北沢少年と俺   作:パンド

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北沢志保と問題

 

 どうしてあんなことを聞いたのか、志保は自分でもよく分からなかった。

 

 

 先日のライブは大盛況だった。

 他ならぬステージに立っていた志保は数日が過ぎた今でも、その光景を好きなだけ、まぶたの裏に投射できる。

 それは自身の所属するfairyチーム総出演の、今年一年の集大成となるライブで。

 メンバー全員が文字通り、それぞれの壁をのり超え到達したステージだった。

 あの場に立てたことを、あの中の一人で在れたことを、北沢志保は心から誇りに思っている。

 

 で、問題はその晩の話だ。

 実を言うと、件のライブは志保にとって、つまり北沢志保個人にとっても特別なものだった。

 最愛の弟である北沢陸に、初めて自分のライブを直に見てもらえたのだから、彼女の喜びは推して知るべしだ。

 でもそれは問題ではない、全然問題ではない、問題にすらなっていない、だって歓ばしいことなのだから。

 それを言ってしまうと、その問題がまるで喜べないことのように聞こえてしまうが、別にそう言うわけでもないのであった。

 中学2年生女子14歳の心もようは複雑極まりない。

 

 彼女の抱える問題とは、そう──黒山由人についてだ。

 

 黒山由人という大柄で日に焼けた、それでいて親しみやすい笑みが特徴の高校生と、北沢志保との間柄をズバリ一言で表すなら『複雑』だ。

 やや似たような境遇で、歳上で、弟の友人で。

 つまり、黒山と志保の関係は複雑なのだ。

 志保は彼に、色々と借りのある立場にあった。

 4ヶ月前。彼が迷子になっていた弟を助けてくれたことを皮切りに、弟の恐らくは一番仲の良い友達になってくれて、母も今や月2回ほどの頻度で会話に花を咲かせる友人──黒山恵子と出会いこれまで以上に活力を得て、極めつけに弟をライブに連れて来てくれた。

 彼との出会いは志保にとって、いや北沢家にとって、幸か不幸かで問われれば、間違いなく幸運であった。

 そんなこんなで、北沢志保は黒山由人に借りがあって、恩がある。

 恩というのは返すために感じるものだ。

 

 だから、なのだろうか。

 志保が黒山に、電話で自らの歌の感想を求めたのは。

 彼が本心から賞賛してくれれば、それで少しは恩返しになると、そんな風に思ったからなのか。

 もしくは──。

 

 

『○▲〜○▲駅〜降り口は左です』

 

 などと考えているうちに、志保を乗せた電車は目的地に着いてしまった。

 電車を乗り過ごしでもすれば、歌が大好きで仕方のない友人のことを言えなくなってしまう。

 電車を降り、ホームから階段を上がり、改札を通って街中に出る。

 行き先はいつもと同じ、いつもの場所。

 しかし彼女の心はとても、いつも通りとはいえなかった。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

 電車ではあれこれと考えてしまったが、実は先日の晩、志保は黒山に頼みごとをされており、こうやって堂々と恩を返す機会を得ていた。

 頼みごと、その内容は言伝だ。

 黒山がライブでお世話になった方へと、あるアイドルへの伝言を志保は頼まれていた。

 たかが伝言、されど伝言。

 常人からすれば取るに足らない容易い伝言も、一匹狼気質な志保からすれば大冒険だ。

 前回。本一冊を届けるために労した時間を、彼女は決して忘れていない。

 とはいっても、今回の相手はどちらもレッスンで合う予定があるため、以前のように劇場中を探し回る必要はない。

 なので、合ったら合ったで合った時に、面と向かって伝言を済ませればいい、それだけだ。

 

 それだけだから今日も頑張ろうと、志保は思った。

 

「おはようございます」

「おはよう志保、今日も早いのね」

「いえ、千早さんほどでは」

「私は午後から入ってるインタビューの練習があって、空き時間をここでストレッチしていただけよ」

 

 レッスンルームの扉を開くと、中には先客がいた。

 如月千早。

 大勢いる765プロの同僚先輩たちの中でも、志保が特に尊敬している彼女は、今日も綺麗なフォームでストレッチに励んでいた。

 どうやら千早は早いうちに劇場を訪れ、先ほどまでインタビューの受け答えを確認していたらしい。

 志保としては、それを込みで今日も早いんですねと思ったが、口には出さなかった。

 これは志保にとっても、理想のシチュエーションであったからだ。

 というのも、黒山に伝言を頼まれた相手というのが、この如月千早であるからで。

 より正確には千早の母親である如月千種こそが黒山の言葉を伝えたい相手なので、この場合志保は言伝の伝言を頼まれた、ということになる。

 

 思い通りの展開だと、志保は思った。

 今このレッスンルームは千早と志保の二人だけ、二人きりの状況だ。

 あと数十分もすれば予定の入っている残りの二人も来るけれど、できれば二人きりのうちに要件を済ませてしまいたい。

 なぜなら残りの二人のうち、そのまた一人はこういう話に敏感で、面白おかしく盛り上げて、井戸端会議のオバちゃんよろしく話を劇場中へ拡散する恐れがあるからだ。

 ゆえに早いところ要件を済ませてしまおうと。

 

 

「「あの」」

 

 最近これ多いなと、北沢志保は心の中でつぶやいた。

 主に相手は黒山で、彼もまた自分と同じく会話のタイミングを計るのが苦手なのだろうと、志保は当たりをつけていた。

 そして、目の前にいる青髪の先輩もまた、同じくそうなのだろうと。

 しかも同じようなシチュエーションを狙って、同じようなタイミングで、同じような声色で同じことを言ったのだから。

 もしかすると、この先の内容は同じなのではとも当たりをつけた。

 

「千早さん、お先にどうぞ」

「えぇ、ありがとう。あのね志保、この間のライブの件で少し、あなたのご親戚の方に伝えて欲しいことがあって」

「あの、すみません千早さん」

「……志保?」

「それってもしかして、千早さんのお母様と関係していませんか?」

 

 志保の言葉に、千早は概ねの流れを悟った表情を見せた。

 向こうは向こうで、似たようなことを考えていたのかも知れない。

 ちなみに千早の言うご親戚の方というのはもちろん黒山由人を指しており、彼と北沢陸の関係性にうわべの正当性を持たせるためのカバーストーリーだ。

 

「つまり、お互いに言伝の伝言を頼まれたってことなのね」

「そういうコト、らしいですね」

「母もだいぶ張り切っていたようだから、弟君にもずいぶん構ってもらったと聞いているし」

「いえ、弟のことはむしろお礼が言いたくて、ありがとうございましたと」

「いいのよ志保。母が弟君を放って置かないのだって、半ば確定していたようなものだから……まったく、困った人」

 

 言葉のわりに、千早の表情はとても穏やかで。

 よくは分からないが、どうやら不仲という訳ではないらしい。

 家の事情が事情なだけあって、志保は可能な限り空気を読む努力をしなければと、引き締めていた気を緩める。

 

「あとはその……黒山さん、でいいのかしら。その方のご迷惑になっていなければ良いのだけど」

「大丈夫だと思いますよ。あの人、人の善意には基本的に好意的ですから」

 

 そう言って、彼ならどう考えるかを言ってみせて、志保は自分が案外黒山のことを知っているのだなと何気なしに思った。

 だからどうという訳もないが、ただ何となく黒山さんならこう思うだろうなと頭に浮かんで、口から出た。

 兎も角。これで頼みごとの半分は終わったようなものであり、あとは尊敬する先輩とストレッチをしながら、残りの二人が来るのを待てばいい。

 そうやって油断した志保に、千早はこう言いながら微笑んだ。

 

「仲が良いのね、その黒山さんと」

「……そう見えましたか?」

「少なくとも、話を聞いた限りではね。仲が良いと言うよりは──そうね、信頼をしているのかしら、違う?」

 

 一瞬、やけに詳しいな千早さん。と志保は感じたが、よく考えてみれば志保が、普段から弟を大切にしている北沢志保が、そんな大切な弟を預けている時点で、そう思われても不思議ではない。

 というより、黒山は親戚なのだと説明しているのだから、その点を加味すると千早の言い分は至極真っ当なのであった。

 そこまで言われて、北沢志保は考えてみる。

 果たして、自分が黒山由人に向けている感情がいったい何なのかを。

 考えてみれば、確かに自分は黒山を信頼している、気がする。

 彼の生い立ちを理解していて、彼なら何を考えるかを想像できて、なにより彼と弟の友情を知っている。信じている。

 だとするなら、自分は、北沢志保は。

 

「そうですね。私は彼を、黒山さんを信頼しているんだと思います」

「ねぇ志保、黒山さんって誰のこと〜??」

 

 

 まったく、気がつかなかった。

 いつのまにかレッスンルームの人口が倍に増えていて、たくましいアホ毛を生やした茶髪ギャルが、志保を横から覗き込んでいる。

 彼女は所恵美という名で、志保の同僚で、見た目の割にマジメで、人に頼りにされると断れなくて、とても仲間思いで、だがそれはそれとして。

 

「ねぇねぇ志保〜。彼って言ってたけど、もしかしてもしかしてなの?!」

「別に、そんなんじゃありませんけど」

「えぇ〜? まだ何も言ってないのに、怪しいなぁ」

 

 それはそれとして、彼女は人の恋話に目がない。

 自分の恋愛話を振られると顔を赤くして黙ってしまうのに、早い話が攻撃特化なのであった。

 

「ちょっと恵美。千早ちゃんから聞いたけど、その黒山さんは志保ちゃんのご親戚の方なんでしょう? その辺りで止めておきなさい」

「ありゃ、なんだ〜そだったの。ゴメンね志保、てっきり志保に春が来たのかなって」

 

 ペコリと、先ほどの攻勢から一転して素直に頭を下げる。

 こういうところが、所恵美の所恵美たる所以なのだ。

 そして彼女を諌めたのは一見して人の良さそうな女の子、田中琴葉である。

 彼女は一見した通り人の良いお姉さんで、恋愛方面に爆走する恵美のブレーキ役でもあった。

 

「来年はもっと忙しくなるのに、春だなんだと言ってる暇はありませんよ。そんな時間があるならレッスンを頑張ります」

「志保ちゃんの言う通りだよ? 恵美はもうちょっとキツめのダンスで絞った方がいいのかな」

「ひぇ〜それだけは勘弁してよ琴葉ぁ〜!!」

 

 つっけんどんに言い放つ志保に、正しく悪ノリする琴葉に、けちょんけちょんな恵美に、千早は苦笑いを浮かべながら。

 

「志保は……ちょっと振り切れ過ぎてるけど、この先忙しくなるのは間違いないわ。志保、所さん、琴葉さん、これからも一緒に頑張りましょう」

 

 そう言って、この場を締めくくるのであった。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

「──と、まぁ。そんなことがあったんです」

「へぇ、シホに春ね。それで眉間にシワを寄せていたってワケだ」

「あの、ジュリアさん。私の話聞いていました?」

「あはは、ジョーダンだよ。シホからそういう話が出てくるのが珍しくってさ、悪かった」

「そもそも話を振ってきたのはジュリアさんだった気が……」

 

 

 細かいことは気にするなって、とジュリアが笑う。

 赤髪の眩しい765プロきってのギタリストは、共にボーカルレッスンを受けていた志保の眉間を見逃さなかったらしい。

 表情に出るほど引きずる志保のメンタル面の問題もありそうだが、大元は恵美のちょっかいなのだから、どちらかと言えば彼女は被害者である。

 だいたい何が春だと、志保は切り捨てた。

 少なくとも自分が黒山に向けているものが、そうでないことは明白だ。

 春が志保の知っている通りのものなら、もっとこうドキドキするはずで、そうでないなら春とは呼べない。

 信頼はしているが、だからって好きになるのであれば、彼女たちのプロデューサーは一体全体何股を迫られることになるのやらだ。

 

「でもさ、クロヤマさんだっけ? その人のお気に入りがムギだっていうのは、シホとしてはどうなんだ?」

「どうって、どういう意味ですか?」

 

 質問の意味が分からなかった。

 確かに志保が黒山に頼まれたもう一つの伝言は、彼がファンになったという白石紬に当てられたものだったが、それで自分にどうしろと。

 

「いや自分が一番とか、そーいう風にはならないのかって話」

「別に、趣味嗜好は人それぞれですから。彼が一番気に入ったアイドルは紬さんだった、それだけですよ。他の感情が割り込む余地はないと思います」

 

 本心であった。

 黒山の心は黒山のもので、彼が彼女に心を奪われたのなら、その結果が全てだ。

 それに自分が一番ではなかったからと言って、あの晩に黒山が語ったことまで消えるわけではないのだから。

 

「だってよムギ、そんな気に病むことないってさ」

 

 ジュリアに笑いかけられて、先程から気まずそうに顔を伏せていた少女──白石紬はおずおずと口を開く。

 

「あの志保さん。その方は本当に、私を?」

「えぇ、琴線にふれたそうです。特にソロ曲を聞いて確信したとか、そんなことを言っていましたね」

「そ、そうですか……とても、嬉しく思います。私からファンの方々へ返せるものは、精一杯のパフォーマンスですから」

 

 それを気に入ってくれたのなら、アイドル冥利につきるのだと、紬は言う。

 ファンがアイドルに向けるありとあらゆるものに、アイドルは己の才覚と努力で得たものを返していくしかないのだと。

 その通りだと、志保は感じた。

 才覚はともかくとして、努力を続けることで、より多くを返すこともアイドルの仕事なのだ。

 努力を怠らず、より一層邁進すればいい。

 そうすればきっと黒山に──。

 

 

「志保!! よかった見つかった!! 大ニュースだぞ!!」

「ノックの一つもなしに大声だなんて……あなたは、デリカシーという言葉をご存知ないのでしょうか?」

「す、すまん紬。驚かせるつもりはなかったんだ」

 

 この光景を見れば万人が、出鼻を挫かれるという言葉の意味を理解するはずだ。

 控え室へ飛び込んできたのは、若いスーツ姿の男性だった。

 彼は意気揚々と入室し、そして紬の強烈なカウンターに沈んだ。世界級の言葉のパンチであった。

 

「おいムギ、プロデューサーも昂ぶってたみたいだしさ、その辺で勘弁しておこうぜ」

「……ジュリアさんが、そうおっしゃるなら」

「それより、あたしはその大ニュースってのが気になるな、志保もそうだろ?」

 

 ジュリアに話を振られ、志保は男性のセリフを思い出す。

 彼は自分に、なんらかのビッグニュースを持ち込むつもりだったはずだ。

 

「まぁ確かに、気にならないと言えば嘘になりますけど。もう少し大人らしく行動してください、プロデューサーさん」

「あはは、面目無い。けどコレを聞いたらきっと驚くよ」

 

 すると志保の言葉に息を吹き返した男性は、彼女たちのプロデュースを担当している彼は、765プロダクション所属のプロデューサーは、実に嬉しそうな笑顔でこう言った。

 

 

「実はな、志保に演劇の仕事が来たんだ」

 

 

 

 

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