白雪姫の指し直し   作:いぶりーす

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感想戦②

 最近、よく夢を見るようになった。

 

 いつからだろうと思い返せば、きっとあの変な夢を見てからだ。顔を思い出せない、誰かと指したあの夢を。

 今回は夢だと判断するのに一瞬だけ悩んだ。だってもの凄く現実味があったから。

 なんたって、俺が防衛戦で名人相手に三連敗したんだ。夢だとはとても思えない。

 その後の光景も、実にリアリティ溢れるものだった。

 見知った顔の記者たちがどいつもこいつも好き放題に俺の陰口を叩いてやがる。

 夢の中の俺は、そんな彼らに物申すことなく、だだ茫然と立ち尽くしていた。

 その姿は勝負師としては間違っている。直ぐに彼らに言い返すべきだ。

 

 そんな風に思えるのは、夢を見ている俺が負けた当事者ではないからだろうか。

 そのままずっと、夢の中の俺は立ち尽くしているだけかと思ったけど、ある記者の言葉に反応して、ピクリと体が動いた。

 

 そして、そのまま逃げ去るよう走っていった。

 

 夢のせいか、俺にはその記者の言った言葉がはっきりと聞こえなかった。

 けど、どういう意味合いの言葉を口にしたのかは、だいたい想像できる。

 

 きっと、彼女の事だろう。

 だからこそ、これ以上聞きたくなかったんだ。

 

 俺には逃げだした夢の中の自分が痛いほど理解できる。

 

 当たり前のように隣に居たのに、いつの間にか俺にとって遠い存在になってしまった。

 俺なんかが一緒にいてはいけない人になってしまった。

 

 だから、一緒にいても許される証明をもぎ取った。

 

 ようやく対等の存在になれたと思っていた。

 傍に居てもいい棋士になれたと思っていた。

 

 なのに、もしもその存在証明を失ってしまったら、俺は──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうどす? こなたの運転」

 

 慣れた手付きでハンドルを握る供御飯さんが隣の助手席に座る俺に訪ねてきた。

 走り抜いていく無数の街頭に照らされたその表情はにこやかで上機嫌のようだ。

 

「車買ったばかりの人の運転とは思えませんよ」

 

 人に車乗せて貰う機会がそんなにないから断言できないけど、素直に上手いと思う。ブレーキとかめっちゃスムーズだし。

 昔から思ってたけど多才な人だ。大学生をしながら女流棋士に観戦記者、なんでもそつなくこなしてしまう。俺なんて将棋以外はてんでダメなのに。

 

「せやろせやろ」

 

 俺の返事に気分を良くしたのか、鼻歌まじりに供御飯さんは運転を続けた。

 

 どうして俺が供御飯さんとドライブをしているかと言うと今日の昼の会話がきっかけだった。

 今朝から目覚めの悪い夢を見た俺は気分転換をしようと、いつもの将棋会館へと出向いた。

 そして棋士室で対局室モニターを眺めていた供御飯さんとたまたま顔を合わせて世間話をしていると、彼女が車を買ったという話題が上がった。

 どんな車か見てみたいと好奇心から出た俺の要望に、なんと供御飯さんは見せるどころか、ドライブに誘ってくれたのだ。しかも夜の。

 夜。そう夜だ。どうやら目的地は少し遠い場所らしく、帰りは朝になってしまうとか。

 つまり朝帰りである。……いや、流石にそういう意味ではないけど。

 というか最近、俺が弟子たちや姉弟子だけではなく、供御飯さんにまで手を出しているとかいうあらぬ噂が流れているらしくて誤解されるような真似は絶対に避けたい。

 ……避けたいけど、せっかく誘われたんだ。もちろん行く。バレなきゃいいんだ。バレなきゃ。

 

 まあ、軽はずみな行動をしないように気を引き締めてはいる。ただでさえ先日の姉弟子のコスプレで社会的評価がヤバいのに、数日後に供御飯さんと朝帰りしてるところを見られたら評価が下がるどころか地に埋まる。

 そうなると社会的に死ぬし、弟子達と姉弟子の手によって物理的にも死ぬ。頓死してしまう。

 

 最近になって気付いてきたけど、弟子達二人がほんとに怖い。

 

 年齢不相応の棋力とメンタルも怖いが、それはまだいい。並外れた才能というのは見る人全てに畏怖と羨望を抱かせるのだから。

 問題はあの二人の俺に対しての時折見せる眼だ。

 

 最初にそれに気づいたのは、あいが友達を……JS研と名付けられた研究会の三人の子ども達を俺の家に招いた時だった。

 自分で言うのもなんだけど、俺は棋士を目指す子どもたちからは割と好かれている。

 流石にド派手な格好と言動で子ども心を鷲掴みする歩夢ほどではないが、最年少竜王という肩書のおかげで俺を目標にしてくれる子どもたちは多い。

 創多なんかは会う度に早く棋士になって俺と指したいと言ってくれる程だ。

 あいの連れてきたJS研の子たちも例に漏れず、特に水越澪ちゃんは俺と会うなり興奮した様子で握手を求められた。俺もそれに快く応じて澪ちゃんの手を握った、その時だった。

 

 あいに睨まれた。ドス黒く濁った冷めきった眼で。

 

 しかも、あいだけじゃない。天衣の方でも似たような事があった。

 以前に将棋道場で天衣を他の客と打たせてる間に俺が付添の晶さんに軽く将棋のルールを教えている時だった。

 手取り足取り教えても中々ルールを憶えれない晶さんに四苦八苦して最中に、ふと背中に視線を感じ振り返った。

 

 天衣が見ていた。獲物を盗られた獣のような眼で。

 

 最初は俺に構ってもらえなくて拗ねてしまった、子どもらしさから来る反応だと思っていた。

 いくら将棋に関してずば抜けた才能を持ち、勝負に対しての強靭なメンタルを持っているとはいえ、あの子たちはまだたった九歳の子どもなのだから。

 けど、その目で睨まれる回数が増えるに連れて俺は当初のその考え方を改めた。

 あいも、そして天衣も、俺に対してぶつけてくる眼に宿した感情は子どもらしさから来る可愛らしいものでは決してない。

 独占欲のような、執念のような、そんな強い感情が混ぜ込まれた黒いモノ。

 過去に祭神雷(さいのかみ いか)に求められた時を思い出す。あの時と同じ異様さを俺はたった九歳のあの子たちに感じてしまった。

 

「また考え事どすか?」

「えっ?」

「さっきからずーっと黙り込んで。また変な夢でも見はったん?」

 

 どうやら深く考え込んでしまっていたようだ。せっかくのドライブなのに供御飯さんに申し訳ない。

 窓の外に映る真っ黒の景色が、あい達二人の眼の色と重なって見えたんだろうか。

 眺めていた外の景色はいつの間にか街頭のある街並みから木々が覆う山道へと姿を変えていた。

 

「いえ、ちょっと弟子達の今後の方針を考えてまして」

 

 今朝も夢を見たのは確かだけど、別に変な夢という訳ではない。

 よくある夢だ。嫌なほど現実味のある……近い将来、在り得る未来を想像した夢。

 

「そう言えば、月夜見坂さんはいないんですね。てっきりあの人も一緒だと思ってたのに」

 

 夢の話題から離れようと話を変えた。

 今日は珍しい事に供御飯さんいつも一緒に居る月夜見坂さんの姿は見えない。

 

「お燎も誘ったんやけどなあ……ほら、この前の女王戦で」

「ああ、なるほど」

 

 姉弟子が防衛に成功した女王を巡ったタイトル戦。ストレートで決めたあの対局を一言で表すなら正に『大虐殺』だ。

 

「……お陰で前と違って二人きりでドライブなんて、想定外や」

 

 ぼそりと供御飯さんが何か呟いたようだったけど、小さすぎて聞こえなかった。

 きっと対局後の月夜見坂さんの抜け殻のような姿を思い出して哀れんだんだろう。

 正直、あれは酷い。

 

「……にしても銀子ちゃん、容赦ないのは昔からやけど今度のはほんま、えげつないなぁ」

「秘策で出した穴熊をあんな綺麗な姿焼きにされたら、誰でも直ぐには立ち直れないですよ」

 

 月夜見坂さんの事だ。今頃バイク乗り回して風になっているんだろう。荒れてる時のあの人と接触するのは悪手だし、当分はそっとしておこう。

 多分会ったら俺に八つ当たりしてくるだろうし。

 

「銀子ちゃん随分と苛立っとったけど竜王サン、またいらんことしたん?」

「はあ? なんで俺なんですか。俺が姉弟子をイラつかせるような事する筈が……」

 

『いい! いいよ! 銀子ちゃん!!』

『今日は俺が銀子ちゃんのご主人さまッ!!』

『せっかくだし写真撮っていい? ていうか撮ろう!!』

 

「あ」

 

 あれ、タイトル戦前にメイド服着た姉弟子にポーズ取ってもらって写真撮ったりしたな。

 いや、でもあれは姉弟子からちゃんと許可貰ってたしセーフ、だよね?

 もしかして後から冷静になってブチ切れの? 後だしとかズルいよ銀子ちゃん。

 それで、その苛立ちを月夜見坂さんにぶつけたんじゃ……

 

「なんや。やっぱり心当たりあるんや」

「な、ないですよ、はい」

「ほんまぁ?」

「ホ、ホントデスヨ」

 

 月夜見坂さんには今度あった時には何かお詫びでもしよう。

 目的地に着くまでの間、にこにこと追及してくる供御飯さんに笑って誤魔化し続けた。

 

 

 

 

 

 

「ここどす」

 

 着いてからのお楽しみ、と目的地を隠していた供御飯さんに連れてこられた場所は京都の山の上にある展望台だった。

 デートスポットとして有名なようで、俺たちのように車できた男女の姿が辺りに何組か見かける。

 別に俺たちは彼らのような関係ではないが。

 

「おおっ……すげえ」

 

 一面に広がる淡いオレンジの光を放つ京都の街並みに思わず息を飲む。

 頭上を照らす天然の星の光と人が創り出した京都の人口の光はまるで二つの星空に挟まれたような気分になる。

 

「夜の京都もなかなかええやろ?」

「ええ。こんな夜景を見たの、俺初めてかも」

 

 途中で立ち寄ったコンビニで買ったコーヒーを飲みながら、目の前の景色にしばらく見惚れていた。

 

「こうしてお星様に照らされたら、暗い気持ちも明るうなりまっしゃろ?」

「えっ?」

「見てたら分かりおす」

 

 そう言って供御飯さんは逃がさないと俺の目をじっと見てきた。

 ……流石は山城桜花。大した観察眼だ。

 

「今朝に見た夢でちょっとナーバスになってまして」

「前に見た言うてた変な夢?」

「いえ、前のとは違いますよ。あれより現実味がありますし」

「現実味?」

「俺が次の竜王戦で三戦連続で負けて、記者の人たちにボロカスに陰口叩かれてる夢ですよ。俺が結婚してるのよりよっぽど現実味がある」

「……」

 

 冗談交じりに笑みを浮かべて残っていた缶コーヒーを飲み干した。

 舌に残った苦みが、妙に後味が悪い。

 

「俺たち棋士は結局のところは勝たなきゃ意味がない。負けて何を言われようともしても仕方ないと割り切っていたつもりなんですがね」

 

 あんな夢を見る程度には、無意識の内に今の自分に危機感を抱いているらしい。

 確かに俺は月光会長に勝てた。勝てはしたが、相手のミスに救われただけだ。実力で勝てたとは思えない。あの人が全盛期だったら、あの人の盲目のハンデがなければ、俺は負けていた。

 そして、夢の中で俺が負けた相手はあの名人だった。もし夢と同じように今度の竜王戦での相手があの名人なら、今の俺では今朝の夢が現実になってしまう。

 ……今のままではダメだ。

 最近は、妙に調子がいい時がある。あの変な夢を見た日はそれこそ誰が相手でも勝ててしまうような自信が。

 その不安定さが余計に苛立った。大事な対局でそう都合よく調子が良くなるとは限らない。

 何故、天衣と平手で指した時のような鋭い読みと湧き水のように溢れる一手が会長との対局で指せなかったんだ。

 最善手を指せない自分の不甲斐なさともどかしさに、より一層苛立った。

 

「別に、負けて俺自身が何言われようが構わないんですよ」

 

 それ自体は別に構わない。覚悟はできている。

 俺が恐れるのは、俺の周りの弟子達や姉弟子が……

 

 

「心が折れなければ負けじゃない」

「……えっ?」

 

 どこかで、聞いた事がある言葉だった。

 供御飯さんは茫然とする俺の顔を見て微笑んだ。

 いつもの、からかうような笑みじゃなくて、こちらを安心させるような……そんな優しい笑みだった。

 

「……供御飯さん?」

「その夢はたぶん続きがあったんやと思うんどす」

 

 そう言って供御飯さんは俺の腕にしがみ付き、肩に頭を預けてきた。

 急な出来事に体がすぐさま反応できなかった。

 ぎゅっと抱きしめられた二の腕に伝わる、柔らかい感覚に思わず後退りする。

 

「な、なにをっ!?」

「ええからええから。ほら、周りのカップルさんらもみんなそうしてはるやろ? こなたらも空気読まな」

「だ、だからって」

 

 俺の抵抗を無視して、供御飯さんは更に腕を抱きしめる力を強めた。

 これじゃあ抜け出せそうにない。

 抵抗するのを諦めて彼女に身を任せた。

 

「きっとその後に四連勝してタイトル防衛に成功。そんでハッピーエンドや」

「名人相手に四連勝って……さすがに現実味無さすぎじゃないですか?」

「夢やねんから現実味なんて必要ないどす」

「それはそうですけど……」

 

 

「──それに夢やなくても、八一くんならできるよ」

「……っ」

 

 急に昔の呼び方で名前を呼ばれてドキリとした。

 不意打ちはやめて欲しい。

 腕を抱きしめながら上目遣いでこちらの顔を覗き込む供御飯さんに、赤くなった顔を見られたくなかったので咄嗟に顔を逸らす

 そんな俺の反応に満足したのか、彼女はクスクスと笑った。

 

「何を根拠に……」

「ずっと見てきたから」

 

 そう言われたら、何も返事ができない。

 彼女にそう言われたら、納得するしかない。本当に、ズルいと思う。

 

 だって、彼女はずっと俺の将棋を近くで見てきたのだから。

 

 そんな彼女の言葉を聞いて不思議とさっきまで感じていた不安や苛立ちは収まり、気持ちはずいぶんと落ち着いていた。

 

「……万智ちゃんがそう言うなら、きっとそうなんだろうね」

 

 からかわれてばかりじゃ癪なので、俺も昔のように彼女の名前を呼んだ。

 

 

 

 

 

 

 

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