北沢少年と俺   作:パンド

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北沢志保と七尾百合子

 北沢志保には、自分が社交的な性格ではないという自覚がある。

 

 765プロダクションに所属する新人アイドル──いわゆるシアター組の中でも、積極的に話しかけるタイプではないし、話しかけられたとしても簡潔に済ませてしまう癖があった。

 現実主義的で個人主義。それがアイドルとしての自分だと思っているし、こういう性格はいつまで経っても変わらないんだろうなという気持ちも強い。

 決して情熱や親睦に対する理解がない。わけではないのだが、それはそれとして物事に一人で没頭するのが彼女の(さが)なのだ。

 とはいっても、そんな志保を放っておかない人達が彼女の居場所には大勢いる。

 最近は、彼女らを煩わしく感じることが無くなりつつあることも、彼女は知っていた。

 

 さて、以上を踏まえてもう一度言おう。

 北沢志保には、自分は社交的な性格でないという自覚がある。

 そんな彼女にとって、これからやらねばならない事は、大きな覚悟を伴う行為である。

 つまり、だ。

 

(百合子さんにこの本を渡すだけ、百合子さんにこの本を渡すだけ、この本を──)

 

 母から託された『黒山恵子のサイン入り著書』を同僚である本の虫、もとい七尾百合子へ無事に送り届けなければ、北沢志保の心に平穏はやって来ない。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

 一ヶ月ほど前の話だ。

 

 母が仕事先でもらった水族館のチケット、その有効期限切れスレスレで休みを合わせられた北沢一家は、都内の水族館を訪れていた。

 弟である陸のはしゃぎ様は凄まじく、初めての水族館に対する期待で満ちていた──のだが、お土産屋で目を離した間に、陸は迷子になってしまった。

 

 ──自分がしっかり見ていなかったから。

 

 志保は、目の前が真っ暗になりそうだった。

 母はアナウンスをして貰えば大丈夫だと言ってくれたが、結局じっとして居られず探しに出た。

 しかし弟を見つけたのは自分ではなく、焼けた肌が印象的な青年で。

 青年は、黒山由人と名乗った。

 

 そしてつい先日。黒山由人と彼の母親である作家の黒山恵子、そして北沢家の五人で再び水族館へ行く運びとなり。

 改めて二人のやり取りを見ていた志保は、由人の弟への接し方が、まるで対等な友人へのようだと感じた。

 幼い弟の気持ちを尊重する彼の言動に、なんとなしに一応は信用できる人かもと、そんな風に思い始めた。

 陸は言わずもがな、母もあっという間に黒山先生と仲良くなり、自分だけが取り残されているかのような感覚だったが、まぁ悪い方には転ばないのではないか。

 しかし、そう思えるようになった志保を、思わぬ試練が待っていたのである。

 

 今朝になって母親から告げられた言葉を、志保はまるっと覚えていた。

 

「いけない、忘れるところだった。志保、この本なんだけどね、この間話してくれた黒山先生のファンの子に渡してあげて欲しいの。きっと喜んでくれるわ」

 

 こんなことを頼まれて断れるように、北沢志保の心は作られていない。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

 765プロライブ劇場(シアター)は、大きく六つのエリアに分けられている。

 

 シアターの顔とも呼べるエントランス。

 ここでは受付だけではなくグッズの販売も行っており、飾られたポスターを見れば直近イベントの詳細が分かる。このシアター内でも、二番目に煌びやかな場所だ。

 そしてもちろん最も意匠に凝ったエリアが、アイドル達のパフォーマンスを披露するステージ、又の名をライブホールである。

 ライブホールの裏手には、本番を控えたアイドルが着飾る為のドレスアップルーム。

 もう少し歩けば、彼女達が日々レッスンに勤しむレッスンルームが迎えてくれて、その奥には空き時間を過ごす部屋として控え室が用意されている。

 

 

 1時間半後にレッスンを控えた志保は、目的を果たすべくエントランスに続く正面入り口──ではなく、職員用の裏口から765プロライブ劇場の要とも言える、事務室に向かっていた。

 

(まずは事務所で百合子さんの予定を確認して、と。あそこで読書をしていてくれたら話が早いけど……)

 

 携帯には連絡を入れても返事がなかったから、おそらくマナーモードで気がついていない。

 となると、まずは百合子を探すところから始めなければならない訳で。

 どうか事務所に居てくれますようにと願いながら、志保は扉を開いた。

 

「おはようございます」

「おっはよーしほりん!! 今日はちょっぴり早いんだね!!」

 

 元気溌剌を人型にこねくり回して服を着せた少女、それが高坂海美である。

 ただ元気というだけでなく、そのダンス技術の高さはシアター内でもトップクラス。

 溢れんばかりのエネルギーを実際に溢れさせて、行動がいちいちダンサブルな彼女に、志保は少なからず憧れを抱いていた。

 自分がそっくりそのまま服を着た元気溌剌になりたいという意味ではなく、どれだけ動き回ったあとでも力強くダンスを踊ってみせる海美のパフォーマンスに、一目も二目も置いていたのだ。

 

「はい、少し用事があって。海美さん、今お一人ですか?」

 

 だとすれば、少し困ったことになる。

 百合子を捜すにあたって、事務員である青羽美咲の助力を得られればと思っていたのだが。

 

「ううん? 多分そろそろね──」

「やっと見つかりましたぁ。あっ、志保ちゃん、おはようございます」

 

 噂をすれば、一見この人もアイドルなのではと思わせる容姿の事務員、青羽美咲の登場だ。

 どうやら横にある資料室で調べ物をしていたらしく、頭には少量の埃を乗せたままであった。

 

「おはようございます、美咲さん」

「あははー美咲さん、埃かぶってるよ。取ったげるね!!」

 

 指摘をされると、美咲は照れくさそうに笑いながら。

 

「ありがとう海美ちゃん、資料室も掃除しないとだねえ」

「いいね大掃除、私も力になるよっ」

「頼りにしてるね、海美ちゃん」

「任せてっ、超任せて!!」

 

 そろそろ話しかけても大丈夫かなと、志保は思った。

 普段自分から話しかけることが少ないので、彼女は会話のタイミングというものを測りかねていた。

 先日、黒山と二人きりになった時もなかなか話を切り出せず、あまつさえ出だしを被せるという失敗を犯したのだ。

 同じ失敗は繰り返すまい。

 

「その、美咲さん。お時間大丈夫でしょうか?」

「うん、平気だよ。どうしたの志保ちゃん?」

「百合子さんを捜しているんですが……連絡が通じなくて、スケジュールを確認したいんです」

「分かりました。そういう事なら、ちょっと待ってね」

 

 デスクに座りマウスを動かす美咲の姿に、これで万事解決だと、北沢志保は安堵した。

 居場所がわかれば、あとはそれとなく渡すだけ。仮に会えずとも、今日はスケジュールが合わないという理由が生まれるのなら、とりあえずは気が落ち着く。

 

 

 しかし、そうは問屋が卸さない。

 

「あれ、もう劇場に来ているのかも。打ち合わせは30分後だけど、百合子ちゃんいつも早いから」

 

 確かに、彼女は本に熱中するあまり時間を忘れたら危ないからと、普段から予定よりも1時間近く早めに来ていることが多い。

 なので、この劇場内のどこかにいるはずだと、美咲はモニター越しに顔を覗かせる。

 でも、それはおかしな話だ。

 仮に百合子が劇場に来ているのなら、事務所に顔を出すはず。それなのに、百合子を見たという話は聞かなかった。

 

「百合子ちゃん、私が資料室にいる間に来ていたのかも。海美ちゃんは会わなかった?」

「んー、見てないなー。でも、私途中でお手洗いに行ってたから、その時かも」

「海美さん、失礼ですが何分前のことか覚えていますか?」

「確か……15分くらい前だったかな?」

 

 それは、つまり。百合子は現在から15分前までのどこかのタイミングで劇場に到着し、事務所には来たものの誰にも会わなかった、と。

 

「お二人共、ありがとうございました。私は百合子さんを捜しに行ってきます」

「もし百合子ちゃんが事務所に来たら、志保ちゃんに連絡するよう、伝えておくね」

 

 助かります、と美咲に告げる。すると何処からともなく──訂正、海美の肩から伸びた両手が志保の手を取り。

 

「ゴメンね、しほりん。手伝ってあげたいんだけど約束があって」

「お気持ちだけ、受け取らせてください。では」

「今度埋め合わせをするからね!!」

 

 投げかけられた言葉を聞こえなかったことにして、志保は事務所を後にした。

 特に埋める穴を掘られたつもりもなかったからだ。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

 事務所に一番近いドレスアップルームは案の定無人だったので、志保はシアター内をしらみつぶしにするべく──と言っても、ライブ関係以外では原則として立ち入りを禁じられているライブホールは候補から外れるので、残りはエントラス控え室レッスンルームの三ヶ所だ。

 

 楽勝である。

 

 

「はぁ、それで困っていらっしゃるのですね」

「はい、なぜか全部屋捜しても見つからなくて……」

 

 楽勝のはずであった。

 

 15分後。

 無駄に劇場を歩き回って精神的に疲れた志保に、日本人形然としたアイドル白石紬は事情を聴き終えそう言った。

 最後の候補であった控え室もスカで思わずため息を吐いた志保──を見て、自分が吐かれたのだと勘違いした紬がうろたえる一幕もあったのだが、割愛。

 ともあれ、これで振り出しだ。いや、むしろ振り出しより悪いかも知れない。

 居るはずの人間を捜すのと、居るはずなのに居ない人間を捜すのでは、意味合いが全く変わってくる。

 次はどうしようか、志保が頭を悩ませていると。

 

「あの、紬さん。紬さんなら、百合子さんを見つけられませんか?」

 

 祈るような声だった。

 声の主は、先程まで紬と同じく志保の話に耳を傾けていた少女だ。

 ファンからは妖精のようだと喩えられるアイドル、名を箱崎星梨花という。

 

「紬さん、次の企画で探偵さんになるんですよね? 志保さんの力になってあげてください!!」

「えっ、ええ、うち?! あの、そのですね、探偵と言われましても、私はあくまで探偵役で……」

「ちょっと星梨花、それは無茶なんじゃ──」

 

 箱崎星梨花は本気だった。本気で紬なら何とかできるのではないかと、そう思っている顔をしていた。

 白石紬はがんこ焦った。そして探偵役を演じるにあたっての心構えを星梨花に語ったことを後悔したが、同時に期待に応えなければとも思った。

 北沢志保は、紬がパンクする前に事態を収拾しようとした。

 

 そして、

 

「──紬さん、お願いします」

「わ、分かりました。私にお任せください」

 

 志保は、もう本に関しては事務所に預けてしまおうかなと思い始めた。

 ただ、話を打ち明けた以上は最後まで見届けようという責任感もあったので、ひとまず紬の話を聞くことにした。

 ギュッと握ったこぶしを睨みつけ、紬はハッとなにかに気がついた表情を浮かべると。

 

「志保さん、分かりました。貴女がなにゆえ、百合子さんを見つけられないのか」

 

 ゴクリと、唾を飲んだのは志保か、それとも星梨花であったか。

 

「貴女方は、お互いに移動し合っているのです!!」

 

 つまり、探偵白石紬の推理はこうだ。

 志保は事務所を出て順番に劇場内を回ったが、百合子もまた同じように移動しているため、二人は出会うことがないのだと。

 

 すると彼女の推理を聞いた星梨花は、感激と書いてある顔で。

 

「す、凄いです!! 流石です紬さん!! これで解決ですね!!」

 

 果たしてそうだろうかと、志保は考えた。

 一見筋が通っているかの様にも思えるこの推理、よく見直して見渡せば──。

 

「志保さん、原因が判明したのならやるべきは一つです」

「そうですね。紬さんの推理通りなら、このまま待っていれば──」

「さっ、お立ちください。普段の倍の速度で歩けば、きっと百合子さんを見つけられます。私も共に参りますから!!」

「えっ、その、どうして」

「紬さん、志保さん、頑張ってください!!」

 

 なんで大人しく待たないのか、とか。

 こんな時でも歩きは守るんですね、とか。

 でも早歩きって案外疲れますよ、とか。

 紬さん一緒にくる必要あります? とか。

 そもそも紬さん推理結構穴が、とか。

 

 それら全てを口に出すことなく、陶磁器のように白く滑らかな紬の手に引かれて、志保は早歩きで連れ去られていった。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

 骨折り損のくたびれもうけ、という言葉がある。

 

 努力に対して結果が実らず、ただ疲れるだけに終わることを指す言葉だが、この現状はまさしくそれだ。

 結局あの後、劇場内を早足で2周ほどしたが百合子は見つからず、言い出しっぺの紬はレッスンの時間だぞとトレーナーに連行されてしまった。

 志保は疲労の溜まった脚を労ろうと、一人エントラスに座り込んでいる。

 今日はまだ途中だが、すでに一日分の働きをした気分だった。

 本一冊を届けるのに、どうしてこうも苦労しているのか。

 今日は好きな絵本を読んで、好きなぬいぐるみを抱いてしっかり休もう。

 

 そう決めて、目線を上げると。

 

 

「あれ、志保。どうしたの? こんなところで座ってるなんて」

 

 捜し人である765プロきっての読書家、七尾百合子がそこに居た。

 

「百合子さん……今、劇場に?」

「うん。電車が遅れちゃって」

 

 電車に乗って居たのなら、連絡がつかないのも納得だ。きっと百合子の事なので、スマートフォンには目もくれず読書をしていたに違いない。

 途中から薄々感づいてはいたが、やはり百合子は劇場に居なかったのだ。

 自分の行動がまったくの無駄であったと判明し、気にしていないと言えば嘘になる。

 しかし、これでやっと目的を果たせるのだから、この際細かい点は抜きにしよう。

 志保は預けられていたサイン入りの『さらば妖怪』を取り出し、百合子へと差し出す。

 

「百合子さん。もし良ければ、この本を受け取ってもらえませんか。お渡しするように頼まれているんです」

「へっ、私に? わぁ、ありがとう志保。何の本なの……か、」

 

 そこまで言って、七尾百合子は完全に停止してしまった。

 まるで、百合子だけが世界から取り残されたみたいだと、志保は思った。

 

「あわ」

「泡?」

「あわわわわわっわわっわわ」

 

 動き出したのは良かったが、どうも言語中枢に不具合があるようだ。

 志保は一旦、百合子から本を取り上げることにした。

 

「落ち着いてください百合子さん、そんなに動揺しなくても」

「だ、だって志保。黒山恵子先生の直筆サイン入り著書なんて、どこで手に入れたの?」

「その、母が先生の友人なんです。それで以前、百合子さんに先生の本を勧められた話をしたら」

 

 嘘は言ってない。

 志保の母が黒山恵子と親しくなったのはここ数日の話だが、友人となったのも事実なのだから。

 百合子は納得してくれたようで、改めて本を受け取ると、感極まった表情で抱きしめる。

 

「ありがとう志保。お母様にも伝えてもらっていいかな? あとは、その、黒山先生にも……」

「母への件は任せてください。黒山先生には、母に頼んでみます」

「うん。家宝にしますって伝えて欲しいんだ!!」

「か、家宝にですか。本当に黒山先生が好きなんですね、百合子さん」

 

 百合子は当然じゃないかと言わんばかりの気迫で。

 

「もちろん!! 和風ファンタジーの伝道者だよ?! あの世界は黒山恵子にしか作れない、悲劇の作家なんて言う人もいるけど、私はむしろその前の作品こそ──」

「すみません。待ってください百合子さん」

「──どうしたの、志保?」

 

 熱く語る百合子に、冷ますような真似をしたことは申し訳ないと心から思う。

 だが、その一言は聞き逃せなかった。

 聞き逃すわけには、いかなかった。

 

「黒山先生が、悲劇の作家って……どういうことなんですか?」

「あっ、ごめんなさい志保。お母様のご友人だって聞いて、てっきり知っているのかなって。本当にごめんなさい」

「いえ大丈夫です、気にしてはいません。ただ、そのお話は聞かせてください」

 

 百合子は悩んだ。

 伝えるべきか、否か。

 志保が興味本位で質問しているわけでないというのは、彼女の眼を見れば明らかだ。

 軽々しく吹聴してよい話ではない、だがその気になって調べれば1分で分かってしまう事でもある。

 せめて自分の口から伝えた方が良いのではないか。

 そう、結論を出した。

 

 

「あのね、黒山先生は『さらば妖怪』で賞を取る前年に──旦那さんを、亡くしているの」

「っそれは、何年前の話ですか?」

「今から8年前だった筈だよ」

 

 熱烈なファンである百合子の言葉だ、年数に間違いはないだろう。

 だとすると、あの青年は、黒山由人は8年前……彼が8歳の時に、父親を亡くしている計算になる。

 

 それは彼女が、北沢志保が父親を失った年齢と、ぴたりと一致していた。

 

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