矛の残照 徒華の盾   作:生野の猫梅酒

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第四章 黄海

 

「それじゃあ、令艮門(れいごんもん)を抜けたところで落ち合おう、ろくた」

 

 そう言って、青年は赤い妖魔、天犬に背を向けて歩き出した。見たところ、青年の姿は十五、六に思えた。簡素だが仕立ての良い服を着こみ、夕暮れの陽ざしに青みを帯びた頭髪が(なび)く。少しの間、天犬は青年を見送り、それからどこともなく姿を消した。しばしの別れだが、彼らにとってはどうという事は無い。青年も妖魔も、そう簡単に互いを見失う事など無いのだから。

 ここは十二国の内、北東に位置する雁州国だ。その中でも最も黄海に近く、また黄海に通じる四令門の一つ”令艮門”の鎮座す艮州(ごんしゅう)である。年に一回の安闔日(あんこうじつ)、つまりは春分の日にこの令艮門と呼ばれる巨大な門扉は開かれ、一日の間だけ人界と神仙妖魔の土地を交わらせる。ここから人は、何某かの目的の為に黄海に入り込むのだ。妖獣を捕らえるため、麒麟に天意を諮るため、目的は様々である。

 

 青年もまた、その安闔日に開かれる令艮門を目当てにやって来た人物の一人だった。雁はまだかつての王による荒廃から復興を始めている最中で、どこもかしこも発展途上だ。特に艮州は年に一度妖魔が黄海から門を潜りやって来る関係上、非常に堅固な城塞都市の様相に反してどこも傷がついてくたびれている。

 街を走る広途(おおどおり)を、多くの人に紛れながら青年は進んで行く。道行く人は皆、一日の疲れを溜めながらも笑顔が絶えない。王が玉座に在るという事実が、王宮からここまで良き風を運んでいるのだ。青年にとっては複雑で、それでもどこか嬉しかった。

 その途中で、簡素な舎館(やどや)を見つけた。外から僅かに除ける厩舎からは、黒い体に白い縞模様、赤い鬣を持った立派な騎獣が見える。

 

「へぇ、吉量(きつりょう)か……」

 

 青年もかつては国の一部に仕えていたから、すぐにその騎獣の妖獣としての価値が見抜けた。馴らす事さえできれば人に良く懐き、また空を駆け国を数日で渡ることも可能にする最高峰の妖獣である。しかしその捕獲の難易度は高く、故に高級品として重宝される代物だ。

 そんな騎獣を駆る人物がこの簡素な舎館に居ると思うと、あまりそう言ったことに興味の薄い青年と言えどどことなく興味が湧いてくる。それに何より、こういった高級な騎獣を預けられるという事は厩番、つまりは店の者がしっかりしているという証拠。飯の味までは分からないが、少なくとも客の安全は保障される。

 そうと決まれば、今晩の宿はここで決まりだろう。雁国は元州からここまで、彼は育ての親である天犬と常に行動を共にしていたから、人の集まるところに寄りつけなかった。それが今回門を越えるために一時的に別れたのだから、黄海に入る前に一回くらい宿泊するのも悪くない。

 

 そこまで一息に考えて、目の前の舎館の扉を開いた。

 

 扉を開けると、すぐに中の喧騒が飛び出してくる。時間帯もあり、かなり繁盛しているようだ。咄嗟に首を竦めながら中に入ると、番をしているらしい男性と目が合った。

 

「いらっしゃい! なんだ、兄ちゃん一人かい?」

「ああ、そうだよ。部屋は空いているかい?」

「運が良かったなぁ、ちょうどあと一つ空いているところだよ。数日後には令艮門が開くから、しばらく宿は大盛況でよ」

「それは良かった。なら部屋を一つ、貸してほしい」

「あいよ。名前だけ聞いといてもいいかい?」

 

 断る理由は特になかった。部屋の鍵を貰いながら、友から貰った名を告げる。

 

「──更夜(こうや)(ばく)更夜だ」

 

 

 いったん部屋に荷物を置いて──ほんのわずかな量なので無造作に放り出してきた──から、更夜は改めて店番の下へと戻った。明らかに喧騒の大きい一角へと視線を向ける。

 

「向こうは飯堂(しょくどう)かい?」

「ああ、そうだよ。なんだ、飯が食いたいんならこの時間はちょっと難しいかもしんねぇなぁ。悪いが相席になってもらうことになるだろうが、構わんかい?」

「大丈夫だよ、好きにしてくれ」

 

 更夜にとって、別段人がどれだけいようと大したことではない。そも、他者の事を気にしたこと自体、これまでほとんど無かったと言っても良いのだ。なのであっさりと了承を出した更夜を、主人は飯堂の方へと案内した。

 通されたのはそれなりに広い部屋だ。天井から釣られた灯りは、その下で大卓(つくえ)を囲み何人かずつで食事をしている無数の人々をぼんやり照らし出している。主な客は酒を飲んで騒ぎ立てる男たちで、その間を縫うように給仕の者達が忙しく走り回っている。その人口密度に一瞬圧倒されつつも、更夜は主人に案内された大卓に腰を下ろした。

 先客は二人いた。片方は皮甲(よろい)を身に纏った精悍な黒髪の男で、もう一人は陽に焼けた屈強な肌を惜しげもなく晒している。明らかに戦いなどに精通した、歴戦らしき風格を漂わせていた。

 

「すまないね、席をご一緒させてもらうよ」

 

 念のために礼儀としてそう声を掛けると、二人とも軽く更夜を一瞥してからすぐに目を話して食事に戻った。どちらも気にする様子は無いのでひとまずほっして、出された湯菜(しるもの)に早速手を付ける。味は微妙だが、久しぶりに食べたまともな人間の食事だ。素朴な味わいが五臓六腑に染みわたる。

 と、沈黙を貫いていた男の片方が口を開いた。億劫そうに身体を伸ばし、首を鳴らした。

 

「あの吉量、どうするつもりなんだい? やっぱ売っちまうのか?」

「そいつもいいんだがなぁ……取り敢えず手元に残しておこうかと思ってる。どうせ剛氏を辞めたところで行くあても無いんだ、なら上手いこと使った方が楽できて良い」

 

 妖獣を調教するのも大変だからな、片方がそう言って笑えばもう片方も「そりゃ大いに同感だ」と苦笑を返した。

 剛氏とは、黄朱(こうしゅ)の中でも特に昇山などで黄海に入る一般人の護衛で生計を立てる者たちの事を指す。一方で妖獣を捕らえ騎獣として調教する黄朱のことを朱氏と言うのだが、剛氏もまた護衛の仕事が無ければ朱氏と同じように生活の種を得る。

 どちらも危険極まりない仕事だが、彼らは黄朱としての誇りを持っている。性質的には帰属すべき国を持たぬ浮民であることも相まって、そう簡単に辞められないし、辞める気もない。

 

 更夜は二人の会話を聞きつつ、出された料理に舌鼓を打っていた。どうやらこの舎館(やどや)に入った切っ掛けである吉量の持ち主と相席になっていたようだが、別段それ以上の興味は無かった。漠然と「それはすごいな」と思うだけである。

 

「そういやあんた、此処に来たってことは黄海に入るつもりなのかい?」

 

 だから不意に話しかけられた時は、さしもの更夜も驚いてしまった。

 食べていた料理を飲みこみ顔を上げれば、男たちが軽い笑みを浮かべて更夜を見ている。嫌な類の笑みではなかった。

 

「そのつもりだけど、やっぱり分かるものなのかい?」

「長年の勘って奴さ。黄海に入ろうって奴は、顔にそういう覚悟が良く出てる。特に慣れていない奴ほどな」

「へぇ……」

 

 皮甲を着た男の言葉が意外だった。更夜本人としては何ら気負うことは無かったのだが、内心で緊張でもしていたのだろうか。否定したいところだが、黄海とそこに入る者をよく知る男の言葉を無碍にするのも違うと思えた。

 

「黄海についてはどれくらい知ってるんだ?」

「妖魔が跋扈して、とてもじゃないが人が住めないような土地だと」

「それくらいしか知らないのか? 中の環境とか、先に準備しておくべきことはどうだ?」

「いや、門が開くまでの間に学ぶつもりだったんでね」

「そいつはまずいな……」

 

 日焼け肌の男が顔を顰めた。

 

「悪いことは言わないから、黄海に入るのはもうしばらく待った方が良い。今のままじゃ知識が無さすぎて、あっという間に死んじまうぞ」

「……まぁ、そうかもしれないが。たぶん大丈夫さ」

「なんだそりゃ」

 

 更夜は曖昧に言葉を濁した。あまり大っぴらには出来ないが、実のところ彼は仙である。だから滅多な事では死なないし、傷つくことすらない。妖魔に襲われれば仙といえど命は危ういが、そもそも彼は普段から妖魔天犬と行動を共にしているのだ。あまり心配してもいなかった。

 なので男たちが心配しているような目に遭う可能性は低いのだが、彼らはあくまでも親切心で言ってくれているのだ。これまで人の善意に疎かった彼にだから、なんとも言えない気持ちになってしまう。少なくとも余計なお節介とは思えなかった。

 

「黄海は暖かいから厚着は必要ないが、その代わりに日差しが強い。せめて薄着で良いから肌を隠せるような上着と、あとは水筒もちゃんと用意しておくこった」

「黄海の水は飲めないものばかりだからな。いっそ俺たちみたいな剛氏を雇うのも手だぜ?」

「ははは、ありがとう。気持ちだけ受け取っておくよ」

 

 男たちの忠告と提案をやんわりと固辞して、苦笑を浮かべた。

 ただの親切心ではなく、なにやら自分たちの売り込みも兼ねていたらしい。しかし更夜にとってはむしろ、純粋な善意よりかはずっと信用できる言葉だった。

 

「ま、何をするつもりかは知らんが──」

 

 皮甲(よろい)の男が一気に酒を呷ってから、言葉を続けた。

 

「運が良ければ百華仙君(ひゃっかせんくん)に助けてもらえるかもしんねぇ。あんまし無理はしないこったな」

「百華仙君?」

「なんだ、やっぱりこれも知らんか」

 

 日焼け肌の男が少々呆れたように笑った。

 

「黄朱に伝わる伝説みたいなもんさ。もう何百年も前から存在してる、まあ気紛れな女神様みたいな存在でよ」

「黄海のどっかに館第(やしき)があるらしく、運が良ければ行き倒れた奴はそこで介抱してもらえるんだとよ。とても妖魔の土地とは思えないくらい整っていると聞く」

「天意に見放された土地の最後の希望ってやつなのかい?」

「だいたいそんなもんさ。ただ、少なくとも元気な内は絶対に現れないし、そもそも黄海じゃ普通に死んでいく奴の方が圧倒的に多い。中にはその百華仙君に襲われて死んだ奴も居るって話だ」

「死んだ者の噂が流れるなんて変な気はするけどね」

 

 呟いた更夜に二人とも頷いた。

 

「同感だ。だけど伝説なんてよく分からんもんで、とにかく黄海には道理の通らない存在が山ほどいるってことだ」

「俺たちからすれば蓬山の女仙や女神様だって似たようなもんだからな。重要なのは俺たちの生活に身近か、そうでないか。それだけさ」

「なるほどね。貴重な情報、どうもありがとう」

「気にすんな、これくらいなら俺らの仕事の範疇にも無いからよ。もっと詳しい情報が聞きたきゃ、金次第で雇われてやっても良いんだがな」

「遠慮しておくよ。どうにかするあてはあるからね」

 

 更夜は軽く笑った。男たちは顔を見合わせから、「それならそれでいいけどよ」と頷き合った。

 黄海では当たり前のように人は死んでいくのだ。多少は誰かを気にすることもあれ、基本的には自分の身を守る事だけで精いっぱい。男たちとて慈善事業をしている訳ではない、これ以上のお節介を焼く理由も無かった。

 

「じゃあな、またどっかで会えたら会おうや」

「同席した奴が死んだなんて寝覚めが悪いんだ、できれば生きてくれよ」

「ああ、気を付けさせてもらうよ」

「鈴の音が聞こえたら百華仙君が近くにいる証拠だ。死にそうなら、気張って探してみな」

 

 そうして男たちは大卓(つくえ)から去って行き、後には食事を再開した更夜だけが残されたのである。

 

 

 数日後、ついに安闔日(あんこうじつ)がやって来た。

 門は二層あり、一層目の朱塗りの門扉は見上げるほどに大きく、二層目の高楼にある小さな門には門扉がなく、ただ扁額には『令艮門』とだけ記されていた。

 年に一度だけ開け放たれる巨大な門を抜ければ、もはや安全地帯など何処にもない。これより先は死の大地、天帝すら見放す最果ての水なき海に他ならないのだから。

 

 黄海に入る者たちに交じって、更夜も黄海へと入っていた。やけに人が多いのはたぶん、昇山者が居るからだろう。確か数年ほど前、舜極国の台輔が身罷られたと聞いている。きっと舜の民が蓬山を目指して列をなしているのだろう。

 しかしながら彼らの旅は更夜には関係がない。彼はただ、待つために黄海へとやって来たのだから。かつて居た雁が、人も妖魔も分け隔てなく過ごせるような国になるまで、更夜は妖魔と共に黄海で過ごすのだ。

 短くは無いだろう。十年かかるか、二十年かかるか、あるいはもっと時間が必要なのか。分からないがしかし、延王は約束したのだ。

 

 ──いつか妖魔も妖魔の子も、追われる事の無い土地をやろうと。

 

「お待たせろくた、待たせてしまってすまないね」

 

 黄海に入った者のほぼ全てが蓬山へと向かっていくが、更夜は適当なところで群れから離れて全く別方向へと気儘に進んでいく。誰も止める者はいなかった。中途半端な慈悲は、この黄海ではただの重石にしかならないと理解しているのだ。

 しばらく進んで、生い茂る森の中に入った辺りで天犬のろくたと合流できた。令艮門も通らずどうやって黄海に入ったかは分からないが、ともかく無事に辿り着けたらしい。赤い身体に青い翼はよく目立つはずだが、不思議と森の中では没個性となっている。黄海が妖魔の土地だからなのかもしれなかった。

 

 天犬の首に抱き着いてしばし落ち着いてから、更夜は辺りを見渡した。森の中だけあって鬱蒼とした雰囲気があるが、まだ太陽は中天にも達していない。陽が落ちるまではしばらく時間がありそうだった。

 

「では、行くとしようか」

 

 言ってはみたが、行くあてなんてこれっぽっちも無い。舎館で話した者たちの忠告に従い準備はしたが、それもどこまで頼りになるか。これから先は手探りで黄海を生き抜いていく必要があるだろう。

 だけど、少しも不安ではなかった。彼にはいつだって共にいてくれる天犬(ろくた)が居るし、貧しい暮らしは元々慣れっこだった。それに黄朱たちの話によれば、黄海で何百年も生き抜いている先達がいるというではないか。なら、やってやれないことはない。

 

 妖魔の子として育ち、そして今また妖魔と共に黄海に入った更夜は歩き出す。黄海の森は彼らを歓迎するように騒めいてから、すぐに彼らの姿を覆い隠してしまった──。

 




後書き解説

黄朱…特定の国に戸籍を持たない、浮民と呼ばれる者たちの一種。別名を朱民、黄民とも。中でも芸や出し物をしながら諸国を巡るの者たちを特に朱旌(しゅせい)、妖獣の捕獲専門の者を朱氏、黄海を行く者の護衛をする者を剛氏と呼ぶ。
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