白雪姫の指し直し   作:いぶりーす

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十話

「指し方、ずいぶんと上手くなったな天衣」

 

 ぱちん、と小気味良く駒を鳴らした私に彼は満足気な表情をしながら彼も私と同じように駒を鳴らした。

 巻き戻ってから少しの間は二年前の小さな体に違和感を感じて上手く駒を指せなかったけど、最近になってようやく慣れてきた。

 彼から文字通り、手を取り合って丁寧に指し方を教わったお陰だ。

 

 今日は東梅田にある将棋道場に来て、彼と二人っきりで指していた。晶も付添として来てたが、今は車の駐車場を探してこの場にいない。

 新世界の道場と違って清潔感があるこの道場は前回にも来たことがある場所だ。そう言えばあいとはここで初めて出会ったんだっけ。

 弟子入りしたての頃はわざわざ神戸の家まで出向いてくれていた彼だったけど、最近は大阪で指す機会が増えてきた。

 彼曰く、色んな環境で指すのも棋士として重要な経験だからだと。

 今の私は、それこそ様々な場所や多くの人の前で指した経験があるけれど、彼のこの教えが無駄だとは決して思わない。

 一度目の時に教えてもらった事を今改めて聞くと、あの時の自分では見つけれなかった新たな発見や、過去の自分と今の自分との対比ができた。

 やり直してから二度目となる彼の指導は、棋士としての私をまた一歩、成長させてくれたと実感する。

 

「……ありません」

 

 ただ、それでも彼にはまだまだ敵わない。

 先手を貰って、あの時と同じように得意の角交換で誘導してみたけど簡単に押し潰された。

 

「お疲れさん。うん、平手でここまで指せるなら十分だ」

「……差が縮まる気が全くしないわ」

 

 当然だけど、彼は将棋に関しては一切容赦しない。

 前回も負けた。それも大差で。

 完膚なきまでにボッコボコにされた。

 でも、まさか今回も同じように負けるとは思わなかった。

 自惚れている訳ではないけど、今の私は強い。

 当然だ。二年間も女流棋士として指してきたのだから。

 それこそ、この時期の空銀子なら勝てると言い切れるほどに。

 ……私と同じように中身が別物の今のあれに対してはそう断言できないけど。

 

 だから、勝てないにしても前よりはもっと善戦できると思っていた。

 もっと近づけていると思っていた。

 私がずっと見て指してきたあの将棋に。

 

 ────彼と同じ場所にたどり着いたあの空銀子のように。

 

 けど、現実は違った。遠かった。彼の背中は。

 私の想像よりもずっと遠くて、まるで違う星に住んでる住人のように思えた。

 あの時よりも強くなった筈なのに、全く近づけていない。

 それどころか、今の彼との距離は……

 

「ねえ、九頭竜くん」

「だから師匠なんだから九頭竜くんは止めろって……で、なんだ? 天衣」

 

 いつの間にか、二人きりの時はこの呼び方で定着していた。

 流石に晶やあいがいる時はちゃんと師匠(せんせい)って呼んでるけど。

 まあ、今はそんなことはどうでもいい。それより気になる事がある。

 私は彼と指して感じた違和感を投げかけた。

 

「あなた、なにかあった?」

 

 九頭竜八一という棋士が今まで指してきた棋譜を全て並べて彼の将棋の歴史を紐解くと、いくつかの『波』が読み取れる。

 彼が初めて竜王をもぎ取った対局。

 戦後最長手を指した神鍋六段との対局。

 一手損角換わり使い同士の戦いとなった月光会長との対局。

 奇跡の三連続限定合駒を見せた山刀伐八段との対局。

 そして、あの名人相手に竜王防衛を果たしたあの対局。

 

 『波』が現れる度に彼の将棋は変化していった。

 その中でも特に大きかったのが、あの名人との竜王防衛戦だ。

 彼はあの七戦を経て、変異した。

 

「急にどうしたんだ?」

「いいから答えて」

 

 首をかしげる彼に催促するように返した。

 私は、他の誰よりも彼の将棋を見てきたと自負している。誰よりも彼の将棋を知っている。

 あいや空銀子の二人よりも、ずっと。

 だから、さっき指した時に彼の変化……いや、違和感に気づいた。

 

 前回、今日と同じように彼と平手で指した時は私の指す手を一手一手を持ち時間を使ってじっくりと読み、それから最善手を指し続けて押し込まれた。

 ところが、今回は違った。

 前ほど持ち時間を使っていなかった。あの時よりもずっと強くなっている筈の私が指した手を、前回よりもずっと早く読み切って最善手を指し続けた。

 

 それはまるで、あの防衛戦を終えて変異した彼のような読みの鋭さだった。 

 

「特に変わったことはないけどな…………あっ」

「なに?」

「いや、別に大したことじゃないけど」

「聞かせて」

 

 言い淀む彼の瞳をじっと見つめた。

 私は知りたい。

 あなたの変化を、あなたの将棋を、あなた自身を、もっと。

 

「そ、そんなに睨まないでくれよ。実は最近ちょっと変な夢を見ることが多くて」

「変な夢?」

「変な夢って言っても別に将棋指しなら珍しくない夢だよ。俺が知り合いと指す夢だ」

「たとえば誰と?」

「そうだな……今朝も見たんだが、その時は確か月光会長だったかな? なんか俺も和服きてかなり気合い入ってたみたいだった」

「えっ………?」

 

 何故か、妙な胸騒ぎがした。

 

「他には山刀伐さんや生石さん、あとは名人や蔵王先生、あと帝位の於鬼頭さんとかも出てきたかな」

「………」

「まっ、指したことない相手もいたし、肝心の盤面もぼやけて覚えてなかったけどな」

「そ、そう……」

 

 指したことがない? いや、違う……これから指すんだ(・・・・・・・・)

 彼は、その人たちと。これから先の二年の間に。

 私はそれをずっと近くで見てきた。

 

「ただ、その夢見た日は妙に調子がいいんだよな。なんていうか、読みの力が増してるといか、指してる最中の思考が普段より加速してる感じがしてさ。見たら調子が良くなるって変な夢だろ?」

 

 まあ、気分の問題だろうけど、と彼は苦笑した。

 

 私はあの読みが、気分云々のものではないと確信していた。

 将棋は精神力が重要な要素の一つでもある。彼からそう教わった。

 だけど、それだけで本当にあそこまで変わるとは思えない。

 なら、思い当たる原因は一つしかない。

 

 ────もしかして、彼も、巻戻っているの? 私やあい、空銀子と同じように。

 

 ただ、私たちと違って記憶はなく本人も自覚していない。

 残っているのは、無意識の中で浮かべる彼が未来で描く予定だった棋譜だけ。

 もしそうだとしたら、かつて彼が言っていた将棋の神様とやらは九頭竜八一という棋士を随分と愛しているようだ。

 彼が今、二年後の指し方を完全に思い出したらどうなるか。

 前回よりも強い状態で、前回よりも多く指す経験が増える。

 

 そうなると間違いなく、彼は強くなる。前よりもずっと。

 

 そんな彼に対して、空銀子は今回も変わらずに彼と同じ場所を目指すのだろうか。

 私じゃ届かない、彼の住む星に。

 

「その事は誰かに話したの? あいや空銀子とかには」

「いや二人には話してないよ。ただの夢だし」

「ふーん、そう」

 

 つまり、この事を知っているのは私だけなんだ。

 気づいていないのなら、今はまだ黙っていよう。

 一応はまだ憶測の域を出ないし。

 

「それにしても羨ましいわね。夢見るだけで調子上がるなんて」

「実際、夢なんて不安定な要素で調子が変わるって不便だと思うぞ?」

 

 普通ならそうだけど彼の場合、正確には『調子が上がる』のではなく『実力が底上げされる』なのでその恩恵を考えたらやっぱり羨ましいと思う。

 私が将棋を指す夢を見てもこうはならない……彼との夢を見たら別だろうけど。

 

「調子の上げ方は自分でコントロールできる方法がいい。その方がルーティーンを組みやすいからな」

「ルーティーン、ねえ。私はそこまで効果があるとは思わないけど」

「自分独自のルーティーンやジンクスを作り上げるのもプロの技術だよ。天衣も何か作ってみたらどうだ?」

 

 急にそう言われても困る。

 自分自身、盤面を読む時に片目を手で覆う仕草というか癖があると自覚しているけど、それがルーティーンやジンクスかと言われたら頷けない。

 

「あなたは何かそいうのはあるの?」

「俺か? そうだな、俺は姉弟子をコスプ……あれ?」

「……?」

 

 彼の口から急に空銀子の名前が出て首を傾げる。

 あの女が彼のルーティーンに関わっているんだろうか。

 

「あなたの姉弟子がどうかしたの?」

「あ、いや……おかしいな、なんでルーティーンの話題で姉弟子が出てくるんだ?」

「私に言われても知らないわよ」

 

 彼自身、何故か自分で口にした言葉に不思議そうにしている。

 もしかして、僅かながら前の記憶が残っているんだろうか。

 

 ……だとしたら、厄介だ。

 

「まっ、あなたと空銀子ってずっと一緒だったみたいだしルーティーンに組み込まれても不思議じゃないんじゃない? 例えば対局前に一緒に過ごしたら勝てたとか」

「ああ、なるほど。確かにその可能性はあるな」

 

 適当な言葉を並べて誤魔化せたけど、どうやら納得して貰えたようだ。

 もし、彼が前回の記憶を取り戻してしまったら、彼はあのどこぞの馬の骨とも分からない女の元に行ってしまう。

 ─────それだけはダメだ。

 

「でも、そういうのがアリなら私も一つルーティーンを思い付いたわ」

「……? 天衣?」

 

 私は彼の手を取ってそのまま握りしめた。

 私よりもずっと大きくて、私に家族のぬくもりを与えてくれた優しい手。

 今度は絶対に離したりはしない。

 

「これからは私の対局前に、こうして私の手を取ってくれる? そしたら、私は誰にも負けないから」

 

 あいにも、空銀子にも。誰にも負けない。誰にも譲らない。

 あなたが私の手を取ってくれるなら、私はもっと強くなってみせる。

 もっと、輝いてみせる。だから──

 

「ああ、もちろん」

 

 彼は私に微笑んで、手を握り返してくれた。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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