どうしてこうなった。
俺の脳内は何故だのwhyだの、ものごとの原因を求める言葉で埋め尽くされていた。
「水族館、楽しみだね!!」
「あ、あぁ。そだな、俺も楽しみだよ」
右耳から聞こえるのは、俺の小さな友達、北沢陸の声だ。そりゃーもう聞いてるだけでウキウキっぷりが伝わってくる声で、俺の心の半分は陸と同じように喜んでいる。
しかし、もう半分は呑気に喜んでる場合じゃねぇぞと警報を鳴らしっぱなしであった。
あ、冷や汗出てきた。
「……あの、大丈夫ですか?」
「は、はい。大丈夫です」
嘘です。全然全く、これっぽっちも大丈夫なんかじゃありません。
ジトっとした目線で俺の様子を窺っているのは、黒髪黒目の美少女だ。顔立ちは陸とよく似ていて、それでいてクールビューティって言葉がピタリと当てはまる、そんな女子だ。
さて、状況を確認しよう。
陸の左側には俺がいる。そして右側には、姉である北沢
俺たち三人は歩いている。
つまるところ、左から俺陸北沢姉の順に並んで歩いているのだ。
いやホント、どうしてこうなった。
なぜ、俺がまたこうして陸と水族館へ行くことになったのか。
なぜ、北沢姉も一緒にいるのか。
話は、ぴったり1ヶ月前まで遡る。
■ □ ■
東京都○□区。
その一角に建つマンションの、そのまた一角が俺の家だ。より正確には、俺と母さんの家である。
2LDK、最寄りの駅までは徒歩9分、都会生活が短いのでこれが良いのか悪いのかはイマイチ分からんが、確かなのは前の一戸建てよりは狭いってこと。
ただしIHはすっごい便利なので、プラマイゼロにしてもいい。
母さんは火力が足りないとぼやいてたけど。
「ただいまー。あー良い匂い、なに作ったの?」
「お帰り、昨日のシチューでドリアだよ」
「おっ、いいね」
噂をすれば、家主様のお帰りである。
母、黒山恵子は小説家だ。和風ファンタジーを中心に物語を書いていて、本人曰く界隈じゃすっごい有名人、らしい。
今までに母さんの有名人らしさってのを感じたことがないので何とも言えないけど、小説は好きだ。作品に優しさを感じるというか、その世界に入ってみたいと思わせる力がある。
出来ることなら時折死にそうな顔で訪ねて来る編集の岡田さんにも、その優しさの半分でいいから分けてあげて欲しい。
まぁ岡田さんの胃は置いておくとして、腹も減ったし食事にしよう。
洗面所から戻ってきた母さんと配膳をすませて、席に着く。
「「いただきます」」
夕飯の献立はドリアとサラダ。
ドリアは昨夜のシチューで作ったもので、今日残ったサラダは明日の弁当に回すつもりだ。
「そういえば、今日水族館行ったんでしょ? どうだった、こっちの水族館は」
「なにもかもデカいって感じ、やっぱスケールが違うわ」
「都内最大だからねぇあそこ。でも由人、それ以外で何かありましたって顔してるよ」
なぜ分かったし。
ナチュラルに心読むのは止めてくれませんかね。いや、俺が顔に出やすいだけか。
別に隠すつもりもなかったけど、てか話さなきゃならない事もあるので、早いうちに言ってしまおう。
俺は、水族館で出会った北沢少年との話を打ち明けた。
すると、母さんは思案顔になって、
「私、その子のお母さんがなんて言ったのか分かったかも」
え、マジで? まだ陸のお母さんに呼び止められた件までしか話してないのに?
「由人さー、そのお母さんから、連絡先とか預かってたりする?」
「……えぇ。いや、確かに母さんと話をさせて欲しいって言われたけどさ、母さん探偵になった方が良いんじゃないの?」
「そうだね、今度は探偵モノに挑戦してみようか」
確かにあの後、北沢さんに『もしご迷惑でなければ、一度そちらの親御さんとお話しさせて欲しい』と頼まれた俺は、ホイホイ連絡先を交換したのだけれども。
その先の展開については全然知らない。
確かに状況はちょーっと複雑だし、大人同士で話をつけた方が良いのかね。
着地点は何処にあるのだろう。
食事を終えると、母さんは早速電話を手に取り連絡を始めた。
「もしもし、北沢さんのお宅でしょうか? わたくし黒山と申します。はい、そうです。あぁ、いえいえ、うちの子がお役に立てたのなら。それで……」
話は長引きそうだし今のうちに食器の片付けと風呂の掃除、それと洗濯物も畳んでしまおうかな。
一応、我が家の家事は当番制だ。その、食事に関しては、母さんは独特の味覚を持っているので俺が立候補することが多いけど。
で、十数分後。
俺がお風呂掃除をしていると、開きっぱなしの扉から顔を覗かせて、母さんは一方的に告げてきた。
「由人、あんたの事だから1ヶ月先の予定なんて埋まってないよね? 空けといて」
「えっ、なにさ急に、どっか行くの?」
「水族館、行くよ」
それだけ言って、母さんは顔を引っ込めた。と思いきや、
「そうそう、北沢さん達も一緒だから、心構えをヨロシク」
「…………はぁ?!」
もう一回顔を出して、とんでもない爆弾を落としていった。
■ □ ■
以上、回想終わり。
かいつまんで説明すると、陸と俺のやりとりを見ていた北沢さんが色々と考えてくれて、親同士での話し合いの結果、じゃあ一回直接会いましょうかとなったらしい。
んで予定を擦り合わせた結果、一月後の今日に白羽の矢を立てたわけだ。
どうしよう、お互いの親がアクティブ過ぎて付いていけない。
しかも当の本人達は二人で話しながら遠巻きに俺たちを見てるし、母さんは若い三人で楽しんでねー。とぬかし始める始末。
陸と二人ならなんの問題もないけども、北沢姉が同伴してるとなると心中穏やかでないのが本音だ。
加えていうと、陸が浅瀬側のタッチプールに行ってしまった。
混雑時には中学生以上の入場を遠慮してもらう仕組みのため、今は俺と北沢姉が並んで陸を見守っている状況。
つまり二人きりだ。ハッキリ言おう、すっごい気まずい。
なんせ自己紹介の時くらいしか真面に話していない相手なのである。
例えるなら友達の友達と二人きりになった気分だ。俺と貴女は友達じゃないけど、俺の友達と貴女は友達状態だ。
場を持たせるために何か話さなきゃという気持ちと、何を話せってんだこの野郎という気持ちが同居してる。
しかし、流石に黙ったままでは感じが悪い。向こうからして見れば、俺はなぜか弟が懐いてる他人なんだし。
さぁ、話しかけるぞ。覚悟を決めて、それ、
「「あの」」
かぶった。
どうしよう、相手に譲るべきだよな。あれ、譲っていいのか?
いいや、譲ろう。
「えと、お先にどうぞ。北沢さん」
「はい。その、ですね」
なんだろう。なにを言われるんだろう。
俺が転校当日の挨拶よりもテンパっていると、
「敬語は、止めてもらえませんか。黒山さんの方が歳も上ですし。不自然な気がします」
な、なるほど。確かに明らかに年配の俺が敬語で話していては向こうもやり辛いのかも。
「分かった。それで北沢さんのことは、なんて呼べばいいかな?」
「えっ」
「え?」
あれ?
「あの、私のことはそのまま呼んでくだされば、それで」
「あ、うん。分かり……ったよ」
土に還りたい。
いや、だってさ。話し方を変えるなら呼び方も変えた方がいいのかなって思うじゃん?
しかも彼女になにを言おうとしていたのかもすっぽ抜けてしまった。
再び形容しがたい沈黙が訪れ、俺が陸の帰りを心待ちにしていると、
「以前お会いした時、黒山さんが陸に言っていた台詞」
ポツリと、独り言のように北沢さんが話し始めた。
「『別れは、決して悪いことではない』」
「あー。もしかして、聞こえてた?」
「はい、別に聞き耳を立てていたつもりは。でも、聞こえてしまって」
ヤバい。今になって思い返すと、かなり赤面ものな発言をしていたはずだ。
「あれって『さらば妖怪』からの引用、ですよね」
「そうだけど、知ってたんだ」
「同り……友人が、黒山先生のファンなんです。それで、何冊か貸して貰って。『さらば妖怪』は心に残っていましたから」
『さらば妖怪』は母さんの執筆した作品だ。
心に傷を負った女性が妖怪の住まう世界に迷い込み、多くを学び立ち直って、そして最後には妖怪達と別れて、この世界に戻ってくる。
あの台詞は別れを決意した女性に、友である妖怪が残した言葉だった。
「私も、あの台詞に共感したんです。別れてしまっても、楽しい思い出が無かったことにはならないって」
なにかを噛みしめるかのように呟く彼女に俺は、
「あの台詞なんだけど、元ネタ……というか実際に使ってた人がいたんだ」
「実際に、ですか?」
「そうそう、俺の父さんがね」
どうしてか、語らずにいられなかった。
「父さんは船乗りで、あちこちの港を回るんだ。だから、一度行った場所にまた寄れるとは限らなくて」
一年のほとんどを船の上で過ごす人だった。塩からい匂いの帽子をかぶって、抱き上げてもらうと潮風に吹かれてるかのようだったのを覚えている。
「それで、あの台詞を」
「うん。もう会えないかも知れない友達に、いつでも会えるようにってね」
大切なのは、忘れないでいること。
忘れなければ、思い出した時に会えるんだって父さんは言ってた。
「俺も最初はよく分かってなかったんだけど、今になって思うとそれを伝えたかったん──」
ふと、視線を横にそらす。
そこには当然北沢さんがいて、意外そうな顔で俺を見ていた。
「前にも思いましたけど、けっこう話される方なんですね黒山さんって」
言われてみると、調子付いて余計な口まで回っていたような気がしてくる。
「ご、ごめん。こんな話したことなくて、つい」
「いえ、作品の裏話を聞けたみたいで、面白かったです。──お父様のこと、お好きなんですね」
「あー、そうなんだ。今でも好きだよ、もちろん」
北沢さんは俺の返事に首を傾げたが、面白いと感じてくれたのは本気らしい。
裏話か、そういう話ならいくらでもある。母さんは家でも作品の構想を練るのだが、思考の整理とか言って俺に話して聞かせるのだ。
アウトプットすることで道筋が見えてくるとか、なんとか言っていたけど。
こんなところで役に立つとは。
「おねえちゃん、よしにぃ。ただいま!!」
しかし俺たちが話しているうちに、小さな友達が戻ってきてくれた。
北沢さんは顔をほころばせると、惜しみない笑顔を向ける。
「おかえりなさい、りっくん。楽しかった?」
「すっごく楽しかった。ヒトデとね、カニがいたんだ。ヒトデはね、手が五本あるんだよ」
右手をパーにして報告する陸に、俺はその細い指を手にとって、
「あのな陸、ここだけの話。あれって全部頭なんだ」
「……そうなの?」
「そうだ。んで、裏に生えてた細いピロピロが本当の手だよ」
「あれ、ぜんぶ……」
驚いてる驚いてる。俺も初めて知った時は信じられなかったし、普通あっちが手だと思うよな。
すると、ヒトデの裏から無数の手が伸びる様子を想像したようで、表情を曇らせる陸の……と、なぜか北沢姉の顔まであった。
「──あの、黒山さん。それって本当なんですか?」
「うん、あれで海底を移動するから、手と足の両方って感じだけど」
俺の回答に、気のせいか顔色まで悪くしはじめる北沢姉弟。ひょっとして、この手の話は苦手だったのだろうか。
「そ、それじゃあ、次の場所に行こうか」
「うん、いく」
「そうですね、行きましょう」
この姉弟の前では海にまつわる不気味な話を控えようと、俺は密かに誓った。
■ □ ■
始まる前は不安でも、いざ実行すれば楽しかったりするもので。
俺たちの週末が、終わろうとしていた。
今日もかけなしに楽しかった。
陸にはあちこちで説明をねだられて、高い水槽の前では肩車をさせられて。
北沢さんとは、母さんの小説という共通の話題があったおかげで案外普通に話せていたと思う。ありがとう母さん、こんなに感謝したのは久しぶりだ。
「私たちはあちらのホームなので、お話できて良かったわ北沢さん」
「こちらこそ、黒山先生にはとても楽しませてもらって」
「もう、先生はやめて下さいってば。お互いに多忙だけれど、またお会いしましょう。約束ね?」
「はい。心待ちにしていますね」
「よし決まり。あ、そうだ忘れるとこだった。これ渡そ──」
と、大人同士が大人の会話をしているその横で、
「陸ー、元気でな。風邪引くなよ、早く寝て早く起きるんだぞ」
「あはは。よしにぃ、おねえちゃんみたい」
「そうだなぁ。なら、おねーさんの言うことをしっかり守ろうな」
「うん!! またねっ」
「おう、またねの握手だ」
小さな右手をしっかり握って、俺たちの友情を確かめる。
北沢陸と黒山由人の、再開を約束する握手だ。
「北沢さんも、今日はありがとう」
「こちらこそ弟がお世話になりました」
キレイな会釈に、簡潔な言葉遣い。
出会った時の印象を一切崩さないクールっぷりである。
ただ、それだけではなくて、とても家族想いの少女だと今は知っている。
別々のホームへと歩きながら、母さんは俺の肩をパシっと叩き、
「楽しかったわね。プライベートで誰かとお喋りするなんて久しぶり」
「へぇ、よかったじゃん。あと叩くのは止めよう」
「由人も、幸せそうな顔してたじゃない? ──なんか、安心しちゃった」
そりゃどうも。と返して今日という日を思い返す。
確かに、とても良い日だったと書残せそうな、そんな1日だった。