薔薇と蛇の招待状   作:用具 操十雄

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弱者よ、壮絶であれ ―前座―

 

 

 

 武人建御雷は草原に立つ。

 

 朝焼けは世界の変革を告げるかのようだ。澄み渡った空気の異世界であれば、朧な黎明すら神話級の景色だ。今は黙して語らず、静かに闘争の狼煙を待つのみ。

 

 死線を遡ること2日。

 

 竜王国という大翼を形作る羽、領地・領民を管理・保護する貴族たちへ伝言(メッセージ)が飛ばされた。

 

《竜王国の始祖、七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)より伝達する。竜王国の貴族諸君、速やかに領地の軍を総動員し、首都北部へ集結させよ。獣人と竜王国、互いの存亡をかけた最後の戦いが始まる》

 

 反論の余地なく、そこで切断された。

 

「始祖さまが……? ケダモノどもと戦争?」

 

 唐突に放り込まれた情報を、頭蓋の内部で急速に処理をする老年の貴族は呟いた。

 

 膨らんだ風船のような心中、困惑がふよふよと漂う心の最奥にて、燻っていた種火が燃え上がる。海馬にて再放送されるは、魔導王の圧倒的な武力に煽られ、戦争に参加すべく立ち上がった過去。

 

 あの時は舞い降りた神の演説で出鼻をへし折られ、その手で遺恨を断つことは叶わなかった。あの日から貴族たちの胸の内、かがり火は燃え尽きることなく心を黒く焦がしている。あの場へ居合わせた領民も同様で、獣人討伐を志願する人間は後を絶たない。

 

 人間は奪われ過ぎた。

 

 ならばこれは、先の戦争の再現だ。参加する理由は多々あれ、参加しない理由は入荷すらされていない。

 

「遅咲きの竜胆(リンドウ)……か」

 

 餡ころもっちもち(魔導王の友人)が降臨した情報は出回っている。獣たちへの敵意で染め上げられている竜王国に、彼女を取り込んで国の覇権を握るべく暗躍する貴族はいない。彼女は戦火の予兆、最後に戦う日は近いのだと薄々は勘付いていた。

 

「晩年、散ると知りながら咲かす花もまた良し」

 

 脳の奥で燻っていた種火が火柱となって噴き上がった。老年の貴族は執務室の装飾品と化していた剣を握り締めた。室外で待機している執事へ、怒鳴りつけるような声で叫ぶ。

 

「出立する、領内の兵を集めろ! 私自ら陣頭指揮を執る」

「はっ! ……へ? 領主さま!?」

「今度こそ、我らの手でケダモノどもの息の根を止めてくれる!」

 

 老年の貴族は駆け出した。

 

 

 

 

 太陽がある世界で、夜は必ず明けるもの。最も暗い夜明け前、闇は少しずつ明けていく。

 

(私の死ぬ日に陽が昇る)

 

 東の空が徐々に明るくなる様は、さながら獄門の解放だ。魂が向かう先、極楽浄土はここにあると主張している。

 

 随分と長い間、草原に立っていたので気分は高揚している。死刑台への階段を、一段一段と噛みしめて登るくらいの時間はあった。太陽がその全身を覗かせたとき、13階段は昇り終わっているだろう。

 

 やがて、ブルー・プラネットと餡ころもっちもちが、南北にそれぞれ陣を張った自軍からゆらりと姿を見せた。

 

「武士道とは、死ぬことと見つけたり……か」

 

 所詮、この世は修羅の国。

 

 世知辛い弱肉強食は、争い合う大義名分。己の死を恐れながら、死に臨む恐怖はなし。武人(サムライ)は巨体の震えを振り払うように、上下の歯をガキリと鳴らした。

 

 断頭台へ首を置くのは誰なのか、考えるまでもない。結論が出ていながら、過程を飛ばすこともできない。争わずにいられないのは、人間という異形種の(さが)か。非合理的な生き方であるが、自己陶酔にも似た痺れが武人の脳を走った。

 

「まこと、御しがたきものよな」

 

 気が付くと、地平線から太陽が顔を覗かせていた。

 

 餡ころとブルー・プラネットも間合いに入っている。手ぶらであることがこんなに不安になるとは知らなかった。両手の爪を擦り合わせて研いでいる餡ころは、脅しに十分すぎる。

 

「タケちゃんさぁ……人間の味方をしてくれるなら、助けてあげてもいいのよ」

「下らない、本当に下らない。今さら遅いんですよ、建御雷さん。まあ……俺は優しいから、獣の味方をしてくれるなら殺しませんけど」

「私の方が優しいけど?」

「はっ、どの口がほざくんですか。恋愛体質のビッチさん」

 

 餡ころとブルー・プラネットは殺気立っているが、それは建御雷に向けられたものではない。巨体を透過して、餡ころとブルー・プラネットが睨み合っている。武人は後ろ髪を断ち切り、剥き出しの歯茎で嘲笑う。

 

「これより我ら、修羅に入る!」

 

 拳を掲げた武人に対し、反応は冷ややかであった。

 

「うるさいですよ、死にたがり屋さん」

「ほんっと、男って馬鹿ばっか」

 

 黒く燃える闘争の波動、《絶望のオーラ》が天に向かって伸びていく。武人が放つ《英雄のオーラ》を侵食せんばかりに、北と南で挟み打つ。

 

 武人の脳が痺れを増した。

 

 地面を強く踏みつければ、軽い衝撃波が草原を走っていった。両軍、一体となって何かを叫んでいる。武装した群衆たちのうねりが、闘争本能を過熱させる。三名、もう後には引けない。ここで後に引けるのならば、初めから戦っていない。

 

「命を賭けて、かかってこい!」

 

 朝焼けで色めき立つ槍衾(やりぶすま)を背景に、三名の混戦式PVP(茶番)が幕を開けた。

 

 

 

 

 地面を両手で叩いたブルー・プラネット、蔓が地面から生えて建御雷を拘束した。授かった隙を一分たりとも無駄にせず、餡ころの鋭い爪が迫る。

 

「うああ!」

 

 叫んだのは胸を切り裂かれた建御雷ではなく、餡ころだった。赤く光る四つの目には、引き裂かれた胸の肉片と血が放り投げられるのが見えた。

 

 胸に手を当てると、驚くほど鮮やかな血が流れていた。触れても痛みはないにせよ、傷は思ったより深い。見下ろすと剥き出しになった心臓が脈打っていた。

 

 戦って味わう激痛は初体験で、死が近づいて鳥肌が立った。

 

 ふと、何の追撃もないので疑問に思って顔を上げた。

 

 武御雷から奪い取った血がべったりと付着した自分の指を、餡ころもっちもちが舌を出して舐めとろうとしていた。

 

「ハァ……ハァ……」

 

 欲情しているかのごとく上気した顔は、彼女と出会ってから最も魅力的な顔だった。

 

「餡ころさん……?」

「メス猫がぁ! その程度で怯むな!」

 

 ブルー・プラネットが怒鳴り、彼女は我に返った。それでも途切れた闘志はすぐに繋がらなかった。

 

「あ、私は……」

「あんたがやらないなら俺がやる!」

 

 既に近寄っていたブルー・プラネットの拳が、建御雷の(ジョー)へ突きこまれた。刹那、意識を失った武人は膝をつく。まるで、何かから逃げて没頭するかのように、休むことなく殴打が繰り出された。

 

 一度はついた膝を上げ、突きこまれた腕を掴みあげて武人は立つ。武闘家(モンク)の職業を取得していないブルー・プラネットの拳など恐れるに足らず。ガクガクと膝が震えても、どれほどの血が流れても、武人の闘志、未だ衰えず。

 

「くっ、倒れろ! 倒れろ!」

 

 この時、建御雷は案外と冷静だった。初めから結末は見えている。これは建御雷の命をBETし、戦争を調停するイベントだ。失敗しても彼が死ぬだけで済むなら安い。どうせ、生きる理由にあては無い。

 

 建御雷が狙っているのは、教育という洗脳で培われた、脳の根幹にまで値を張り巡らしている倫理と善性を叩き起こすこと。

 

 プレイヤーにとっての殺人(共食い)は、同じプレイヤーを殺すことに他ならない。

 

 こちらの種族が何であろうとプレイヤーにとって、この世界の人間は同じ人間ではない。現地の人間をいくら殺そうと、ゲームを間口に世界へ降り立っている以上、人間など数式というプログラムが造り出す幻影だ。

 

 既に現地の人間を殺している(童貞を捨てた)ブルー・プラネットであろうと、その分水嶺は簡単に越えられないと踏んでいた。有難いことにスキル・魔法の類を使っていない。それは建御雷の仮説を証明してくれる。森祭司(ドルイド)の力を使えば決着は早いが、それは建御雷の死を意味する。

 

「畜生……畜生……」

 

 ブルー・プラネットの腕から力が逃げていった。

 

 餡ころも自分の手に付着した同国人の血が気になるらしく、まるで集中力を欠いている。彼女の全身からは、戦闘続行を迷っている空気があった。

 

(ここで終わってくれないかな……無理だろうなぁ)

 

 建御雷は心中でため息を吐いた。少なくとも自分が死ぬような結末は避けられそうだが、ここで引かないのならもっと痛い目に合いそうだった。

 

 元より彼らは、異世界で出会った大事なものを守るために戦っている。数多の命が大地に吸われている現状、この程度で怯むような薄っぺらい人間が、ギルド、アインズ・ウール・ゴウンに在籍しているとは考えにくい。

 

「何なんだよ……あんた、何がしたいんだよ……」

「人と異形と、生まれた種族が違っただけのこと。争うことに意味はない。違いますか? もう、和解しませんか?」

 

 心臓を剥き出され、生殺与奪の権利をそっと見せつけながらも、武人は倒れない。両手を広げて笑っている彼に、餡ころとブルー・プラネットがたじろいだ。

 

「駄目っ!」

「ああ……駄目だっ!」

 

 その恩情は、感情で足蹴にされた。

 

「ドラちゃんが……友達が苦しんでるのに、私は何もしてやれなかったもの!」

「餡ころさん……」

「ここでケダモノどもがいなくなれば、きっとドラちゃんは笑っていられる! だから、私は引けないの!」

 

 彼女の言葉は本心であるが、ブルー・プラネットへの挑発に等しい。

 

「ちょっと、餡ころさん。ケダモノどもってどういうことかな?」

「何よ! 人間たちを殺した癖にっ!」

「人を殺していないビーストマンの子供たちを、先に惨殺したのはどこのどいつだぁ!」

 

 ブルー・プラネットはこれまで見たこともないほど怒り、口調を荒げた。両陣営の犠牲、その事実だけで鑑みても、餡ころとブルー・プラネットは簡単に和解できない

。ブルー・プラネットは、餡ころへ殴りかかろうと前に出た。

 

 一度は引っ込めた命を、再度テーブルへ差し出す羽目になった。

 

 怒りで理性を紅に染め上げる森祭司の前へ、建御雷が立ちはだかる。その巨体を支える膝が笑い、身動きすれば体が軋む。切り裂かれた胸からは血が止まらず、血の気が引いて顔が涼しく思えた。

 

「どけよ!」

 

 叫ぶブルー・プラネットの両手を掴み上げ、血を吐きながらも建御雷が叫んだ。

 

「私を倒さずしてここを通れると思うな!」

 

 武御雷の心臓めがけて、森司祭の拳が突きこまれる。殺してしまうつもりだったのだろうが、所詮、拳で語る職業ではなく、その一撃で心臓を潰すには至らない。

 

「我が屍を越えて見せろ!」

「タケちゃん、避けて!」

 

 餡ころの爪が背後から迫っている。それを知ってなお、建御雷は避けない。避けてしまえば、ブルー・プラネットの喉元が切り裂かれる。ザクッと小気味よい音が背中で鳴り、切り裂かれた背中が熱くなった。貫通していない辺り、途中で加減をした餡ころの優しさが見えた。

 

「どうし……て……?」

 

 「避けなかったのか」と、彼女の震える唇が語った。

 

 傷口からどろりとした感触の何かが伝い、草原の雑草を真紅に染め上げていく。顔だけを振り向き、武人は静かな口調で言った。

 

「私は言ったでしょう。生まれた種族が違うだけ。人と異形、命の重みに変わりはない。ただ、立っている場所、生まれた種族が違っただけなのだ」

「タケちゃんが死んだらドラちゃんは……悲しむよ、きっと」

「死もまた止む無し」

「……男って、ほんとバカ」

 

 猫科に属する獣娘は微笑んだ。言い終わると同時、餡ころの爪が建御雷の腕を切り裂いた。ひじの関節から先、左腕が遥か遠方へ落ちた。

 

「ほら、腕が飛んだよ。だからもう負けてよ、ねえ!」

「まだだ! 私は倒れぬ!」

 

 鋭く尖った爪が顔面に振り降ろされ、建御雷の四つもある目の左半分が潰れた。顔面に 縦に走った裂傷から血が流れる。視界の半分も失いながら、大地を踏みつける武人の足は揺るがない。

 

「倒れてよぉ!」

「断る!」

「どうして! どうして倒れてくれないの! どうして人間の邪魔をするのよ!」

「どけぇ!」

 

 掴んでいた腕を振り払い、これまでの比ではないほど重い一撃を胸に食らった。一瞬、意識が途切れたのは心臓が停止したからかもしれない。拳の重さは、自らの命を賭した武人に膝をつかせるほど重かった。

 

 自己陶酔によって分泌される痛みの緩和剤、ドーパミン(脳内モルヒネ)すら凌ぐ痛恨の一撃(クリティカル)に、ある種の称賛すら覚えた。

 

「背負ってるものが軽いんだよ、餡ころぉ!」

「何よ! ケダモノの――」

「黙れぇ! 俺はあの子たちの保護者だ! あっちの先頭にいる小さい獣たちが見えないのか!」

 

 指さした北の槍衾、食人種たちの寄せ集めた軍勢の先頭。手を組んで戦闘を眺めている小さな観戦者たち。彼らがブルー・プラネットの守るべき子供たちなのだろう。

 

 人は超越した何かに対峙し、己の無力さを悟ったとき、自然と合掌する。人間に支配されつつある大陸の僻地で、絶滅寸前の彼らは神に祈る修道士に見えた。

 

「女王が可哀想だからって、あんたの行動理念は薄っぺらいんだよ! だから攻撃が中途半端なんだろうがぁ!」

 

 その時の顔は印象的で、悔しそうに歯を食いしばって俯く餡ころ女史を、建御雷は美しいと思った。彼女の闘争は終わったように思える。ブルー・プラネットに向き直った建御雷は、顎をガチガチと噛み合わせながら叫んだ。

 

「ならば問う。ブループラネットさん、私を殺せるのか?」

「ここで引けると思っているのかぁ!」

 

 剥き出しになった心臓。その周囲にある肉片を掴み上げ、ブルー・プラネットは建御雷を至近距離で睨む。こみ上げる感情から目をそらし、自暴自棄になっているように見えた。

 

「まだ幼い彼らの親を奪ったのは人間だ! 友達を惨殺したのも人間だ! 住処を、国を、同胞の命を奪ったのはモモンガさんだ。俺はもう、彼らから何も奪わせない!」

「彼らを連れて逃げたらどうだ」

「プレイヤーで元人間の俺が、あの子たちの人生を背負った俺がぁ! ここで引けるかよ!」

「だとしても、私に後退は無い!」

「俺にも後退は無い!」

 

 胸から手を放し、拳を握って武人を殴りつけた。建御雷の体が揺らぐが、それでも彼は倒れない。

 

 左手で再び頭部を殴ったが、やはり武人は倒れない。

 

 残された二つの目が、ブルー・プラネットの唇と拳が震えているのを正確に捉えた。かつて共に笑い、ゲームを楽しみ、時間を共有した仲間。今は同じ世界を生きる、真の意味での同胞。その命を奪う恐怖で震えている。最低限の教育でも、倫理観の躊躇いは足を重く踏みとどまらせる。

 

 それでも背負うものがあれば、人は簡単に引けない。

 

 同じく、武人も引けない。目的は争いの調停。自らの死もまた止むなしと、覚悟を決めた彼はどれほどの血を吐き出そうと倒れない。内心では激痛に悶え苦しみ、泣き喚いて地面を転がりたいと思っても、ブルー・プラネットの戦意を削ぐまでは許されない。

 

「うああああああ!」

 

 怒号で恐れを振り払ったブルー・プラネットが、何度も、何度も、途中で数えるのが馬鹿らしくなるほど巨体を殴りつけた。

 

 建御雷のHPが削れていく。

 

 血を吐き、左腕を切り落とされ、全身が痛々しい痣だらけになろうと、必死で意識を繋ぎ止めた。ここで建御雷が倒れてしまえば、惨たらしい戦争が始まるだけだ。どちらが勝つにせよ、争いの果てに溜め込まれ、未来へと引き継がれる憎悪と怨恨はこれまでの比ではない。

 

 やがて、負の感情の渦は世界を巻き込んでいく。終わらない戦争を繰り返すだけの螺旋回廊が完成する。

 

 倒れるにしても、死ぬにしても、(くさび)をブルー・プラネットへ打ち込まねばならない。両陣営、固唾を飲んでこのPVPを見守っているのだから、プレイヤーが止まれば自然と争いも止まる。

 

「もう止めてよ!」

「はぁ!?」

「タケちゃんが……死んじゃうよぅ!」

 

 餡ころの絶叫で、ブルー・プラネットは拳を止めた。

「……くぅっ……ぅぅぅぅぅうううううああああああ!」

「止めて! タケちゃんを殺さないで!」

「そんな簡単に引くならなぁ! 初めから俺たちに突っかかってくるんじゃねえよ!」

 

 怒鳴りながら繰り出された拳は正確に頭部を打ち抜き、遂に武人は草原に倒れた。気を抜けば、意識を失いかねない激痛だ。体も思うように動かず、地に着いた手にもまともに力が入らない。

 

「立て! 建御雷ぃ!」

 

 胸倉の肉を掴んで引き起こされた。それもなかなかに痛かったが、どうにか立ち上がる体裁は立持てた。

 

(思えば、不条理な出会いだった……)

 

 ブルー・プラネット。餡ころもっちもち。武人建御雷。

 

 三人とも、ただ出会い方を間違えただけなのだ。例えば、三人が早々に合流し、一塊になって行動していれば、この事態は避けられただろう。

 

 だが、現実はそうならなかった。

 

 神懸かったすれ違いの末、三名は立ち位置を違え、開戦は目前だ。そして今、建御雷の命の蝋燭も、消える寸前の最後の炎上だ。

 

 建御雷に残された時間の感覚が伸びていく。HPも底が見えてきた。体はもう、痛みしか感じない。打撲による疲労感で、すぐにでも倒れてしまいたい。心中を、走馬燈のような心残りが貫いていく。

 

 仮にここで自分が死ぬのなら、残された人と異形と、食うものと食われるものと、共に手を取って同じ大地を生きてもらいたい。

 

 喰らったら意識を浚うであろうブルー・プラネットの拳が、眼前で止まった。

 

 風が顔面に吹きつけた。

 

「畜生……畜生……俺は引けない……引けないんだよ」

「その拳を突きこめば、それで私は倒れるでしょうね」

 

 たった三人だけの戦場へ走り込む、白い馬が一頭。世界のあり方すら変えてしまうプレイヤーの戦いに水を差すのは自殺行為に等しいが、彼女はそれを理解しながら駆け込んだ。

 

「ドラちゃん……」

 

 餡ころが呟いたので、ブルー・プラネットと建御雷の顔がそちらへ向いた。白馬に騎乗した大人の女、銀の甲冑に身を包んだ大きい方の女王、ドラウディロン・オーリウクルスが憂いを帯びた顔をしていた。

 

 その場に居合わせたもの全てが彼女を見ているであろう、緊迫した沈黙の最中。それらの視線を意に介さぬ仕草で、悠然と馬を降りて近寄ってくる。

 

(あ、ドラちゃんが殺される……)

 

 そう感じた餡ころは正しい。動けなかったのは、女王という職業(ジョブ)が他者の妨害をさせぬよう、威風堂々とした侵しがたい空気を発していたからだ。覚悟を決めた一国の王が、何の敵意もなくその場へ跪く。

 

「お初にお目にかかります、ブルー・プラネット様。私は竜王国の女王、ドラウディロン・オーリークルス。あなた方の倒すべき、人間たちの王でございます」

 

 目礼の後、顔を上げた彼女は微笑んでいた。

 

 戸惑いながら、ブルー・プラネットが姿勢を正して頭を下げた。まるでサラリーマンのような仕草で、数秒前まで殺し合っていたとは思えなかった。

 

「……初めまして、女王陛下。ご丁寧な挨拶、ありがとうございます」

「女王陛下、ここで何をしている」

 

 建御雷の疑問に微笑みで返し、彼女は続けた。

 

「建御雷様の命を奪ってはなりません。彼が死ねば、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下は我が国を決して許さないでしょうが、ビーストマンとて同じことにございます。建御雷様が逝去なさったと知れば、魔導王陛下はブルー・プラネット様が獣にいいように利用されたと考え、人と獣、どちらも根絶やしになさるでしょう」

 

 終戦を告げる外務大臣のように晴れやかな顔だった。ぼちぼちと本気で仕事を始めた太陽の光が、彼女の頭髪に陽を当てて虹色に輝かせた。言葉の半分以上は、左と右の耳を繋げる回廊を走り抜けていった。

 

「美しい……」

 

 どこにあるのかわからない彼の両眼は、七色の光彩で埋め尽くされた。思わず呟いたブルー・プラネットに、心中で武人も同意する。成人男性を以てして、彼女は絶世の美女だ。

 

「あなた方はアインズ・ウール・ゴウン陛下の御友人、互いに争ってはいけません。かつて笑い合っていた皆さまが、意見の不一致で殺し合うなど、魔導王陛下はどれほど悲しまれるでしょうか」

「あ……はぁ」

「ぶっ……」

 

 更に困惑を深めるブルー・プラネットを見て、餡ころが派手に吹き出した。餡ころをチラリと睨みつけることもできず、男性陣は女王から目を逸らせずにいる。

 

「代わりといっては何ですが、私の首を差し上げます。期せずして、過剰な恨みを込めて殺されたブルー・プラネット様の子供たち。その命に対する償いだと思っていただきたい」

 

 彼女が恐れるは戦争ではなく、アインズ・ウール・ゴウン魔導王の怒りだ。命を差し出す程度でアインズの怒りを買わずに国が守れるのなら、お釣りどころか付加価値(プレミア)まで付く。

 

「ドラちゃん……」

「女王、あなたが獣たちを殺せと?」

「ビーストマンの捜索部隊へそのような指示は出していませんが、想像できたことです。私の思慮が浅く、ブルー・プラネット様の大切な子どもたちを奪ったのは、偏に私の責。長きにわたって獣たちに脅かされた竜王国の民、此度の当事者たちを責めることはできませんが、ブルー・プラネット様のお怒りも理解しているつもりです。この場は私の首でお許し願いたく」

「しかし……あなたの首を取っても」

「ならば、終戦でしょうか」

「……」

 

 ブルー・プラネットは言葉に詰まった。

 

 ここは魔法が存在する世界。魔導国でモモンガに蘇生を頼めば、彼は快諾してくれる。中立を提示している建御雷こそが正しいだろう。そもそも、自分は何のために戦っているのか。

 

 握った拳が(ほぐ)れていった。

 

「本当はわかっていたんです。戦争をしたって、あの子たちは帰ってこない。建御雷さんを殺しても、今度は僕の手が血に染まるだけで。でも、俺が止まってしまえば、今度こそあの子たちは前に進めなくなってしまう……だから」

「本当に、大事に思っているのですね」

「……はい」

「あなたは間違っていませんわ。誰にでも、命を賭してまで守りたいものがありましょう」

 

 餡ころへ目配せをすると、彼女は恥ずかしそうにそっぽを向いた。

 

 立ち上がり、笑顔で手を差し出した女王。それに応じるかのように、ブルー・プラネットは優しく握手(悪手)に応じた。割と至近距離で、誰かが唾を吐いた音が聞こえた。顔を見渡して探るも、三名の誰も吐き捨ててなどいなかった。

 

「ありがとう、女王陛下」

「ドラウディロンとお呼びくださいませ」

 

 これにて決着と、建御雷が大の字で倒れた。

 

「……疲れた」

 

 見上げる空は青く、澄んでいた。

 

「俺も……疲れました」

「二度と御免ですね」

「え……こんなんで戦争が終わるの? ……まぁ、仕方ないか。私もモモさんに蘇生を頼もっかな」

 

 餡ころの疑問へ答える間もなく、大量の馬が走る音。人間側へ目を向けると、竜王国の旗を掲げる武装集団が、本陣に合流するのが見えた。全員、充電を終えたばかりの電池のような満杯の闘争心でいきり立っていた。

 

「全軍停止ぃ! 停止ぃ!」

「皆のもの、ここが戦場だ! 我らは間に合ったのだ!」

「宰相殿! 開戦はいつでございますか!」

 

 各地から集められた貴族たちが、宰相に詰め寄っているのが見えた。

 

「なんだと言うのだ……?」

 

 ドラウディロンが苦笑いをした。

 

 きっとこれから、ブルー・プラネットは女王の色気に惑わされながら獣人たちを保護して魔導国へ向かうのだろう。女王の引率でモモンガの待っている魔導国へ案内してくれるはずだ。

 

 (美女を連れて旅なんて楽しそうだよなぁ……)

 

 その点だけ、ブルー・プラネットと建御雷の意見は合致していた。

 

 草原にそよ風が吹く。

 

 和平会談は実現しなかったが、どうにか建御雷の命を維持して調停は叶った。

 

 

 それであろう筈がない。

 

 

 それで終われる訳ない。

 

 

 破壊される前提で仕組まれた和解は、すぐに瓦礫と化す。

 

(さーて……始めようかぁ)

 

 演壇の片隅で、獣は口角を歪めた。

 

「♪あんたがったどっこさぁ、ひぃごさぁ、ひぃごどっこさぁ、くぅまもっとさぁ♪」

 

 プレイヤーの耳が誰かの歌声を引き込む。

 

 建御雷の胸に衝撃が走った。

 

「……え?」

「建御雷さん!」

 

 

 建御雷の胸を刀が貫いていた。

 

 

 

 

 ケダモノは物思う。

 

(少し考えればわかりそうなものを……思考の放棄とは恐ろしいものだ)

 

 竜王国の首都で繰り返される、数千、数万の日々の営み。その最中、王宮に放り込まれた人間の頭部と手紙。たかだかレベル一桁程度の獣人が、誰にも気づかれずに王宮へ侵入するなど不可能だ。ならば、それに相応しいプレイヤーがいると察しても不思議ではない。

 

 それ以外にもヒントはあったが、彼らの思考はそちらへ向けられない。現に、プレイヤー(強者)の気配が増えていることに誰も気づかない。

 

 油断大敵とはこのことだ。

 

 たった三人だけの戦場へ女王が駆け寄ったことで丸く収まりそうな現場に胸やけを覚えつつ、ケダモノは唾を吐き捨てた。野獣が狩りを行うがごとく、静かに歩みを進めた。透明化をしているので表立っては見えないが、踏みつけた雑草が潰れて足跡を知らせている。そこまでしてもなお、彼らは気付かない。

 

 手を伸ばせば届く距離に、餡ころもっちもちの背中が見えた。丸みを帯びた体は女性らしさが際立ち、そこはかとなく色気も感じさせる。今なら、手の甲から伸びる三本の爪を突きこむだけで、容易く命も奪えよう。

 

 だが、最初に狙うのは彼女ではない。

 

 有頂天になった彼は、自らの存在を知らしめるように歌い始めた。

 

「♪あんたがったどっこさぁ、ひぃごさぁ、ひぃごどっこさぁ、くぅまもっとさぁ♪」

「誰!?」

 

 餡ころが明後日の方角へ顔を向けた。その視界を掻い潜って走る。首都で食い殺した鍛冶屋(スナック)から奪取した、専用武器の白鞘(長ドス)を、巨体の胸に突きこんだ。

 

「……え?」

「建御雷さん!」

「うぶっ……がはあっ!」

 

 彼の口から噴水のような吐血が空中へ放たれた。胸に刺さった刀を引き抜こうともがいている姿は、昆虫標本にされるべく、生きながらに針を刺されたカブト虫に見えた。

 

「ぶっ……」

 

 思わず吹き出してしまった。

 

 彼は透明化(インビジブル)を解除した。餡ころとブルー・プラネットが、驚愕の表情で口を開閉させていた。二人の唇は酸欠気味の金魚よりも忙しそうだ。

 

 彼らを小馬鹿にするかのように、片手を上げて獣は叫ぶ。この時の笑顔は、これまでの人生で比較できない満面の笑みだったと自負していた。

 

「はろぉぅ!」

「あ、あんたは!」

「獣王メコン川ぁ!?」

「あ、そうだ、いま思い出した。確かそんな名前だった。自然主義者(ネイチャー)さん、ありがとう!」

 

 忘れていた名を与えられ、姿形まで取り戻した名前の無かった怪物。獣王メコン川が動き出す。

 

 「ギュン」と空間が歪むような音が鳴り、メコン川の姿が消えた。首を回して周囲を見渡したが、どこにも姿が見えない。直後、ブルー・プラネットと餡ころの体は草原に倒れていった。

 

「お礼に胸を切り裂いてあげるね!」

 

 頭から倒れ込み、勢いよく草原へ接吻する二人へ、悪意に満ちた獣の声が聞こえた。鮮やかな不意打ちでHPの半分程度が削られ、尋常ではない出血が大地を赤く染めた。両陣営、支持するプレイヤーが倒れたことで大騒ぎになっていた。

 

「あ……やば……いかも」

「なんだよ……コレ」

 

 急激に体力を失ったせいで体に力が入らない。辛うじて頭を上げれば、獣王が笑っていた。

 

「ドラちゃん! 逃げて!」

 

 獣女史の体が全力で踏みつけられた。彼女の吐血が女王に吐き出され、鎧の足元に数滴の雫がかかった。

 

「ぐふっ!」

「死に体は黙ってな」

「餡ころぉ!」

「来ちゃだめぇ!」

 

 突如として倒れた友人に駆け寄るのは当然だ。例え、当の本人が全力で止めようと、世話になった彼女へ駆け寄らずして何が友人か。

 

「メコン川ぁ! 自分が何をしているのか分かっているのか!」

 

 未だ、自分の体を貫いて草原にまで達している刀を引き抜こうと、もがいている建御雷が怒鳴った。

 

「五月蠅いなぁ。そんなに怒ってどうしたの、昆虫標本のタケちゃん。ピンチだったじゃないスかぁ。アタイが手助けしてやったのよ!」

「自分が何をしているのか分かっているのかと聞いている!」

「勿論だ! 少なくともあんたよりは!」

「争いは終わった! 余計な手出しをするなら私が相手に――」

「ならやって見せろよ、死にぞこないがぁ」

 

 目に見えぬ速さで移動する獣王は、建御雷に突き刺さった刀をグリグリと捩じっていた。

 

「がああああ!」

「痛い? 痛いっしょ? ざまぁ!」

 

 握った拳を動かすたびに深く、刀が埋め込まれていく。既に柄の部分しか見えず、刃の部分は大地に埋まっていた。

 

 およそ並の人間なら致死量であろう吐血が、空中に噴射された。

 

 現場はメコン川の独壇場だが、彼の目的がさっぱりわからない

 

 地に伏せるブルー・プラネット、及び餡ころもっちもちが向ける視線。敵意でも殺意でもなく、幽霊でも見つけた不気味な目線を向けていた。明確な敵対行動だが、動機が不明なものを見ると下手に身動きが取れない。

 

 ドラウディロンが餡ころを介抱しながら叫んでいた。

 

「餡ころ、しっかりしろ。お前はプレイヤーだ、死んではならない! しっかりしろ!」

「痛ぅぅ! ドラちゃん、私はいいから早く逃げて」

「できるわけないだろう!」

「お願い、早く!」

「もう遅いッスわ」

 

 女王の背後、得体の知れない怪物の息遣いがする。獣臭い匂いが立ち込め、忍び寄る死の気配で女王の頬を冷や汗が伝った。

 

 振り向きざま、女王は両手を広げて餡ころを庇うように立ちはだかる。

 

「餡ころを傷つけるな!」

 

 だが、メコン川の目的は初めから女王だ。その首を掴んで持ち上げられ、首輪を嵌められた女王がもがく。

 

「女王、プレイヤーに甘ったれるのはそこまでにするんだな」

「ぐっ……お前もプレイヤーなのに、よくも餡ころを」

「そうやってプレイヤーに甘ったれてるから、今回の事態を招いたんじゃないのか?」

「私は甘えてなどいない!」

 

 命を握られながらも、女王の目は死んでいない。その強い瞳で睨みつけられ、メコン川の背筋を悪寒が走った。彼女の顔が苦痛に歪む姿は、ずっと前から見たかったものだ。

 

 獣の両眼が輝き、口角が歪んだ。

 

「人間の数十倍も生きてて、たかが百万人を犠牲に出来なかったとは情けない王だよな」

「……なんだと?」

「それは蛆虫のごとき偽善というのだ」

 

 もがいていた足の動きが変わり、メコン川の胴体へ蹴りが撃ち込まれた。

 

「貴様に何がわかる! ただ平凡に生きたいと、それすら許されない弱者の気持ちが――」

「お前らの気持ちなんざ知ったことか! 全部、お前のせいだ。戦争が起きるのはお前のせいだ。お前が戦争を招いた。これまでの全て、モモンガさんと餡ころに甘えたお前のせいだ。お前のせいだと認め、さっさと自覚しろ」

 

 繰り言をするメコン川は、彼女の反論を許さなかった。女王が口を開こうとするたび、持ち上げられた体を激しく揺さ振られる。

 

「あっ……たっ……きっ……きさっ……」

「なぁ? なぁ!」

 

 メコン川が怒鳴りつけた。

 

「仲良しこよしで解決するものかよ。モモンガさんに与えられた平和を維持するのは楽だったろう。犠牲になった者や家族を奪われた者の心から目を背け、犠牲を出さずに戦いを放棄して平和に縋るだけなら楽だろう。それらの呪縛を断ち切り、新たな平和を築くとしたら戦争しかない……と、本当は知っているはずだ」

「……くぅぅ」

「子供でさえ命の保証がない、イカれた弱肉強食の世界で、いつまで甘えているつもりだ!」

 

 猛る獅子のようなプレイヤーに言ってやりたいことは山ほどあったが、既視感(déjà-vu)が女王の口を阻んだ。

 

「戦いを放棄した死体は弱肉強食の世界に必要ない。人も獣も、とっとと剣を取って戦え! 家族・友・隣人を守れ! 戦って死ねることを誇りに思え! それさえもできないのなら死ね! 負け犬は死んでしまえ!」

 

 投球でもするような動作で、大人の女王の体が人間の群衆へ放り投げられた。兵隊たちが集まって草原に落ちた彼女を介抱している。彼女の騎乗していた白馬も主の後を追って走り去った。

 

 女子供であろうと一切の躊躇いなく、獣は独壇場で嗤った。

 

「ひひ、ひゃひゃひゃ! あああ! 楽しい! 楽しいなぁ、みんなぁ!」

「メコン川ぁ!」

「あ、餡ころさん。いたの?」

 

 餡ころの出血は止まっていた。全身を黒い波動で覆った獣の戦姫が、赤い瞳と牙を光らせて睨んでいた。誰の目から見ても彼女は激昂して理性を失っていた。

 

「その死に体でよくやるもんだ」

「あんたはぁぁぁ……あんただけは許さないぃぃ! タケちゃんみたいに適当に許してやらない! 泣いて謝っても許さないぃい!」

「その台詞、多分、後でまた言うことになるぜ」

「あぁ!?」

「後ろ」

 

 メコン川が指さした餡ころの後方より、巨大な何かが落下する音、軽度の地震が草原を走った。牙を剥き出して飛び掛かろうとした餡ころは水を差されて振り返る。

 

 満身創痍の三名と獣性剥き出しの一匹が顔を向けた方角。鱗を七色に輝かせる巨大な竜が、天へ向けて咆哮した。

 

 やや瞳から光が失われていた女王も、驚いて立ち上がった。

 

「曾祖父様ぁ!?」

「おぉ、皆のもの、刮目せよ!」

「我らの始祖! 七彩の竜王猊下!」

 

 獣人たちが恐怖に震え、老年の貴族たちが加勢に歓喜する。

 

 餡ころが顔を戻すと、メコン川が消えていた。力技で注意を逸らされ、彼は竜王の側へ移動していた。腕を組んでメコン川が佇む傍ら、竜王は集結した人間側の軍勢へ顔を向けた。

 

「私は竜王国の始祖、七彩の竜王。貴族諸君、急な招集に関わらずよくぞ集まってくれた。これよりこの地で行われるは、人と獣、過去の遺恨を断ち切り、未来を築くための大戦である」

「曾祖父様!? これは、どうしたのですか!」

「ドラウディロン。絶えることなき悠久の栄光は、その手で作り出してこそ価値を得る。誰かより与えられるものではない。竜王国の栄光は、お前の手で作り出さねばならない」

「どういうことですか! これ以上! 我らに更に血を流せと!?」

「立ち上がるのだ、弱き者たちよ。どれほどの血が大地に飲まれようと、一つとして無駄にならない。竜王の魔法とは、魂を対価に発動される」

 

 竜の意志を理解し、女王は膝をついた。アインズ、餡ころ、諸プレイヤーの力を借りて、必死で回避した選択肢が、再び目の前に突きつけられている。それは、彼女にとって最も忌避されるべき絶望に相違なかった。

 

「ま……さか……それを、私にやれと仰るのですか。これまで必死に生き延びてきた民たちを糧に、始原の魔法(ワイルド・マジック)を行使せよと……仰るのですか」

「いいから戦うんだよ、ドラちゃん」

 

 先ほどの獣の声が耳元で聞こえた。

 

 全身を鳥肌が覆って振り返るも、宰相が青い顔をして口を開けているだけだった。地獄まで繋がる洞穴のようなそれからは、何の言葉も発せられなかった。

 

 顔を曾祖父へ戻すと、彼の首が消えていた。

 

「……え?」

 

 両目の水晶体が狂ったのだと思い、何度も目を擦った。しかし、遂に彼の首は生えてこなかった。

 

 竜王の鮮血は出鱈目に噴き上げられ、赤い雨となって草原に降った。

 

「曾祖父様ぁ!」

 

 駆け寄ろうとした女王の眼前に、切り落とされた竜王の首が差し出された。

 

「栄光は……お前が……造るのだ」

 

 徐々に声は掠れていき、遂に途切た。

 

 七彩の竜王自身の死すら含め、プレイヤーの激怒も、女王の心神喪失も、始祖を殺された人間たちを襲う黒い絶望も、全ては七彩の竜王の筋書きでしかない。数人は悠々と座れそうな頭部に腰かけ、メコン川が女王を笑った。

 

「曾祖父様……曾祖父様……」

「あとはお前が決めろ、女王。この戦争は、誰にも邪魔させない」

 

 座り込む女王は、虚ろな目で曾祖父の頭部を撫でていた。

 

 やや離れた場所で、建御雷と餡ころが激怒している。相反し、ブルー・プラネットが静かなのは獣側の犠牲が出ていないからだ。予定と寸分狂わぬ三名の様子を確認し、獣王の口角が歪んだ。

 

 彼の姿が掻き消えた。女王を除く、生きとし生けるもの全て、獣の姿を草原に探す。獣王は獣側の先頭で、白い虎へ話しかけていた。

 

「お前はどうする。戦うか? それとも薄汚れた誇りを抱いて、死ぬか?」

 

 話しかけられた白い虎の首へ、獣の三本爪が差し出された。周囲の食人種たちのみならず、人間たちの視線まで彼一匹へ集まる。

 

 青い惑星(ブルー・プラネット)の子供たちの代表者として、白い虎は立ち上がる。剣を掲げてニヒルに笑うその様は、運命に苛められていた哀れな子供ではなく、十字軍のレジスタンスに見えた。

 

「我ら、誇り高きビーストマン。欲しいものは戦って勝ち取る。罪と掟は、食人種のものだ!」

「死ぬぞ?」

「死にぞこなった俺たちは、ずっと生きていない!」

「そうだな……ずっと生きていないな」

 

(私も同様に……な)

 

 獣王メコン川は、どちらかと問われれば獣側だった。だが、彼が毛嫌いするのは上から目線の転生者だ。這いつくばる弱者に、自分が殺すべき者と、戦うべき敵を、改めて思い知らされた。

 

「なら、誇りを取り戻せ。弱者よ、壮絶に戦って死ね」

「大地の掟に従い、俺たちは人間を食い殺す! 腹が減った奴は立ち上がれ! どうせ死ぬなら、戦って死ね!」

 

 その言葉に呼応し、人を食らう野獣たちが咆えた。獣に属さない一部の食人種が「話が違う」と怒っていたが、逃げ出すものはいない。

 

 魔導王の影に怯え、人間もまともに喰らえない彼らの飢餓は、闘争心へ変換された。生きながらに死んでいた彼らへ炎が宿り、力は蘇る。

 

《雄ォォォォォオオオオオオオ!》

 

 人間側の準備如何にかかわらず、食人種側は攻め込む準備を終えていた。

 

 視界の端で、ブルー・プラネットが激昂している。今、何の準備もなく彼の前に顔を出せば、殺されると想像に難くない。せっかく丸く収まり、獣人たちの地位が確立されるはずだった未来は、獣の爪で滅茶苦茶に破かれたのだ。

 

 全ての生物が、自分の戦うべき戦場を持っている。メコン川は、黒い波動が立ち上る自らの戦場へと足を向けた。その足取りは軽く、心なしか浮かれているように見えた。

 

「♪あんたがったどっこさぁ、ひぃごさぁ、ひぃごどっこさぁ、くぅまもっとさぁ♪」

 

 刃のように研ぎ澄まされた雑草が、ダーツよろしく飛んでくる。手の甲から伸びる三本の爪でそれらを払い落しながら、下手くそな鼻歌混じりで自らの戦地へと立った。

 

 三名の準備は出来ている。

 

 餡ころによって引き抜かれた刀を掴み、武人は顎を何度も鳴らしている。「ガキリ」と繰り返し鳴らされる音に混じって聞こえるのは、餡ころもっちもちが爪を擦り合わせている金属音。

 

「お・ま・た・せー!」

 

 不意に、ブルー・プラネットが地面を殴りつけた。

 

「《大地の拘束(アースバインド)》」

「《不動明王撃(アチャラナータ)》!」

「《剣の舞》!」

 

 大地から伸びた巨大な蔓がメコン川を拘束して高く上げ、建御雷の放った衝撃波が空中で命中し、着地間際に合わせて餡ころの爪が切り裂いた。

 

 吐血しながら弧を描いて落下するメコン川は、笑っていた。

 

 野獣の優位は揺るがない。

 

 仰向けに倒れる獣の王からは、不敵な笑い声が聞こえてくる。

 

「ふ……ふ……フ、ふはっ、はははははは!」

 

 吐き出した血で毛並みを赤く染め上げながら、狂気すら感じさせる有様で立ち上がる。ケダモノは体がへし折れそうなくらいに笑っていた。

 

「あんたは……あんただけは許さない!」

「殺す! この場で殺してやる! あの子たちに何かあったら、地の果てまで追いかけて惨たらしく殺してやる!」

 

 メコン川は口をもにゅもにゅと動かしてから、歯と血を吐き捨てた。

 

「ぬあああああ!」

 

 激昂する建御雷が詰め寄り、刃を首へと当てた。返答を間違えばこのまま斬首してやるとばかりに激怒していた。

 

「人の耳元でうっせーんだよ、デカブツ」

「争いをけしかけて何の意味がある!」

「曖昧にすることに何の意味がある!」

 

 建御雷の声量に上乗せされた怒号に、大きな図体が怯んだ。

 

「これまでの恨みは水に流せない。そこを有耶無耶に終わらせたところで問題を未来へ先送りにするだけだ。ビーストマンの薄汚れた誇り、蛆虫のごとき女王の偽善、人間たちの憎悪の呪縛、今さら個別に解決するなど不可能。死体が積み上げられることになろうと、どちらも本心では戦争を望んでいる」

 

 左右の手から生えている三本爪を擦り合わせ、不愉快な金属音を出しながら絶望のオーラを放った。

 

「ならば正義はどうなる!」

 

 瞬間、メコン川から表情が消えた。子供が遊んでいた玩具を突然に奪われたような、これまでの彼から想像もできないほど無垢で、虚無な顔だった。

 

「正義……とは? 武士道とは死ぬこととうんぬんかんぬんと言ってたのに、ここにきて急に正義とかのたまうのか?」

「貴様のやろうとしていることは明らかな悪だ! 攻撃的な言葉を多用し、相手の心を煽り立て、戦争をけしかける!」

「悪も正義も関係ないだろう。だいたい、お前、自称サムライじゃん? 正義とか関係ないじゃん。侍のキャラ、確率してないじゃん。ブレブレじゃん」

 

 胸倉を掴み上げた建御雷に対し、メコン川は努めて冷静に、武人の腕を掴んで握り締めた。掴まれた腕が軋むほど、ものすごい力が込められていた。

 

「お前の正義はどこにある。何様のつもりで正義とはほざいているか、わかっているのか? ふざけているのはお前だろうがぁ!」

 

 掴んだ腕を上から抑え込み、膝をついた建御雷の顎に蹴りを入れると、巨体が倒れ込んだ。その腹部を全力で踏みつけ、メコン川は怒りに満ちた声で言う。

 

「ここでプレイヤーが和解をして、互いに許し合ったところで、人は獣を憎んでいるし、獣は人を食う。疲弊しきった現実は何一つとして変わらないんだよ。なら、私たちに出来ることは精々、徹底的に争わせ、未来に蹴りをつけてやるしかない」

「ち、ちがっう」

「何も違わない。これ以上、無理な和解をさせて苦しませるのはやめてやれよ」

「……」

 

 揺らぐ侍には、メコン川を否定できなかった。

 

 今にも飛び掛かろうとしている餡ころとブルー・プラネットを確認し、メコン川は人差し指を立てた。口調はこれまで以上にふざけていた。

 

「はい、えー……ここで問題です。とある国に旅行へ来た異邦人。彼はその国が戦争を控えていると知りました。彼は戦争を止めるために戦うべきでしょうか。それとも、何もせずに立ち去るべきでしょうか。はい、ブルー・プラネットさん、どうぞ!」

 

 掌を差し出されたブルー・プラネットは絶望のオーラで応じていた。

 

「何が言いたい!」

「余所者が彼らの懐へ入り込んで、上から目線で守るだの、止めるだの、助けるだの……馬鹿じゃねえの? 本当に虫唾が走る。ぬるいんだよ、お前ら全員」

「これが、殺し合わせるのがお前の正義なのか! ならお前は人間じゃない!」

「お前も異形種じゃい!」

「人が真面目に話しているのを、茶化すんじゃねええ!」

 

 ブルー・プラネットが殴りかかるも、獅子は造作もなく躱した。

 

「簡単に手に入れた力を駆使して神でも気取っているのか……何様のつもりだ!」

「関わったのだから助けるのは当たり前だ!」

「それがビーストマンを貶めているのだと、いい加減自覚しろ! 本心では戦って誇りを取り戻したいと願う彼らを理解しろ。人間だって、ビーストマンが憎くて憎くてたまらない。その手で絶滅させたいと思っている。二人とも、獣と人から戦う場を奪おうとする邪魔ものだといつになったら気付くつもりだ」

 

 女豹と森祭司の顔面に、複数の血管が浮き立った。遂に脳の配線を断ち切った両者は、これから本格的に殺戮行動に移るようだ。

 

「もういいよ、ブルー・プラネットさん。そいつ、私が殺すわ」

「ああ、メコン川を殺す。こいつはここにいてはならない」

「こいつを殺した方が、相手に言うことを聞かせるのはどう?」

「いいですよ、それで。今度は俺も本気で殺りにいきますから」

「じゃあ、お先にぃぃ……っと。死ねぇぇぇええ!」

「……おっと」

 

 襲い掛かるブルー・プラネットと餡ころもっちもちから、メコン川は逃げ続けた。これもまた、予定調和でしかない。初めから彼の目的は、侍の啓蒙にあった。

 

 建御雷は倒れ、地に伏しても刀を離さずに、まだ動かない。

 

(正義とは……いったい何だ?)

 

 ブルー・プラネットは正義だ。

 

 彼はこれまで虐げられ続けた哀れなビーストマンの生き残りを守るため、種の存続を確立させるべく、自らの命を賭けて戦っている。

 

 餡ころもっちもちは正義だ。

 

 彼女はこの世界で新たにできたかけがえのない友人のため、血に飢えた本能さえも超越して、そこに立っている。

 

 故に、互いに本気でぶつかり合った。

 

 獣王メコン川は――

 

「あんなものが正義であってたまるか……あんな……正義であって……正義では……正義とは?」

 

 こんなとき、たっち・みーならどうしただろうか。

 

 ――と、考えて止まった。たっち・みーは建御雷の道しるべではない。彼は間違いなく、戦争の調停を選ぶだろうが、それは建御雷の求める道ではない。

 

 建御雷は正義だ。

 

 かつての友で殺し合おうとする状況を回避すべく、自らの命まで投げ出す覚悟を負っていた。

 

 故に、間違った。

 

 武士道と正義は関係ない。戦いを望むべきであった最初の気持ちが呼び起こされる。戦うべき敵は、人あるいは獣だろうか?

 

 否。

 

 力の差があり過ぎる戦いは、一方的な虐殺だ。

 

 最高なものはしばしば、最悪の場所に隠してあるもの。

 

 結論は出ていながら、選んでしまったら後戻りはできない。調停者として惑う建御雷へ舞い降りた先導者(ゼノン)は、皮肉にも嬉々として戦争を煽り立てるメコン川だった。

 

 腹立たしいが、認めざるを得ない。これは美女に囲まれて浮かれていた自分の過失と言える。侍は異世界へ降り立って早々に大失態を続けていた。

 

 白鞘(長ドス)を杖にして立つ建御雷の隣へ、餡ころが転がってくる。

 

「くっ、あの野郎……さすがに強い。タケちゃんも手伝って!」

「ああ……彼は切り込み隊のエースでしたね。私も加勢しなければ」

「でしょ! あの野郎だけはこの場でぶっ殺す! よくも虹色君を殺して、ドラちゃんを苛めてくれたな!」

「本当に……甘い」

「え?」

 

 建御雷は刀を振り下ろし、餡ころを袈裟に切った。

 

「なん……で……?」

 

 返り血が宙を舞った刹那、時間が凝縮されたようにゆっくりと見えた。すぐに時の流れは元へ戻り、血を撒き散らし、絶叫しながら大地を転がった。激痛の初体験でしばらくは大人しいはずだ。

 

「タケちゃーん。ポーション、使うっしょ?」

「礼は言わんぞ、メコン川」

「いらんわい!」

 

 放り投げられた二つのポーションを受け取り、片方を餡ころへ、もう片方を飲み干した。すぐに切り落とされた左腕が生えてくれた。これなら餡ころとブルー・プラネットを相手に十分な戦いができる。

 

 ここで死んでも構わないと思える自己陶酔の最中、建御雷の心で炎が燃えた。

 

 ブルー・プラネットは蹴散らされ、餡ころ同様にポーションを振りかけられた。メコン川も栄養ドリンクよろしく、小瓶を飲み干してこちらへ歩いてくる。忌々しいにやけ顔を殴ってやりたくなった。

 

「待たせたな。私は、ようやく追いついた」

「おっそ! 死にかけてやっと気づいたのか」

「黙れ。貴様は終わったらぶん殴ってやる」

 

 メコン川と建御雷が見上げた青空、太陽はすっかり上っていた。

 

 遥か上空に彗星らしきものが二つ、北西へ飛んでいった。そう遠くない未来、あれらと再会する未来が見えた。

 

 

「さーて、茶番は終わりにして、みんなでやろーよ、大戦争をさぁー」

 

 

 挑発するメコン川は、無言で佇む建御雷の背中へ寄りかかり、両手の爪を擦り合わせて笑った。ブルー・プラネットと餡ころが、草原を黒く染める殺気を纏って立ち上がるのが見えた。

 

 戦いの刻は、ようやく訪れた。

 

 

 

 じきに、草原に銅鑼が鳴る。

 

 

 

 






武力数値(武装)

獣王(キングレオ)(爪) 6.5~7.5(ブレるのは性格的な問題)
女豹(爪)  6.5
岩顔(無)  6~7
白鞘(長ドス)帯刀・武人童貞(チェリー)侍  7

素っ裸のたっち・みー 7.5
素っ裸のウルベルト  8.5

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