「突然だけど、うどんを食べに行きたいと思います」
本当に突然、それこそ事前通知も前置きもなく告げたので、北沢さんはいったい何の話だろうという顔をしていた。
「うどんっ。食べるよ、あぶらーげ乗ってるやつ」
対して、俺の小さな友達は頭ではなく胃腸で考え即答してくれた、流石である。
「それで、どうしていきなりうどん何ですか?」
「あれ、北沢さんうどん苦手だった?」
「別に苦手というわけじゃ……いえ、私の好みの問題ではなくて──黒山さん、わかってて言ってますよね」
恒例のジト目に、俺は両手を上げて降参の意を示す。
最近は多少の悪ノリなら笑ってないけど許してくれるので、俺としては嬉しい限りであった。
「いやね? この度めでたく北沢さんがヒロインの座を射止めて、夢に向かって大きな一歩を踏み出したワケだけど、俺はそれをとても嬉しく思っているワケだけど」
俺はそんな風に、まるで時の経過を説明するように、話を続ける。
「ここは一つ、三人でお祝いしたいなぁと。きっと北沢家でも祝福があったと思うけど、俺にも祝わせてほしくて」
「別にそんな、わざわざ祝ってもらわなくても……黒山さんはむしろ、私からお礼をする立場ですし」
「なら俺へのお礼ってことでさ、うどんを奢らせてくれ」
「そのうどんに対する執着はどこから湧いてくるんですか」
まぁいいからいいから、と。俺は北沢姉弟と並んで歩く。
2月が終わり、3月も中頃にさしかかった今日の空は、気持ちがよいくらいに晴れていた。風はまだまだ冷んやりしていても、暖かな陽射しが俺たちを照らしてくれている。
時刻はそろそろ15時を回ろうとしていて、軽いうどんをおやつ代わりに北沢さんを祝おうというのが、俺のプランである。
「陸はあぶらあげのうどんが好きなのか」
「うん、あぶらーげ大好き。よしにぃ、お代わりしてもいい?」
「こら、りっくん。お夕飯入らなくなっちゃうでしょ」
「だそうだ、ここはおねーさんに従おう」
「は〜い」
なんてことのない会話だ。
日常的で、一般的で、普通で、普遍な会話だ。
そういう会話が、俺にはとても尊いものに思えた。
「そういや北沢さん。あの演劇、いつ始まるんだっけ?」
「ちょうど六月の頭からですね。黒山さんは……その、見に来てくれますか?」
そう聞かれて、俺は頭の中の予定表を開き、バッテンの付いている日にちを確認する。
「うん。たぶん大丈夫、間に合うと思う」
「……間に合う、とは?」
「その辺も含めて、あとで話すよ。うどん屋に着いたら」
「うどんは譲らないんですね、別にもういいですけど」
「だって水族館の側に新しいうどん屋があるって気がついちゃったら、それはもう行くしかないでしょ?」
先々月のことだ。
北沢さんは渾身の演技で、某劇場にて行われる舞台の、それもヒロインの座を勝ち取った。
北沢さんが照れ臭そうに言うには、ひねくれ屋の演出家をして『技術はまだまだ荒削りだが、この舞台のヒロインを演じるに相応しい心を、すでに持っている』だそうだ。
わざわざ合格報告のために電話をかけてくれた北沢さんは、俺のアドバイスがとても参考になったと、765プロの仲間と家族とそして俺に感謝していると、真っ直ぐ熱く語ってくれた。
稽古は厳しいと北沢さんは話すが、その顔には厳しさに負けた表情など一ミリも浮かんではいない。
彼女はきっと、彼女ならきっと、素晴らしい演技を完成させることだろう。
「必ず行かなきゃならないって話でもないはずですけど……うどん屋、ですか」
「なにか気になることでも?」
「いえ、友人に無類のうどん好きがいるので万が一にも鉢合わせたら、とか考えてしまって」
確かに、仮にその北沢さんのお友達と出会ってしまうと、一悶着あるかもしれない、色々と聞かれるかもしれない、誤解をされるかもしれない。
だが、しかし。
「都内にいったい何軒のうどん屋があると思うのさ北沢さん。そんなご都合主義的な展開、ありえないよ」
「そうですね。そんな偶然、ありえませんよね」
だって、全ては行動の結果なのだから。
■ □ ■
「ねぇねぇお兄さん。お兄さんって、志保ちゃんの彼氏なんですかー?」
のっけからなんてことを言いやがるこの美少女は!! と、俺は思った。
大きなアホ毛と外ハネの寝癖に、蕩けるような甘い声。
俺は知っている。
この少女の名が、伊吹翼であると知っている。
「えっ、ええぇぇえ〜〜っ??!! そ、そうなの志保?!」
君はもう少し人の発言を疑うべきだぞ。と、俺は思った。
元気を絵に描いたような、活発そうな容姿に声量。
俺は知っている。
この少女の名が、春日未来であると知っている。
「み、未来。声が大きいわ。こ、ここは落ち着いて」
そうだね、まずは君から落ち着こうね。と、俺は思った。
清流のように伸びた艶やかな黒髪に、澄んだ声。
俺は知っている
この少女の名が最上静香であると知っている。
そして俺は、三人三色の第一声を聞いた俺は、一先ずとりあえず場を収めるべく口を開いた。
「はじめまして。俺は二人のそこそこ離れた親戚で、黒山由人といいます」
■ □ ■
出題。
思い立ったが吉日の精神で入店したうどん屋で、連れの知り合いに出くわす確率を求めよ。
回答。
限りなくゼロパーセントに近い。ただし最上静香の存在を考慮しない場合に限る。
全てが行動の結果であるとするのなら、これもまた行動の結果だ。
俺は新しいうどん屋に陸と北沢さんを連れてこようと行動し、その頃最上静香もまた都内の新しいうどん屋に春日未来と伊吹翼を連れてこようと行動した。
ここにそれっぽい理屈を追加するのなら、俺と最上さんのうどんアンテナが似たような周波数に合わせていた。という事だろうか。
幸い、お昼時からは外れていたので、俺たちはそれほど待たずに席へつけた。
強いて言うなら、そこは六人用のテーブルで。
敢えて言うなら、俺たち三人の向かい側には三人の美少女が座っていた。座って、うどんを啜っていた。
彼女たち三人が六人テーブルで座っていたところに、俺たちが相席した形になる。
無論、というか当たり前のことだが、俺が彼女たちを知っていたのは、彼女らが765プロに所属するアイドルだからだ。
「なんだぁ、親戚のお兄さんだったのか〜。勘違いしちゃうところだったよ、でへへ〜♪」
「田舎暮らしが長かったからね、二人に案内してもらっていたんですよ、春日さん」
俺は化けの皮をかぶることにした。
黒山由人は北沢家の遠い親戚で、田舎から出てきて中々都会に慣れずにいて、時間のあいた週末には二人に案内してもらっている。という化けの皮を。
正直なところ、嘘偽りなく包み隠さず話すには、この関係は複雑すぎる。
しかし嘘だけはいけない。嘘だけはいただけない。騙る際に大切なことは、一部の真実を織り交ぜることだ。
「去年の11月は765プロのライブにも招待してもらって、すっかり皆さんのファンになってしまったんです」
「へぇ〜お兄さん、あのライブに来てたんですねっ。でもでも、わたしと未来は出てなかったしー、今度はいる時に見てくださいよ〜?」
「あ、あぁ。頑張ってチケットを当ててみせるよ」
同じ人間の喉から出てきたとは、信じられないくらいに甘い声だ。聞いているだけでクラっときてしまう。
俺は心を強く持った。
仮にクラっとして鼻の下を伸ばそうものなら、北沢さんにどんな目で見られるか。
そう思って北沢さんに視線を向けると、彼女の視線は陸に向けられていた。
しかし陸の視線の先に姉はおらず、彼の視線を受け止めていたのは、
「しずかお姉ちゃん、ホントにうどん好きなんだねっ。僕も好きだよ、あぶらーげうどん」
「ありがとう陸くん、うどんを好きでいてくれて。それはきつねうどんっていってね──」
「僕、しずかお姉ちゃんも好きだよ。お歌がすっごい凄かったの。えーっとね、ふぁんになったんだ」
「……とても嬉しいわ、陸くんのためにもお姉ちゃん頑張らなきゃ」
そう言いながら、最上さんは陸に笑いかけた。
あのライブで俺が、黒山由人が白石紬のファンになったように。
北沢陸も、最上静香という1人のアイドルを応援するファンになっていたのだ。
姉である北沢さんは別格で別枠で別段として、比べられないとして、陸は最上さんの歌に惚れ込んでいた。魅了されていたと言ってもいい。
で、北沢さんはそんな2人を、どういう目で見ればいいのか悩んでいる顔で見ていた。
ざっくり言うと複雑な表情をしていた。
彼女らのデュエットを聞いたことがある俺は、2人の関係性について、お互いにライバルとして捉えているんだろうなと見ていて。
友人でもあるライバルに弟がゾッコンで、きっと心中穏やかではないに違いない。
まぁその辺は北沢さんと最上さんの問題だ、存分に青春してほしいと願うばかりである。
俺としては、憧れの最上さんに会えて嬉しそうな陸を見られて、あぁ良かったなと思うのだった。
と、俺がそんな思いに浸っていたら。
「黒山さん、どこかに行っちゃうんですか?」
俺は一瞬、その言葉に一瞬、おおよそ思考と呼べるものが停止した。
一言にまとめるなら、呆然としてしまった。
ゆっくりと、声の方へと振り向けば、
「……春日さん?」
「あっ、ご、ごめんなさいっ。私ってば変なこと聞いちゃいましたよね」
「ホントだよ未来〜、まだ志保ちゃん達のうどん来てないのに、どっか行くわけないですよねー?」
伊吹さんからツッコミが入って、春日さんはでへへと笑った。
「なんだか黒山さん、志保ちゃん達のこと遠い目で見てて、そのままフワ〜って浮かんで行っちゃいそうだったから……なんて、おかしいですねっ」
「いや、別に気にしてないよ。大丈夫です」
顔では平静を装いながら、俺は内心ドッキドキであった。
これはもちろん現役アイドルと話せたから心臓が昂ぶっている、わけではない。
もちろん思わぬ出会いではあったが、それ以上に春日さんの言葉で、俺は驚いていた。
多分この人は、春日未来というアイドルは、物事の核ってやつを見る目がある。
観察力とか、洞察力とか、推理力とか、そんなの全く関係なくて。
直感で、そこにある真意を理解する。
だから、俺の目をみるだけで、あれだけで読み取れた。
すっごいアイドルがいたもんだ、いやホントに。
■ □ ■
その後、何事もなく普通にうどんを食べ終えて、あの三人は店を出て行った。
出会い頭に一悶着あって、色々聞かれて、誤解もされかけたが、それだけだ。
アイドルを生業としていても、今日のあの子達は友達同士でうどんを食べに来ただけで、そしたら俺たちがいた。それだけだ。
それだけ、なのだ。
日常ってのは、そういうもんだ。
「……はぁ。友人が、お騒がせしました」
「いやいや、俺も楽しかったよ。北沢さんの友達と話せて」
「しずかお姉ちゃん、また来てねだって」
困ったような、困ってないような、困っていないことに困惑しているような、そんな顔で北沢さんはうどんを啜る。
それはつまり、以前告白してくれたように、北沢さんが成長した証なのだろう。
友人を友人と、自分の中で認めるのも、また一つの強さだ。
こういうのって、案外やってみると気恥ずかしい事だったりするのだから。
「私の友人の話はさておいて、黒山さんは私に話があるんじゃないんですか?」
「うん。そう、そうなんだ。俺は北沢さんと陸に話があるんだよ、大事な話」
でもその前に、と俺はあらかじめ用意していた小包を取り出す。
「北沢さん、ヒロイン決定おめでとう。これは俺と母さんから、受け取ってくれるかな」
「あーっ、猫さんだ。黒い猫さん」
中に入っているのは、栞だ。
俺と母さんで、北沢さんにプレゼントしようと選んだ、黒猫の栞。
彼女は母さんの本をあの後も愛読してくれているらしく、その時に使ってもらえればとチョイスしたのだが。
贈り物を受け取ってくれた北沢さんは、それを胸に抱いて、
「ありがとう、ございます。大切にします、とても……嬉しいです」
「母さん曰く『その栞がクタクタになるくらい私の本を読んでね』だそうだけど、無視していいよ」
「ふふっ、黒山先生らしいですね。黒山さんも無視するように言うなら、最初から伝えなければいいと思いますけど」
「そこはホラ、あとでバレた時が怖いし」
言い訳じみた俺の反論に、北沢さんは愉快そうに口を歪め。
「黒山さんって、なんだかんだ言いつつ、結構お母さんっ子ですよね」
「そう……かなぁ?」
「そうですよ」
断じるように言われてしまった。
断言されてしまった。
俺に言わせてもらえば母さんの方こそ子煩悩というか、子供に色々と借りっ放しな子滞納であると思う。
「でも、こうして沢山の人に夢を応援してもらえるのは、本当に嬉しいです」
女優という夢を家族に仲間に、そして黒山家に応援されていることが嬉しいのだと、北沢さんは語る。
同感だ。
まったくもって同意見だ。
夢を掴むのは自分の手だけど、夢に近付くための手段は無数にあって、手は数があったほうがいい。
「応援してるよ、北沢さん」
「ありがとうございます、黒山さん」
夢を追う少女。
そんな彼女の力になれたのなら、それはとても素晴らしいことで、得がたい経験だ。
「ねぇ、よしにぃ」
「うん? どうしたー陸」
俺は北沢さんの夢を応援し続ける、それが結論だ。
で、それで、じゃあ次は、
「よしにぃの夢って、なんなの?」
俺の、黒山由人の夢を語ろう。
■ □ ■
昔、年数でいうと10年くらい前、俺は父さんの話を聞くのが好きだった。
世界を股にかける船乗りの、股下で起こった出来事を語ってもらうのが楽しみだった。
中でも特にお気に入りだったのが、クジラの話。
クジラは世界中の海にいて、世界中を渡る父さんは、世界中でクジラに出会った。
とんでもない巨体で悠々と、自由に、奔放に、大海原を泳ぐ彼らの話に、俺は心を奪われていった。
だから、将来はクジラになりたいと夢を見ていた。
「けどまぁ、当たり前なんだけど人はクジラにはなれないからね」
なので俺は、出来るだけクジラの側に居られる仕事ってやつを探した。
そうして見つけたのが、ホエールウォッチングのガイドだ。
観光客を船に乗せ、クジラの泳ぐ海域にまで行って、彼らの、クジラの話をする。
そう、かつて父さんが俺に話してくれたように、今度は俺が語る側になろう。
「今日二人にしたかった話ってのが、この夢に関係していてさ」
そして俺は、またもや嘘をつく。
「実はもう、ガイドの仕事の見習いをさせてもらえる事になってるんだ」
嘘をつくときは、真実を騙るときは、嘘だけでなく本当も織り交ぜて。
「『母さんの伝手』でね、とても良い話で、俺は是が非でも受けたいって思ってるんだ」
ウソもホントウはね、つきたいわけじゃない。
「でもその、職場ってのが海外でさ……元々は父さんの知り合い、って聞いてる」
でも、仕方ないじゃないか。
「向こうの事情で、いつ行くかは微妙にズレるんだけど、多分6月には間に合うはず」
俺に6月以降があるか、その先の人生があるかなんて、五分五分どころの話じゃない一分九分だ。いや、もっと低いかも知れない。
「けど向こうに着いて働き始めたら、そしたら俺はもう、そのまま帰ってこないと思うんだ」
だから、その時は。
俺が帰ってこられなかった、その時は。
「その時は、お別れだ。お別れを、しなくちゃいけない」