白雪姫の指し直し   作:いぶりーす

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十五話

 少なくとも調子は悪くなかった。見れば常勝の例の夢を今朝は残念ながら見れていないが、それでも今日こそはと気合を入れて対局に臨んだ。

 相手は山刀伐尽(なたぎり じん)八段。A級序列第四位でトッププロの一人に数えられるほど実力を持つ棋士。

 居飛車、振り飛車を指しこなし受け手も攻め手もいけるオールラウンダー。《両刀使い》の異名は決して伊達ではない。

 ちなみに俺の方も周りの年上、年下の女性を食い散らかし受けも攻めもこなす《性癖オールラウンダー》なんてふざけた異名が世間から根付いてきたが、そちらは事実無根の出鱈目である。

 

「今日の九頭竜くんしゅごいのおおおおおおおおお!! 攻めがしゅごい!! 絡み合ってる! ボクたち深く交じり合って溶け合ってるッ! もっと、もっとぉおおおおお!!!」

 

 山刀伐さんの盤外戦術とも取れる言葉にドン引きしながらも、俺は気を引き締めて盤面に集中した。

 今日はいける。あの山刀伐さん相手に食らいついている!

 序盤は先手を引いた山刀伐さんに誘導されて優位を築かれた。流石はあらゆる最新定跡を網羅する棋界有数の研究家だ。

 だが、中盤に入って序盤で築かれたアドバンテージをなんとか巻き返せた。これも最近取り入れたある研究方法のお陰だ。”あいつ”には感謝しなきゃな。

 そして既に終盤に入った。このままこっちが攻め続ければ!

 

 山刀伐さんは俺に取っては特別な相手だ。

 プロデビュー戦で大敗し、そして竜王獲得後の第一戦でも負けた。連敗の始まりも彼との対局だ。

 俺にとっては絶対に越えなければならない壁だ。

 今日はこの壁を越えて見せる!

 

「ねえ、九頭竜くん」

 

 耳元でこそばゆい声がした。

 互いに盤にのめり込むように前傾していたせいか、ふと顔を上げると思ったより顔が近かった山刀伐さんが俺に囁くように呟いていた。

 

「対局って恋愛に似てると思いませんか? こうして二人で向かい合って……まるでお見合いみたい」

「そ、そうっすね」

 

 息を荒げる山刀伐さんの言葉を流すように相槌を打つ。仮にも大先輩なんだし、とりあえずは答えておこう。

 

「昨日から……ううん、もっと前からボクはキミのことで頭がいっぱい」

 

 なんてこった。あの山刀伐さんから一目置かれていただなんてコウエイダナー。

 その期待に応えるためにも今は集中しないと。

 

「キミが今日どんな戦型で来るのか、ボクのためにどんな素敵な将棋を指してくれるのか。ワクワクして、ドキドキして眠れなかった」

「初めてボクたちが指した時の事を憶えてる? あの時の九頭竜くんはまだ中学生だったね。可愛かったなあ。制服着て初々しくて」

「嬉しかったなあ。九頭竜くんの棋士としてのハジメテを貰えて。こんな才能ある子と指せて」

「あの時も、そしてその次の対局も、ボクが勝ったけど、確かに才能を感じたよ。キミの全てをボクは全身で感じた感じちゃった」

「そして今日もキミはボクとこうして指している。あの時よりもずっと強く、ボクをイカせようとしている」

「こうして何度もキミと指せるなんてボクは幸せだよ。もしかしたらボクたち、運命の赤い糸で結ばれていたのかも」

「そうか、ようやく理解したよ。キミに対するボクの感情。この気持ち、まさしく──」

 

 山刀伐さんが何かとんでも無い事を言おうとした気がしたので会話を断ち切るようにバチンと駒を大きく鳴らした。

 大先輩相手に失礼かもしれないが、このままあの毒電波を流されるよりは多少の無礼を働いた方がマシだ。

 というかヤバイ。ヤバイよこの人。《両刀使い》ってそっちの意味もあるの!?

 

「九頭竜くん」 

 

 熱の籠った吐息を吹きかけるように山刀伐さんはまたしても耳元で俺の名前を呟く。

 それにしても、距離が近い。顔が近い。もうちょい離れて!

 というか、まだ話しかけるのか。そろそろ盤で語りましょうよ。

 それに、さっきの山刀伐さんの呟きで寒気がしたせいか急にトイレに行きたくなった。

 けど今この場でお手洗に向かうすると山刀伐さんも付いてくる気がする。何故だか分からない。けど、俺の棋士としての直感がそう告げている。

 それだけはマズい。絶対に避けなければ。あの人と一緒にトイレだなんて何が起きるか想像もしたくない。

 その為にもこの人との対局を終わらせなければ。

 

 これ以上、山刀伐さんの毒電波に付き合う必要もないと、眼鏡の位置をくいっと直し対局に集中しようとして──

 

「好きな人とか、いる?」

 

 もはや将棋とは関係ない話題を振ってきた山刀伐さんに体が思わず硬直してしまった。

 

 その言葉を聞いて、ある人が脳裏に浮かんでしまったから。

 今まで、そんな感情を抱いた事がない筈の彼女を。

 

「そう……ふふ、ごめんね。満足したよ。今は盤で語り合わないと」

 

 俺の反応にどこか満足そうにそう言って山刀伐さんは口を閉ざし、パチンと駒を鳴らした。

 彼の鳴らした駒の音にハッとした。

 そうだ、早く指さないと。ただでさえ持ち時間が惜しいのに。

 

 そうやってに頭では盤面を考えているつもりなのに、山刀伐さんの言ったその一言が、俺の心と思考を想像以上に乱していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────────

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「あ"あ"っ、生き返りますぅううううう!! ほああああああ!!」

 

 雛鶴あいから放たれた実に小学生らしくない雄たけびが広い浴場に響き渡った。前回はもう少し可愛いらしい声をあげた筈だったけど今回のはただの大阪のおっさんだ。

 大声を出してはしゃぐ小童に注意しようと思ったけど、開店直後のためか私たち以外に人がいないので大目に見た。

 今日は清滝師匠の家のすぐ近くにある古い銭湯に来ていた。ここに来た経緯は前回と概ね同じだ。

 ほぼ毎日に渡る八一に対して行っている監視によるストレスと大きい浴槽に入れないフラストレーションが溜まりに溜まったのか、雛鶴あいは泣きながら八一に銭湯に行きたいと頼み込んだそうだ。

 それに驚いた八一は前回同様に桂香さんに同伴をお願いして、私もそれに付き添った。

 よっぽど鬱憤が溜まっていたのだろう。さっきの叫びがその証拠だ。小童は湯船にぷかぷかと浮かんで幸せそうな顔をしている。前回とは少し異なる光景だ。

 そしてもう一つ、前回は違う点がある。それは……

 

「ふーん。意外と悪くないわね」

「……ほんと、なんであんたまで居るのかしら」

 

 私の隣で体を洗いながら浴場を見渡す夜叉神天衣を睨みつけた。

 まさか、こいつまで付いてくるなんて。

 聞いた話によると、どうやら小童が銭湯に行きたいと泣き喚いた場でこいつも偶然居合わせたらしく、その時に八一が誘ったそうだ。二つ返事で付いてきたらしい。

 

「弟子が師匠の傍にいるのは当たり前じゃない。何言ってるの? お・ば・さ・ん」

「泣かす」

 

 このクソガキ、あろうことか最初は自分の幼さを利用して八一のいる男湯の方に入ろうという企みをしていた。

 それに察知した私はすぐさま夜叉神天衣をつまんで女湯へと無理矢理引きずり込んだ。

 今の男湯には八一しかいない事も全て把握した上での行動だ。全くなんてガキだ。

 その計画を妨害された腹いせなのか、さっきからおばさん、おばさんと連呼してくる。

 

 ちなみに、夜叉神天衣の行動を見た小童が『なるほど、その手があったんだ』と呟いていたが今後はあの小童に対しても注意しておかなければ。

 

「ふん、やれるものならやってみなさいよ! 白髪ババア!!」

「ああん!?」

「ぎ、銀子ちゃん、落ち着いて」

「お、お嬢様! すみません、空先生、桂香さん」

 

 思わず掴みかかろうとしたが、桂香さんに止められた。

 このガキィ……だいたい私とあんたじゃ五歳しか違わないじゃない。ババア呼ばわりされる筋合いはない。

 クソガキの付き人、確か晶さんと言ったか、彼女は頭を下げてくるが夜叉神天衣は態度を改める様子もなく鼻を鳴らした。

 このクソ生意気な黒い小童は後でたっぷりと料理してやろう。小童はこの前、泣かしたがこいつはまだだ。

 

「こら天衣。口が悪いぞ」

 

 どうやら先ほどのやり取りは男湯の方まで届いていたらしく、八一の咎めるような言葉が響いた。

 流石に師匠として弟子のクソ生意気な言動を看過出来なかったのだろう。

 まったく弟子の口の利き方くらいはしっかりと指導してほしい。

 

「はーい、気を付けます師匠(せんせい)

 

 それに対して夜叉神天衣は先ほどの私に対しての態度とは真逆に素直に返事をした。

 カマトトぶりやがって。

 

「天ちゃん、流石にさっきのは酷いよ」

「なによ、あい。そいつの味方するの?」

 

 驚いたことに小童が私を擁護してきた。

 この小童もようやく私に対して敬意を払うということを覚えたらしい。

 

「おば……空先生、まだつるつるのぺたぺたなんだよ? おばあさんじゃなくて私たちと同じお子様なんだから、仲良くしなきゃ」

「小童ぁああ!!」

「銀子ちゃん! 駄目よ!」

「桂香さん、どいて! そいつ泣かせない!!」

 

 こいつ、よりにもよってまた八一の前でそれをバラすなんて!

 立ち上がり桂香さんの制止を無視して湯船でニコニコと笑みを浮かべる小童を捕まえようとして……夜叉神天衣が立ち上がった私の身体のある一点を凝視してる事に気が付いた。

 そして、ニヤリと笑った。

 

「あら、そうだったの。ごめんなさい、大人気なかったわ」

「そうだよ、天ちゃん。大人気ないよ。空先生、つるつるのペタペタなんだから」

「でも十五でつるつるペタペタだなんて……ねえ、あい。空銀子ってもしかして二年後も?」

「うん、つるつるペタペタのままだよ」

「……そう」

 

 ひそひそと、私にしか聞こえないくらい小さな声で会話をする小学生二人。

 一見すれば微笑ましい光景だが、会話が私に対してのなめ腐った内容なので全く可愛らしくもない。

 小童から話を聞いいる内に浮かべていた笑み消え、憐みの表情を向けてくる夜叉神天衣にとうとう堪忍袋の緒が切れた。

 

「二人まとめて沈めてやる」

 

 そうだ。私が間違っていた。ぬるかった。

 将棋で泣かそうしたのが間違っていた。物理的に泣かそう。

 

「銀子ちゃん抑えて! むしろいいじゃない! 八一くん的にはポイント高いよ!」

「そうですよ空先生! 堂々とアピールしましょう! きっと喜びますよ!」

「そんなポイントいらないしアピールもしないッ!!」

 

 桂香さんも晶さんも何とか私を宥めようとしているんだろうけど、むしろ逆効果だ。

 二人とも大声を出してるせいか絶対八一に聞こえてる。

 

「ちょっと八一! 今の聞こえたでしょ!?」

 

 反射的に前と同じように桶を投げ込みかけたが、なんとか抑えた。

 危ない危ない。こんな些細なことで八つ当たりしていたから異性として中々意識して貰えなかったんだ。ここは冷静にならないと。

 

「と、とにかく八一。今のは忘れなさい。命令よ!」

 

 こう言っておけば、とりあえず何とかなるだろう。

 今はあの生意気な小童どもを捕まえないと。

 

 ……。

 あれ、おかしい。八一からの返事がない。

 

「うわっ! 大丈夫か兄ちゃん!」

「えらい鼻血出してどないしだんや!」

「とりあえず運び出さな!」

 

 男湯の方から、声が響いた。どうやら私たち以外の客が入ってきたらしい。

 

 ……。

 

「ほら、銀子ちゃん。やっぱり八一くん的にポイント高かったでしょ?」

「良かったですね! 空先生!」

「……エロやいち」

 

 ちっとも嬉しない二人の励ましに顔を赤くした。

 そして姉弟子の裸体を想像して倒れた変態の弟弟子には後でたっぷりとお仕置きしてやると誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 


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