アタシはもう何も言えず、目の前の彼女に抱きついて泣いた。
闇の森の祭壇の泉。アタシはその石碑の前に立って居た。
周囲を森で覆われた泉の風景は代わり映えは無いようだ。目を閉じていても何処に何があるのかは分かる場所だ。ソッと石碑を手で触ると所々に厚い苔が生えていた。ここで生活していた頃は石碑を頻繁に掃除して綺麗にしていたなと思い出にふける。
そして苦笑する。アタシが人族達との戦争を始めてそれ程の月日が経っていたのかと、だけど石碑を綺麗にする機会はもう二度とありそうにない。
アタシは覚悟を決めると扉を開く鍵を……術式を展開し石碑に手を触れた。
瞬時に聖女達の住まう空間に切り替わる、十数年ぶりの帰還であった。アタシが今のアタシに生まれ変わった場所。辺りをどこまでも白い靄で包まれた不思議な部屋。僅か数歩でも動けば自分の位置すら見失ってしまう空間。しかしアタシは不安を全く感じていなかった。
この世界に存在して、この世界には存在しない場所。アタシがゆっくりと顔を上げると、懐かしい十二人の聖女達が依然と変わらずに静かに並んで佇んでいた。
「ただいま……全てを終わらせに来ました」
彼女達は知っているのだろうか? アタシが外の世界で一体何をしてきたのかを、それを問われるのが恐ろしくて簡潔に目的を告げる。聖女達は、やや張り詰めた表情で頷くと道を開けてくれた。彼女達が立ち並ぶ道を歩いていく、その先には神と呼ばれる存在がいるはずだ。
――微かな気配がした
薄っすらと霧がかる空間の一点に確かな存在を感じた。ああ、この場所にいた頃にも感じたことのある気配だった。アタシは一歩一歩近づいていき歩きながら指に闇を宿らせる。闇に覆われた手は一回り大きくなり、まるで大型獣の爪のような変化を遂げ、再び鍵となる術式が展開して血管のように手の上を走り点滅を繰り返す。
止まる。闇の爪を無造作に振り下ろした。
術式を乗せた爪が確かにそれに触れた。
空間が音もなく切り裂かれて、ヌルリと何かが零れ地面に落ちた。
蹲る。それは『彼/彼女』だった。
その姿は男とも女ともつかない者であった。
その姿は老人とも子供ともつかない者であった
人ではない猿のような、猿ではない人のような、中間の容姿を持つ者。
『彼/彼女』その何とも言えない姿を持つ者が神と呼ばれる者の正体だった。
『彼/彼女』は弱っていた。はっきりと目に見えるくらいに、体が痩せ細り渇きひび割れて衰弱していた。地面に体を横たえて僅かに痙攣をおこしているのが、生きている事を辛うじて示す証であった。
餓死寸前……『彼/彼女』の状態を表現するなら、それが一番近いだろう。
私はギリっと奥歯を噛み締めた。
「これがこのような醜くて矮小な存在が、何千年にも渡りこの世界を、魔族を虐げ弄んでいた者の正体だというの?」
神と呼ばれる者の正体には気づいていた。集合意識で何億回という演算を行い、更にそれを何億回も重ねた結果、答えを導き出していた。
神の正体とは精神エネルギーを糧とする、精神のみの生命体。
『彼/彼女』にとって人族の信仰心と言う名の精神エネルギーは、さぞや食べがいがあったのだろう。その為だけに魔王の討伐などと言う、勇者の虚飾の物語を作り上げていたのだから。それ故に人族が大幅に減った今の世界では『彼/彼女』の腹を満たすほどの精神エネルギーを得る事は出来ないのだ。
アタシが人族達を大量に殺戮していったのは全てこのため。そう、神という一個の存在を殺すためだけに数え切れない命を殺したのだ。
今なら子供でも容易く殺せるくらいに『彼/彼女』は弱りきっていた。アタシは無言で見下ろすと闇の爪を高く振り上げる。もう何も感じない、ただ為すべき事を機械のように成すだけ。倒れ伏す『彼/彼女』はまるで命乞いでもするかのように自らの頭を両腕で覆った。
今さら……容赦はしないっ!!
『彼/彼女』の手の平とアタシの爪が接触する瞬間、光が、音が、記憶が見えた。
――――
『彼/彼女』は高次元の精神生命種族の一体であった。その使命は未発達な惑星を発見し生命の進化を促す事。それによって得た精神エネルギーが『彼/彼女』の生命を維持する糧であり、同時にこの宇宙に新たな同胞を増やす為の糧となるのだ。
この星もそうだった。降り立った『彼/彼女』は星を生命が住める場所へと整え環境を維持し原始的な生命を進化させ知性を与えた。その間は『彼/彼女』の保有する精神エネルギーは減る一方だったが、この飼育場が軌道に乗るまでの蓄えは十分にあった。
不幸な事が一つあったとすれば『彼/彼女』がその種族でもまだ若い経験の足りない個体であったという事だ。人族が誕生したがそのあまりにも集まりの悪い精神エネルギーを見て焦れてしまった。『彼/彼女』は急ぎ過ぎてしまったのだ。その若さ故に考えてしまった。より効率的に精神エネルギーを搾取する方法はないかと?
数々の試行錯誤の末、精神エネルギーをより多く得るには人族同士を戦わせ、それによって生じる闘争心や神的な存在への信仰心を利用するのが、もっとも効率がよい方法である事が分かった。だが精神エネルギーを得るために元となる人族を減らしていたのでは本末転倒である。
そのために生み出されたのが、多大な精神エネルギーを注ぎ込み人族を改造して造られた魔族達であった。人族よりも強靭な肉体と魔術に対しての高い適正と繁殖力を持つ彼等は、まさに世界の敵役としては非常に都合のいい存在であった。
『彼/彼女』は神を名乗り人族に指示をだした。邪悪な魔族達を神の名の元に討ち取れと……その結果は素晴らしい物であった。予想以上の精神エネルギーを収穫する事が出来たのだ。『彼/彼女』は深く歓喜した。より精神エネルギーを搾取する方法を更に模索していった。結果を重視するあまり過程を無視していったのだ。
魔族に魔王という力のある個体を出現させた。
この空間に聖女達を招いたのは半分は気まぐれだった。『彼/彼女』は自ら進んで人族達の贄となった彼女達の観察をした。しかし彼女達のその自己犠牲の精神を理解する事は『彼/彼女』には出来なかった。
それは十三回目の魔王討伐の事であった。
異世界からの召喚された者の中に明らかな異物が紛れ込んでいたのだ。だが問題はないと『彼/彼女』は判断した。勇者の召喚も人族の神への信仰心を上げるための虚飾でしかない。勇者としての『彼/彼女』の
それ故に放置してしまった。『彼/彼女』は神を名乗ったが決して神ではなかった。そのため彼女という
彼女が聖剣の贄とされた時も、聖女達が魂を削り体を与えた時も、魔王の伴侶となった時も、そして魔王となった時も見逃していたのだ。人族に対して戦いを始めた時ですら都合がいいと考えた。戦争の中でより純度の高い精神エネルギーを搾取する事が出来ると。
もしも、どこかの段階で彼女を排除していたならば、この最悪な状況には陥らなかっただろう。『彼/彼女』は高次元の精神生命体だが決して神ではなかった。それ故に最後まで気づかなかった。こうして目の前に現れるまで理解できなかったのだ。
この存在が、彼女が何者であるのかを。
この世界の天敵……彼女こそが本物の
――――
アタシの意識が戻る。闇の爪が『彼/彼女』の腕を切り飛ばした。
『彼/彼女』はギイギイと表現のしようのない虫のような泣き声を上げた。
アタシの中の魔族の集合意識がすぐさまに演算を開始し、その結果を示す。
――解:この存在『彼/彼女』の殺害……この
アタシは『彼/彼女』の前に立ちつくした。
知ってしまった。この『彼/彼女』が星の生態系の維持を未だに担っている事を。『彼/彼女』が死ねば、この星の生態系が維持できずに全てが滅びるという事を。
人族から得られる精神エネルギーの枯渇。それだけならば『彼/彼女』はここまで衰弱しなかっただろう。しかし『彼/彼女』は餓死寸前まで、この
「ふざけるな……ふざけるな! ふざけるな! ふざけるな!!」
何故その優しさを魔族に向けられなかった? 何故その優しさを魔族の王に向けられなかった? 何故アタシに少しでも向けてくれなかった!?
「ふざけるな! ふざけるな! ふざけるなぁぁ!!」
聖女達の心も理解出来なかった化け物が自己犠牲を行うなどと笑わせるな!!
「ああ、あああっ――――――――――――――――――――!!」
アタシは怒りのままに『彼/彼女』に止めを刺すべく再び爪を振り上げた。だがその手が押さえられる。肩越しに振り返り見ると始まりの聖女母さんが、その小さな体で必死になってアタシの腕にしがみ付き押さえていたのだ。
「どうしてっ!!」
アタシは激情のまま叫んだ。吼えるように叫んだ。始まりの聖女母さんは体を持ち上げられたまま、悲しそうな表情でアタシを宥めるように諭すように語った。
「もう許してあげてください『彼/彼女』の命は尽きかけています」
「そんな事は分かっている! でもこいつは殺さなければいけないのよ!!」
「今『彼/彼女』を殺すのは、この世界の全ての命を殺すのと同義です。それは決して決して許されない行いです」
その言葉にアタシは逆上し彼女を罵った。
「お母さん言ったじゃない、アタシが何をしても認めてくれるって! 世界中の人が違うと言っても信じてくれるって、あれは嘘だったの!!」
「貴女が今まで何をしてきたか、どんな思いでしてきたのか、全てを知っています。ですが、ですが、それでも貴女にこれ以上の罪を背負わせたくないのです」
「嫌だ! 嫌だ! もう苦しいの! 全てを終わらせたい! もうこれ以上殺したくない! アタシはもうこれ以上は辛い思いをしたくない!!」
アタシは何が正しいのか何が間違いなのか、もう判断がつかず子供のように泣きながら膝をつくと周りで見守る聖女達に叫んだ。
「眠りにつくといつも夢に見るのよ。今まで殺してきた命が、奪ってきた命が、アタシに訴えかけてくるのよ、何でお前はまだ生きてるんだって! 何で死んでないんだって! 夢を見るたびに訴えかけてくるのよ!!」
アタシは蹲り、頭を掻きむしりながら目の前の小さな聖女に全てを吐き出した。
痩せ我慢をしていた。本当は苦しくて苦しくて仕方がなかった。どれほどの力を持とうと、どれほど精神を強化しようと、一人で背負うには重すぎる罪だった。例え人としての感情が全て消えても、例え化け物と成り果てても、果てなく命を奪い続けるという行為はどうしようもないほどの苦しみだった。
神を殺すというそれだけの為に、アタシは贖罪など出来ぬほどの命を奪い続けてきたのだから。
「今すぐに自分で自分の命を絶ちたい、だけどコイツをそのままにしておく事も出来ない、だったらもう殺すしかないじゃない! アタシはもう楽になりたい、生きていたくはない、今すぐにでも死にたい! もう、
パチンと頬を叩かれた。
お母さんに頬を叩かれた。叩くと表現するのが笑えるくらいの軽いもの……でも初めてお母さんに頬を叩かれた。アタシは呆然と始まりの聖女母さんを見る。彼女は叩かれたアタシより痛そうな顔をして叩いた自らの手を押さえていた。
「それでも、自分の子供が間違った道に行こうとしているなら、怒って叱って正しい道を示してあげるのが親です。貴女は死んではいけません、貴女には生きる権利と義務がある。貴女にはどんなに苦しくても生きていて欲しい、そう願うのが母親なのですから」
「ずるい……ずるいよ、そんなのずるいよ」
アタシはもう何も言えず、目の前の彼女に抱きついて泣いた。始まりの聖女母さんは初めて会った時のようにアタシを優しく抱きしめてくれた。
アタシはその温かさに、またあの時のように『お母さん』と言い泣き続けた。