少年の夢に少女は踊る   作:七海ツヨシ

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1話-7章 純情

さて、ゴールデンウィークも明け、中間テストも終わった。

 

弱い雨がしとしと降り、アジサイの葉を揺らす。

室内からそれを眺めるしかない僕は、退屈さを我慢していた。

晴れたら何をしよう、どこへ出かけよう、

そんなことばかり考えていた。

考えてもどうしようもないのはわかっていたが、

目の前の教科書よりも楽しくて仕方なかった。

何を言っているかわからない古典の授業がようやく終わった。

 

今日は彼女は休みだった。

ちなみにインフルエンザだそう。こうなるとわけがわからない。

久しぶりに本を読もうと、引き出しの中から本を出して開く。

ところが内容を忘れてしまっていた。

記憶力は悪くないはずなのに。

 

彼女がいるせいで、僕の日常は新幹線のようだった。

前までは迷惑だったが、僕の生活に入り込んでしまわれると、

彼女がいない生活はつまらないものになっていた。

 

「おーい清水、一緒に飯食おうぜ。」

少し離れたところから、山田が声をかけてきた。

もうそんな時間だとそれで気づかされた。

 

「逢沢さんがいないからってそんなテンション下げんなよ。」

「去年から同じクラスなんだし、素の僕は知ってるだろ。」

「知ってるとも、読書家だったよな。」

「僕への印象はそんなもんだってことだよ。」

 

彼女が越してきてから、彼女といるようになってから、

僕の周りに人がいることが増えた。

 

「清水君ってこんな感じの人だったんだね。」とか

「去年から仲よくしとけばよかったよ。」とか。

褒めてるのかけなしてるのかわからない言葉ばかりだった。

僕にとっては新鮮なのか、生活が一変した感じだ。

お陰で彼女以外の誰かとご飯も食べるようになった。

 

慣れない生活というものはむず痒い。

いつも読んでいたはずの本も眺めると目が痛い。

文字が羅列していると、案外目にダメージがあるものなのだ。

 

そして放課後、担任に呼ばれた。

怒られるようなことは何もしてないのに。、

表彰もされない、かといって名指しで注意されるタイプでもない。

要はただの影だ。

それが故に呼び出し、ともなれば、心臓が跳ね上がったように

脈打つペースを速めるのだ。

職員室に向かう足が重い。どうして僕が、とため息を一つ。

ガラッと勢いよくドアを開け放った。

一斉に振り向いた何人かの先生にたじろいだ。

遠目からでもわかるその姿は担任で、

ちょいちょいっと担任に手招きされ、そっちに向かう。

相変わらず他の人とは違う色白さだった。

 

「今日逢沢休みだったから、プリント届けといて。

あと、貧血の私に余計な仕事増やすなって言っといてくれ。」

「はあ……。」

 

警戒した自分が明らかにバカだった。

同時に先生の白さに合点がいってすっきりした気分でもあった。

 

帰り道。

彼女の家に向かっていた。

と言っても僕の家の方向とほぼ同じだ。

 

いつの間にか晴れた空は、もうすっかり青色ではなかった。

橙色の塀の間で靴を鳴らしながら歩いている自分を想像して、

僕はまだまだ子供だと感じられた。

 

それは僕が夕暮れに制服を着て歩いているからだった。

そして帰り道に同級生の家に向かうこともそれを助長した。

特に家を出たいとか一人暮らししたいとか、そんなことはなく、

単純に自由気ままな生活に憧れていた。

一人暮らしへの憧れと言われればそれまでだが、

大学進学を考えている僕には夢の一つであった。

制服に縛られない大人が、少し羨ましかったのかもしれない。

 

そんなことを考えていると、彼女の家付近に着いた。

 

担任は行けばわかると言っていたが、

いま僕の目の前には群を抜いて大きな家があった。

見るからに古そうな表札には、『逢沢』と書かれている。

呼び鈴を押す手に少し力が入ったが、壊れたりしないだろうか。

 

『はい、どちら様ですか?』

色気を帯びた女性の声が聞こえてきた。

「あ、えと、ましろさんと同じクラスの清水です。

先生にプリント持って行けって言われて……。」

『あら、ちょっと待っててね。』

電子音とともに女性の声は聞こえなくなった。

 

今のはお母さんだったのだろうか。

いや、ここまで大きい家だったら使用人ってのもあるかも。

 

門から少し離れたドアが開いた音がした。

 

見た目より軽そうな門の向こう側に、大人の女性がいた。

遠目から見ても、彼女の母であることは間違いなかった。

その女性は僕に向かって、ちょいちょいっと手招きをする。

そのしぐささえ趣があるように感じられるほど、

女性の立ち居振る舞いは優雅であった。

 

恐る恐る門を開き、奥にあるドアに向かった。

 

「あなたが駆くんなのね、とっても優しそうね。」

「あ、いや、そんなことは……。」

「さあ上がって。お茶でもごちそうするわ。」

「あ、ありがとうございます。お邪魔します。」

というわけで、初めて女の子の家にお邪魔することになった。

 

ダイニングに通され、お洒落なテーブルにティーカップが置かれた。

感じたことのない香りだった。バカ高いはずだ。

 

向かいにお母様も座る。優雅だ。

 

胸のあたりまで伸びた髪は緩く波打ち、暗めの茶色に染まっている。

ましろより少し高い背丈は、大人らしく落ち着いた色のカーディガンに

身を包んでいた。

口元に小さなほくろがあり、全体的に薄化粧だった。

 

最近の若いアイドルよりも、

テレビでよく見る女優よりも綺麗な女性だった。

 

しかし、お母様の目は赤くはなかった。

 

「私は逢沢叶って言います。よろしくね。」

「知ってると思いますけど、清水駆です。」

「いつもましろが駆くんの話をしてるのよ。

駆くんのおかげでましろも楽しそうなのよ。ありがとうね。」

「いや、とんでもないです……。」

 

少しうつむき加減で、叶さんは話し始めた。

「今までましろが学校のこと話してたことなんてなくてね。

昔からクラスの子に塞いじゃうことが多くて、

たくさんみんなのお話が聞けてすごく楽しくて嬉しいわ。」

 

玄関に飾ってあった一枚のクラス写真は、はっきり言って

いい雰囲気とは言えなかった。

彼女の笑顔も、本物ではないと一目でわかった。

中学の時であろうその写真の彼女には、僕と家族にしか

分からないような疎外感が感じられた。

 

「……あの子の目、変だと思わなかった?」

うかがうような視線で叶さんは僕を見つめた。

悲しみを帯びた小さな笑顔だった。

僕の様子を伺うというより、単に気を遣っているようだった。

 

「いえ。彼女の目が変なら、僕の方がもっと変ですよ。」

 

叶さんのさっきの表情を見て、僕は何としてでも

叶さんに安心してもらわなくては、と思った。

 

「え、でも駆くんは……。」

「僕は見た目は普通です。でも実は二色しか識別できません。

さしずめ狼男って感じですね。」

 

我ながら下手くそな例えだと思った。

僕自身、聞かれない限りこのことは教えない。

それは自己防衛そのものだった。

彼女の気持ちがわかるのも、同じ問題を同じ場所に

抱えているからなのかもしれない。

 

とは言えど、僕と彼女には決定的に違うところがある。

 

それは一目で気づくか否か。

 

僕は見た目にはまるで遜色はないのだが、彼女は違う。

ブレーキランプ、工事現場のコーン、止まれの信号。

赤とは情熱的であり、炎を彷彿とさせる色であり、

時として血の色を感じさせるものでもある。

 

その色の捉え方は、実に人様々である。

綺麗だと不用意に近寄るものもいれば、

不気味だと敬遠する人間もいるだろう。

そのどちらもが普通の人としての当たり前の反応だろう。

 

しかしそれが彼女にとって苦痛そのものになるはず。

 

存在しているだけで周りから好奇の目を浴びせられ、

求めてもない批評は後を絶たない。

 

彼女は何もしていないのに。

 

僕が人間を嫌いなように、彼女も同じのはずだ。

それは人間の性が生み出してしまった、負のエネルギー。

彼女は今までの人生をの中で、その矛先を定められなかった。

そして、嫌で嫌で仕方ないのに、

人間の好奇心に答えてやらないといけなかった。

 

僕だったら、身体の内側から崩れ落ちていたに違いない。

 

だからこそ、僕は彼女の気持ちがわかる。

だからこそ、きっと僕は人間ではない。

それは彼女も同じなのかもしれない。

彼女もそう思っているのかもしれない。

 

もしも彼女が人間でないなら、

今の僕は彼女の頭を優しく撫でてあげることができる。

 

「きっとましろは、目が赤いからって好奇心に

さらされるのが嫌なんだと思います。

僕も少しは気持ちがわかるんで。」

この少ない言葉に、僕は全部を込めた

 

そして叶さんは目に少し涙を浮かべて笑った。

「駆くんがましろに出会ってくれて本当によかった……。」

 

きっと叶さんも、常にましろのことを気にかけているのだろう。

心の底から出たその言葉に、そのすべてが詰まっている気がした。

 

いい家族なんだな、と少しばかりうらやましく思った。

 

そのとき、二階からとてつもない音がした。

ああ、どうせ彼女なんだろう。

「あら、もう大丈夫なのかしら。」

ダダダダっと廊下を駆け抜け、そのまま階段を飛び降りてきた。

予想的中、だらしない格好の逢沢ましろだった。

「げげげ、駆くんだよ。」

「第一声がそれなのかよ。」

「まっさかお見舞いに来るとは、相当私が好きみたいね~。」

「担任からの申し付けだよ。間違い方がおかしい。」

「どうせいつもみたいに照れてるんでしょ。」

「風邪をひいてもその根性は滅入らないんだな。」

 

にこやかな笑顔で僕らを眺める叶さんは

口を手で押さえて、ふふふっと笑っていた。

その声はどこかで聞いたような感じがして、

初めて会うはずなのに、なぜか親近感を覚えていた。

 

なにより彼女が元気そうで安心した。

 

日もすっかり落ちたことだし、また来る約束を付けて帰路についた

空を見上げると、少し前だったら薄気味悪く感じていた三日月も

今見てみれば、いたずらに笑う彼女のように見えた。

 

誰かと一緒にいること、誰かを気に掛けることなんてなかったのに、

やはり自分の心が自分のものではなくなっている気がしてきた。

ましろが元気そうで安心した自分がいることも、不思議だった。

少し前の自分とは違いすぎている。おかしくて笑えた。

 

明日は学校来るのかなあ、来たらなんて言ってやろう。

間隔の少し広い街灯の下を歩きながら、

いつの間にか彼女のことを考えいている自分がもっとおかしくて、

一人で声を上げて笑った。

 

三日月も、雲の隙間からそれを見て笑っていた。




ましろの母の名前は
逢沢叶(あいざわかなえ)です。
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