Fragment.宝玉の光彩   作:白鷺 葵

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・残酷な表現あり。
・明確な死亡描写あり。
・体の欠損表現有。



??ペツォッタイト
赴任前にて


『クラヴィス』

 

 

 名前を呼ばれて顔を上げる。透き通った翡翠色の髪を、編み込み式のポニーテールに束ねた女性――クラヴィス・アイル・オルデンベルクの母親が微笑んでいた。

 

 昼下がりの庭は、太陽の光が差し込む。風にあおられて、数多の花弁が空を舞っていた。庭園に咲き誇る薔薇たちのかぐわしい芳香が鼻をくすぐる。その眩しさに目を細めれば、母親の顔が逆光で隠れてしまった。――最も、その程度で、“母親がどんな表情を浮かべているのか分からない”なんてことはない。

 控えめに――けれど慈愛に満ちた微笑。父親が表情を一切変化させない鉄仮面であることも影響してか、クラヴィスはそんな風に笑う母親のことが大好きだった。惜しみなく愛情を注いでくれる母親のことが大好きだった。母は柔らかに微笑みながら、クラヴィスに語って聞かせる。

 

 

『エドアルドを守ってあげてね。貴方はお兄ちゃんなのだから』

 

 

 クラヴィスの頭を撫でる母は、憂いに満ちた横顔のまま窓を見た。クラヴィスもつられるようにして見上げる。日当たりが一番悪いその部屋は、カーテンで覆い隠されていた。

 あそこからは時々、女性の高笑いや物が壊れる音が響く。暗い顔をした弟が、沈痛な面持ちであの部屋を出入りしていることも知っている。あの部屋の主と、弟との関係も。

 あの部屋からそこはかとなく湧き出す狂気を、クラヴィスより8歳も年下の弟が抑え込もうとしていることも、クラヴィスはちゃんと知っていた。

 

 

『私たちを家族だって慕ってくれるあの子は、これからたくさんの理不尽に合うはず。沢山の悪意と対峙することになるはずよ』

 

 

 だから、と。

 憂いに満ちた母親の言葉に、クラヴィスは頷き返した。

 

 

『分かってるよ、母さん。誰が何と言おうと、エドアルドは俺の弟だ。嘗てアイツが、俺にそう言ってくれたように』

 

 

 愛人の子どもという理由で差別されるクラヴィスを、エドアルドは否定することなく受け入れてくれた。兄だと言って慕ってくれた。

 だから、クラヴィスもそう在りたかった。何が起きても、どんなことがあっても、エドアルドの味方で在れるようにと。

 己自身に誓いを立てながら、母を見返す。母は安心したように微笑み、『貴方は自慢の息子よ』と言って頭を撫でてくれた。

 

 

 ――いつかの日々が、脳裏をよぎる。

 

 

 一種の現実逃避を行っていたクラヴィスを現実に引き戻したのは、自分の腰を掴む弟の握力だった。

 

 振り返れば、翡翠色の瞳は恐怖と驚愕に彩られている。眼前で起きた出来事を、エドアルドは否応なしに理解してしまったらしい。真っ青な唇が戦慄き、吐息のような声が漏れた。いまにも泣き出してしまいそうな弟は、けれども決して、眼前に広がる地獄絵図から目を逸らすことはしなかった。まるで、それが自分の罪で、自分に与えられる罪だと言わんばかりに。

 今更クラヴィスが何をしようとも、無意味なことは明白だった。母と交わした約束も、自分に果した誓いも、何も守ることはできない。――ああ、なんて情けないのだ。エドアルドはクラヴィスを守ろうと、狂った実母に立ち向かったのに。自分は咄嗟にエドアルドを庇おうとして失敗し、逆に殺されかけて、挙句の果てにはこのざまだ。腰が抜けて動けないとは。

 

 白亜の床を濡らすのは、鮮烈なまでもの赤と黒。緑と黄色に煌めく魔力の残滓が漂う。ブレシス能力が発動したことを示すそれは、クラヴィスとエドアルドが呆然としている間に消えてしまうだろう。

 

 ――けれど、眼前に広がる女性たちの姿を忘れることは、きっとない。

 

 断末魔の余韻を思わせるかのように醜悪な顔を浮かべた金髪の女性――エドアルドの母は、青い瞳を極限まで見開いたまま。数多の茨に拘束され、薔薇を模した矢に心臓を貫かれている。

 頬を伝う涙がまだ乾かなかった翡翠色の髪の女性――クラヴィスの母は、黒焦げになった胸部から下がなくなっている。微かに迸る紫電が視界にちらつき、肉が焦げたような異臭が鼻を刺した。

 2人の女性の死体は向かい合うような位置取りである。お互いがお互いを敵と認識し、お互いがお互いに攻撃を仕掛け――文字通り“刺し違えた”形となっている。

 

 

「――…………っ」

 

 

 言いたいことがあって口を開いたはずなのに、クラヴィスの喉から漏れたのは、なり損なった笛のような吐息だった。

 震える身体を叱咤し、エドアルドの視界を隠す。もう二度と、こんな陰惨な光景を視なくていいように――罪の意識に飲まれてしまわないように、と。

 

 例え無駄だと分かっていても、今のクラヴィスでは、そうすることしかできなかった。

 

 

***

 

 

 ――やられた。やられた。騙された!!

 

 己の馬鹿さ加減に対する腹立たしさを持て余しながら、同時にそれを“首謀者への怒り”に変換しながら、クラヴィスは廊下を突き進む。

 すれ違った使用人たちが身をすくませたのも、今の己にとっては取るに足らない些事に過ぎなかった。

 

 

「――クソ親父ィィィィィッ!!」

 

 

 迷うことなく辿り着いた書斎の扉を、蹴破るという比喩表現が生易しい程の勢いで開け放つ。果たしてそこには、涼しい顔をして書類仕事をしている父親の姿があった。クラヴィスが怒鳴り込んできても、奴は一切の表情を変えることはない。怪訝そうな眼差しを向けてきた。

 

 

「中々に騒々しいな。何かあったか、クラヴィス」

 

「涼しい顔してとぼけるんじゃねえ! これは一体どういうことだ!? ――どうしてエドアルドが、魔法科に入学してるんだ!? しかも、顕現魔導士のエリートを輩出するための都市にある青龍学園なんかに!!」

 

 

 怒りのままに、クラヴィスは持ってきていた封筒から書類をぶちまける。怪訝そうな顔をして書類を覗き込んだ父の眉が、ほんの一瞬だけピクリと動いた。

 瞳は僅かながら、驚愕に彩られたように思う。父は暫し資料を見つめた後、重々しくため息をついた。あの反応は“自分の非を認めた”も同義である。

 怒り任せに追求しようと口を開いたクラヴィスであったが、文句は言葉になる前に飲み込まざるを得なくなった。父が鋭い目でこちらを見返したためである。

 

 

「あの子は自分で決断した。私はその意志を尊重する」

 

「だが……!」

 

「エドアルドの人生は彼だけのものだ。故に、選択権があるのはあの子だし、その道を自ら選んだのもあの子だ。嘗てお前がその選択をして、今に至ったことと変わらない」

 

 

 父の言葉に、クラヴィスはぐうの音も出なかった。クラヴィスもまた、泣きそうな顔で縋りついた弟の手を突き放すようにして顕現魔法士――あるいは軍事官僚の道を選んだ男である。弟をあらゆる悪意から守るための力を求めて、現在も多忙な日々を送って来たのだ。家に帰る頻度もめっきり減って、妻や弟に寂しい時間を過ごさせているとも自覚していた。

 すべては“自分の大切な人たちを、悪意から遠ざける”ためにやったことだ。妥協せず、努力を重ねてきた。……なのにどうして、思い通りにいかないのだろう。クラヴィスは俯き、拳を握り締める。歯を食いしばって、己の無力さに耐え忍ぶことしかできない。悔しいと叫ぶことは、自分のプライドが許さなかった。

 

 俯いたためか、机の上にばら撒かれた書類が嫌が応にも目に入る。オルデンベルク姓を捨て、母方の姓を名乗った弟の証明書だ。

 

 父程の権力があれば、息子の出自を改竄し、それを追及されないようにすることなど朝飯前だった。

 普段、父の地位や名声に頼ることをよしとしなかった弟は、どんな気持ちで父に縋ったのだろう。クラヴィスには想像できなかった。

 

 

(……エドアルド……)

 

 

 これから弟――エドアルドは、オルデンベルク家とは関係ない赤の他人として、1人で生きていくことになるのだろう。誰の手も頼らず、戦場に赴くのだろう。魔法科に進むということはそういうことだ。

 モノづくりが大好きで、魔道具の製作がライフワークで、アクセサリー類を作っているときの横顔が好ましかった弟。おおよそ戦場とは無縁の、モノづくりの現場で活躍することを夢見ていた弟。

 彼の将来を滅茶苦茶にしてしまったのは、クラヴィス・アイル・オルデンベルクだ。弟に守ってもらうばかりで、弟を守ってやれなかったダメな兄貴だ。――それを噛みしめて、クラヴィスはゆっくり顔を上げる。

 

 

「……あんたの考えは理解したよ、親父殿」

 

「そうか」

 

「――だが、黙って従うワケじゃねぇ。そっちがその気なら、俺にだって考えがある」

 

「……そうか。――お前の選択は、お前だけのものだ」

 

 

 父はクラヴィスを止めるつもりがないらしい。その点にだけは感謝しつつ、クラヴィスは踵を返した。

 

 部屋から出てきたクラヴィスは、そのまま真っ直ぐ突き進む。行きですれ違った使用人たちは、廊下の隅に集まってひそひそと何かを話し合っていたらしい。クラヴィスを見た途端、彼/彼女たちは蜘蛛の子を散らすようにして逃げ去ってしまった。――最も、クラヴィスにとって、それは些事に過ぎなかったのだが。

 

 荒々しい足取りのまま、クラヴィスは自分の書斎の扉を開け放った。

 ティータイムの準備をしていた妻が、物々しいクラヴィスの表情を見て目を瞬かせる。

 

 

「何かあったんですか? クラヴィスさん」

 

「……すまない、朔夜。しばらく忙しくなりそうだ」

 

 

 クラヴィスの言葉を聞いた朔夜は、何かを察したかのように小さく息を飲んだ。しかし、それも一瞬のこと。

 朔夜は静かに微笑み、頷き返す。きっと彼女のことだから、クラヴィスの考えていることなどお見通しだろう。

 その上で、朔夜は全部許してくれる。――敵わないな、なんてことを思った。

 

 

「貴方の背中は私が守ります。だから、存分に励んでください」

 

「ありがとう。……いつもすまんな」

 

「いいえ。――私は貴方の妻ですから」

 

 

 朔夜は噛みしめるようにして言葉を紡ぎ、微笑んでくれる。クラヴィスのような中途半端な人間には、あまりにも惜しい“出来た人”だ。

 朔夜と夫婦になれただけで、一生分の運を使いきったように思う。……まさかとは思うが、今回の一件が発生したのはそのせいか? 閑話休題。

 

 

(――さて)

 

 

 妻が作ってくれた菓子に舌鼓を打ちながら、クラヴィスは己の頭脳をフル回転させ始める。父と弟のタッグによって出し抜かれた分、この遅れを取り戻さなければなるまい。

 

 今思い出してみると、エドアルドが顕現魔法士の進学校に進学を決めた頃には、やたらと仕事が持ち込まれてきた。煩雑な書類整理、全く関係がない別部署からのヘルプ要請(しかもご指名である)、そうしてトドメの長期赴任だ。元々そうやってクラヴィスを遠ざけていたが、気づかれぬよう徹底したらしい。

 おまけに「近隣にある魔導具職人養成学校(学生寮完備)に進学した」という嘘までついて、それを本物だと誤認させるような証拠を並べたのだ。隠蔽工作まで隙を生じぬ数段構えとは、まったくもって恐れ入った。普段ならば絶対力を借りたがらない父親に頼ったということが、弟の本気具合を示している。力を貸した父も父だ。

 逃げるというなら追いかける。魔導具の職人になることを夢見ていたエドアルドが、その夢を棄ててまで魔法科に入り、死地に赴こうというのなら。クラヴィスに会わす顔がないと――あの日の地獄を招いたのが自分のせいだと思っているなら、それを否定しに行くのだ。自分の望むように生きていいと、罪悪感に押しつぶされることがないようにと伝えるために。

 

 

『お兄ちゃん、誕生日おめでとう! これ、僕が作ったんだ!』

 

 

 幼い頃のこと。満面の笑みを浮かべた弟が、手作りの魔導具をプレゼントしてくれた。青く輝く宝石をあしらったブローディアのブローチは、今でもクラヴィスの胸元に輝いている。

 クラヴィスは当時のことを思い返しながら、“守護”の花言葉を賜ったブローディアを模したブローチを撫でる。あの日の思い出と笑顔を慈しみながら、それを取り戻すための決意を滾らせて。

 

 

 

 

 ――クラヴィス・アイル・オルデンベルクがカメロパルダリスへの赴任を勝ち取ったのは、それからすぐのことだった。

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