うん……まただ、またあの匂いがする。
目を覚ますと私の体は丁重に縛られて、猿轡までされていた。
私はいつの間にそんな高度な遊戯を楽しんだのだろうか?
芋虫のようにモゾモゾと動くと、それに気づいた侍女たちが慌てて紐を解いてくれた。
起き抜けで挨拶すると、二人してボロボロと泣きながら抱きついてくる。
彼女たちの豊満な胸の中で顔面をプレスされ、危うく窒息死するところであった
朝から激しいプレイだな、もう……。
侍女たちが落ちついたところで、この状況の詳しい説明を聞いた。
私が眠りに付きしばらくすると、突然叫びだして絶叫していたらしい。
そのため止む得なく拘束したのだとか。
語る彼女たちの様子から、私がなにを叫んでいたのか理解できた。
目を閉じ、夢の中で見ていた光景を思いだす。
あれは現実ではなかった……しかし、あの夢が伝えた出来事はおそらく事実なのだろう。
胸の中でなにかが、言葉にできない何かが、ごっそりと抜け落ちた喪失感があった。
………………。
でも私は、この痛みに耐えることができる。
確かめなければいけないことがあるから、今ここで座り込むわけには行かない。
辺りを見回すと相変わらずの闇の森の中。
私たちを覆うように巨大な影が落ちる……闇竜だった。
どうやらすぐそばで私たちの護衛をしてくれていたらしい。
彼女を見あげる……闇竜もなにも語らず私を見ていた。
何百年でも変わらずに存在しそうな、悠然とした美しい姿に見惚れてしまう。
私は立ちあがり彼女に近寄ると、大きな前足に額を押しつけて問いかけた。
「彼は……魔王は死んだの?」
背後で侍女たちの息を飲む気配がした。
闇の森の竜はなにも言わない、だが沈黙が雄弁に答えを語っていた。
「そう、死んだのね……あなたは魔王の魂を私の元にまで運んできてくれたのね?」
彼女は大きい顎をわずかに傾けた。
この世界では死んだ者の魂は大気や大地に溶け込み、大部分は魔力に変換されるそうだ。
私がそれを知覚したことがないけど彼女からはそう聞いている。
闇竜たちは、その散る前の魂を己の体内に取り込み一時的に保管することができるらしい。
その能力こそが、闇と死を司る竜の由縁であるとか。
話半分で聞いていたことだけど、実際に体験したので疑う余地はないだろう。
闇竜の彼女はなんらかの手段で魔王の死を知覚し、彼の魂が消滅する前に自らの体に取り込んで私の元まで届けてくれた。
魔王の最後を私に見取らせるために、友のためだけにそこまでしてくれたのだ。
強面なのに彼女は本当に粋なんだよ……。
私は彼女の足に抱きついたまま無言で礼を伝えた。
ありがとう……届いて私のテレパシィ。
――礼 よい 友よ 次 如何に?
ありがとう……まじ届いたよ私のテレパシィ。
そして次か……正直にいうと魔王が死んだという実感がない。
ううん、彼は確かに死んだ……。
魂が消え、この世界にすでにいないということは理解できている。
しかし心は納得してくれない。
実際に彼の遺体を見たわけではない。
もしかしたら……という後ろ向きな希望をもちそうになる。
でもそれは分かりやすい罠だ。
闇の森での極限の生の中で私はよく知っている。
そのような思いはとても危険で、囚われた者から命を落としていく。
行き過ぎた感傷は原始の世界では不要なもの。
だからこそ彼の死を心に刻まなければならない。
悲しみに膝を着くのはもっと後でいい、今の私がやるべきことは……。
「魔の国に戻って会いにいきます……魔王に」
「「お、お妃様っ!?」」
闇の森には魔王が逢引に使っていた転移魔法陣がある。
「はい、魔王の遺体を確かめます。城や街がどうなっているかも見てきます。これから私に何ができて何ができないのかを考えるためにも、魔の国に一度戻ります」
「無茶ですわ! 魔王陛下が討たれたということは、城内や城下も、人族たちに制圧されている可能性があります!? そのような危険な場所に向かうなどとっ!!」
「あ、大丈夫ですよ? 私一人で向かいますから」
「お、お妃さまぁ!?」
単独行動……それが一番確実な方法だ。
闇の森でも、本気で隠れた私を見つけだせる者は誰もいない。
それがたとえ闇竜の彼女であっても。
獣ほど鋭敏でない人族に、私の姿を捉えることができるとは到底思えない。
と、そんな説明を身振り手振りで腰振って、万歳しながらも侍女たちにしたんだけども、まったく納得をしてくれなかった。
私の身体能力の高さについては、彼女たちもここしばらくの道中で理解しているはず。
なんだけど……侍女としての高すぎる二人の忠誠心が、仕える主が危険な場所に行くことを拒絶しているのだろうか。
頭のよろしくない愛玩動物を見る、飼い主の気持ちではないですよね?
三人で円陣を作って腰を落とし、ヘイヘイヘイと睨み合った。
埒が明かず、どうしたものかと悩んでいると闇竜の彼女が後押しをしてくれた。
――我が 友 闇の 森 娘を 見る 者 無し 問題 無し
侍女たちは同時に耳を押さえ、切れ長な目を開き『ひぇぇっ』と飛びあがった。
二人の体が垂直に跳ねて地面に着地し、豊かな胸がたゆんとダブルでたわわった。
あはっ、素晴らしい重量感です、実に眼福でした……別に悔しくないですよ?
二人も闇竜からテレパシィをもらったのだろう……初めてされると驚くよね?
私なんて、彼女の眉間に飛び蹴りしてしまったくらい驚いたし。
侍女たちは恐々と闇竜を見あげる。
彼女が目だけで頷くと、二人はこくこくと頭を上下運動させてた。
どうやら納得してくれたようだ。
しかし、彼女の説得内容は私とほぼ一緒のはずなんだけど……テレパシィと巨体からくる説得力が段違いなのだろうか?
最後まで渋る侍女たちと闇竜に見送られ、私は転移魔方陣で魔の国まで飛んだ。
◇
転移先は城下街にある小屋の中。
この場所は魔王が秘密裏に確保していたもので、床には闇の森に設置した陣と対となる転移魔法陣が刻まれていた。
大きな建物の影に隠れるように建てられた小屋なので探られることはないだろう。
扉には鍵が掛かっていたので指で引っかけて切断した。
念のため慎重に扉の隙間から辺りを覗う……。
建物の周辺には人影は見当たらなかった。
時間は夕刻である。
空を見あげると星が薄っすらと輝きだし、街は徐々に夜の闇に染まっていく。
ああ、夜の世界だ……ここからは闇の獣たちの時間だ。
微かに高揚していく気分を抑えると夜の闇に紛れて走りだした。
立ち並ぶ屋根に登り城に向かって、潜み、飛び跳ねながら移動していく。
城下町は見た感じ、いくつかの建物や城壁が崩壊しているが荒らされている様子はない。
しかし普段の街の賑わいなどはなく、耳を澄ませば息を潜めた住人たちの話し声が聞こえた。
怪我人はいるようだが取りあえず街の人たちは無事のようだ。
街の大通りに篝火や松明に照らされて人族の兵士らしき大勢の影が見えた。
荷を載せた大型の荷馬車が何台も停まっている。
城の宝物庫から財宝でも持ちだしたのだろうか?
それならそれで別に構わない。
あとのことを考えると、食料や生活用品といった生きるために必要な物資のほうが遥かに重要だから。
しかし、荷台から微かに漂う、このどこかで嗅いだことのある匂いは何だろう?
首を振り思考を切り替える。
目的は戦うことではなく城内に行き、魔王の遺体を探しだして皆の安否を確認することだ。
この場にいる兵士たちだけなら追い払うことは可能かもしれない。
しかし、すべての人族を追い払うことは私だけではどうやっても不可能だ。
人族と戦うためには私以外の力がいる。
それも一人や二人ではない多くの者たちの力が……軍隊と呼ばれるものが必要となるだろう。
私はどのようにすれば達成できるかも分からない、その途方もない前途に苦い物を感じた。
隠密で移動をしていると城門が見えてきた。
正面の扉は破壊され門の壁も焼き焦がされ酷く砕けている。
その近くには見張の兵らしい何人もの人族たちがいた。
勿論、正面から城内へ入るつもりはない……秘密の入り口があるのだ。
以前魔王が、悪戯っ子のように笑いながら教えてくれた……。
兵士たちに見つからないように外壁を回るように移動。
やがて城門から少し離れた城壁に到着する。
壁によく見ればいくつかの隙間。
それに指を掛けて登る難易度の高いクライミングだ。
魔王はその方法でよく城を抜け出しては戻っていたらしい。
問題なく城壁を登り切る。
発見されることもなく城内の外庭に降り立った。
見渡す限り辺りには目だった戦闘の後はない。
もしくは城内の別の場所で戦いがあったのかもしれない。
気配……。
足音を立て、見回りをしている影は人族の兵士だろうか?
探り方が散漫でお粗末なものだった。
あるいはそのようなこと自体を行っていないのかもしれない。
建物の内部に入ってからは壁が生み出す闇を利用して進んでいく。
いくつか気配のある部屋を見て回るが人族の者しかいなかった。
魔族の者はどこへと消えてしまったのだろう?
探索できる時間は無限ではない……焦りを覚える。
ともあれ夜のうちならば、人族の彼らは私の気配にすら気づかないだろう。
目の前を歩いていても普通に見逃すのではないだろうか?
中にはだらしなく服を脱ぎ捨てて、酒盛りをしている者たちもいる始末だ。
そこまで気が抜けるくらい魔の城は制圧されているらしい。
我が物顔で振る舞う彼らに怒りを覚えるが我慢するしかなかった。
うん……まただ、またあの匂いがする。
それは街中で荷台から嗅いだ匂いと同じものだった。
闇の森で何度も嗅いだことのある匂い……そう、馴染み深い獲物の血の臭い。
しかしおかしい、これほどの強い臭いは一人二人で出せる血の量ではない。
戦いで多くの魔族が亡くなったことは予想できるけど、この臭いはあまりにも濃密すぎる。
血の臭いに導かれるように歩を進めた。
辿りついたそこは城内の入口近く。
式典などを行う際に使用する大広間。
つい先日も魔王と私の披露宴を行った場所。
赤……そう、まず目に入ったのは深紅の血の赤だった。
大広間の空間、どの場所も濁ったような赤。
床や壁や天井、そして空気までもが血の赤と臭いで染まっていた。
私は呆然と立ち竦む……。
鈍い魔法の灯光に照らされたその光景に頭を殴られたような衝撃を覚えた。
多くの魔族がいた。
見知った顔もいれば知らない者もいた。
共通して言えるのは老若男女を問わず皆死体だということだ。
不謹慎であるが、これが死体を積んであるだけなら悲しみはするが動揺は無かっただろう。
すべての死体が布の敷かれたテーブルの上で、バラバラに解体されて綺麗に並べられていた。