白雪姫の指し直し   作:いぶりーす

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十四話

 結局、あの光景を店員に見られてドン引きされてからも私たちは店に居座った。開き直った、と言ってもいい。

 店を変えるにしても人通りの多い梅田じゃ移動中にまた騒ぎになるだろうし、それなら個室で店員以外に顔を見られることのないこのカフェにいた方がマシだと判断したからだ。

 流石に見られた後は二人で冷静になって自分たちの行動を思い返し、ちょっと……いや、かなり気まずくなったけどそこは長年の関係だ。直ぐにいつもの調子で話し合えるようになっていた。

 

「……すみません姉弟子。ちょっといいですか?」

 

 最近、小童が将棋連盟に届いてる八一のファンレターを興味津々に見たがるとか。

 今日、黒い方の小童がルーティーンと称して八一にベタベタと触ってきただとか。

 そんな取り留めのない近状報告を聞いている時だった。

 テーブルに置いていた八一のスマホが電話の着信を示すように振動した。

 

「別にいいけど」

「ありがとうございます」

 

 申し訳なさそうにこちらを伺う八一に姉弟子として寛大な心で許した。

 私と一緒にいる時に他人からの電話を取るなんて普段なら言語道断だが、メイド服着てご主人さま呼びした後ではイマイチ威厳を示しにくい。

 それに、どうせ電話の相手はあの小童辺りだろう。

 帰りの遅い八一を心配して……いや、八一が他の女と一緒にいないか確認するために連絡をしたと安易に予想できる。

 そう言えばもう随分と時間が経った気がする。明日は移動日だしそろそろ帰らなきゃ。

 

 今思えば、明後日はタイトル防衛戦なのに八一とのデートで終盤云々を考えた自分がどれだけ頭がピンク色に染まっていたのかと痛感する。浮かれすぎた。

 

「もしもし……珍しいな、わざわざ電話かけてくるなんて。どうしたんだ?」

 

 ……? 小童じゃない? なら誰からなんだろう。

 それに八一がこんな砕けた口調で話す相手なんて限られてると思うけど。

 

 そんな疑問を浮かべながら怪しまれないように追加で注文したロイヤルティーを口に運びつつ八一の会話に耳を立ててると、次にとんでもない言葉が飛びてできた。

 

「なんだ、そんな事か。うん……そうだな、最近会ってなかったし。いいよ、今度会おうか」

「ッ!?」

 

 思わずティーカップを落としそうになった。

 会う? 誰と? 

 ま、まさか、”あの女”?

 既に八一に魔の手が迫っていたというの!?

 

「場所はいつも通りでいいよな? 日程はまた後で連絡するよ。うん、じゃあな……っと、すみません、姉弟子」

「誰?」

「えっ」

 

 短い通話を終えた八一を問いただすように睨みつけた。

 聞かねばならない。吐かせなければならない。なんとしても。

 

「いや、誰って」

「誰?」

「な、なんで睨むんですか……そ、創多ですよ、椚創多」

「創多?」

 

 なんだ、男か。

 

「ええ。最近、弟子が出来てから会えてなかったんで、今度久しぶりに指しませんかって、誘われて……それだけですよ」

「……そう」

 

 相手が男子小学生だと聞いてほっと胸をなで下ろした。

 どうにも、最近少し神経質になってるかもしれない。

 よくよく考えてみれば、流石にこの時期に”あの女”と八一に何か関係があったのなら当時の私が気付いていた筈だ。

 少し頭を冷やさなきゃ。心を落ち着かせるようにカップの中身を飲み干した。

 

 ……それにしても椚創多、か。

 

 その名前を聞いて二年前を思い出す。

 当時、史上初の小学生棋士誕生なるかと噂された天才。

 八一に肩を並べる才能を持った将棋星人。

 近い将来、私の前に立ち塞がる大きな壁。

 

 "あの女”が私にとって恋の障害なら椚創多は将棋での障害だ。

 間違いなく今回も三段への昇段、そしてその先の三段リーグで当たることになる強敵。

 

 ……けど、今は気にしても仕方ないか。

 それに、今の私ならこの時期の創多相手なら十分に戦える筈だ。

 

「そ、そういえば明後日は月夜読坂さんとのタイトル戦ですよね。一戦目であんな負けた方したし、きっと今度は粘ると思いますよ?」

 

 私が不機嫌そうだと感じ取ったのか、八一はあからさまに話題を変えようと思い出したかのようにそう言った。

 

 確かに、前回は月夜読坂さんに穴熊を使われて対局が長引いた。

 あの時は本来のあの人の棋風とは真逆の戦法にほんの少しだけ驚いた記憶がある。

 恐らく今回も同じように秘策の穴熊を使ってくるだろう。けど、

 

「何をしようが潰す」

 

 それならやる事は変わらない。同じ手を指すなら同じように殺せばいい。

 攻め駒全て潰して前回同様に嬲り殺しだ。

 万が一にも備えて研究も念入りにしてきた。

 慢心はしない。私はただ全力で叩き潰すのみ。

 

「まあ、姉弟子が負けるとは思ってませんけどね」

「そういう八一はどうなの? 確か次の対局って」

「帝位リーグ最終戦、相手はあの会長ですよ。お互いに消化試合みたなものですけど」

 

 八一は苦笑いを浮かべた。

 

 以前の連敗で八一は既に帝位リーグの敗退が確定しているし、会長の方も帝位への挑戦権には届かない。

 八一の言うとおり互いに消化試合。

 

 そうは言っても、八一はあの月光会長と指すんだ。

 永世名人であり、生きる伝説とも呼ばれるあの月光聖市と。

 その現実が改めて私と八一の距離を感じさせた。

 

 ……遠いな、八一は。

 

 二年分の記憶があっても、今の八一すら遠くに思える。

 そしてその距離はこれからもどんどんと離れていく。

 一度は八一と指せた。

 けど、私はあくまでスタート地点に立てただけ。それに指せたと言ってもあくまで非公式戦での対局だ。

 目的だった彼との公式での対局は、二年経っても果たせていない。

 焦がれ、愛おしい彼のその背中は、まだ遠い。

 

 だからこそ、今度はもっと早くあなたに近づきたい。

 

「……でも消化試合とはいえ、勝ちに行きますよ、俺は」

 

 闘志の宿った勝負師の眼だった。

 そういえば、前回もわざわざ和服を着て対局に挑んだと聞いた。

 夜叉神天衣を自らの弟子にする為に、彼女と師弟(かぞく)になる為に。

 でも、今回は既に夜叉神天衣は八一の弟子になっている筈だ。

 その瞳に宿る闘志の理由は別にあるんだろうか。

 

「随分とやる気満々じゃない」

「そりゃそうですよ。あの会長と指せるなんて誰でも浮かれます。それに……」

「……それに?」

「”恩返し”もしたいですしね」

「……?」

 

 八一の言葉に首を傾げた。

 弟子が師匠に勝つ事を恩返しと呼ぶけど、私たちの師匠は清滝師匠だ。

 なんで会長に恩返しだなんて……

 

 そんな私の疑問に気づいたのか、八一は言葉を続けた。

 

「実は俺、会長の弟子になってた可能性があったんですよ」

「どういうこと?」

「天衣を弟子にする時に清滝師匠から聞いたんですが……」

 

 話しを聞くと、師匠は八一の才能を見抜き自分よりタイトル保持者である会長に、八一が奨励会に入るタイミングで弟子入りをお願いしたそうだ。

 しかし会長は本人の意思を尊重した方がいいと仰って、師匠は八一をそのまま弟子にする事にしたらしい。

 

「そうだったんだ」

 

 この話は初めて聞いた。前回の八一はそんな事を話してくれた事はなかったと思う。

 

「俺が一手損角換わりを指すようになったのはあの人に憧れたからなんです。それに会長は天衣が俺に弟子入りするきっかけとなった人でもありますし……何か運命のようなものを感じますよ」

「運命……」

「だからこそ、勝ちたい。憧れたあの人に。最高の弟子を巡り合せてくれた月光会長に」

 

 八一の声はどこか嬉々としたものだった。

 その姿を見て、月光会長に理不尽な嫉妬心を抱いた。

 

 こんな八一を見るのは、もう何度目だろうか。小さい時からずっとそうだ。

 頭の中は将棋ばかりで、他の事なんて全く見えなくて。

 だから、今の彼には目の前にいる私なんて視界に入っていない。

 私がどんなにアピールしても振り向いてくれないのに、ただ指すだけで八一の視線を釘付けにする将棋星人たちは本当にずるい。

 

「でも、八一が会長の弟子になんて想像できない」

 

 話を逸らすようにそう切り出した。このままだと、八一が私を見てくれない気がして。

 

「俺自身も想像できないですね。仮に俺が会長の弟子になってたらどうなってたんだろ」

「少なくとも、プロになった初対局でぼろ負けして泣きながら逃げ出すような事はしなさそうね」

「ちょっ! あれは黒歴史なんで忘れてくださいよ!」

「無理ね、そのプリン頭見ると思い出すし。サーファーになるとかほざいて髪まで染めて」

「もう勘弁してくださいよ……」

 

 項垂れる八一を見て気分がよくなる。

 八一に素直になるとは決めたけど、やはり姉弟子としての立場も重要ではある。

 たまにこうして分からせておかないと。

 

「でも、月光会長に弟子入りしてたら人間関係も大きく変わってたと思いますよ」

「そう? 供御飯さんと月夜見坂さんの二人とはどの道つるんでそうだけど」

「まあ、あの二人は小学生名人大会での付き合いですしね。歩夢もそうだけど、この辺りは会長に弟子入りしても今と変わってないかも」

 

 もし八一が清滝師匠にではなく月光会長に弟子入りしていたら。

 

「ただ、姉弟子とは今こうして話すような仲にはなってなかったでしょうね」

「……ッ」

 

 八一が清滝師匠の弟子のままで良かった。

 月光会長の弟子になっていたかもしれないと聞いて、心の底からそう思った。

 

 八一が傍にいない……それこそ想像できない。

 八一がいなきゃ、きっと私はここまで強くなれなかった。

 もしかしたら、途中で将棋を止めていたかもしれない。

 八一がいたから、八一が一緒の歩幅で歩いてくれたから、八一が私に笑顔を向けてくれたから、今の私がいるんだ。

 

 だからこそ、誰にも渡さない。誰にも譲らない。

 その為に指し直しを望んだんだ。

 

 ───八一のいない私なんて、それはもう空銀子ではない。

 

「……もしも、だけど」

「なんです?」

「もし、過去に戻れたら……八一は清滝師匠じゃなくて、月光会長の弟子になる?」

 

 多分、そうなれば今よりも風格ある棋士になってたと思う

 永世名人である会長からタイトル保持者としての振舞いを学べただろうし、そうすればタイトルを取った後の環境の変化に戸惑う事もなく連敗する事もなかっただろう。

 もしかしたら竜王防衛戦でも、あそこまで精神的に追い詰められる事もなかったかもしれない。

 

 才能ある八一にとっては、その方がきっと良い。

 

「まさか。そりゃあ月光会長の弟子になんて光栄ですけど、俺は清滝師匠に憧れて弟子入りしたんですよ? 何回過去に戻れても絶対清滝師匠がいいですよ」

 

 即答だった。

 それに、と八一は言葉を続ける。

 

「姉弟子達と一緒に居たいですしね」

 

 その言葉に込められた意味はきっと家族としてのものだ。

 それに私だけに向けられたものじゃない。桂香さんや、あの小童たちの事も含めて指した言葉なんだろう。

 そんな事は分かっている。でも……

 

 一緒に居たい。

 

 私と同じように、八一もそう思ってくれている。

 それだけで心の中が暖かい何かで満たされるような気がした。

 

「まあ、もしもの事なんて考えても意味ないですね。過去に戻れる訳でもないですし」

「……そう、ね」

 

 流石に目の前で実際に過去に戻ってきた人間がいるとは思わないだろう。

 

 

「でも、実際に過去に戻れるとしても」

 

 

 

「俺たち棋士が一度指した手のやり直しを願うなんて、将棋の神様に見捨てられてしまいますよ」

 

 

 冗談交じりに八一は笑った。

 何気なく言ったんだと思う。

 特に深い意味なんてない。

 八一は私が戻っているなんて、知らない筈だ。

 なのに、まるで核心を突かれたようで、

 過去に戻ってやり直しを望んだ卑怯な自分を見透かされたようで、

 その言葉は、私の胸に深く突き刺さった。

 

 

 その後、八一も私も前回と同じようにそれぞれの対局に勝利した。

 八一は永世名人である月光会長を破り、私はタイトルの防衛に成功。

 結果だけ見れば順調だ。

 前と同じ結果で、前と違って私は素直になって八一に近づけて。

 今の所は何もかもが上手く行っている筈なのに。

 

 

 あの日、八一が言った言葉がずっと心の奥底に残ったままだった。

 

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