Fate/Grand Order~荒寥魔星大陸 梁山泊~ 作:源氏物語・葵尋人・物の怪
「胎児よ、胎児よ。何故、躍る?」
少年の耳に届いたその詩(うた)は真冬の湖のような酷く凛とした女の声で紡がれていた。
「母親の心がわかって恐ろしいのか?」
永劫を生きてあらゆるものを見た老人のようにも、何も知らぬ少女のようにも聞こえる不思議な響きであった。
一体、この詩は、この声は何なのか?
そう思った所で少年は気付く。
何も見えないということに。否、見えないのではなく見えているものが黒という色だけであるのだ。
「――彼は私が怖いから私の胎(はら)の中に居ないのだろうか? 少年はどう思う?」
自分の見ているものが“夢”であることに漸く至れた少年の前に齎された問いは、問いというにはあまりにも輪郭がぼやけたものであった。
「分からない。アナタが生んだからアナタのお腹の中にいないんじゃないんですか?」
当然、莫とした問いには、莫とした答えしか生まれない。
「違う。そもそも彼を生んだのは、私じゃあない」
そして、女の言葉は、少年の曖昧模糊とした回答どころか自らの問いの根幹すら否定する言葉であった。
「否、私の技という母体があって、私の教えという胎内で育て、私の好みという栄養で調整したのだから。あれは私の子なのだろう。私が、産んだ」
屁理屈だと、少年は思った。
“彼”が女の生んだ子供でないなら、そもそも胎にあったという過去がない。
何故いないのかではなく、いないことが当然であるのだ。
そこを疑問に感じることの方が狂っている。
そう思った瞬間であった。
「だが、そんなことは関係ない」
少年の首に女の手が掛った。
ボクシングのバンテージのような布が巻かれた腕は細いながらも、女とは思えないほど筋張っているのを、脳幹から生まれる熱と酩酊感の中でも少年は確認する。
「兎に角、私は、あの子を孕みたい」
女の荒い呼吸が少年の顔に掛る。
併し、そこまで近い場所にあるのに女の顔貌は分からない。
一体どんな顔でこんなことを言っているのか、少年には分からない。
笑っているのか、泣いているのか、蕩けているのか。
ただ――
「だから、あの子を返して貰うぞ。藤丸立花」
屹度、これは怒りを湛えて言っているのだろうと少年は想像した。
†
立花は目を覚ますと激しく上体を起こす。
「最悪の目覚めだ……」
過呼吸交じりにそう独り言つと、頭が割れるような鈍痛と、息苦しさを自覚する。
ふと、立花はベッドの傍に置かれた姿見に目を向ける。そこに映っていた特徴と言えるものが存在しない極平均的な十代の東洋人らしい顔に、恐怖の色が浮かんでいた。
これまでおかしな夢を見ることは――英霊の夢の世界に触れる事は幾度となくあった筈だ。その中で死ぬかもしれないと思うこともあった。
例えば下総国である。一人の剣士と立ち向かったその夢は、夢と言うよりも一つの独立した世界であり、多くの死に触れ、自らも死ぬような目に遭った。
それでも先程の夢は気持ち悪いと感じたのだ。
女の言動がではない。
このカルデアには様々なサーヴァントがいる。気が触れた者もいれば、話が通じない者、人とは相いれない価値観を持つ文字通りの怪物もいる。
それと何の違いがあろうか。
無論、カルデアと敵対する側に――詰りは藤丸立花が生きていく世界を、ロマニ・アーキマンが救った藤丸立花が生きなければならない世界を壊す立場にあるのならば敵対もするだろう。
併し、それだけだ。その価値観を否定しようとはしない。
だのに、夢に出てきた女を藤丸立花は気持ち悪いと思った。その理由は何なのだろうか?
それを考えていると、部屋の自動ドアがウィーン……という音と共に開いた。
「よぉ、マスター。今日も爽やかなお目覚めかい?」
悪童めいた軽い調子の声に反応し、立花はそちらを向いた。
そこにいたのは、刺青に覆われた筋肉質な体を惜しげもなく曝す伊達男――アサシンのサーヴァント燕青であった。
「……っと、どうにもそうじゃないっぽいな。如何した、如何した? 悪い夢でも見たのかね?」
燕青は契約者である立花の顔色が蒼褪めているのを見て取って、彼の傍に寄った。
「悪かったかどうかは分からない……。でも、夢を見てたのは確かかな?」
「ほぅ。ちなみにどんな夢よ? 後輩ちゃんに面と向かって大嫌いとでも言われたかね?」
「それはそれでサイアクだけど……でもそういうのじゃない。もっと訳が分からなくて、でも良くないことは確かな夢だった」
「具体的には?」
「女の人が、訳の分からないことを聞いてきた」
立花は先程の夢の中での女の問い掛けの内容を事細かに再生した。
「……何それ、キモッ! てか、地雷臭ハンパねぇな、その女」
燕青はあからさまに、身震いするような仕草をしてみせる。
「てか、その夢大丈夫なのかよ? 全く信頼出来ねぇし、頼りたくもねぇが、マーリンのヤツに相談してみるか? ほら、餅は餅屋っていうし」
円卓の騎士の相談役、世界有数のキングメーカーとして知られる花の魔術師は夢魔と人間との間に生まれた混血児である。
その特異な生まれの為にマーリンは他者の夢に介入するという能力を持っている。
故に、夢が関わる事象であれば彼ほどの専門家はいないと言って良いだろう。
だが、問題は彼の人格である。藤丸立花が知るマーリンは悪戯好きでトラブルメーカー、その上人が悪い。
困難な状況になりかねない場合であっても敢えて見逃す可能性だってある。
「……まずはダ・ヴィンチちゃんにしようよ」
そう提案しながら立花は漸くベッドから立ち上がった。
正直、立花にとってマーリンは出来れば大人しくしていて欲しいサーヴァントの筆頭であった。
こういった事態にあっては、面白がって何をするか分かったものではない。
故に最初に相談すべきは万能の天才として謳われ、カルデアの所長代行に収まっているサーヴァントキャスター“レオナルド・ダ・ヴィンチ”であろう。
「その方がまだマシか。まぁ、あの姐さんも何だかんだ問題児だが……」
億劫そうに項を掻きながら燕青も立花に続き立ち上がる。
「ま、それでもあのお花畑野郎よりはマシか。よし、まず工房に行ってみるか」
「そうだね」
コツコツと二つの足音がカルデアの廊下に響く。
「そういえば、燕青はなんで俺の所に来たの?」
「ん? ああっと……俺も夢を見たんだよ。それでまぁ、胸騒ぎがしてな」
「夢? まさか、俺と同じ……」
「残念ながら出てきたのは女じゃなくて男だったがな」
そう答える燕青の後に、
「それはひょっとして盧俊義ではなかったか?」
と女の声が続いた。
立花はその声に目を見開いた。夢と同じ声であったから。
驚愕に立ち尽くす立花と、困惑する燕青の肩に女の腕が回った。
「やあ、藤丸立花。さっきはどうも」
女は立花の方を向いて微笑みかける。
立花の目に映ったのはその声色以上に、背筋が凍るような美貌であった。烏の塗れ羽のような艶やかな髪を俗に言うおかっぱ頭にしている。ロマニと同じくらいの年齢に見える女には一件不釣り合いに感じるが、立花は不思議と違和感を抱かなかった。瞳は一切の光を感じさせないほど真っ黒で、唇が青く、それだけでも特異な見目と言わざるを得ないのに、極めつけるように頭には猫と思わしき耳が生えていた。
総じて胡乱と言わざるを得ない女である。
「――そして、久ぶりだね、燕青」
そして奇天烈に過ぎる美女はどうも燕青の知り合いであるようだったので、藤丸立花は目で以て彼に訊ねる。
“この人誰?”
と――。
すると燕青は叫んだ。
「誰だテメェは!」
と。
自分の背後に立つ女に肘鉄を放ちながら。
女はそれを躱し、翻って二人の前に立った。
そして、まず二人は思った。
“デカい”と――。
カルデアの女性サーヴァントの中でも背が高いケツァルコアトルと並んだ場合、屹度目の前の女の鼻がケツァルコアトルの額の辺りに来るだろう。
そして、下世話な話、女性的な意味合いでもそれは巨大であった。
黒い飾り気のない着流し姿であるが、いつ
「酷いじゃないか。久しぶりの再会だというのに」
「何度でも言うがね。テメェは誰だ? 俺には良い歳して猫耳付けるような恥ずかしい知り合いはいねぇんだよ」
女は本気で申し訳なさそうな顔をして、
「――嗚呼、済まない。混ぜられたものの影響でね。どのような姿に調整してもこれが生えてきてしまうのだよ」
と耳を触りながら言った。
「そして、もう一つ謝りたい。この姿を君に見せるのはこれが初めてだった。故に、改めて――初めまして、燕青」
「どういう意味だ?」
「私が君の心に指を入れていた唯一人であったということだ。お前がお前である限り、必ず私に至ることが出来る。私とは詰りそういう存在だということだ」
そう語る女に燕青は、
「勿体ぶった言い回しで……」
強く歯噛みし、
「煙に巻こうとするんじゃねぇ!」
女に飛び蹴りを仕掛けた。
併し、燕青の蹴りは女を捉える事はなかった。蹴りは女に直撃したかに見えたが、女の姿は霧散し、廊下の壁に凭れる形で今度は立花の傍に現れた。
「詩的と言ってくれ。それに伝わるように話さないというワケではないさ」
そう言って再び現れた姿さえ消え、今度は二人の遥か後ろに現出する。
「西暦1121年、梁山泊」
二人は女の気配に勢いよく振り返る。
「私の真実、私の目的、猫耳の意味――そこで総てを話そう」
そう言い残して、女は跡形もなく姿を消した。
「……どういうこと? それに梁山泊って」
藤丸立花はカルデアのマスターとして多くの英霊と関わっていながら、歴史や神話についてあまり明るくはない。併しそんな不確かな知識であっても“梁山泊”という名前にピンとくるものがないわけではない。
燕青が登場する水滸伝に登場する百八人の好漢達の根城――立花にもそういった認識くらいは出来た。
「レイシフトしろってことだろ。宣戦布告しに来たんだよ、あの女」
一体何が目的なのだろうか?
立花は一瞬疑問に思ったが、その答えすらも行かなければ分からないのだろうと、先程の女の口ぶりから推測した。
ならば、一刻も早くレイシフトをしなければ。
そう思っていた矢先であった。
『マスター藤丸立花、サーヴァントアサシン燕青。至急管制室までお集まり下さい。緊急ブリーフィングを行います』
施設内にアナウンスが流れた。
マシュの声であった。
「このタイミングでブリーフィング?」
「さっきのヤツと無関係ってわけじゃなさそうだな。急ぐぞ、マスター」
†
緑も水もない鋼のような灰色の大地に、不釣り合いな雲一つない青空に太陽が十。
その下に小さな集落があって、地獄のような有様の中でもそこには人が溢れ活気があった。
女が現れたのはその集落の中心であった。
突然現れた女に人々の視線が集中する。女はそれを気にすることなく、簡素な木の椅子に腰かけた男の前に立った。伊達を気取ったように煙管のようなものを吹かしているが、男らしさや凄みといったものがどこか欠けている、一見すると腑抜けた印象の男であった。
「員外けぇ。今まで何処に行っとった?」
男は女が目の前に立つまでその存在に気が付かなかったのか、殊更に驚いた顔をして煙管を口から外した。
「何処でもない。否、今の私はそもそも何処にもない。赤子の見ている夢、匣に詰められた猫のようなもの――黄梁が炊き上がるまでの盧生が人生の方がまだはっきりとしている。そう申したでしょうに、宋江様?」
「俺(おい)にはお前(まん)の言うとることがよう分からん。俺(おい)、阿呆じゃけぇ。目の前にいるお前(まん)がお前(まん)じゃあいけんのかえ?」
すっ呆けたような顔をする腑抜け男――宋江の言に二、三度瞬きすると女は顔を覆い、
「クッハハハハハハ!」
天を仰いで哄笑した。
「貴方は何も変わらない。何処にあっても、こうしてここにある真実であっても、総てが偽物であるはずの私の記憶であっても。宋江様は宋江様だ」
「……ずっと気になっとんだが。お前(まん)は俺(おい)をよう知っとるような口ぶりじゃが、俺(おい)はお前(まん)を知らん。それになんじゃ? 偽物(バッタモン)だ、真実(ホンモン)だのとしゃらくさい。俺(おい)は此処におる俺(おい)だけじゃし、お前(まん)は此処におるお前(まん)だけじゃろうに」
「良いのです。貴方はそのままでいて下さい」
女はそっと目を閉じた。
瞬間、宋江の手から、煙管が落ちた。
宋江は口元が異様に湿るのを感じた。次に感じたのは全身を焼くような熱。それは胸から起こっていた。
宋江は恐る恐る、自分の胸を見た。
腕が、突き刺さっていた。女の、腕が。まるで杭のように、己の心臓に。
「なんじゃ? なんじゃコリャァァァァァ!?」
状況を理解し、宋江は狂ったように叫ぶ。
「さようならの代わりに。如何か許して下さい。私の目的の前に、私が求めたものに貴方は不要なのです」
「騙しとったんか? ワレ、俺(おい)を騙しとったんかァ!?」
「はい」
宋江が見たものは女の涙であった。
「私だって貴方を騙したくはなかった。貴方と共にあるのも一興かと思った。でも駄目だった。私を私として定義してしまった以上、こうせざるをえなかった」
「何をワケ分からんこと言うとる!? 俺(おい)を騙しとーなかったなら、俺(おい)と一緒にいりゃ良えじゃろ! 俺(おい)がこ
女は押し黙り、宋江の胸から腕を引き抜いた。
瞬間、宋江は椅子から転がり落ちた。
「畜生、悔しいのォ。俺(おい)が阿呆だから! 悔しいのォ!」
泣きながら宋江は、息絶えた。
「……いいえ。貴方は阿呆で良い」
女はそう言って立ち尽くした。
「貴様ァ! よく首領を!」
「許さん! 許さんぞ!」
宋江はこの集落の長であった。
その死に怒りを表し、彼の配下であった男達がそれぞれ武具を手にし女を取り囲む。
「フフフ。これにて水滸伝完結! これにて魔星失墜! 既に好漢は要らず!」
女はニタリと淫蕩な笑みを浮かべて宣言する。
「あとは彼がこの肉に還るのを待つだけ」
と――。