。アダマンタイト級のロリコンを連れて領内の視察とか、ビーストマンの残党の捜索とか、冒険者の育成とか」

「あー、そういうのパス」

 

 ネットゲームで強くなった人間が、この世界で必死に暮らしている人たちへ何を指導すればいいのだろうか。ゲーム理論が通じるとも思えないし、敵を倒してレベルを上げさせるにしても、倒せる(exp)の確保が難しい。

 

 それでは、村の開発や発展に貢献するのはどうだろうか。

 

 農業、生産、料理、この世界の人間が当たり前のように出来ていることができない私は、精々が荷運びくらいだ。長く居座れば居座っただけ、役に立たなさが浮き彫りとなる。自動的にモモンガさんの評価まで貶め、あちらの邪魔に成り得る。

 

「私なんか、何の役にも立たない人間だよ?」

「強いじゃないか。それだけで一財産だぞ。嫌味か?」

「本当に何にも知らないんだよ?」

「強ければ馬鹿でもいいという領主、貴族は多い。お前が男だったら私を抱かせてやったものを……つくづくこの国は運がない」

 

 少しだけ、肩が震えていた。私はとても申し訳なく思えてきた。

 

 王族として生まれ、国を守ることを考えてきたドラちゃんと変わらないどころか、私はそこいらの平民にさえ至らない。転がっている石ころの方が余程役に立つ。

 

 面倒になり、私はドラちゃんの隣に転がった。

 

「一緒に寝る?」

「私にその趣味はない」

「私にもない」

「お前がそこにいるから、私はいつまでも大人の姿に戻れんじゃないか」

 

 ベッドはキングサイズだが、大人の女性と異形種が寝るにはやや小さいように感じた。

 

「友達でしょ」

「トモダチ……か」

 

 当たり前の小さな幸福が手に入らない、生き遅れた女同士の共感。私は彼女と癒着しようとしている。

 

「襲うなよ?」

「へーきへーき」

 

 百合ではなく、同じベッドで寝る友人として、私たちは眠った。

 

 そろそろ何らかの仕事を見つけよう。

 

 微睡に素晴らしい名案がいくつも浮かんだが、目覚めたら消えていた。

 

 

 

 

 デスペラードなフラれた女()がブロークン・ハートを再構築して傷を癒すこと一ヶ月あまり。ドラちゃんのお陰で傷もすっかりと癒えた。

 

 お忍びで透明化して国内を見回り、国民たちの生活を秘密裏に勉強し、時には幽霊さんとして人助けもやった。孤独を埋めてくれた彼女への恩返しだが、いい男へのマーキングも兼ねていた。

 

 化け物に抱き枕として扱われ、安眠を妨げられ続けている小さい方のドラちゃんの怒りが頂点に近づいたころ、夜になって彼女は飛び込んできた。

 

「餡ころぉ! 曾祖父様が来るぞ!」

「そうふか」

 

 私はファッション雑誌らしきものを読みながらせんべいを食べていた。興味がわかず、生返事しかでてこない。それにしても、この世界の人間はなんと美形が多いのだろうか。

 

「ふざけるな! 曾祖父様、七彩の竜王様が何らかの異変を察知してこの国に来る!」

「ふーん」

「なんだその舐め腐った反応は。よく考えろ、お前を魔導国へ連れ戻しに来るかもしれないんだぞ!」

 

 それは困る。私は煎餅を口に押し込み、座り直して彼女を見た。

 

「私のことがバレたかな?」

「メッセージで、何か隠し事があるなら先に話すようおっしゃったのだ。曾祖父様がメッセージの魔法を使うなど前代未聞だ。絶っ対にぃ! 何らかの確証を掴んでいる」

「いつ来るの?」

「明日の朝」

「マジか」

 

 道理で朝から王宮全体が騒がしいと思った。

 

「どんな人なの?」

「曾祖母様が大好きな人」

「……愛妻家?」

 

 眠くなるまでの短い時間を使い、×1曾孫持ちドラゴンの人物像を教えてもらった。

 

 年寄りの意見は聞いておくものだ。子供を産んだ経験はないが、案ずるより産むがやすしというのは本当だった。人払いをされた宮廷の玉座へ引きずり出された私は、岩石のように凝り固まった体が瞬時にふやけることになった。

 

「やはり、か」

 

 厳めしいドラゴンではなく、頭髪が虹色に輝く美少年だった。

 

「ドラウディロン、なぜこの件を魔導王へ連絡しない。魔導王が仲間を探していると知っているだろう。隠すような行為は、竜の尾を踏むと同義で――」

「あら可愛い」

 

 ユグドラシルを元にしているだけあって、秘密裏に行った社会科見学で美形が多いと知っていた。虹色の頭髪を風になびかせる少年は、その中でも特別に秀でていた。顔だけで選ぶと失敗すると、過去の経験から学んだ私は少年(ショタ)に引き付けられなかった。

 

「ぼく、何歳?」

「……なるほど」

「餡ころ、竜王様に無礼な態度を取るな。敬語を使え、敬語を」

「だって、まさかこんな可愛い少年が来るなんて思わなかったんだもん」

「無礼者!」

 

 人間に化けると小さくなるのは遺伝らしい。肝心の少年は馬鹿でも見る目でため息を吐いた。

 

「プレイヤー、私の容姿が幼い人間であろうと、君の数百倍も生きている年長者であることに変わりはない。君が魔導王の友人でないのなら、早々に魔導国へお引き取り願いたいが」

「あ、はい……すみません」

 

 私は頭を下げるしかなかった。礼節を無視した私が悪いのだ。私を居候させてくれている小さい方のドラちゃんも立場がない。隣のドラちゃんは自分まで怒られたような顔をして俯いていた。

 

「改めてプレイヤー、名乗りたまえ」

「私は餡ころもっちもちです」

「ユグドラシルは名前に統一性が無い。遊興(ゲーム)が故なのだろうが、こちらからすれば迷惑極まりない。その得体の知れない名前の由来は何だ?」

「お菓子の名前、です」

「……そうか」

 

 少年の表情は、「これは骨が折れそうだ」と言っていた。

 

 虹色さんは応接間に茶菓子を持ってくるようにドラちゃんへ指示を出し、私を連れて行った。事前情報通り頭の良い人だったが、瞳の奥に見え隠れする冷たさもまた賢いもの特有だった。ありがたいことに皆まで言わずに察してくれるので、話は一度も滞らなかった。

 

「ふむ……」

 

 知りたい情報は全て渡したはずだが、彼の表情は暗い。

 

「……どう思うかね」

「何が……ですか?」

「君は運命を信じていない、神も想像したことはない」

「ええ、まったくその通りです。そもそも宗教がどこにあんのかわかんないし、ゲームで神様の名前が引用されても特に何もか――」

「そうだろう、そうでなくてはならない。アーコロジーから隔絶された汚染区域で生を傍受する人間という歯車に神への妄信がはびこるのなら、死を恐れぬ暴虐者(テロル)の生誕を招くだろう」

「私たちの世界に詳しいッスね……」

「伊達に長く生きていない」

 

 少年は足を組み、背もたれに寄りかかった。

 

「疑心暗鬼に思えるか細いものでありながら、決して無視することのできないもの。これは予感であり、同時に確信でもある。41人の中で、獣系から派生した種族を選んだ者は少ないのではないか?」

「ええ、多分そうだと思います」

「竜王国の仇敵の獣を土台とした種族、ビーストマンに近い姿のプレイヤー。よりによって君がこの地へ転移したことに、何らかの意味を感じずにいられない」

「意味なんかないんじゃないですか?」

「思考の放棄は愚者がすればよい。意味がないのであれば、意味がないなりに理由が必要だ。君は今しばらく、この地へ留まりたまえ。獣を土台とする異形が落とされたのは、獣を毛嫌いする竜王国の首都、その事象に理由をつけるまで」

 

 それは願ってもないことだ。全てに理由や意味があるとは思えないが、国家の祖が許してくれるなら大手を振って観光ができる。

 

「あのう」

「なんだね」

「この国を見て歩きたいんですが……一緒に行きませんか?」

「断る」

 

 声は恐ろしく冷たかった。まるで、触れられたくない古傷に許可なく振れられたような怒りを感じた。

 

「ドラウディロンに頼むといい。私の許可が出たとなれば、国家の友人として首都を案内してくれるだろう」

「せっかくなので竜王さんもご一緒に」

(くど)い」

 

 彼は立ち上がり、扉へ向かって歩き出して話を、というより私を拒絶した。男に拒絶されるのは何度味わっても慣れない。扉の取っ手を掴んで引く直前、私に顔を向けた。

 

「最後に、君は人間側か? それとも異形種側か?」

「えっ? ……ごめんなさい、質問の意味が」

「人間と食人種、どちらにつくかと聞いたのだが」

「……はい?」

 

 詳しく説明するような優しさは見受けられず、少年は静かに返答を待っている。私は、彼の聞きたいことが理解できなかった。元人間に聞いた時点で知れているし、頭のいい彼ならそれを知らない筈がない。

 

「だって、私たちは人間ですから、考えるまでもなく人間側につくんじゃ――」

「甘い……甘過ぎる。君を見た誰もが、食人種側の異形だと考えるだろう。その姿になって鏡を見たことはないのか」

 

 嫌味を言って出て行った。

 

 甘いものを食べたいとは思うが、自分が甘いとは思えない。結局、美少年との楽しい社会科見学は私の脳内にて企画倒れとなった。

 

 

 

 

「異形種とは種族固有の本能を所持する。黄色いローブを身に纏い、人間に紛れてこの国を見学してくるといい。君たちの言葉を借りるのならば、験がいいというやつだ。体に宿った野性の血が目覚めたとき、運命の歯車は噛み合い、世界の本質に迫る問いを投げかけてくれるだろう」

 

 少年は言い終えてからソファーへ寝そべり、分厚い本を開いた。救世主の生誕を待っている賢者のようだった。それ以上の話を拒否し、手のひらをひらひらと舞わせて出て行けと催促する彼に、私とドラちゃんは顔を見合わせてから出て行った。

 

「ほれ、これを被ってみろ」

 

 玉座の間の近くにある衣裳部屋で、ドラちゃんは薄汚い黄色いローブを私に差し出した。

 

「だっせぇ……」

「文句言うな。特注だぞ」

「いや、ただの布切れじゃん。女の子にこんなものを被れと?」

「女であっても”子”じゃないだろう」

「うっさいなぁ……」

 

 明らかに使用済みのように見える、私のためだけに(あつら)えたと言い張る黄色いローブには何の防御力もなく、ただの布切れ以外の何物でもなかった。深々と顔を隠す私は、小さい方のドラちゃんに後に続き、馬車に乗り込んだ。

 

「エスエム女王様が王宮を出ていいの?」

「エスエム……? お前、たまにわからんことを言うな」

「冗談よ」

「後のことは宰相に任せてある。あれでなかなか使える男だ」

「ふーん、昔はもっといい男だったよね、あの人」

「先に言っておくが、奴は家族がいるから駄目だからな」

「不倫はしない主義なの」

 

 私たちは首都を見て回った。

 

 小さいドラちゃんはどこに行っても人気者で、すぐに取り巻きができていた。

 

 私は馬車の中から目に着いた露店に片っ端へ、近衛兵さんを好き放題に使い走らせて食料調達させ、むしゃむしゃと(むさぼ)りながらぼんやりと眺めていた。

 

 自分で買い物をする勇気がないのだ。

 

 クリスタルティアという冒険者、アダマンタイト級ロリコンのセレブライトは女王の隣を離れず、民衆が女王を質問攻めにするのを上手くいなしていた。アダマンタイト級は伊達ではなく、育ちも良く教養のありそうな彼は民衆を上手く捌いていた。ロリコンでなければいい男に違いないが、時おりドラちゃんに向ける視線がねばついているのが生理的に受け付けない。

 

 終始、ドラちゃんはみんなを安心させようと笑顔を崩さず、馬車に戻る頃には口元が引き攣っていた。

 

 食べ飽きて昼寝をしていた私が馬車の揺れに目を覚ますと、小さい彼女はこう言った。

 

「昼寝とはいい身分だな」

「うん……女王様も大変ね」

「いつになったら元の姿に戻れるのやら」

「まあ、世の中、大半の男がロリコンよ」

「……」

 

 やや重たい沈黙だった。

 

 女王陛下の民衆激励巡礼の舞台裏、私の買い食いツアーは首都を一周し、宮廷に戻るのかと思ったが馬車は首都を飛び出して郊外へ向かった。

 

「どこ行くの?」

「復興した村の視察だ。ところで、曾祖父様はお前に何と言った?」

「そういえば、人間と異形種、どっちにつくのかって聞かれたかな」

「どっちだ?」

「え?」

「だから、どっちにつくのだ」

 

 彼女にしては真剣な顔だ。真面目な彼女は子供に擬態していても、やはり女王らしき風格がある。私は姿勢を正し、彼女を見据えて言った。

「あの大先生にも聞かれたけど、その質問に意味はあるの? 私は人間なんだから、人間を助けるに決まってるじゃない」

「……そうか」

 

 道中、別の都市で宿を取り、そこの都市長や町長だのと話をし、数日かけて首都から最も遠い村へ着いた。

 

 真っ先に馬車を飛び降りた私は、全身で伸びを行なった。

 

「うーん……空気が綺麗で気持ちいいねぇ」

「餡ころ、ローブは脱いでいいんだぞ」

「あ、そうだった」

「私は村長と話があるから代わりに近衛兵を一人つける。詳しい話はそやつに聞くといい。それから、魔獣が出たら頼むぞ」

「バトルはなるべく避けたいな」

「馬鹿を言え。餡ころより強いものはこの国にいないのだぞ」

「わかったよー……」

 

 とはいえ、無益な殺生は好かない。だいたい、戦闘なんて現実の実生活では皆無だ。どこにでもいるOLに犬や猫、ネズミでさえ、いきなり殺せと言われても難しい。鼠やゴキブリの類は、正直なところ触るのも嫌だ。

 

 鼻歌交じりのスキップで、ピクニック感覚だった異世界転移は、この訪問を機に溶けていった。

 

 

 

 

 モモンガさんは敵対国、ビーストマン国家をぶっ潰したので、戦争は終わっていると思っていた。

 

 それなら、なぜこんなにも高い城壁が村に必要なのだろうか。

 

「餡ころもっちもち様、女王陛下より御伴するよう仰せつかった近衛兵でございます」

「あ、はい……よろしく」

 

 男の人にその名で呼ばれるのがちょっと恥ずかしい。もっと可愛らしい名前にすればよかった。的外れな羞恥心を抑え込みながら、村の散策へ足を踏み出した。

 

 これまでの過去、かくも歪な人間を見たことはない。

 

 例えば、村に入ってすぐ手を繋ぐ母と子が挨拶をしてきた。とても仲の良い親子に見えたし、何の違和感もなかった。

 

「こんにちは、魔導王陛下の御友人の御方ですか?」

「あ、はい、そうです、こんにちは」

 

 男の子はニコニコと笑い、母親の手を握っていた。

 

「仲がいいですね」

「ええ、まだ家族になったばかりなので」

「へえ、そうなん……はい?」

「餡ころ様、今は納得してください」

 

 近衛兵さんの耳打ちに、私はそれらしく頷いた。

 

「あ、はぁ……」

「それでは、失礼します。これから畑に行くもので。魔導王陛下に、村人一同、深く感謝しておりますと、よろしくお伝えくださいませ」

「あ、はい、さようなら」

「ばいばい、餡ころさま!」

「ばいばーい」

 

 彼らが立ち去ってから衛兵さんに聞くところによれば、夫と子供を殺された女性と、両親を殺された子、失ったものを補填するように引っ付いて親子になったのだという。

 

「惨いものでした……あの母は生まれて一月目の赤子を、避難の際に落としてしまった。半狂乱する彼女の夫が慌てて走りましたが、拾い上げた我が子もろとも串刺しにされ、そのままビーストマンに食べられました。彼女は、夫と赤子を目の前で食い殺されたのです」

「そっか……」

「今でこそ笑えますが、虚ろな目で徘徊し、どこからか拾ってきた首のない赤子の死体を抱きしめていました。蛆が湧き、肉が腐敗して溶けるまで、どろどろになった白骨死体をいつまでも胸に抱いていたのです。どこの子供なのかも分からない死体を……いつまでも」

 

 事前に予想した重たい話など、軽く凌駕する狂いっぷりだった。

 

「ビーストマンたちは戦利品の獲物を宴でいたぶるのはご存知ですか?」

「狩猟本能が獲物をなぶり殺しにするんですよね、確か」

「竜王国の民であれば、幼子であっても知っています。想像力はときに残酷なもので、あの少年は、毎夜、両親が死ぬ前に味わった地獄を夢に見ては、顔を掻き毟って絶叫しながら目を覚ますのです。毎夜、毎夜、決して終わることのない悪夢と顔面の自傷。幼い精神は崩壊し、あの子は狂いました。狂ったことで、本当の母が戻って来てくれたと信じている」

「……」

「差し詰め、ビーストマンへの憎悪が繋ぐ親子の絆でしょうか」

 

 私が蘇生術を使えれば状況は変わったのだろうか。モモンガさんが犠牲者を蘇生したらどうなっていたのか。

 

 簡単に手を差し伸べるのは間違いだ。一人を蘇生するのなら全員を蘇生しないと不自然だし、不公平だ。それは国家に不和を招く行為でしかない。

 

 全てを蘇生するには数千、数万、あるいは数十万にも及ぶ蘇生を行なわなければならないし、蘇生した片っ端からまた殺されていく可能性もある。モモンガさんが悪いのではなく、そう考える私が上から目線なのだ。

 

 半端に手を差し伸べるくらいなら、初めから何もしてはいけない。相手が死ぬまで面倒を見る覚悟でなければ、手を出すべきではない。飼えない人間は、初めからペットを飼ってはいけない。

 

 私は尖った歯を食いしばり、衛兵さんの後に続いた。

 

「餡ころ様、こちらの方々がアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の件でお礼を言いたいと」

「は、はぁ……どうも」

「あなたが陛下の御友人でございますか。この度は、忌々しい獣どもを滅ぼしていただき、感謝に尽きません! この場をお借りして礼を申し上げさせていただきます」

「つまらない場所ですが、何泊でもゆっくりしていらしてくださいな。私たちは魔導王陛下のためなら、この命だって惜しくありませんのよ」

 

 頭髪が真っ白な老夫婦は涙を流して握手を求めた。モモンガさんへの感謝をこれでもかとまくしたて、何度も振り返って頭を下げてから去った。

 

「なんか、よくわかんないけど。お爺ちゃんお婆ちゃんに感謝されると嬉――」

「二人とも、まだ30代です」

「うっそぉ!?」

 

 どこからどう見ても60代の隠居した老夫婦にしか見えなかった。曾孫までいると言われても素直に納得しただろう。

 

「彼らは三人の子供たちを全て、獣に攫われました。魔導王陛下のビーストマン国家壊滅後も子供たちは帰らず、彼らは骨をかき集めて標本を作りました。我が子の骨かどうかさえ分からないというのに……」

「わー……」

「組み立てたそれを椅子に釘で打ち付けて座らせ、家族団欒の妄想を再現していたところを私が発見しました。女王陛下へ、この地への派遣を進言したのも私です。あれは人間でありながら……おぞましい異形の晩餐でした」

 

 酷い惨状を思い出したのか、近衛兵さんは口を抑えた。

 

 もっと単純に、家族を失った者たちが寄り添って村を復興しているのだと考えていた。間違ってはいないが、現実を軽く見た私が甘かった。数百年にも渡る人間と食人種の敵対構造は、敵対国家を滅ぼしたくらいで収束するような生易しいものではない。

 

 現実に胃もたれしてきたが、衛兵さんの村人ツアーは続いた。

 

 死んだ兄弟の皮膚を移植した青年は、「これで兄弟は永遠に、ビーストマンと共に戦います」と言って朗らかに笑って見せた。つぎはぎの体が、フランケンシュタイン博士の怪物に似ていた。

 

 我が子の骨を体に埋め込んだ父親は、二度と離れ離れになりませんと言って、やはり朗らかに笑った。歪に盛り上がった体のあちこちへ、対応する子供の骨が埋め込まれているのだろう。

 

 両親の骨を粉々に砕いて保管し、スープに混ぜて飲むことで過去の楽しかった記憶を夢に見ようとする少女は、姿の見えない父と母に話しかけて笑った。凄惨なマッチ売りの少女のようだ。

 

 我が子を永遠に忘れまいと、自らの子宮を剣で突き刺した女性。農作業の途中で物思いに耽り、獣を惨殺する妄想を浮かべて薄ら笑う男性。獣たちの体を溶かす薬を開発することに固執する薬師。男女問わず、家族ごっこをしてくれるなら無料でいいという街娼と、それに母親役を求めている30代らしき男性。顔面を縦断する裂傷の傷が生々しい青年は、小さな人形を背負って畑仕事に精を出していた。その彼と談笑しながら半裸で畑仕事をする青年の背中には、立派な大蛇が獣を一飲みにしている入れ墨が彫ってあった。

 

 畑の側にある木には獣を模した人形が釘で打ち付けてあったし、憎悪を込めて叩き壊された人形は損壊を木にまで及ぼしていた。

 

「……最低」

 

 何もかも、私の認識が甘かった。

 

 昔を懐かしみ、幸せだった過去を捨てられない。笑いながら暮らしても、少しだけおかしくて、とても可哀想な人たち。キャパを超えた惨い現実に耐え切れず、私は建物の影で自分を抱いて蹲った。

 

「こんなのって……もう戦争は終わったのに」

「人間を辞めた餡ころもっち餅様を、私は化け物とは思いません。あなたは正真正銘の人間に違いない。なぜなら、人は人でありながら、心はかくも異形になってしまう」

 

 近衛兵さんは悲しい顔で私を見た。

 

「きっとみんな……とても幸せだったんだよね」

 

 例外なく、ここにいる人間は幸せで仲の良い家族だったのだろう。そうでなければ、ここまで苛烈に執着しようと思わないはずだ。

 

「餡ころ様は復讐についてどうお考えになりますか?」

 

 復讐は、血で錆びた剣を血で研ぐようなもの。最後に刀身は残らず、血で研いだ赤い粉だけが残される。復讐などすべきではないと、そう教えてくれた正義の人は反対派だった。

 

「……悪いことじゃ、無いと思う」

 

 本人たち見て悪だと言えるわけがない。

 

「彼らは今を生きていないのです。獣たちが奪ったのは家族ではない、過去そのものだ。ここに集められたのはそうした者たちです。それらを固く結びつけているのは――」

「ビーストマンへの復讐?」

「老若男女問わず、全員が武器を手に修練を絶やさない。いつか、どこにいるとも知れないビーストマン残党の首を切る、その日を夢見て」

 

 竜王国をモモンガさんが救ったとき、大半の人間の復讐心は満たされた。近衛兵さんも他の人たちと同様に、復讐だけに生きてはいけないと悟った人間だった。

 

 それでも多種多様な人間なら、前に進むことを拒否する者はいる。そう言った者たちを寄せ集めて構成されたこの村は、ビーストマンの残党を狩るために組織された部隊であり、彼らの侵攻を妨げる防波堤のようなものらしい。

 

 いつか、遠い未来でビーストマンたちが復興し、再び竜王国を襲う日に備えて。

 

「そんなの……酷過ぎるよ」

「同感です」

 

 復讐が悪いとは言わない、過去に蹴りをつけなければならない場面は現実でもある。しかし、憎悪を未来永劫、子々孫々まで継承するのは間違っている。

 

 一泊する予定だったらしいが、ドラちゃんが村長さんへ挨拶を終えてから足早にその村を去った。右腕と右脚が義体の村長さんは、恩人にするように何度も頭を下げてくれた。

 

「今度は是非とも、ご宿泊をなさってください。村を挙げて歓迎いたします」

「……はい」

 

 村長の逸話を聞く余力は残っていない。

 

 去り際、嬉しそうに私を見送ってくれたあの男の子の言葉が忘れられない。

 

「ぼく、お母さんが大好きなんだ」

 

 何か言わなくてはと思い口を開いたが唇が震えて声が出ない。必死で絞り出そうとした言葉に代わり、涙が流れた。彼を抱きしめて頭を撫でてやりたかったが、きっとそれをすれば泣き崩れ、子供のように泣き喚いてしまう。

 

 逃げるように馬車へ乗り込んだ私は、夜を行く馬車の中で黙り込んでいた。黙って気を使ってくれたドラちゃんが、唐突に大人の姿へ戻った。

 

「……そっち、あんまし好きじゃないわ。おっぱいの揉み心地は良さそうだけどね」

「餡ころ、人間から異形種になって歪んでしまった心は、初めから人間の私にはわからん。だが私は、お前を人間の友人と思っている」

「……あんがと」

「先ほどはよく堪えたな。滅多なことでは他人に貸さないが、友人になら私の胸で泣くことを許してやってもいいぞ」

「……ふん、いらないよ」

 

 言葉と体がちぐはぐに、勝手に動いた。気が付くと、私は彼女に抱き着いて泣き喚いていた。

 

 幼子が母とはぐれて泣くように、夜の馬車の中で私は泣き続けた。

 

 まるで、自分は人間だと主張するようだった。

 

 

 

 

 翌日、たっぷりと眠った私とドラちゃんは虹色大先生を訪ねた。ドラちゃんは報告、私は相談と、目的は少し違う。

 

「――というわけで、復興は順調です」

「結構。獣への憎悪に呪縛された、呪われしものどもの平和な村を見たプレイヤーの感想はいかがかね」

「……本当、(いや)な世界」

「それを知ってこそ真にこの世界へ降り立ったと言える」

 

 虹色の少年はソファーに寝そべったまま、読んでいた本を閉じようとしないし、対面の椅子に座る私たちを見ようともしない。いくら結果が分かっているとはいえ、目にあまる太々しさだ。超年長者兼自称賢者は扱いが難しい。

 

「戦争は終わったのに……」

「彼らの戦争は終わっていない。ビーストマンの残党を探し出して皆殺しにしたとして、食人種そのものが世界から一掃されない限り、彼らの明けることなき(くら)き夜は続いていく。永遠に覚めぬ黒き憎悪の夢、鮮血の歴史で培われた真紅の鎖、戦争の副産物」

 

 私の拳が痙攣し、彼を殴れと怒っていた。

 

「彼らを救う方法はないの?」

「救うだと?」

 

 少年は初めて私を見たが、眉間に皺が寄っていた。

 

「自らの考える幸福を押し付けようとするのは、プレイヤーという強者の立場にものを言わせ、哀れなものを見る度に振れる安い同情心に他ならない。彼らは既に救われているとなぜ受け入れられない。優しい世界など妄想の中にしか存在しないと思え。現実は常に一定の残酷さを以て、我らへ選択肢を突き付ける。いつまでその甘さを維持している。いつまで妄想に浸り、現実の直視から逃げ続ける」

「逃げてないもん……」

 

 反論の余地もなくまくしたてられ、それしか言えなかった。どうやら、彼の機嫌を損ねてしまったらしい。

 

「桃色の脳髄は想像し、理解するためにある。人間たちが苦しんでいるのであれば、同様にビーストマンも苦しんでいると、少し考えればわかるはずだ。魔導王に蹂躙された彼らは散り散りになって生き延びている確率が高い。表立って人間を襲えなくなった彼らの絶望と飢餓を考えたことはあるか?」

「だって仕方ないじゃん! そうしないと、人間が生きられないんだから!」

 

 椅子から立ち上がって声を荒げると、少年は姿勢を正して私を見た。

 

「それでいい。君は人間から異形種へ転身したプレイヤーだ。あらゆる立場に立てる、特異な存在に違いない。現実を受け入れ、後悔のない選択をしなければならない。身を引き裂くほどの苦悩の末、出した答えにこそ黄金の価値が付与されるだろう」

「私は……化け物なのかな」

「己が在り方に苦しむのは人間の特権といえる」

「ありがとよ……」

 

 口を歪めた少年を、一発でいいからぶん殴ってやりたくなった。

 

「だいたいさぁ、ビーストマンなんてまだ生きてんの? いるかいないか分からないような相手を憎み続けるなんて馬鹿げて……」

 

 私の脳に閃光が走った。

 

「あ、そっか。分かったわ!」

 

 少年は頷き、話の続きを促した。

 

「ビーストマンがいるかいないか分からないなら、はっきりさせちゃえばいいんだよ。捜索隊、討伐隊に冒険者を雇えばいいじゃん。ねえ、ドラちゃん、お金貸してよ」

「金はこちらで持つわい。戦力はクリスタルティアだけで大丈夫だろうが、お前はどうするんじゃい」

「捜索隊はロリコンを隊長にして、あの村人たちから選べばいいじゃない。私は国内の武力強化に動いておけばいいのよ。本当にビーストマンの残党がどこかにいて、戦争を仕掛けてきても今度は人間たちだけで乗り切れるように」

 

 我ながら名案だ。

 

 盛り上がった私は足早に部屋を出て行こうとした。自分で訪ねておきながら身勝手極まりないが、女は身勝手で我儘な生き物だ。これで何も見つからなければ、彼らの未来も少しだけ明るいものになるし、見つけて討伐すれば恨みも少しは晴れる。

 

「待ち給え、餡ころ」

「え、ナンですか?」

 

 咄嗟のことでイントネーションが妙な場所にくっついていた。

 

「君の中に抑え込まれている、煮えたぎる溶岩にも似た獣性は目覚めたかね。それとも、未だ覚醒の刻限を夢見ながら蛹の中で胎動しているのか」

「……ごめんなさい、意味不明」

「忘れるな、君の中にいる獅子はまだ惰眠を貪っている。遺伝子に刻み付けられた理性なき負の力、沈黙の長さに比例して蓄えられる爆発力は常人に制御しきれるものではない」

「……はぁん?」

「心せよ、それは反動と呼ばれるものだ」

 

 それ以上は語らず、彼は再びソファーへ転がって分厚い純白の本を開いた。賢者は扱いが難しい。詳しい説明がない上、勝手に納得して勝手に終わらせる。これが彼氏だったら引きずり降ろして話をさせたところだ。

 

 ともあれ、私とドラちゃんは宮廷の食堂へ移動した。串に刺さった茶色く焼かれた丸い物体が差し出された。

 

「なにこれ?」

「焼きもちだ」

「ジェラシーのこと?」

「はぁ? 小麦をこねて、調味料を塗りたくって焼いたものだ」

「またしょっぱい菓子じゃん! こんなのしかないの?」

「贅沢言うな! さっさとお前の考えていることを聞かせてくれ」

「凡人の知恵でもいいの?」

「凡人かもしれないが、お前はプレイヤーだ。聞く価値はある」

「そっか、そうだったわね。あまのまひとつ、って言葉に聞き覚えはない?」

「なんだそれは?」

「ううん、何でもない。国全体を強化するなら質のいい武器と防具が必要だと思うのよ。魔導国に武器と防具の買い出しに行ってもらってよ。目利きのできる、武器と防具の商人さんが行くのが理想かな。あと、兵隊さんを中心に魔獣を遊撃する部隊を編成して」

「誰が引率するんじゃ?」

「隊長は私。モンスターをおびき寄せるアイテムがあれば嬉しいかも。私の武器は爪か双剣なんだけど、作れる?」

「後で鍛冶屋と打ち合わせをするといい。費用はこちらで持つと伝えておけ」

「よし! 明日からバリバリ働くぞー」

 

 尖った歯で餅をぐしゃぐしゃにしていると、ドラちゃんが神妙な顔で言った。

 

「私も覚悟を決めるべきか……」

「何が?」

 

 そろそろセレブライトを婿に取る頃合いかもしれないと、思い詰めた顔で言った。当然、私は即答で猛反発したが、彼女は譲らなかった。

 

「仕方がないだろう。奴を雇う資金も馬鹿にならん。冒険者もワーカーも費用が高すぎる」

「あんなロリコン野郎の人身御供になることないじゃない!」

「他に手があるのか!」

 

 私にわかるはずがない。私なんかが口を出していい問題ではないが、友達の身売りを見過ごせるわけがないじゃないか。

 

「じ……じゃあ、私がお見合いをセッティングするよ! 私の仲間の誰かを婿にすればいいじゃない。強いし、暇人だし、おっぱいの大きいドラちゃんのためなら喜んで働くよ! なんならモモンガさんが――」

「魔導王陛下を相手にするのは難しいだろう……他にプレイヤーがいるとは聞いていないが」

「いるよ! 私だってここにいるじゃん!」

「……期待はしないが、ありがとう」

 

 悲しそうに笑う彼女に、私は何も言えなかった。

 

 これまでの馬鹿馬鹿しいやりとりで近くにいたような気がしていた彼女は、私からとても遠い場所で苦痛に耐えていた。

 

 恐らくは、初めからずっと。

 

 人間を辞めた私に接する、彼女なりの優しさだったのだ。

 

 つくづく、自分の甘さを痛感し続ける。

 

 弱肉強食の世界に、私のような人間は相応しくなかった。異世界転移を望んだわけではなく、あれは単なる事故だったが、そうだとしても私はここにいるべきではなかった。

 

 齧っている茶菓子はうすしお味だが、自らの甘さにうんざりした。

 

 

 

 

 翌日から兵隊さんを200名ほど引き連れ、首都郊外の魔獣狩り、つまりレベルアップに出掛けた。ドラちゃんがいないので彼らが言うことを聞いてくれるか不安だったが、その点については何の問題も無かった。

 

「魔導王陛下の御友人と御伴できるなんて光栄です!」

 

 鳥の巣で餌を待つ雛のように、口々に同じ意味合いのことを言って喜んでいた。

 

 モモンガさんってすごい。

 

 骨だけど。

 

 戦争の爪跡も真新しい竜王国の兵隊さんたちは、集団行動に統率が取れていた。彼らは獲物を上手くひきつけ、時には攻撃をかわし、少しでも役に立とうと防衛線や罠を張り巡らせ、私の邪魔にはならなかった。

 

 かぜっちはヘイト管理が上手く、タンク役のプレイヤーな上、指揮官系のクラスまで取得している。彼女がいれば数倍も捗っただろうが、到来を待っていられない。

 

 しかし、他の何を差し置いて、最も上手くいかなかったのは、私の精神だった。繰り返し、私は自分の甘さを見せつけられる。

 

(女の子は砂糖菓子でできてるから……って、んなわけねえっつーの)

 

「何かおっしゃいましたか、餡ころ様」

「何でもない。敵が来たから剣を構えて」

 

 敵が単体の場合、相手が動けなくなるまで一騎打ちだ。お借りした兵隊さん、多種多様な職業の200人が固唾を呑んで見守る草原を舞台に、踊る私は魔獣を倒していった。

 

 キマイラらしき生物の首を切り落とし、バジリスク種らしきものへ頭から突っ込んで心臓へ爪を突きこんだ。グリフォンの派生種らしきものは翼で空から現れたが、ジャンプ力と空中戦には自信がある。アンデッドは下位種しか現れず、さほど強くもないから私が出るまでもなく、兵隊さんたちは協力して倒してくれた。

 

 相手の数に関係なく面白いように敵を倒したが、爽快感を得られたことはない。弱い者いじめをしているような胸糞悪い感覚は常に残されていた。

 

 子連れのグリズリーとアルケニーは情に訴えられるので堪えた。

 

 負傷した親熊は子供を庇うようにその身を盾として、私の前に立ちはだかった。

 

「逃げるなら追わないけど……?」

 

 そんな甘いことを言っていられる場合でもない。言葉が通じる筈もなく、兵隊という餌を前にして引くわけもなく、親熊は襲い掛かってきた。

 

 数秒と持たずに親熊は絶命して草原に転がった。親の亡骸に縋りつき、悲しそうに「キューンキューン」と鳴く子熊も、躊躇いながら殺すしかなかった。ここで見逃せば成長した未来で人間を殺す。私はそんなに甘く、愚か者ではない。

 

 しかし、子熊たちの命を奪うまで随分と時間を浪費した。爪先から滴る生き血に胸糞悪さを覚え、人間らしい優しさが零れていくような思いだった。

 

 アルケニーは蜘蛛の胴体に人間の上半身が引っ付いたような魔物だ。人間部分は戦いを効率よく行う知恵と、言葉を介して許しを乞う知性を所持していた。

 

 八本の足を矢鱈滅多羅に切断され、蜘蛛の糸まで無効化され、打つ手のなくなった魔物の人間部分が両手を合わせて拝んだ。

 

「助け……て。二度、と……人間を襲いません……助けて」

「……ごめん」

 

 一思いに首に爪を立て、首を切り離した。素早く殺そうとも、私の爪は命を奪った感触を確実に内側まで伝えてくる。

 

 アルケニーを殺した夜、耐え切れなくなった私は激しく嘔吐した。晩餐に食べた豆のスープが形状をそのままに草原へ吸い込まれていった。

 

 若い兵隊さんたちは地に伏せる私に集まり、タオルを渡し、こぞって私の武勲を称えて慰めてくれたが、結果的に私自身の脆弱さを浮き彫りにした。勝手な都合で命を奪うという行為は、こんなにも惨たらしい。不満を言いながら、なあなあの歯車として社会で生きてきた私は弱く、甘ったれている。

 

 そして、そんな世界を必死に生き抜いている彼らは本当に強く思えた。

 

(心弱きもの……汝の名は女……か)

 

 みんなが夕食を兼ねた野営の支度をしているとき、私は料理を手伝うこともできない。包丁を持って食材の前に立った瞬間に意識はどこかへ飛んでいく。花嫁修業が不可能な体になってしまった。

 

 料理をしてくれる衛兵さんたちを、岩に腰かけてぼんやりと眺めるしかなかった。

 

「……ごめんね、役に立てなくて」

「やめてください。その強さこそ我らの憧れ。この国を守り、女王陛下のために尽力する見本そのものですよ!」

「そうです、強さこそが全て。民を守るために、我々は力が欲しいのです」

「私たちは御供ができて幸せです!」

 

 本気でそう考えているのだろうが、私の脆弱さも本物だ。

 

 人間側に着くのなら、人間に仇なすモンスターを殺すしかない。狩猟は命を奪うときに多大なストレスを溜め込み、発散はできていない。

 

(……中立って選択肢もあったのかな)

 

 迷っている私の背中は誰も押してくれない。

 

 食事という行為は快楽の一つで、この時は誰もが緩んだ空気だ。あちこちで笑顔が見えるし、みんなも世間話をしてくれる。私も、大勢で食べる御飯がいつもより美味しく感じられた。

 

「餡ころ様、生前……で、合ってるかわかりませんが、かつては人間だったのですか?」

「そうだよ。企業に勤める一般OL」

「おーえる?」

「キギョー……とは?」

「えーと……働く一般女性のことね」

「気になっていることを聞いても?」

「どうぞー」

「どんなお姿だったのですか?」

「独身ですか?」

 

 私の実年齢よりも一回りほど若いであろう兵隊さんは、初心で可愛らしいものだ。端正な顔立ちの若者たちは私よりも経験豊富に思えるが、化け物の私にも興味を示してくれている。女としては、社交辞令でも嬉しいものだ。

 

「独身だよ。ここに来る直前、彼氏と別れちゃったんだよ。他に好きな子が出来たから浮気されちゃってさ。お前は一人でも大丈夫だからってほんと最低男だよね」

「何たる無礼な!」

「縛り首にしましょう!」

「許せん……餡ころ様になんたる無礼な振る舞い。憎んでも憎み切れないほど」

 

 魔獣を狩っているときよりも殺気立っていた。逆ハーレムとも言える状況下でありながら、人間だったときのような嬉しさは感じなかった。人数が多すぎて顔と名前も覚えられないし、感情移入するほど時間が経っていない。

 

「いや、みんな怒り過ぎでしょ。異形種になっちゃったし、もう結婚は難しいかなぁ……」

「魔導国には異形種が人間に化けると小耳に挟みましたが」

「そのようなアイテムの開発も進められているようですね」

「な、なんならこの私が――」

「お前はすっこんでろ!」

「抜け駆けすんな! ぶっ殺すぞ!」

「なに、それ? もしかして私に惚れちゃったの? あっはっは!」

 

 実際にどう考えているかはさておき、暗くなり過ぎないように気を使ってくれているのだろう。御蔭で何となく気持ちがほぐれた。

 

 私が魔獣達を弱らせて、衛兵たちが袋叩きにするという一連の流れをこなし続けた。

 

 虹色少年の謎かけが解けたのは、しばらく先の三日月の夜だった。

 

 

 

 

 悪魔の笑顔に思える三日月の晩。

 

 星空の下、私は若い男の子たちとたき火を囲んで談笑していた。

 

「へえー、魔法書で勉強するんだー……それだと習得に何年もかかるよね?」

「他にやり方がわからないのです」

「じゃあ、戦って経験値を積みながら勉強したらどうかな。何事も経験値が必要なのがゲームのルールだし、試してみたら早く習得でき――」

「餡ころ様」

「ん、なに?」

「現れました。今夜の敵はバジリスクと、グリズリーの群れです」

「仲間の敵討ちに一族総出でやってきた感じかな」

 

 今宵の敵はいつもより多く、にわかに緊迫した空気が訪れる。

 

 私は最前線に立ち、爪と爪を擦り合わせて研いだ。金属同士を擦り合わせる不快な音で戦意を高揚させていると、頭の中で呼び出し音が鳴った。《伝言(メッセージ)》を使った連絡は初めてだ。

 

 こめかみへ指をあててみると、ドラちゃんの声が頭の中で聞こえた。音声チャットよりも精密な会話ができるシステムに感動した。

 

《餡ころ、いつこっちに戻る?》

《わかんないよ、しばらく補給しなくても平気だし》

《そうか……》

《なによぅ、私に会いたくなったの?》

《いいか、私の話を落ち着いて聞け》

《なによ、改まって》

《あの村がビーストマンに襲われ、一人残らず皆殺しにされた。セレブライト率いる捜索隊は別の場所で補給をして不在の日を狙われた。戦士系の男手が出払った深夜に、女子供、老人など一人残らず……》

 

 不意に、風が止んだ。

 

 ドラちゃんの声が遠ざかっていき、私の視界は紅に染まっていく。

 

 あの母子の顔が思い出され、記憶が燃えて灰になる。三日月が私を笑っている。愚かな私をせせら笑う。

 

「グオオオオオオオ!」

 

 根源的な恐怖を呼び覚ます獣の咆哮が轟いた。

 

 それが自分の声だと気付いたのは、魔獣だけでなく人間たちまで震えていたからだ。

 

 結局、私は甘かった。

 

 可哀想な村人たち、彼らの末路はどこまでも可哀想だ。私が甘かったから、可哀想な村人たちは全員、ケダモノどもに食い殺された。私が殺したのだ。

 

 その通り、私が甘かった。

 

 ビーストマンは皆殺しにしなければならない。そうでなければ、いつまでも人と獣の戦争は終わらない。共存共栄など甘ったれた夢に他ならない。笑わせるなよ、馬鹿野郎。

 

 私のせいで可哀想な村人たちは全員、殺された。私が甘かった、甘いから、甘いから、甘いから、甘かった、甘かった、甘いから、甘かった、甘いから――。

 

「ざけんじゃねえよケダモノがぁぁあ!」

 

 叫ぶと同時、頭の中で伸びたゴムがブチンッと千切れるような音が鳴り、体の奥で何かが爆発した。心を守っていた壁をぶち抜き、呪縛する倫理の鉄鎖を引き千切っていく。全身を巡る血液が沸騰しているように熱く、私を前に駆り立てる。

 

 衝動が敵を殺せと喚き散らし、体が勝手に走り出す。

 

《心せよ、それは反動と呼ばれるものだ》

 

 私のアバターに込められた野性は今、多大なる反動を伴って目を覚ました。

 

 獣の群れに飛び出した私は、怒りのままに目に着く者を殺した。これまでの最低限な殺しではなく、快楽のための殺し。敵意と殺意は殺したくらいでは満足せず、何度も死体を切り刻み、牙を立てて肉を食い破り、子供だろうと容赦なく爪で引き裂いた。

 

 一度でも爆ぜた野性の熱は冷めることなく、次の殺戮へ駆り立てる。どれほど殺して満たされない。生き血が口を満たし、躊躇うことなく飲み下し、引きずり出した内臓を千切って食らった。食らうたび、体の奥から熱いものがこみ上げ、心の形がぐにゃぐにゃと変容しているような気分だった。

 

 ものの数分で、草原に臓物の絨毯が敷かれた。

 

 動くものがいなくなり、積み上げた獣の死体を登り、てっぺんに乗せられたバジリスクの頭を踏みつけた。

 

 とても気分がよかった。

 

「ウォォォオオオン!」

 

 私は全力で月に吼えた。

 

 野獣の咆哮は遥か彼方まで轟き、血の匂いが他の魔獣達を呼び寄せる。次の獲物を、殺すべきケダモノどもを招集する。爪も牙も、獲物を狩るために研ぎ澄ませるもの、ケダモノたちを殺すもの。

 

 繰り返される宴、臓物と鮮血に彩られた草原を舞台に、現れる獲物の命を刈り取るために舞い続けた。

 

 静かに、笑う三日月が踊る私を照らしていた。

 

 

 

 

 翌日、私たちは帰路についた。

 

 道中、若き兵隊たちは口々に私がどれほど美しく、強かったかを称えたが、一晩明けて熱が冷め、やらかしてしまった私は借りてきた猫のように大人しい。

 

 随分と遠くまで行ってしまったため、私の魔獣討伐軍はたっぷり一週間かけて首都へ帰還した。到着して玉座の間へ走り込んだ私に、ドラちゃんは言った。

 

「血まみれだな……」

「体を洗い忘れたの!」

「返り血くらい落として来い。血生臭いから、体を洗え。話はそれからだ」

「なによっ! 女王なら我慢しなさいよっ!」

「いいから行け!」

 

 しばらく見ないうち、彼女の心労は更に増したように見えた。

 

 しぶしぶと井戸で水浴びをして、ついでに毛づくろいを済ませ、すっきりした私は改めて玉座の間に向かった。

 

「セレブライトは襲撃の報告を最後に消息を絶った……どう思う?」

「……最悪」

 

 ビーストマンという種族には、個として強い者はいない。一個小隊程度ならセレブライト一人で間に合う。何の連絡もなく消息を絶つという現実に、考えられる選択肢は少ない。

 

 それは、最悪にして最低と言える。

 

「まさかとは思うけど……プレイヤー?」

「……お前が、私のために暗殺したのかと思ったほどだ」

「勘弁してよ、兵隊さんを引き連れて暗殺も何もないでしょ」

「……だよな」

 

 世界最強の実力を持つ戦士、いわゆる英雄に匹敵するのはアダマンタイト級冒険者だ。獣に後れを取るとは考えられないが、連絡もなしに消えるとなればそれ以外にない。

 

「襲われた村の調査に出向いた者も戻らず、どれほどの被害が出ているのか把握もできん」

 

 物憂げな表情の彼女を哀れに思った。

 

「虹色大先生は?」

「……後ろ」

「魂は少しの物質しか必要としないが、肉体は多くのものを必要とする。このような時、人間は酒を飲むのだ」

 

 いつの間にか、茶色い瓶を抱えた美少年が壁に寄りかかっていた。

 

「いま一度問う。君は自らの本能を呼び覚まし、運命の歯車は噛み合った。悲鳴を上げて走り出す鋼鉄の運命は、弱肉強食の摂理を突きつけている。荒れ狂う大海原に投げ出された人と獣、本能を呼び覚ました人食い鮫の君は、どちらを先に食すのかね」

「……るっさいなぁ」

 

 私はきっと、中立になりたかった。人と獣、互いに相容れないのであれば、相容れないなりに共存共栄し、平和な世界にしたかったのだ。血が流れた今となっては、何もかも遅すぎる。

 

 私の内側から聞こえてくる本能は、敵を殺せと絶叫している。

 

「私の敵はビーストマン」

「中立を望むのだと予想していたが」

 

 人と獣、互いに相容れないのであれば、相容れないなりに共存共栄する選択肢は確かに存在した。ビーストマンの国家を復興し、あちこちから集めた死刑囚を餌として提供すれば、こちらは刑務所の設置をする必要がないし、死刑の手間も大幅に省ける。人間側が持つ積年の恨みつらみを無視すれば、国家として悪いことでは無い。

 

「恋と哀れは種一つ。恋愛体質気味の君は、人間に同情したのかね。哀れなる人間を守りたいと同時に、人間との甘い恋愛を望んでいるのか」

「そ――」

 

 そうだと言いかけて私の口が閉じた。

 

 頭にフラッシュバックしたのは、最後に別れた男の言葉。

 

《お前は一人で平気だけど、あいつは俺がいないと駄目なんだ》

 

(死ねや……)

 

 あの男と同じだとしたら、あまりに身勝手な振る舞いだ。私は恋愛依存症ではない。過ごした時間が短く、誰かにこいをするほど時間を共有していない。

 

 かといって哀れみも感じていない。私が惨殺した子熊の方がよっぽど可哀想だった。餌を探して静かに暮らしていた彼らは、出会った獣に一家惨殺されたのだ。それは、私がこの目で見たからに他ならない。

 

 それでも私を人間側に寄せようとするのは――。

 

「気に入らない。ビーストマンが気に入らないから……私は、ビーストマンが嫌い。そう思ったから人間側に着く。それ以外の意味なんかない」

 

 そうだ、それだけでいい。私はもう、人間ではない。化け物の私は気に入らなければ殴るし、ムカつけば殺す。

 

 少年の持つ酒瓶を奪い取り、一気に飲み干した。初めて飲んだお酒は、水と変わらず飲み干せたし、飲酒による酩酊は起きなかった。私は濡れた口元を乱暴に拭い、笑う少年に向かって言った。

 

「……満足した? 私はもう化け物だよ。酒なんて水と変わらない。人間のように酒を飲んで酔っ払って楽しむことだって、私にはもうできない」

「餡ころ……」

「私は、人間を守る……とか考えず、獣がムカつく。だから殺す」

「餡ころ……」

「ごめんね、ドラちゃん。私、聖人じゃないんだ。まあ、ドラちゃんの代わりに汚れ仕事をぜーんぶ! 私がやってあげるわね」

 

 小さいドラちゃんは私に歩み寄り、そっと私に抱き着いた。私からは見えないが、泣いているように思えた。

 

「済まない……餡ころ。私はお前に」

「あーそういうのいいから。取りあえず離れてよ、動きづらい」

「……お前は変わらないな」

「結構だ。プレイヤーの望んだ世界の改変、ビーストマン殲滅会議を執り――」

「女王陛下ぁ!」

 

 国の女王、プレイヤー、竜王が一堂に介した玉座の間に飛び込んだ異物。伝令を伝える近衛兵の顔は酷く青ざめていた。

 

「魔導王陛下の御友人と名乗る方が謁見を求めております!」

「私はここにいるよ?」

「そ、それが、また別の、その……はぁ、はぁ……ブジンタケミカヅチと」

「え? ……え? 誰だって?」

 

 私は近衛兵の肩を掴み、激しく揺さ振っていた。

 

「餡ころ! 止めろ、そんなに揺さ振ると死ぬぞ!」

「誰が来たって!? もういっぺん言ってよ、早く!」

「武人建御雷……」

 

 両手を離した途端、彼はその場に崩れ落ちた。更に事態は混迷を辿っているようだ。

 

 黙っている私の耳は、少年の呟きを逃すことなく拾い上げた。

 

「変革の始まりだ……」

 

 

 

 





次回、「いざ燃やせ、陽の当たる侍道」



「武士道とは死ぬことと見つけたり!」
「馬鹿が……」
「ほんとバカ」
「弁慶かっつーの」


※閲覧注意※
ちょっとエロい
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。