白雪姫の指し直し   作:いぶりーす

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四話

「……なるほど。君の話はわかった。約束は守るよ」

 

 雛鶴あいから弟子を取る約束をした経緯を聞き終えた八一はそう答えた。

 やっぱり、八一は『今回』も雛鶴あいを弟子を取るのかな。

 以前の私なら、八一が小学生を弟子に取るなんて言い出したらその場で口を挟んだと思うけど、今はしない。

 この憎たらしい小童の存在が、名人から竜王防衛を果たすという快挙を成し遂げた大きな要因の一つだと知っているから。

 

 私が八一にとっての一番の存在となる。そう決めた。そこに妥協しようなんて気は更々ない。

 でも、八一には『前回』と同じ将棋を指してほしい。たとえ追いつけないと分かっていても、私の大好きなあいつの将棋を。

 自分だけ変わろうとしてる癖に相手には以前と同じモノを求める、なんてエゴなのかな。

 

「ほんとうですか!?」

 

 雛鶴あいは嬉々とした様子で二つに別れたその長い髪を揺らした。

 

「ただし弟子を取るかどうかは君の棋力を見てからだ。本当なら、今から指したいところなんだけど……」

「いえ、お疲れのようですし、今日は挨拶だけでもと思い伺いました! ししょーが先ほどまで対局されていたのは知ってします。全部見てましたから」

「そう言ってくれると助かるよ。眠気が限界でね。あとまだ弟子に取るって決めた訳じゃないから師匠って呼び方はやめてね」

「はい! ししょー!」

 

 このやり取りだけを見れば、ただの小学生との微笑ましい自然な会話に見える。

 だけど、私はさっきからこの小童に対して何かおぞましい不気味さを感じていた。

 なんだろう、何か、言葉では言い表せないような胸騒ぎがする。

 

「そういう事なら、この小童は私に任せなさい八一」

「姉弟子?」

「このまま小学生を家に連れ込むのも、外に放り出すのもマズいでしょ? とりあえず師匠の家に連れて行って相談してくるわ」

 

 流れは違うが前回は清滝師匠に相談に行った。

 あの時はこの小童の両親と連絡が既に付いていて事がスムーズに運んだ記憶がある。

 とりあえず今は前回の経験に基づいて行動しよう。

 

「それなら俺も……」

「あんたは大人しく寝ときなさい」

「いや、でも病み上がりの姉弟子にそんな……」

 

 深夜まで対局をしてた八一にこれ以上、負担はかけれない。

 前日の寝不足だって八一は誤魔化してたけど倒れた私のせいだろうし。

 それに……。

 

「いいから。命令よ」

「……わかりました」

 

 雛鶴あいをじっと見つめる。

 ……少し、確かめたいこともある。

 

「…………」

 

 私たちにの会話を雛鶴あいが、最初に私を見たときと同じ濁った黒い眼で見ていた。

 その目を見る度に寒気のようなものを感じる。

 けど、その目をしていたのは一瞬で直後には無垢な子供の笑みを浮かべた。

 

「今からししょーのししょーのところに行くんですか? わぁー! 楽しみですぅ!」

「だから、師匠はやめてって。すみません、姉弟子」

「気にしなくていい、任せなさい」

「あいちゃん。せっかく来てもらったのにごめんね。少し休んだら俺も行くから」

「いえ、お気になさらずししょーはゆっくり休んでください!」

 

 無邪気にはしゃぐ小童を頭を微笑ましそうに八一は撫でた。

 ……会ったばかりの小学生の頭を撫でるなんて、やっぱり八一にはロリコンの気がする。

 それとも、この小童の仕草に誘導されてそうしているのか。

 どっちにしろ危険だし、後でちゃんと矯正しないと。

 どうせ周りをうろつく小学生が今後も増えるんだろうし。 

 

「それにしても『雛鶴あい』か……この子も”あい”なのか」

「えっ?」

 

 欠伸を噛み殺しながら呟いた八一の言葉を、聞き取ることはできなかった。

 

「いえ、なんでもありません。すみませんが、この子のこと、よろしくお願いします」

 

 今にも寝落ちしてしまいそうな八一に見送られ、私は小童を連れて八一の部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駅に向かう道中。

 私たちの間に言葉はなく、ただ沈黙が続いていた。

 八一と二人で歩いた時とは違い、その沈黙は固く重苦しく感じた。

 

「……私のこと、知っていたのね」

 

 先に沈黙を破ったのは私だった。

 確かめたかった。この時の雛鶴あいが何故、私を知っていたのか。

 この小童と最初に出会った時の事はよく覚えている。

 というか、忘れる筈がない。八一が裸の小学生を押し倒している、だなんてとてつもなく印象に残る出会いをしたのだから。

 その後の会話も記憶に残っている。

 

「はい。もちろんですよ。だって有名じゃないですか空先生」

 

 くすくすと笑う雛鶴あいの表情は、さっきの無垢な笑顔とはかけ離れていた。

 そうだ。この小童は私の事すら知らなかった筈だ。

 将棋を知らなかった、ただの小学生が八一の指す姿に魅せられ、憧れて、焦がれて八一の元に訪れた。

 そんな純粋な当時の雛鶴あいの瞳に、八一以外を映す事はなかったのだから。

 

 

 

「───”初の女性プロ棋士”なんですから」

 

 小童の放った言葉に思わず息を飲んだ。

 

 ああ。理解した。

 同じなんだ。こいつは、私と。

 私と同じように『都合の良い夢』を見ているのだ。

 

「……どうして、私があんたと”同じ”って気づいたの?」

 

 私が雛鶴あいが自分と同じような『指し直し』をした人間だと気づいたのは、こいつがわざとらしいサインを発したから。

 カマかけのようなものだ。まんまと乗せられた。

 だけど、私はこいつに対して何もしていない筈だ。

 それなのに、なんで……

 

「そんなの、分かりますよ。あんなに幸せそうな顔して師匠と二人で手を繋いで帰ってくるなんて……前の空先生ならあり得ないです」

「…………」

 

 認めたくないけど、その通りだと思う。

 自覚してないけど、どうやら顔にも出てたらしい。

 ……八一に気づかれてたらどうしようかな。

 でも、八一なら気づいてないよね。八一だし。

 

「それで、どういうつもりなんです?」

「どうって……なにが?」

 

 質問の意図はだいたい予測できている。

 大方、嫉妬しているんだろう。私に。

 雛鶴あいが八一を師弟関係以上に慕っているのは知っているから。

 でも、続く言葉は私が予測していた以上に感情の込められたものだった。

 

 

「────自分の想いすら伝えられなかった空先生が、いまさらどういうつもりなんですかって聞いたんです」

「……っ!」

 

 腹の底から搾りだしたような、黒い感情を乗せた鋭利な言葉。

 その言葉は私の胸に深く突き刺さった。

 雛鶴あいは言葉を続ける。

 

「あいはちゃんと、伝えましたよ。気持ちを。感情を。想いを。全て」

「ししょーの指す将棋が好きって、将棋を指すししょーの姿が好きって、あいにたくさんの事を教えてくれたししょーが好きって」

「全部、全部伝えました」

 

 

「……でも、フラれちゃいました」

 

 

「気持ちは嬉しいって。でもそれに答えることはできないって」

 

 言葉の途中でその大きな瞳から涙をこぼしながらも、私をしっかりと睨みつけていた。

 

「空先生は言ったんですか? ししょーが好きって。言ってないですよねっ!」

「それは……」

「言ってるはずないですよね。だって、想いを伝えて、フラれちゃったら……あんな顔して手を繋げるはずないもん!」

 

 咄嗟に何か言い返そうとしたけど、言葉が出なかった。

 この子の言っている事が正しいと思ってしまったから。

 最後まで想いを伝えれなかった私と、自分の想いをはっきりと伝えた雛鶴あい。

 どちらが正しいかだなんて、考えるまでもない。

 そして想像できてしまったから。

 

 ────八一に想いを伝えて、それを拒絶された時の虚無感と絶望感を。

 

「どうして、そんなあなたがまたししょーの隣にいるんですか?」

「また同じように、ししょーに付きまとうんですか? 他の(ひと)に盗られるまで」

「違う! 私は、今度こそ八一に」

「伝えられるんですか? ずっとししょーの傍にいて、何もしてこなかった空先生に」

 

 何もしてこなかった? 私が? ふざけるな。

 何を知ったような事を言ってるんだ。 

 私にとって八一がどんな存在か、知らないくせに。

 私がどんな思いで将棋を指してきたか知らないくせに。

 急に、私たちの間に割り込んできたくせに。 

 

「あんたに私の何が……何が分かるっていうの!?」

 

 気づけば叫んでいた。

 自分でも、大人げないと思う。

 相手は小学生で、私と違って八一と素直に向き合ったのに。

 でも、「何もしてこなかった」という言葉が許せなくて。

  

「分かりませんよ、そんなの! ……分かる筈、ないじゃないですか」

 

 帰ってきた言葉はさっきと違って、力のない悲しみと無力感を滲ませたような声だった。

 

「凄く綺麗で、ししょーと同じ場所で将棋を指せるくらい、強い人なのに……」

「ずっと、ししょーと過ごしてきた人なのに……どうして……他の(ひと)なんかに盗られちゃってるんですか」

 

 どうして、だなんて……そんなの決まっている。

 私がただ、どうしようもなく不器用で、素直じゃなくて、弱い女だったから。

 

 

「あいが、もっとししょーと年が近かったら……あいが、ししょーと同じ場所で指せるくらい強かったら……」

「あいが……空先生だったら、ししょーは選んでくれたのに……」

 

 雛鶴あいはその場で崩れ落ちて、泣いた。

 子供のように……いや、この子はまだ子どもなんだ。

 私なんかより、ずっと純粋で、素直で、強い子。

 この場に八一がいたら、優しい彼はきっと涙を流す彼女を抱きしめてあげるんだろう。

 だけど、私は八一のように優しくはないから、その場でただ泣き止むまで雛鶴あいを見ていた。

 彼女もきっと、私なんかに慰められるのは望んではいないだろうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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