白雪姫の指し直し   作:いぶりーす

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六話 夜叉神天衣

 別に、彼にとって一番でなくても良かった。

 もちろん一番に想ってくれるなら嬉しいけど、それはありえないと分かっていたから。

 私が彼と初めて出会った時、彼には既に弟子がいた。自分と同じ年で、同じくらい将棋が強くて、とても優しい女の子が。

 

 最初はなんで自分が一番弟子じゃないのって思った。

 幼い時から彼の事をずっと聞かされて育った私は、彼の一番弟子になるのが当たり前だと信じていたから。

 でも現実は違った。彼と実際に会う頃には遅かった。私は彼にとっての一番になれる機会を失っていたんだ。

 

 それだけじゃなかった。彼はお父さまのことすら憶えてなかった。

 私を弟子にしてくれる約束も、あの時の将棋も。

 彼が幼い時にした口約束なんだし、仕方がないと思うけど、それでも堪らなく悔しくて、もどかしくて、悲しくて……涙があふれそうになった。

 

 だけど、彼は私に言ってくれた。私に、師弟(かぞく)になって欲しいって、幸せにしてあげるって、そう約束して手を取って抱きしめてくれた。

 嬉しかった。過去の約束なんて、関係なかったんだ。そんなのがなくても、私と彼との繋がりを築くことはできたんだ。

 抱きしめてくれた彼の暖かさを感じながら、私はそう思った。

 

 だから、一番でなくても良かった。

 

 彼は私と違ってたくさんの人に囲まれている。彼の放つ異才の光に、きっとみんな惹かれてしまうんだろう。

 そんな彼に惹かれたたくさんの人の中で、私はきっと一番になれないと感じていた。

 

 彼にとって、一番の弟子は雛鶴あいだ。

 彼と一番長く時間を過ごしたのは空銀子だ。

 

 それで構わない。

 

 彼との繋がりがあるなら、彼と師弟(かぞく)でいられるなら、それでいい。

 お父さまとお母さまを失った私に再びぬくもりをくれた彼の傍にいられるなら、それで十分。

 例え一番になれなくても……その次くらいに、大事にしてくれるなら、それで良かった。それだけで、満足だと思ってた。

 

 現に、充実した日々だった。

 時に優しく、時に厳しく将棋を教えてくれた彼。

 他人に対して壁を作っていた私に隔たりなく接してくれたあいとその友達。

 格上の空銀子を相手に、持ちうる全てを出し切ったあの熱い対局。

 

 楽しかった。満たされていた。幸せだった。

 誰かが傍にいてくれるのが、こんなにも暖かいんだって、忘れていた。

 友達と話すのが、こんなにも楽しいなんて、知らなかった。

 また、気づいたら笑えるようになっていた。

 このままずっと、こんな日々が続くんだって思っていた。

 

 

 彼が私の知らない女に対して、あんな笑顔を向ける姿を見るまでは。

 

 

 彼が誰かと結ばれるなら、それはあいか空銀子のどちらかだと思っていた。

 まあ、他にも彼の傍にどこまでも付きまとうストーカー女に一人心当たりがあるけど……

 

 とにかく、彼女たち二人の存在は彼にとっては間違いなく大きな存在だったと思う。

 だから彼はいつの日か、そのどちらかと結ばれる。

 私はきっと表向きはツンケンしながらも祝福して、裏ではひっそり泣いて───それから、また元の日々に戻るんだって、そう確信していた。

 

 

 実際は違った。

 

 

 彼はあいでも、空銀子でもなく、他の人を選んだ。

 私の知らない、急に現れたその女を。

 

 一番弟子の雛鶴あいでもなく、

 一番長く時間を過ごした空銀子でもなく、

 その女が彼の一番になってしまった。

 

 その時に気づいてしまった。

 

 彼にとって一番大切な人は、その女になるんだろう。

 その次に大切なのは、あいか、それとも空銀子か。

 

 ────なら、私はどうなるの?

 

 そう思った時に、私は自分の立っている世界が急に崩れ去るような錯覚がした。

 途端に怖くなった。

 あいや、空銀子ですら彼の一番になれなかった。

 それなら、私はどうなの?

 一番弟子でもなくて、一緒にいた時間も二人より短い私は、もう彼の中で大切な存在じゃなくなってしまうの?

 

 優しい彼が、恋人やそれ以上の存在ができたところで私を蔑ろにするような事はないって分かってる。

 

 でも、それでも、彼の中で、私という存在が薄れて消えてしまうような、そんな気がした。

 彼のくれた暖かさや、幸せが、この手から全てこぼれ落ちていくようで───

 それがまるで、お父さまとお母さまを失ったあの日を思い出させた。

 

 今更になって、分かった。

 

 ────ああ、そうか。一番じゃなくてもいいだなんて、ウソだったんだ。

 

 こんなのはただの強がりで、ほんとはもっと彼に見て欲しかった。

 ただ、怖かったんだ。一番大切な人をまた失ってしまうんじゃないかって。

 だから、素直になれなかった。どこかで、一線を引いてしまっていた。

 だから、自分の気持ちにウソをつき続けてしまった。

 恐怖が、私に虚勢の魔法をかけてしまったんだ。

 

 魔法(うそ)がかかっている間の私は、ただ幸せだった。

 自分の本当の気持ちをしまい込んで、ただぬるま湯に浸かったような日々を過ごして。

 

 あいになら一番弟子を譲っていいなんて、ウソだ。

 私のほうが、あいよりもずっと先に彼の弟子になりたいって願ってた。

 

 空銀子なら、彼と結ばれてもいいなんて、ウソだ。

 彼には師弟(かぞく)としてだけじゃない。ほんとの家族になって欲しかった。

 

 そんな自分を、全て押し込めてしまっていた。

 それを、今更になって自覚してしまった。

 

 こんな気持ちに、気づかなければ良かった。

 そうすれば、こんなに苦しい思いをしなくて良かったのに。

 後悔なんて、しなくて済んだのに。

 

 自分の気持ちを自覚してしまった、あの日。

 悲哀と後悔に満ちて、涙を流しながら私は現実から逃避するかのように眠りについた。

 

 

 ───そして、夢を見た。

 

 

 なんとも馬鹿らしい、自分に都合が良すぎる夢。

 夢の私は彼と出会った時の年齢だった。

 巻き戻っていた。しかも、彼がまだ弟子を取る前の時間に。

 自分でも、女々しいと思う。

 こんな夢を見るほど後悔してただなんて、思ってなかったから。

 でも、せっかくの夢なんだ。それなら、今度は自分の想いのまま、素直に行動しようと思った。

 

 まずは、真っ先に彼に弟子入りをしようと思った。

 おじいさまにお願いして、彼に今すぐ弟子入りしたいと頼み込んだ。

 すると、直ぐにおじいさまは動いてくれて、翌日には彼が訪問してくれる事になった。

 

 翌日、私は彼と出会った。

 幼さが僅かに残る十六歳の懐かしい彼。

 夢だと分かってしても、嬉しかった。

 感極まって、思わず泣きながら抱きしめてしまった。

 彼は戸惑った様子だったけど、どうせ夢だし私は気にしなかった。

 

 私は、今度は最初から全て話した。

 私が彼に弟子入りを希望した理由。

 お父さまとの約束。

 今まで、私がずっと彼の棋譜を見て指してきた事を。

 包み隠さず全てを。

 

 

 すると、彼も私の話を聞いて少しだけ思い出してくれたのか、納得してくれた。

 

 ───いける。

 

 彼の反応に確かな手応えを感じた。第一印象は上々。あとはゆっくりと二人の関係を深めていくだけだ。

 そしてそのまま私は彼の師弟(かぞく)になってゆくゆくは夫婦(かぞく)になるんだろう。

 いまの内に家事の練習でもしておこうかしら。あいみたいに器用にやれるかわからないけど。

 

 そんな風にその時は未来への妄想を膨らませていたけど……現実はそう甘くなかった。夢なのに。

 

 なんと彼は私の弟子入りを保留させてほしいと申し出た。

 予想外の言葉に私は泣きそうになった。というか泣いた。

 もうわんわん泣いた。そんな私を見た晶が彼の首を締め上げていた。

 

 訳が分からなかった。彼なら、きっと今すぐにでも弟子にしてくれると思ったのに。

 

 なんで? どうして!? って涙目で迫ると彼は素直に理由を話してくれた。

 

『言いづらいけど、今の俺は絶不調の連敗中だ』

『そんな俺が、今、君のお父さんとの約束を果たす訳にはいかない』

『だから、少しだけ返事を待ってほしい』

 

 それを聞いて、どこか安心した。やっぱり変わらないなって思った。

 彼らしい誠意だ。

 

 だから、そんな彼に私はこう返した。

 

『なら、次にあなたが公式戦で勝ったら、その時にまた返事を聞かせて』

 

 彼は頷いて答えてくれた。

 私は知っていた。彼が、この一週間後の神鍋六段との対局で勝利を収めることを。

 だから、確信していた。

 次の対局後に、彼は私を弟子にしてくれる。

 あいも確かこの時期に彼の弟子になったって聞いていたけど、流石に今回は直接、彼と約束をしたんだ。

 今度は私が一番になれる。

 悪いわね、あい。今回は譲らないわ。

 

 

 彼が次の公式戦を行うまでの間、私は彼との前とは違うと予測される師弟(かぞく)生活のプランを構築していた。その間にこれが夢だって事は頭の隅から消えていた。

 そして、彼は私の知る通り勝利した。

 その対局の翌日の今日。午後に彼から連絡があり、直接会ってくれることになった。

 返事を貰えるんだ。

 

「お嬢様。先生がお見えになりました」

「入って」

 

 私が返事をすると、襖が開けられ昌に連れられた彼の姿が見えた。

 やっとだ。やっと私は……

 

「こんにちは天衣ちゃん。この前の返事を」

「九頭竜くんっ!」

 

 彼の名前を呼んで、すぐさま抱きしめる。

 前は師匠(せんせい)って呼んでたけど、ずっとお父さまから九頭竜くん、九頭竜くんって教え込まれてたから、実はこの呼び方が一番言いやすい。

 前は一度もそう呼んだ事がなかったし、今回も弟子になったらそう呼べないだろうから今の内だけはそう呼んでみたかった。

 自分でも分かるくらい、甘ったるい声が出た気がする。

 

「やっと私を弟子にして……くれ…る…えっ?」

 

 直ぐに彼を抱きしめに行ったから気付かなかった。

 彼の後ろに何故かいた、見知った顔に。

 

「だ、誰よ、こいつ……」

「て、天ちゃん……?」

 

 私を見てドン引きする雛鶴あいと空銀子がいた。

 

 

 

 

 


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