『……お腹が減った』
『任せろ! 兄ちゃんが何か作ってやる!』
つい数分前の会話を思い出しながら、エドアルドは現在の光景を見つめる。大部分が黒ずんだシンクの中で、僅かに無事だった部分にエドアルドの顔が写り込んだ。
例えるならそれは顔面蒼白。血の気が引き、怯えの色が滲んでいた。そんな少年の顔など見えていないのか、兄は鼻歌混じりに材料を刻んで鍋へと投入する。
切り刻まれた具材は、大きさも厚さもバラバラだ。おそらく、材料を入れたり煮たりする順番も一切考慮していないのだろう。何を作るつもりなのかよく分からない。
「…………」
何かを言わなければならなかった。やめろとか、とめてくれとか、相応しい言葉は幾らでもあったはずなのに。
エドアルドが身動きできないままでいる間に、兄は楽しそうに料理――疑問符を幾らつけても足りないが――を作り続ける。
大鍋に水を入れただけで大鍋が爆発した。
材料を入れて煮込んだらコンロが火を噴いた。
フライパンに油を引いただけでフライパンが爆発した。
文字通りの地獄絵図。キッチンには黒煙がもうもうと立ち上り、調理器具は軒並み黒ずんでいる。焼け焦げた刺激臭がエドアルドの嗅覚を容赦なく責め立てた。双瞼がジワリと滲んだのは、この地獄に対する恐怖か。それとも刺激を知覚したために発生した生理現象だったのか。
地獄絵図はまだまだ続く。
「あー、失敗したか」
悔しそうな顔をした兄は前髪を掻き上げると、大鍋をコンロから外して抱える。流し台に放流された鍋の中身は派手なショッキングピンクだ。鍋に水を張った当初、および投入した材料には水分に反応する調味料は使われていなかったはずだ。なのに――どのような化学変化を経たのか――液体はゲル状の物体へと変わっている。
甘いような苦いような――とにかく悍ましい刺激臭がキッチン中に充満した。黒煙は僅かながらピンク色を帯びたように見えたのは、エドアルドの気のせいではなかった。……だが、兄はまったく気にする様子はない。鼻歌を歌いながら、他の料理に手を出し始める。――そうしてまた、多くの調理器具が爆発していく。
気を失わずに踏み止まれたことは幸福だったのか、不幸だったのか。
エドアルドがそれを類推する余裕すら与えることなく、地獄絵図は展開する。
爆発。爆発爆発、爆発爆発爆発。そしてとどめに大爆発。これが芸術か。
「よーし、できたぞ!」
何度爆発したのかを数える余裕すらなくした頃、兄は満足げな笑みを浮かべてエドアルドを手招きした。エドアルドはおずおずと彼の案内に従う。
小刻みに震えながらキッチンに足を踏み入れた。椅子に腰かけて、ナプキンを首に巻く。綺麗に並んだナイフとフォーク、真っ白な皿だけが地獄絵図とは程遠い。それが、かえって嫌な予感を引き立てている。
兄はニコニコ笑いながら、皿に“ソレ”を盛り付けた。一部が異様に膨らみ、一部が異様にぺちゃんことなったパンケーキ。ボコボコの表面の所々に裂けたような跡があり、そこから細く黒煙が漂っていた。
その上に、兄はボウルから取り出したクリームを盛り付ける。よく目を凝らすと、クリームの中に大きなダマがぶつぶつと浮かんでいた。
兄は冷蔵庫からチェリーを取り出し、それを乗せた。「完成した」と、兄は満面の笑みを浮かべて指し示す。
「…………」
「どうした? エドアルド」
「……なんでもない。食べるよ」
エドアルドは表情を引きつらせながら、パンケーキにフォークとナイフを向けた。
フォークとナイフの先端がパンケーキの生地に触れ――
***
青龍学園にある学食のいいところは、弁当を持ち込み可能な点と、調理している姿を確認できる点だ。エドアルドは真面目にそう思っている。自分の視線の先には、手際よく調理をしていく学食のオカ――おねえさん、鳳漣の姿があった。
生物学的な性別は男性。鍛え抜かれた体とスキンヘッドといういかにも屈強な見た目だが、ゴテゴテの付けまつげを付けている。口調や態度は完全に女性らしい立ち振る舞いをする、俗にいうオネエというやつだ。エドアルドは「おねえさん」として扱うが。
見た目と態度のギャップに驚く人は多いが、おねえさん本人は面倒見がよく世話好きなタイプだ。人が抱える事情を慮り、気を配ってくれる人でもある。器の大きさだって規格外だ。勿論良い意味でである。おねえさんの人柄に救われている人間の中にも、エドアルドも含まれているのだ。
(監視だって気づいた上で、失礼なことを言ったにも拘らず、全部許して黙認してくれるんだもんなぁ)
エドアルドはひっそりと苦笑する。
『自分が作った料理じゃないと安心して食べられない』、『人の料理は初めから終わりまで――材料を切ってから皿に盛りつけるまで、徹頭徹尾監視しないと安心できない』だなんて、自分でも失礼極まりない発言だって分かっている。
勿論、鳳漣の眉間にしわが寄った。料理人としての誇りを傷つける真似をしたことについてはきちんと謝罪したし、『貴方のプライドを傷つけるつもりはなかった』ことを説明しようとして、ちょっと変なことを口走ってしまったりもした。
ついうっかり零した『爆発』や『毒』という単語から、鳳漣は何か察したらしい。怪訝な表情を消して、意気揚々と素晴らしい料理裁きを披露してくれた。以来、鳳漣はエドアルドが厨房を監視することを黙認してくれている。
「
いい加減、早く世間一般で言う“普通”に慣れたいところだ。そんなことを考えながら、エドアルドは料理の観察を続けていた。
「――番号札6番! はい、カレーライスお待ち!」
「はーい」
自分の番号札と引き換えに、エドアルドはカレーライスのお膳を手に取った。
辛さは中辛。一口サイズに切られた野菜や肉が、見栄えよく盛り付けられている。
「珍しいな、エドアルド。いつも弁当なのに」
クラスメートのユズルがエドアルドのカレーライスを覗き込む。エドアルドは苦笑した。
「色々準備してたから、弁当作る余裕なかったんだ」
「そういやお前、魔道具生産許可の試験が近いんだっけ?」
「ああ。この前の試験は結果出たから、次に向けて色々やってる」
「生徒会や魔導具研究部の面々から聞いたよ。入学式終了後に願書出して、模擬戦より先に試験受けたんだって」
「まあね」
ユズルの問いに、エドアルドは頷く。生徒会と関わり合っているユズルは必然的に、そういう情報を入手しやすい立場にあるのだ。
試験を受けたのは入学して3日後、結果は即時公表された。試験を受けると、受けた日付から1週間は試験を受けることができない。最短で試験を突破したいと思っても、制度は制度。規定は規定だ。挑戦する権利があるだけマシだとエドアルドは割り切っている。
次の試験まで残り4日。試験内容は『ランダムのお題で魔導具の生成を行う』というものだ。ランダムだからと言って下準備や仕込みが無意味になるとは限らない。試験日までに幾つのトライアンドエラーを積み重ねられるかが大事なのだ。
――そして何より、エドアルドにとっての『現状における最優先事項』は『出来る限り短い期間内で、魔導具制作許可を得る』ことだった。
「オレにとって魔導具を作れないのは最大のストレスなんだ。だから、魔導具作成許可試験の突破は、オレの学園生活で一番重要かつ最短でこなさなきゃいけない案件なんだよ」
「タイムアタックでもしてるのかよ……。そこまでして魔導具作りたいのか」
「文字通り“
エドアルドの言葉を聞いたユズルが遠い目をしている。「キミも“一定の資格を有しないと鍛錬の許可が下りない”目に合ってみればわかるさ」と言い返し、エドアルドは自分の昼食にスプーンを伸ばした。
自分のたとえ話に何を思ったのか、ユズルは顎に手を当てて首をかしげる。刹那、彼が頼んだ昼食が出来上がったことを伝える鳳漣に呼ばれ、ユズルはカウンターの方へと去っていく。彼はエドアルドと違う料理を頼んだようだ。
ユズル・アートラムという生徒の趣味は鍛錬である。とはいっても、趣味に全人生を捧げるレベルまでどっぷり漬かっているわけではない。
正直な話、エドアルドは「規則や授業などの制約がなければ、丸一日魔導具作成に費やし」ても構わなかったりする。それ程、魔導具の開発改良が好きだ。
因みに、アクセサリー作りも魔導具作りと同じレベルで好んでいる。魔導具のデザインに関するアレコレはそちらで鍛えた。閑話休題。
カレーを頬張る。野菜と肉とスパイスの味が絶妙にマッチしていて、辛さも白米と合わせて食べるには丁度いい。自然とスプーンを動かす手が早くなったのは当然だろう。
(卒業するまでに、他の人が作った料理を安心して食べられるようになれたらいいな)
脳裏に浮かんだパンケーキらしき物体を振り切るようにしてかぶりを振る。
良い方向に変わりつつあることを自覚しながら、エドアルドはカレーを平らげた。