「……なんでそんな恰好で来たのか教えてもらっていいっすか?」
テーブルを挟んで向かい合った八一が手元でアイスコーヒーをストローでぐるぐるとかき混ぜながら、呆れた声でそう言った。
私の手を取り、集まった人だかりから逃げ出すように走り出した八一は途中で個室のあるカフェを見つけて一目散に駆け込んだ。
当初の目的とは違うお店だけど、これはこれで中々良かった。
店内は落ち着いた雰囲気で客層はカップルが多く、私たちが入っても違和感はない。
八一はとりあえず一息つきたいからとアイスコーヒーだけを注文し、私はこのカフェが売りにしているパンケーキのセットを注文した。
「八一が着て欲しいって言ったから」
「そりゃ言いましたけど……やっぱ俺のせいですよねぇ」
流石に八一にかわいいって言って欲しかったから、なんて言えない。
咄嗟に思い付いた言い訳を口にした。着て欲しいと言われたのは本当なのでウソではない。
ちなみに今は八一から借りたパーカーを羽織っているので、駅で騒ぎになったほど目立たない筈だ。
パーカーはカフェに入って席に着くなり、八一が有無を言わさぬ様子で差し出してきた。
せっかく八一のために着てきたのに……でも流石にこの恰好だと目立つ。
勿体ないなと感じつつも、私はそれを受け取った。
受け取ったパーカーは偶然にも前回のハワイの時に八一から借りた時と同じモノだった。
懐かしい着心地と八一の匂いに包まれてる感覚に今もちょっとドキドキする。
「でも着てくれたって事はイベントでもそれを」
「は?」
「ですよねー」
あくまで八一のために着たのであって、イベントにこれを着て参加する気なんて更々ない。
そんなイロモノはあの二人組だけがやればいい。
はあ、と大きなため息を吐いて八一はストローでちびちびとコーヒーを飲みだした。
それを眺めながら、私も先に運ばれてきたセットドリンクのカフェラテを口にした。うん、悪くない。
「ロリ王だのロリコンだのは慣れてきたけど、コスプレプレイ楽しむ変態扱いはなあ……」
テーブルに頭をこてんと置きながらブツブツとぼやく八一を見て、自分の服装を改めて考えてみる。
これを着て外に出た時はおかしなテンションになっていたお陰か、そのまま駅まで来れた。けど電車に乗った辺りで少し冷静になって恥ずかしくなった。
乗ってる最中は羞恥で顔を上げれなかった。というか後悔してた。
駅に降りてからも更に増えた周囲の視線を無視してなんとか待ち合わせ場所で八一を見つけた時は思わず小走りで近づいて手を握り締めてしまった。
……やっぱり悪手だったかな、これ。
八一も喜ぶどころか、ちょっと引いてるし。
でも、せめて何か一言くらい感想を言って欲しい。
せっかく着てきたんだし。
「服」
「えっ?」
私の言葉にピクリと反応して八一が顔を上げた。
「どうだった?」
「どうって……」
「八一が着てって言ったのに」
「そりゃ言いましたけど、……って、ちょ、何でパーカー脱ぐんですか!? せっかく貸したのに!」
煮えたぎらない様子の八一にムカついて羽織っていたパーカーを脱いだ。
こんな恰好をして来たのに感想戦もなしじゃ、気が収まらない。
「どう?」
「どうって……そりゃ、似合ってますよ」
「だけ?」
「だけって言われましても……」
「他は?」
似合ってるって言われて、もちろん嬉しいけど……
でも、もっと他にも言って欲しい。
催促するように睨みつけた。
すると八一は恥ずかしがるように頬を掻きながら小さく呟いた。
「……あとは、まあ、その……かわいい、です……すごく」
「ッ!?」
心臓が飛び跳ねそうになった。
八一のセリフが桜ノ宮での”あの研究会”を意識させた。
顔が紅潮するのが自分でも分かる。
「ほんと?」
「……はい」
「ウソじゃない?」
「ウソじゃないですって! ……恥ずかしいんで、もうこれくらいで勘弁してくださいよ」
よく見ると八一も頬が少し赤くなってる。
気がする。たぶん。
こんな反応をしてくれるのは中々なかったと思う。
あの八一が、私に……。
これはチャンスだ。
畳み掛けるなら今しかない。
「ウソじゃないならもう一回言って」
「えっ」
「言って」
「……もう十分でしょ?」
「命令」
普段はこの姉弟の関係で異性として意識してもらえなくてモヤモヤするけど、こういう時は便利だとつくづく思う。
だって八一は
「ああ、もう! だからかわいいですって! めっちゃかわいいよ姉弟子!」
「!!!」
半分ヤケクソ気味の八一の叫びに思わず固まった。
さっきよりも更に心臓の鼓動が高鳴る。
……ほんとうに”あの研究会”みたい。
もしかして、あの時の再現をしようと言うの? ここで?
お、落ち着け、私! そんな事はあり得ない。あの事を憶えてるのは私だけだし。
そもそもこんな場所で……
いや、憶えているかなんて関係ない。
場所なんて関係ない。
八一が今、そう望んでいるんだ。
なら、私もあの時と同じように八一に答えてあげなきゃ。
だってそれが『あねでしのおしごと』だから。
「ね、ねえ八一」
「なんです? 気が済んだなら早くパーカーを」
「良かったら、その……ポーズとか取ってあげようか?」
「!!!?」
今度は八一が全身に衝撃が走ったように固まった。
しばらく硬直状態が続き、そして視線を上下に動かして私を体を見てきた。
信じられないモノを見た、とその表情が強く語っている。
対局時、八一が相手に思わぬ一手を打たれた時や想定外の新手を打たれた時よりも驚いた顔をしてる気がする。
「ま、マジですか?」
「……うん」
「ほ、ほんとに?」
「うん」
「後で怒ったりしません?」
「……しない」
「……そう、ですか」
念入り確認する八一に全て頷いて返事をする。
すると八一は黙り込んで考え込むように顎に手を当てた。
私はこの顔をよく知ってる。
何千、何万と盤を挟んで向かい合って見てきた彼の思考時の表情だ。
私の仕掛けた一手に、どう応えるのか。
私にはそれが読めていた。
将棋ではまだまだ彼の領域には達してはいない。
けれど、いまこの盤面だけは読める。
八一を読み切ることができる。
……というか、さっきから視線がスカートの方に向けられたままだからなんて言うかだいたい分かってる。
やがて八一は恐る恐ると云った様子で口を開いた。
「なら、その……スカートの裾をつまんで挨拶するポーズを」
「……こう?」
言われた通りのポーズを取る。
椅子から立ち上がって、言われた通りスカートの裾をつまんだ。
確か、カーテシーっていう挨拶だっけ?
前回の時に八一と何度か繰り返し行った”あの研究会”の中で今と同じような服を着てポーズを取って欲しいと言われた時に少し調べた記憶がある。
スカートが短いから正直かなり恥ずかしい。
「こ、これは……!」
八一の目が張り裂けんばかりに見開かれた。
──いける。
うん。やっぱり悪手なんかじゃない。着てきて正解だった。
悪いわね小童たち。八一は私が堕とすんだ。今日、ここで。
八一の反応に確かな手応えを感じながら更に追い打ちをかけた。
「お、お帰りなさいませ、ご主人しゃま」
「ッ!!!!!?」
だ、ダメだ。肝心なところで噛んでしまった。やっぱり慣れない言葉なんて急に使えないか。
でも、八一は喜んでくれたみたいで……
「あ、あの……よ、よかったらもう一回」
「ご、ご主人さま」
「もう一回!」
「ご主人さまっ!」
「いい! いいよ! 銀子ちゃん!!」
「ッ!!?」
「今日は俺が銀子ちゃんのご主人さまッ!!」
「八一が私のご主人さま!?」
調子が乗ってきたのか、八一は”あの研究会”を彷彿させるテンションで叫んだ。
八一が私のご主人さま……
つまり私は八一のモノになってしまったの?
これはいけない。
いけないわ八一。駄目よ。
姉弟子が弟弟子のモノになるなんて。
そんな事は許されない。
それにさりげなく私を昔みたいに名前で呼ぶなんて、姉弟子に対しての敬意がない。
……でも仕方ないのか。
今の私はメイドで、メイドはご主人さまのモノなのだから。
なら八一が私を名前で呼ぶのは何も問題がないし、私が八一のモノになるのも全く問題ない。
そうか、何も問題ないんだ。
「せっかくだし写真撮っていい? ていうか撮ろう!!」
「ご、ご主人さまがそう言うなら」
普段の私なら拒否するであろうふざけた八一の言葉に、今は拒否できない。
メイドはご主人さまの命令には絶対だからだ。
決して私が撮られることを望んでるわけがないし、八一のスマホを弄って中身を確認するであろうあの小童たちの牽制とかでもない。
「ならまずはさっきと同じポーズを」
「こう?」
八一にポーズを強制され、私は仕方なくさっきと同じポーズをした。もはや恥じらいはない。
だって今の私はメイドだから。
さっきよりもスカートの袖を持つ手を少しだけ上げるサービスも忘れない。
すると思った通り、八一は更にテンションを上げた。
「そう! それ!! いい!! かわいい!!」
これくらいはメイドとしては当然だ。
だってご主人さまのニーズに答えるのが『めいどのおしごと』だから。
「かわいい? かわいく撮れてる?」
「うん! めっちゃいいよ! かわいい!!」
「そ、そう……えへへ」
連射モードになった八一のスマホから連続したシャッター音が流れる。
本当に、あの桜ノ宮での出来事をそのまま再現しているようだ。
実は八一も記憶が戻っていたりとか……いや、さすがにないか。
しかしこの九頭竜八一竜王、実にノリノリだ。
八一のこんな場面を仮に鵠さんにでも見られたら一生おちょくられるだろう。
……もちろん人の事は言えないけど。
「ご、ご主人さま、次は?」
「次は上目遣いで……」
一息つき、次のポーズに移ろうとしたその時だった。
「あの、お客様。ご注文のパンケーキをお持ちしたのですが……」
「「あっ」」
店員の言葉で二人揃って頭がどうかしていたテンションからようやく現実に戻った。
私たちはご主人様やメイドの前に、ここに来た客だったのをすっかり忘れていた。
ドン引きして手早くパンケーキをテーブルに置いて戻っていった店員の顔が忘れないまま、私は運ばれてきたパンケーキを味わった。
うん、おいしい。……けど、もう来れないかな、ここ。