白雪姫の指し直し   作:いぶりーす

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二十四話 雛鶴あいは火を灯す

「珍しいな、銀子が時間より遅れて来るとは」

 

 竹下通りから入ったアンティークショップの並ぶ静謐とした脇道。

 石畳が敷かれたその道を進み、暫くしてたどり着いた協会に似た古い建物の扉を開けると釈迦堂先生が玉座の思わせるような仰々しい装飾のされた椅子に腰掛けながら俺たちを出迎えてくれた。

 そんな釈迦堂先生に慌てて頭を下げた。道中、何度もしつこく『俺の好きな人』について問いただしてきた姉弟子にどう答えたものかと四苦八苦している内に予定の時間よりも遅れて到着してしまったのだ。

 遅刻の原因は姉弟子ではなく俺にある。

 

「釈迦堂先生、姉弟子のせいじゃないんです。初めて来た俺が一緒だったせいで少し遅れてしまって……」

「ふむ。確かに大通りから離れた場所だからな。初見では迷うのも致し方あるまい」

「すみません……」

 

 別に道に迷った訳じゃない。だけど道中の出来事を馬鹿正直に話すと揶揄われるのが目に見えているで黙っている事にした。

 

「よい。若き竜王よ。それよりどうかな? 我が城に訪れた感想は」

「歩夢から聞いてはいたんですけどなんて言うか……凄いですね。想像以上というか」

 

 普段は服やアクセサリーを販売したりファッションショーのイベントやカタログ用の写真撮影などの会場として幅広く展開している服屋だと聞いてはいたけど、正直想像以上に凄かった。服屋というよりは釈迦堂先生の言うように『城』という表現の方がしっくりくる。

 若者向けの賑やかな竹下通りから一つ道を逸れるだけでこんな『城』が佇んでいるのは何とも不思議な感じだ。そんな場所に違和感なく溶け込んでいる釈迦堂先生も流石は『エターナルクィーン』と言ったところか。普段は派手派手しい恰好をしている歩夢もここでなら様になるかもしれない。

 

「気に入ってくれたようで何よりだ。今度は店の客人として是非とも訪れてほしい」

 

 店の客として、か。でもここのファッションってゴスロリ系か歩夢が着てるような派手な服ばっかなんだよな。服装にこだわらない俺でも流石にに似合わないくらいは自覚しているし、もし行くならあいを連れてかな。姉弟子は流石にここの服は着そうにないし。というか普段私服殆ど着ないもんな姉弟子。

 そんな吞気な事を思い浮かべているとクツクツと釈迦堂先生が喉を鳴らしていた。何だろう。妙に嫌な予感がする。

 

「別に服だけではないさ。此処は色んなイベント会場としても貸出をしていてね。例えば───結婚式場とか」

「「ッ!?」

 

 気付いた時にはもう遅い。楽しそうに笑う釈迦堂先生の視線は未だに繋がれたままの俺たちの手に向いていた。 

 

「え、あ、その……これは」

 

 何とか言い訳をひねり出そうとしたけれど上手く言葉にできない。

 迂闊だった。ここ最近はあまりにも姉弟子と手を繋ぐ事が多いせいか繋ぐのが自然になっていた。それが店に入ってからもそのままだったんだ。

 指摘されて顔が赤くなる。隣の姉弟子の顔を覗き見ると俺と似たような反応だ。むしろ肌が白雪のように白い姉弟子の方が頬が赤くなる様が目立っている。

 もう手遅れだけど流石にこのままでは不味いと慌てて離そうとしたけど指を絡めていたせいで咄嗟に離す事が出来なかった。

 

「あ、姉弟子?」

「…………」

 

 というか姉弟子がさらにぎゅっと握ってきて離してくれなかった。え、な、なんで……。

 

「うむ。二人の良好な関係も知れたところで、そろそろ本来の目的に移るとしようか。」

 

 満足そうに頷く釈迦堂先生を直視できない。俺達は赤くなった顔を逸らした。

 

 ◇

 

 雛鶴あいは将棋盤の前に正座をしながら静かに瞼を閉じていた。

 普段は愛しの師匠と盤を挟み小気味のいい駒を鳴らす音を耳にしながら指していた畳部屋に今は一人でぽつりと盤に向き合っていた。

 決して広いとは言い難いこの部屋も一人では何故か普段よりも広く感じた。いつも二人だったから。いつも傍にいてくれたから。二人での生活が当たり前で、それが日常だったから。

 師匠がいない。それだけでこの部屋はこんなにも静かなのだ。

 師匠がいない。それだけで雛鶴あいはこんなにも孤独なのだ。

 憧れの人がいない。愛しの人が傍にいない。それはあまりにも冷たく心細く寒気がするほど恐ろしい。

 ああ、この孤独こそがあの『結末』なのだ。どこの馬の骨とも分からない女に彼を簒奪されたおぞましい未来がこの孤独なのだ。

 

 故にこの孤独は雛鶴あいの闘争心を研ぎ澄ます。もう二度と手放さないと牙と研ぐ。

 

 雛鶴あいにとって九頭竜八一は眩い太陽だ。只々、己にとって変わる事のない絶対的な存在だった。

 あの日の事を雛鶴あいは今でも鮮明に思い浮かべる事ができる。九頭竜八一が最年少竜王という棋界にとって歴史的偉業を成し遂げた姿を、太陽の如き存在を。

 瞼の裏に映るのは己が師匠となる当時の彼の姿。歯を食いしばり、必死になって盤に向かう僅か十六歳の少年にあいは心打たれた。

 

 人は、ああも何かに熱中できるのか。

 人は、ああも何かに夢中になれるのか。

 人は、ああも何かに己を捧げられるのか。

 

 盤上に刻まれた線と駒が描き出した自分の知らない未知の世界。

 その世界に命を、魂を賭す九頭竜八一の姿は、あまりにも眩かった。あまりにも熱かった。

 彼の照らす熱は幼いあいの心に小さな、だけど確かに燃える火を灯した。

 

 ────この火こそが、恋なのだと知った。

 

 私もあの人のように成りたい。私もあの人のように在りたい。

 火を宿したあいの行動力は凄まじかった。

 

 親元を離れ、遠く離れた地に住む彼に一人で会いに往き、そして弟子入りを果たした。

 嬉しかった。彼が自分を認め、弟子にしてくれた事が。

 自分を連れ戻しに来た両親に頭を下げ、己の人生を賭してまで説得してくれた事が。

 認めてくれたのだ。恋焦がれた彼が、まだ何も持たない小さな自分を。それが堪らなく嬉しかった。

 九頭竜八一にとって唯一の弟子。

 九頭竜八一が認めてくれた己の才。

 それらは雛鶴あいにとって自信でもあり、同時にアイデンティティへと変異していった。

 そして彼もまた、自分が必要だと言ってくれたのだ。あいのお陰だと彼は笑って頭を撫でてくれた。嬉しかった。堪らなく満たされた。

 その時から、雛鶴あいは彼にとって自分は特別な存在なのだと思うようになった。心に宿した火は更に燃えあがった。

 幸運な事に将棋の神様が自分に授けてくれた才能は他よりも抜きん出たものだった。

 眩い彼の元に自分と同じように熱に当てられ、引き寄せられた人間がいるのは至極当然のことである。九頭竜八一の周りには強く輝く才を持った者があまりにも多すぎた。

 それこそ生半可な才能では塗りつぶされてしまうような極彩色の輝きを持つ天才たちが彼に集っていたのだ。

 

 多くの天才たちとの出会いがあった。その中でも雛鶴あいにとって大きく衝撃を与えたのが二人。

 

 自分と同じく彼の弟子で同じ年で自分と同等以上の才能を持ち、そして同じように彼に想いを寄せる少女、夜叉神天衣。

 彼女は憧れであり、友人であり、ライバルであり、同門という名の家族でもある。あいにとって夜叉神天衣は『負けたくない』棋士だ。

 

 そしてもう一人。どれだけ追いかけても追いつけない。どれだけ手を伸ばしても掠りもしない。自分達の先を征く少女。師匠と同じく場所に並び立とうとする唯一。

 雛鶴あいが『勝ちたい』と願う相手。自分の愛する師匠にとって特別な人。

 

 空銀子。彼女に抱く感情は出会った時から今に至るまで何も変わっていない。

 

 狡い。ずるい。ズルい。只々、溢れんばかりの嫉妬心だ。

 彼と年が近く産まれた事に。彼と幼少期からの幼馴染である事に。彼とずっと指し続けてきた事に。彼と同じ場所に征ける才能に。

 そして何よりも、異性として彼に愛されている事に。

 なんて妬ましい。なんて羨ましい。自分が欲するものを彼女は最初から全て持っていたのだ。その居場所を関係性を信頼を。

 本当は分かっていた。分かっていて、だけど見ない振りをしていたんだ。彼が向ける言葉や仕草、表情が自分とは違う事に。特別な人に向ける其だととっくに気付いていた。或いは出会った時から分かってたのかもしれない。

 それなのにあろう事か当事者たちは何も気付かなくて、だから自分も気付かない振りをしたんだ。このままが続けばとりあえず師匠は自分の傍にいてくれると信じて。

 そうして道化を演じている内に胸に宿っていた火がいつの間にか小さく弱々しいものになっていた。

 諦観していた。どうせ彼女が選ばれると、心の何処かで思っていた。

 だからこそ、あの結末は受け入れられなかった。受け入れられる筈がなかった。

 

(……目が醒めたよ。天ちゃん)

 

 哀れな道化が願った拒絶を酔狂な誰かが聞き届けてくれた想像もしなかった二度目。

 再び彼の傍で過ごせる微温湯のような環境で雛鶴あいは大事な物を忘れていた。それを夜叉神天衣が先日の宣戦布告によって思い出させてくれたのだ。

 

 勝ち取りたいと願うただ純粋な闘争心。

 

 白雪姫へ叩きつける挑戦状。だが、その前に乗り越えなければならない障害がある。必ず勝たなければならない女がいる。

 

(あの人は強い。多分、今の私よりも)

 

 当時、祭神雷(さいのかみ いか)に勝てたのは奇跡だ。あの時は彼女が慢心をしていたから。自分を嘗めていたからだ。

 今度はどうだろうか。必ずしもあの時と同じ歴史を繰り返すとは限らない。

 付け入る隙を見せず、あの異才の牙が今度は最初から容赦なく襲い掛かるかもしれない。

 

 ───だけど、それがどうした。

 

 自分より才能がある人を知っている。遥か遠くの星に征こうと藻掻く人を知っている。

 苦難の道を自ら選び歩んだ白雪姫。最初に指した時は、ただ強い人だとしか思わなかった。

 だけど、己が強くなればなるほど彼女の才を否が応でも思い知らされた。そして師匠と指す度に彼女が目指す先の途方のない道程に恐怖した。

 師に打ち勝つ事が師匠に対する最大の恩返しだと、かつての頃に彼から聞いた事がある。

 それを聞いて、自分にはきっとその恩返しをする事はできないと諦観していた。

 全く思い浮かばないのだ。あの憧れの彼に勝つ自分の姿が。

 空銀子のような卓越した才能と狂気とも呼べる想いがあって、ようやく踏み入る事が許されるその場所に自分は辿り着ける気がしない。

 

 だが、それでも。それでも勝ちたいのだ。空銀子に。

 

 棋士としては当然のこと、それは女としての意地だ。あの美しい白銀に食らいつく為にもう諦めない。

 その為に牙を研ぐ。その為に祭神雷(さいのかみ いか)『程度』には負けられない。こんな所で立ち止まる訳にはいかない。

 

「こう、こう、こうこうこうこうこう……」

 

 瞼の裏に描く無数の棋譜。九頭竜八一と指してきた全てを読み解き吸収し己が糧としてきたそれを最適化していく。

 

 不安にならなくてもいい。何も変わらない。今度も勝利を師のために捧げよう。大きな戦いを控える彼を安心して送り出せるように。

 あの日、己を魅してくれたような将棋を、大好きな彼に届けよう。

 それが雛鶴あいにとってできる最大の師への恩返しであり、想いの告白なのだから。

 

 もう一度、九頭竜八一の元で将棋を指したい。

 空銀子に言った『指し直し』をした自分の目的。

 

 心に再び、火が宿った。

 今度は決して消えはしない、強く、熱く燃え上がる炎。

 

 

 

 

 


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