白雪姫の指し直し   作:いぶりーす

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十九話 

 桂香さんの件が気になって八一に会いに京橋にあるゴキゲンの湯へと足を運んだ。来週、研究会でお世話になる生石さんと飛鳥さんへの挨拶も兼ねての事だ。

 前回、ゴキゲンの湯に出向いた際はいきなり弟弟子の特殊性癖を目の当たりにして思わず踏みつけてしまったけど今回はそんな事はしないと思う。あのJS研究会の子たちが来るのは来週だった筈だし、流石に今は小童たちと共に真面目に生石さんの下で指しているのだろう。

 

 

 ……そう思っていた。

 

「ロリコン」

「ち、違います! 誤解ですよ! これはただのマッサージ! 姉弟子も分かるでしょ!? 俺たち将棋指しは凝り固まった体のメンテナンスが必要だって!」

「だから女子小学生に揉んだり踏んだりしてもらってるの? 頭の方もメンテナンスが必要みたいね」

「興奮なんてしてねえし! それじゃあ俺がまるで変態みたいじゃん!」

「変態よ。私も踏んで直してあげる」

「ぐええええ」

 

 踏みつぶされたカエルのような鳴き声が響き渡った。足元の八一を一瞥し、私の八一を悪しき道へと誘おうとした諸悪の根源どもを強く睨み付けた。どうやら私の姿を見て二人とも戸惑いを隠せないようだ。抜け目のないこいつらの事だ。どうせ私がいない間に八一に誤った性癖を植え付ける算段だったんだろう。そうはいくか。

 

「な、なんで、あんたがここに……あい! 話が違うじゃない!」

「そんな、空先生が来るのは来週の筈だったのに……何しに来たんですか! おばさん!」

「私は八一に用があって来たのよ。ちょっと二人で話がしたいからあんた達は適当にどっか行ってなさい」

 

 しっしっ、と八一に跨る生意気なクソガキ共に手で掃う。こいつらとは連絡を取り合って八一に悪い虫が付かないよう共に監視する同盟ではあるが、あくまで一時的に組んでるだけに過ぎない。それ以外に関してはむしろ敵だ。こいつらのせいで八一に特殊な性癖が芽生えてしまってはたまったものじゃない。

 

「え、その、ふ、二人で、ですか……? 別にあい達がいてもいいんじゃ……」

「そうですよ! 私たちが居て何か困ることでもあるんですか!」

「人前で話せないようなやましい事でもあるわけ!?」

 

 何故か大きく動揺している様子の八一と責め立てるように騒ぐ小童共。

 小童達はともかく、なんで八一もそんなに驚いているんだろう。別に二人で話すなんていつもの事なのに。

 それにさっきから様子がおかしい。そわそわしているというか、私と目を合わせてくれない気がする……気のせいかな。

 

「桂香さんの事でちょっと聞きたい事があるの」

 

 これ以上、このガキ達に騒がれるのも面倒なので素直に要件を言う事にした。

 

「桂香さんの……?」

「なるほど、そういう事ですか」

「なんだ、あいつの事ね」

 

 怪訝そうな顔をする八一とは正反対に前回の桂香さんの事情を知っている小童達はすんなりと納得してくれたようで、さっきまで威圧していた表情から一気に毒気が抜けた。

 どういでもいいけど、八一が絡むと直ぐにこんな殺気立った顔をする今回のこいつらをあのJS研究会の子たちは怖がらないのかしら。

 

待てよ……ま、まさか桂香さん、姉弟子に余計な事言ったんじゃ……

「何?」

「いえ……なんでもないです」

 

 ぶつぶつと何か呟く八一を見て首を傾げる。やっぱり今日の八一は少し変だ。

 まあいい。気にはなるけど今は目的を果たそう。

 

「とりあえずこいつは借りていくわ。ついでだし久しぶりに軽く指すわよ、八一」

「ちょ、分かりましたから、引っ張らないで!」

「あっ! ずるいです!」

「話すだけって言った癖に!」

 

 ギャーギャーと後ろで喚く小童達を無視して八一の手を取り、そのままゴキゲンの湯の二階にある将棋道場へと向かった。

 散々八一を独占したんだ。今度は私の番だ。

 

 

 

 

 軽く指す、と自分で言ったがもちろん全力で殺しに行った。私が目指す場所は八一と同じ場所なんだ。手加減など有り得ない。持てる全てをぶつけたつもりだった。

 ただ、それだけで勝てるほど私と八一との距離はまだ近くはなかった。

 ……当たり前か。『指し直し』の前から、あの背中にはこの手が届いてはいなかったのだから。

 

「八一、どうかしたの?」

「えっ?」

「顔、赤いけど」

 

 指し終えて軽く感想戦を経てから、八一に尋ねた。

 やはり今日の八一はどこか変だ。対局中もこちらの顔をチラチラと伺ってきて私が見つめ返すと慌てて目を逸らすのを何度繰り返しただろう。

 それに駒が浮ついている、とでも言えばいいのだろうか。悪手とまでは言わないものの八一らしからぬ際どい手が多くて、そのお蔭でいつもよりは長く粘れた。

 今の八一を見ているとあの時の事を思い出す。八一の目の前で釈迦堂さんと指した、かつての私の姿を。

 ……まあ、私と違って浮ついた状態でも私程度には勝ってしまうのが、最年少竜王たる九頭竜八一の才能なのだろう。

 

「……っ! そ、そうですか? ちょっと集中しすぎたのかも」

 

 苦笑いを浮かべたその言葉が誤魔化す為の嘘だとすぐに分かった。本当に集中していたなら、八一はあんな甘い手は決して指さない。それはずっと見てきた私が一番よく知っている。

 もちろん、八一自身もそれに気づいて後から気を引き締めて指していたようだけど……なんというか、指す為に集中していたのではなくて、何か雑念を払うように没頭していたように見えた。

 単純に手を抜かれたのなら、怒るけどそうじゃない。本当に今日の八一はどうしたんだろう。

 もしかして、体調でも悪いのかな? 銭湯の手伝いと生石さんとの研究、さらに前と違って二人の弟子の指導と確かにハードな仕事量だ。うん、その可能性も十分にあり得る。

 咄嗟に私は八一の額に手を伸ばした。

 

「あ、姉弟子? 何を……」

「いいから、じっとしてて」

 

 黒と茶色の混じった八一の前髪を指で払い、額にそっと触れる。八一のぬくもりが掌からジワリと伝わってきた。

 そういえば、昔も私が体調を崩した時も八一は同じように額に手を当てて心配してくれたな。

 

「熱はないみたいね」

「……っ」

 

 もう片方の手で自分の額を触りながら体温を比較したけど発熱している訳ではなさそうだ。でも頬は少し赤いかな。やっぱり少し疲れてるのかもしれない。

 

「な、なんなんですか、一体……」

「今日の八一、変だったから熱でもあるのかと思った」

「変、ですか?」

「指してる時もずっとそわそわしてたし。何かあったの?」

「……何もないですよ」

「ならいいけど。次の対局も近いんだし気を付けなさいよ?」

「わ、分かってます……ほら、大丈夫ですから」

 

 慌てた様子で八一は額に触れていた私の手をそっと引き離した。

 少し残念だ。もう少し触れさせてくれても良かったのに……。

 

「ところで姉弟子。桂香さんの事って何です? 俺もこの前、師匠の家に用事で行った時に桂香さんと軽くしか話してないんですが、もしかして更に調子が……」

 

 そういえば、本来の目的はそれを聞きに来たのだった。少し脱線しすぎたか。

 

「逆よ。ようやく一皮剥けたみたい」

「そう、なんですか?」

「ええ。案外、今の桂香さんならあの小童たちと当たっても勝てるかも」

「そ、それは流石に言い過ぎじゃ……」

 

 別に冗談でも何でもない。あの小童たちが私と同じように『指し直し』をしてなければ、十分にあり得た。現に、前回はあの二人相手に戦えていたのだから。

 ……残念ながら、今のあいつらは隙のない化け物だけど。

 

「まあでも……良かった」

 

 ほっと胸をなで下ろす八一を見て思わず笑みを浮かべてしまった。

 変わらないんだな。今はこんなにも遠くに行ってしまった彼と私でも、桂香さんを、家族を想う気持ちは。

  

「桂香さん、言ってたよ? 八一のお陰だって」

「俺の? でも俺、何もしてませんよ? ただ話して帰っただけだし、指した訳でもないのに」

「八一、昔の棋譜を取りに帰ってたんでしょ? それを聞いて桂香さんも昔付けてたノートを掘り起こして自分の将棋を見直せたみたい」

 

 ただ他人の将棋をなぞるだけだった桂香さん。それを早い段階で脱ぎ捨てて昔の自分と向き合えるようになったのは、大きな進歩だ。

 それに前回と違って今の段階で立ち直れたのなら、あの小童どもと当たる前に他の相手に勝ちを稼げる可能性だってある。それなら例え前回と違い仮に夜叉神天衣に負けたとしても問題は無さそうだ。

 私は桂香さんが本当ならもっと強い人だって知っている。だけど流石に今のあの小童ども相手では分が悪い。

 

「そうでしたか。自分自身の為だったんですけど、意外なところで影響してたんですね」

「……それで、気になってたんだけど何で古い棋譜なんて持ち出したの?」

「それこそ桂香さんと同じです。昔の自分と今の自分を比べて見つめ直すため、ですよ」

 

 そう言いながら八一はおもむろに鞄を漁り、タブレットを取り出して画面に指を滑らせながら、その画面を私に見せた。

 そこに表示されていたのは偶然にもこのゴキゲンの湯で生石さんと一緒に見た、棋譜を示した文字列だった。

 

「この前、言いましたよね? 取り入れた研究があるって。それがこれです」

「これって……」

「ええ、ソフトを使った研究です。これは先日、生石さんと指した時の棋譜を読み込ませたものですよ。振り飛車を学ぶ為に直接指しながら感覚を掴み、平行してソフトに読み込ませて数字を出し、精度を上げる。中々効率的だとは思いません?」

「な、なんで……」

 

 驚き、よりも戸惑いの方が大きかった。なんで、この時期の八一がソフトを使った研究なんて……あれは防衛戦を経てから始めた筈なのに。それに生石さんとは振り飛車を指す為の研究をしていたんじゃなかったの?

 戸惑う私を気に止めず、八一は言葉を続ける。

 

「以前から少しは使っていたんですけどね。ほら、ソフトの示す最善手って少し異質なのは姉弟子も知ってますよね?」

「……確か、角や桂の価値が低く見られてるから人間と違って躊躇なく切る傾向にあるのよね」

 

 歩を高く評価した相対的な結果だと八一は前回の時に話していたのを思い出した。

 

「ええ。ですから、そのまま人間が取り入れようとしても簡単にはいかない。人間より遥かに優秀な演算能力を持ったコンピュータだからこそ示す最善手は人間が扱う事はできない……でもそれって逆に言えば人間側の演算能力が上がれば、利用できるんですよ」

「えっ?」

「実は最近、妙に調子がいい日があるんです」

「調子がいい?」

「なんていうか説明しにくいんですが。読みが冴えているというか、ほら脳内将棋盤ってあるじゃないですか。あれが全く消えなかったり、冴えすぎてちょっと気分が悪くなったり」

 

 どこか聞き覚えのある話に何故か悪寒がした。まるで八一が、私の知らない誰になってしまったような。

 いや、違う。

 知ってる(・・・・)八一になってしまったような、そんな錯覚なんだ。私の知る、かつての八一に。

 

「その話をこの前、久しぶりに会った創多としたら勧められたんですよ。このソフトを使った研究を」

「創多が?」

「なんかやけに強く推されちゃって。八一さんなら絶対そっちの方がいい、とか。それで半信半疑で取り入れてみたら意外としっくりきて。創多が言ってたように、昔の俺って結構ソフト寄りの指し方してたんだなって自分の棋譜見て思いましたよ」

 

 そう言えば八一がこの前、創多から連絡を貰って会う約束を電話越しに私の目の前でしていたのを思い出した。

 あいつはソフトを使った研究に長けていた。八一がそれでソフトを使った研究を取り入れたのも辻妻は会う。

 でも、そんな偶然があるのだろうか?

 まるで、誰かが八一を意図的に強くしようとしてるような……。

 

「……八一は、もっと強くなりたいの?」

 

 自分でも馬鹿らしい質問だと思う。棋士なんだから、そんなの決まっている。

 

「そりゃあ、そうですよ。俺達はみんなそうでしょ? 今のままでいいなんて自惚れは誰もしていない。常に勝利と強さを求めている。あの頂点に立つ名人でさえも」

「でも、そんな……」

「コンピュータみたいに、ですよね。言いたい事は分かりますよ」

 

 思わず口に出た前回と同じ八一にした言葉。それを言い切る前に遮られた。

 

「ソフトを使うのはあくまで効率的に研究を行うだけですよ。俺自身が別にコンピュータになった訳じゃない。それに俺がコンピュータならこんな事に悩みなんてしないですよ」

 

 八一は私の顔を見ながら、そして何かに観念したような苦笑いを浮かべた。

 

「悩み?」

「ええ。将棋とは関係ないものだと思っていたんですけど、思った以上に影響が出るものだと今日、思い知りました。こればかりはソフトじゃどうしようもない」

「……?」

 

 何の事だろう……。もしかして今日、様子が変だったのはその悩みのせい? 

 私はそのまま八一の言葉を聞いた。

 

「それに、自分を誤魔化すのも限界があるって知ることもできた」

「案外、認めてしまえばモチベーションに繋がるかもしれない。でも伝えるのは今はできない。それは全部終わってから。だから……」

「……何の話よ」

「姉弟子」

 

 いまいち要領を得ない八一の話につい口を出そうとしたが、止められた。

 何か、強い意志を秘めた眼だった。その眼が私をじっと見つめ────やがて意を決したように八一は口を開いた。

 

「俺、好きな人ができました」

 

 八一の放ったその言葉に、思考が停止した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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