白雪姫の指し直し   作:いぶりーす

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八話

 八一が雛鶴あいと夜叉神天衣を弟子に取って一週間が過ぎた。

 前回と同様に、雛鶴あいは八一の内弟子としてあいつの家に転がり込み、夜叉神天衣は定期的に八一が出向いて指導を行うことになったらしい。

 八一と小童が一緒に暮らしながら将棋を教え、時折、夜叉神天衣も交えて将棋を指す。

 一見すれば、前と何も変わらない関係性に見える。

 

 だけど違う。そう断言できる。特に夜叉神天衣に関しては。

 

 雛鶴あいの望みはもう一度、八一の元で将棋を指すことだと自身で口にしていた。

 その言葉の通り、今回も八一の傍で甲斐甲斐しく働いている。

 彼女にとって、それが幸せの形であり、望んだ夢なんだろう。

 あの小童に対して煩わしさを感じないと言えば嘘になる。

 雛鶴あいがいなければ、もっと私が八一の傍にいられる時間が増えたのだから。

 

 だけどあの日、私の目の前で涙をこぼしながら吐き出した彼女の言葉を聞いて、少しくらいなら八一の傍にいさせてやってもいいかと思ってしまった。

 それは、あの小童が八一と結ばれることはないと信じている私の傲慢さからなのか、それとも憐みからなのか、自分でも分からない。

 少なくとも、八一に自分の思いを伝える事の出来た雛鶴あいは、私なんかよりもずっと彼と向き会えていたんだと思う。

 同じ人を好きになった者として、そんな彼女の行動は素直に尊敬できる。

 

 だからなのか、私はあの小童に対して不思議と前ほど悪い感情を抱いてはいない。

 

 

 そんな雛鶴あいと比べ、夜叉神天衣は全く違った。

 

 夜叉神天衣とは余り関わりのなかった私でも、彼女が前から八一に対して特別な感情を抱いているのは知っていた。

 けど、その特別な感情は、あくまでも家族に対してのようなモノだと思っていた。

 八一から彼女が弟子になった経緯は前回の時に聞いた事がある。その経緯から、彼女は八一に対して向けるそれは家族愛のようなものだと、そう思っていた。

 

 けど、違った。

 

 夜叉神天衣の八一に対するそれは、家族愛なんてモノじゃなった。

 私と同じ、異性に向ける特別なモノ。

 強く、深く、重い、愛情と独占欲の混じりあった黒い感情。

 

 彼女はどこか私と似ている気がする。

 

 八一に対して素直になれない、不器用な少女。

 もしかしたら、前は私と違って自分自身でも八一に対する感情すらを自覚していなかったのかも知れない。

 でも、今回は違う。

 しっかりと自分の感情を理解している。

 今の夜叉神天衣が、八一との関係を前回と同じまま過ごすとは到底思えない。

 

『今度は妥協なんてしてあげない……あいにも、誰にも』

『───特に、どこの馬の骨とも分からないような女に盗られたあんたなんかにはね』

 

 あの時に囁くように言われた言葉はずっと耳から離れなかった。

 あれには私に対する侮蔑と敵意が確かに込められていた。

 

 きっと、夜叉神天衣は私を嫌悪しているんだろう。

 ……いや、夜叉神天衣だけじゃない。

 

『凄く綺麗で、ししょーと同じ場所で将棋を指せるくらい、強い人なのに……』

『ずっと、ししょーと過ごしてきた人なのに……どうして……他の(ひと)なんかに盗られちゃってるんですか』

 

 雛鶴あいも、そうだ。

 あの時、向けられた感情は夜叉神天衣と同じものだった。

 もし、あの二人以外にも八一に好意を向けていた人がここに居るのなら、同じ事を言うだろう。

 

 ”ずっと一緒にいた癖に、どうしてお前は八一を他の女に盗られたんだ”

 

 本当に、自分でもそう思う。

 幼い時からあんなに一緒だった。

 過ごした時間なら、誰よりもあった。

 告白する機会なら、いくらでもあった。

 それなのに、どうして、

 

 ───どうして私は、八一と向き合えなかったんだろう。

 

 きっと、心のどこかで慢心していたんだ。

 

 喧嘩をしても、直ぐに八一から謝って、仲直りできる。

 他の女に嫉妬して殴っても八一なら許してくれる。

 八一なら、ずっと私の傍にいてくれる。

 いつか、私の気持ちに気づいてくれる。

 そして、八一から好きだと言ってくれる。

 

 

 ……とんだ思い上がりだ。馬鹿馬鹿しいにも程がある。

 

 確かに八一は異性に対して鈍い。何度アピールしても全然気づいてくれない。

 だけど、それなら自分から直接告白すれば良かっただけの話だ。

 雛鶴あいのように、私から八一を奪ったあの女のように。

 それに、八一は私を好きだったって言ってくれた。両想いだったんだ、私たちは。

 なら、告白するだけで、全て解決していた。

 

 それができなかったのは、結局のところ私が素直になれなかったから。子どものままだったから。

 

 幼い時から何も変われていない。成長していない。

 成長したのは棋力と体だけ。心は何も変わっていないんだ。

 プロになれば、八一が振り向いてくれると思っていた。

 将棋だけ指していれば、八一がずっと傍にいてくれると思っていた。

 

 そんな事がある筈ないのに。

 

 

 雛鶴あいと夜叉神天衣を見て、改めて思った。

 変わらなきゃいけない。成長しなきゃいけない。

 いくらやり直すチャンスを貰っても、私自身が変わらなければ、きっと前と同じ結末になるだけだ。

 

 今度こそ、今度こそ、私は八一を───

 

 

「───姉弟子、姉弟子? 聞いてます?」

「……えっ?」

対局時計(チェスクロック)、鳴ってますよ」

 

 八一の言葉で思考世界の海から現実世界に引き戻された。

 そういえば、練習将棋してたんだっけ。確か、持ち時間は十五分、切れたら三十秒の。

 どうやら、いつの間にか時間を使い切っていたらしい。

 慌てて対局時計の警告音を止めた。

 

「……もしかして、また体調が悪いんですか?」

「別に。ちょっと集中しすぎていただけよ」

 

 心配そうな顔をする八一にそう答えると、安心したように息を吐いた。

 

「それなら良かったです」

「……大袈裟よ」

 

 安堵の笑みを浮かべる八一にちょっと複雑な気持ちになる。

 あの日、私が倒れて以来、八一からよく体を心配されるようになった。

 ここ最近なんかはわざわざ電話で毎日、連絡してくれている。

 前の時は全然連絡してくれなくて、たまにしてくれたと思ったら小学生絡みの話ばっかだったのに。ちょっと過保護な気がする。

 ……もちろん嬉しいけど。

 

「それにしても、どういう風の吹き回しですか?」

「なにが?」

「姉弟子がわざわざ振り飛車を指すなんて、珍しいじゃないですか」

 

 そう言えば、この頃の私はまだ居飛車ばかり指していたっけ。

 私は三段リーグを抜けるために、結局八一から受けたアドバイスを取り入れた。

 振り飛車もその一つだ。

 あの時、八一は簡単に言ってくれたけど、改めてこいつが将棋星人なんだと思い知らされた。

 

「なりふり構ってられないから」

 

 将棋も、あんたの事も。

 

「先を見据えているんですね……あいや天衣も、いつかは姉弟子のような棋士になってほしいですよ」

 

 私のような、か。

 あの二人なら、私なんかを目指す必要はないと思うけど。

 

「そういえば、あの弟子二人は結局どうなの?」

「二人ですか? ええ、まあ……」

「……?」

 

 頬を掻いてどこか言いづらそうに言葉を濁す八一。

 何かあったのだろうか。

 

「正直言って、出来が良すぎますね。あいも天衣も」

「……でしょうね」

 

 あの二人は見た目はただの九歳だが中身は完全に別物だ。

 教える、と言っても逆に苦労するだろう。

 まあ、中身が別なのは私もだけど。

 そういえば、精神年齢で言えば今の私と八一ってほとんど同い年になるのかな。

 

「二人とも既に基礎が出来上がっている。教えるよりも、色んな相手とひたすら指し続けて経験を積ませた方が良さそうなんですよね」

「才能があっても経験を積まなきゃ意味ないしね」

 

 まあ実際は経験も積んであるけど。そんなことは八一は当然知らないだろう。

 

「なので、姉弟子。そこで折り入ってお願いがあるんですが……」

 

 申し訳なさそうに八一が頭を下げる。

 大方、あの二人と指して欲しいって事だろう。

 そんなの、どう答えるかなんて決まっている。

 

「あの小童どもの相手を私にして欲しいんでしょ?」

「す、すみません。無理なお願いなんですが……」

「別に、いいわよ」

「ほんとうですか!?」

 

 あの二人は八一の目の前で泣かすと決めてある。

 ちょうどいい機会だ。二人まとめてボロ雑巾にしてやる。

 

「ありがとうございます、姉弟子!」

「もちろん、タダじゃないわよ?」

「えっ」

 

 八一の顔が満面の笑みから一気に引き攣った笑みに移り替わる。

 失礼な。どんな要求をされると思っているんだこのバカは。

 

 

「別に無茶な頼みじゃない。私と付き合って欲しいだけ」

「ッ!!!?」

 

 

 引き攣った顔から今度は目を見開いて驚愕した表情で固まった。

 今日の八一はずいぶんと表情豊かだ。見てて楽しい。

 

「つ、つ、付き合うって……そ、その……姉弟子と?」

「他に誰がいるの?」

 

 私が頼んでいるんだから、相手は私に決まっている。

 何をおかしなことを言ってるんだろう。

 

「い、いえ……そ、そうですよね、はい」

「……?」

 

 さっきから八一が挙動不審だ。目もキョロキョロしてるし、こっちに顔を合わせてくれない。よく見ればズボンの膝を強く握りしめている。対局時に見せる癖だ。

 

「……嫌なの?」

 

 ……ちょっと強引だったかな。

 普通に頼めば良かった。ついつい姉弟子としての立場で物を言ってしまう。

 こういうところは前と、ちっとも変ってない。気を付けないと。

 

「えっ、いや、その……いやとか、そんなんじゃなくて、即答できないというか……」

「なら予定が空いてる日、教えなさい。その時に付き合ってもらうわ、私の用事に」

 

 これから来る三段リーグに向けて、今から体力作りをしておく。

 体力作りも八一から受けたアドバイスの一つだ。結局、中身があの時と同じでも体は過去のモノなのだから、今から準備をしておいて損はない。

 八一が言っていたように、室内プールとかなら目立たないし……プールなら水着で八一と過ごせるし。

 

「えっ、用事……? あっ、そうかそうか、そうですよね、はは……な、何を勘違いしてるんだ俺は……

「どうかした?」

「いえ、なんでもないです……分かりました。次の日曜日なら空いてると思うので、その時で」

 

 これで、八一と一緒に出掛ける口実ができた。今は少しでも、彼と二人で過ごせる時間が欲しい。

 

 私の想像だけど、八一が私を意識してくれるようになったのは、東京で釈迦堂さんのお店で服を着て大阪まで一緒に帰った時辺りだと思う。

 あの時、繋いでいた八一の手は火がついたように熱かった。

 私のことを見てくれていた。姉弟子としてじゃなくて、だぶん、女の子として。

 

「わかった。じゃあ日曜日ね。約束、破ったら殺すから」

「こ、怖いこと言わないでくださいよ……」

「冗談に決まっているでしょ」

 

 今すぐに、八一があの時と同じように私を見てくれる事はないだろうけど、

 こうして二人でいる時間をちょっとでも増やしていって、そしたら───

 

 あなたは、私を意識してくれるかな。

 

 

 


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