矛の残照 徒華の盾   作:生野の猫梅酒

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第五章 百華

 

 生きていられるならば何でもよい、とにかく命が惜しい──

 そのように考えてはいたけれど、まさか麒麟から妖魔に近き者にまで堕とされるなどとは、流石に考えてもいなかった。敢えて言わせてもらいたいが、()()()()()()()()()の何が悪いというのか。誰だって生きるためには力の限り足掻くだろう。私のした事だって、要は同じ理屈に過ぎないというのに。

 しかし、どう言い繕おうと命はある。これだけは揺るがしようの無い事実で、私はまだ死んでいないのだ。ならば不足などありはしない。麒麟であろうと妖魔であろうと、絶対に生き延びてやる。

 

「これからどうしようかしらね……」

 

 泰山からひとまず下りて、玄君の言葉に従って黄海へと飛び出した。それはまだいい。だけどこれから何をするべきなのか、全く思いつきもしなかった。

 蠱雕(こちょう)蝶縁(ちょうえん)の背に乗って、気の向くままに一刻程も黄海を彷徨ってみる。人々が何よりも恐れる、黄海の風──すっかり戴の気候に慣れてしまったから、頬を撫ぜる暖かい風がどこか懐かしい。

 途中で穏やかな流れの川を見つけたので、取り敢えずはそこに降りることにする。川はどこまでも澄んでいて、その中を泳ぐ魚たちがよく見えた。川に沿うようにして聳え立つ木々からは木漏れ日が差し込んでいて、とても妖魔の住まう荒涼とした土地とは思えない。

 

 (くつ)を脱いでから襦裙(じゅくん)をたくし上げてしまい、川原に腰かけ足を浸してみる。冷んやりとした感触が心地よい。

 しばらく呆けていると、使令が影から出てきた。女怪の封香だ。

 

「台輔は国に戻るおつもりですか?」

「……今更、どの面下げて戻れるっていうのよ。今回の一件でほぼ間違いなく私の悪辣さは世に知れた。帰れるわけないじゃない」

「ではこの黄海で生きてゆかれると?」

「それしか無いのかしらね……他の国を見物しても良いかもしれないけど、しばらくは人に会いたい気分じゃないわ」

 

 もしも普通に生きて、普通に生活している人に会ってしまえば、たぶん突きつけられてしまうだろう。他者を踏み躙ってでも生き抜こうとする我が身の醜さを。これまでの行いに罪悪感なんて欠片も存在しないはずなのに、どうしてかそれが怖かった。

 あるいは──二度に渡り王を弑したことを後悔しているとでもいうのだろうか。

 

「いいえ、そんなことはあり得ない」

「台輔?」

「大したことじゃないわ。それと、もう台輔って呼ぶのもやめなさい。今の私はただの竜胆よ」

 

 莫迦げた妄想を振り払う。この私こそ、おそらくは最も麒麟らしくない性分をした存在なのだ。慈悲も慈愛もありはしない、ただただ自愛だけに凝り固まったどうしようもなく愚かな麒麟。同族と会ったことは無いが、誰が見ても私を同族とは認めないだろう。

 そんな私が、王を弑して後悔する? くだらない、後になって悔いるような生易しい心など持っているはずが無い。どちらの王も勝手に狂い、自らの麒麟を失道させたつまらない男なのだ。

 

「そうよ、あの人たちは死んで当然だった……民を苦しめ、自分たちが麒麟の命を握っているという自覚さえない。あんな愚かな王を殺したところで、私の心が痛むはずないじゃない……」

「──ならば何故、台輔は泣いておられるのですか?」

「泣いている? 私が? そんなわけ──」

 

 反射的に(まなじり)に触れて、何か熱い水滴が手についた。咄嗟に水面を覗き込む。

 ──確かに、泣いていた。

 

「なんでよ、なんで私が泣いてるのよ……」

「どう言葉を重ねようとも、台輔もまた麒麟だったということです。主上を失くして悲しまぬ麒麟などおりますまい。ましてや自らの手で弑した麒麟ならば、なおさらに」

「……っ、違うわよ。これはそう、麒麟というどうしようもない存在から解放されたことが嬉しくて泣いてるのよ。もう王を選ばなくていい、失道に怯える心配もない。だから──」

「あまり意地を張らないでくだされ。そうも自らを誤魔化していては、我らも悲しくなってしまいます」

「うる、さい……っ! 私は、悲しくなんか……!」

 

 涙が止まらない。声にならない嗚咽が喉から溢れ出た。まるで自分の身体が自分のものでないかのように、次から次へと熱い雫が零れてしまい仕方がない。

 これじゃあ本当に莫迦みたいではないか。自分で手に掛けておきながら、その死を悼んで泣くだなんて。とんだ偽善者の大莫迦者だ。呆れ果ててまた涙が出てしまう。

 

「どうして麒麟は……こんなにも、損な生き物なのよ……!」

 

 嗚咽に塗れた問いに答えてくれる者は、黄海には誰も居なかった。

 

 

 息を整え、そっと口から吐いた。前歯を鳴らす鳴天鼓を行い、しっかりと気を集中させる。

 現在立っているのは森の一角、ちょうど岩場となって木々が開けている箇所だ。足場は石だらけの不整地で立ちづらいが、しっかりと踏ん張ればどうということはない。

 

(りん)(びょう)(とう)(しゃ)(かい)(ぢん)(れつ)(ぜん)(ぎょう)

 

 まずは剣印抜刀。腰に片手をあて、もう片方の手で虚空に九字を切る。四縦五横に真っすぐと、折伏に用いる易法の一端だ。

 目の前の岩場を走っていた、小さな猿にも似た小物の妖魔が足を止めた。同時にこちらを振り向く。

 互いの視線が交わった。折伏は彼我の覇気を比べる睨み合い、押し負ける事は許されない。

 

神勅明勅(しんちょくめいちょく)天清地清(てんせいちせい)神君清君(しんくんせいくん)不汚不濁(ふおふだく)鬼魅降伏(きみこうぶく)陰陽和合(おんみょうわごう)急急如律令(いそぎさだめのごとくせよ)。使令に降れ──」

 

 一気に呪言を唱え、片手を天に、片手を地に向ける。

 折伏が成功すればこのまま頭の中が真っ白になり、その刹那に妖魔の名を表す文字だけが浮かび上がってくるのだが。

 

「──……えぇっと……」

 

 分からない。ちっとも目の前の妖魔の名前が読み取れなかった。

 

 いきなり無言になってしまった私を嘲笑するように、その猿似の妖魔は一転して襲い掛かって来た。しかし唐突に現れた求堅によって阻まれてしまい、驚いた妖魔は尻尾を巻いて逃げ出してしまう。岩場を駆け、すぐ近くの木々の中に身を隠した。大した早業である。

 寂しく残されたのは私と求堅だけ。軽く風が吹き、着ていた黒い長袍(うわぎ)がはためいた。まるで風にすら馬鹿にされているようだ。

 

「やっぱり、そう都合よくはいかないわよね……」

「あの程度の小物すら、使令に降せませんでしたか。やはり、麒麟としての能力はほとんど失われているとみて良いかと」

「でしょうね。そうでもなければ、あんな妖魔相手に折伏を失敗したりなんてしないわ」

 

 求堅の言葉に溜息を吐いてしまう。そうでないかと予想はしていたが、いざ現実のものと知ると堪えるものがあった。

 

 あの日、情けなくも涙を流してしまってから三日が経過した。ほとんど自己嫌悪と意地で黄海に居を構えることにした私は、ひとまずの住居を定めてから今と昔で何が違うか探ることを始めている。

 特に重要なのは麒麟の持つ技能たる折伏だ。これが使えれば理屈上はいくらでも味方を増やせるし、最悪どうしようもない妖魔に出会った時も対抗することが出来る。故に折伏が使えるかを試すのが最優先事項であり、落ち着いてきた今日にようやく試せた。

 

 しかし結果はご覧の通り、惨敗という他ない。普通の麒麟なら子供の頃に遊び半分で折伏するような妖魔を相手に、最初の足止め以外は何一つとして成功してはいなかった。これまで二十三にも及ぶ回数折伏を成功させた私が、今更あの程度の妖魔に後れを取るなどあり得ない。

 

「改めて麒麟以外の存在に墜ちたと実感させられた気分なのだわ……なのにどうして私とあなた達の契約は続行されているのかしら?」

「新たに折伏ができなくなっただけで、交わされた契約自体は働いているのでしょう。台輔の死後はしっかり我らがその肉を食み、力とさせていただくのでご心配なく」

「ふん、言ってなさい。あなた達が私の使令になったことを後悔する姿が目に浮かぶわ」

 

 求堅は悠々と欠伸し、くつくつと笑った。

 

 折伏の原理は、言ってしまえば等価交換だ。麒麟によって折伏された妖魔は、その麒麟の死後に死体を食べる権利を得る。妖力甚大な麒麟は妖魔にとっても極上の力となるのだ。代わりに主人(きりん)が生きている間は、名で縛られた使令となって命に従うのである。

 あくまでも予測でしかないが、今の折伏失敗の因はここにあるのだろう。現在の私には、使令となってまで従う程の魅力がない。おそらく麒麟でなくなったことで、死後の私を食べても力が手に入らないのだ。逆に元から使令として従っている者たちは、私の変質にも引っ張られているから問題ないと考えるのが自然か。

 

 随分と都合が良いような、悪いような。私一人で身を守るなんて出来そうにないから、使令が居てくれるのはありがたい。しかし新たに使令を増やせないというのも、それはそれで心もとなかった。

 だが、今更嘆いたところで何も変わらない。ありのまま受け入れるのが吉だろう。

 

「それじゃ、住処に戻りましょうか。単殊、転変するから服をお願いね」

「承知しました」

 

 影からするりと単殊が出てくるのを横目に、額に気を集めて──ここは昔と変わりなかった──転変してしまう。内側から引き延ばされ、両手両足が前足後足へと切り替わる。ほんの一瞬だけ不定形な生き物に変化している間に服は地に落ち、そして次の瞬間には転変は完了していた。

 転変後はかつての馬と鹿が混じったような姿からは遠く離れた、禍々しい容姿となってしまっている。毛むくじゃらの、白い犬にも似たようなよく分からない姿かたちをしていて、目も耳も鼻も口もない。なのに五感はしっかり働いているのだから、なんとも不思議な話だった。

 

「随分とまあ醜い姿になりましたなぁ、台輔」

「無駄口叩いてる暇があるならさっさと服を集めなさい。それと、いつまで台輔と呼ぶつもりなの? この一週間毎日注意してるはずだけど」

「無論、我らが飽くまで」

「……ああもう、好きにしなさい」

 

 面倒くさくなって言葉を打ち切った。口さがのない単殊相手では、いくら言葉を重ねたところで徒労に終わるだけだ。

 口の代わりに前足で宙を蹴る。それだけで醜い体躯はふわりと浮き上がり、地上より少し浮いたところで滞空する。住処は地下にある、空を飛ぶ必要はない。

 獣の姿のまま森に入り、三人並んで木々の間を駆け抜けていく。この辺りの妖魔は既にご退去願っているため、喧嘩を売ってくる相手もない。誰に憚ることなく真っすぐ進めば、木々に隠れて地下に向かって開いた小さな洞窟の入口が現れた。

 

「よっと」

 

 洞窟の入口で再び転変、再び人の姿に立ち戻る。こちらは麒麟の時と大した変化はなく、転変後に戻れば裸となってしまうところまで共通だ。故に単殊が羽負わせてくれた長袍を取り敢えず体に巻き付け、身を屈めて洞窟の中へと潜り込んだ

 一度入口を抜ければ、背筋を伸ばしてもなお高さには余裕がある。日の差さぬ洞窟の中は肌寒いが、しかし壁にはいくつもの松明が無造作に立て掛けられており、見た目よりもだいぶ広く入り組んだ洞窟の岩肌を赤く照らしていた。いくつかの枝道を無視し、最奥へと進めば、小部屋程度に膨らんだ行き止まりで封香と則詩が何やらやっているところだった。

 

「こっちの進捗はどう?」

「ひとまず、台輔が住まうにたるだけの環境は整ったかと」

「内部には風と水が通っている箇所もありました。火を用いても危険はないかと」

「ん、分かった。お疲れ様、今は休んでくれて構わないわ」

 

 御意、と残して封香と則詩が出ていくのを見届けて、彼らが用意してくれた臥牀(しんだい)らしきものに腰かける。その辺に倒れていた木を割り、簡単に均しただけの粗末な寝床。しかしこれが今の私たちに用意できる限界だった。

 暗い洞窟に籠り、地下を這う水を啜り、臥牀(しんだい)とも呼べぬ寝床に身を横たえる。蓬莱での暮らしよりも酷い環境だが、それでもこの地こそが私たちの新しい住処だ。

 

「今日から、ここが私の仁重殿よ」

 

 

 黄海に住まってから最初の一年は、とにかく野生の環境に慣れることから始まった。

 かつてのように麒麟として重宝され、あらゆる世話を受けられる訳ではない。食糧を買うあてもない以上、自分たちで何が食べれるのか調査し手に入れるしかないのだ。

 これが中々に大変ではあったが、幸いだったのは私自身の変化だった。試しに使令たちが狩ってきた妖魔の肉を一口食べてみたら、どうにも血の穢れを受けないようなのだ。味はなんとも言えなかったが、肉を主食に出来るのは大きかった。

 他にも周囲の探索を行い、木の実を食べて、川魚を捕らえ、固い臥牀に四苦八苦して、などとしている内に、一年はあっという間に過ぎ去っていた。洞窟の壁に毎日印を刻んでいるから間違いない。

 

「台輔は随分と粗野な生活にも慣れているようで」

「蓬莱に居た頃は食べ物を手に入れるのも一苦労だったもの。封香や皆が居てくれるだけありがたいわ」

「さようでしたか。ですが……この住まいはそろそろどうにかせねばならないかと」

 

 次の十年は住処としている洞窟の整備が主だった。私は一年過ごしている内に慣れたのだが、それでも住みにくいし殺風景なのは変わらない。そしてどうやら使令たちは気にしていたらしく、少しづつ洞窟の整備が始まった。

 

 本当なら外に木組みの小屋でも建てられれば良かったのだろうが、生憎と私は建築など門外漢だ。それは使令たちも同じであるから、最初から雨風は凌げるこの洞窟を捨てるわけにはいかなかった。

 内部の大きな岩やらを使令たちと一緒に取り除き、床には川底から集めた丸い石を均等に敷き詰めた。臥牀には落ち葉を敷き詰め、その上から黄海で拾った古い布を被せて改良する。これだけでもだいぶ寝心地は良くなった。

 洞窟の壁や天井といった岩肌は、取り除いた岩や石を再利用して地道に削り出す。非常に根気のいる作業だったが、その甲斐あってか数年も経った頃には意外なほど滑らかに変化した。

 

 この時点で床はかなり歩きやすくなり、天井や壁は磨かれ、寝床もだいぶ真面(まとも)になってくれた。枝道の先には集めた食糧や水の貯蓄場ができ、松明はちゃんと壁に掛けられる。

 ようやく自然の洞窟は、人の住める土地へと変貌したのだ。

 

「案外とやれば何とかなるものね。ここまで見栄えがよくなるなんて」

「むしろ現在の台輔が住まうには立派すぎる気もしますがな。いやはや、暇な妖魔でも此処まではしませんとも」

「……素直に感謝したいのに、単殊(あなた)の所為で言う気が失せたわ」

 

 

 

 次の五十年は、やけに他人と出会うことが多かった。

 最初の切っ掛けは食糧集めに出てた際、妖魔に襲われている朱氏を見かけたことだったか。褐狙(かっそ)という赤く巨大な狼に似た妖魔を相手に、傷を負いながらもよく戦っていた。最後までしぶとく生を諦めないその姿に感化されてしまい、気が付けば妖魔を追い払ってしまっていたのだ。

 

 ──かつて危惧したような自分の醜さは、幸いにもあまり感じなかった。

 

 助けられた朱氏はたいそう驚いたようだが、勘が鋭いのか私について深く追求してはこなかった。代わりに今度礼の品を持ってくるというので、あまり期待せずに彼を令艮門(れいごんもん)の近くまで送ってあげることにした。

 そう、令艮門である。この時知ったのだが、適当に選んだ洞窟のねぐらは黄海でも北東寄りにあるらしい。なので一番近い国は雁州国で、その先には因縁の戴極国が存在する。……結局生国から離れられていないなんて、我ながらなんと未練がましいことかと笑ってしまう。

 

 それから一年ほども経った後、本当に助けた朱氏は礼の品を持ってやって来た。とはいっても、黄海に持ち込める物などたかが知れている。彼がくれたのは傷を治すための包帯や薬草、水を清める為の満甕石(まんおうせき)を少しづつ。それに簡素な服を二着ほども貰うことが出来た。

 この頃になるといい加減に服も襤褸のようになりかけていたから、正直言ってありがたかった。その朱氏は渡すだけ渡してすぐに去ってしまったので、彼がその後どうなったかは分からない。だけど、久しぶりに人の温かみを知らされた思いだった。

 

 これ以降、一年に一度か二度の間隔で人を助けることがあった。中には最初の朱氏のように礼を尽くしてくれる人もいたし、私を人妖の類と断じて斬りかかってきた者もいた。前者は何かしら貰うことが出来たからますます洞窟の住処は富んだし、後者は使令たちの手で呆気なく殺されてしまったので遺品はありがたく使わせてもらっている。こちらも生きるために手段を選ぶつもりはないのだ。

 

「今や台輔の噂は黄朱中に広まっているようです。礼を尽くせば命があり、仇で返せば命は無いとか」

「別に完全な善意でやってる訳じゃないし、ちょっと心外ね。これじゃただの善人みたいじゃない」

「この黄海で人を助けるなら、只人にとっては例外なく天仙の如き善人でございましょう。現に助けられた者たちは黄海に咲く華の意を込めて”百華仙君”と呼んでいるとか」

「言ってくれるじゃない求堅。というか百華仙君って何よ、どうやってそんなの調べてきたの?」

「興味本位で助けた黄朱の後を付けたら、何やら黄海の中に(まち)らしきものがありましたので。そこで情報収集を」

「えっ、何それは……?」

 

 黄海内の思わぬ情報を得てしまったりもしながら、気が付けば五十年どころか百年も経過していた。

 そして次の百年に、()()は訪れた。

 百年以上の年月の間に、住処の洞窟は随分と住みやすくなっている。求堅が見つけた黄朱の里との取引きでいっそう内部は綺麗になり、装飾品すら少しづつ置き始めた頃。

 

 ──麒麟が、やって来たのである。

 

 

 洞窟の入口に感じた懐かしい気配に、思わず飛び起きて駆け付けた。そこに居たのは黒い服を纏った、まだ幼い金髪の少年だ。あどけない純粋な笑みが眩しかった。

 

「あなた……麒麟なの?」

「僕は氾麒と言います。そういうあなたは、この洞窟の主ですか?」

「そうだけど……なんでまたこんな所にまで」

「面白そうだったから、ではいけませんか?」

 

 その麒麟の号を氾麒といった。範西国の麒麟として生まれた彼は、使令と共に黄海を散策している内にこんなところまで来てしまったらしい。森の中に奇妙な洞窟があったから、好奇心に任せて冒険とばかりに突入し、私と出会ってしまったという訳だ。

 白状すれば頭を抱えた。いくらかつて麒麟だったとはいえ、今の私は妖魔というのが最も近い存在である。仲良くできるはずがない。実際に氾麒の使令たちは私の事を露骨に警戒していたし、こちらの使令たちも穏やかではなかった。

 だけど、氾麒自身は私の事を警戒してはいなかった。最初は適当に追い返したが、次の日も、また次の日も、そのまた次の日も、根気よくやって来る。いつしかこちらが根負けして、彼が来るに任せるようになっていた。

 

 それに、麒麟が損な生き物というのはこの身が一番良く知っている事でもある。同族だった(よしみ)なのか、どうしても幼い麒麟を捨て置くことが出来なかった。気が付けば氾麒には折伏の小技から国の政まで、話の流れで色々なことを教える教師役となっていた。

 

 ある日、氾麒は言った。

 

「玄君様に竜胆のことを話したんです。そしたら珍しく玄君様が驚いてて、是非蓬山に連れて来てくれって」

「そう……気が向いたら訪ねてみるわ」

「その時は僕が蓬山を案内してあげますね!」

「なら、よろしく頼もうかしら」

 

 ちょっと面倒なことになったと感じつつ、それでも氾麒の言葉は微笑ましかった。いつの間にか蓬山に改名していたのかと驚きもしたが、これについてはまあどうでも良い。けれど玄君に会うのはあまり気乗りがしないというか、気まずかった。

 

 なのに氾麒は毎回のように玄君の言葉を伝えてくる。いい加減に鬱陶しくなり、しばらく後には観念して蓬山に赴き玄君の下を訪ねたが、大したことは話していない。ただ近況を話し、氾麒が世話になっている礼を言われただけだ。ある意味ではらしいとでも言うべきか。

 むしろ女仙の方が大変だったというか、最初は警戒されたかと思えば氾麒の口添えで歓迎され、簡単に身の上を話せばいっせいに泣かれた。呪文のように「お可哀そうに」と言われ、帰り際には土産を山ほど持たされ辟易してしまったほどである。

 

 ……可哀そうと言われる権利など私には無いと思うが、それはそれとして厚意に甘えたのは流石の生き汚さの発露だろう。いい加減に生活は安定してきた癖に、卑しいことこの上ないと自嘲する。

 

 その後、氾麒が王を見出し生国に下ってからも、新たに生まれた麒麟は次から次へと私の下へと訪れた。その度に驚きながらも対応し、麒麟としての心構えや知識を教える日々だ。もちろん、ただの善意だけではない。私は麒麟たちの面倒を見て、代わりにこちらは蓬山から日用品の類を分けてもらっている。絹の布や服、それにたくさんの家具まで様々だ。このおかげで洞窟内はいっそう華やぎ、もはやかつての面影は微塵も感じられない程である。

 

 

 ともあれ、そのようにしてそれなりに長い時を生きてきた。姿形は特に変わることなく、同時に死にたくないという理念もまったく曲がらない。最初に王を弑した時から今まで、心の中の始点と終点は片時もずれていないのだ。

 違いがあるとすれば、片手間に善行を成していることくらいか。人助けは今でも見かければ行うし、麒麟は相変わらずやって来る。かつての行いの罪滅ぼしなんてつもりはさらさらないが、気が紛れるのも確かである。

 

「でも、だからって妖魔が人を連れて来ることなんてあるのかしらね……」

 

 数百年という、律儀に数えるのも莫迦らしい年月が経ったある日のこと。ちょっとだけ呆れを滲ませながら、百華洞と呼ばれるようになった洞窟への来訪者に視線をやる。

 今や妖魔にすら私の存在は知れているらしく、襲い掛かって来る命知らずはほとんど居ない。基本は互いに不干渉であり、少なくとも私の周囲で人を襲う者もまた居ない。私が人を助けると学んだからだ。

 

 しかしだ。かといって妖魔が人を連れて来ることがあるなんて思いもしなかった。赤い身体の天犬と、傷だらけとなった少年らしき者が一人ずつ。普通なら少年は既に食べられているはずだし、そうでなくとも妖魔がわざわざ人を助けるべくここまで連れて来るなんて信じられないことである。

 天犬は心配そうに少年を気にしているが、見た感じ死に至るような傷でもないだろう。私の拙い医療でもなんとかなるか。

 

「……まぁいいわ。取り敢えず入りなさい。ここは妖魔の住まう百華洞、誰であろうとこの百華仙君が歓迎するわ」

 




またしてもダイジェスト風味で申し訳ないですが、あまり長々とオリキャラだけでやるのも微妙なので大幅に圧縮です。次回以降は出来るだけ原作キャラを登場させる予定です。
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