薔薇と蛇の招待状   作:用具 操十雄

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※性格更生はNPCを参考に。しかし、サムライはマゾではない
全飛ばしは推奨しませんが、流し読みは問題ありません。


いざ燃やせ、陽の当たる侍道

※共通

 

 

 例えば、現代社会において食人鬼が出現したのなら、末路は安楽からほど遠い悲惨な死だろう。異物に排他的な社会は、人食いに生きる権利を与えない。これに関しては議論の余地がない。

 

 ならば、食人種が犬や猫並に、あるいはそれよりも当たり前に種が確立された社会、弱肉強食の世界(ファンタジー)ならどうだろうか。

 

 人間の優位性が保証されない世界に生まれたのなら、生きるために戦うしかない。食人種の視点でみれば、やはり生きるために戦い、喰らうしかない。

 

 どちらに生まれようと、戦い続けるしかない。

 

 しかしその根本は現実と変わらない。弱者は常に犠牲・供物にされ、強者は積み重なった屍の山の上に拳を振りかざして正義を叫ぶ。自分の敵は誰か、現代社会という複雑なシステムの中で難解かつ回りくどい手法で覆い隠されているだけだ。異世界だからこそ、この問題を考えるというのは、思考放棄して生きてきた証明に他ならない。

 

 何人であろうと、戦いの宿命から逃れることはできない。

 

 ()は現実の残虐性を理解した上で、異世界へ飛び込むのだ。

 

 他者を圧倒する強さを携えた、本物の化け物として。

 

 

◆※表

 

 

 私は異世界へ”熱”を求めた。

 

 魂を焼き尽くす熱情を。灰になるまで身を焦がす業火の生を。命まで燃やし尽くす刹那の紅炎を。たった一つの命を散らすことになろうとも。どうせ遅かれ早かれ人は死ぬ。

 

 一騎当千、一騎駆け、混沌の世界を切り裂く一本の刀として、戦いの世界へ身を投じたい。一瞬だけ煌めいては儚く消える火花のような生、それはとても魅力的な生き方だと私は思う。血に塗れた修羅の果て、戦闘狂の馬鹿馬鹿しい生き様は、かくも私を魅了する。意のままに振る舞えぬ歯車の生と比べ、如何ほどに充実した生だろうか。

 

 これは唯一無二の、天が与えた奇跡だ。

 

 望むべき役割演技(ロールプレイ)は、武士(もののふ)のみ。立ちはだかるもの、情け容赦なき刃にて切り捨て御免。戦地に赴くは侍の生き様にて御座候(ござそうろう)

 

「我が名は武人建御雷! 信念に従い、最強の聖騎士を討ち倒すもの(なり)!」

 

 深夜、気分の高揚に堪えきれず、盛り上がって叫んだ。懐かしきユグドラシルのアイコン、適度に愛でてからクリックすると視界は闇に飲まれ、遠くに銀色の門が見えた。

 

 そして到着した異世界、見渡す限りの大草原が出迎えてくれた。

 

 優しく顔を撫でる風が心地良い。空気は味がするほど濃密かつ鮮烈。太陽は空に居座り、平和な草原へ陽光を降り注いでいる。異世界はのどかで平和で、戦乱の痕跡は見られない。

 

 不意に背後から、血の飢えた獣の息遣いが聞こえた。急いで振り返ると、そこには誰もいなかった。

 

「誰かいるのか?」

 

 呼びかけに返事はなく、自分以外に生物の姿は見えない。唐突に敵と遭遇(エンカウント)する危機は回避できた。

 

 武人を演じる自分が手ぶらなのがどうにも収まりが悪い。装備品の所持はしていないが、囚人服のようにいい加減で簡素な服を身に着けていた。全裸でいきなり草原に放り出される危機もまた回避していた。

 

 1キロほど先、都市が見えたので何も考えずそちらへ足を向けた。

 

 近づくにつれて同方向へ向かう人間が増えていく。手近な人物へ気さくに手を振って会話を求めるも、相手は怯えて逃げだした。記憶していた自分の姿と、現実の姿に激しい乖離があるのは厄介なものだ。意思の疎通の前段階、階段を一歩登ろうとしたところで踏板が引っこ抜かれたようだ。

 

 それもまた致し方なく、私は無言で歩き続けた。武士が気さくにあちらこちらへ話しかけるのはおかしい。サムライとは硬派なもの、口数も忍者に次いで少ない。清貧や体面を重んじなくて何が武人か。

 

 海をかち割った聖者に(なら)い、人の群れをかき分けて作った一本道を都市へ向かった。

 

 高い城壁に囲まれた巨大都市の入り口の前で顎をガチガチと鳴らして考えていると、堅牢な門扉から雪崩でてきた兵隊が取り囲んだ。槍だの剣だの弓だのの切っ先は一斉に私へ向けられたが、武器の程度が低すぎて命の危機を感じない。

 

「お、おい! 言葉は通じるか!」兵隊の誰かが叫んだ。

 

 返事の代わりに頷くと、一名がおっかなびっくり近寄って職務質問が始められた。書類と鉛筆を広げる彼を見ていると、どこかでカタカタと鳴る音が聞こえた。音源を探すと、目の前に立つ青年の口の中、上下の歯が小刻みにぶつかり合っていた。

 

「そこまで恐れずともよい」

「しゃ、喋った!?」

「当然であろう」

「そ、そうだな……」

「うむ」

 

 彼も彼で混乱しているように見受けられる。会話のかみ合わせが悪く、何度も間ができた。役割演技(ロールプレイ)を間違ったのだろうかと、心に不安の源泉が湧き上がった。

 

「な、名前!」

「我が名は武人建御雷」

「えー、所属は?」

「所属か。所属は異形種ギルド、アインズ・ウール・ゴウン、41人の一人。序列は11番。即ち、西向くサムライなり」

 

 取り囲んでいる兵隊たちがどよめき、口々に何かを囁き合っている。何らかの反応が見られたので、横に並ぶ複数の目で周囲を窺いながら待った。

 

 不意打ちで背後から叫び声がしたもので、驚いて叫びそうになった。

 

「ここでお待ちください!」

「失礼いたしましたぁ!」

 

 私を取り囲んでいた全員、家主に見つかった泥棒がするように足をもつれさせて方々の体で逃げていった。都市の入り口で、決して近寄ろうとしないがその場を動こうともしない野次馬から遠巻きに囲まれ、しばらく放っておかれた。

 

(あの雲は猫っぽいな)

 

 剥きだした歯をガチガチと噛み合わせながら、上空を漂う雲の形で連想ゲームをしながら暇を潰していると、先ほどの衛兵たちよりも装備のグレードが上の青年が現れた。

 

 こちらを見上げ、目上の者にするように深々と一礼をしたので、私も習って頭を下げた。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の御友人とお聞きしましたが」

「魔導王? 誰だ、それは」

「え……ご存知ありませんか? アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下のお知り合いと」

「魔導王など知らぬ。私が知るのは異形種ギルド、アインズ・ウール・ゴウン。魔導王とは何者か」

「え、いや、あ……餡ころもっちもち様はご存知ですか?」

「勿論、知っている。彼女はここにいるのか? 私は今日、こちらへ来たばかりで」

「し、失礼いたしましたぁ!」

 

 どうにか納得してもらえたようだ。これより待遇は一変し、宮廷まで送ると言われて馬車を手配された。背の高い異形種になった私に馬車は手狭で、頭が天井にぶつかっていた。狭苦しい社内で身動きすらまともにできず、物置に放り込まれた気分だ。

 

 それにしても先客がいたとは幸い、詳しい話は彼女から聞けばいい。

 

 小窓から伺えるのは異世界の都市。観光をしてみたいが、今は彼女と会わなければならない。石畳を走る馬車の揺れに身を委ね、案内されるままに宮廷へ着いた。いかにもファンタジーらしき宮殿だが、地味で簡素な造りだ。

 

 兵隊に導かれた玉座の間で、小さな少女と餡ころもっちもち女史が待っていた。久方ぶりに見た彼女のアバターは、本物の肉体が持つ生命力と美しさを携えていた。オフ会で会った時とはまるで違う魅力が彼女から発せられている。

 

(なんと美しいアバターだ……)

 

 女性に不慣れな私は動揺をぶっ殺し、心の奥底まで沈めた。眉間に皺を寄せた餡ころもっちもちが手招きの後、右手を差し出して向かいに座るよう促した。

 

「お久しぶり、餡ころも――」

「あー、挨拶はいいから、さっさと座って」

「あ、はい……」

 

 知り合いを前に役割演技(ロールプレイ)は難しい。旧知の間柄では羞恥心への抵抗力が要求される。加えて彼女はなぜか機嫌が悪い。

 

 恐る恐る腰かけるとソファーがずっしりと沈んだ。目と目では何も通じ合わず、会話の糸口を探す沈黙を経て、餡ころ嬢が尋ねた。

 

「で? そっちから何か言うことはないわけ?」

「な……ナニが?」

 

 深いため息を吐いて彼女は続けた。

 

「あのさぁ……確かに、建御雷さんと私じゃあ、やり合ったらそっちが勝つよ。多分、いや、間違いなく建御雷さんの方が強いと思うの。それは認めるけどさ、だからってビーストマン側について村を襲撃したり、竜王国の冒険者を殺すなんて最低よ。本当に人間辞めちゃったの? 他のメンバー、そんな姿をみたら悲しむと思うよ」

「いや、あの……話が見えな――」

「しらばっくれないでよ! 全部、知ってるんだから!」

 

 餡ころの視線には旧友へ向ける温かみがなく、嫌悪が宿っている。隣の可愛らしい少女も、私を懐疑的な目線で見つめていた。痴漢の濡れ衣を着せられた冤罪者の気分だ。被害者の少女を庇う大人のお姉さんと、明確な容疑者の私。

 

 二人の女性から嫌疑を掛けられて尋問されるのは初めてだが、新鮮であっても気分の良いものではない。背骨を汗が滑り落ち、緊張で体中が熱くなる。

 

 求めた熱とはほど遠い、厭な緊迫感だ。

 

 気が付けば素に戻って弁解していた。

 

「あ、餡ころもっちもちさん、再会していきなり何ですか。何が起きているのか説明くらい、してもいいんじゃありませんか?」

「だからぁ!」

 

 苛立ちが頂点へ届いたらしく、机を叩いて立ち上がった。今にも襲い掛かってきそうな雰囲気に、でかい図体の芯が縮こまる思いだった。

 

「竜王国の村をケダモノどもと襲ったでしょう? 可愛そうな彼らを殺したことはぁ! 絶対、許さないんだから!」

「はい?」

 

 反応が鈍く、黙っている私を見て、餡ころの顔から険が消えた。ここで勘違いだと気付いてくれる人で本当に良かった。

 

「あれ?」

「誰と勘違いをしてるんですか?」

「……マジで何も知らないの?」

「知るも何も、私は今日、ここに来たんですが」

「……マジ?」

「まじまじ」

 

 会話の切れ間、唇のない剥き出しの歯がガチガチと噛み合った。意識してやった行為ではないので、アバターの癖かもしれない。

 

 疑いが晴れたとは言い難いが、少女と獣娘はヒソヒソと何かを囁き合った。向かいで囁いているので時おり「話が違う」だの、「こんなはずでは」だのと言葉の切れ端が聞こえている。内緒の話は別の場所で済ませてもらいたいものだ。

 

 結論が出たらしく、互いの顔を見て頷いてから餡ころが立ち上がった。

 

「ターイム!」

 

 両手でTの字を作って叫んだ。少女の手を引っ張って走り去る餡ころはレベル100相応の力があるらしく、少女の両脚は天井を向いて、めくれ上がったスカートの中に純白の下着が見えた。

 

 そのまま扉を蹴破って出て行き、私は一人で残された。異世界に来た初日、私は頻繁に放置をされる。

 

「何だかなー」

 

 シャボン玉よりもか弱い呟きが割れた。際立たせた静寂の最中、入口の扉が少しだけ開かれ、餡ころが頭を覗かせた。

 

「建御雷さんてロリコンだっけー?」

「いいえ、違います」

「そか。すぐ戻っから待っててねー!」

 

 また頭が引っ込んで、再び静寂が玉座の間へ訪れた。情報不足の私へ、何が何だかわからないまま、何が何だかわからない事態は続く。

 

 ギィィと悲鳴を上げて扉が開き、餡ころが戻った。

 

「お待たせ!」

「ちょっと餡ころもっちもちさん、一体なんなんで――」

 

 振り向いた私の言葉は鈍化(スロー)を掛けられた。視線を釘付けにして体を硬直させたのは、餡ころの後ろから追従する一人の女性だ。

 

「すかぁ……」

 

 言葉は尻すぼみになって消えた。

 

 特権階級者の前にしか降臨することのない女神、夢や妄想の世界にしか存在することない大輪の花、飢えた狼の欲望を刺激して理性を奪う神の作りし芸術。

 

 どれほど称賛を込めた形容をしようと、ここにいる絶世の美女の魅力を伝えるには言葉が足りない。真に絶世の美女とは、こうも男の視線を釘づけにしてしまう。

 

 視界の片隅、餡ころがしてやったりとほくそ笑んでいる。そうと知りつつ、私の視線は彼女から離れられない。立ち上がって手を伸ばせば届く距離に、生身の美女が息づいている。

 

 彼女は緊張を匂わせるぎこちない動きで対面のソファーへ座った。腰かける際、やや俯き加減で豊満な胸が強調され、更なる膨張を求めているかのように揺れ動いた。

 

「はーい、注目!」

 

 餡ころが手を叩き、視線を呼び寄せる。そこでようやく私は我に返って咳払いをしたが、少しも誤魔化しきれていないだろう。視線は断固として胸の谷間への帰還を請求し、未練がましく何度も視線が動いた。

 

 まったく、武士が聞いて呆れる。

 

「こちらの淑女はね、私の友達で竜王国の女王なのです。何とまだ処女で、今ならこの国を救ってくれるヒーローに全てを捧げる所存なのでぃす」

「おい、餡ころ……間違っていないが、そんな説明をするな」

 

 顔に似合わぬ太々しい口調だったが、美はその程度で揺るがない。その姿では何をしても様になるものだと、餡ころと会話している数秒間だけ見惚れた。

 

「いいじゃん。ドラちゃんだってこの姿の方が気楽でしょ?」

「う……ん、まぁ……」

「顔良し、胸良し、立場も良し! こんな優良物件、なかなか無いよ?」

 

 私は静かに頷くと、顔を赤らめた美女は小さく頭を下げた。

 

「確かに、美人だ」

「あ……ありがとう」

 

 何も通じ合わないが、私たちはお互いに見つめ合った。餡ころが大袈裟な咳払いをするまで、出会った男女は静かに見つめ合っていた。

 

「ゴホン! ゴッホゴホ! ウォッホン!」

「は……失礼」

「ドラちゃん!」

「あ、は、ゴホン!」

 

 風邪が流行っているらしい。

 

「お初にお目にかかります、武人建御雷様。私はこの竜王国を統べる女王、ドラウディロン・オーリウクルスでございます。先ほどの小さな少女は、私が変化した姿。曾祖父様で国家の祖である、七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)の曾孫にあたり、変身能力は遺伝でございます。支配国である魔導国を束ねる魔導王陛下の御友人として、以後、お見知りおきを」

「あ、よ、よろしくお願いします」

「なあにー? 照れちゃってぇ、かーわーいーい!」

 

 冷やかしの通り、私は美女を前に照れている。事前に考えていた役割演技(ロールプレイ)など何処かへ飛んでしまった。異世界転移の役割演技(ロールプレイ)は初日から転びっぱなしだ。

 

 焼きたての食パンのように、反射的に指で押したくなる豊満な胸と純白の素肌を持つ美女を前に、動揺しない男がいるのならお会いしたい。目線を動かした隣で、餡ころ女史が自分の胸を強調するように腕を中央に寄せた。

 

「それとも私の方が好みだった?」

「い、いや、早く説明を……」

「では、女王の私からこの国をかいつまんでお話を――」

「ちょっと待って、ドラちゃん」

 

 餡ころが急に周囲を見渡し、美しい女王は眉間に皺を寄せた。

 

「虹色大先生は?」

「彼の帰還を聞いて、さっさと出て行ったぞ」

「何でよ。冷たいんじゃあなぁい?」

「今度こそ世界の革新をこの目で見届けるのだ。……と言いながら立ち去られた。曾祖父様のお考えはよくわからん」

「絶対、なんか知ってたよね」

「私もそう思うが、何か深いお考えがあるのだろう」

「そうかなぁ……」

「あのー……話の続きを」

 

 

 武士の名が廃るが、美女とお近づきになっている餡ころもっちもちが羨ましい。

 

 

 

 

 不必要な三時のおやつ休憩で煎餅が振る舞われた。ガリガリと噛み砕きながら話は滞りなく進み、説明されること小一時間。聞く一辺倒に努めた甲斐あって、モモンガさんの作った魔導国、その属国である竜王国の状況は把握できた。

 

 戦場を駆けるいくさ人に垂涎ものの舞台だ。私と餡ころ嬢の転移時期の差は、各々が望む舞台のために調整してくれているのかもしれない。

 

「そのタイミングで私が来たら誤解するかもしれませんね」

「本当は、まだちょっと疑ってたりして……」

「餡ころさん……」

「本当にタケちゃんじゃないの?」

「タケちゃん……?」

「あん、だめぇ?」

 

 人差し指を唇に当てながら上目遣いする獣娘に反論ができない。距離の詰め方が上手いのは、累積した恋愛経験値が成せる業だろう。思わせぶりな態度も何らかの思惑があるに違いない。間違いなくそのはずだ、そうでなくては困る。

 

「でも、タケちゃんが来てくれて本当に良かった。ドラちゃん、彼は41人中、上から数えたほうが早い強さなの。魔法は使えないけど、物理的な攻撃力ならモモンガさんより強いんだから」

「そ、そうなのか? 魔導王陛下より上がいるのか」

「だよね、タケちゃん」

「装備が本来であればの話ですよ」

 

 彼女の言う通り、装備を整えれば上から数えたほうが早い。作りかけの武器を完成させたうえで、他の必要な条件が揃えば、最強の正義と互角以上に渡り合えたと自負している。

 

「せっかく来てくれたから色々と話したいんだけど、今日は来たばかりだからゆっくり休みなよ。ドラちゃんが部屋を用意してくれるから。明日、何かしたいことがあれば聞くけど?」

「そうですね……武器が欲しい、かな。できれば刀が。それと、この国で一番強い騎士に稽古をつけてもらいたい。戦闘訓練は必要でしょう」

「あー……そっか、今日来たから何も知らないんだよね。あのね、この世界の英雄のレベルは低いよ? 30で英雄級っていうから、まず物理関連の無効化を貫通出来ないよね。大抵のプレイヤーは雑魚対策でその手のパッシブ取得しちゃってるし」

「はっはっは、面白い冗談ですね」

「いや、マジ」

「嘘でしょう? 嘘と言ってください」

「本当だってば」

「はぁぁぁぁ……」

 

 やる気のない深い溜息後、私は頭を押さえて項垂れた。

 

 英雄が30レベル相当の世界に降り立った私は、レベル100の異形。今より強くなれないという結論に失望を禁じ得なかった。世界が弱い系の話はすぐに行き詰まる。私の人生は既に終わり同然(エンディング)だ。

 

「死のう……」

「えぇ? なんでよ。だって、何もしなくても最強なんだよ?」

「鍛錬の成果がないのが虚しい。弱者が己の力でのし上がって戦場を駆けるのが理想だった」

「成り上がるならドラちゃんと結婚すればいいじゃない」

 

 隣の女王が餡ころを睨んでいた。

 

「権力的な意味じゃなくて、戦いたかったんですよ」

「バトルマニア系? あ、でも、敵はいるよ。これからビーストマンの残党を皆殺しにして、英雄級の冒険者を殺した敵プレイヤーを倒さなきゃいけないんだから」

「餡ころさんもだってでは最強級なんでしょう? 横から入って活躍するつもりはありませんよ」

「いやいや、異世界でPVPって、負けた方は死んじゃうでしょう? 私、痛いのも死ぬのも嫌だもん。タケちゃんがいれば1対2で楽勝でしょ」

「しかし、それは殺人に――」

 

 言いかけて口を噤んだ。戦場の修羅になると豪語した者が、何と下らないことを言おうと思ったのだ。この異世界において殺人という行為は現代社会ほど厳しくはない。敵大将の御首(みしるし)を上げずになんとする。

 

「この国を助けてくれないの? こんないい女が困ってるのよ?」

 

 現代の倫理は机上の空論だ。そんなものに縛られると、縋るような目で私を見ている女王のように困っている善人を見殺しとする下劣な性悪論だ。

 

 獣娘の手が美女の肩に置かれた、女王が私を真正面から眺めた。

 

「タケミカヅチ様、私にできることならば、どんなことでも致します。妻になれというならば、あなたが死ぬまで尽くしましょう。魔導王陛下に頼めば、人間に化けて世界を楽しむことができます。情交も人間と同様にできます」

「私は化け物ですが」

「構いません。お望みのまま、破瓜の痛みに耐えて見せます」

 

 女王陛下は追い詰められた顔をしている。彼女の身に纏っている影が、駄目男に捕まって生活に疲弊する人妻のような色気を醸し出していた。これはとても魅惑的な提案で、私の中で構成されている武人が蜃気楼のように揺らいでいる。

 

 この場で無下に断ることはできない。元人間の私が異形種側につく理由がないし、私の反応を観察している餡ころと戦闘になりかねない。

 

 脳裏に浮かんだ正義の幻影が私を惑わせる。

 

『困っている人がいたら、助けるのは当たり前!』

 

 鳴門海峡の渦巻きよろしく、ぐにゃぐにゃと思考が歪んだ。

 

「女王陛下。拙者、己が剣を捧げるに足る主君の旗の下で戦わせていただきたい。ご助力の件、しばし時間をいただきたいでござる」

「そうですか……」

 

 侍の態度に困惑が見て取れた。

 

「わー、実機でロールプレイしてるよ。それ、サムライ?」

「餡ころさんはロールプレイとかないから楽ですね」

「そんなことないわよ。私はもうロールプレイしてるけど」

「何の?」

「女」

 

 人差し指を唇に当て、思わせぶりにウィンクした。性別は役割演技(ロールプレイ)が必要だとは知らなかった

 

「大丈夫だよ、ドラちゃん。これでもタケちゃんは優しいんだから」

「今日、初めてタケちゃんと呼ばれましたが」

「餡ころぉ、適当なことを言うな。困っていらっしゃるじゃないか」

 

 どちらかと言えば、気さくな態度で私にも接して欲しい。

 

 姉妹のように仲の良い二人の女性を前に、疎外感を禁じ得なかった。

 

 

 

 

 武士と騎士。両者の明確な違いの一つとして、仕える主君が挙げられる。

 

 武士は己の矜持のため、騎士は主を守るために戦う。ここで女王陛下を助けるべく剣を取り、敵プレイヤーの前に立ちはだかるは騎士の(いくさ)。彼女をものにしようと思うなら即答で従うべきだ。そう考えてしまうほどに、彼女はいい女だった。

 

 それでは、私はなぜそうしなかった。

 

 魔法道具の照明がぼんやりと照らす室内。キングサイズベッドの中央に大の字で転がり、天井を見上げながら鼻歌を口ずさむ。

 

「鬼にぃ会えば鬼を斬りぃ、仏にぃ会えば仏を斬りぃぃ」

 

 私は熱くなりたいのだ。己の生を全うし、修羅の道を行く武人。武士は食わねど高楊枝、女に骨抜きにされる侍など侍にあらず。

 

 自分で思うより、私は我儘だったらしい。

 

 一騎当千は男の夢。私の求める熱は騎士ではなく、武士(もののふ)にあり。私はこの世界へ闘争を求めた戦闘狂、殴り合って分かり合える単細胞を演じきりたい。

 

 弐式炎雷さんと互いの背中を守りながら、共闘して戦場を踏破する妄想は血が騒ぐ。女一人に惑わされる私は、ザ・ニンジャさんから何を言われるか分かったものではない。

 

『建やん……サムライのロールプレイは現実に忘れたか?』

 

 腕を組んでこちらを見下ろす彼の姿が天井付近に浮かんでいる。女王を娶るなどと、とても彼に顔向けできない。

 

 不意に扉がノックされ、忍者の幻が消えた。

 

「建御雷さま、夜分に失礼します。ドラウディロンです」

「どうぞ……」

 

 必死で諫めたここまでの自己啓発が、彼女の声を聞いただけで揺れている。欲望は御しがたく、男とは実に救いがたい。

 

 ベッドから体を起こすと、薄手の寝間着に着替えた彼女がしずしずとこちらへ歩いてくる。彼女と目が合うたび、心臓が跳ねあがるので溜まったものではない。戦う前に心筋梗塞で卒倒しかねない。

 

「何か?」

「その……人恋しいもので」

「それは難儀ですな」

 

 自分でも何を言っているのかわからない。シースルー生地のネグリジェを身に纏い、下着まで透けている彼女に理性が消し飛ばされようとしている。

 

「昼間に話したのは全て本気です」

 

 彼女は無言でベッドの縁へ腰かけ、私に背中を向けた。

 

「な、なんなら、これから私を抱い――」

「どうにも解せんのですが、尋ねても良いだろうか?」

「……どうぞ」

 

 誤魔化しがてらの話題転換に、怒っているような返事が聞こえた。

 

「戦争はモモンガさんが終わらせている。餡ころもっちもちさんが協力すれば、ビーストマンの残党や敵プレイヤーなど物の数ではない。助けるも何も、餡ころさんがいれば結果は見えている。あなたが私に身を捧げる必要も無ければ、次の戦争が起きることもない」

「弱者の苦しみがわからないのですね……」

「そうだろうか」

「おっしゃる通り、敵国家は既に壊滅され、残存兵力などたかが知れている。それでは此度の戦で勝利を挙げ、皆さまが魔導国へ帰った未来、この国に何が待つのかわかりませんか?」

 

 今回の戦争が終わって、何が残るのかと問われている。しっとりとした雰囲気を壊さぬよう、慎重に答えを選んだ。

 

「何も残らない……か?」

「ビーストマンが絶滅したとしても、せっかくこの国に舞い降りた建御雷さま、餡ころはいずれ魔導国へ向かう身。強者の消滅したこの国で暮らす人間たちは、食人種や魔獣達に怯えながら次の強者を待たなければならない。この国を守ってくれる存在を」

「それこそ魔導国へ要請するべきでは?」

 

 彼女のしなやかな手が、私の大きな手を鍵盤をなぞるようにそっと置かれた。

 

「あなたがこの逞しい腕で剣を振れば、戦況は変わってしまう。プレイヤーの強大な力を目の当たりにした民は、貴方を戦神として崇めるでしょう。しかし、戦争が終われば魔導国へ行かれる身。長きにわたって食人種に虐げられた竜王国の民は、強者へなびきやすい体質になっている」

「なるほど、魔導国の手配した守護者では役不足か」

「私とあなたが婚姻を結べば、憎悪で綴られた竜王国の歴史に、純白で装飾された安息の日々が始まる。強者に守られるという安息とは甘美なもの。国を統べる魔導王の友人、人間に慈愛を注ぐ異形の強者。国民を安心させるにこれ以上の話題はないのです」

 

 しなやかな手が、私の二の腕を登り、胸へと移動する。背筋へぞくぞくとした悪寒が走り、鳥肌が浮き立った。彼女の行動が求愛ではなく打算だとしても、その誘惑を突き破るには相応の胆力が必要だ。

 

「あなたは竜王国の救済を感じさせてくれた。私の夫になっていただけるなら、この体を好きになさって構いません。欲望に身を委ねて何度でも私を抱き、好きなだけ子を孕ませることができる。その後で、後宮も好きに作ればよろしいでしょう」

 

 突き詰めれば、ここに降り立ったのが他の男性メンバーでも同じことを言ったのだ。ならば、ここで私が彼女を抱く必要はない。彼女にその身を捧げるプレイヤーは、41人の中で一人くらいはいるだろう。

 

「全てのプレイヤーが異性や情交に重きを置くと思わないでいただきたい。遅かれ早かれ、他の者たちも来る。41人もいれば、誰かがあなたを愛してくれるだろう」

「……うっさいなぁ。さっさと抱けばいいものを」

 

 唇を尖らせ、拗ねた顔で文句を言う彼女が、素の表情を見せてくれているようで嬉しかった。これで私の数十倍も年上だというのだから異世界の法則には驚かされる。

 

 月明かりが差し込んでいる窓の端、黒い影が動いた気がした。私は彼女を退けて窓際へ立つ。開け放つと、新鮮な夜の空気が舞い込んできた。周囲を見渡しても誰もいない。ここは宮廷の上層階で、人間は存在できない場所だ。

 

 振り返って私を籠絡しようとする女王を眺めた。

 

「訪問客の私に敬称は必要ない。餡ころと同様に接して貰って構わん」

「そうか……?」

「女王ドラウディロン殿、誰かれ構わず身を捧げる必要はない。やがてその身を尽くしてくれるものが現れる。私は女王との婚姻を望まない」

「……ならば聞かせてくれ。お前はこの世界で何を望むのだ」

「炎の如く燃え上がる生を」

「お前……もしかして馬鹿か?」

 

 そう言われて悪い気がしないどころか、褒められているようで口が勝手に歪んだ。にやけている異形の私に、彼女はため息を吐いてベッドから飛び降りた。そっと音を立てずに近寄り、華奢な手が私の右手を掴んで自らの胸へと誘導する。

 

「それでも男か。こんないい女を前にして、抱きたいと思わないのか?」

 

 私の役割演技(ロールプレイ)は再構築するたびに瓦解する。私はそっと優しく、たんぽぽの綿毛を撫でるように彼女の胸を揉んだ。とても揉み心地が良く、劣情に身を委ねるのも悪くないと思わせた。

 

 そう悩んだ短い時間、私の右手は彼女の乳房を揉み続けていた。

 

「ふっぅ……」

「……御免」

 

 女王の紅潮した顔に喘ぎ声が艶めかしい。いつまでも味わっていたくなるような心地よい感触を差し止め、右手を離した。

 

「私は人間ではない。こんなことをしても、人間だった時ほど喜びはない」

 

 どの口が言うのかと自分でも思う。

 

「人型に近い相手を選ぶでござる」

「ゴザル?」

「自分の部屋へお帰り願いたい」

「面倒な奴だな」

 

 彼女は背伸びして剥き出しの歯を奪おうとしたが、背が高くなった私には届かない。

 

 無骨な武人に甘い恋愛劇は無用の長物。

 

 彼女は頭を抑える私の手を潜り、挙句の果てにベッドへ飛び込んだ。枕から羽毛が複数枚、吐き出されて眼前を舞い落ちた。

 

「今日はここで寝る。光栄に思え、女王が添い寝をしてやるのだ」

「……なにゆえ?」

「私に惚れるがいい。そして離れられなくなればいいのだ。これでもずっと我慢していたのだ、小さい体では色々と不便でな。私の本当の体はいい女だろう」

 

 「ふふん」と挑むよう笑って靴を脱ぎ捨て、その胸を両手で持ち上げて揺らした。なんと下品な振る舞いだ。

 

「これにて御免」

「え? ……あ、待てこら。待たんかい!」

 

 打算の夜這いを回避する策は逃走のみ。

 

 異世界初夜、私は王宮の片隅で野宿する羽目になった。本物の流浪人になったようで気分がいいが、明日以降、全く同じ状況が繰り返されるのだと考えると億劫だ。

 

(異世界へ女抱きに来たわけじゃない。わけじゃないが……)

 

 畜生、本当にいい女だった。

 

 私は欲望を鎮火すべく、人目のない場所を探し回った。

 

 

 

 

 賢者モードを引き摺りながら王宮の庭で横になっている浮浪者の私は、心地よい朝に立ち上がって大欠伸をした。

 

「おっはよー!」

「うおわああ!」

 

 餡ころもっちもちが明るい笑顔で不意打ちをかました。油断していた背中に平手打ちをされ、涙ぐむほど痛かった。プレイヤーに対抗するにはプレイヤーだと痛みで思い知らされた。

 

「痛ったぁ……餡ころさん、手加減を」

「それでも武人かい!」

「……すみません」

「うふふ……武器屋、行こっか! 朝食も食堂に用意してくれてるみたいだから、案内するね」

 

 食堂で用意されていた朝食を食べさせられ、足早に私たちは外へ出て行った。食事に感動する時間をまともに与えらえれず、まくし立てる餡ころの話に対して聞き役へ回された。

 

「だからね、魔獣とビーストマンは違うの。慣れないうちは知性のない魔獣を倒すといいわ。私もここの兵隊さんたちのレベルアップも兼ねて夜、外回りしてたもの。タケちゃんも戦闘訓練なら夜、外で魔獣を――」

 

 彼女はとにかくよく喋る。

 

 武器屋へ案内してくれるのはありがたいが、餡ころ女史の密接な距離感が気になり、武器屋の打ち合わせも上の空だ。ひん曲がった刀ができないといいのだが。

 

 通行人たちの好奇と恐怖の入り混じった不可思議な視線にざくざくと刺され、武器屋を出てすぐ宮廷へ戻った。獣娘の胸の感触がいつまでも右の上腕二頭筋あたりに残され、もはや観光どころではない。

 

 食堂にて用意されていた昼食を食べるが、彼女の唇、胸、くびれの曲線など、一度、意識してしまった現状、彼女は私の中で女になってしまった。女性らしさを感じる場所へ視線が吸い寄せられ、砂でも食っている気分だった。せっかくの食事だというのに、性欲に支配された男とは御しがたい。

 

(野獣、死すべし)

 

「――でね……ってタケちゃん、聞いてるの?」

 

 頭を前に押し出すように顔を覗き込む彼女に、顎を開いて見とれてしまった。彼女のように明るく、こちらへ関心を示す女性は大半の男性が好みだろう。恐らくは、こちらを窺って遠巻きに囁き合っている衛兵たちも同様に。

 

「聞いてなかったでしょ!」

「あ、はい……すみません」

「もうっ。午後は兵隊さんたちの稽古をつけるから付き合って。若い子なんて可愛いもんよ。なんか教師になった気分ていうか」

「やまいこさんがいれば良かったですね」

「うーん、でもやまちゃんは優しいから、この国には合ってないと思うな。話ができる魔獣は殺せないと思う」

「そうでしょうか」

「侍のロールプレイは止めたの?」

「……かたじけない」

「なんか違くない、それ」

 

 それにしても言葉が尽きずによく喋る。女性は男性の三倍も話すというが、彼女は私を基準にして軽く五倍は話している。

 

「――ねぇ、前向きに考えておいてよ」

 

 気が付けば、机に置かれた私の手に餡ころの手が重ねられていた。

 

「あ、は、え? 何の話でした?」

「ドラちゃんとタケちゃんの結婚よ」

「な、なにゆえぇ?」

「美人で女王、しかも処女。加えてタケちゃんも童貞っしょ?」

「……」

「ドラちゃんはヒロイン以外の何物でもないわよ。早い者勝ちだよ? 他のメンバーにドラちゃんが取られてもいいの? ギルメン同士のマヂギレPVPが始まるかもよ」

「そうでしょうか。弐式炎雷さんなんか、女に現を抜かすとは思えませんが」

「男は初めての女を強く意識するものでしょう?」

「……経験ないから知りませんし、どうでもいいです。それより、この手、早く離してください」

「だーめっ」

 

 私が手を引っ込めようとするも、餡ころの力は緩まない。加えて獣特有の可愛らしい瞳で見つめられ、反論もままならない。異世界でプレイヤーと対等な女性は同じプレイヤーだ。彼女は女王とはまた違った立場の存在だ。

 

「あのね、セックスは崇高なものじゃないのよ?」

 

 ガキリと顎が噛み合った。

 

「私だって、寂しいからろくでもない男と付き合ってたし、何の生産性もなく抱かれてた。本当に駄目な奴でさ、浮気して私を振ったんだよ。でも、やっぱり一人は寂しいもん」

「……へぇ」

 

 少しだけ、本当に少しだけ、その男を殴ってやりたくなった。

 

「あの小さな女王様はね……数百年も、誰にも頼れず、誰も好きにならず、逃げられもせず、竜王の名誉と国を守る重圧にたった一人で耐えてきたんだよ。追い詰められたドラちゃんを救えるのはタケちゃんだけなの……」

 

 重ねた手が震えている。私を覗き込む彼女の瞳は、いつしか縋るようなものに変わっていた。

 

「お願い」

「……」

「タケちゃん」

「わか――」

 

 突如、会話を切り裂くガラスの破砕音。それがなければ私は「わかった」と言ったに違いなかった。婚姻フラグをバッキリとへし折った方角へ顔を向けて知ったが、若い青年兵隊が一人残らず敵意を込めて私を睨んでいた。彼女を美しいと思っているのは私だけではないらしい。

 

 手を離して騒ぎの渦中へ向かうと、人垣が通路を空けてくれた。

 

 投げ込まれた異物を見たとき、餡ころの食いしばった歯がギリリと強い音を出した。切断されて間もない白髪男性の生首が床に転がり、新鮮な血が滴っていた。頭蓋は何ものかに齧られたように一部が欠損していた。

 

「ざけんなよ……畜生」

「知り合いですか?」

 

 彼女は答えなかった。正直、生々しい死体に触れるのも嫌だったが、彼女や若い青年たちの前で情けない素振りを見せられない。ずっしりとした感触の頭を持ち上げると、齧られ頭蓋の欠損部分から桃色の脳が覗いていた。

 

(気持ち悪いな……)

 

 卒倒ものの光景だが、血の気が引いて少しだけ顔が涼しくなった程度で済んだ。やはり私は人間を辞めたようだ。落ち着いて観察してみれば、首の断面図から紙きれが覗いていた。

 

 そこへ指を突っ込んでぐちゅぐちゅと音を出しながら引き抜くと、女王宛の手紙だった。

 

「手紙ですね」

 

 

 召集令状(赤紙)は日本語で書かれていた。

 

 

 

 

 『和平申し入れ』と書かれた羊皮紙の手紙には、日時、場所の指定以外の文面は無かった。我々をこの世界へ呼んだ者と同様、相手を安心させるような気づかいは見られない。明日の正午、竜王国近郊の草原でビーストマン側の何者かが待っている。

 

 恐らくは、敵対プレイヤーが。

 

 餡ころもっちもちは罠だと断定し、兵隊たちを組織して討伐に乗り出す準備を始めた。

 

「全員、整列!」

「ちょっと餡ころさん……和平と書いてあるんですから」

「なに、文句あるわけ?」

「いや、和平に軍隊で乗り込んではまずいでしょう」

「あのね、タケちゃん。数か月先に来た先輩として教えておくけど、ケダモノどもは皆殺しにしないと人間が安心して生きられないのよ。だってあいつら」

 

 餡ころは震える拳を強く握り、牙を剥いて吠えた。

 

「幾つの村が奴らに壊滅させられたのかわからない。女子供だってたくさん、やっとみんな幸せに笑うことができるようになったのに……村にいた人たちを皆殺しにしたケダモノは絶対に許さない! 奴らは皆殺しにしないと人間が生きられないんだから、当然、あなたも人間側に着くよね? そうでしょう?」

「う……ああ」

「そうよね、よかった」

 

 彼女は私が人間側と答えなければ襲い掛かっていただろう。そう感じさせる敵意で両目が燃えていた。女性はどうしても感情的になりやすく、このままだと和平会談は決裂間違いなしだ。

 

 夕食を終えてからずっと、客間で考えていた。このまま進めば交渉は決裂し、開戦の狼煙へ早変わりする。私は私なりに一手を打つしかない。

 

「ふにゅぅ……私、寂しいのにゃ。だから、今夜は一緒にいてほ――」

「お断りだ!」

「あ、ちょっと! このヘタレ! 鼻毛ー!」

 

 結果的に私を誘惑する餡ころもっちもちから逃走できたのは、独断専行を目論む私の後押しとなった。王宮内の草むらに身を隠して仮眠を取り、太陽が昇る寸前の明け方、人目を忍んで王宮を出た。

 

 当然、予定時間よりも早く現地へ着く。

 

 和平会談は手ぶらで向かうが筋であると同時、相手の正体を知る絶好の機会だ。そもそも、アインズ・ウール・ゴウンの二人がいる竜王国側に負けは無い。世界級(ワールドクラス)のアイテムや神級(ゴッズクラス)で身を固めたプレイヤーが出ない限り、我々の敵と成り得ない。

 

 その油断は正確無比な狙いで撃ち抜かれた。

 

 草原に着いた私は小さな小屋の扉を叩く。森司祭(ドルイド)が好んで作る避難小屋に酷似していた。ノックに応じて扉が開かれ、武装した白い虎の子どもが驚いた顔で私を見上げた。

 

「竜王国のものだ」

「まだ早い」

「君たちの指導者に会いたい」

「しどーしゃ?」

「ボスに会わせていただきたい」

「なにする?」

 

 言語体系が違うらしく、日本語を覚えたての外国人に思えた。

 

「話がしたい」

「入れ」

 

 屋内の造りは簡素なもので、机と椅子が適当に並べられている。仄かに鼻を突くのは鉄錆、これは血の匂いだ。綺麗に掃除されているが、付着した血の痕跡は簡単に消せない。そう遠くない過去、ここで凄惨な何かが起きたはずだ。

 

 やがて扉が開かれ、何者かが入室してくる。朝日の強烈な逆光で顔と姿は影しか見えなかった。私は立ち上がり、一礼を行なった。

 

「予定時間より大分早いが、先に私が話をさせていただきたい。私は――」

「建御雷、さん……」

 

 そこには見覚えのある岩石のような顔が立っていた。

 

「驚きましたね、お互いに」

「ブルー・プラネットさん?」

「ええ、お久しぶりです。餡ころもっちもちさんが人間側のプレイヤーと聞いていましたが」

「実は私も一昨日、この世界へ来たんですよ。あちらでは世話になったもので、いわゆる一宿一飯の礼と、敵情視察という奴です。あなたはなぜそちらへ?」

「話せば長くなるんですが――」

 

 およそ一万五千文字ほどの説明で、彼の置かれている環境が拗れていると理解できた。餡ころもっちもちは人間側、ブルー・プラネットが獣側、真っ二つに分かれたこの竜王国付近、導火線に火が付く寸前に私が到着した。

 

 敢えて理由をつけるなら、この和平会談を成立させるためだろう。

 

「建御雷さん、モモンガさんは何も考えずに彼らの国家を滅ぼしてしまった。しかし、彼らはただ生きたいと願っただけだ。ビーストマンの避難地を作ることも容易だったはずなのに、彼はそれをしなかった。これは同じギルドのメンバーとして、贖罪するのが筋でしょう。いまや、ビーストマンは絶滅危惧種だ。人間の数とビーストマンの数、天秤にかければどちらを選ぶなんて考えるまでもない」

 

 彼の意見にも一理ある。人間の十倍強いビーストマンも、今となれば人間の方が多い。モモンガさんの超位魔法が彼らの国家を壊滅させた結果が今だ。ビーストマンは世界の外から飛来した生物に侵略され、絶滅されようとしている。ならばそれを保護するのもまた、外なる強者の役目。

 

 いかにもブルー・プラネット(自然主義者)さんらしい結論に感心したと同時、致命的な決別に寂しさを禁じ得なかった。

 

「建御雷さん。モモンガさんというプレイヤー、外来種に食い荒らされた彼らを守らなければなりません。正義の味方がいれば、きっとそうしたと思うんですよ。建御雷さんはビーストマン側についてもらえますよね?」

 

 彼は私の勧誘を始めたが、選択は正しい。三名は本来の装備ではないが、データ量が低くとも刀さえ手にすれば私が頭一つ、あるいは二つほど秀でる。私を引き込んだ側は確実に勝利を掴む。

 

 かつての仲間を殺し、その屍を越えて。

 

 現実とは皮肉で残酷なものだ。今、逃げ場のない私に選択を突きつけている。獣側か、人間側かではなく、ブルー・プラネットと餡ころもっちもちのどちらを殺すのか。

 

 しかし、私には第三の選択肢が見えている。

 

「ブルー・プラネットさん。俺たちは中立になるべきではありませんか」

「は?」

 

 ごつごつと岩に似た顔の彼は、聞き間違いを疑って耳の穴をほじった。

 

「すみません。多分、間違いだと思いますが。いま、中立とか寝惚けたことを抜かしましたか?」

「……ええ」

「舐めてるんですか?」

「私は真剣です」

「中立……中立だと!?」

 

 青い惑星は立ち上がり、テーブルに手を叩きつけた。

 

「人間を守るためという大義名分を振るい、ビーストマンたちを絶滅寸前まで追い詰めておきながら、人間に都合が良いから仕方なかった、必要な犠牲だったと都合よい口でほざく。中立を掲げ、次に人間はどうする!」

「メンバー同士で争う必要はな――」

「彼らを保護する振りをして人間の奴隷にするのか? その後で人間は人間同士で殺し合い、積み上がる屍を礎に巨大国家を築く。人間以外の種族の亡骸を地盤に造り出される一大国家は、巨大な狂気の山脈だ!」

 

 私がギルドに在籍した数年間、彼が本気で怒った場面を見たことはなかった。使命感を背負った彼は何があろうと決して引かない。戦力的に上位者の私に食って掛かっているが、既に自らの命さえ省みない覚悟を決めているのだ。

 

「……共存共栄はいけませんか?」

「ああ、失礼……取り乱しました」

 

 彼は咳払いをして座り直した。

 

「中立が……悪いとは思わないんですよ。しかし、この『中立』とやらが成立する前提が厄介でしてね。ビーストマン側が主体にならなければ成立しない。人間はいつまでも何かと争い続ける、救いがたい狂った生命だ。獣だけが彼らを守り、一定の数を保ちながら安寧の国家を築くことができる。人は管理されなければならない。そうしてこそ人は人を殺さず、人は人と争わず、必要な数だけビーストマンに間引きされて世界に命が回っていく。森羅万象、世界の調和を考えた真の共存共栄とはそういうものでしょう?」

 

 互いに手を取る選択肢は彼の前に出現しなかった。

 

 ここで反論できない自分が不甲斐ない。人間同士の醜い争いは防げるが、長い目で見れば獣への小さな憎悪をチリチリと燃やし、暴動の種を遠い未来へ先送りとする。その規模によっては、結果的に人間が滅びる可能性もある。

 

 しかし、それらを踏まえてなお、納得できない問題点が残っている。

 

「餡ころさんと殺し合うんですか?」

「それも覚悟していましたが、建御雷さんがこちらへつけばそうはならない。2対1で戦闘を仕掛けるほど彼女も馬鹿じゃないでしょう。正義さんの背中を追いかけていたあなたがよもや、ビーストマンを絶滅させてまで人間側に着く悪だったなんて……あり得ませんよね?」

「どちら側とかではなく、なぜ私たちフレンド同士で代理戦争をしなければならないのでしょうか」

「始まったからでしょう」

「何がですか」

「戦争が」

 

 いつの時代も、戦争は個人の思惑から外れ、独立した生命体のように動き出す。一度、動き出したら誰にも止められない。この戦争を止めるには、開戦の狼煙が上げられる前、今しかない。

 

「オラぁ!」

 

 扉が蹴飛ばされ、破壊された木片が私とブルー・プラネットさんに降り注いだ。どうやら、私の独断専行を察知した獣娘が到着したらしい。全身の毛を逆立てて怒り心頭だ。

 

「建御雷ぃ! 勝手な真似をしてどういうつも……り?」

 

 胸倉を掴み上げようと近寄った彼女は、対面に腰かけている彼を見つけて動きを止めた。途端、嬉しそうに喜ぶ嬌声が室内を反響し、彼女はブルー・プラネットへ抱き着いた。

 

「ブルー・プラネットさん! きゃー! 久しぶりぃぃ!」

「うわぷ」

 

 岩のような顔が柔らかそうな胸に挟まれ、ゴロゴロと谷間を動いていた。もがき苦しんでいるように見えるが、彼女の拘束が緩められる様子はない。

 

「いやーん、いつ来たのよー! 連絡くらいしてよ、もう! 大変だったんだから! 人間とビーストマンで戦争が始まろうとして――」

「その辺りで離してあげては?」

 

 可哀想なブルー・プラネットは、女性の胸に埋もれて声を封じられ、餡ころの腕をタップしていた。異形とはいえ彼女の胸に顔を埋める彼が羨ましい。

 

「あぁ、ごめんごめん」

「ブハッ! い、いきなりなんてことをするんですか!」

「なによ、照れる年じゃないでしょう」

「そっちだって!」

「レディに年齢を指摘しないで、野暮天!」

「はいはい、二人とも落ち着いて席に着きましょう。こうしてギルド、アインズ・ウール・ゴウンのメンバーが三人もこの場に集まったんですから」

 

 雰囲気が緩むのは願ってもないことで、千載一遇の好機だ。憎むが本義か、捨てるが道か、迷って判断の胸を有耶無耶にしてみせよう。部外者のプレイヤー三名が中立となれば、戦争そのものが立ち消えになる。

 

「さて、それでは和平会談を始めましょうか」

「どうも、餡ころもっちもちです。独身です」

「どうでもいいです」

「むっ」

「……すみません」

 

 横目で伺うと、ブルー・プラネットは笑っていた。

 

「どうも、ブルー・プラネットです」

「知ってるわよ、自然主義者さん」

「ビーストマン側のプレイヤー、ブルー・プラネットです」

 

 言い切った瞬間、屋内の温度が下がり、どこかでガラスに亀裂の走る音が聞こえた。

 

「あー、ごめんね。なんか耳が詰まって聞き間違えたみたい。もう一回、言ってくれる?」

「何度でも言いますよ、人間側の餡ころもっちもちさん。私はね、ビーストマン側のプレイヤーなんですよ」

「……ふざけてんなら怒るよ?」

「竜王国の最強戦士、アダマンタイト級冒険者、セレブライトでしたっけ? 彼は両手両足を捥いでやってから、芋虫のように転がしていたらいつの間にか絶命してましたよ。笑えますよね」

 

 餡ころから物騒な波動が立ち上る。それを受け、ブルー・プラネットは冷笑しながら絶望の波動で迎え撃った。並の人間が存在できなくなった小屋で、舵は私が取らねばならない。

 

「餡ころさん、ここは和平会談の場ですから、話を先に進めましょう」

「……だって、ムカつく挑発するんだもん」

 

 明らかに不貞腐れているが、この議論を粛々と進めなければならない。異形種になって更に昂りやすくなった彼女の感情は、恐らく自分でもコントロールできていないのだろう。

 

「ブルー・プラネットさんも故意に怒らせる話し方はやめましょう」

「……仕方ありませんね。今日はあくまで和平交渉ですから」

「それでは始めましょう。まず、獣側のブルー・プラネットさんの希望をお願いします」

「なんでそっちからなの?」

「既に国家を滅ぼされている方から聞くのが筋でしょう?」

「……ぐっ」

 

 竜王国の女王を仲間外れにして(ハブいて)始められた三者面談は、獣側のプレイヤー、ブルー・プラネットの意見が出揃うまで駒を押し進めた。

 

 概ね、獣側の意見は三点に集約される。

 

 1つ、人間を取引商品とし、犯罪者を獣側の餌として提供する和平条約の整備。

 

 2つ、獣の都市の再興への協力。資源は竜王国、あるいは魔導国から提供され、場所は竜王国の首都近郊を理想とする。これは1つ目の取引を行う際、旅路を短くする配慮である。

 

 3つ、ビーストマンの身の安全の保護のため、不可侵条約の設立。もし、人間側が過去の遺恨によって手を出した場合、和平条約の全てを破棄してブルー・プラネット率いる食人種連合は全軍で首都へ攻め入る。

 

 やや獣目線に偏っている意見ではあったが、互いの共存を望むなら避けては通れない項目だ。餡ころを窺うと、やはり彼女は怒りを堪えて拳を震わせていた。いつ、獣娘の口が開かれ、涎の糸を引く犬歯で食いついてきてもおかしくない。

 

 一触即発の状況でブルー・プラネットが言った。

 

「この近辺の食人種は全て私が束ねました。幸い、備蓄食料はあと数日間なら持つでしょう。それまでに女王陛下と打ち合わせをお願いします」

「あのさぁ……確認しておきたいんだけど。村をいくつも襲ったよね?」

「ええ、襲いましたよ。当たり前じゃありませんか。みな、納得いく食事量には到底、ありつけていないが、これでもかなり我慢をさせているんですよ」

「初めから首都へ和平交渉に来れば、村を襲う必要はなかったよね? 単純に肉が欲しいなら家畜の肉を分けて和平交渉した方が滞りなく進んだでしょう。どうして?」

「どうして? いま、どうしてと聞きましたか?」

 

 ブルー・プラネットはおもむろにアイテムボックスへ手を突っ込んだ。小さな白い何かを七つ、机に丁寧に並べていく。

 

 それは、やや小柄な、獣の頭骨だった。

 

「近隣の村で組織されたビーストマンの討伐隊が、森の中で静かに暮らしていたこの子たちを惨殺した。どれほど苛烈な拷問を加えて殺したのか、死体が教えてくれましたよ。ほら、この頭蓋骨なんて頭部に穴が空いているでしょう?」

 

 ブルー・プラネットは愛おしいお宝でも愛でるように穴の開いた頭蓋骨を優しく撫でていた。

 

「先に仕掛けてきたのは人間だ。ただ殺すだけでなく、過剰に痛めつける人間は醜悪極まりない。その報復に、近郊の村を滅ぼした。おかげで真っ当な食事にありつけましたよ。人間を食べることに何か問題がありましたか?」

「みんな、やっと幸せを手に入れたのに……お母さんと嬉しそうに手を繋いで笑っていたあの子はもういないんだ……お前が殺したからぁ!」

 

 餡ころの爪が宙を切り裂く。和平会談はこの瞬間、文字通り決裂した。ブルー・プラネットは並べた頭骨を抱きしめ、机を蹴り上げて防いだ。切り裂かれた机の天板の残骸が私に降り注いだ。

 

「女性は感情的になりやすいですね。一時の感情で和平会談を御破算にするなんて考えられません。大局の見えない馬鹿ですか?」

「ざけんじゃねえよ! これが人間のやることか!」

「なら逆に聞きますが、獣たちは人間が憎いから殺したんじゃない。食べて生き延びるために止む無く殺した。もちろん、その自覚もある。そんな幼いながらも必死で生きてきた彼らを、拷問して、過剰に痛めつけて楽しかったですか? あなたの知り合いがどの餌場にいたのか知りませんがね! 少なくとも殺された子どもたちには、人間に手を出さないように教えるつもりだった!」

「二人とも落ち着きなさい!」

 

 私は二人の間に割って入った。二人の利き手を掴み上げ、全力の殴り合いを必死で阻止したのだが、単純な筋力に大差ない。子の均衡もいつまで持つか分からない。

 

「どいてくれよ、建御雷さん。なんならこの場で決着をつけても構わないんだ」

「上等だよ、この外道。異形種になって狂ったプレイヤーなんていらないから」

「ここで二人が殺し合うな!」

「タケちゃんは結局、どっちに着くわけ?」

「ビーストマン側ですよね? 正義はこっちにあるんですから」

「ドラちゃんが可哀想でしょう! ずっと一人で生きてきた彼女を助けてよぉ!」

「このままだとビーストマンは絶滅してしまう。俺たちが何とかしないといけない。俺たちにしかできないんだ!」

 

 両者、自分の主張を掲げて引かないが、この争奪戦は無効だ。

 

「私たちで戦うのは止めましょう」

「……あ?」

「はぁあ?」

「私はここに! 中立をてい――」

「どっちつかずの優柔不断は黙ってろやぁ!」

「下らない平和主義は引っ込んでてくれよ!」

 

 中立を宣言しようとした私の体は二人に蹴られ、壁を突き抜けて草原に倒れた。縄張りの覇権を争う野獣の喧嘩に割り込んだ部外者、小屋を突き破って飛ばされる私の脳裏にそう浮かんだ。

 

 大の字になって青空を眺めていると、穏やかだった草原に充満する殺気に気付く。体を起こすと、東には餡ころの引き連れてきた人間の軍勢が、対面では食人種の連合軍が涎を垂らして武器を構えていた。この和平会談を成立させるに必要な武力だ。

 

 頭の芯が熱を持ち、冷静な思考が霞んでいく。私を支配しているのは理不尽な状況に対する純粋な怒りと、理想の未来を求める力。

 

 頭の中からけたたましいファンファーレ、堕天使どもが嘲笑いながら喇叭を吹き、戦いの開始を告げている。自分でも知ってはいたが、私は二人よりも遥かに馬鹿だったようだ。

 

 だが、私に後悔はない。

 

 心の炎を燃やすのだ。

 

 立ち上がった私の目が赤く発光する。小屋に開けられた風穴、二体の異形が牙を剥き出して争う巣穴へ、立場を同じとする異形として飛び込んだ。取っ組み合う両者の腕を掴みあげると、即座に怒りの声が上がる。

 

「離して!」

「邪魔だ!」

「わかったんですよ」

「何が! 次は本気でヤりますよ?」

「我々の求める未来はみな同じ。ただ、立っている場所が違っただけだと」

「何が言いたいの!」

「我らアインズ・ウール・ゴウン。求めるは戦争の終結のみ」

「だからぁ! 何なんだよぉ!」

「いざ、ここに、我ら三名による代理戦争を! 混戦式PVPを提案する!」

 

 叫んでから二人を双方の軍隊へ放り投げた。三方向に開けられた風穴によって小屋の骨組みが破損し、私一人が瓦礫に飲まれた。

 

 拳を上げて上の瓦礫を突き上げ、私は一人、瓦礫に立つ。

 

 自軍プレイヤーを放り投げられた双方の軍から罵詈雑言の野次が飛んできた。口々に私を責め立て、争う両名の意見は一致していた。これぞ中立、私が求める戦争の阻止だ。

 

「餡ころ様に何をする!」

「裏切り者!」

「穢れた人間のような怪物! 引っ込め!」

「消え失せろ、怪物!」

「人に仇なす異形種がぁ!」

「お前は俺たちと同じ命じゃない!」

 

 白熱する罵詈雑言が矢のように飛び交い、私を貫く。体の芯が熱くなる。熱く、上限の見えない熱。まだ足りない、もっと熱くなれる。私の求めた熱はきっとこの先にあるはず。

 

「黙れぇい!」

 

 叫んでから顎をガキンと鳴らした後、耳が痛くなる静寂。

 

「人と獣、立場が違えど同じ大地に生まれた命。共に同じ時間を共有した星の同胞たち。ならば、初めから争う必要は皆無なり!」

 

 殺気立った両者が私を挟撃しようと近寄る。私は、互いの存亡を懸けた聖戦に水を差す異物。しかし、プレイヤーが互いの意見を支持して双方へ肩入れするのなら、そのどちらでもない私が中立者として戦争を阻止するもまた自由。

 

 なぜなら、プレイヤーもこの大地へ転移した特異なる命だからだ。

 

「建御雷ぃ! 一体あんた、何がしたいんだよ!」

「いま一度、問う! 何ゆえ戦う道を選ぶ!」

「はぁ? さっき言ったでしょう。俺はビーストマンたちの保護をするって」

「人間を守るためにビーストマンが邪魔。だいたい、私はあいつら嫌いだし」

「違う! 異形の我らに理由は必要ない。戦いたいなら戦えばいい。私は中立者として、この戦争を阻止させていただく!」

 

 絶望のオーラが二人の怒りを教えてくれる。私も同様に、英雄のオーラで黒の波動を押し止める。

 

 手ぶらの武人として、私は瓦礫の上で宣言した。

 

「我が名は武人建御雷! 争いを阻止する調停者である!」

 

 しばらく辺りが静まり返ってから、誰かが拍手をした音が聞こえた。それも長くは続かず、餡ころとブルー・プラネットが私を嘲笑う。

 

「バカじゃん! 手ぶらのサムライがあたしたちに勝てると思ってるの?」

「不動明王にでもなったつもりでしょうが、装備が本来のものでないのなら、大した実力差はありませんよ? 意味わかりますよねぇ?」

 

 私が彼らと本気でやり合えば、互いに無事では済まないだろう。特に私は深刻で、本来の実力を半分も出せないまま死ぬ。

 

 それもまた、是非もなし。

 

「無論! 命果てるまで戦う所存! それが漢の花道、侍道!」

 

 私は大地を殴りつけて叫んだ。

 

「武士道とは死ぬことと見つけたり!」

「馬鹿が……」

 

 一度でいいから言ってみたかった台詞を言いきって自己陶酔する私に、水を差すような呟きが聞こえた。誰が言ったのか分からなかった。

 

「ほんとバカ。んで、馬鹿サムライさんはどんなルールがお好み? どんな風に私たちに殺されたいの?」

「き、希望くらいは聞いてあげますよ。どうせ死ぬんですから」

 

 二人とも怒りのあまり表情が痙攣している。それを知りながら私は役割演技(ロールプレイ)を止めない。これこそが求めた生き様、今宵限りの命と知りつつ咲かす命の花。現実で何の価値もない人間として死ぬよりは、これ以上ない理想的な散り様だ。

 

「明朝、三名によるPVPを行う。我が死を以て開戦の狼煙とし、戦うものはこの屍を踏み越えて行け。それまで、拙者が倒れるまで、一兵たりともここは通さぬ!」

「弁慶かっつーの……」

「タケちゃーん、狂っちゃったなら私が殺してあげる。ドラちゃんを助けない薄情者の男なんかいらねぇわ。つーか、さっさと死んじゃってよ」

「言っときますけど、武器は渡しませんよ。勝手に手ぶらで戦って、勝手に死んでください。餡ころさんもわかってますよね」

「当たり前でしょう。そっちこそ、勝手な真似しないでよ」

「命を懸けてかかってくるがいい!」

 

 どちらも答えず、唾を吐いて自軍へ戻っていった。

 

 私は一人、寝転がって朝を待つ。餡ころは竜王国の兵隊全員と女王を動員するべく首都へ帰還し、ブルー・プラネットも獣の群れを引き連れて近隣の森へと消えた。

 

 ぼちぼちと、丸齧りされた月が空へ向けて登り始めた。彼方から聞こえてくる、獣の遠吠えが夜の到来を予期させる。

 

 今宵は満点の星空、見下ろす三日月、明日は晴れるだろう。

 

 死ぬにはいい日だ。

 

 

 

 

 東西に分かれ、簡易的な駐屯地が開かれて双方の明かりが私のいる場所まで届く。開戦の気配が漂う草原の夜、私は大きい方のドラウディロン女王陛下と並んで瓦礫に腰かけ、具無しおにぎりを食べていた。

 

「餡ころが言うには、ブシノナサケというものらしいぞ」

「武士の情けか」

 

 餡ころに教わりながら、女王自らぎこちない手で作ったというおむすびは、塩気が利き過ぎていた。おまけに形も不格好で、知識として知っているおにぎりは三角形だったはずだが、どれもこれも歪んだ台形の形をしていた。

 

「あれ? おにぎりが消えた。まだ三つもあったはずだが……お前だな!? 私の目を盗んで食べただろう! まだ三つもあったのだぞ!」

「知らん」

「私が食べてないならお前しかいないぞ!」

「言いがかりだ。自分で知らぬうちに食べたのだ」

「せっかく美味しくできたのに……」

「塩気が強すぎる。それにしても、数百年を生きる女王の食い意地は衰えないのだな」

「うっさいわ……ばか」

 

 絵になる顔であったが、口の周りに付着する米粒でしっとりとした雰囲気が台無しだ。彼女は一体、どれほどの米粒を付着させれば気が済むのか。

 

 米粒の化粧を丁寧に落としながら女王が言った。

 

「お前、これから死ぬとは思えんほど落ち着いているな」

「散って果てるは武士の本懐」

「……馬鹿だな」

「サムライは馬鹿でいい。馬鹿なくらいでちょうどいい」

「死ぬのが怖くないのか?」

 

 怖いに決まっている。一般人らしく、死を恐れる私は震えている。

 

 その場の空気に押し切られた自分の宣戦布告をどれほど後悔したことか。敵意を剥き出しにした餡ころとブルー・プラネットを同時に相手するならば、本来の装備ではない私が圧倒的不利だ。

 

 二人きりだからこそ素直にそう零した私に、女王の痛ましい顔が向けられる。

 

「建御雷、今ならまだ間に合う。人間側に寝返れ。お前と餡ころが協力すれば、相手プレイヤーを止められる」

「今さら、後には引けまい」

「これも全て、私が魔法の犠牲に百万の命を奪い、それらの死を背負う覚悟があれば、お前たちは争わずに済んだのだ。全て私のせいだ……私は女王失格だ」

 

 ぐずぐずと水っぽい声と鼻をすする音が聞こえた。子供が泣いているときに発する音だ。

 

「泣いてい――」

「誰が泣くか、馬鹿者! おにぎりの塩が多すぎたのだ」

 

 子供のように泣き喚きたいのだろうが、女王にそれは許されない。私は勝利の女神の代替品の頭を撫でた。

 

「餡ころは初めてできた友達だ。随分と若いが、兵隊たちにも人気があってな、きっとその内、我が国の兵隊と結婚したかもしれない。そうなったらこの国で平和に暮らしてくれただろう。お前、本当はあいつの方が好きだったんじゃないのか? だから私を抱かなかったのか?」

「そんなことはない」

「私は……友達に面倒なことを全て投げてしまった。竜王の血を引く子孫など、ただのお飾りに箔をつけるだけの称号だ。いっそ、私一人が死んでこの戦争を終わらせることができれば」

 

 嗚咽を零す彼女を慰めるべく、そっと優しく彼女を抱き寄せた。これが最後と思えば大胆になれるもので、彼女の胸のそっと手を伸ばす。本当に、いつまでも触っていたくなるほど柔らかく、私の手で形が歪められる。

 

「あっ……ん」

 

 せめてもの情け、死の恐怖を紛らわす慰みとして、彼女を抱きしめようと手を回した。

 

 直後、私を射抜く強烈な害意。全身に怖気を立たせるこれは餡ころとブルー・プラネットから感じたものと同様、上位者(プレイヤー)の敵意だ。

 

「……んっ。な、なんだ、どうした」

「しっ、何かいる」

 

 急に立ち上がり、女王を庇うように立った私を不思議そうに見上げていた。何者かの気配が遠ざかっていく。草原の草がかき分けられる音が徐々に小さくなっていった。索敵関連のスキルを所持していない私には、それ以上のことはわからない。

 

「何も見えないぞ」

「……去った」

 

 背筋を粟立たせた冒涜的であり、魂まで射抜く攻撃的な視線はかき消えているが、この戦は何かが起きる、そう感じさせる不穏な兆しだ。もしかすると私は、生還できないかもしれない。

 

 それでも私は、どちらかを選んで攻め込む戦に臨む気にはなれない。どちらかを選ばなければならないのなら、どちらも選ばずに済ませたい。片方が死ねば、残されたものたちは悲しむしかないのだ。既にどちらも、双方にとって重要人物となっている。

 

 それで私が死ぬとしても。

 

「女王、自軍に戻れ。既にことは始まっているのだ。こうなった以上、誰にも止められはしない」

「私が言うのも何だが……死ぬなよ。お前が死んだら私は、この首を以て魔導王陛下へ詫びなければならない。私の立場も考えてくれ」

「死もまた厭わぬ身でありながら、勝利のために死力を尽くすが武士の本懐」

「お前も、七面倒な奴だな……嫌いじゃないが」

 

 何か、とても懐かしいものでも見たように女王は笑った。夜を背景に笑う彼女は勝利の女神に見えた。そうであってほしいと思った。

 

 どちらかに夜這いされて快眠を邪魔されることなく、満腹になったことで今夜はよく眠れた。

 

 夢の中、私はぶくぶく茶釜と音改とPVPを行い、四肢に大きな欠損をしながらどうにか生還を勝ち取った。それは、言い換えればその2人程度の戦力でなければ勝てないという結末の示唆でもあった。

 

 飛び起きた私は、自らの全身が震えるのを感じていた。

 

 これは武者震いではない。

 

 朝は必ず訪れる。東の空に赤みが差し、周囲が見渡せるほど明るくなる。ぼちぼちと戦力を整えた両軍、武器の金属音、戦士たちの鼓舞が聞こえてくる。最前列で私を見ているのは餡ころもっちもちとブルー・プラネットだ。

 

 

 

 そろそろ私の死ぬ日に陽が昇る。

 

 

 戦いの刻、来たれり。

 

 

 




エロ%→1d100→100 出ちゃったよ! 遂に100が出ちゃったよ! よりによってこの選択肢でこれは無い! これはひどい……

自動数値→裏のグロさ100%


※敢えてここで切り、次の話は読み飛ばし可能にします。読まなくてもいいです。一話とばすと、この続きが始まるようにいたします。
※つまり、次話はグロさMAX、手加減不能ということです。耐性無いと吐くかもしれません
※この話はエロさMAX設定ですが、建やんの設定は童貞です。頑張った童貞のエロさなどこんな程度でしょう






《次回予告》

                   ――――七彩の竜王の雑感


 弱肉強食の摂理において、情実は存在しない
 彼らは情実を以て、無慈悲な摂理を踏破しようとしている。

 混沌こそが進化の兆しだ。

 激突するプレイヤー同士の慟哭はある種、芸術的ともいえる。
 これを世界変革として、人と獣のあり方は変わるだろう。

 既に賽は投げられた。

 世界の改変は刻み込まれた宿命、ほつれた因果は収束される。
 
 存亡を懸けた晴天の大戦を、私は見届けなければならない。


 私も覚悟を決めなければならない。悲鳴を上げて疾走する運命という鋼鉄の馬は今、動き始めた。今さら白金に邪魔されることもあるまい。

次回、『躊躇い無き獣道』

 しかし、ここに至るまでの経緯、まるで仕組まれているような違和感がある。何かを見落としているのだろうか。そういえば過去、私は四つの選択肢を……

 君は誰だ。いつからそこにいた。


freeze(動くな)




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