白雪姫の指し直し   作:いぶりーす

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十一話

 その日、女王戦五番勝負の第二局を明後日に控えた私は夕方まで次の対局の研究に時間を費やしていた。いくら未来の記憶があるからと言って慢心する気は更々ない。

 それに、タイトル戦の後は八一との約束も控えている。万が一にも五番勝負が長引かないためにも、迅速かつ確実に月夜読坂さんを仕留めるつもりだ。

 とは言え明日は現地への移動日となっているので一日中研究をして過ごす訳にもいかない。ある程度、納得したところで研究を切り上げた。

 

 その後は特に予定を入れてなかったので、また八一の家にでも行こうかと思ったけど今日も夜叉神天衣と出かけていると聞いたので仕方なく自宅に戻った。

 自分の部屋でベッドに寝転がりながらスマホを弄って時間を持て余していた時だった。スマホを眺めているとメッセージアプリの通知が届いた。

 

『いまのところ不審な手紙は来てません』

 

 小童から送られてきたグループメッセージを目にして、ほっと息を吐く。

 そのままスマホの画面に指を滑らせて一言だけ返した。

 

『了解』

『何かあったら直ぐに知らせなさい』

 

 私が返信するとほぼ同時に夜叉神天衣からもメッセージが流れた。

 それを確認してスマホの画面を閉じ、目を瞑った。

 

 ……今のところ動きはない、か。

 

 八一を巡って基本的には対立してる私たちだけど、現在ある一点に関してだけ協力体制を取っている。

 

 それは私たちから八一を奪った“あの女”に関して。

 

 あれは私たちの共通の敵だ。

 私たちから、いや、私から、私の大切な八一を奪った泥棒猫。

 

 小童はあの女の顔も名前も知らないらしい。私もそうだ。

 唯一、夜叉神天衣だけは八一とその女が一緒にいるところを目撃したと話した。

 私自身もその女について知っている事は少ない。けど、一つだけ大きな情報を手にしている。

 それは八一自身が話してくれた、あの女と八一の接点だ。

 あの時の光景は脳裡に焼付いて今でも鮮明に思い出せる。八一の仕草、表情、言葉、全てを。

 

『彼女、元々は俺のファンだったんです。何度か手紙を出してくれてたみたいで、最初は俺も気づかなかったんですが』

 

 いつの時期からか分からないが、あの女は八一のファンだった。手紙を出すほどの。

 私が提示した女の情報を聞いて小童は満面の笑みでこう言った。

 

『それなら、ししょーに届くお手紙をあいが全部チェックしてたら大丈夫ですね』

 

 その提案に私も夜叉神天衣も二つ返事で了承した。

 八一に他の虫が付かないように監視する点で言えば、やはり内弟子の小童が一番行動しやすい。

 それに加え、今は夜叉神天衣の指導の関係で八一が家を留守にする機会が多い。その間に小童は八一に不審に思われる事なく自由に近辺を調べる事ができる。

 そして小童が八一の傍にいない間は、ほぼ確実に私か夜叉神天衣のどちらが八一と一緒に行動してる。

 家では小童が監視し、外では私たち二人が虫を払う、我ながら隙のない完璧な囲いだ。今なら『嬲り殺しの銀子』と名乗れるかもしれない。

 仮に私たちがいない間に一人で誰か他の女と会っていたとしても、どうせ相手は桂香さんか月夜読坂さんと供御飯さんの二人組だ。

 この時期の八一の交友関係、特に女性に関してはほぼ網羅してる自負がある。

 桂香さんは家族だし、あの二人組も八一にちょっかいはかけているけど本気じゃない筈。見知った相手なら問題ない。

 

「それにしても……」

 

 あの女は八一のファンだそうだが、それなら自分の身を弁えてほしい。

 だって私こそが幼少期からずっと九頭竜八一を傍で見てきた最初で一番のファンなのだから。

 

 そんな事を考えながら、そろそろ明日の準備でもしようかとベッドから起き上がると、スマホが電話の着信を示す音楽を鳴らした。

 誰からだろう、と画面に表示された電話相手の名前を見てすぐに電話を取った。

 

『あ、よかった姉弟子。いま大丈夫ですか?』

「……なに?」

 

 素っ気ない返事をしてしまったが、普段通りを装うには仕方がない。

 やっぱりまだ慣れないな、八一からの電話。

 最初は倒れた私の体調を心配しての事だったけど、最近は会ってない日の近状報告のような形で連絡をしてくる。

 弟子の事だったり、将棋の事だったり、わざわざ電話で話すような内容じゃない。

 でも、その他愛のない会話が昔を思い出して楽しくて、嬉しくて、つい浮つきそうになる声を抑えるのに必死だ。

 

『ちょっと聞きたいことがあって、姉弟子なら詳しいかなって……』

 

 話を聞くと、梅田かもしくはその近くで何かお勧めのスイーツ店を知らないか、との事だった。

 聞いてる途中で前にも八一が同じ事を聞いてき事を思い出した。

 確かあの時は、あの小童のためにお土産を買って帰るためだっけ。

 あの時の私はデートの誘いと勘違いして電話中に服を脱いで着替えようとしてしまった。

 今思えば恥ずかしい勘違いだ。あの時の八一が私をデートに誘ってくれる訳ないのに。

 

「そうね、梅田なら……」

 

 前のような勘違いはしていないから、会話に余裕がある。前回と同じように思いつくスイーツ店を挙げていった。

 いつか八一と一緒に食べに行くのを想像して、雑誌やネットで必死に情報をかき集めていたのが懐かしい。

 結局、無意味に終わったけど……

 でも、今回こそはいつか、必ず一緒に行く。

 

「……そんなところかな。まあ、八一の奢りなら今からなら少しだけ時間もあるし? 別に一緒に行ってあげてもいいけど?」

 

 なんて、前と同じ事を言ってみる。

 これも余裕があるからこそだ。

 まあ、どうせ小童に買うためだし無駄だろうけど。

 

『そ、そうですか……なら、今から一緒にどうですか?』

「えっ?」

 

 想定外の返答に思わずスマホを落としかけた。

 

 えっ、いいの……?

 私と?

 というか、八一と、デート?

 今から!?

 

『あいへのお土産を買うつもりだったんですが、時間があるなら、お店を教えてくれたお礼もしたいですし……姉弟子? 聞いてます?』

「う、うん」

『じゃあ、集合場所はとりあえず駅の辺りでいいですかね? 近くまで来たらまた連絡をし』

「すぐいくから」

 

 これ以上、八一の声を聴いていると冷静になれそうになかったので電話を切った。

 冷静に、うん冷静にならなきゃ。

 

 ど、どういう風の吹き回しなんだろ。

 八一はお礼って言ってたけど、前はそんな事してくれなかったし……

 あ、でも前は私にもケーキを買ってきてくれたっけ。

 でも、それでもおかしい。あの八一が、私を……

 

 ……とりあえず着替えよう。

 

 無難にいつもの制服? でもせっかくのデートなのにそれはどうかと……そもそもデートなの? 

 いやデートだろう。八一が誘ってくれたんだし、世間一般から見れば男から誘ってきたのなら立派なデートだ。間違いない。

 なら真剣に考えなければならない。

 デートは二人で行うもの……つまりは将棋のようなものだ。

 それなら今見える盤面だけじゃなくて終盤を見極めないと。

 

 序盤は戦型を選択し、その定跡をなぞることになる。

 戦型はスイーツ店でのデート。定跡は過去に読み漁った雑誌やネットをなぞるしかない。

 経験がないのが些か不安だけどこればかりは仕方ない。臨機応変に駒の動きを読んで何とか対応するしかない。

 

 そして、デートなんだし当然それだけでは終わらない。

 

 二人の対局はそのまま中盤に入る。

 スイーツだけで夕食を済ませる筈もなく、私たちは日の落ちた梅田の街を手を繋いで歩いてデートを楽しむ。

 そして雰囲気の良いお店を見つけ、そこでディナーだ。

 ここでの一手一手の会話が終盤へと繋がる。ある意味で最も難しい盤面だ。慎重に指さなければ……

 上手く流れを掴めばあとは一気にリードできる。そうなれば後は簡単だ。

 

 序盤、中盤で作り上げた流れ。優れた大局観を持つかの竜王でさえ、ここまで来れば覆す事はできない。

 意識は流され、理性は消え去り、背徳を欲望に身を任せ、そして二人は終盤へ……

 

「……見えた」

 

 私にも盤が見える。流れが見える。勝利の棋譜が見える。そうか、これが将棋星人(あなた)が見ていた景色なんだね八一。

 

 だけど制服だと遅い時間まで二人で居たら補導される可能性がある。そうなれば終盤に持ち込む前に頓死だ。

 なら補導されないように私服で行くのがベスト?

 いや、そんな安易に指してはダメだ。

 確かに私服なら補導されないかもしれなけど、果たしてそれが最善手と言えるのか。

 どうせなら、八一を意識させたい。

 神鍋先生との対局後の八一を迎えに行った時は私服だったけど、物珍しそうに八一は見てただけで特に効果があるとは思えない。

 

 もう少し大人っぽい服でもあれば……

 基本的な服装が制服のせいで、私服は前に着たのと似たような物しか持っていない。

 ずっと制服だった自分を恨めしく思う。

 こんな事なら、釈迦堂さんに頼んであの服のカタログを送ってもらえば良かった。

 あの服なら、八一も喜んでくれたし……

 

 クローゼットを開けて、手持ちの服をベッドに並べてみるたけど、いまいち手応えのある服がない。

 時間もないし、このまま無難な私服で行こうかと思った、その時だった。

 

「……これは」

 

 私の視界にあるモノが映りこんだ。

 部屋の片隅に放置された、紙袋。

 以前、八一から手渡され一度だけ部屋で試着してみて意外と悪くなかった『あの服』。

 

「いや、流石にこれは……」

 

 ない。あり得ない。

 これを着て出歩く女が居たら間違いなく引く。

 こんな服を外で見かけるとしたら日本橋くらいだ。

 

「……でも」

 

 一見すれば、悪手。それも大悪手だ。

 だけどその大悪手こそが最善手だった、なんて将棋じゃよくある事だ。

 かつての清滝師匠の対局を思い出す。

 師匠が好手と判断して指した一手が、自らを敗北に向けた大悪手の一手となり、そのまま頓死したのを憶えている。

 

 今回はそれに似ているかもしれない。

 普段通りの制服で行けば、八一と自然に接する事ができる。だけど遅くまで一緒にはいられない。

 私服で行けば、その心配はない。けれど、果たしてその安定した一手が正解なのか。

 平穏か、安定かそれとも……

 思考がループし、汗が流れる。

 巻き戻ってから、ここまで頭を使わされたのは初めてかもしれない。

 ただ、このまま時間を無為に消費する訳にはいかない。八一が待っているんだ。

 そうだ、悩む必要なんてない。無難でいい。

 

 私はベッドに並べた服に手を伸ばそうとして……

 

 ふと、私の脳裏であの『研究会』の出来事が再生された。

 

『うん! めっちゃかわいいよ姉弟子! かわいいかわいい!!』

 

 

 

 

 私は紙袋を手に取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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