白雪姫の指し直し   作:いぶりーす

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少しだけ九巻の内容に触れる部分がありますので、注意してください。


二十一話

 ネット中継が映し出されたスマホの画面を自室のベッドで寝転がりながら、ぼんやりと眺めていた。

 淡路島で行われている棋帝戦第三局。あの名人と篠窪棋帝との対局だ。画面の向こうでは女流棋士の鹿路場珠代が聞き手を務め、その隣に立つ八一に解説を求める形で進行している。

 八一は慣れた様子で解説している。ちょうど八一が名人の着手をピタリと当て、その才能を称賛するコメントが画面を流れていた。

 

「……やいち」

 

 ぽつりとあいつの名前が口から零れた。

 気付けば、随分と八一とは会っていない気がする。電話での連絡は相変わらず取ってはいるけど、直接会うと会わないのとでは、やはり違う。

 ここ数日は弟子二人と桂香さんと一緒に東京に行ってマイナビ戦への付き添い、そして今日は解説の仕事か。明日は私も東京に行って八一と合流して前回と同様に釈迦堂さんのお店に行く予定だ。

 前みたいなデート、と呼べるかも怪しいけど、一緒に手を繋いで、ドキドキしながら帰ったあの一日をまた過ごせるのかな。

 少しだけ、不安だ。たった一つの、大きな懸念事項が出来てしまったから。

 

『俺、好きな人ができました』

 

 脳裏に浮かぶのは、八一から告げられた告白。奇しくも私が『指し直し』を望んだあの日と同じ言葉で告げられたそれは、いつまで経っても私の頭蓋の奥から消える事はなかった。

 桂香さんは、八一は私の事を意識してくれていると言ってくれた。桂香さんが言うんだ。その言葉に間違いはないんだろう。それに、私自身も前よりは八一と距離を詰める事が出来たと実感している。

 だけど、それだけだ。どんなに手を握っても、どんなに甘えてみても、八一は私から離れてしまう。

 

「どうすればいい」

 

 前回はいらないものを切り捨てた。無駄を捨て、届かないこの手を必死に伸ばして、無理矢理にでもその背に触れようとして。

 

「どうすれば、八一は私を見てくれるの?」

 

 ただ力だけを求めた。吐いて、もがいて、這いつくばって。そしてようやく願いが叶ったあの日。夢の一歩へと踏み出せたその足は、思わぬ形で躓いた。

 

「教えて、やいち……私はその為なら何だって……」

 

 スマホを放り出して枕に顔をうずめた。

 最早、何が正しいのか分からなかった。今度は間違わないようにと指したつもりだった。なのに、なんだこれは。

 なんで、八一は好きな人ができただなんて、そんな事を言うの……?

 今度は前よりも素直にって、支えになるって、八一の一番になるって、誓った筈なのにッ……!

 

「……はあ」

 

 ダメだ。一人で居ると、どうにも思考がネガティブな方向へと向かってしまう。

 最近は桂香さんと一緒にいる機会が増えて、八一の事を相談してガス抜きが出来ていたけど、ここ数日は桂香さんとも会えていないから、余計にストレスが溜まってしまったのだろう。

 

 少し落ち着こう。

 体を起こし、目を閉じて大きく息を吐いた。

 ──そうだ、仮にもプロ棋士になる女がこんな簡単に心を乱すなんて情けない。

 それに桂香さんの前でも宣言した筈だ。その『好きな人』とやらから八一の心を奪い取ると。

 なら、下らないネガティブ思考は捨てて先の事を考えるべきだ。

 

「でも、八一の好きな人って誰なんだろう……」

 

 顎に手を当て、この時期の八一の人間関係という名の将棋盤を脳裏に浮かべる。駒に当てはめるのは八一の周りの女達。

 八一の人間関係、特に女性関係についてならあの小童どもに負けない程の情報があると自負している。伊達に十年以上も姉弟子として八一の傍に居てない。

 

「まず、前のようなイレギュラーはない筈」

 

 今回は小童達と協力して虫が付かないように徹底した。八一宛てに届く手紙もスマホの中身も全て把握している。メールやメッセージアプリの履歴の中には私の知らない女との接点らしきものは見当たらなかった。とりあえずは安心できる。

 脳内に浮かべた将棋盤から『歩』の駒を取り除く。

 

「一番ありそうなのは桂香さんだけど、これはないかな」

 

 桂香さんから八一への想いは家族に対するものだけど、八一からすれば憧れの人なのは間違いない。桂香さんのような大人で綺麗な人にそう言った感情を向けるのは理解できる。私だって桂香さんが好きだし。

 だけど、それならわざわざ好きな人が出来た、なんて私に報告する必要はない筈だ。八一が昔から桂香さんに対して好きだ好きだと散々言っているのは私だって知っている。

 だから桂香さんでもない筈。盤から『桂』と取り除く。

 

「そうなるとあの二人のどちらか?」

 

 思い浮かべるのは月夜見坂燎と供御飯万智の二人。彼女たちは私ほどではないにしろ、八一とは昔ながらの長い付き合いだし、八一が二人と定期的に会っているのは知っている。二人とも中身はともかく見た目は美人だし、気の知れた仲だ。八一が惹かれるという可能性は十分にある。

 加えて八一が自称する異性の好みである年上の女性というのにも二人とも該当する……けど、これはあまり信用できないか。自覚はないし本人は間違いなく認めないけど、あいつは絶対年下好きだ。ロリ王だ。それに証拠もある……だって私の事、前は好きって言ってたし。

 ……とりあえず、この二人は保留にしておこう。

 

「あのJS研とやらの子ども達は……いや、ないない。有り得ない」

 

 あんな純粋そうな子たちに欲情するほど私の弟弟子は腐ってはいない……筈。

 確か、あの子たちはまだ九歳だ。中には六歳の子もいた。流石にそんな子ども達を本気で好きになるような変態ではない。

 ……まあ、年不相応の純粋ではないどこぞの小学生二人に対してはどうだか分からないけど。

 それにしても、今までどれだけの幼女をたぶらかしてきたのやら。あのJS研究会もそうだけど、それを除いても八一は男女問わずに年下から慕われてる。椚創多に至っては最早、崇拝に近い。

 まあ、最年少竜王なんだし憧れるのは当然ではあるけど……。

 それが憧れだけで収まるなら私もきっと苦労していないだろう。

 

「他は……祭神雷? ふん。ないわ。絶対ない」

 

 あの女も八一に強い執着を見せていたけど、八一があの女に好意を向けるのは正直想像できない。あの女の実力は評価しているようだけど、それ以外に関してはむしろ苦手意識すらあったように見える。

 だいたい勝手に自分の部屋に上がり込んだり、無理矢理八一と指そうとするような非常識な女をあいつが好きになる筈がない。

 そう言えば、もうすぐか。あの女が小童と指すのは。前はあの小童が勝てたのは奇跡に近いが、今の小童ならあれの駆除は出来るだろう。

 

「他に八一に周りにいる女……鹿路場珠代? でも接点が少ない。後は飛鳥さんとか、夜叉神天衣の付添の確か、晶さんだったかな。あの人とか……」

 

 次々と浮かび上がる女性達にだんだん腹が立ってきた。

 よくよく考えたらあいつの周りは女が多すぎる。内弟子時代にあいつに近付く女は私がこの手で掃除したつもりだけど、そのせいで濃い女だけが残った気がする。どにでも湧いて出るストーカー女とか、関東所属の癖にわざわざ月二回のペースでこっちにくる女とか。

 そう言えば、この前に八一と電話で話した時にあのストーカーが私とお茶をしたいと言ってたらしいが、何の企みがあるんだろう。ただ世間話をしたいだけ、だとはとても思えない。記者としての取材なら最初からそう言う筈だし、何かある。

 私だって長い付き合いなんだ。それくらは分かる。

 

「最後に残る候補となると……」

 

 一通り候補を絞り、脳内に浮かべた将棋盤には大きな駒が二枚。

 雛鶴あいと夜叉神天衣。

 やっぱりこいつらが残ったか。

 

「考えたくはないけど、二人のどちらか……?」

 

 いくらなんでも現在九歳のあの二人を本気で好きになるとは思えない……と断言できるのならどれだけ良かったか。

 この前のマッサージを目の当たりにして確信した。あいつの性癖は間違いなく前回よりも歪んできている。徐々に、だけど確実に。このままでは取り返しのつかない事態になり兼ねない。

 異性云々は抜きにしても八一はあの二人を深く溺愛してる。師弟という関係でありながらも、妹、或いは娘のような、本当の家族のような存在に既になっている。

 将来的には本当に異性として意識する可能性は十分にある。それが性癖を歪められた事によって早まったとしたら……やはり危険な存在だ。あの小童どもは。

 あいつらがただの九歳ではないのは承知している。将棋も、その想いも、九歳が持つそれではない。

 

 小童の方はまだ前回の経験からある程度の指し手は読める。今回は前回のような強い独占欲はある程度は潜めているようだけど、だからと言って安心はできない。

 もし仮に八一が小童の事を異性として好きだと言えば、あのガキはそのまま勢いで八一を実家に持って帰る可能性だってある。そうなれば家族ぐるみで、いや旅館ぐるみで穴熊を組まれて終わり。数年後には九頭竜八一という駒は雛鶴八一に成る。

 相手の戦型はバレているが、手を誤れば即詰みか。

 

 確かに怖い。だが私が警戒するのはどちらかと言えば、雛鶴あいよりも夜叉神天衣の方だ。

 

 あの生意気なクソガキは一体どんな一手を指すのか、それが読めない。八一から聞く限り、今回は相当甘えまくっているようだが、それ以外は特に大きな動きを見せていない。だからこそ油断できない。何をしでかすか分からないんだ。

 

 夜叉神天衣と指したあのタイトル戦が脳裏に蘇る。

 憎たらしいが、あいつの棋風は私の知る誰よりも八一に似ている。師弟だから似るなんて事は将棋界では殆どない。では何故、似ているのか? 単純な話だ。

 棋士にとって棋風はその人が歩み刻んできた魂だ。それが似る、という事は八一が刻んだ歴史を夜叉神天衣も同じように、或いはそれ以上に己の身に刻み込んだという事。

 そこに至るまで一体、どれだけ八一の棋譜を並べ、指したのかは分からない。

 

 ──ただ言えるのは、夜叉神天衣のその魂は、九頭竜八一によって構成されている。

 

 想いが時間と必ず比例するとは言わない。雛鶴あいのように、僅かな間で深く想いを募らせてた少女を知っているから。

 だけど、想いというモノはナマモノだ。時間を掛ければ掛けるほど、それは熟成する。熟成した想いは行動に現れる。

 

 私のように対等の立場になる為に力をただひたすらに追い求めるようになったり、或いはただ傍にいる為に後を追い続けるあの女狐だったり。

 

 なら、夜叉神天衣の取る行動は──

 

『──邪魔するわよ』

 

 ネット中継を流していたスマホから、突如聞き覚えのある声が聞こえた。自信に満ち溢れた、強く通った声。

 放り出していたスマホを慌てて手元に引き寄せ、画面を食い入るように見る。そこには前回のようにJS研の子ども達はおろか、小童の姿もない。いるのは、ただ一人。

 

 流れるコメントは動揺を示す言葉、或いは可愛い、などといったものが大量に流れている。

 聞き手を務めていた鹿路場珠代は目を大きくして驚き、八一は情けなく口を大きく開けてぽかんと立ち尽くしていた。

 

 

『宣戦布告をしに来たわ』

 

 

 そこには腕を腰に当て、堂々と立つ夜叉神天衣の姿があった。

 

 

 

 


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