矛の残照 徒華の盾   作:生野の猫梅酒

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第二章 代王

 

「天命を以て主上にお迎え致します。これより先、御前を離れず、詔命に背かず、忠誠を誓うと誓約申し上げる」

「許す。……儂に何ができるかは分からないが、誠意を持って務めよう。よろしく頼むぞ代麟」

「勿論ですとも、我が主上」

 

 ──麒麟の感じる王気というのは、どうやら私にとって抱擁感にも似た感覚らしい。

 

 探し求めた次代の代王は呆気なく見つかった。泰山から出て実に二月と経っていない頃合いである。

 齢にして五十も半ばといったところだろうか。頭に白髪を混じらせたその男──いや、主上は里家の閭胥(ちょうろう)を務める存在であり、周囲からの信頼も厚い道を弁えた男だった。姓を硫、名を(とう)(あざな)紺都(こんと)といった彼は温厚篤実を絵にかいたような者であり、私が頭を垂れた時も周りに「この人なら納得できる」と言わしめただけの度量があったのだ。

 白状しよう、私は安堵した。この方ならばきっと徒に民を苦しめることなどしないだろうと。かつて蓬莱でみた不条理の権化のような光景など、きっと見なくて済むのだと信じられた。

 

 そして、重ねて告白しよう。私は愚かだった。王が嫌いと嘯いておきながら、そのくせ現実を認められていなかった。

 永遠に沈まぬ王朝などない。そんなこと、どんな麒麟だろうと理解しているというのに。

 

 

 

 主上と過ごした時間の中で最も印象に残っているのは、玄武の背に乗って雲海を進んだあの日だ。

 通常、麒麟に選ばれた王は泰山に赴き、吉日まで待ってから山頂の廟に訪れる。そこで天帝と西王母の像に向かって誓いを立てた後、小島ほどもある玄武の背に乗って自国へと向かうのだ。麒麟らしく言うなら、生国に下ると表現すべきか。

 

 この時、国へと向かう一日の間だけは玄武の上で王と麒麟の二人だけとなる。雲海の上で雨は降らず、小さな祠や簡易的な臥牀(しんだい)すら用意されているので、特に不便を感じる事も無い。

 だが、王と二人だけというのはいやに緊張してしまい仕方なかった。それまでは王という不特定の誰かが嫌いで仕方なかったから、改めて何を話せば良いのか一つも思い浮かばないのだ。

 

「主上は、戴をどのような国にしたいと思う?」

 

 だから、口を衝いて出た言葉はそんなありきたりなものだった。

 

「難しい質問じゃな。長く生きてきた儂じゃが、王としての自分など考えたことは一度とて無かったわい」

「そうね。でも、そんな主上だから聞いてみたいの。あなたは王となって何をしたい? 簡単なことでも良い、あなたの言葉を聞かせてほしいの」

「ふむ、それで良いなら一つある」

 

 主上はそう言うと、深い皺の刻まれた顔を笑みに変えた。見る者を温かくさせるような優しい笑みだ。

 

「戴の冬は厳しい。いくら対策を用意しようと毎年死者は出てしまうし、乗り越えるのも一苦労じゃ。だから儂は、戴の冬を皆で乗り越えられるようにしたい。誰も凍死者を出すことなく、笑って春を迎えられる国にしたいと思う」

「そう、ですか……」

 

 主上の飾らない朴訥な言葉はよく胸に沁み渡り、素直に素敵だと思えてしまった。

 

 知識だけなら戴の冬が厳しいというのは知っている。北東に位置する戴極国は一年の半分程が豪雪に支配され、冬は晴れ間がほんの数日しかないという極寒の土地だという。そのせいで毎年少なくない数の死者が出てしまい、特に王が崩御してから新王が践祚(せんそ)するまでの間の負担は凄まじいものがあると聞いていた。

 きっと私の隣に立つ彼は、幾度となく戴の冬を体験し乗り越えてきたのだろう。多くの知人が冬に呑まれ去って逝くのを見送ったのだろう。先の言葉に込められた真摯な願いは、まさしく戴に住まう年長者としてのそれだった。

 

 まだ齢十三の若輩でしかない私にとって、彼の言葉が持つ重みには圧倒されてしまった。彼の言葉はまず第一に皆が無事に生きていける国にしたいというものなのだ。歴代の麒麟の中でも誰より浅ましく生を渇望している私にとっても、その願いは好ましく思えるものだった。

 

「そういうお主、代麟はどのような国を望むのじゃ? 一つ、儂に教えてはくれんかの?」

 

 逆に問われてしまい、必死になって言葉を探す。だけど私の望みなんて幾ら考えてもこれしか出てこなかったから、包み隠さず打ち明けた。

 

「私は死にたくないのだわ。ずっと、それこそいつまででも生きていたい。だから私が望む国は、誰もが穏やかに生きることができ、主上がいつまでだって善き王として君臨できる国よ」

「なるほど、お主は逆を答えたか。国をどうしてほしいではなく、国にどうなって欲しいかを言うか。面白い意見じゃよ、ありがとう」

「気に障ったかしら?」

「まさか。お主が長生きしたいというなら、確かに儂の努力も必要じゃ。国が良くなれば良くなるだけ、儂もまた長く玉座に在ることができるからの」

 

 気負いなく笑う老体の姿は、やはり悔しいが説得力に溢れていた。あるいは長く生きた為の貫禄とも言うのだろうか。温厚篤実な為人(ひととなり)は王が嫌いな私にさえ、王という存在が捨てたものではないのかもしれないと思わせてくれたのだ。

 だけど同時に、こうも思ってしまったのだ。もしもこの人が道を失い乱心したその時は、麒麟である自らが戒めねばならないとも。

 

 

 戴国の首都は瑞州(ずいしゅう)鴻基(こうき)、雲を貫く凌雲山(りょううんざん)の上には白圭宮と呼ばれる王宮が存在した。私からすればどうにも白の名が気に入らない王宮だったのだが、それよりも腹が立ったのが先王に仕えていた官吏たちだった。

 王が不在の朝廷というのはどうしても私腹を肥やすことに忙しい猾吏(かつり)が増えてしまうらしく、かつて私が蓬莱にて恨んでいた朝廷そのものといった有様だった。むしろ戴の方がより過酷な環境なだけ、荒れ果てた朝廷の醜さは見るに堪えないとすらいえた程である。

 

 それでも主上が登極を果たしてから最初の十年は、かなり順調な滑り出しだった。

 

 官吏たちは仙籍と呼ばれるものに入っているため、不老長寿で見た目を遥かに超える年齢を誇る。対して主上は風貌こそ壮齢であったのだが、実年齢だけみればかなり遅れをとってしまう。

 だというのに、主上は見事に官吏たちの再編を行ってみせた。賄賂や権謀術数の横行する朝廷内で清らかさを失わず、あくまでも里家の閭胥(ちょうろう)時の穏やかさで諸官を惹きつけた。結果として信頼できる者たちの手も借り朝廷を整理することに成功し、また王の器に相応しいだけの統率力も発揮してのけた。

 

 無論の事、私とてただ手を(こまね)いて主上の成果を眺めていた訳じゃない。麒麟は雌雄によって呼び分けられ、例えば私なら戴国の雌麒麟なので代麟(たいりん)の号を得る。しかしそのままでは畏れ多いとされるので、一般には麒麟の役職である宰輔、ないしは台輔(たいほ)と呼び習わすのが通例となるらしい。

 ではこの宰輔とは何かといえば、端的に国の二番手を意味する。王を補佐し、(まつりごと)を能くするのが仕事だ。同時に首都瑞州の頭たる州侯にも任命──故に麒麟の直轄地は貴色になぞらえ特に黄領とも──されるので、実のところ仕事は多いのだ。

 

 初めの頃は仕事の多さに四苦八苦したもので、貧しい農村出身の私には辛い内容ばかりだった。

 しかしここで潰れてしまえばいずれ国がかたむく一因となり、しいては私も民も死ぬ羽目になってしまうのだ。それだけは避けたかったので、比喩ではなく机にしがみついてでも勉学には励んだ。教師役を務めてもらった三公たちには行儀が悪いと怒られてしまったが、本当にそれくらい必死にやった。

 

「台輔は責任感がお強くあらせられる。これなら戴の将来も安泰ですな」

「本当に、良いお方です。これでもう少しお淑やかにしてくだされば文句の一つも無いのですがね」

「山ほどの数の妖魔を使令に下す麒麟なんて、これまで聞いたことがありませんよ」

 

 そう言って笑ってくれた三公に、私はただ憮然とした面持ちを返すことしかできなかった。だって彼らの言う”代台輔”の像の裏には、自分の命ばかり優先しようとする醜い心が潜んでいたのだから。

 今でもたまに、自分は麒麟という生物なのかと不思議に思う事はある。麒麟らしく折伏はできるし、時間はかかったが転変も覚えた。最重要となる王の選定も遂げはした。それでも内心の生き汚さのせいで、皆の持つ清らかな麒麟像というのと一致しないのが気にかかってしょうがなかった。

 

「ねぇ封香(ほうか)、私って麒麟に相応しいと思う?」

「突然何を仰るのですか台輔は」

 

 ある日のこと。朝議を終えて王宮の中でも麒麟の住まいとされる仁重殿に戻ったときのことだった。

 どうしてそのような事を訊いたのか、私にもはっきりとした理由は分からない。ただ意識もしない内に口から滑り出てしまっていた。

 封香は麒麟に必ず一人つく女怪であり、麒麟が泰山を出てからは使令の役割を得る。上半身から上は人の女性ながら下半身は蛇、烏の翼を持ち、腕は魚鱗で覆われており、色々な生物が混じり合った容貌をした彼女こそ私の女怪だった。

 

 昔は蓬莱の名である竜胆と呼んでくれていた使令たちも、今では台輔と呼ぶのが普通だった。それがどこか寂しい。

 

「なんだかね、分からなくなるの。周りの人は誰もが良くできた麒麟だって褒めてくれるけど、それは本当に私のことなのかって。なんだか別人のことを言われてるみたいな、一歩引いた感じがするのよ」

「そのようなことはありません。蓬莱で見つけた時より常にお傍に控えておりますが、台輔は正真正銘の麒麟です。でなければどうして王を選び、国を支えることができましょうか?」

「そうかもしれない、でもそれは本心じゃないの。私の中身なんて利己的で、考えていることはいつも長生きするためのことばかり。上っ面だけ綺麗なのが申し訳なく感じるのよ」

「それの何がいけないのでございましょう。御身を大切にしてくださればこそ、王もまた長く国を治めることが出来るのです。であれば、台輔が生を望むことに何の不都合もありはしません」

「……私、(ずる)いわ。封香ならきっとそう言ってくれると知ってて、こんな事を言ってしまったのだと思う」

 

 自嘲気味に呟いた。格式張った椅子の座り心地が嫌に悪い。

 

「主上の国が、永遠に続けば良いのに」

「台輔が望むのなら、きっと王もまた応えてくださります。恐れるようなことなど何一つございませんとも」

「ふふっ、だったら良いわね。私は王が嫌いだけど、今の主上はとても安心できるもの」

 

 今のところ、私が選んだ王様は私が嫌いなことを何一つ許してはいなかった。あくまでも清廉に、道理を以って国を治める。単純なようで為すは難しい政をよく制してくれていたのだ。

 このまま、いつまでも穏やかに戴国が栄えていけば良い。この時の私は心の底から国の安寧と、主上の壮健を願っていた。

 

 

 

 代王紺都の治世に影が生じ始めたのは、登極から五十年ほどに差し掛かった頃だった。

 

 切っ掛けが何かは判然としない。しかし臣下たちの中でまことしやかに囁かれているのは、下界の様子に心を奪われてしまったという話である。

 王は人であって人ではない。同時に諸官のような仙でもなく、言うなれば神と称するのが最も適切だろう。麒麟に選ばれた人はその瞬間に人ではなくなり、神籍と呼ばれるものに名が登録されるのだから。

 故に王となった者は否応なしに天上人となり、文字通りに下界の者たちとの縁も切れてしまう。奔放な王なら気儘に市井まで降りることもあるだろうが、そういった例はごく稀だ。 

 

 これまで縁のあった者たちが、下界ではいつの間にかぽつぽつと欠けていく。しかも数十年も経っているのなら、本来自分だって鬼籍に入っていてもおかしくない時期なのだ。王は人ではないが、同時にその心はどうしようもなく人である。心を痛めるなと告げる方が無理だった。

 

「代麟、また使令を貸してはくれんかの……?」

「構わないけども……あんまり下ばかり見ていると、足元を掬われるわよ?」

「分かっておる、分かってはおるんじゃが──」

「……また、誰か知り合いが死んだの?」

「儂が閭胥を務めていたあの里家の子が、流行り病で死んでおったよ。五十年も経てば身体も老い、病にも弱くなってしまう。この老いぼれはいつまでも生きておるというのに、儂よりも若い者が先に去って逝ってしまうのじゃ……」

「そっか……残念だったわね」

 

 代麟は普通の麒麟と比べても、使令を非常に多く従えていた。取るに足らない小物からそれなり以上の大物まで、その数は優に二十は超えるだろう。何の目的があってそれだけの妖魔を下したかは定かでないが、とかく代王が下界を覗く目耳になるにはうってつけだった。

 そして、代王は下界を覗けば覗くだけ暗く陰鬱になっていく。段々と使令を借りる機会も増え始め、気が付けば政務の時ですら下界に住む知人の生死ばかりを考えるようになっていた。上の空が増え、口を開けば気の滅入ることばかり。心に陰が巣食っているのは明白だった。

 

「戴は昔に比べて随分と暮らしやすくなった。なのに誰もが皆、儂だけを置いて先に逝ってしまう。どうして儂だけが長生きせねばならんのじゃ……」

 

 口癖のように、決まってそればかり言う。百官は心を痛めなんとか王を元気づけようとするも、中々上手く行かない。むしろ日に日に悪化するばかりで、二年も過ぎた頃にはもはやどうしようもない段階まで進行してしまっていた。

 いつか、代麟が王を諫めたことがある。

 

「死んでしまった人ばかり気に病んでも仕方ないわ。主上は今を生きている人たちの為にあるということを忘れちゃ駄目よ」

「儂にとって、生者も死者も等しく大事なのじゃよ。あまり滅多なことを言う出ない、代麟」

「……ごめんなさい。でも、本当に最近の主上は変よ」

 

 

 信頼で結ばれるべき主従の間に微かな亀裂が入ったのはいつだったのか。

 次第に代王は政への興味を無くしていった。単純に飽いてしまったのか、それとも死にゆく者たちの悲哀に耐えられなくなったのか。まるで消極的な辞任とでも言わんばかりに治世を中途半端にし、毒に侵されるかの如くゆっくりと国は傾いていった。

 段々と国にも異変が生じてきた。天の理が乱れ、いつにない異常気象が発生する。沿岸には妖魔が発生し、人が食われるといった被害が少しづつ上がり始めた。王はまだ玉座に在るというのに天意が離れ始めていたと誰もが理解し、しかし恐ろしさから口に出すことは出来なかった。

 

 そして最後、決定的に事態は進行してしまう。

 代麟失道──その知らせが白圭宮をたちまち駆け巡ったのだ。

 

 

 

 麒麟専属の瘍医(いしゃ)のことを、俗に黄医と言う。

 

 麒麟というのは血や死臭というのに弱い。自分で武器を取ることはできず、戦場に出せば簡単に体調を崩してしまう。場合によっては自らが流した血の匂いですら熱を出してしまうこともあるほどだ。

 よって黄医というのが各国の王宮には存在し、麒麟が体調を崩せばまず第一に彼らが呼ばれる。そしてそんな彼らだからこそ、失道というどうしようもない病についても精通しているのは道理であった。

 

「私が、失道……? 本当なの?」

「……はい。おいたわしいことですが、台輔は失道の病に罹っておいでです。それが証拠に、これまでのところ肉体的な負荷は一度もありませぬ。このような唐突な体調不良というのは、失道をおいて他にないかと」

「そん、な……嘘よね、嘘だと言いなさいよ、ねぇ……!」

「残念ながら……」

 

 黄医にとって何より辛いのは、逃れえぬ死を待つほかない悲痛な麒麟の姿を見る事である。

 失道という病は尋常な方法では(なお)せない。必要なのは王が心を入れ替えること、ただそれだけである。自らの何が王として至らなかったかを反省し、改めて再起を果たせば麒麟は失道の病から解放されるのだ。

 しかし、この方法で失道の病を脱した麒麟は驚くほど少ない。各国の歴史を見ても数えるほどだろう。王が心を入れ替えるといっても簡単なことではなく、どれだけ王が反省し努力をしようと物の数には入らない。

 

 ──だから失道というのは、言ってしまえば麒麟にとっての不治の病も同然なのだ。

 

 黄医は臥牀(しんだい)に横たわる代麟を見ていられなかった。

 人の頃なら十五、六ほどの代麟は、常ならばこの世ならざるような美貌を誇っていたはずなのに。今の彼女の頬は痩せこけ、目の下には隈ができ、まるで幽鬼のよう。ざんばらと散る白髪が痛々しい。なのに瞳だけは異様な光を湛えていて、自らに迫る死を必死になって否定していた。

 

「あなたは麒麟専属の瘍医なのでしょう……!? なら、私のこの病気も癒してよ……!」

「お言葉ですが、失道の病は王の御心以外に癒す術はございませぬ。我らの手ではどうしようもないことでありますれば……」

「じゃあ主上に言ってよ! 心を入れ替えろって! あなたたちは主上の臣下なのでしょう、諫言くらいしてみなさいよ!」

「恐れながら、既に主上には冢宰(ちょうさい)以下六官が対応しております。私のような黄医に出来ることは、現状ではありはしませぬ」

 

 それすら気休めでしかないとは分かっていた。目の前の病んだ麒麟も本心では同じだろう。それでも失道による死を否定したくて、必死になって叫んでいるのだ。

 

「主上は、私をお見捨てになるの……?」

「そのようなことは、決して。台輔はただ主上をお待ちしていればよろしいかと」

「嫌だよ……私、死にたくない。死にたくないのよ……!」

 

 瞳に映った狂念はただただ生への欲求、そして仕えるべき(おう)への憎悪だろうか。王を愛し、慈悲の具現と称される麒麟がこのような感情を持つこと自体が、黄医には信じられないようなことだった。

 ちりん、軽やかな音が鳴った。重苦しいこの場には似合わない。出所は代麟の胸元、ひしと抱いた小さな鈴だった。確かあれは、代王が自ら代麟へと賜った品のはずだった。

 

「これを辛い時に鳴らせば、いつでも主上が助けてくれると。そう言っていた。なのに、なのに……主上は私のことなんて、これっぽっちも見てはくれないじゃない!」

「落ち着いてください台輔。あまり檄してはお身体に触ります」

「……ごめんなさい、少し取り乱したわ」

 

 小さく謝った代麟は「しばらく一人にしてほしい」と言ってきたので、黄医もひとまず彼女の前から退去した。あまり褒められた行いでないとは理解しているが、今の代麟に必要なのは落ち着くための時間なのだろう。

 失道というのは、麒麟の心に発生する病である。そして病とは心を蝕むものであり、どのような聖人君主であろうと病に侵されれば気性は荒れる。常にないような荒れ果てた心となってしまい、理不尽と分かっていながら周囲を恨まずにはいられないのだ。

 

 であれば、慈悲と仁の具現たる麒麟がどのような心情になるというのか──黄医にとって、考えるだに恐ろしい仮定であった。

 

 

 死にたくなんて、ない。

 

 別に私は、望んで麒麟に生まれてしまった訳じゃない。そうしてくれと頼んだことだって一度もない。

 だというのに、自らの命を他人に握られているなんて理不尽ではないか。王が道を失えばまず麒麟に不幸が押し寄せ、王の代わりに死ねとばかりに実質的な不治の病にかけられる。王とて麒麟が死ねば生きられないが、それも数か月から一年の猶予はあるというのに。

 

 許せる訳がない。私はただ生きていたいのだ。それ以上を望む気なんて更々ないし、そのためにこれまでだって必死になって過ごしてきた。果てが今の、臥牀から離れられない病んだ身体だというならあんまりではないか。

 

「あの方が、憎い……まだ死にたくない……」

 

 声に出してみてはっきりと悟る。私はまだ、死にたくない。そして失道にまで陥った主上のことが、憎くてしょうがない。

 原因はどこにあったのだろう。下界を見たいと言った主上に、軽々しく使令を貸したことだろうか。そのすぐ後に褒美として綺麗な音の鈴を貰ったせいで、余計に断れなくなったことかもしれない。ともかくそのせいで主上は下界の様子に囚われてしまい、結果として私を失道させるまでに陥ってしまったのだ。

 白鈴(はくりん)と名付けられた鈴を抱きしめる。責任の一端は私にもあるのだろう。言われるままに使令を簡単に貸しさえしなければ、きっとこうはならなかった。

 

 理屈は分かる。それでも、矛盾と言われようとも主上が憎いのだ。勝手な都合で私はこうも追い詰められ、国が傾いたことによって戴の民もまた苦しむ。これではまるで、蓬莱での大王のようではないか。自らの勝手な都合で他者を死に追いやる王など、私が嫌う王の姿そのものではないか。

 

「やるしか、ない……」

 

 もう、駄目だった。

 失道の病から解放される方法は、実のところ二つある。一つは王が心を入れ替えること。しかしこちらが成る可能性は非常に低く、はっきり言って期待できないのが実情だ。

 だからもう一つの方法、王の弑逆に全てを賭ける。今の王さえ死ねば、麒麟は残される。次の王が誰であろうとひとまずは延命が約束されるのだ。

 

「主上を、殺す……」

 

 口に出してみて、言いようもない寒気が全身を襲った。それでもかつて、戯れに呟いた時と比べて抵抗感は少ない。きっと失道の病の所為で、尋常な心すら失ってしまっているのだろう。逆に好都合だった。

 

 永遠に続く王朝など無いというのなら。今ここで私が終わらせることに何の不都合があるというのだろう。

 

 いつも私の影の中に潜む使令たちもこの時ばかりは無言だった。麒麟が弱れば使令も弱る。そして彼らの最優先事項は麒麟の安全なのだ。だからこそ、王の安全よりも麒麟の存続を優先して望んでしまう。

 

「私は、生きる……!」

 

 決して戻れない最低の道に進もうと、例え敬愛する主上を殺そうとも──

 私は、生き延びてやるのだ。それだけが、自らの存在証明だと信じるゆえに。

 




カードキャプターさくらのケロちゃんと、陽子の声優さんが同じ人というのは未だに信じられません。

後書き解説

三公…太師・太傅(たいふ)・太保の三名から構成されている。台輔の補佐、並びに王の教育、諫言、助言を行う。

女怪…麒麟の乳母であり、麒麟と同じく捨身木から生まれる。一日で孵り、生まれた時には自らの麒麟の国氏と性別を知っている。様々な動物が混じっているほど良い女怪とされる。自らの麒麟を第一に考えており、後先顧みない無茶な行動に出ることもある。麒麟が死ねば女怪も共に死ぬ。

冢宰(ちょうさい)…王、麒麟に次ぐ、国の実質的なナンバー3。天地春夏秋冬を司る官吏たちの長を務める。
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