白雪姫の指し直し   作:いぶりーす

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十八話

 棋士という人種は一般の人たちが思う以上に実は肉体を酷使している。

 というのも長時間に及ぶ正座の状態で将棋盤を上から見下ろすという体勢はかなり負荷がかかるからだ。それが原因で腰や肩を痛め、引退を余儀なくされた年配の棋士たちが今までどれほど居たか。関西将棋の大重鎮たる《ナニワの帝王》の異名をもつ蔵王九段も最近では体の調子が悪いと聞く。

 そんな先人達の姿を見て、俺たち若手棋士は今の内から体のメンテの重要性を学んだ。

 

 つまり、マッサージという行為が棋士にとって必要不可欠な要素なのである。

 

「ししょー、気持ちいいですか?」

「ぅん、ぃぃ……きもちいぃよ、あい」

 

 あいの小さな足が俺の凝り固まった腰部や臀部に沈み込む。我慢できずに口から情けないを通り越して気色悪い声を上げていた。だって気持ちいいんだもん。仕方ないよね。

 こうして幼女に踏まれているのには訳がある。間違っても趣味や性癖などではない。

 マッサージには一般的には指圧をイメージすると思うが、それとは別に足圧というものがあるそうだ。臀部や腰部、肩といった深層部分の筋肉を解すのには指圧よりも足圧の方が適している、というのをあいから教えてもらった。

 流石はあい、温泉旅館の娘だけあってそういう知識も持ち合わせている。家事もそうだが、将棋以外のスペックも高いとつくづく思う。

 

「あいばっかり。私もマッサージしてるんだけど?」

「もちろん、天衣も気持ちいいよ、ああ最高だっ!」

 

 拗ねるような口調で俺を睨みつけて、背中に跨り踏むのではなく体重をかけて両腕で俺のカチコチに硬くなった肩を圧す天衣。流石に踏むよりは圧が少ないが、それでも程よい力加減だ。何より手が暖かくて気持ちいい……いかんいかん。これじゃまるで変態じゃないか。

 

 この弟子達二人によるマッサージは生石さんのところで研究を始めてから直ぐに日課となった。

 無事に生石さんとの研究を取り付けたが、研究だけではなく、話の流れで銭湯のお手伝いもする事になった。銭湯を手伝いながら指導対局をするのは中々体を酷使する。そんな俺を見てあいがマッサージを申し出てくれたのだ。

 最初は弟子にそんな事は頼めないと断ったものの、とりあえず一回だけでもと言われ、踏んでもらった。てっきり揉んだり押したりするのかと思ってた俺は驚いたが、これが想像以上に効いた。以来、あいにマッサージを定期的にしてもらい、それを見た天衣が自分もやると言い出して今に至る。

 

「……ねえ、あい。大丈夫なの? 前はこうしてマッサージしてたら空銀子に妨害されたんでしょ?」

「心配ないよ天ちゃん。空先生がここに来たの、前はもっと後だったし。澪ちゃんたちが遊びに来た時だったから、来週くらいの筈だよ」

「そっ。なら遠慮なくやらせてもらうわ」

「うん。今のうちにししょーを骨抜きにしてあげよ」

「私たちなしじゃ生きていけなくしてあげるわ」

 

 俺の上で弟子たちが何やらひそひそと密談してるが、マッサージが気持ち良すぎて二人の会話が頭に入らない。まあ、どうせJSらしいガールズトークに花を咲かせいるのだろう。それなら聞き耳を立てるのも野暮だな。

 二人とも初対面の時は何やら険悪な雰囲気が漂っていたように感じたがどうやら杞憂だったようだ。

 

 しかし、改めて考えてみると今の俺の姿は傍から見ればもう言い逃れのできないただのロリコンだ。幼女二人に踏まれ、跨がれ、気色悪い声を漏らす竜王……鵠さん辺りに見つかったら即ネタにされた挙句、数か月はおちょくられるな。

 流石にこの子達の純粋な好意に下劣な感情を抱くような事は間違ってもないけど。

 というか、周りの人間や本人にも何度も言っているけど俺の好みは桂香さんのような大人の女性なのだ。こんな年端もいかない子どもではない。

 そうだ。俺の好みは桂香さんなんだ。それは昔から変わらない。なのに……。

 

「こんな事で悩む日が来るなんて……」

 

 弟子達に踏まれ揉まれながら先日、師匠の家を訪れた際に桂香さんと交わした会話を思い出した。

 

 

 ─────────

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「あの、八一くん。前から少し気になっていた事があるんだけど……」

 

 師匠の家での用事を済ませ、俺は居間で桂香さんと世間話をしていた。

 あい達の様子とか、今は生石さんのところで研究をしているとか、姉弟子の事とか、他愛ない会話だ。そんな中、桂香さんは話の途中で覚悟を決めたような顔をしてそう切り出した。

 

「気になっていた事?」

 

 なんだろう。桂香さんが俺に……はっ!? もしかして、愛の告白!? 

 そうか、ようやく俺の熱い想いに応えてくれる決心が付いたんだ。長かった。だけど俺のアピールは無駄じゃなかったんだ!

 やっぱり竜王夫人になるのは貴女しかいないよ桂香さん! でもそうなると師匠とは物理的に殴り合いになりそうだな。うん、暴力はいけない。ここは平和的に将棋で決着を付けよう。今なら負ける気がしない。ボッコボコにしてやるぜ。

 そうやって勝手に一人で妄想して盛り上がっていると、

 

 

 

「その……八一くんって銀子ちゃんと付き合ってるの?」

 

 桂香さんはとんでもない爆弾を投げ掛けてきた。

 

「…………へっ?」

 

 一瞬、言葉の意味が分からなくて思考が止まり、そして理解した途端に胸の内から戸惑いと焦りが同時に湧き出した。

 

「二人の事だし聞くのも野暮かなって思ってたんだけどね。でもやっぱり気になって……二人のこと、ずっと見守ってきたから」

「いやいやいや、何てこと言い出すの!?」

「……? えっ、違うの?」

「違うよ! 俺が姉弟子と付き合ってるだなんて……」

 

 ありえない。そう口にしようとした時。

 姉弟子が倒れたあの日、寝ている彼女の口から零れた言葉が脳裏をよぎった。

 頬が赤くなるのを感じ、雑念を払うように首を振った。

 

「でも最近、よく一緒にいるでしょ?」

「そんなの、昔からじゃん。俺と姉弟子が一緒にいるだなんて」

 

 世間じゃ俺たちがよくそういう関係だと疑われる事がある。疑われるだけならまだいいが、なんか既に付き合ってる事にされてたりもするから恐ろしい。

 まあ、そんなのはゴシップ関係のマスコミ連中が騒ぎ立ててるだけで……いや、一部の将棋関係者の記者も一緒に騒いでるな。ともかく、そんな事実はない。断じてない。

 その手のあらぬ誤解のせいで何度姉弟子のファンから脅迫まがいの手紙が届いた事か。掲示板で俺のスレを荒らしていたのも彼らじゃないだろうか。最近はもう見てないけど。

 

 確かに昔から姉弟子と一緒にいる事は多いし、何度も周りに勘違いされる事もあった。だけどその度に姉弟子が慌てた様子で否定してたし、そんな姉弟子に助け舟を出そうと俺も便乗して全力で否定した。

 ……何故かその後に姉弟子に殴られ、理不尽な姉弟関係を幼い時から身に染みて味わってきたけど。

 

「だいたい俺たちの関係なんて桂香さんが一番わかってるでしょ? なんでそんな事を今更……」

 

 尋ねながら、姉弟子の姿を思い浮かべた。そういえば最近の姉弟子とはさっき挙げたようなやり取りをしなくなった気がする。俺に弟子ができて二人でいる時間が減ったからなのか、それとも何か姉弟子の中で変化があったのだろうか。

 

「でも最近の二人を見てると……ちょっと」

「最近の?」

 

 何か変わった事でもしただろうか、と最近の出来事を思い返す前に桂香さんが困った様子で口を開いた。

 

「ほら、ここ最近の銀子ちゃんと八一くん、一緒にいると凄く距離近いでしょ? この前も銭湯に行った時なんて二人で手なんて繋いでたし」

「あっ」

「それだけなら昔もしてたから私もそこまで気にならなかったんだけどね? ほら、指まで絡めて……まるで恋人同士みたいに」

「ち、ちがっ…」

「最初はてっきり銀子ちゃんが八一くんにそうさしてるのかなって思ったけど、八一くんも自然に手を繋いでいたし」

「そ、それは」

「私も二人が小さい時からずっと見てきたからどんな関係かだなんて分かっているつもりよ。でも流石に目の前で日傘で相合傘しながら指を絡めて手を繋いでいるのを見たら……ねえ?」

「………」

 

 疑いの眼差しを向ける桂香さんの顔を正面で受け止める事が出来なかった。というより途中で恥ずかしくて首を垂れていた。

 正直、何も言い返せねえ……。

 姉弟子が倒れた日から、桂香さんの言う通り確かに距離が近くなったと思う。主に物理的に。

 だって姉弟子、俺と出かける時必ず手を握るもん。弟子が見てる前だとか、将棋会館の前だとか、時も場所もそんなのお構いなしに。ここ最近は元気が無さそうだったけど、それでも銭湯に行く時の道中も手はしっかり握られたし。

 もしかして天衣があの日、不機嫌だったのはそれが原因なのか? 普段大人ぶっているけど、やっぱり年相応に構ってほしかったんだろうな。

 

「た、確かに距離が近いのは認めるけど……でも、別に付き合ってるとか、そんなの……ないよ」

 

 俺自身、あの日から姉弟子に対して少し過保護に接してると自覚している。しているつもりだけど……そうか、第三者の目から見ると俺たちはそう見えるのか。今度から手を繋ぐ時はなるべく人目に配慮しなければ。

 いや、俺も指絡めて手を繋ぐのはどうかと思ってたけど………………まあ、思ってただけで、止めなかったのは俺自身だ。

 

「ふ~ん。そっか、そうなんだ」

 

 言葉では納得してるように言うが、絶対に疑ってる。というかニヤニヤして俺の顔を見るのはやめて! 恥ずかしいから!

 桂香さん絶対楽しんでる! 俺をからかって遊んでるよこの人!

 

「か、勘違いしないでよ桂香さん!! それに昔から言ってるでしょ! 俺が好きなのはッ」

 

 桂香さん、と続けようとして言葉が出なかった。何故か、姉弟子の……銀子ちゃんの姿が思い浮かんで、彼女の姿が頭から離れなかったから。

 

「……ッ!?」

 

 な、なんで俺は……これじゃまるで俺が銀子ちゃんを……。

 だ、だめだ。感情の整理ができない。将棋以外でこんなに頭を悩まされたのは初めてかもしれない。

 今思えば、山刀伐さんとの対局中にも今と似たような事を聞かれて冷静さを失っていた気がする。

 マズイな、これは。忌々しき事態だ。棋士たる者がこんな事で心を乱すなんて。

 

「うんうん。わかってるよ、八一くん……そっか、ようやく八一くんも。よかったね、銀子ちゃん」

「だ、だから……」

 

 微笑ましそうに笑みを浮かべる桂香さんに今度はもう否定の言葉すら出なかった。

 これ以上、桂香さんに言っても無駄そうだし、何より自分自身を誤魔化しきれなかったから。

 正直、自分でも分かってはいるつもりだ。大よその予測はついているんだ、この感情に。この想いに。

 だけど、予測は付いても確信が持てない。一緒にいた時間が長すぎて、素直にそうだと断定できない。そして気付く事によって俺達の関係が変わってしまうのが……怖い。

 

 

 頭を悩ませる俺に構わず、その後もテンションの上がった桂香さんに「いつでも相談に乗るから」とか「ちゃんと報告はしてね」とか、散々弄られる羽目になった。 

 

 

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「………はあ」

 

 師匠の家でのやり取りを思い出して深く溜息を吐いた。

 正直、姉弟子の事に関してはもう少し後で時間を掛けてゆっくりと考えるつもりだった。

 そもそも俺自身、どうしたいのかすら分からないんだ。どうしようもない。それにタイトル防衛戦も控えているし、弟子達のマイナビ戦もある。悩む時間がないんだ。

 だから今は表面的だけでも、昔と変わらないように接して全てひと段落してから向き合う予定だった。

 

 だけど、その計画が狂った。桂香さんにあんな事を言われたせいで嫌でも意識してしまう。

 

 今のところは姉弟子とスマホで連絡を取り合ってるだけで直接は会っていないけど、これからどんな顔をして会えばいいのやら……。

 

「どうしたんです? ししょー。まだどこか凝ってるところあります?」

「いや、体の方はあい達のおかげですこぶる元気だよ」

「なに? じゃあ悩み事でもあるの?」

「そ、そんなんじゃないよ。でもありがとう、心配してくれて」

 

 俺が大きなため息を吐いたせいか、弟子達二人がマッサージを中断して心配そうに俺を見てくる。

 まあ、流石に好みの女性と気になる女性って違うんだね、なんて九歳相手に話す内容ではない。

 言葉を濁して弟子達二人の気持ちに感謝した。

 

「べ、別に心配なんて……か、かぞくなんだし当然じゃない」

「何か悩んでいるのでしたら、いつでもあいに相談してください! ししょー!」

 

 天衣は照れ臭そうに、あいは微笑みながらそう言ってマッサージを再開した。

 ああ、本当にいい子たちだ。目に入れての痛くないとはまさにこの子たちの為に存在している言葉なのではないだろうか。

 そうだ。今この場で悩んでも仕方がない。姉弟子の事は後で考えればいいんだ。今はただ、この子たち二人に身も心も委ね、体のケアに専念しよう。そうだ、それがいい。

 

 天衣が揉み、あいが踏む。

 交互に発生する心地よいい圧力に、いつしか眠気が訪れてきた。ああ、このままゆっくりと眼を瞑れば……。

 

 ゲシッ!!

 

 重くなった瞼が、突如後頭部に加えられた衝撃によって一気に開かれた。

 えっ、なに? あいが間違って俺の頭を踏んじゃった? 

 確認しようと顔を上げると、黒のストッキングが目に入った。あいはストッキングなんて履いてないし天衣か? でも天衣は俺に跨っていた筈じゃ……。

 

 

「随分と気持ちよさそうね、八一」

 

 久しぶりに聞いた、心の底から絞り出したかのような冷たい声だった。

 最近は、割と優しく接してる彼女。その声を聴き間違える筈がない。

 

「お、お久しぶりです、姉弟子……」

 

 色んな意味で今、一番会いたくない人がそこに居た。

 

 




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